T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

[ 「灰色の北壁→(雪の慰霊碑)」を読み終えてー3/3ー ] 3/28・土曜(晴・曇)

2015-03-27 14:40:42 | 読書

第八章 雅司は叔父に本心を告げたいと山を急ぐ

 雅司は、譲の葬儀の後も、多英子が足しげく坂入家を訪れていたことを母から聞かされていた。だから、叔父が譲の部屋を整理したと教えられたときも、彼女のためになると安堵した。

 叔父は、彼女の中で育ちつつある想いに気づき、分別ある大人の態度を取ろうと促すためにも、譲の遺品を整理したに違いなかった。いかにも、あの叔父らしい態度に思えた。

 譲と多英子の婚約が決まったと聞き、来たるべき時が来たのだと受け止めようとしたが、嫉妬の風に吹かれて狭い胸の雪崩が崩れ、譲が企画した雪上訓練に同行してほしいと頼まれたのを、つい拒んでいた。それなのに、叔父の息子に大切な人を奪われた形になった甥を気づかい、雅司が同行しなかったことを非難するどころか、捜索に力を尽くししてくれたと深く頭を垂れて礼の言葉さえ口にした。

 雪よ、このままちらつく程度で我慢してくれ。順調にいけば午後4時には叔父の姿が視野に入れられる場所まで近づける。譲、あとはお前を信じる。山の機嫌を取ってくれ。

 自分は弱い人間だ。多英子にも叔父にも本心を打ち明けられずに来た。でも山の上でなら、素直な自分になれる。山で嘘を口にしたのでは、山頂に立つ資格を失う。今はまだ見えない叔父の姿を追いかけて、新雪を踏みしめ力任せに尾根を登って行った。

第九章 多英子への想いを明かす二人の男

 折笠山の頂上が近くなってからは、岩の起伏を目で追い、ルートとを決めるだけで時間が容赦なく過ぎていった。雪が慎作の手足を冷やし、いやでも、またさらに登りのペースが落ちた。

 雪がまつ毛の上に降り積もって視界を狭め、ふき下す冷気が口と鼻を覆い、荒れる息をさらに乱した。

 休めば体が冷えて動きがますます鈍る。山は己の弱き心を見せつける鏡となって、目の前に聳えていた。

 譲は、3年前、何を考え、この尾根を辿っていたのか。式の日取りを決めたばかりで、妻となる女性を残して先に逝かねばならなかった悔しさは、私の想像を越えていたろう。最初に滑落した後輩をきっと恨んだはずだ。でも、息子は彼らを見捨てようとはせずに、最後まで死力を尽くして戦いきった。

 その父親が苦しさを理由に戦いを投げ出したのでは、絶対に譲るは許してくれない。胴まですくみそうになる恐怖をなだめて、頂上の極みを目指した。

 やがて山頂から駆け下りてきたガスに囲われ、3m先さえ見えなくなった。低い雲の中に入ったのだ。体力よりも先に気力が擦り減り、もうどうにでもなれ、という捨て鉢な気分に襲われかけた。息子の精神力の強さに打ちのめされた。

 譲と妻の正恵は、寂しい男を許してくれるだろうか。その答を聞くため、胸に残っていた勇気を奮い起こして、雪の斜面に小さな足跡を印していった。

 いつ果てるともしれなかった傾斜が少し弱まってきたと思ったとき、舞い落ちる雪の向こうに突如として視界が開けた。山頂が目の前に広がった。

 ついに辿り着けた。見ていてくれたか、譲。おまえに比べたならあまりにも拙いが、父はたった一人でも、淋しさに音をあげずに、ここまで到達できた。もうこれで精一杯だ。おまえが遭難した場所まではとても一人では歩いて行けない。

 坂入は横たわったまま、ケルンの代わりに雪を集めて山を作った。小さな雪の慰霊碑でも雲の上から見えるのではないか。父さんは、ここまで来た。あとの答はお前が聞かせてくれ。

 かすかな風の奥から足音と息遣いが聞こえてきた。

 避難小屋で一緒だった神部が、麓から無線をもらったと坂入に向き合い、今、野々垣雅司さんが、あなたを追ってこちらに向かって近くまで来ているとのことですと伝えた。自分を追ってくるとは、どういうことだ。多英子が留守の家に雅司を呼んで、この山へ向かったことを推測したのか。

 多英子の想いが伝わって来た。52歳の先の見えた男に、なぜあの娘は想いを寄せてくれたのか。三回忌の夜、二人だけになったときに、彼女が急に悔しそうに涙をこぼした。あのときに、いけないと最初の危惧を覚えながら、寂しさに負けて優しい紳士(?)を演じてしまった。

 助けに来た神部に、変なことを考えずに野々垣さんを待ちましょうと言われ、坂入は、雅司は誤解しているのだと、力を振り絞って立ち上がり、 『私は心を鬼にして息子の遺品をすべて処分しようと決めた。でも、どうしても捨てられなさそうにないものが、ひとつだけ(多英子への想い?)残ってしまった。息子を思い出して辛くなるのが分かっているのに……。だから、私はこの山へ来たんです。あいつに許しを乞うために』と言うが、神部は意味が分からず首を振った。

 雅司がもう近づいてくる。こんな身勝手な叔父を案じて、あの子は力を尽くそうとしている。 『あの子が多英子にひそかな想いを寄せているのは、ずいぶん前から気づいていた。そして、今なお彼は相変わらず多英子のことも案じているのだ。』

 坂入は、一人で登ってくる人影を見つめた。死んだ息子に許しを求めるより先に、本心を打ち明けなければならない相手がいた。

 52歳という年齢と世間の目を理由に、一人の女性を受け止める覚悟を抱けずにいた自分の弱さを、包み隠さず彼に打ち明けなくてはならない。そして、本心とささやかな決意を告げたなら、譲が下りれなかったこの山を誰の力も借りずに、必ず多英子のもとに帰り着いてみせる。そうすれば、譲の返事も聞こえてくるし、息子の出した答に妻も頷いてくれるはずだ。

 坂入は、譲が見ているこの山でなら、嘘は言えない、と「雅司。早く来い」と力一杯に手を振った。

 雅司は、軽やかに手を振る叔父を見つけ、もしやという思いが浮かぶ。 『叔父には、危険を冒してでも譲に語りたいことがあり、思い出の詰まった家を処分しようと考えていたとすれば……。』

 雅司は、首を振って、再び尾根の登りに専念した。 『そんなことはどうだっていい。自分は叔父に会って打ち明けなければならないと(多英子への想い?)がある。だから、ここを一人で登ってきたのだ。』

 雅司は、見失った自分を取り戻すためにラスト・スパートをかけて新雪を踏みしめた。

                                                            

                                                 終

 

 

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[ 「灰色の北壁→(雪の慰霊碑)」を読み終えてー2/3ー ] 3/27・金曜(晴・曇)

2015-03-26 14:29:52 | 読書

第三章 息子が遭難した山に近づく

 先を行く登山者がつけていったトレールのおかげもあって、林が開けたあとの急な尾根に出ても息は続いた。

 目の前に広がる眺めのどこかに息子を惹きつけて止まない魅力があったに違いなく、譲の愛した山の息吹を五感の端々にあまねく感じ取ろうと、雪を慈しむ想いで白く染まった尾根を辿って行った。

 前山のピークを越えて、西に続く尾根を行くと、2131mの折笠山へ通じる。そこから南の尾根を伝うと2435mの北笠山が、鳥の嘴にも似た尖ったピークを天へと突きつけている。あの嘴を超えて少し下がったあたりで譲たちは予定にないビバークを余儀なくされ、雪にに呑まれて命を落とした。

 少しは鍛錬を積んできたつもりだったが、さすがに陽が傾きかけると息が上がり、アイゼンを吐いた登山靴の重みが急に応えてきた。52歳という年齢を感じにはいられない。

 人生の折り返し地点は、とうに過ぎた。しかし、妻と独り息子は先に逝き、残された人生を思うと、どこまで泳いでいこうと陸地の見えない大海に一人で放り出されたような頼りなさが胸を埋める。友人や親戚は早く再婚相手を見つけろと簡単に言うが、独りを受け止められない男に新たな家族を支えられるわけもなかった。

 息子は後輩二人と北笠山のピークを越えた直後の尾根で、一緒に谷筋へと滑落していたのである。ただ一人、怪我をせずにすんだ譲は、二人を尾根まで担ぎ上げると、ビバークの準備を進めた。そこに雪崩が発生した。慎作は、最後まで仲間を救い出そうとした息子が誇らしかった。

 姉の次男になる雅司が、冬の北笠山をカメラとビデオに収めてくれた。それを見てますます雪の積もった現場を、この目にしなくてはと思う気持ちが固まっていった。

 折笠山のピーク手前の無人の避難小屋の前に辿り着いたときには、完全に息が上がっていた。慎作は寒さに震えながらドアを開けた。

第四章 慎作の行き先がわかる

 よその家のゴミ袋を開けて取り乱す多英子の姿が、雪の中で惑うあまりに叫びを放つ遭難者のように見えてならなかった。

 雨戸を壊して中に入って見るという多英子に、冷静になれと言う雅司。

 「どうして落ち着いていられるのよ。坂入さん、譲を追いかけに行ったとしか思えないんじゃない。最近は様子がおかしかったから」と言う。

 おかしいって、何か心当たりがあるのかと雅司が問うと、 「いつだったか、女の人が掃除に来ていたが、急に譲の残したものをすべて処分するだなんて……」と言う。雅司が、おじさんだって男だ、その人とやり直してみようって考えたのかもしれない。おかしいのは多英子で、いつまで譲を引きずってどうすると反論する。

 多英子が、急に裏手に走り出した。給油器の裏側から鍵を見つけた。そして、 「坂入さんは、独りになって外へ飲みに行かなくなってから、置かなくなったのに、また置いてあるのは、もう帰ってこないつもりかも」と鍵を持って玄関に回った。

 雅司も後を追って、家の中に入ると、どの部屋も大掃除したばかりのようになっていた。

 多英子がサイドボードの抽斗から通帳を見つけた。中を見ると、この半年で70万円を「カ)ミツミリョコウシャ」に振り込まれていた。多英子は雅司に車を出すように頼む。

 「狡いよね。一人であの山へ行こうなんて。」多英子のその言葉が雅司には、一人で死ぬなんて狡い、と言っているように聞こえてならず、旅行社に向かう車のハンドルを握る指先が冷えていった。

 旅行社を訪ねると、土日のツアーには参加していたが、ホテルの予約は入ってなかったので、時刻表を借りて北笠山の麓のホテルへ片っ端から電話を入れた。利用したホテルが判り、慎作の行動を尋ねた。装備から見て北笠の縦走コースに向かうのでしょう、今朝お立ちになったとのことだった。

 雅司は、明日から雪になるとの予報から地元の警察に連絡を入れるべきか決めかねていると、横で多英子が急に「この人……」と、店長が持ってきた先月のツアー参加者のファイルの中から、坂入家に掃除に来ていた女の人を見つけた。

 雅司は、叔父は自宅を売却し、この女性と暮らそうと考え、息子の許しを得たいため、命日に合わせて山に入ったのかと思った。

 多英子は、 「人の命がかかっているんです。この方の電話番号を教えて下さい」と店長に無理なお願いをしていた。

第五章 避難小屋で一泊する慎作

 戸を開けると、40代の男が一人、湯を沸かしていた。途中追い越していった人だ。相手は神部と名乗った。

 (以下省略)

第六章 慎作を追って多英子と雅司は山に向かった

 店長に、救助の遅れの責任をとってくれますかとまで言って、中年女性の電話番号を教えてもらい、多英子が電話して、坂入さんとの関係を尋ねた。

 その女性は、 「先日、坂入さんから家の掃除の手伝いの相談を受けたが、私は、貴女を傷つけるようなことは止めた方がいいと断ったのです。しかし、坂入さんは貴女のためにもいいのだと説得されました。私も独り者ですが、坂入さんと一緒に暮らすつもりは全くありません」と答えた。

 雅司は地元の警察に電話を入れて、我々もそちらへ向かうが、近くの登山者に連絡を取ってくれと依頼した。

 そして、多英子に俺の足ならあっという間に追いつけると、車を出した。多英子は、 「本当にごめん。譲がいなくなって、いくら辛く寂しいからって、すぐ目の前にいた人にすがろうだなんて、どうかしてるよね」と言う。

 雅司は、死んだ従弟に勝負を挑むつもりでいながら、戦う相手はもっと身近にいたのだと想像すらできず、見当違いの尾根を目指して突き進もうとしていた。

第七章 息子の遭難場所へと自分を励ます慎作

 神部が先に小屋を出た。慎作も5分ほどおいてから出発した。

 小屋からは広めの尾根が続いているので、ルートに悩むことなく登っていけて、予定通りの1時間で折笠山の頂上に到達できた。急な尾根を下りると、今度は急な上りが待ち受けている。

 上りに入った途端、あっけなく息が乱れてペースが落ちた。今日のために半年以上も前から少しずつ鍛え、雪山に備えてきた。息子の答を知るためには是が非でも、ここを登りきらねばならない。

 譲。 今日中に山頂を越えてみせるから、必ず答を聞かせて欲しい。

                                               

                                     (次章に続く)

 

 

 

 

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[ 「灰色の北壁→(雪の慰霊碑)」を読み終えてー1/3ー 3/26・木曜(晴)

2015-03-26 09:09:55 | 読書

「概要」

 人間模様の心の裡が明かされていくミステリー山岳短編小説。

 3年前、息子の命を奪った山に、父親が挑む。春山とはいえ、雪を抱いた時期の登山は、父親にとって楽なものではない。

 父親は、息子にどうしても告げなければならないことがあった。

 息子の婚約者と従兄が、それぞれに、心に複雑な男と女の想いを持ちながら、息子の父親が死を求めてて息子の後を追うたのかと心配して山に入る。

 しかし、そうでなく、父親にも明かすことができない男女の想いがあったのだ。

「作品構成・感想」

 父親・慎作の行動、心情等を奇数章に、息子の婚約者と息子の従兄の行動や心情等を偶数章に、と交互に描かれる構成で、パートをわけている点は前二作と同じだが、前二作より全体の流れは分かりやすい。

 人間ドラマという観点からみると、三作の中で最も深いものになっているように思えた。三人の男女の想いが交錯し、北笠山の頂上に収束していく様は感動的だ。

「登場人物」

 坂入慎作  息子が遭難した山へ、同時期の春に、息子と語るために登山。

 坂入 譲  慎作の息子。春山で遭難し、婚約者を残して死亡。

 坂入正恵  慎作の妻で、息子より先に死亡。

 野々垣雅司 譲の従兄。多英子を愛していた。

 岡上多英子 雅司が紹介した譲の婚約者。

 神部      避難小屋で同宿、同じルートを縦走する登山者。

「作品の文章抜粋による粗筋」

※ 女性の心の裡が現れる発言には、「」を付し緑色で彩色する。

※ 心情や心理を山になぞらえる表現は面白いと思ったので、下線を引いた。

※ 数か所、心の裡が完全に理解できないところに、(?)を付した。

※ 各章に内容を表現した短文を付した。

第一章 父は息子が遭難した春山に一歩を進めた

 坂入慎作は、最初の一歩を踏み出した。登山靴の下で音を立てる春の雪の感触が心地よい。

 息子の譲が最後に眺めた景色を見逃すまいと、坂入は花を愛でるより細やかな視線を配りながら登山道を進んだ。

 譲たちが苦しんだ重い雪を、実際にこの身で体感できると、坂入は山に感謝した。息子と同じ辛さを味わってこそ、この山に来た意味が生まれる。

 50を過ぎた新米の登山者にも楽に登って行ける斜度が続く。それでも慎重に一歩ずつ、息子と過ごした25年を改めて踏みしめる思いで登って行った。

 見上げると、残雪の反射を吸い込んで青みを増した空がどこまでも広く雄々しく、山と大地を包んでいた。

 今日はたっぷりと、お前の声を聞くために、ここへ来た。空に向かって語りかけると、息子の代わりに山が答えたのか、登山道の先から冷たい風が駆け下りてきて坂入を包み、白くきらめくダムの湖面めがけて通り過ぎていった。

第二章 多恵子は慎作の言動に不審を抱く

 震える携帯電話の着信表示を見つめ、野々垣雅司は、自分の胸のほうがもっと震えだしているのに気づいて、唇をかみしめた。まだ性懲りもなく、僅かな期待を抱いているのかと。

 やけにせわしない岡上多英子の声が、鼓膜と一緒にまた胸を揺すぶった。

 「お願い、何かおかしいの、直ぐ来て。もしかしたら人の命がかかっているのかもしれない。今、坂入さんの家の前にいるの。」

 譲が死んでもう3年になるのに彼女はまだ譲を引きずっていた。雅司は一瞬でも期待を抱いた胸の裡が後悔の吹雪に見舞われて凍えかけていくのがわかる。

 多英子の声は続いた。 「先日、坂入さんに、そろそろ命日だから、今年もお墓参りをさせてもらいたいと伝えると、来てくれるなと言われ、おかしいなと思いながら、一人で墓参りしたら、譲が好きな新しい花が供えてあったの。だから気になって、さっき、家の前に来てみたら、日曜というのに、勝手口の奥に、身辺整理をしたみたいに沢山のゴミの袋が纏めておいてあったので、坂入さんに何度電話しても繋がらないの。多分、あの山に行ったのだと思うの。お願い。野々垣君しか頼める人いないので来て。」

 雅司は、断れずに車を飛ばした。

 多英子が、独りで坂入家の前で立っていた。

 雅司が車から降りると、多英子は門扉を開けて一人で家の裏手に走った。

 雅司が遅れて裏に回ると、多英子はゴミ袋を破って中身を取り出し、「食材から調味料まで捨てている、家に戻っててこないみたい」と言って、「先日、電話したときも、坂入さんが、譲の遺品はすべて捨てたので、ここに君の来る場所は無い、譲はもう帰ってこないので、二度と来ないでくれ、君が心配してきてくれるのは有難いけど、悲しみが新たになるばかりだからって」言われたのと、多英子の目から涙を流していた。

 雅司は、まだ気奴のために、これほどの涙をこぼせるのかと、敗者の気持をどうすることもできないでいた。

                                                          

                                (次章に続く)

 

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[ 故郷の小学校閉校 ] 3月22日・日曜(晴)

2015-03-22 11:18:20 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                

 昨日、故郷の小学校の閉校式があったのことです。

 在校生の児童数は37名で、来年度からは3校統合の新小学校にスクールバスで通学するようです。

 私は旧制中学校の時に疎開で故郷に帰ってきたので、卒業はしていませんが、

弟たち3人は卒業生です。

 閉校記念誌を見ると、学校は明治26年創立で、明治37年度卒業生から卒業生名簿が載っていて、大正12年度卒業生からは卒業写真も載っていました。

 すでに他界した伯父や従兄弟の写真を推測しながら懐かしく見ることができました。

 昭和5年ぐらいまでは全員着物で、昭和20年になると男女ともに洋服になっていました。

 驚いたことに、昭和34年度の卒業生は106名もいたようです。

 それをピークに、最近10年の卒業生は10名前後で、一番少ない年度は4名といった現状です。

 故郷の町並みはそんなに過疎化しているように見えないが、高齢化、少子化の急激な変化には驚くばかりです。

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[ 誕生日・墓参 ] 3月21日・土曜(曇)

2015-03-21 09:57:53 | 日記・エッセイ・コラム

                                                             

 昨日は私の誕生日だった。

 元気に高齢(年齢ないしょ)の誕生日を迎え、幸せです。

 両親の墓参にも行ってきました。

 寺の門前にハクモクレンが綺麗に咲いていた。子供の清浄な心を見た感じだった。

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