T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

葉室麟著「陽炎の門」を読み終えて! ー4/5ー

2013-06-30 21:48:56 | 読書

(17) 監物から、綱四郎の冤罪の証となる「百足」の字の事を教わる。

 主水が、榊松庵の手当てを受け、看病される日々を送って一か月ほど経ってから与十郎が現れた。

 監物が話を始めた。 主水への仇討の件は、後世河原騒動の傷を持つ主水が執政になったのが発端で、渡辺次席家老は嫡男の一蔵の腕を斬ったのは主水だと勘違いしているが、綱四郎の話では、喧嘩騒ぎの中で残虐な振る舞いをいたしている者たちと斬り合い、綱四郎は、その中の一人に深手を負わせた。 それが一蔵だと言っていたと言う。

 監物の言葉に与十郎が口を挟んだ。 兄上の義仙が出家したのは、私がまだ幼い頃だったので、この度、国許に戻る前に、京で兄上にお目にかかった。

 後世河原騒動の話は、倒れたものに木刀を振るって打ちのめすといった兄上たちの所業で、私もその非道に顔をしかめたが、その所業を卑劣だと罵って斬りたててきた者がいて、かなりの使い手だった。 兄上は斬った相手を憎んでいないと言い、立場が変わったら同じように咎めたてをしたであろうが、傷の養生をしている間に、綱四郎か主水に斬られたのではないかと父上に話をしたので、私に望みをかけていただけに、父上は今も腹たちが募るだろうと言っていたと言う。

 監物が、与十郎に、一蔵はそこまでしか話さなかったのかと問うと、聞けなかったが、私にも見えて来たものがあると与十郎は言う。 そもそも、落書の一件で、芳村様が罪に問われたのは、派閥争いの中で生じた事ではなく、後世河原騒動の非道な振る舞いをした人たちは重臣の子弟が多く、それを芳村様に知られた故に陥しいれる必要を感じたのだと思うと言う。

 監物が主水にどう思うと言うと、江戸遊学もし喬之助の事も知っている大崎殿が怪しいと思っていると言うと、監物は笑って、そのような二つの罠を掛けれるような腹が据わった人間ではないと言う。

 主水が、森脇殿は百足が何者かお判りかと問うと、判っているが、そなたの眼で証なる物を見ることだし、それはお城の臥龍亭に行けばわかると言う。

(18) 興世の扁額に証となる字を見つける。

 臥龍亭の長押(なげし)に「百戦一足不去」と書かれた扁額に曙山と言う郷があり、「百」と「足」の字が落書と喬之助への手紙と同じ手跡だった。

 曙山は興世が世子時代から使っていた号だったので、主水は、百足は興世だったことを知る。

 興世は、若い時、側近と共に城下のいかがわしい店に入り酒を飲み、良からぬ遊びをしていたという噂もあった。

 井沢が主水も見ているはずだと言ったのはこの事かと、眉尻の傷を振るえる指で撫でていた。

(19) 百足を斬って綱四郎の仇を討とうと決心する。

 だから綱四郎は従容として腹を斬ったのか、落書の一件はどのように仕組まれたものだったかは判らないが、綱四郎は興世の意向を察して抗(あらが)わずに切腹したのだ。 切腹の座についた綱四郎は、主水に憐れむ目を向けた。 あれは、いずれ主水も自分と同じ憂き目に遭うぞと知らせるための眼であったのではないか。綱四郎は落ち着いて切腹の場にいたように見えたが、胸の内には興世への怒りを抱いていたことだろうと思った。

 監物の屋敷で、百足の存在を知っていた監物が、主水だったら百足を討つことができるかもしれないと言ったが、情を知らぬ氷柱の主水のように冷たい男だから主君を討つことができると言いたかったに違いないと思った。 主水は体が震えた。 儂に逆臣になれと言うのかと思った。

 下城すると、松庵先生が監物の手紙を預かってきていた。 一読後、闇番衆の手に渡らぬように焼却してほしいと書いてあった。 内容は、派閥抗争で喧嘩両成敗として隠居させられたのではない。 当時の世子興世は残忍な御気性で殿に廃嫡を進言したので、熊谷殿を使って儂を退けようと為された。綱四郎は儂の行動に賛同して、殿に建白書を出した。 落書はその一部「佞臣ヲ寵スル暗君ナリ」を切り取り、百足と署名したものだ。

 興世は、お主が執政になった時に眉尻の傷があの騒動の時のものだと知り、己の罪業を暴露される者を退けるために喬之助の仇討を思い立ったのではなかろうかと思う。

 殿は人を酷く苦しめて楽しまれる。 このまま捨て置けば、お主は殿の御前で喬之助と立ち会わねばならなくなるだろう。 どうすればよいか主水自身の心が定まったら松庵に返事を託せよとの手紙であった。

 松庵の息子も、あの河原で傷ついた身を木刀で打ち据えられ死亡した事も知らされた。

 その日の夕餉が済んだ後、主水は由布に知りえた状況を話し、「百足を討って綱四郎の仇を取ろうと思う」と決心を打ち明けた。

(20)-1 義仙が主水に昔の殿の話をする。

 半月が過ぎたある日の下城時、与十郎が主水に次席家老の屋敷に来てほしい、兄がお話したくお待ちしていると言う。

 義仙は、桐谷様の身の上に起きていることを知り、百足の正体も知られたとのことなので、私が知っていることをお伝えしたいとお待ちしていたとのことであった。

 世子時代の興世様は負けず嫌いで激しい気性だったので、主君を負かすことをする者はおらず、興世様は自らの腕前などを思い違いされ傲慢になられていた。

 国許に入られて、時習館の道場で家臣と初めて立合われ、生真面目で正直な相手に三度にわたって打ち据えられたのです。 その相手が綱四郎でした。 門人たちから忍び笑いを受けた主君は憎悪をたぎらせた目をされ、その後は、周囲の者に猜疑の目を向けるようになられ、鬱屈した思いを晴らすためにか、近習を連れてお忍びで城下の町歩きをなされ、女がいるいかがわしい場所に出入りし、女を傷めつけるようになった。

 その頃、荒川道場と諸井道場の門人の仲の悪さが知られていて、興世様から喧嘩になるように煽れと命じられ、世子へ追従する者が仕掛けた。その結果、世子様を先頭にした頭巾集団による後世河原の騒動が起こったのだと言う。

(20)-2 喬之助が申し出た仇討が評定の席で決まる。

 翌日、喬之助が願い出ていた仇討の評定がなされた。

 主水が特に申すことがないことと、執政でもあることから、興世に裁断を仰いだ。 主水が命乞いをすれば仇討は退けてやると言う興世の言葉に、御無用と言うことから仇討は決まった。

 最後に願い事があれば申し出ろとの事で、主水は、場所を後世河原に、また殿にもぜひご検分いただきたいと願い出て了承された。

(21) 後世河原で、主水は与十郎に二つの事を頼む。

 翌日の夕刻、主水は、仇討の場所となった後世河原を20年振りに見た。 昔に比べて河原も狭く水量も少ないと感じていたとき、与十郎が後ろに来ていた。

 主水は、与十郎を弧竹先生宅の行動から闇番衆ではないかと疑っていたので、喬之助との立ち合いをする儂の見張りを闇番衆は命じられたはずだ。 河原では、私の目の前に姿をさらすしかないだろう。 私は殿に抗い、戦いを挑む不忠、不義の道を歩もうと定めた。 それ故に、殿の思惑通りに喬之助の刃にかかるわけにはいかぬ。闇番衆の助太刀は止めてもらいたい。 それにもう一つ、手助けをしてくれと言う。

 与十郎が主水に殿に背けと言うに等しいと言うことに対して、主水は強引に、義仙殿の恨みを晴らすという道理はあるだろう。 故に、尾石家老と誰も知られずに談合したいので手配してくれと言う。

 三日後に妙蓮寺で、主水は、家老を前に、殿は10年に亘って装ってこられた賢君としての政に飽き飽きされて、それがしに罠を掛けようと思いつかれ、昔の殿に戻られた。 それがしが喬之助に斬られるのを目にすれば、それに味を占め又苦しむ者を新たに探されるだろう。 さような所業は、いずれ御家取り潰しとなるは必定です。 ぜひ、殿の御隠居をと嘆願する。 そこへ、主水が寺へのお出でをお願いしていた監物が現れた。

 

                                               つづく 

 

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葉室麟著「陽炎の門」を読み終えて! -3/5-

2013-06-29 20:10:37 | 読書

(8) 渡辺次席家老の嫡男が右腕を無くした仇に、次席家老が綱四郎に罠をかけたと疑う。

 翌日、主水は朝から藩主の居間の黒書院に罷り出よと言い付かった。

 尾石家老と渡辺次席家老も出席していて、藩主興世から、芳村の息子が何ぞ勘違いしておるということも考えられる故、後々、疑念を抱かれぬようきっちり始末したがよいと言われる。

 でどうだ、上手くいきそうかと尋ねられ、主水は、綱四郎の切腹も後世河原騒動に関わりがあるかのように漏らす人物がおられますと言うと、異なことを申す者がおるのだなと、興世は首を傾げた。

 すかさず、渡辺次席家老も、それがしにも無縁であるとも思えませぬと言うと、尾石家老が御前の前だと止めたが、興世が続けろと言う。

 次席家老は顔を上げて、あの騒動で嫡男・一蔵が右手を失い、仏の道を歩ませましたが、御家の役に立てず、今でも歯がゆい思いでおりますと言って、あの騒動で腕が立った者は綱四郎か、それともと言って主水を見た。 主水は真剣は抜いてないときっぱりと弁明した。

 主水は後世河原騒動を思い出していた。

 荒川道場と諸井道場の門人の間に経緯は不明だったが、お互いを罵る言葉が行き交うようになり、ある日、後世河原で喧嘩が始まった。 綱四郎と主水は急ぎ仲裁に走った。 何人もの怪我人が出て、河原が夕闇に包まれ乱闘も終わった頃、頭巾を被った7人ほどの若侍が、怪我をして座り込んでいる門人に向かって来て、頭巾集団の二人の仲間が両手を抑えて、一人が気合とともに木刀を振り下ろし大怪我をさせていた。 傷ついて立てない者たちを打ち据えて楽しむとは、なんと下劣な心根であることか許せぬと、立ち上がろうとした主水は怪我をして動けなかった。綱四郎だけが頭巾の若侍の相手に走った。

 全ての騒ぎが終わった後、綱四郎が、主水に、ふと、主水が頭巾の連中の顔を見ずに済んでよかったと言った。 何故あんなことを言ったのだろうと、主水はあの若侍の中に一蔵がいて、綱四郎に腕を斬り落とされたとしたら、綱四郎の落書は、その仕返しをするための罠であったのではないか。それを知らずに綱四郎の介錯をしたのか、そのため、綱四郎は主水を憐れむような目で見たのか、それだけでなく、次席家老は、主水も罠に落とそうとして喬之助に手紙を送ったとも考えられた。

(9) 主水は後世河原騒動と落書や今回の一件は関わりがあると思われ出した。

 主水が下城すると、弧竹先生が来宅していた。 昨日は闇番衆がいたので、十分話ができなかったので参ったが、落書の手跡は確かに綱四郎に間違いない。 しかし、何故、百足の字に気付かなかったのだと、主水は問い質された。 主水は落書の中身に気を取られたとしか思われぬが、その罪は逃れぬところだ。 しかし、侘びる言葉を口にするのは嫌だと言う。

 そんな主水に、再度、弧竹は、後世河原騒動が、今回のことに関わりがあるのだと言った。

 その時、断りもなく、与十郎が座敷に入ってきたので、弧竹は儂が話せるのはここまでで、お暇いたすと言って帰って行った。

 与十郎が、弧竹先生が言いかけた話はと問うので、主水は、後世河原騒動と落書や今回の一件は関わりがあるとのことだと言われた。 その事は今日も御前の前で、そのようなことを申す者がいるとのことを申し上げた。 それで判ったことは、次席家老の嫡男・一蔵があの騒動の際に腕を斬り落とされたそうだが、その相手が儂か綱四郎ではないかと疑っておられたようだ。 それで、儂は、次席家老が仕掛けた罠ではないかと思っているいった。 

 しかし、与十郎は、そんな大胆な所業は渡辺様には荷が重いと否定した。

 与十郎が帰った後、由布は、先ほど与十郎が廊下ですれ違いに袂に入れたと思われる結び文を居間で見た。 桐谷様のためになる伝言があるので、明日、午の刻、妙蓮寺までお越し願いたいとあった。

(10) 元勘定方の井澤泰輔から、綱四郎が書いた「百足」の字についての詳細を知る。

 主水は、町奉行の大橋が言っていた10年前の綱四郎の百足の筆跡を確かめようと書庫に向かった。 

 幸い、一度訪ねようと思っていた元勘定方で、一度は問題の落書を綱四郎の筆跡と認めた井沢泰輔に書庫で会った。

 証言を変えたのは何故かと問うと、百足の字が違っていたからだと言う。そして、桐谷殿が確かめたいと思っている綱四郎が書いた百足の字は、10年前の当時、百足の旗や幟を新調するほどでなく作らなかったので、勘定方には残っておらず、それがしも見ておらず、大橋殿に騙されたのではないかと言う。

 それで、落書に書かれた百足の字を何処かで見た覚えがあり、桐谷様も見られたはずだと言う。しかし、主水は思い出さなかった。

(11) 十郎が由布に懸想する。弧竹先生が殺される。

 由布は寺に出向いた。 与十郎から、喬之助殿が仇討と称して現れるならば、桐谷様は奥方様を気遣い満足に相対することも出来ぬのではありませんか。 奥方様が側におられぬ方が、桐谷様は気兼ねなく刀を取り、身を防げましょうと言って、与十郎は由布の手を掴み、片方の手で口を塞いで由布を抱きすくめた。 しかし、与十郎はそれ以上は求めなかった。 しかも、半日ほどして、与十郎は家来に命じて由布の下女を寺に呼び寄せた。

 主水は、その夜、一睡もできず、翌朝、登城で玄関に出ると、与十郎がいて、昨日、井沢泰輔に話を聞かれたそうで何か分かりましたかと問う。 何も聞き出せなかったと主水が言うと、与十郎は、それは重畳でした、さもなくば弧竹先生と同様の目に遭われたかも知れたかもしれませんと言う。 弧竹先生は、昨夜、自宅に賊が侵入して絶命されたと聞いたと告げた。 そして、どうやら桐谷様の身辺には忌まわしい気が漂っておるようですので、奥方様に身を隠すようにお勧めしたのですと言う。

 主水は登城後に家老の執務室に行き、町奉行の大橋に、弧竹先生の死について尋ねた。他藩に聞こえが悪いので病で亡くなったことにしたと言う。 主水が、それがしを罪に陥れたいと思う方がおられるようで、弧竹先生の死亡も関わりがあるようだと言うと、家老は、気の迷いだと一蹴した。

(12) 与十郎は、少し自分の身の上を現わす。

 由布が家に戻りたいと言うと、与十郎は、貴女は父上の冤罪を晴らしたいと思われてしかるべきではないかと思っている。  

 それがしは、近しき者の事で桐谷様にいささか怨恨がござる。 ただし、いまのところ定かでなく、事の真偽を糺し、その上で恨みを晴らすべきかを見極めたいと考えております。 いうなれば、奥方様と同じ身の上と思っており、其れで援助したいと思っているのだと言う。そういって与十郎はゆっくりと由布の肩に手を掛けた。

(13) 落書の一件にある罠に微かな光明を見い出す。

 町奉行の大橋から落書の一件は諦めたのかと言われ、焦りがあったが、ふと思案が湧いた。

 弧竹先生の妻の藤は賢夫人の評判が高かったので、後世河原騒動と落書の件との関わりについて僅かなりとも聞いておられるかもと、弔問をしていなかったので、訪ねてみた。

 藤は昔話をした後、もし、再度、主水が訪ねてきて、全ての事を知りたいといえば、監物殿を訪ねればよいと主人が申しており、先日、桐谷様が帰られた後、監物殿に手紙を認めておられたので、監物殿も桐谷様がお出でになるのを待っておられるかもと言われた。

 主水は、暗闇に微かな光明を見出した気がして、弧竹先生の家を辞した。 門の外に与十郎がいて、武井辰蔵が領内に入ったことを知らせた。 主水は辰蔵が容易に領内に入れることを不審思っていた。

 由布から手紙が届いていて、家を出て、与十郎からいろんな話を聞かされ説得されたが、旦那様を信じていますと、由布の切々たる心底からの本心が書かれていた。

(14~16) 監物殿を訪ねる途中、主水は辰蔵と斬り合いになり、刺殺させた。

        自分も重傷を負うが、与十郎に助けられる。

 翌朝、町奉行の大崎に、監物殿を尋ねると告げて、独り、馬で行徳村に旅経った。

 行徳村に入ったところで辰蔵が待ち伏せしていた。 斬り合いになり、辰蔵を刺殺させた。 主水も重傷を負ったが、与十郎の助けで監物の屋敷に連れてこられて三日目に意識をとり戻した。 由布も駆けつけた。

 監物は主水と話をするときは、与十郎が同席してと約束しているので、もう少し待てと言う。 それは、与十郎は渡辺次席家老の四男で妾腹の子であったため早瀬家に養子に行ったのだ。それと次席家老は旧熊谷派だったからだと言う。

 

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葉室麟著「陽炎の門」を読み終えて! -2/5-

2013-06-28 16:21:35 | 読書

(3) 翌日、家老から、喬之助は証の書状を持参していたと知らされる。

 翌朝、登城した主水は家老に呼ばれる。 同席の町奉行・大橋から、綱四郎の遺児の喬之助が、「芳村綱四郎は冤罪也。桐谷主水の謀(はかりごと)也。百足」といった証の書状を見せて、父親は冤罪で切腹させられた、濡れ衣を着せたのは主水であるから仇討ちを許されたいと願い出て来たと知らされた。

 証の書状は今年の初めに喬之助の許に届いたそうだ。 見てのとおり墨の跡が新しいと、主水の膝の前に示された。 黒島家の旗印である「百足」の署名がされていて、それは、主水が綱四郎の筆跡だと証明した10年前の落書と同じ筆跡であった。 主水は、まさかそんなことがあるはずがないと唇を噛んだ。

 尾石家老は、主水に、罪なしとの証を立てることができぬ場合は、執政だといっても藩としては、そなたを果たし合いにて討ち取ろうといたしても、我らは止め立てせぬぞと言う。

 私は、綱四郎を無実の罪で死なせたのか。 あの頃、主水は綱四郎を蹴落としてでも立身しようと胸に野心を抱いていた。 綱四郎が落書を書いていないとすると、出世のために真のことから目を逸らしたと疑われても言い逃れできない。 己の心の奥底を覗き見る思いがして主水はぞっとした。

(4) 主水は如何にして落書は綱四郎が書いたものだという証を立てるか思い悩んだ。

 執務室に戻った主水は、保守派と改革派の派閥争いが激しくなっていくうちに、両派に死傷者が出たことを思い出した。 その頃、前藩主興嗣を暗君だと批判する綱四郎は、不忠の臣だと大義名分のもと、刺客をたてるべきだとの意見が大勢を占め、主水は、家老の熊谷から綱四郎の刺客を命じられたらやるしかないと思っていた。 そう観念した時に落書の話が出て、綱四郎の字だと直感し、刺客にならずに済んだとほっとする気持が湧いたのは否めなかった。

 事態の成り行きに驚きはしたが、周囲の者たちの見る目が出世のために友を打ったと非難している気がして頑なになった。 そして、自分は間違ったことをしたわけでないと己に言い聞かせ心を閉じた。 しかし、それは友の綱四郎を見捨てることでもあった。この頃から、氷柱の主水と言われるようになった。

 主水は喬之助からの疑いを晴らすために、とにかく綱四郎をよく知る塾の浅井弧竹先生と綱四郎の筆跡を知る勘定方で相役だった井沢泰輔を訪ねようと思った。

(5) 証を求めて動こうとする主水の監視役に、元小姓組の早瀬与十郎が現れる。

 翌朝、潮見櫓をくぐったところで、郡奉行の笠井武兵衛から、綱四郎の息子がお主を仇だと申しているそうだな、元森脇派の勘定奉行の樋口次郎衛門が言い触らしているぞと言う。 執政は互いに相手を蹴落として権勢を握ろうとしている。 したがって、かっての派閥争いに関わりはないが、執政になったばかりの者の弱みを次郎左衛門も見逃すはずがないので、気をつけろと言い、続けて、武兵衛は、お主は次席家老の渡辺殿に嫌われておるようだなと言う。 主水は判らぬと答えるが、渡辺殿の嫡男は、お主と同年代で後世河原の喧嘩騒動で大怪我し、右腕を斬られ京の寺で出家したので、眉に傷を持つだけの怪我で済んだ主水を見ると、自分の息子の不運が思い出されるのであろうと言う。

 登城する家老の後を行く町奉行の大橋から、後から、家老の御用部屋に参れとの指示を受けた。

 御用部屋で、綱四郎が書いたと主水が証明した落書と、冤罪だと記した書状の二通の最後の署名の「百足」が、以前に綱四郎が勘定方で書いた書類の「百足」の字が違っていることを示された。 主水は当時その事に気が付かなかったので、額の汗を懐紙で拭い、学塾の師とかっての相役に尋ねてみたいので、その落書と書状を借りたいと言うと、大橋は、大切な証拠品だから家中には派閥のなごりもあり公明正大にするため、江戸詰めから国元に戻った小姓組の早瀬与十郎に持たせてお主の監視役として同行させると言った。

(6) 主水は10年前の綱四郎が切腹した日を夢に見た。

 主水の下城に与十郎は早速供をした。 弧竹先生のとこへは明日行くからと言う主水に、お屋敷を訪ねることが多くなるので、奥方様に会いたいからとついて来た。

 主水は、今、自分がしたいこと事は10年前に何があったのか、真の事を明らかにすることで、わが身をかばうために誤魔化そうと言うのではないときっぱりと言うと、与十郎は思いもよらぬことを聞くと呟いた。 今なんと申したと、色をなして厳しい言葉を発して与十郎を持た時、不思議なことに、与十郎の顔に背筋が寒くなるものを感じた。 与十郎から、あなたは、真の事を知れば辛い思いをせねばならぬのではありませんかと、思いがけない重い口調で殺気を感じた。

 この日の夜、綱四郎の切腹に介錯したその場の夢を見た。 綱四郎は何故か恨みの眼でなく憐れみを含んだ眼差しで主水を見て、「主水」と介錯の合図をしたが、主水は憎まれた方が楽で、友を見捨てた卑怯者と謗(そし)ればよいではないかと思い、刀を持つ手が震えた。

 目を覚ました主水は汗でぐっしょりと濡れた体を横たえたまま、許せ綱四郎と呻きに似た声が漏れた。自分は友を救おうとしないで死なせてしまったことへの慙愧の念を長年心の奥底にしまいこんで苦しんできたのだ。 私は悪人だと己の胸の内でそう思った。

(7) 弧竹先生から落書の部分だけは綱四郎の筆跡だと確認を得た。

   しかし、後世河原騒動と関わりがあるのではないかとの謎が残った。

 主水が与十郎と共に翌日の昼下がり、弧竹先生宅を訪れた。 用件を話して綱四郎の筆跡について尋ねたいと言うと、つまるところ自分の身を守るために、そなたは儂を訪ねて来たのだな。綱四郎を助けるためには動かなかったが、己が助かりたいがために、今更かと言いながら、弧竹は、儂の眼にも綱四郎の字に見えるが、百足の字だけはどちらも違う。 百足と記したものは、邪(よこしま)な心を持った者の字で、綱四郎の字は廉直な趣があったと言う。

 それにしても、後世河原の騒動が起きなければ、かような仕儀になりはしなかったかもしれぬなと言う弧竹の言葉に、主水が、それがしが何も知らないでしょうかと問うと、与十郎が桐谷様今日はこれまでにいたしましょうと、弧竹の言葉を遮った。 弧竹も、もう話すことはないと言う。

 弧竹先生の塾を出ると与十郎が失礼すると言うので、主水は不審に思って与十郎の後をつけた。 弧竹先生の家の門の陰で見張りをしていた与十郎に何をしているのかと問うと、弧竹先生の家から出てきた武士に目を向けて、先ほどまで先生と会話していた部屋の隣部屋にいた闇番衆だと言う。 与十郎は、淡々と、これからも、桐谷様とそれがしは闇番衆の監視の許で動かねばならぬでしょうと言う。

 闇番衆は、かっては藩主から直々に密命を受ける隠密であって誰が闇番衆であるかは秘されていた。 今では、執政会議の差配下にあり、町奉行の大橋が預かって命令を伝えているだと、主水も知らされていた。

 

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葉室麟著「陽炎の門」を読み終えて! -1/5ー

2013-06-27 17:02:25 | 読書

「概要」

裏帯より

 「職務において冷徹非情、若くして執政の座に昇った桐谷主水。かって、派閥抗争で親友を裏切り、今の地位を得たと囁かれている。 30半ばにして娶った妻・由布は、己の手で介錯した親友の娘だった。 お互いに愛情が芽生え始めたころ、由布の弟・喬之助が仇討ちに現れる。

 友の死は己の咎かーー。 足元は俄かに崩れ、夫婦の安寧も破られていく。 全ての糸口は10年前、主水と親友を別った、ある<事件>にあった。」

 「誰もが一度は過ちを犯す。 人は、そこからどう生きるのか。」 

 峻烈な筆で描きだす、渾身の時代長編!

 

「登場人物」

桐谷主水(主人公)⇒家禄50石、20歳過ぎに両親病死。 

             若年より剣術を修業し、家中でも評判の腕前。

             生真面目で融通が利かず、皆に煙たがれていた。

             どんなことがあってもとの出世欲が深く、勘定方から産物方取締りとして

             執政入り、1年後に30代で次席家老に出世する。

芳村綱四郎⇒下士の家の生まれ。 剣術の腕前は主水に劣らない。 

         主水と異なり、常に明るく振る舞い、出世なんかしたら上士と付き合わねばならん

         ので御免だという性格で、勘定方で主水の友。

         前藩主興嗣を中傷する落書の咎で切腹させられる。 由布や喬之助の父。

尾石平兵衛⇒家中の権力闘争後の穏健派の家老。

樋口次郎左座衛門⇒勘定奉行で、尾石家老の側近。 元は次席家老・森脇監物派

大崎伝五⇒町奉行で、尾石家老の側近。 元は次席家老・森脇監物派

渡辺清右衛門⇒次席家老。 元は家老・熊谷派。 予十郎が藩主興世を斬ったことで切腹する。

笠井武兵衛⇒郡奉行。 元は家老・熊谷派。

渡辺一蔵⇒渡辺清右衛門の嫡男で藩主興世が世子時代の小姓。

       後世河原騒動時に綱四郎に右腕を斬られ、出家して義仙と名乗る。

早瀬予十郎⇒渡辺清右衛門の妾腹の子で、藩主興世が世子時代の小姓時に衆道となる。

         主水を憎んで、喬之助を騙し、主水を父の仇に仕上げる。

         最後に興世と「心中」する。

 

「あらすじ」

 下線部分は小説のポイントになるところで、後から謎が説かれていく。

(1)-1 主水は念願の執政になり、重臣だけに許される潮見櫓の門を晴れがましく通る。

 九州、豊後鶴ケ江に6万石を領する黒島藩は、伊予の国来島水軍の中の黒島衆と称せられる黒島興正を藩祖とする。

 大門の脇の石段を上って「潮見櫓の門」を通ることを許されているのは、重臣のみである。これは、海上の異変を見張るという水軍の将を祖とする藩の謂れからである。平侍は、いつの日か、藩の執政になることを夢に、励みとする憧れの門である。

 外様大名の家中が財政窮乏は世の常で、どうにかして貧苦から抜け出さなければと、主水は精励恪勤してきた。

 職務において冷徹非情に振る舞うことから「氷柱(つらら)の主水」と陰であだ名を呼ばれている主水が、親友を陥れ、死罪に追い込んで、その介錯をした男と囁かれながらも、ついに、37歳の若さで執政にのし上がり、憧れの潮見櫓の門をくぐれる日が来た。

 それは晴れがましく希望に満ちた一歩のつもりであったが、主水は、それが大きな陰謀の中に足を踏み入れる修羅の道への一歩であったことを思い知らされる。

(1)-2 初めての執政会議で、藩主の機嫌を損ね、家老たちの表情を硬くした。

 10年前、藩は家老・熊谷太郎左衛門の保守派と次席家老・森脇監物の改革派に別れて激しい権力闘争が行われていた。 主水は亡父が保守派に属していたことから保守派の会合に顔を出していたが、親友の芳村綱四郎は改革派に属していた。

 その綱四郎は、前藩主興嗣が家中の派閥の対立に何も手を打たないことを中傷する落書を書いたとの罪に問われる。 綱四郎は同僚との会話において藩主に不遜な物言いをしたことは認めたが、「百足」と署名した落書は書いていないと言い張った。

 その落書が本当に綱四郎が書いたものであるかどうかが問題になり、その筆跡が綱四郎のものであることを明言した主水の証言が決め手になり、綱四郎は有罪が確定して切腹を命じられる。 綱四郎はなぜか友である主水に介錯人を依頼した。

 実は、その当時、綱四郎と主水のどちらかが勘定方の組頭に昇進すると噂されていた。 それだけに、「出世のために友を陥れた」と主水を蔑む者も藩内に多かった。 主水は、その証言に誤りはなかったという信念を曲げることはなかったが、心にしこりを残すことになった。

 独り身であった主水は、昨年暮れ、17歳も年下の若い妻を娶る。 妻は綱四郎の娘・由布で、綱四郎の叔父・作兵衛の養女として育てられていた。 由布を娶るのは介錯した自分の他にないだろうと、この娘を幸せにせねばと承諾したのだ。

 綱四郎は、切腹の前夜、主水は家臣として為さねばならぬことを果たしたので、決して恨んではいけない、自分から介錯を主水に依頼したのだ、一切恨みは無いと聞かされていたので、由布には主水に対してこだわりは無かった。 二人の仲はようやくに仲睦まじいものになり、主水も幸せを感じ始めていた。

 今、藩政は、若い藩主興世の手によって、権力闘争両派の頭になる者は喧嘩両成敗の形で失脚させられ、尾石平兵衛が家老となって取り仕切られていた。

 家老・尾石が初めて執政会議に出席した主水を藩主に紹介した。 藩主興世から、藩道場での試合で見たことがあるな。 そなたも強かったが、芳村綱四郎は、もそっと強かった。 芳村が切腹の仕儀となったのは惜しい事であったなと言われた。 

 主水は、その時、思わず片手で顔の眉尻の傷跡を触る癖が出た。 藩主が、主水、そなた、何をいたしておると訝(いぶか)る声を上げた。

 主水は、何か意にそまぬことが起こるたびに思わず眉尻の傷跡を指でなぞる癖があるのだ。 主水は今日に限って登城時や執政会議前に綱四郎にまつわる話や妻の話を何度も聞かされていたのだ。

 主水は、すぐに御前の前での不調法をお許し下さいと述べると、興世はよほど痛い思いをしたと見えると笑った。 しかし、次席家老の渡辺清右衛門が苦々しげな表情で、例の諸井道場と荒川道場の間の門弟による喧嘩の怪我だろうと言うと、興世は、途端に眉を顰め、家老たちも表情を硬くした。 何も知らない主水は、そのような状況にも拘らず、私は喧嘩を止めようとしたものであると言い訳めいた発言をした。 渡辺次席家老は、己を庇うな見苦しいぞと言う。

(2) 由布の弟が、江戸から出てきて、主水を三か月後に仇討ちすると告げて去る。

 執政初出仕の日、主水が帰宅すると、妻の由布から、江戸の剣術道場の内弟子になっている弟・喬之助が江戸からはるばる訪ねてきて、桐谷主水を父の仇として仇討ちするつもりだと告げ、同道している師匠・貫井鉄心様と兄弟子の武井辰蔵殿と九州を一回りして三か月後に主水と雌雄を決する決意であると話して去ったと告げられた。

 由布が、喬之助に父の最後の言葉を聞いていたでしょう、主水は仇ではないと言うと、師匠が後日にと由布の言葉を遮ったと知らされた。また、今日の評定でそれらしい件が触れられなかったので、何か訳があるのかと思った。

 

                                            つづく 

 

 

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梅雨の初めての雨!

2013-06-15 14:55:32 | 日記・エッセイ・コラム

 

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 5月27日、梅雨入りして初めての雨、20日振りの雨。

 やれやれやっと降ってくれたといった感じ。

 (雨降りの状況の写真は、なかなか難しいもんだ。)

 明後日は出かけたいので、明後日一日、雨は止んでもらいたい。

 梅雨が終わった後の今までのような、真夏の天候のあの暑さは全く嫌になる。

 梅雨時だから曇りか小雨が隔日に四五日、続いてもよいかなと思う。

 




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