T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1131話 [ 「短編・平蔵狩り」を読み終えて -3/3- ] 1/27・水曜(晴)

2016-01-26 16:32:13 | 読書

  瓢箪から駒と、平蔵から礼を言われたいせ

 いせは、にじり口の前に膝をつき、仁兵衛が背後から茶室に、

「殿。おいせを連れて参りました」と、声をかけた。

 いせが頭を下げてお礼を申し上げる。

 茶室の中から長谷川平蔵の声がした。

「おれのほうから、そなたに礼を言わねばならぬ。瓢箪から駒とはいえ、唐丸の五郎兵衛を仕留めることができたのも、もとはと言えばそなたのおかげだ」

 いせが、

「長谷川さまのお触れが回った途端、五郎兵衛が、父親の平蔵に会わしてやるから、長谷川さまの似顔絵を描けとの取引をもちかけられて何やらおかしい気がした」

 と言うと、平蔵は、

「おれの顔を見て生き延びた盗人が1人もおらぬからよ。盗人の間ではおれの似顔絵が百両でも売れるとのもっぱらの噂だ」と笑う。

 仁兵衛が、いせが描いた長谷川平蔵の似顔絵は、20年後の私にそっくりだと存じますと言ったことから、そこで、いま、おれの顔を描いてみよと平蔵から言われ、いせはすぐに描きはじめ、やがて描き終えた絵を仁兵衛に渡した。

 茶室の中から平蔵の笑い声がして、

「これは本庄の平蔵の顔でないか」

 と言い、はじめて庭で会ったとき、縁先にいたのが本物の平蔵でないと分かったと申すのか、なぜだと問うと、いせは、

「下情に通じておられるとは申せ、まことの長谷川さまならば、見も知らぬ女子の願いを聞き入れて、肌を晒したりはなさらぬでございましょう」と答える。

 また、軽い笑い声がして、

「それでは、なぜ本庄の平蔵を本物の平蔵と見破ったのだ。」と問う。

「わたしは、曲りながらも絵師でございます。右乳の上の痣が絵の具で描かれたもので、しかも、外歩きの旅商人に成りすますために、お顔まで薄茶の練り粉をお塗りあそばして、日焼けの色につくられていました」

 と答え、平蔵はほとほと感心した。

 

 いせが、お殿さまにお尋ねしたいことがあると言って、平蔵に問うた。

「なぜ、わたしの父親に成りすまそうとお考えになったのですか」

 含み笑いが聞こえ、

「18になっていながら、顔を見たこともない父親を捜しに、わざわざ京から江戸に下ってくるなど、あまりにも出来過ぎていて、何か裏があるのではないかと、とりあえず、与力の公家憲一郎に影武者にならして、父親だと言わんばかりのきわどい問答をさせた。万が一、そなたが、公家に向かって我が父でございますなどと申し立てたら、きつく詮議するところであった」

 一息入れ、さらに続ける。

「それどころか、いかにもまことらしい痣の話を持ちだして、正直に父親でないことを認めたので、ますます興が湧いてきた。それで、とりあえず、おまえの父親に成りすまし、しばらく傍についてみる気になっのだ。そのうち、ぼろを出すだろうと思ってな。ところがおまえのほうから、そこにいる仁兵衛に、五郎兵衛のことを打ち明けたものだから一時に話しが明らかになったと言う次第さ」

 そして、今度は、殿の平蔵が問うた。

「それにしても、おいせ。そなたは、本庄の平蔵を偽物(絵の具で塗っていたので)と見破ったが、なぜおれの拵えだとわかったのだ(役宅の中の誰かが絵の具を塗っていたかも分からない)。顔に長谷川平蔵と書いたつもりはないぞ」

 いせは考えを巡らし、おもむろに返答した。

「それは、なんとなく長谷川さまが母の匂いを漂わせておられるからでございます」

 背後から、仁兵衛が慌てたような口ぶりで、

「殿を父親に見立てるなど、無礼にもほどがあるるぞ」

 とたしなめる。 いせは、仁兵衛のほうに振り向かず、

「痣があったと母が言い残したと言うのは、わたしの作り話でございます。それにのせられた者こそ、下心があるお方と分かりましょう」

(長谷川平蔵も本庄の平蔵に変装してまでもいせを見抜こうとした。いせも騙されないという気持ちをもっていたのでしょう。平蔵も一瞬、ムッとしたかもしれない)

 茶室の内も外も一瞬しんとした。

 平蔵が、これからどうするつもりだというと、いせは、

「京へ戻ります。わたしの父親は、本庄の父親でございました。(自分のイメージに合った父親に会ったのでしょう) わたしは、一度父親の顔を見ただけで満足いたしました」

 と言う。 少し沈黙があって、

「達者で暮らせよ、おいせ」

 と重々しい声が響いてくる。それきり、何も聞こえなくなった。

 いせは、絵箱を持って立ち上がり、仁兵衛を見て、

「もし、京へ上がれたときは、「本所の仁兵衛」とお名乗りやす」(恋心の芽生え?)

 と言ってそばをすり抜けた

                                                   

                                   終

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1130話 [ 「短編・平蔵狩り」を読み終えて -2/3- ] 1/26・火曜(雨・曇)

2016-01-26 09:48:52 | 読書

  平蔵を宿敵とする強盗の配下が化けた平蔵

 6日ほど前のこと。

 旅籠屋吾妻屋の主・光右衛門は、自分の宿に泊まった京都から来たいせから、子供に絵を教える絵師なんですが、18年前に、自分の母親と関わりをもった、私の父親と思われる「本所のへいぞう」と名乗る男に会いに来たのだと聞かされた。

 光右衛門は、押し込み強盗の唐丸五郎兵衛の幼馴染で、盗人仲間ではないが、その付合いは身内のようなものだったので、いせからの平蔵の話を聞いて、すぐに、長谷川平蔵のことを思い浮かべた。

 光右衛門は、平蔵を宿敵と狙う五郎兵衛から、平蔵が、20年近く前に京都に住んでいたと聞いた覚えがあったからだ。

 光右衛門から、そのことを聞いた五郎兵衛は、平蔵を以前から不倶戴天の敵とみなし、いつか、その寝首を搔こうというのが宿願だったので、平蔵に近づく格好の機会と考え、あれこれ知恵をめぐらした。

 いせは、「本所のへいぞう」と名乗る男を探し回っているようだが、一向に見つからない様子なので、どうせ見つかるわけはないと踏んだ五郎兵衛は、光右衛門に入れ知恵をした。

 光右衛門を通じて、いせを平蔵の役宅に近い本所の町名主のもとに送り込む。

 町名主は、「本所のへいぞう」といえば、長谷川平蔵に思い当たるはずだ。いせは、探し当てなければ京都に戻らぬと思い込んでいるので、町名主は、平蔵に会える伝手があるだろうから、平蔵に引き合わせるべく骨を折るだろう。

 話の眼目となる18年前という時期は、平蔵が京都にいた時期と重なるので、義理人情をわきまえるといわれる平蔵が、その「へいぞう」とは関係ないと、頭から言い切れぬだろうから、いせと会うに違いない。

 その後、手下の40半ばの神輿の源八を平蔵に仕立て、いせが役宅で会ってきた平蔵の似顔絵を描くことを条件に源八の平蔵に会わす。その後は適当に京都に返す。

 そのような事を、源八にも言いくるめた。源八も五郎兵衛には逆らえず、渋々、その役回りを引き受けた。

 ◆

 実際、清右衛門は、目算どおり、いせを平蔵の役宅へ連れて行き、平蔵との対面を果たせてやった。

 そのあげく、やはり長谷川平蔵は、いせの探す「へいぞう」でないと分かったらしい。

 いせは肩を落として、吾妻屋へ戻ってきた。

 しかし、その直後から、本所一帯に町触れが回り、「平蔵狩り」が始まった。

 五郎兵衛は、光右衛門を通じて、いせに近づき、親切ごかしに気を引く話を持ちかけた。

 自分の知り合いで、若い頃、京都に住んだことがある45前後の男がいる。その男は、指物師で日頃は平助というが、実は平蔵というのだ。

 京都へは、京建具の修業に行ったのだが、派手に遊び回って身動きが取れなくなり、逃げるように江戸へ舞い戻った。そのとき、遊び相手の女たちに、江戸に来たら、本所の平蔵を尋ねろと吹いたというのだ。

 もし、長谷川平蔵の役宅に、平助こと平蔵が出頭していなかったら、自分がその当人をいせのもとへ引きずって来てやる。その代わり、こちらも、一つだけ聞いてもらいたい大事な頼みがある。それは、長谷川平蔵の似顔絵を描いてもらうことだと言う。

 それが、いせにもちかけた、五郎兵衛の取引話だった。

 この平助こと平蔵は、源八のことで、押し込み強盗の一人だが、多少とも堅気の匂いを持つ男だった。

「そろそろ、やって来るころだろう」

 五郎兵衛は、窓の外を流れる大川を見る。

 五郎兵衛と源八は、大川端の船宿・宿久の二階でいせを待っていた。

 五郎兵衛から光右衛門に頼んで、すでに、大川につながる源兵衛堀沿いの旅籠・吾妻屋に船を回してある。

「それにしてもちっとばかり遅いんじゃねえか、兄貴。今日の詮議で、もし、おいせの探している平蔵が見つかったらどうするんで」

 びくついている源八に、

「そんなことはない。その平蔵もほんとの素性を名乗ったかどう怪しいもんだよ。ここに、おめえというりっはな平蔵がいるじゃないか。 二、三日、小金をくれて騙したらいいんだ。その後、姿を晦ますなり、吉原へ叩き売って金に換えればいいんだ」

 五郎兵衛の話に、源八はごくりと喉を動かす。

 平蔵探しの詮議が終わり、いせは、仁兵衛と本庄の平蔵と一緒に、役宅から吾妻屋に戻る途中、仁兵衛を物陰に呼び、五郎兵衛との取引(父親の平蔵を連れてくることと平蔵の似顔絵を描くことの取引)の経緯をありていに告げた。

 いせは、仁兵衛らを外にいてもらい、光右衛門に帰ってきた事を告げると、差し回しの船に乗って大川をのぼり船久に行くように言われた。船久に、五郎兵衛と父親の平蔵が待っているというのだ。

 いせは、そのことを仁兵衛に告げると、仁兵衛は直ちに吾妻屋に乗り込み、光右衛門を厳しく追及して、自身番屋に引き立て、そこに預けた。そして、仁兵衛と本庄の平蔵は、先回りするため、一足先に吾妻屋を出て大川沿いの道を船久に向かった。

 いせは、逆に四半刻ほど遅れて猪牙船に乗った。

「来たぜ、源八」

 五郎兵衛の声に源八は大川へ目を向けた。

 おめえは隣の部屋に隠れていろと、五郎兵衛は、源八を隣りの部屋に移した。

「遅うなりました。堪忍しとくれやすな、八五郎はん」

 八五郎は、五郎兵衛がいせに名乗った偽の呼び名だ。

 時間がかかるかも知れぬと思って、船を回しておいたのだが、丁度良かった。それで、長谷川さまのご詮議でおめえさんの探している「へいぞう」が見つかったのかいと聞くと、いせから、

「いいえ、見つかりませなんだ」

 いせからの返事に、五郎兵衛は調子のいい笑い声で、

「そうだろう。実の平蔵は、おれがちゃんと押さえているんだ。似顔絵を描く約束を果たしてくれたら、すぐにでも連れて来てやるぜ」

 と言い、いせは、

「今日も長谷川さまにお目にかかったので、早速、取り掛かるので、ひとりにしておくれやすな」

 と言う。

 五郎兵衛は、隣の部屋に退く。

 ほどなく、隣の部屋からいせの声があった。

 いせのいる部屋に戻った五郎兵衛の口から、感に堪えたような声が漏れた。

「こりゃあ、てえした出来だ。これなら、ひと目で判るってもんだぜ」

 平蔵の顔は、眼光けいけいとして、唇をぐいと引き結んだその面立ちは、いかにも火盗改の頭領にふさわしい気迫に満ちたものだった。

 いせの、てて親に会わしておくれやすの言葉に、五郎兵衛は源八を呼ぶ。

 源八は、あらかじめ考えてきたとおり、紋切り型の挨拶をし二言三言話した。

 二人の話が途切れを待たずに、五郎兵衛は、これさえありゃあ、いつでも挨拶できるもんだぜと言って、いせの前に裸の小判一枚を投げた。

「平蔵とおれからの餞別だ。とっつあんと会えたんだから、江戸見物でもしたら、京都に帰りな」

 と本性を現した。

 いせが、五郎兵衛の声を聞き捨てにして、源八に、

「うちのてて親などと、しょうもない嘘を言いはらんと、ホンマのこと言いよし」

 いきなり図星を衝かれて、源八は、しどろもどろになり言葉に詰まった。

「長谷川さまのお役宅で、ホンマのてて親に会いましたんや。あんたはんが、ウチのてて親と言いなはるなら、右乳の上に濃い茶色の痣がおますのや。あるんやったら、見せてもらいとうおすな」

 源八は絶句した。

 いせは、背後の障子に声をかけた。

「お父はん、入って来てくれへんか」

 障子がすっと開いた。そこに顔を出したのは、源八と同じ年恰好と思われる、日焼けした小太りの男(本庄の平蔵)だった。

 男は、

「平蔵でございます。お見知りおきください」と言う。

 いせが、何のために長谷川平蔵の似顔絵を描かせたんや、返して貰いまひょと言うと、五郎兵衛が、片膝立ちになって長脇差を掴み、「源八。逃げる船を用意しろ」と言って、長脇差を抜き放って、いせにつ突き付けた。

 その寸前に、障子が全部開け放たれて、いせが描いた似顔絵の顔を若くした男が、いせを庇うようにして、呆然とする五郎兵衛の顔に刀を突きつけた。

「おれは、火盗改長谷川組の同心、今永仁兵衛だ。この船宿の周りは捕り手で囲まれている。神妙にするがいいぞ、唐丸の五郎兵衛」

 手向かう五郎兵衛は、仁兵衛に肩口から斬り殺された。

 喪心した源八は、その場でお縄になった。ただ、騒ぎの間にいつの間にか、本庄の平蔵は姿を消してしまった。

                                                   

                     次の(五)に続く

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1129話 [ 「短編・平蔵狩り」を読み終えて -1/3- ] 1/26・火曜(雨・曇)

2016-01-25 15:04:15 | 読書

[ 「短編・平蔵狩り」のあらすじ ]

            ※ 紺色と黄色の彩色は私の補足。

一  「本所のへいぞう」と言われる父親を訪ねる京都の女子・いせ

「本所のへいぞう、とお尋ねしたら、どなたはんも、すぐ分かるとは言われたと、母が申しておりました」

 今日鉛で人を訪ねる、いせと名乗った女子は、目に不安と期待の色を浮かべて、清右衛門を見返した。

 本所の町名主、清右衛門が生い立ちなどを尋ねると、

「京都で母・しまと小間物屋を営み、わたしは京都の玉瀾先生から絵を習っていたので、子供たちに絵を教えていましたが、半年ほど前に母が死にました。

 死ぬ前に、母は、30歳のおりに、ある男と一夜だけ、しとねを共にした。その一度の契りで身もごり、翌年、私が生まれたとのこと。そして、相手の男が何かのことがあれば、江戸へくだってこいと言ったことを告げられました。

 死ぬまでに、一度でいいから父親に会ってみたいと思って江戸に来たので、お金が欲しいとか、養ってくれとかを言うつもりはなく、それどころか父親が望みならお世話も厭わない気持ちです」

 と、答える。

 清右衛門が何処に宿をとっているのかと尋ねると、中の郷香春町の吾妻屋という旅籠だと返事だった。清右衛門は、吾妻屋の主・光右衛門はとかくの噂のある男なので、何か不都合なことがあれば、懇意な旅籠があるから遠慮なく言ってくれと言う。

 清右衛門は、本所のへいぞうといえば、火盗改の長谷川平蔵だが、まさか、頭領がそのようなことはなさならないだろうし、役宅は、なかなか行けるところでないと悩んでいたが、女房の後押しもあり、伝手を通じて、火盗改の書役同心・今永仁左衛門に申し出て、翌日、平蔵に会えるようになった。

  長谷川平蔵と対面するいせ

 仁左衛門の息子の捕物同心・今永仁兵衛の案内で、清右衛門に従ったいせは、役宅の庭の縁先で、小鳥に餌をやっている平蔵(与力の公家憲一郎が影武者となっていた。本物の平蔵は陰で見ていた)に会う。

 平蔵から、挨拶はいいから、そこに座れと言われて、先ず尋ね事からはいり、いろいろの話(日頃の詮議の癖からか、実態を暴くため、まず、飴玉をしゃぶらして、いせの話に乗ったかのように見せる)がなされた。

「……。わしが京都にいた期間は9ヶ月であり、確かに、そちが生まれる一年前とほぼ同じ時期だった。……。いせは母親と似ていると言われただろう。……さもあろうな。まるで生き写しよ。わしは、そちの母親と思われる女に会っていて、確かに契った覚えがある。……。しかし、そちがわしの子という証拠がないので、今日は、これで、そちの父親であるかどうかの詮索は止めておこう。今後のことに望みがあれば、二、三日のうちに清右衛門に申し出よ」と言う。

 いせは、それに答えず、母が言い残したことで、一つ申し上げなかったことがあると言い、平蔵の許しを得て、

「平蔵と名乗った男の右の乳の上に、濃い茶色の丸い痣があったと言うのですが、長谷川さまには……」と問う。

 清右衛門が不躾なことを言うものでないと言うが、平蔵は構わぬと言って、もろ肌を脱いだ。そこには痣は見えなかった。

 平蔵は、衿を直して、三日後に今日と同じ朝四つに出頭して参れと言う。

  「平蔵狩り」で現れた武州本庄の平蔵

 三日後に、いせが役宅に行くと、平蔵からの「お触れ」が出て、本所の「へいぞう」が50人近く集められ、そのうち、40半ばの20人がまだ残っていた。

 平蔵(与力・公家)といせが見るまえで、仁兵衛の尋問で、京に上がった者が5人残った。その後、仁兵衛が、長谷川平蔵が京都にいたほぼ同じ時期に京都にいた者はと問うと、ひとり名乗り出た。

 その男(顔に練り粉を塗った本物の平蔵)は困りきった顔をして、

「実は、わたしは本所の者でなく、旅商いをしており、20年ほど前から毎年夏に、京都に仕入れに行っていて、武州本庄生まれの平蔵と申します。たまたま4日ほど前に江戸に立ち寄り、本所の旅籠に泊っていた者です」と言う。

 京都でしまという女と懇ろになったかと問うと、その覚えはないと言う。

 いせが、娘と認めて下されば、それでよいのですと言うと、本庄の平蔵は女と遊んだことはないとは言わないが、しまと契った証しでもあれば別ですが、と言う。

 仁兵衛が、残っていた5人全員に、もろ肌を脱げと言う。

 本庄の平蔵の右乳の上に鉄錆色の痣があった。それが、しまが言い残した証拠だと言う。

 本庄の平蔵は、恐れ入りますと、いせの父親だと申し出た。

                                                

                           次の(四)に続く

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1128話 [ 南国への超寒波 ] 1/25・月曜(曇・晴)

2016-01-25 13:31:46 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                            

 これは、今朝の道。 積雪か、冠雪か。

 皺の寄った顔に薄い白粉を塗った様な道。

 ともかく、積雪にならなくてよかった。

 今朝の最低気温は、-1.4℃。 午後一時にようやく、5.5℃。 

 これでも平均より4℃低いとのこと。

 しかし、気温の急激な変化からの血圧に留意して、二晩風呂に入ってなく、

今晩は風呂に入れると、ほっとしている。

 昨日は、朝4時の気温が-0.4℃

 それ以降、一日中、零下で、最低気温が昼なのに、-2.4℃、最高気温が-0.1℃

 まったく、暖房していないと、冷凍庫にいるのと同じ。

 琴奨菊の日本人力士優勝と同じ10年振りと言われていたが、

 いやいや、私の記憶にない超々寒波だった。

 いや、最後の勤務地はこんな生易しいものではなかった。

 ちなみに、その勤務地の昨日の最低気温をインターネットで見ると、-10.0℃だった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1127話 [ 「平蔵狩り」を読み終えて -3/3- ] 1/25・月曜(曇・晴)

2016-01-24 16:10:21 | 読書

「平蔵狩り」 

 本作一の快作と思ったので、別稿の「短編・平蔵狩り」で、少し詳細に粗筋を記述することにした。

「鬼殺し」 オランダ人が江戸の天竺屋と取引するために持ち込んだ秘薬を、

       強盗の一味が横取りしようとしたが、

       別のルートで、そのことを知った火盗改に捕縛された話

 日本橋の唐物問屋天竺屋が押し込みに襲われ、主人の藤兵衛が斬殺された。

 番屋に駆け込んだのは、藤兵衛の内妻・はるだった。はるは、藤兵衛が上方で馴染みになった女で、店の誰もが素性を知らなかった。

 はるの話では、夜中九つごろ主人に誘われて一夜を楽しむため土蔵に入った。そのとき、覆面をした強盗一味が土蔵に入ってきて、主人は殺され、自分は奥のほうに隠れていて、静かになったので、裏の木戸から外へ出て番屋に駆けたと言う。

 火盗改の同心と手先が店に急行した。

 もう一人、番頭の勘右衛門が藤兵衛と同じ切り口で殺されていた。それを見て、手先の歌吉が、赤鞘の重四郎の仕業だと言う。

 一味の顔を見た者はと問うと、下働きのおちよは、炎のような赤い髪と青く光る眼をした鬼のような人間を見たと言う。

 少し遅れて天竺屋に来た与力の公家憲一郎は、ちよから、鬼のような人間は小柄だったと聞き、また、他の者から、身元の不確かだった手代の徳蔵が1人だけ姿を消していることを知り、それらのことを平蔵に報告する。

 憲一郎は平蔵から、はるの言動と徳蔵の身許を再度確かめろとの指示を受けた。

 はるは、京の島原にいるときに、藤兵衛に知り合い、女将さんが亡くなられて身請けされたとのこと。そして、裏木戸の閂が外れていたのでそこから番屋に駆けつけたと言った。しかし、赤鞘の一味も誰も裏木戸を開けてなく、土蔵の中には、藤兵衛と楽しむための様子が何も見られなかった。

 オランダ通詞の吉村治之進は、在府の長崎奉行にオランダの献上品を届ける仕事が済んだので、骨休みで吉原に行った。その帰り、赤鞘の重四郎から掘立小屋に連れ込まれ、責め立てられて、ウィレムという小柄のオランダ人が、島津家の家中とつなぎを取り、江戸の薩摩屋敷に来ていることを白状する。

 重四郎は、懐から薬包を出し、この「マンドロガ」をウィレムが大量に隠し持っているので、貰い受けたいのだ。ウィレムを薩摩屋敷からおれのところへ連れて来いと言う。

 手先のりんと歌吉は、平蔵から、薩摩の下屋敷を見張れとの指図を受けていた。

 歌吉らが見張っていると、長羽織の男と深編笠を被った異国の男が出てきたので、後をつけ、ある寺に入ったところで、りんは同心の小源太へ知らせに走った。

 重四郎は、三田の浄仙寺で、治之進の通弁でウィレムと取引をした。金銭面の話がつき、ウィレムが、隠し場所へ行き品物を確かめたいと言うので、手下の徳市をつけさせた。

 徳市は天竺屋手代の徳三だった。

 途中、徳市が油断した隙に、首を締め上げて気絶させて、ウィレムと治之進は天竺屋に向かった。

 赤鞘一味が押し込みに入ったときに、偶然にも、藤兵衛とウィレムは、はるの仲介で、「マンドロガ」の取引をしていたのだ。

 はるは、以前は、長崎の丸山の遊女で、その後、京都で藤兵衛に金で買われたのだ。

 その話が出島にも届いて、ウィレムも取引の仲介をはるに頼んだのである。

 ウィレムは、治野進に案内料百両を渡すことで、番屋や木戸のない道を急いだ。

 ナマコ塀を越えて天竺屋に入り、ウィレムが鍵束を持ったはるを連れてくる。

 土蔵に入ったウィレムは、はるに、トウベエが死んでも取引の話は残っているので、金を用意するなら薬はそのまま置いていくが、どうだと言う。はるが、盗人に入られて金は一文もないと言うので、ウィレムが、それじゃ持って帰るかといったとき、突然背後から声がかかった。

 マンドロガはおれが貰っていくぞと、黒装束の影が二つ立ち塞がっていた。赤鞘の重四郎と手下と分かって治之進は言葉を失った。

 こんなこともあろうかと後をつけて来たのだ、マンドロガは何処にあるのかと、重四郎が抜身を突きつけると、ウィレムが刃向かったので、一瞬に斬り殺した。

 重四郎は、はるに隠し場所を言えと抜身を突きつけたとき、木箱の一つの蓋が開き、中から火盗改の一人が立ち上がった。

「赤鞘の重四郎、ここへ戻ったが、運の尽きだ。神妙にお縄を頂戴せい」

 この声を合図に、あちこちの木箱や長持の蓋が開き、捕り手が姿を現した。

 憲一郎が、平蔵に謎解きを聞くと、

「オランダの鬼だけが、素顔をさらし覆面をしていなかったので、赤鞘一味とは全く別用で来ていたと考えたのだ。出島のオランダ人が、禁制品のマンドロガを薩摩より高くさばくために、はるを伝手に天竺屋へ話を持ち込んだのだと思ったのだ。それを確信させたのは、小源太がはるの口を割らせたことだ」と小源太を褒めていた。

「法師」 窃盗の頭領・法師の囲い女と駆け落ちしたいために、

       法師一味の押し込みを垂れ込んだ盗人・半助当人も、

       押し込み先で仲間(法師の娘)に差し違えられた話

 手先の美於は、以前、蝦蟇の麓蔵という盗人の一味に身を置いていた。

 その麓蔵の一味だった遠耳の半助は、美於が料亭の使い走りで長谷川平蔵の役宅に出入りしていることを知っていて、美於に相談したくて後をつける。

 半助は、麓蔵の捕縛によって一味がバラバラになり、いまは、信州一帯で豪農、豪商を襲っている坊主崩れの法師を頭とする一味に加わっていた。

 半助は、手荒な仕事をしてこなかった法師が、押し込み先で、一味になっていた自分の娘のおたよが殺されたことをきっかけにして、最近では容赦なく人を殺すようになってきた(半助の作り事)ことから嫌気がさしてきた。都合よく、今度、江戸で押し込みをすることになったので、そのことを、美於から火盗改に知らせて捕縛してもらい、それを契機に足を洗いたいと言う。

 実際は、法師のすぐかっとなる女房が死んで、法師が、囲い女で手引き役をやらせている、優しいおふじと、半助は駆け落ちしたいので、火盗改に、法師と、半助が昔惚れていたが、気性が荒くなり人を殺すことも平気でやるようになったおたよを亡き者にしてもらいたいのである。

 半助は、押し込みの場所と時間を美於に伝え、火盗改は、押し込み先に詰めていて、一味を、半助とおふじとおたよを除いて、捕縛した。

 半助は、一味が踏み込んだすきに、おふじを連れて、塀の外へ逃げ、おふじを待たせて船を捜しに行って帰ってきたら、おふじはおたよに斬られていた。

 おたよは、こいつは、おかっさんからとっつぁんを盗んだ上、今度は、あたしからあんたを横取りしたんだと怒りをあらわにしていた。

 抜身を持ったおたよと匕首を持った半助は、お互いに突進して、刺し違えて死んだ。

 法師は、一味の誰か(母親を裏切った父を怨んでいた娘おたよ)に斬られて酷い傷を負っていた。

                                                        

                                     終

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする