T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1734話 [ 「百歳人生を生きるヒント」を読み終えて 4/? ] 10/31・木曜(晴)

2019-10-30 13:42:10 | 読書

                 

[心に残った本文の文章と私の感想]

「第一章 さあ準備しよう」

 「未曽有の大変動期を生きる日本人」

 平均寿命が男女とも延びて、いま生まれた子供の平均寿命が百歳を超えるという、昨日までは、考えられないような現実に直面しているのです。

 現に2017年7月の時点で、百歳以上の人は全国で67,824人(平成29年9月15日朝日新聞記事より)。これは統計の数字ですから、実際にはもっと多いかもしれません。2016年より2132人増加していて、実に47年連続で増えています。

 序章でも述べましたが、いま85歳の男性が、百歳まで生きる可能性は3.2%だそうですが、自分がその一人になってしまう可能性もある。

 長いあいだ、「人生50年」という言葉になじんだ身にとっては、85歳でもおまけの人生という気持ちが強いのに、さらに、あと15年延長されたら、これはどう考えたらいいのだろうか、と戸惑いと不安をもちます。

 私の世代は、「人生50年」という言葉が刷り込まれているせいか、百歳以上の人はやはり、仙人か行者か、何か人間離れした存在のように思えてしまいます。もしかしたら自分もこの先、百まで生きるのではないかということが、どうも実感として迫って来ない。

 人間の寿命が百まで延びるということは、じつは、これまでの人類の歴史の中でも、「超」がつくほどの未曽有の大変動の時代を迎えたということです。

 その未曽有ということがどういうことなのか、私には、まだ実感としてピンときていない。

 序章で、百歳人生へ向けての心の準備が必要だ、思想や哲学など価値観の変革が必要だなどと、もっともらしいことを書きましたが、実際のところ、私にも、何かえらいことになりそうだという予感はあるのだが、それがどのような形で、目の前に現れるのか、どのような風景が繰り広げられるのか、その中で、私たちの生き方は、どのように変化するのか、想像がつきません。また、それを直視するのが怖いという感覚もあります。

 しかし、すでに百歳を超えた人たちの数が予想以上に増えて、いろいろ変化が出てきている現状があります。

 ある市町村であった話です。

 毎年、敬老の日が近くなると、役場の福祉課の人が、該当する高齢者の家を一軒ずつ回って、金一封を届けていたんですが、最近では、元気な高齢者は昼間不在がちなんだそうです。それで、都合のいいときに役所の窓口まで取りに来てください、とメモを残しておいたところ、百歳の人が自分一人で軽自動車を運転して、役所まで取りに来たというのです。

 こんな話もあります。冠婚葬祭に町内会が手伝う風習が残っている地域でのことです。80代の方のご葬儀があったのですが、そこに百一歳のおばあちゃんがやってきて、お茶を出していたというのです。

 また、百歳を迎えた人に、国が長寿のお祝いとして、銀の杯を贈っていましたが、その数が予想以上に増えて、予算をオーバーしてしまい、やむなく純銀ではなく、銀メッキの品物に変えたそうです。

 

(実話かどうかは別にして、私が百歳になったときの日常を、どうしても想像することはできない)

 

「死ねなくなる不安」

 序章でも少しふれたように、多くの人が百歳人生に不安を感じていると思います。このあいだ、私の講演会に来て下さった60代くらいの主婦の方に、ためしに聞いてみました。

「百歳まで生きるとしたら、どうしますか」

 すると、「いやー、結構です。ご遠慮申しあげたいです」と、少々うんざりしたような表情をして返答されました。

 それはなぜなのか ?

 世界一平和といわれる日本人の気持の中に、生きるということへの、疲労感や不安があるからだと、私は感じています。

 先ほどの主婦の方は、さらにこんなことを付け加えていました。

今でさえ、毎日、疲れているのに、年々体は衰えてくるし、年金は少なくなるし、いいことないじゃないですか。百歳のどこが素晴らしいんですか

 知り合いのある男性は、NHKのテレビ特集「人体」という番組で、近い将来ガンの転移をほとんど治せる治療法が確立されるという話を聞いて、これはすごい朗報だ、と感じた一方で、ふと、思いもよらない考えがよぎってしまったそうです

「まずいな、これでは死ねないじゃないか」と。

 何もこの人が、厭世的で死への願望が強いというわけではありません。ただ、これからの人生を考えると、長寿社会の到来を、手離しで喜べないというのです。

 戦前は50歳を超えたらもう年寄りで、70を超えたら、古来稀なりの「古希」ということで、長寿の人は非常に例外的で、尊ばれていたのです。

 しかし、21世紀の現在ではどうでしょうか。

 50歳は働き盛り、70歳過ぎても現役という方がどんどん増えています。

 また、何年か前、岸恵子さんが「わりなき恋」という小説で、70代女性の恋愛を描き、話題になりましたが、それが物語の世界だけでなく、現実に行われているのかもしれません。

 いずれにせよ、私たちの寿命は確実に伸び、百歳人生は目の前に迫ってきています。時代は動いているのです。


(かかりつけ医は、診察の都度、いつも歩きなさい、風邪を引かないようにしなさいとおっしゃる。人間の寿命は確実に伸びているが、体力も衰えないようにしなさいとおっしゃっているのです。百歳になっても、昔の70歳程度の体力を維持しておくようにすることが、百歳人生を生きることに必要なことだろう。そのために、自分でできることは、すぐに準備をはじめよう)

 

「十歳ごとに人生を見直す」

 私はいま、百歳人生という大きな課題を前に、こんなことを考えています。

 50代から百歳への道のり、つまりインドで考えられた「林住期」(50歳から75歳)から「遊行期」(75歳から百歳)への長い下りの道のりを日本人の年代感覚に添って、10年ごとに区切り、その各10年を、どのように歩くかを考えてみました。

 それは、次のような区切り方です。

 50代の事はじめーーーこれからはじまる、後半の下山の人生を生き抜く覚悟を、

           心身ともに元気な時期から考え始める時期。

 60代の再起動ーーー 50代で思い描いた下山を、いよいよ実行する時期。

           実際にこれまでの生き方、生活をリセット(再起動)する時期。

 70代の黄金期―—ー 下山の途中で、突然あらわれる平たんな丘のような場所を

           充分に楽しみ、活力を補充する時期。

 80代の自分ファーストーーー社会的しがらみから身を引き、

              自分の思いに忠実に生きる時期。

 90代の妄想の進めーーーたとえ身体は不自由になっても、これまでに培った想像力で、

            時空を超えた楽しみにしたる時期。

 

(「90代の妄想の進め」について、第六章で述べられているが、私にはなぜ妄想による楽しみなのか理解できないので、「さあ準備をはじめよう」が進まない)

 

 

 

 

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1733話 [ 「百歳人生を生きるヒント」を読み終えて 3/? ] 10/30・水曜(晴・曇)

2019-10-29 10:55:16 | 読書

 [心に残った本文の文章と私の感想]

「序章 突然、百歳人生がやって来た」

 「百歳人生に戸惑う人たち」

「あなたの寿命が百歳まで延びる日が、もうすぐそこまで来ているようですよ」

 といわれると、中高年の人も、老人も、みな一様に戸惑いの表情を浮かべます。

 

 厚生労働省の完全生命表(2012年公表)をもとに、自分の現在の年齢を当てはめ、百歳まで生きる可能性はどのくらいあるかを割り出す表がインターネット上に出ているそうです。真偽のほどは分からないが、知人が、遊び半分、私の場合を調べてくれました。。それによると、85歳の私が、百歳まで生きる可能性は、3.2%なんだそうです。

(この完全生命表では、年齢別に平均余命もわかり、たとえば、88歳の私ですと、5年と出ていた)

 しかし、実際に、自分が百歳になったとき、どのような状態なんだろうか(体の状態・容体が)と思いを巡らしてみても、思考停止に陥ってしまいます。どうしても、その姿が想像できない。

 いまでさえ、肉体の衰えは、いやというほど感じています。

 去年までできていたことが、急にするのが難しくなる。例えば、歯磨きのときしていた片足立ちが、最近は、ふらついてうまくできなくなってきた。

 

(80代後半になると、肉体の衰えは嫌というほど感じるので、とくに体調に留意する必要がある。体温もそうで、すぐ寒さを感ずるようになるので、温かくする必要がある)

 

「「老い」を感じたら、持ちたい自覚」

 先日読んだ橋本治さんの「いつまでも若いと思うなよ」(新潮新書)に、興味深いことが書いてありました。

 橋本さんが、ある古典芸能をなさる、お年を召した方のお宅を訪問したときのことです。

 非常に小ぎれいに、きちんと暮らしていらっしゃるので、そのことを伝えたところ、その方は、ふっとさりげなく、「ただでさえ年寄りは汚いものだから、身の周りぐらいは綺麗にしておかなければ」と言われたそうです。

 この「ただでさえ年寄りは汚いものだから」という言葉は、非常にインパクトがあります。

 歳を重ねていくと、人間の肉体も年を経るごとに朽ちていくものなんです。加齢臭や顔の仕組みやしわは、いくらアンチエイジングの手法を駆使したところで、防ぎきれるものではありません。

 この自覚というものは立派だと思います。だからせめて暮らしを小ぎれいに、身ぎれいにして、きちんと生活していこうとしていらっしゃるその姿勢は、素晴らしいことではないでしょうか。

 肉体のコンディションは、日毎に異なり、いつもよいときばかりではありません。動きたくないほどしんどいときも、きりっと背筋を伸ばして、気力で立ち上がっていらっしゃるだろうと、一度もお会いしたことのない、その方の生活ぶりを想像しました。

 

(身ぎれいに、身の周りを小ぎれいにしておくことで、一日でも長く健康な日々を送れることだと思う)

 

「老人という言葉はもはや死語 ? 」

 まだまだ元気に生きる70代の人たちの多くが、なぜ一様に、百歳人生を喜ぶのでなく、戸惑いを覚えるのだろうか。

 それは、おそらく自分のこれからの人生が確実に下り坂、下山の道のりになっていることを認めなくないからなのではないでしょうか。

 親の世代、祖父母の世代を見ると、その世代の60代、70代は、外見からして「老人」の顔つきや風体を持っていました。

 白髪や、くっきり刻まれた額やほうれい線のしわ、曲がった腰、O脚になっていく脚、そして、服装も、地味でつつましやかになっていく。それが老いの坂道を歩く人たちのイメージでした。

 しかし、自分が実際、その年齢になってみると、ジーンズにスニーカーで街を早足で歩いていける。女性はミニスカートや胸の大きく開いたTシャツを自然に着こなす。自分が老いの道を下がっているという自覚はありません。

 では、現代の中高年は、いつ頃から自分を老人だと自覚するのでしょうか ?

 ひと昔前まで、60過ぎの人たちに向けられていた「老人」という言葉が、もう死語になった感があります。

 問題は彼らに老いの自覚が、ないことではないかと思います。

 彼らはかなりの可能性で、90歳、95歳まで生きることになるでしょう。ところが一方で、そのときの心の準備や生活の手当てを本気で考えている人が、ほとんどいないという現状があるのではないかと思います。

 そのとき、どう老いを生きてゆくのか。どんな人間関係になるのか。どう自分の人生を完成させるのか。百歳人生をどう生きていくのか……いままだ、だれもが自分の90歳、100歳の姿や生き様を、イメージすることから逃げてしまっているように見えます。

 

(私は逃げているのではなく、見えないのだ。自覚できないのだ。3.2%だから自分の身の周りにそんな人が少ないからだ)


「百歳人生の三つの不安」

 私たちが、突然やってきた百歳人生にいだく不安は、いま大きく三つぐらいあるように見える。

 まず、経済的な変動に対する不安。

 二つ目は、社会情勢に対する不安。

 三つ目は、健康問題の不安である。

 人は元気に働いていても、明日のことはわかりません。

 経済のことにしろ、政治のことにしろ、みんな心の中では、怯えて暮らしているのです。

 

(確かに不安であるが、自分でどうこうできるものでないので、そのことに対して留意するだけである)

 

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1732話 [ 「百歳人生を生きるヒント」を読み終えて 2/? ] 10/29・火曜(雨・曇)

2019-10-28 14:04:52 | 読書

                                           

 [心に残った本文の文章と私の感想]

「はじめに 百歳人生の衝撃」

 百歳人生とは、人生の下り坂が、思っていた以上に長くなるだけのことではないか。

 麓の村が見えてきたと思ったら、その先の道のりが思いのほかだらだら続いていた。

 それは幸運や否や ?

 ひょっとすると、百歳人生を生きるということは、並大抵のことではないかもしれない、百歳人生、天国か地獄か ?

 そんな不安が頭をよぎります。

 そこで私は、これまで85年という長い人生を生きてきた過程で、深く体に染みついた記憶や、ときにはトラウマになった体験などを、そのときどきを生きた年代ごとに、メモのようにしてまとめ、それをもとに一冊の本を作ってみることにしました。それがこの「百歳人生を生きるヒント」です。

 

 私も、著者が記憶や体験をまとめたように、80年代の記憶やパソコンに記録した日記の中から時系列的にパソコンにまとめて、これからの人生の糧にしてみたい。

 

 

 

 

 

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1731話 [ 「百歳人生を生きるヒント」を読み終えて 1/? ] 10/28・月曜(晴)

2019-10-28 13:14:20 | 読書

                           

 「裏表紙と目次より」

 今、日本という国は未曽有の長寿時代を迎えている。

 経済の不安、衰えていく体の問題、介護は誰がしてくれるのか。そこにあるのは、これまでの哲学や思想で語ることのできない、100歳までの長い道をいかに歩むかという重い課題である。

 ミリオンセラー「生きるヒント」から四半世紀を経て著者・五木寛之が語り下ろす、まったく新しい生き方の提案。

       

 はじめに 百歳人生の衝撃

 序章 突然、百歳人生がやって来た

 第一章 さあ準備をはじめよう

 第二章 五十代の事はじめ

 第三章 六十代の再起動

 第四章 七十代の黄金期

 第五章 八十代の自分ファースト

 第六章 九十代の妄想のすすめ

 

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1730話 「 今年の金木犀 」 10/20・日曜(晴)

2019-10-19 16:24:51 | 日記・エッセイ・コラム

 

                                                                                                  

 今年は金木犀の咲きが遅く、もう咲かないのかと思った程だ。

 昨日、ようやく咲いた。

 一昨年は、10月12日に咲いたようだ。

 昨年は10月5日のお祭りの日に咲いていたので、

 今年は、とてつもなく遅かったようだ。

                                    

 今年は障子も張り直し、網戸も一部張り直したので、

 今日は久しぶりに窓拭きをした。

 

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