[心に残った本文の文章と私の感想]
「第一章 さあ準備しよう」
「未曽有の大変動期を生きる日本人」
平均寿命が男女とも延びて、いま生まれた子供の平均寿命が百歳を超えるという、昨日までは、考えられないような現実に直面しているのです。
現に2017年7月の時点で、百歳以上の人は全国で67,824人(平成29年9月15日朝日新聞記事より)。これは統計の数字ですから、実際にはもっと多いかもしれません。2016年より2132人増加していて、実に47年連続で増えています。
序章でも述べましたが、いま85歳の男性が、百歳まで生きる可能性は3.2%だそうですが、自分がその一人になってしまう可能性もある。
長いあいだ、「人生50年」という言葉になじんだ身にとっては、85歳でもおまけの人生という気持ちが強いのに、さらに、あと15年延長されたら、これはどう考えたらいいのだろうか、と戸惑いと不安をもちます。
私の世代は、「人生50年」という言葉が刷り込まれているせいか、百歳以上の人はやはり、仙人か行者か、何か人間離れした存在のように思えてしまいます。もしかしたら自分もこの先、百まで生きるのではないかということが、どうも実感として迫って来ない。
人間の寿命が百まで延びるということは、じつは、これまでの人類の歴史の中でも、「超」がつくほどの未曽有の大変動の時代を迎えたということです。
その未曽有ということがどういうことなのか、私には、まだ実感としてピンときていない。
序章で、百歳人生へ向けての心の準備が必要だ、思想や哲学など価値観の変革が必要だなどと、もっともらしいことを書きましたが、実際のところ、私にも、何かえらいことになりそうだという予感はあるのだが、それがどのような形で、目の前に現れるのか、どのような風景が繰り広げられるのか、その中で、私たちの生き方は、どのように変化するのか、想像がつきません。また、それを直視するのが怖いという感覚もあります。
しかし、すでに百歳を超えた人たちの数が予想以上に増えて、いろいろ変化が出てきている現状があります。
ある市町村であった話です。
毎年、敬老の日が近くなると、役場の福祉課の人が、該当する高齢者の家を一軒ずつ回って、金一封を届けていたんですが、最近では、元気な高齢者は昼間不在がちなんだそうです。それで、都合のいいときに役所の窓口まで取りに来てください、とメモを残しておいたところ、百歳の人が自分一人で軽自動車を運転して、役所まで取りに来たというのです。
こんな話もあります。冠婚葬祭に町内会が手伝う風習が残っている地域でのことです。80代の方のご葬儀があったのですが、そこに百一歳のおばあちゃんがやってきて、お茶を出していたというのです。
また、百歳を迎えた人に、国が長寿のお祝いとして、銀の杯を贈っていましたが、その数が予想以上に増えて、予算をオーバーしてしまい、やむなく純銀ではなく、銀メッキの品物に変えたそうです。
(実話かどうかは別にして、私が百歳になったときの日常を、どうしても想像することはできない)
「死ねなくなる不安」
序章でも少しふれたように、多くの人が百歳人生に不安を感じていると思います。このあいだ、私の講演会に来て下さった60代くらいの主婦の方に、ためしに聞いてみました。
「百歳まで生きるとしたら、どうしますか」
すると、「いやー、結構です。ご遠慮申しあげたいです」と、少々うんざりしたような表情をして返答されました。
それはなぜなのか ?
世界一平和といわれる日本人の気持の中に、生きるということへの、疲労感や不安があるからだと、私は感じています。
先ほどの主婦の方は、さらにこんなことを付け加えていました。
「今でさえ、毎日、疲れているのに、年々体は衰えてくるし、年金は少なくなるし、いいことないじゃないですか。百歳のどこが素晴らしいんですか」
知り合いのある男性は、NHKのテレビ特集「人体」という番組で、近い将来ガンの転移をほとんど治せる治療法が確立されるという話を聞いて、これはすごい朗報だ、と感じた一方で、ふと、思いもよらない考えがよぎってしまったそうです。
「まずいな、これでは死ねないじゃないか」と。
何もこの人が、厭世的で死への願望が強いというわけではありません。ただ、これからの人生を考えると、長寿社会の到来を、手離しで喜べないというのです。
戦前は50歳を超えたらもう年寄りで、70を超えたら、古来稀なりの「古希」ということで、長寿の人は非常に例外的で、尊ばれていたのです。
しかし、21世紀の現在ではどうでしょうか。
50歳は働き盛り、70歳過ぎても現役という方がどんどん増えています。
また、何年か前、岸恵子さんが「わりなき恋」という小説で、70代女性の恋愛を描き、話題になりましたが、それが物語の世界だけでなく、現実に行われているのかもしれません。
いずれにせよ、私たちの寿命は確実に伸び、百歳人生は目の前に迫ってきています。時代は動いているのです。
(かかりつけ医は、診察の都度、いつも歩きなさい、風邪を引かないようにしなさいとおっしゃる。人間の寿命は確実に伸びているが、体力も衰えないようにしなさいとおっしゃっているのです。百歳になっても、昔の70歳程度の体力を維持しておくようにすることが、百歳人生を生きることに必要なことだろう。そのために、自分でできることは、すぐに準備をはじめよう)
「十歳ごとに人生を見直す」
私はいま、百歳人生という大きな課題を前に、こんなことを考えています。
50代から百歳への道のり、つまりインドで考えられた「林住期」(50歳から75歳)から「遊行期」(75歳から百歳)への長い下りの道のりを日本人の年代感覚に添って、10年ごとに区切り、その各10年を、どのように歩くかを考えてみました。
それは、次のような区切り方です。
50代の事はじめーーーこれからはじまる、後半の下山の人生を生き抜く覚悟を、
心身ともに元気な時期から考え始める時期。
60代の再起動ーーー 50代で思い描いた下山を、いよいよ実行する時期。
実際にこれまでの生き方、生活をリセット(再起動)する時期。
70代の黄金期―—ー 下山の途中で、突然あらわれる平たんな丘のような場所を
充分に楽しみ、活力を補充する時期。
80代の自分ファーストーーー社会的しがらみから身を引き、
自分の思いに忠実に生きる時期。
90代の妄想の進めーーーたとえ身体は不自由になっても、これまでに培った想像力で、
時空を超えた楽しみにしたる時期。
(「90代の妄想の進め」について、第六章で述べられているが、私にはなぜ妄想による楽しみなのか理解できないので、「さあ準備をはじめよう」が進まない)