「春落葉」 (恩義に己の命を捨てる鳥刺しの老人)
淡路屋が、宇吉という千鶴も知っている大道芸の鳥芸をしている老人を連れてきた。腹には施しようのない腫瘍ができていて命に関わる重症だったので、淡路屋を待合室に呼んで、そう長くないので、一刻も早く国に帰るように伝えてほしいと告げた。
淡路屋の話では、女房が気鬱で寮で暮らしているときに、懸巣という鳥と話ができることを教えてくれたことで知合いになった。一度は帰国を勧めたが、肥前の有村藩で鳥刺しを業としていて、江戸に人を探しに出てきて尋ね人は見つかったのだが、まだ目的を果たしていないので帰るわけにはいかないとのことだった。
毎日大切な命と向き合っている医者としての千鶴には、養生を放棄するような態度は納得できないし憤りさえ湧いてくる。千鶴はもう一度帰国を勧めてはどうかと言う。しかし、心底に思いつめたものがあるようで、梃子でも動かぬ固い思いがあるようだとの返事だった。
そんな中、街中で不思議な事件が起こった。一つは有村藩の中間が口と目に鳥もちをべったりつけられ真っ裸で河岸の杭に後ろ手に縛られていた。もう一つは、有村藩江戸留守居役の女の長唄師匠が化粧をしていると、後ろから目に鳥もちを付けられ、お前は生かしちゃおけないのだ、お前を殺せば少しは反省するだろうと言われたので、助けてと叫ぶと逃げて行ったとのことだった。
千鶴は宇吉を往診し、長屋の前で儀一という人に少しの足しにしてくれと金を渡していたことや鳥もちを作っていることを見て、宇吉の体のことを心配して事情を聴いた。
儀一さんの父親の井筒屋さんから、女房が亡くなる前に朝鮮人参を貰ったりと恩になっていたのだが、井筒屋さんが闕所になり国から追放されたので、その消息を訪ねて江戸に出て来て、井筒屋さんは亡くなっていて息子の儀一さんに会ったとのことだった。
千鶴は、もう一つ真相がはっきりしないので、求馬に、有村藩との絡みで宇吉と儀一のことを調べてもらった。
宇吉に関する新しい情報はなく、儀一には懐妊している女が居て、儀一から別れたいと言われ命を絶とうとしているところを助けたことから、儀一の昔のことを聞くことができた。
儀一が20歳の時に、弟と沼地で怪我をした雉を捕まえた。そこに馬に乗った御鳥見役の役人が来て、此処は殿様の御鷹場だと、鳥もちをつけた竿で追いかけ殺してしまった。そのことを訴えた井筒屋を、訴状の内容は作り話として反対に闕所、重追放となったとのことで、その役人が今の江戸留守居役の須藤源之丞だということだった。
淡路屋から宇吉が激痛に襲われたとの知らせがあり、千鶴は往診した。薬が効いて目覚めた宇吉から井筒屋さんに謝りたいのだと、次のような話をし出した。
宇吉は御鳥見役の役人の差配の下にあり、役人の機嫌を損ねたら家族が路頭に迷うことを考えると、儀一さんたちが苦しめられているときに、場所が御鷹場から離れていると留める勇気がなかったし、井筒屋さんの訴えに証人として身を挺することもできなかった。儀一さんに鳥もちを渡したが、悪はいつか成敗されるので、自分らの家族の幸せを考えてほしいと伝えてくれと言う。
千鶴と求馬は儀一の家に急いだ。先がない命に代えての宇吉の言葉を伝え、あなたの幸せを見届けるために国を捨てて寂しい一人ぼっちの最後を迎えようとしているのだ、あんたは弟を見捨てたと言われたが、慕っている女の人とお腹の子も見捨てるのか、大切な人を二度も見捨てるのかと諭す。
三日後に、同心の浦島が来て、須崎源之丞が鳥もちで喉を詰まらせて殺されたとの知らせを受けた。宇吉も側で死んでいたとのことだった。
千鶴は宇吉の長屋に走った。淡路屋が呆然としていて、懐から手紙を千鶴に渡した。
「先生お世話になりました。一世一代の大鳥刺しをと思い立ちました。お別れは言わずに行きます。」春落葉と差出名が書かれていた。
「走り雨」
(藩の減封の原因を負って切腹した父親の仇を狙う若者に間違いを諭す話)
お道が薬包紙を買いに出て一刻以上経っても帰ってこないので夕食を待っていると、玄関に駕籠を待たせた武士から、急ぐのだ傷の手当てを頼むとせっつかれた。姓名と屋敷の場所を聞いたら、お道が使っている平打ちの銀の簪を出して見せた。
千鶴は駕籠に揺られながら行く先を特定しようと静かに耳を澄ませた。道を行き交う人の足音、橋を渡る音、鐘の音、道の傾斜などに注意した。
若者の傷は大きく、背中を13針ほど縫合したので、千鶴は一睡もせずに翌日の夕方まで患者に付き添った。また目隠しされて帰りの駕籠に押し込まれる前に、10日経った頃、もう一度ここに連れて来てくれと頼んだ。
お道が帰っていたので安心し、心配してきていた求馬と場所を確かめることにした。
翌日、酔楽先生からの使いに応えて、先生を訪ねたら、先の大目付の下妻直久が50歳でできた小児を往診してくれとの事で出かけた。
診療の後の世間話の中で、大目付時代に非常な処断をなすこともあり、儂を恨んでいる者もいて、一昨日も5人の武士が侵入してきて警固の武士に一人が大怪我を受けて逃げたとのことだった。
千鶴は在所不明の中で武士の傷の手当てをした日と符合すると思った。
武士の手当てをした家が下妻家の近くで、その方面の千鶴の患者の情報から、その仕舞屋を突き止めたので、千鶴は、酔楽先生にも来てもらい、求馬と三人でその家を訪ねた。
古田順之助という若者で、姉と住んでいた。順之助は頑なに今となっては自分の命は捨ててもよいのだと興奮して素直に傷の手当てをさせるまでに四半刻もかかった。人さらいのように連れてこられたのに、千鶴の治療態度に感激している姉からの説諭で事情を話し出した。
先年、本山藩は石高5万石が半分に減封され、土地の三分の一が天領として幕府に取り上げられた。村方の父たちはその原因が自分らの失態だと切腹して果てた。これは大目付の裁断によるものだと、直久に一矢報いずば申し訳が立たずと藩を出奔して襲撃したのだと話す。
酔楽が、それは全く反対で、藩主が家老に申し付け、他の藩では年貢の対象にしていない見取田畑まで税の対象にして農民から搾取し、赤子の間引き老人捨ても起こり一揆も起こしかねたので、本来ならば藩が断絶するところを大目付の計らいで藩は残ったのだ。父親の切腹は農民の窮状を救ってやれなかったからで、農民の為にも、若い命を藩の再建に使えと諭した。
二日後に、私の患者だからと千鶴が、求馬と同道しての順之助の抜糸に出向く支度をしていると、姉が走り込んできた。順之助の仲間が来て再襲撃を企てるために連れだしたので助けてほしいと告げた。酔楽先生にも連絡して現場に急いだ。
酔楽と一緒に直久も来て、直久が若者らに告げた。一年、藩の内情を見つめ直し、自分たちが最初に知りえたものに間違いがないと思えば、屋敷に参れ儂が相手になろう。年老いて儂は子への愛情を初めて知ったようだが、そなたたちの親父殿は、幸せに天寿を全うしてほしいと、あの世で祈っているはずだと思う。
緑燃える晩春の朝、走り雨も止んで千鶴は往診に出た。千鶴は爽やかな風を頬に受けながら、先ほどの走り雨は、あの若い武士たちのようだと思った。