T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

「武士の家計簿」を読み終えて!

2010-12-30 15:08:15 | 読書

副題が「加賀藩御算用者の幕末維新」となっている新潮新書の歴史書。著者は茨城大学準教授の磯田道史氏。

                                         

混迷の幕末を算盤一つで生き抜いた武士がいた。

国史研究史上、初めての発見! 「金沢藩士猪山家文書」という武家文書に、精巧な「家計簿」が完全な姿で遺されていた。タイム・カプセルの蓋を開けてみれば、江戸時代史や日本近代史の見直しを余儀なくされる驚きの連続。気鋭の研究者による意欲作。(新潮新書のPR文より)

                                                                                       

子供のときに、大人から「さんよ」が大切だ、「こんな「さんよ」もできんのか」と言われたことを思い出すが、まさか、漢字で書けば「算用」という標準語だと思わなかった。最近まで方言かと思っていた。

そのようなこともあって、読書感想文に代わり、私の常識を破った事柄を列挙してみることにした。

                                       

第一章 加賀百万石の算盤係

◎御算用者としての猪山家

 ▽「武士は「家」が俸禄支給の単位になっていて、主人一人が主君に仕えていたと思っていた。」

 下士以下の下級武士、とくに御算用者など個人の能力で仕事をする者は、その能力により、猪山家の最盛期のように親子三人が務めて、それぞれ切米40俵を支給されていた。

◎六代 猪山左内の時代

 ▽「加賀藩のような大藩でも、算盤をはじく経理係は50人ぐらいと思っていた。」

 加賀藩は会計機構の中に郡奉行のような政治部門があったとのこともあって、150人もの会計屋がいたとのこと。

 文系の祐筆も会計屋の一部の人がやっていたとのこと。

 藩主、元藩主、奥方などが使う経費をそれぞれの御算用者が担当して経理しており、祐筆を兼ねてお側についていた。

第二章 猪山家の経済状態

◎江戸時代の武士の給禄制度

 ▽「現在の職務内容に応じて禄高も上がっていったと思っていた。」

 その家の昔からの家禄いわゆる由緒がベースになっていて、現在の役職に応じた部分は脇役として非常に少ないこと。したがって、位が上がっても特別の場合は収入がそんなに上がらず、反対に支出のほうは増えるといったようであった。

◎借金暮らし

 ▽「普通の人は収支トントンで生活していたと思っていた。」

 担保が無い武士に対する年利は18%が一般的で、年収の1/3を利子として支払っていた。借金が年収の二倍といったところが平均的な姿だった。

 商人、農民への面子を大事にしたのか、無担保高利融資を仲間内や親戚内でやっていた。仲間内や親戚内での頼母子講が盛んだった。

◎「武士の身分費用」

 ▽「武家社会で生きていくための交際費等の費用が1/3も掛かったとは思っていなかった。」

 猪山家のような下士でも、男家来1人と下女1人を住み込みで雇っていて、外出には連れて行っていた。他家から訪問されたときは、この家来等に「お引」15文を渡していた。

 そのようなことから、召使いの雇用費、交際費、武家としての儀礼行事費、祖先の祭祀費などに衣食費程度の支出を要していた。

◎お寺へのお布施は年間18万円

 ▽「現在の相場から、割合多額と思われるお盆のお布施が1万円までだと思っていた。」

 武士身分は実質的に「由緒筋目」で付与されているために、祖先を大切にするところからか、葬式も法要も無いのに年間18万円のお布施が支払われていた。

◎猪山直之のお小遣い

 ▽「若主人なので5万円程度と思っていた。」

 家族全員に「初尾」といって小遣いが配分されていた。

 直之は年間19匁、1匁=4000円として約5840円/月(当時は年13ヶ月)。父上は年間176匁(54000円/月)、母上は年間83匁(25500円/月)、直之の娘は年間9匁(2800円/月)。

第三章 武士の子ども時代

◎武家女性の墓石(墓標)

 ▽「墓石に刻まれている死亡した女性の姓は、当然、嫁ぎ先のものと思っていた。」

 「猪山〇〇妻、△△氏」と実家の姓が墓石に刻まれていた。

◎武家の出産

 ▽「出産費用は嫁ぎ先が大半を支出する者と思っていた。」

 加賀藩の武家だけではない思われるが、最初の子に限らず、出産費用の半分以上を実家が支出していた。

◎猪山成之の誕生(1844生、長男)後の儀式

 ▽「元服までの儀式は多くても五つぐらいと思っていた。」

 着帯、三つ目(誕生三日目)、七夜(誕生七日目)、初参詣、箸初め、髪置き(数え二歳の髪伸ばし始め)、着袴、角入れ(数え十一歳の前髪剃り込み)、前髪(数え十四歳の元服)と九つの儀式があった。

第四章 葬儀、結婚そして幕末の動乱へ

◎莫大な葬儀費用

 ▽「葬儀費用の自己負担は半分程度と思っていた。」

 当主の葬儀だけに同僚の香典がきた。

 通夜の夜食代は嫁の実家が負担していた。

◎廻船問屋へ嫁ぐ武家娘

 ▽「武家の娘でも商家に嫁つぐことができたと思っていた。」

 明治4年に法律で許されるようになった。士族は商人の男に経済力を求め、商人は血筋と権威と教養を士族の娘に求めた。

 

  

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「研ぎ師太吉」を読み終えて!

2010-12-27 13:24:36 | 読書

 山本一力の時代物のミステリー小説。

 深川黒江町の長屋で、刃物の研ぎを生業とする独り者の太吉。ある夏の日、裏店に一人の若い女が訪ねて来る。料理人だった父親の形見である出刃包丁を、供養として研いで欲しいという。快く引き受けた太吉に、かおりと名乗るその娘は、妙なことを口走る。「おとっつあんは、殺されたんです」--。 一本の包丁が暴いていく、切ない事件の真相とは。切れ味抜群の深川人情推理帖!(裏表紙より)

 解説では、寡黙で自分の仕事に誇りを持つプロの職人・太吉を探偵役にしたハードボイルドタッチの作品ながら、深い信頼で結ばれた職人達の絆が悪と不正を打ち破っていくので、人情味溢れるミステリーになっていると纏められている。

                                    

感想

 刀剣研ぎ師の下で修業した主人公・太吉は、真っ正直な性格で高い技術と志を持った職人たちを尊敬することから、「研ぎ」に関係する御家人、料亭の料理人、一膳飯屋やうどん屋のあるじ、青菜の棒手振りの元締め、刀剣鍛冶屋などの顧客からの信頼が厚く、太吉が仕事より人助けを選んだことを知り、それらの得意の絆の労力を惜しまない手助けを受けて、犯人を突き止めるといった物語で、犯人探しのミステリーよりも人情味溢れる部分に力点があって、ただ面白く読み終えた感じだった。しかし、一力さんのいつもながらのズイズイ引っぱってくれる文体はさすがだと思った。

                                    

あらすじ

 太吉は、料亭・江戸屋の板長・清次郎からいつも見事な研ぎ具合だ、刀剣に遣う嵯峨野の砥石を使っているだろうと言い当てられる。

 研ぎ屋の子として生まれた太吉は、刀剣研ぎ師・楯岡龍斎に弟子入りし、8年後、師匠から御家人の吉川誠之助の屋敷に奉公を命じられた。

 太吉が行儀見習の女中の香織と相互に親しくなったので、内室は香織が大店の娘なので、身分違いを理由に家臣との縁談を進め、太吉に暇を取らせた。太吉は十兵衛店で研ぎ師として一人暮らしをすることになった。

                                                 

 ある日、かおりと名乗る娘が料理人だった父親の形見の出刃包丁を研いでくれと持ってきた。父親は元五郎といい、同じ店の弟子の利吉と喧嘩して殺されたのだと言う。

                                                   

 太吉は毎晩のように江戸一と思われる手製の干物を出す一膳飯屋・七福に通っている。そこの一人娘のおすみは太吉に好意を持っていた。

 江戸屋の清次郎とは同じ師匠の下で修業した友達だという、あるじの勇蔵から、一膳飯屋でも包丁遣いには職人の見栄も意地もある、ぜひ、俺の包丁を研いで欲しいと頼まれ、太吉も、ぜひとも、研がせてくれと頭を下げる。

 おすみが研いでもらいたい包丁を持ってきて、父親が太吉に話があるので五つに晩飯を食べに来てくれとの伝言をもってきた。

 かおりが研ぎのお礼にと持ってきた高橋の鰻の蒲焼をお土産に七福に行く。勇蔵が聞き入れた元五郎は、人の好き嫌いが激しく自分が嫌ったら小僧にも容赦はしないので、深い恨みを持った者もいたということだった。

                                               

 それから三日後、太吉は朝から自身番屋に引っぱられた。かおりという娘が利吉を殺めたのだが、そのかおりが、太吉を呼んでくれと言っているのだと言う。太吉は、岡っ引らの物言いに業腹の思いを抱いたが、香織と同じ名前に不思議な因縁を感じて、素直に岡っ引の後を長屋の木戸を出た。

 途中、岡っ引が酒を飲みながら事情を聞かせて貰おうとうどん屋に寄るが、そこのあるじの義三に断られる。しかし、義三は、太吉に、元五郎とは古い付合いで娘のこともよく知っているので、かおりに気をしっかり持つように言ってくれ、そして自身番屋の帰りに寄ってくれと言う。

 殺された利吉の胸には本所の安五郎が作った包丁が突き刺さったままになっていたという。

 安次郎は気に入った料理人でないと幾ら金をつまれても作らないという偏屈な男だが、几帳面なところがあって自分が拵えた包丁の納め先を帳面に記していたのだった。そこから、元五郎に売った本数が合わないことから、かおりが引っぱられたとのことだった。

 北町同心は、かおりは下手人ではないような心証を得ているので、太吉に何か伝手があるのなら、それを使いこなして濡れ衣を晴らしてやれと言った。

                                              

 後日、義三を訪ねると、元五郎の性格は聞いたとおりだが、娘に甘えることで己の憂さを晴らしているのだ、かおりは、そのような親をしっかり抱きとめる役目を懸命に務める、健気な娘だからよろしくと頼まれた。

                                           

 太吉は、包丁の研ぎで大得意の青菜の棒手振りの元締めの元渡世人・青菜の泰蔵が岡っ引から耳に入ったかおりの件で聞きたいから寄ってくれと言われた。

 訪ねて、あらましを話すと、多忙の中、1回の研ぎで人助けをするとは気に入ったと、配下に情報収集などの手助けをすることを約束してくれた。

                                               

 太吉は、同心から言われた伝手を元の奉公先に求めるため、吉川屋敷に出向き、かおりの件で八丁堀への口添えをしてくれないかとお願いした。主人の誠之助は留守だったが、内室は快く引き受けてくれた。

                                       

 太吉にとって大事な得意の江戸でも有名な刃物専門店の親方・直次郎から使いが来た。

 青菜の泰蔵から安次郎のことを聞かれたのだが、かおりの件を話してくれと言われた。

 直次郎からは安次郎のことを話してくれた。安二郎には己の技量を大きく見せようとするあざとさが感じられ、いわゆる付け焼刃に近い仕上がりが往々にしてあって、客が不満顔を見せると安次郎はこめかみに血筋を浮かべ、金は入らんから包丁を置いて帰れと脅かしをかけることがあったと言う。

 利吉の胸に安次郎がわざと包丁を残していたとすれば、話が違うぞと直次郎が言う。安次郎であれば自分が渡した包丁の手持ち本数が明確でない者を犯人に仕上げることができる、とすれば安次郎が怪しいと直次郎も太吉も思った。

                                         

 誠之助が南町同心・長田秋の介を添え状をしたため紹介してくれた。秋の介は太吉の動作を見て、直次郎と同じく真っ正直な男だと言う。おまえは角を曲がるよりは遠回り承知で直進する男だとも。太吉は楯岡師匠からも同じことを言われたことを思い出した。

 秋の介も安次郎が怪しいと踏んだ。秋の介は江戸中立ち入り勝手次第の同心のみが持てる朱房の十手を目明しの長助に渡し、これを使えと言う。

                                       

 青菜の泰蔵の配下が岡っ引に身を変えて安次郎をつけ回し、安次郎の口を割らして、秋の介のところに引っぱって来た。

 自分が利吉を殺したのだと白状する。利吉が自分の女だと思っている小料理屋の女に安次郎が熱を上げて通い、利吉は面白くなく、意趣返しにいい加減に諦めろと言ったところが、安次郎の我慢の糸が切れたのだった。

                                              

 太吉は世話になったところにお礼の挨拶に廻った。誰かが、あの子はいい娘だ、早く落ちつけよと言うと、太吉も小さく頷いた。

 

                                             

 

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パソコン活用のアップに?ー520回

2010-12-26 13:07:11 | 日記・エッセイ・コラム

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 時間待ち用の肩の凝らない読みなられた一力さんの文庫本を購入。

 ホームページの写真活用のレベルアップを狙うためにNHKのテキストを買ってみた。

 すこし、レベルアップが出来るかな? デジカメも使いこなしていないのに怪しいものだ。

 しかし、なんとかして、春の芽吹き時期には成果を挙げてみたい。

 

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「おひで」を読み終えて!

2010-12-21 17:26:43 | 読書

                                                                  

 北原亜以子の時代小説、慶次郎縁側日記シリーズ第3弾。

 慶次郎や晃之助は狂言回しに立場を変え、どちらかというと貧しく生活の苦労を背負った市井の男女が主人公になった哀歓が混じった12の短編物語。                                                                                                                                                                                                               

ぬれぎぬ

 料理屋から帰る途中、同心の晃之助は若い男に襲われる。男は公事師の益田留三郎といい、晃之助の昔馴染みの女・お才が惚れていた男だった。

 留三郎は、お才が所帯を持つ約束を反古にしたのは、晃之助のせいだと思っていた。

 晃之助はお才を探して、留三郎の事を聞くと、自惚れて人を蔑むような留三郎が嫌いになったと。

 それに引き換え、旦那は茶漬け屋へきていなすった頃と、一昨年、そして今日では、その度に見違えるほどのいい男になっていると言われた。

 晃之助も悪い気はしなかったが、自惚れで成長を止めてしまった留三郎に、お才に嫌われたことを納得させるにはかなり骨の折れることだと思った。

からっぽ

 慶次郎の後をつけて来たこそ泥のおたえは、山口屋の寮に忍び込もうとしている男に気がついた。

 その男・政吉と話すと、金が欲しくて泥棒に入るんじゃなくて、慶次郎の鼻を明かしてやりたいたけだと言われ、おたえは、気に入った、自分と組まないかと言う。

 政吉から労咳で先が無いのだと言われ、昔のことを思い出した。

 自分に優しくしてくれた労咳の小父さんがいたが、その他の人からは父なし子と苛められ騙されることばかりで、人を騙しても騙されないほうが難しいと、用心して人と付き合うようになり、気がついてみれば心を許せる男も女友達もいなかった。

 おたえは、懐が空っぽよ、胸にすうすう風が吹いているのだと言うと、政吉もみんな同じだと言う。

 翌日の慶次郎のところへの盗みの手はずを話した後、飾職人だった政吉が母のために作った簪をおたえに渡し、女房ができたら、おやりとお袋から返された物だと言う。

 山口屋の寮にこそ泥に入ったときに政吉が大量の血を吐いた。おたえの声に慶次郎が出てきて小石川療養所に入れた。

 政吉から簪を返してくれと言われ、おたえは取りに帰った。

 療養所の門で待っていた慶次郎から、政吉は昨夜の簪にお前が喜んでくれて久し振りに胸が一杯になった、しかし、今は俺の形見になってしまう、何時までも簪を抱いて、めそめそしていたら困ると政吉は考えているようだと言われた。

 おたえは簪の箱を抱いたまま動かず、今は胸が一杯だった。

おひで 1 油照り

 二年も尽くしたのに新しい女をつくった鉄次の家に乗り込んだおひでは、鉄次に殴られ路上に倒れた。

 気が付くと、おひでは晃之助の家に寝かされていた。

 医者の玄庵を呼んでもらったりした優しさを感じる気持と反対の口を叩いて、腹の虫が鳴っているのに、こんなところでは食えねえと、金を貰って出て行く。寂しさの中、昔の女仲間の家に行くが、そこでも邪魔者扱いされ我が家に帰る。

 明け方、自分の太腿に出刃包丁で切りつけ、思ったより深く切り裂き、長屋の女房に、助けて、鉄次を呼んでくれと叫ぶ。

 気が付くと玄庵のところに居て、慶次郎も鉄次も居た。悪たれ口を叩きながらも、いずれは又一人になるのかと頬に涙が伝った。

 慶次郎から、歩けるようになるまで俺が引き取るといわれ、おひでは、小父さん二朱でどうだいと言う。

 鉄次に頬を叩かれても、お前のために稼いでやろうてのにと、おひでの憎まれ口は止まらない。

おひで 2 佐七の恋

 山口屋の寮に引き取られたおひでは、佐七に甘え無理を言う。

 佐七の部屋に入ってきて酒が欲しい、居酒屋に連れて行けといい、駄目だと言うと、佐七は旦那の言うことばかり聞いて、私の頼みは聞いてくれないと言う。

 そんなことはない、お前の頼みなら何でも聞いてやると、孫娘のように可愛かったが、佐七自身は別の感情のあることに気がついていた。

 佐七が居酒屋だけは駄目だと言うと、おひでは拗ねた子供の言い草を口にしながら外に飛び出した。

 慶次郎達は心配して探すが判らず、吉次から、おひでが刺されて玄庵のとこへ運ばれていると知らせてきた。

 おひでは居酒屋で男に喧嘩を吹っかけ、自分が持っていた出刃包丁を渡し、刺せるものなら刺してみろと、自分から倒れ込んだらしいとのことだった。

 おひでは、佐七に馬鹿親爺と言って息を引き取った。

 野辺の送りを済ませた佐七は、一人で生まれて初めて居酒屋に行き、その後も居酒屋を梯子した。

秋寂びて

 生まれた時から貧乏だったおひさは、若いとき、奉公していた吟味与力の家の娘・皐月の婚礼衣装を隠してしまったことがあった。美男の晃之助の妻になることが羨ましかったので嫌がらせに、貧乏からの妬みもあって、初めて過ちを犯した。

 その後数年経って、居酒屋で働いていたおひさを、乾物屋の善助が見初めて一緒になった。

 善助は酒屋を開いたが失敗し、今はおひさが酒問屋に通い女中として働いて暮らしを立てていた。

 酒問屋の内儀は、庭の楓を愛でて、この明るい赤い色も秋が深まるにつれて何か侘しげな色に見えてくるんだと、福の神に守られているように思える人だった。

 それにひきかえ、おひさは、自分が貧乏神を背負っているので、善助まで貧乏をさせていると言うと、善助は文句言ってもしょうがない、貧乏神に根気よく付き合えばと言う。おひさは、その善助を思えば一層切なくなっていた。

 そんな気持から、善助が使えるような物やら米などを酒問屋から少しづつ盗んでいった。

 そして、主人の着古した結城紬を盗んだときに、とうとう内儀に見つかり、晃之助が駆けつけた。

 亭主にまで貧乏神が手を出すからと言うと、晃之助はおひさに、福の神が行きたくても盗んででも幸せになりたいと思うから福の神が逃げるんだ。何事も望みを捨てないことだと言う。

豊国の息子

 勘当されていた直次郎は、絵師の父・歌川豊国の死に目に会えず4年ぶりに江戸に戻り、真っ先に、昔世話になった八丁堀の晃之助を訪ねた。

 直次郎は偉大な父の、そして晃之助も養父の存在の重圧を感じた日々があった。

 直次郎は父から丁稚以下の厳しい扱いをされ、母からは父を越えろと言われるので終いには、ぐれて勘当になった。

 晃之助も婿養子に入ってから、慶次郎の後が継げるのだろうかと悩み、実の両親に心配をかけないようにと思い周囲の目にも気を遣い、慶次郎の評判を傷つけまいとする自分の気持で始終疲れていた時代があった。

 二人が若いある日、直次郎が修業している彫師のところで彫師と父の言葉の行き違いから側にいた直次郎が父を刺した。

 そこへ晃之助が来て、お上に面倒をかけるなと言って帰ろうとしたとき、慶次郎が来て、彫師から事情を聴いた上で、何も聞かなかったことにしておこうと言った。

 なぜか、晃之助は父に罪を見逃すのはおかしいと言った。それに対して、慶次郎は、ここは俺の顔を立ててくれと言って終わらした。

 直次郎には晃之助の気持がよく判っており、4年間、すまなかったと心に残っていたのだ。二人は遅い時刻を気にしないで外へ飲みに出た。

風のいたずら

 山口屋の番頭が慶次郎を訪ねて来て、かって山口屋の女中をしていて今は古手問屋の内儀・おそでの事を相談した。

 おそでが石段から突き落とされたり、材木の下敷きになりかけたのだが、その時は必ず同じ山口屋に奉公していた半年先輩のお梶という女が一緒にいたというのだ。また、お梶は、今はおそでの紹介で同じ古手問屋の下田屋に奉公しているとのことだ。

 二人が山口屋で奉公していたとき、先輩のお梶が胸のうちはともかく表面ではおそでを何かと世話したり庇ってやったりしていたが、おそでが初々しい娘に成長し、男達からの目もおそでに向い、何かにつけてお梶を追い越した。そして、今は、おそでは所帯を持って問屋の内儀になっている。それがとてもお梶は妬ましかった。

 慶次郎は帳付けとして下田屋に入り、調べたところ、本人の口からお梶の仕業ということが解かった。

 お梶は袂に石を入れて大川に飛び込もうとしたが慶次郎に助けられた。お梶は、おそでに悪さして、いい気味だという気持で暮らしてきたが、反面、そんな自分が情けなく、私への風向きは変わりそうにないし、おそでと縁が切れない一生が厭だったのだと言う。

 慶次郎は、誰だって仏のままで生きられない、誰の胸のうちにだって夜叉は住んでいるのさ、風向きなんて風のいたずらだ、直ぐに変わるさと言う。そして、お梶の袂から石を落としてやり、涙を拭けと手拭いを渡した。

騙し騙され 1 空騒ぎ

 乾物商を営んでいた身寄りの無い次郎左衛門は、のんびり余生を過ごしたいと、女中一人をつけて毎月二両を生涯支払ってもらうことを条件に番頭に店を譲った。

 ところが、その番頭が五年後に急死して、支払いが滞ったので催促に行ったら、女房と倅が借金は返済した、生涯支払うことなど父から聞いてないと言われた。

 そんな時に、昔、店に出入りしていた油売りの林蔵から、店の借金が増えて利子で親子が首をくくるよりほかないのだと言われ、なけなしの金を貸した。

 しかし、こちらも娘が居留守を使ったり、親のことは知らないと全く払ってくれない。

 子供らに厳しく催促すると、回りの人はお前は薄情者だと言われ悪者扱いされる。それだったらと、自分から道を踏み外し追剥をして、私は悪くない悪いのは借金を払わない者だと喚いてやると、外へ出て浪人風の男に出刃包丁を突きつけて金を強請った。

 翌日、よくよく考えたら、追剥をしたことで罪になるのは自分だけで、借金している者は関係ないのだ、自分の独り相撲の空騒ぎだと、次郎左衛門は自身番屋に自首した。

 そこには、金を強請られた晃之助がいた。晃之助は利息無しで貸したのだから林蔵の真似をしないで返してくれよと言った。

騙し騙され 2 恵方詣り

 山口屋の内儀の紹介で、呉服の行商をしている代助に、慶次郎は自分と佐七の結城紬の着物を作らせることになった。しかし、金を払ったのに、なかなか仕上がらず、年を越してしまった。

 正月5日になって、慶次郎が留守のとき、仕立物が代理の者から届けられたが、中身が無く、佐七は代助の家に行き文句を言うと、代理の男とぐるになって強請りをするのかと反対に岡っ引に自身番屋に連れて行かれた。

 慶次郎がその話を聞いて代助の家を尋ねたらもぬけの殻だった。

 佐七は、代助を捕まえても着物は戻ってこないので、逃がしたままにしておいて、あいつは騙りだ、俺は騙りだと思って暮らしてもらうほうが、じっくりと辛さを味合わせることになるだろうと言う。

 慶次郎は、着物の変わりに新しい足袋を履くことでもいい年になるだろうから、それで恵方詣りにでも行こうと佐七の分も買って帰り、佐七に渡した。

不惑

 醤油問屋の大番頭・仁兵衛が、いっもより早く帰宅すると、妻のおきわは子供を寝かしつけていて出迎えず、仁兵衛は面白くなくて店で泊まるかもと家を出て中宿に向った。

 11歳のときに奉公に入り、運よく40歳の春に大番頭になった。その間、女遊びは無論のこと博打にも手を出さず、好きになった女とも手を切って、お店大事と色々と気を遣い真面目に働いた。

 先日、主人から、もうそろそろと言われた。内儀の弟が40歳になったので大番頭に上げようとしているのだと思った。

 仁兵衛は大番頭になって一年しか経ってなく、すくなくともあと三四年は続けられるだろうと思っていた。倅もまだ六歳だし先々のことを考えたらどうしたらよいか頭の中が真っ白になっていた。

 仁兵衛は店の銭箱にあった27両を懐に入れて吉原に向ったが、吾に返って隅田川の波打ち際に座り込んでいた。そこを辰吉親分に助けられた。

騙し騙され 3 女心

 「花ごろも」で男と一緒に部屋に籠っていた客・お幾は、内儀のお登世の幼馴染みだった。

 その後数日して、お幾のところに吉次という岡っ引が来て、藍玉問屋の主人・又次郎との密会を知られたくなかったらと5両も取られた。お幾は、二年間何も無かったのに、お登世が誰かに喋ったからだと言い張った。

 お登世は不審に思って啓次郎に調べてもらったら、昔、又次郎の家にいた梅吉が、又次郎に頼まれ吉次の名を騙って強請ったことが解かった。

 又次郎は女遊びを覚え、仕入れの金も使うようになり、お幾のほかに何人もの女に同じ手口で店のほうにも岡っ引が来たとか言って、金を工面していたとのことだった。

 お登世が、お幾にこの事を話すと、又次郎に騙されていたことは知っていながら、そんなことは無いと聞き入れず、最後にやっと、諦めきれなかったの、惚れているのだと言った。

あと一歩

 縄暖簾をくぐった慶次郎は、そこで、かって盗みをしていた植木屋の岩松と出会った。

 値段の割りに上等の酒を出す店に、慶次郎は不審を抱き、岩松に口を割らす。主人は空巣を生業にしていた九兵衛ということが分かった。

 慶次郎は山口屋に行き、樽の酒が減っていたことは無かったかと尋ねると、番頭が、一時期そんな事があったと答えた。重ねて慶次郎は、その前後に辞めた者がいなかったかと問うと、番頭は万七という年を食った手代が辞めたと言った。生まれ故郷は九兵衛と同じだった。

 万七が手代になったのは24歳でひどく遅れていた。35歳になっても後輩に追い越されて番頭になれずに店を辞めたとのことだ。

 万七は、そんなときに、九兵衛に会った。九兵衛からなかなか奉公できない大店で番頭まで後一歩だったのではないか、もう少し辛抱していればと言われながらも、万七は、一心不乱に働いたことを認めてくれなかったことが腹立たしくて、山口屋に痛い思いをさせたくて酒を盗んだのだった。

 

 

 

 

                                                                                                                                                 

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ようやくの年賀状!

2010-12-18 13:35:57 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                                              

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 ようやく年賀状の裏面が出来た。あとは印刷だけだからもう出来たようなものだ。

 十数年ぶりに「Word」で作ってみた。今までは、ずーと「筆ぐるめ」で作っていた。

 ついでだが、その前はワープロだったので画像まで手で書いたりと大変だった。

 上の段の左が私が出す裏面で、右が妻が出すものだ。

 下の段は孫に出すもので、右から高校生、幼稚園、小学高学年の孫へといったところだ。

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