T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

彼岸の中日!

2008-09-23 16:32:56 | 日記・エッセイ・コラム

今日はお彼岸の中日。インターネットで「お彼岸とは」と調べたが、日本独特の行事で、春分の日や秋分の日の前後七日間を言い、お墓参りに行く期間だと出ているぐらいで、納得のいく答えを見ることができなかった。

毎年、彼岸の入りの前後にお墓参りに行くのに、今年は、今日の中日に何とか時間を見つけてやっと行くことができた。

彼岸の入りの数日は13号台風の雨で、どうすることも出来ず、20日に従兄弟が死亡して22日葬儀、といったことで、ようやく今日の日となった。

余談になるが、従兄弟の配偶者も7年前の秋の彼岸の中日に死亡しているので、宇宙というか世の中の不思議な縁を感じる。

お盆にお墓の除草をしたのに、もうと言いたいぐらい小さい草が多く生えていて、良い汗をかいた。

葬儀、お墓掃除と疲れたので、久し振りに近くの温泉(大きな銭湯)に行き、のんびりした時間を過ごした。

効果が出たか明後日(年をとると明後日ぐらいにピークが来るとか)が楽しみだ。

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社会に感謝!

2008-09-15 10:37:05 | 日記・エッセイ・コラム

Akinotuki002

数日前、十五夜ではなかったが、雲らしいものは全く無く、あまりにも夜空が綺麗だったので、露出時間等、適当にセットして撮ってみた。全く写真になっていない。

昨夜は十五夜だったので、月を撮りたいと思っていたが、小説を読んだりテレビを見ることに時間を取られたりして、撮影の準備も撮影もできなかった。

実際は、三脚をつけたりするのも面倒だが、撮影方法を十分に頭に入れていないので、それの復習に時間がかかることが原因の大半で、それができなかった事です。

今日あたり、十分、基本から復習して自分のデジカメの機能を中心にメモっておこうと思う。

今日は敬老の日、式典会場に行き記念品を貰ってきた。中に小学生の手紙が入っていて宛名に「おじいさん、おばあさんへ」となっていた。

孫から「おじいさん」と言われるのはどうも感じないが、他人の児童からでも「おじいさん」と言われるのは嫌ではないが変な気がする。まだ「おじさん」と言ってもらいたいが、何時になったら当たり前に感じるようになるのだろう。十年後の88歳になったらどうだろうか。

こうやって元気に車で記念品を貰いに行き、ブログできる健康と、敬老を祝ってくれる社会に感謝。感謝。

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感じたこと!

2008-09-08 18:01:06 | 日記・エッセイ・コラム

大嶽部屋の親方の言葉に、何かおかしいものを感じた。

相撲協会が専門機関に依頼した弟子の大麻検査に弁護士を立てて異議を唱え、弟子の言葉を信ずるとしたことは、全く非常識の限りで、自分が属している協会の科学的証拠のある報告に反論し、確証の無い弟子の言い分だけを信じるということは、部屋を守りたい、自分の財産を守りたいということから出ていると言われても仕方ないと思う。

普通の常識であれば、弟子を説得するほうに回るものだと思う。遣っていないと言っても通らない話だということを。

藤沢周平の短編に「幻にあらず」というものがあり、二三日前に読み終わった。

読み終わって感じたことは福田総理は総理の資格の無い人間だったのだと思ったことだ。いい過ぎだとすれば始めから本人は腰掛のつもりだったのではないかと思う。

「幻にあらず」は米沢藩の藩政改革の話で、優秀な家老が藩主と一緒になって大倹令の発令などで数十年にわたって改革していくのだが、家老は数十年後に辞めたいと申し出た。理由は疲れたとのこと。

藩主は「わしは、途中で投げ出すわけにいかず、それは立場上許されないことだ。」といったところで小説は終わっている。

総理たる人は、泥水をすすっても、我慢し自分を捨てても困難な国政を乗り切る覚悟がなくてはならないと思う。

それに反して、「私は貴方と違うとか、他の人がやったほうが上手くいく。」とか訳の分らない事をいう人は総理どころか政治家の資格も無いように思う。

社会生活の中での、身の処し方や考えに大いに勉強になることを感じた二三日であった。

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完全な秋!

2008-09-05 14:16:28 | 日記・エッセイ・コラム

Sanpomiti052

この季節になると、散歩道のあちこちの畠の隅に綺麗な菊の花が咲いている。

昨夜、初めて家の周りで虫が鳴いている音に気付いた。数日前から鳴いていたのに気付かなかったのかもしれないが、残暑はまだ残っていても、完全に秋になったのだ思った。

九月は何かと行事が多い月である。15日は敬老の日で、今日招待状をいただいた。下旬にはお彼岸で、又お墓参りに行かなければならない。(数年前までは敬老の日の行事にボランティアにも行っていた。)今年は法要が一つある。10月上旬には清掃のボランティアがある。

何か忙しい月だと感じているのに、無責任な総理のお陰で九月末の解散の声も聞こえてくる。信頼できる政党は無いので白票でもと思いたくなる。

国民目線の政治とか何とかいっていたが、政治家ぐらい信用できない人はいないと思っていたことに確信が持てた。とにかくまず自分のことしか考えてない人の代表は政治家だろうと思う。落選したら只の人以下だから無理も無いことだ。

政治家ではなくても、年寄りになっていくと体力的なこともあって、だんだん、まず自分のことから考えるようになるのだが、少しは周りの人のことも考えながらの生活の中で、読書の秋を楽しみたいと思う。

今までに藤沢周平の本を多く読んだので、次は同じ時代物でもあまり読んだことが無い山本周五郎のものをと考え、まず「栄花物語」(徳川中期の田沼家老の物語)を読む予定にしている。

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