山本兼一氏の歴史小説で直木賞受賞作品。
裏表紙には「女のものと思われる緑釉の香合を肌身離さずもつ男・千利休は、おのれの美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、天下一の茶頭へと昇り詰めていく。しかし、その鋭さゆえに秀吉に疎まれ、切腹を命ぜられる。利休の研ぎ澄まされた感性、艶やかで気迫に満ちた人生を生み出した恋とは、どのようなものだったのか。思いがけない手法で利休伝説のベールが剥がされていく長編歴史小説。」と書かれている。
各短編は、主人公と時と場所を設定して標題を付け、しかも時の川を遡っていく記述手法は珍しいと思った。そのせいもあったし、心の動きの抽象的表現もあって、すぐに、再読したくなり、今度は終りの編からじっくりと読んでいった。
再読後、タイトルの「利休にたずねよ」のとおり、なぜ、利休ほどの人が秀吉の世の中で留まっておれなかったのか、また早世した異人の女性は仏壇の中において後妻の宗恩を真から愛することができなかったのか、利休には凡人の時間への切り替えができなかったのだろうかと、色々と謎を残してくれた作品だった。
私が感じ入った部分だけを、時の流れに沿った普通の形に戻して以下に抽出記述してみた。
〇恋(利休、利休19歳、堺の浜)
うずくような恋を知ったのは12の時だった。その後いろんな女と遊び幾つもの恋をし、その放蕩ぶりは父を悩ました。しかし、17の時に茶の湯の修業を始め、女より茶の道具のほうがよほど気高く美しいと感じた。
そんな環境の中で、父親が納屋に預かっていた武将の注文で買い求めた高麗の高貴な生まれの女に、新鮮な驚きを感じ味わったことのない恋におちた。
なんとかして助けて高麗に一緒に逃げようと考え、女を連れ出すと納屋の前に木槿の白い花が咲いていて女が立ち止まったので、一枝切り取って渡し、浜の小屋まで逃げた。
しかし、侍達に見つかり逃げることができないと観念して、心中を覚悟し、茶を点てて毒を入れた茶をまず女に与えた。女は小さく微笑んで飲んだ。次いで自分の茶を飲もうとしたが、手が震えてこぼしてしまい、どうしても口までもっていけずに飲むことがかなわず女に覆いかぶさり号泣した。
その後、女の小指の桜色の爪があまりにも美しかったので喰いちぎり、女が持っていた緑釉の小壺に収めて懐に閉った。
〇もう一人の女(たえ、利休34歳、堺の浜)
利休には、二人の妾が居た。
内室のたえは昨夜も帰ってこなかったので、近頃よく通っている妾の宗恩の家に出かけた。利休は夜明け前に帰ったと言い、もう一人の妾にも連絡を取ったら、その本人が来て最近は見えないと言った。
しかし、もしかして、今は6月で木槿が咲いているだろうから、浜の納屋ではないかと言うと、宗恩も相槌を打った。たえは自分だけが知らない打ちひしがれた気持で二人について行った。
道すがらの三人の女の利休評で一致したことは、美しいものを愛でるとき、尋常でない情熱を発揮するということだった。
予想した浜の納屋の中に背を向けた利休が一人居て、前には白い花が咲いた木槿の一枝と薄茶が点てられた高麗茶碗が置いてあった。たえには、呟いている利休の言葉は、そこに座っている幻の女を口説いているように聞こえた。
◎待つ(利休、切腹の9年前、山崎の待庵)
自然な成り行きとして、越前の勝家との対立が深まった。雪が降れば勝家は越前を出てこれないので、冬を待って信孝のいる岐阜城を攻めるつもりだが、秀吉はこの冬が待てずにしびれを切らして苛立っていた。
利休は光秀との戦いのあった山崎の天王山の高台に茶室を建てて、待庵と名付けた。
利休は、宗恩に、上様に心静かに大切なときを待っていただけるために拵えたものだと説明した。
秀吉を招いた。まず竹の筒から竹の盃に酒をついだ。そのあと、秀吉の難しい顔を見て料理の予定を変更し、料理人にあれを出せと命じた。
秀吉の前に出したのは、秋の終りなのに、春の筍の焼き物を出した。竹薮の陽だまりに黒く染めた筵を覆って地中を早く温めて春と間違えた筍を使ったのだ。
利休は、秀吉に時は思いもよらぬ早さで駆け巡っております、お心ゆるりとお待ちなさいませと言う。
秀吉は酒を飲み飯もお変わりをして、人眠りするかと言いながら、お前は筍を騙すとは、極め付きの悪党だと言った。
〇白い手(あめや長次郎、切腹の6年前、堀川一条)
聚楽第の飾り瓦を焼いていた長次郎は、明国から渡って来た父から教わったわけではないが、飴色の釉薬でいろんな色を出していた。
利休が、その長次郎に茶碗を焼いてくれと懇願した。焼いてもらいたいのは、轆轤を使わないで、手の姿、指の形にしっくり馴染むものだと言う。
長次郎はほんまの数寄者と見て、気分転換の気持で承知した。
出来た茶碗を見て、利休はあざといと言う。
奥が深いことを知って苦心する長次郎に、利休は懐から緑釉の小壺を出して、中から瑞々しい潤いのある桜色の女の小指の爪を見せて、この白い指が持ってもおかしくない気品があるものを作ってくれと言う。
長次郎は、命は美しい指にあると、白い手の姿だけを思い浮かべて作陶し、利休がお礼を述べるほどの茶碗ができた。
長次郎があの爪はとの問いに、利休は天女かと思うほどの美しさをもった想い人の爪で、この人に茶を飲ませたい、その一心で茶の湯に精進しているのですと答えた。
〇黄金の茶室(利休、切腹の5年前、京の内裏)
去年、秀吉は関白就任返礼として帝に小御所で茶を献じた。名物の茶道具を使っての茶の湯であったが、帝は驚いた顔を見せなかった。
不満な秀吉の問いに、利休は黄金の茶室はどうかと返事した。
利休は、畳以外は釜を含めすべて黄金で作り、畳は赤い猩々緋の羅紗で設えた。
利休は、鄙びた草庵の中にある艶やかさ、侘びたからびの中にある燃え立つ命の美しさを愛してきたのだと、この茶室に得心し、ここに、あの女を座らせたら白い肌が黄金と緋色に映えてさぞや美しかろうと思った。それは、この茶室を思いついた時から利休の脳裏にあった光景だった。
秀吉から、このような茶室を如何にして勘考したか、お前ほど欲と色が強い男は他にいないような気がすると問われ、恥ずかしい限りだと平伏すると、秀吉は慢心するでないぞと言う。
利休には、いつまでも秀吉の言葉が耳に粘りついていた。
〇ふすべ茶の湯(秀吉、切腹の4年前、筑前の箱崎松原)
利休の設える茶の席に座ると、どういうわけか、そこはかとない生の歓びが静かにこみ上げてくる。また、茶席は自然でありながら、つい吸い寄せられるだけの色香さえ漂っている。秀吉は、いったいどのような人生を送れば利休の茶の湯が生まれるのか不思議でならなかった。
秀吉は、利休に、変わった趣向で茶を飲ませよと命じた。
利休は、松林の中に毛氈を広げ虎の皮を敷き、松の枝に鎖をかけて釜を吊り、その下に石を置いて松葉を燃やし、薄茶を出した。
茶が済んだ後、利休は緑釉の小壺の中から香を出して燃え残りの松葉に入れた。
秀吉は、目についた緑釉の小壺を取り上げてお前の望みのままの金でわしに売れと言ったのだが、茶の心を教えてくれた恩義ある方の形見だと言って、頭を縦に振らなかった。
秀吉がいくら問いかけても、利休は頑なに頭を下げたまま、じっと体をこわばらせているばかりだった。
〇北野大茶会(利休、切腹の4年前、北野天満宮)
天満宮の松林におびただしい数の茶席が並んでいて、利休も、これも一つの茶の湯の姿であろうと感心した。
秀吉も天満宮の拝殿に黄金の茶室を組み立てその両側にも茶室を設けた。
茶室ともいえない茶室もあり、秀吉からの人は何故かくまで茶に魅せられるのかの問いに、利休は、茶が人を殺すからだと答える。茶の湯には人を殺してもなお手にしたいほどの美しさ麗しさがある、それは道具だけでなくお点前の所作にも、その美しさを見ることができると言う。
もう一つ尋ねたいことがある。お前はよく、詫びの寂びのと口にするが、正反対に内には熱い何かがたぎって、艶めいて華やかで何か狂おしい恋でも秘めておるような感じがすると秀吉に言われ、利休は、未熟なわが身、更なる詫び三昧の境地を求め精進をといいながら、遠い昔に出会ったあの女が今でもおのれの内で息をしているのをはっきりと感じた。
〇三毒の焔(古渓宗陳、切腹の3年前、聚楽第利休屋敷)
人の世には、むさぼり、いかり、おろかさの三毒が燃え盛っているといわれるが、宗陳は秀吉の怒りによって明日九州に追放になる。
その宗陳は言う。秀吉はむさぼりの心が皮を纏い着物を着ているようなものだ。秀吉のむさぼりには卑しさが漂っている。同じむさぼりの焔でも信長のそれは求道的な色合いがある。
欲が深いといえば、利休ほど欲の深い男はいるまい。しかし、利休が求めているのは茶の湯の美しさ、といっても毒に変わりはないが、利休には品性がある。しかし、品性もうわべの見かけに過ぎず、欲は欲だ。
利休に、その毒について尋ねると、毒があればこそ生きる力が湧いてくる、その毒を志まで高め愚かなまでに励めば如何でしょうかと言う。毒の焔を高い次元に昇華させることになると言う。
宗陳の頭に、利休の心の底に燃えるむさぼりの毒はなんだろうとの疑問が残った。
◎野菊(秀吉、切腹の前年、聚楽第)
いつも取り澄まし落着き払った利休が、慌てて狼狽する顔を見れば面白かろうと、秀吉は思っていた。
秀吉の家来の多くが利休を美の権化のように崇拝している。秀吉はそれが気にくわない。人々から崇められる男は天下にただ一人、この関白秀吉だけでよいのである。
ある日、黒田官兵衛にお前の知恵でもって茶の湯の席で利休に一泡吹かせてやってくれという。
官兵衛は天目茶碗の中に野菊の一花を入れておいた。
利休は茶室に入って手前に取り掛かった。茶碗の中の菊の花に驚くこともなく普段の所作の中でその花を床の畳の上に置き、全て自然体の所作をしていく。道具の片付けが終わった時点で野菊の花を床の隅に置いた。
陰で見ていた秀吉はむかむかと腹が立ち機嫌が悪くなっていった。
茶の湯が嫌いだった官兵衛は臨機応変の茶の湯が気に入り、以後、利休に手ほどきをしてもらうことにしたとのことに、秀吉は敗北感さえ感じた。
〇ことしかぎりの(宗恩、切腹3ケ月前、京の利休屋敷)
利休は薄情で傲慢な人だと宗恩は思っている。しかし、傲慢な男が決して嫌いではない。秀でた男とはそうしたもので、はち切れんばかりの自負を持たなければならない。ただ、傲慢の中にも、妻を慈しむ心ばせを持って欲しい。そう望むのは女としていたって自然な情ではないだろうかと思う。
利休は老いて益々猛々しい精をみなぎらせているが、道具として愛玩されているような気がする。女としては、それでも愛される歓びはある。
しかし、本当に愛されているのか疑問が残っていて、宗恩は、貴方の妻にはもっと相応しいお方がおいでのような気がすると、ただ、そこまでしか言えなかった。
利休の才気は身震いするほど素晴らしい。茶の湯者としての美意識は、まさに天下第一等に違いない。
しかし、夫となると話はいささか違い、利休の神経がいつもむき出しになっているのを感じ、宗恩は息苦しくなり、家の中のしつらえには事の他心を砕いたし、料理の盛り方や入れ物の置き方についても心をすり減らしている。利休は何も言わないが、眉の辺りがくもり眉間に皺がよる、そのときは死にたい気持にもなるのだ。
宗恩は正式に妻に迎えられる時に私でよいのかとの問うたが、利休はお前ほどわしの心にかなう女は居ないと言われた。
しかし、いつまでも、利休が本当に惚れた女がどこかに別にいるはずだと、女の勘が宗恩に囁いていた。
〇うたかた(利休、切腹2ケ月前、京の利休屋敷)
茶の湯の真髄は、山里の雪間に芽吹いた草の命の輝きにあり、椿の蕾が秘めた命の強さにある。その明るさと強靭な生命力にこそ賞玩すべき美の源泉がある。利休自身は何とかそれを形にしようと努めてきたし、天下一の茶頭として世に知られるようになった。その点はいくら誇っても良い。
しかし、空しさが付きまとう。そんなものはうたかただと思ったが、これまでの人生の道のりを振り返ってみると別の道を選ばなかった後悔ばかりだ。
利休には頭を離れない悔悟の念があり、闇の褥で七転八倒してしまうことが度々ある。19の時の高麗の女を服毒させたことだ。上手く逃げていたら、あの毅然とした畏怖さえ感じる美しかった女と高麗で商人になっていたかもしれない。最近は、ますます悔いの思いは深まるばかりで、そのうたかたは執拗に沸きあがってははじけ心を蝕む。
気がつけば夜が明け始めていた。茶を点てようと炭小屋に行くと、前妻との間にできた娘が首を吊って死んでいた。
10年以上前に嫁ついでいたが子供ができず、側女に男の子ができて婚家に帰りたくないと実家にいたのだ。
宗恩は、娘がうつ状態なので婚家とも相談してくれと利休に話していたが、利休は多忙で忘れていた。
婚家から番頭を使いにして葬儀は実家でやってくれと言ってきた。以後、関わりを持ちたくない気持ちでもあった。
湯灌を済ませた娘に、薄茶を点ててやり、天目茶碗を枕元に運び、水仙の一輪で唇に茶の滴をしたたらせてやった。
◎木守(家康、切腹1ヶ月前、京の利休屋敷)
伊達政宗に謀反の嫌疑がかかっており、政宗をとりなした家康も同心と見られいるそんな時に上洛した家康は、留守の秀吉から接待を命ぜられていた利休の朝の茶に招かれていた。
茶室に通じる露地の静かさは、茶に毒を盛られるかもしれないとの家康の警戒心をゆるゆるとほぐしてくれた。
利休ほど気のきいた茶頭はいるまい。しかし、聡すぎはしまいか、聡い男は重宝されても嫌われる。ちょっとくらい隙を見せれば好かれるものだ。
利休のもてなしで癒された気持になった。だが、利休は人などに使われる男ではない。ただ、おのが茶の湯の世界を無心に追い求めている。客さえも実は茶の湯の席の点景でしかないかもしれない。
家康が、この茶碗の銘はと聞くと、木守といい、その由来は長次郎が幾つか焼いた中から弟子に好きなものを選ばせて最後に残ったものを、例の最後の柿の実からとったのだと言う。
家康は、この男は稀代の騙りだと妙に感心し、聚楽第の居心地が悪ければ、いつでも江戸に来るがよい、知恵袋として万石でも取らせるぞと言う。
〇ひょうげもの也(古田織部、切腹24日前、京の織部屋敷)
織部の師の利休は秀吉の勘気をこうむり、悪くすれば死を賜ることになるだろう。そう思う織部がいくら頭を下げても、あ奴の話など聞きとうないと言う。
あまり執拗に懇願してはと退出の挨拶をしようとすると、秀吉が利休の緑釉の香合が欲しい、利休は一服の茶を満足に喫するためなら死をも厭わぬしぶとさがあるので、来歴でも聞き出せばお前の手柄にすると言われた。
織部は利休に来宅の使いを出した。
織部が作った香合をひょうげものだといって褒めたりして四方山話をしていく中で、高麗の焼き物の話になり、織部がお師匠様と言ったとたん、あなただけに明かすが内緒にしてほしいと言って緑釉の香合を懐から出して畳の上におき、古い時代の新羅のもので、私の想い人の形見のものだと言う。
そして、誰にも渡すつもりはなく、手放すぐらいならいっそ粉々に砕いてしまいたいが、そんな事が出来るならとうにしておったわと、利休は膝の上で香合を撫ぜながら言うのだった。
◎大徳寺破却(宗陳、追放の前日、大徳寺の方丈)
宗陳は利休と三十年来の友人でもある。利休からの使いが遺言状を持ってきた。その中に、堺の屋敷を閉門せよと宗恩に命じていると書かれており、そこまで秀吉を嫌っておったのかと思った。
その宗陳が、利休は秀吉の前で慇懃だが、内心軽蔑していることが態度の端々に現れている。また珍しく一徹な男で、美に関することならば、ごうも自分を曲げないし、誰にもおもねらない。老いても常に新しい美しさを求め、気迫に満ち満ちていると見ていた。
そんな時、大徳寺破却の命が秀吉から下りて、家康や利家が使いできているとの連絡があった。宗陳はその場に急いだ。
住持が破却中止を懇願する中で、山門上にある利休の木造の話から、利休を殺すのは欲しい、秀吉は利休の頑なさ傲慢ぶりを詫びさせたいのだが、利休が相手だからそれもならないと話していて、宗陳が結論めいたことを言った。
利休は、さらりと天に遊び、真に美しいものだけを見つめておられる、雲水の修行をした禅坊主も成し得ないことだと言う。
〇知るも知らぬも(細川忠興、切腹15日前、細川屋敷)
忠興と織部は、秀吉から追放の沙汰を受け、咎人の扱いで堺に下る利休を淀の船着場で見送った。
忠興や織部はもとより、利休の弟子の多くの武将が助命工作をしたが、どうともならず今日の追放となった。
ガラシャとの閨の間で、忠興はガラシャに利休をどう思うと尋ねると、ガラシャは初対面の時から何かに怯えていらっしゃるようだったと言う。
利休の傲慢不遜の陰には美の崇高さへの怯えがあったのか。あそこまで繊細に執拗に美にこだわり続けてきたのは、自負や傲慢からでなく、ひたすら怯えていたのか。
では何故かと重ねて尋ねると、ガラシャは、男は好きな女子に嫌われたくないとか……と言う。
◎おごりをきわめ(秀吉、切腹前日、聚楽第)
明日、あ奴に腹を切らせよ。もし、謝るなら許してやれと秀吉は命じた。
しかし、天下人秀吉の喉の奥に刺さって取れなかった小骨がやっと取れる。もう逆らう者はただの一人も居なくなった。あの男、物腰は慇懃だが、内心わしを侮辱しているのは明々白々。心の根に秘めた傲慢が許しがたい。
利休は類希なる美的感覚を持っており、なぜ、美の感性に絶対の自負を持っているのか。なぜ、一碗の茶に、あそこまで静謐な気韻を込めることができるのか。そして、なぜ、茶の湯の道に執着できるのか。
一度尋ねてみればよかったと秀吉は思うのだった。
〇死を賜る(利休、切腹の朝、聚楽第利休屋敷)
女と黄金にしか興味のない下司で傲慢な男が、天下人となった。秀吉は何でも自分の権勢で動かせると思い込んでいる。
利休は、もっと、美というものの力の恐るべき深遠を見せ付けてやりたかったと言う。
利休は、愛していた妻に申し訳ない気持の中、一畳半の茶室で、若くに服毒させた生涯愛した女の小指の骨と爪を香合から出して、窯の火の中に入れて、貴女の葬式をしようと最後の別れをした。
〇夢のあとさき(宗恩、切腹の日、聚楽第利休屋敷)
お経が済んで仏間から出てきた宗恩は、何が悲しいのかとふと想った。
夫が死を賜るのが悲しくないはずがない。しかし、もっと別の悔しさが宗恩の胸の奥に渦巻いている。
夫との暮らしは満ち足りていた。あんな良い夫は他に居ないと思う。それでも心が痛み悶えてならない。夫には、ずっと想い女がいた。悔しいのは、その女が生きている人でないのに、心の奥でずっと想っていた女、あの緑釉の香合を持っていた女だ。しかし、そんな嫉妬も直ぐに詮無いものになってしまう。
子供が利休の切腹による死を知らせてきた。用意していた白の練り絹の小袖を手に一畳半の茶室に向った。利休にその小袖をかけると白い布に鮮血の赤が広がった。
夫はなぜ腹を切らねばならなかったのか、なぜ死を賜わらなければならなかったのか、解からないが、はっきりと判っていることが一つある。それは口惜しいことだ。
宗恩は床にあった緑釉の香合を手にとって夫好みの石灯篭に向って投げつけた。香合は粉々に砕けた。