T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1623話 [ 「ファーストラブ」のあらすじ 10/? ] 2/28・木曜(雨・曇)

2019-02-27 13:55:30 | 読書

 『「ファーストラブ」のあらすじ

 第九章 殺意の否認

[環菜に、小泉裕二に会ってきたことを話す]

 私は、面会室の環菜に、「手紙を書いたけど、小泉さんに会ってきました。彼なりに環菜さんの様子は気にしていたが、自分の社会的な立場だったり、家庭のことを考えての判断でしょう。面会に来ることはできないそうです」と告げた。

『裕二君、結婚しているんですか?』

「ええ」

『え、だって、あんなことした人が普通の女の人と付き合って結婚するとか意味がわからない。おかしくないですか?』

 徐々に語気を荒げる環菜に、私は問いかけた。

「環菜さん。あなた、本当はわかってるのね。小泉さんとのことは初恋なんかじゃないって」

 彼女は表情をなくすと、『なんだったんだろ』と呟いた。

「どうして自分の心の声を聞いてあげないの?」

『自分』、と頼りない声で問い返される。

「あなたがされたことは正しいことだったと思う?」

『正しい、かは分からないけど、同意した私にも責任はあると思います』

「あなた、彼が一緒に布団に入ろうって言ってきたとき、本当にそうしたかった? 夜中の密室で小学生の女の子が大人の男性からそう言われて、たとえ嫌でも断れたと思う?」

『でも、嫌、ではなかったと思うし、それに最後まではしないって』

「それはあなたが拒否したから? それで彼がちゃんと納得してやめてくれたの?」

 環菜は混乱し始めたのか、指の爪を噛みながら、向こうが、と呟いた。

『向こうから、やっぱり止めようって。やばいからって』

それはあなたの体や心を気遣ったというよりは、彼の自己保身のように私は感じる。あなたが本当に肉体関係を強要されたと訴えたかった相手は、賀川さんでもなければ他の大学の先輩でもなく、小泉さんだったんじゃない? 当時、誰かにその話を相談したことはある?」

 環菜の唇が震え出した。私は様子を見守った。

『ハワイから帰ったお母さんに一度だけ……家出した話になって、どこにいたんだって言われて、それで、助けてくれた人の家に行ったけど、ちょっとなんか変だったって言ったら』

「お母さんは、なんて?」

 環菜は一瞬だけ強く息をのむと

『まさかレイプされたんじゃないでしょうねって』と言った。

「それであんたはなんて?」

違うって。じゃ問題ないじゃないって言われて。なにが変だったのかって訊かれても、どんなことがあったか詳しくなんて言えないし。おまけに心配かけたからってお父さんに謝らされて、それでまた嫌になって、だったら裕二君のほうが優しいからいいってなって。でも、だんだん、最後までできない代わりに、口とかで、してって言われるようになって、私なんだか物みたいだなって。でも悲しくて泣いたら冷たくされるし、向うだってそういうことしたくて私と会ってるんだと思って。それなのに、結局、そういうことしてるから別れるってなって、ぜんぜんっ、私にも意味わからなくて。でも先生、裕二君だって私のこと少しは好きだから付き合ってたんですよね? 本当に全く気持ちがなかったら、男の人だってそんなこと

「愛情がなにか分かる? 私は、尊重と尊敬と信頼だと思ってる」

『私に、尊敬されるようなところがないから』

 当たり前のように言い切る環菜は、たしかに空っぽの人物のようだった。でも、そうさせてきたのはまわりの大人たちだということを私たちはもう知っている。

あなたはたしかに自分の父親を殺した。だけどその前に、あなたの心をたくさんの大人たちが殺した。あなたは嘘つきなんかじゃない。小泉さんにされたことを具体的に説明するなんて恥ずかしくてできないのは仕方ないことだし、お母さんの言葉によって、強姦されたと言うことでしか同情してもらえないし、被害者になれないと思ったんだと思う

 環菜はじっと黙ったまま涙を流していたが

『いっそ、無理やりされてたらって考えことはあります』、と打ち明けた。

「小泉さんとの交換日記はあなたが処分したの」

『日記なら。香子ちゃんが持ってるかも』

「その交換日記には、デッサン会に参加してた男性のことも書いてあったって小泉さんが証言してくれたけど、あなたはもう覚えてない?」

『それはたぶん、参加者じゃなくて、モデルの男の人のほうで』

「なにをされたの?」と私は訊いた。

『たしか、小5のときに、うちで忘年会してて。みんな酔ってて、その人がいきなり私に抱きついて来て、押し倒されて。でもみんな笑ってるから、嫌がっている自分がおかしいと思って』

「体を触られたりもした……?」

 環菜は自信のなさそうな口調で、もしかしたら……と呟いた。

 その光景を思い浮かべて不快を覚えた私は、環菜にあらためて問いかけた。

モデルをやめたときのことは覚えてる? それを言い出すのはだいぶ勇気が必要だったんじゃない? お母さんは、あなたがバイト代も出ないのに働きたくないって言ったって話していたけど」

 環菜の顔が奇妙に凍り付いた。

『バイト代とか、私、知らない』

「え?」、私は訊き返した。それから、モデルを止めたときのことをすぐに聞かなかったことを悔やんだ。

 香子の話を聞いたときにも(あらすじ4/?の第三章)不自然に感じたことだったのに。

「あなたがそう言って、モデルをさぼるようになったのて。違うの?」

あいつのほうから、やらなくていいって』

 無意識に父親をあいつと呼んだ環菜は、信じられないという目をした。

「どうして?」

 彼女はひどく苦しいことを打ち明けるように、浅く呼吸を繰り返した。

『最初は、ハワイの後で。腕に傷があるから、当分無理だった』

 今度は私が事実を前にして黙る番だった。

でも治ったら、また絵のモデルが始まって。見られて気持ちが悪くなると、自分でもわけわからなくなって、でも、そのおかげでまた休みになるから繰り返して、そのうちに傷の数が増えて消えなくなってきて、そしたら、もうモデルやらなくていいって』

 自傷癖のある相談者は決して少なくない。けれど、そんな理由は初めてだった。

 誰かに見てもらって異変に気付いてもらうためじゃなく、見られることから逃げるために。

 彼女が黙ってしまったために、看守が面会を打ち切ることを告げて環菜に近付いた。

 その瞬間、環菜が振り切るように手を強く振った。

 看守が驚いたように彼女の肩を押さえつけた。私はとっさにガラスに張り付いて、止めてください、と声を出した。

 強引に連れて行かれる環菜がせきを切ったように突然叫んだ。

『いうことなら全部聞いたのにっ、我慢したのに……どうして』

「環菜さんっ、あなたはやっと」

 と言いかけたところで双方、強制退出になった。

 私は拘置所で厳重注意を受けた。最後には、迦葉がやってきて、連れ出してくれた。

 拘置所の正面玄関を出て広すぎる道を歩きながら、「ごめん。ありがとう」と迦葉に礼を言って、「あの子、はじめて怒った」と、迦葉に顔を向けて告げた。そして、私は、「はじめて声をあげて、感情を見せた」と繰り返した。

 先ほど、環菜はひど過ぎると訴えた。それは彼女の話を聞いているときに私が最も怖さを感じた相手と同じ人、母親だった。

 バイト代も出ないのに働きたくないと言ってやめさせられた。

 母親がそう説明したことに対して、環菜は全く心当たりがない様子だった。

 虚言癖―—ー。

 それは本来誰に向けられるべき言葉だったのか。

「環菜さんのこと、動揺させてごめんなさい。もしかしたら前よりは自分のことを話せるようになるかもしれない。……」

 わかった、と迦葉はしっかり頷いた。あとは任せろ、とも。

 

[環菜は本当のことを迦葉に告げ、由紀の面会も終わる]

 クリニックのドアが開いた瞬間、室内の酸素がわずかに薄くなった気がした。

 私は、「こちらへどうぞ」と迦葉を診察室へ招き入れた。

殺すつもりはなかったって言い出した」

「環菜さんが」

 迦葉は頷くと、「私は本当のことを言ってもいいですか?」て聞かれたよ、と続けた。

「本当のこと」、と私は小声で呟いた。ようやくここまでたどり着いたことを実感しながら。

「ただ裁判ではキツイよな。今から主張変えると、やっぱり心証よくないしさ」

 と迦葉が本音を口にした。

「私は彼女を刺激しないほうがよかった……?」

 彼は不意に笑った。

「『私は本当は殺すつもりなんてなかった。殺人罪で訴えられるのは不当だ。』環菜ちゃんがそこまで強く主張するようになるとは思わなかったよ。たしかに結果は大事だ。だけど、たとえ刑期が多少短くなったところで、納得いかない理由を押しつけられた記憶や理不尽は死ぬまで残る。どちらが幸せかなんて言い切れないしさ。本人が納得いくようやるよ。ただ、もうあまり日がないから、裁判に集中するために、由紀の面会はここでストップしてもらって、あとは完全に俺たちに任せてくれるか」

「うん分かった」

       次章」に続く

 

 

 

 

 

 

 

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1622話 [ 「ファーストラブ」のあらすじ 9/? ] 2/27・水曜(曇)

2019-02-26 11:11:53 | 読書

 『「ファーストラブ」のあらすじ

 第八章 初恋の人

[信頼してた初恋の相手、小泉裕二]

 面会所に入りながら、裁判も近づき、あと何回ここに来るだろうと思った。それだのに、環菜は母親のことをあまり語らず自分が悪いといったことばかり言う態度に、終始している。

 私は、こちらだってプロだ、いつまでも好き勝手にことは言わせないと思いながら対応する。

「私からいくつか質問があります。あなたの腕の傷のことだけど、お母さんに自傷癖があることを打ち明けたことは?」

 環菜の顔色が変わった。

 振り払うような口調で、『いえ』と否定した。

 私が「どうして?」と訊く。

『どうしても、なにも。ていうか、何の話だか分かりません』

「じゃ、質問を変えます。デッサン会に来ていた五十嵐さんという人に、元彼の話をしていたそうだけど、その元彼って誰? フルネームはまだ覚えている?」

 さすがにびっくりしたようだったが、

『それは、12歳のときに付き合った人で』と、こちらからの質問に、『足を怪我したときにコンビニでアルバイトしてた大学生に助けられた』と少しづつ話し出した。

『………。 あんなに優しくされたことはなかったから。恋愛で一番いい思い出なんです、私の。………。三か月ほど付き合っていて裕二君と言います』 

 あとは、手紙に書きますと濁した。

 最後に、もうひとつ質問させて、

環菜さん、あんたは本当にお父さんを殺すつもりだったの?」

 数秒、数十秒、環菜は沈黙する。沈黙は退出の合図だった

 環菜からの手紙が意外にも三日後の職場に届いた。

【 真壁先生

  裕二君との話を書きます。私の初恋の相手で、はじめての彼でした

  ………。

  母が留守のとき、私は鍵をかけたまま、昼前まで寝てしまい、帰宅した父に

 もの凄く怒られ、耐え切れなくなった私は、財布だけ掴んで家を飛び出しました。

  ………。

  雪の降る中、転んでひざを擦りむきました。………。

  コンビニの店員さんが絆創膏を貼り終えるのを見ていました。

  たぶん私は、そのときには、もう彼を好きになっていたんだと思います。

  胸の名札に、小泉、と書かれていました。

  ………。

  あの晩の出来事が夢だったか現実だったか、今では私にもよく分かりません。

  狭いけど片付いた部屋で、甘いコーヒーを飲ませてもらったこと。

  布団が一つしかなくて一緒に寝ることになったこと。

  彼に、ぎゅってしたいって言われたから、付き合うならいいよ、と答えたこと。

  ………。

                    聖山 環菜 】

 手紙を読み終えた私は、パソコンで小泉裕二という名を検索した。

 しかし、ダメだったので迦葉に依頼した。

 迦葉は、本当のことが知れるなら、探してみる価値があると思うと言って了解した。そして、南羽さんが証拠として油絵を亭主っしてくれることになったと告げた。

 1週間もしないうちに、迦葉から、小泉裕二君が見つかり、和光市のゲームセンターの店長をしているらしいとの電話があった。

 私は辻さんと一緒に、小泉さんが指定する区民会館へ赴き、彼と面会した。

 私は、「環菜さんに告訴する意思はありません。話したくないことは伏せていただいても結構ですから、当時のことを話してもらえないか」とお願いする。

 小泉は、『今は家庭も持っていて、ネットから個人情報が洩れて特定されないとも限らないから、お断りします』と言う。

 私は重ねて発言した。

「私は臨床心理士として、環菜さんの内面に何が起きていたかを知るために、こうしてお話を伺いに来ました。小泉さんが環菜さんと出会った雪の晩に何があったのか。それを知ることで、少しでも環菜さんの回復に役立てたら、と思っていたのです」

『回復って、環菜ちゃん、そんなに悪いんです?』

 彼は不意を衝かれたように訊き返した。

「精神状態は余り好くありません。それでも状況を考えれば、落ち着いているほうと思います。ただ、彼女の記憶にはいくつか欠陥が見られます。それを埋めに来たんです。小泉さんのことは、初めてできた恋人だと私は聞いています。彼女と初めて会った晩から別れるまでのことをお話しいただけますか?」

 彼は、コンビニの前で環菜が蹲ってるのを見たのだと話し出した。

 

『怪我の手当てをして………。ファミレスで一緒に軽く飯食って、その後どうしたいかと訊いたら、一緒に連れて行ってほしいって言われて、俺のアパートに連れて帰りました。

 寝るときになったら布団が一組しかないことに気づいて、一緒でもいいかと訊いたら、いいよって普通に明るく言われたから。布団の中でも、最初は冗談半分だったが、足まで寒いっていうから爪先挟んであげたりして。遊んでいたつもりが、ふざけて抱き合ったりしてるうちにエスカレートして、つい服の中まで触っちゃったみたいな。

 でも、そのときに俺を見た目が誘ってるとしか思えなくて。明け方まで、そのまま触ったり止めたりを繰り返していました。

 ………。

 それでも最後まではさすがにまずいって俺が、朝になったら帰りなよって言ったら、環菜ちゃんのほうから突然、「慣れては、いるけど」と言い出して。………。

 そうしたら彼女が急に、今までのなんだったのって問い詰めてきて。俺もどうしていいか分からなくなって、逆にどうしたらいいのって訊いたんです。そうしたら、「付き合うならいいよ」て言われたから、罪悪感もあって、いいよってOKしたんです。

 それから数か月間は、うちのアパートが親と喧嘩したときの避難場所になっていました。いつも部屋でゲームして、あとは……適当に。

 ………。

 それで次に環菜ちゃんに会ったときに、もう別れたいって言ったんですよ。

 泣かれて、すげえ粘られて、

「裕二君と別れたら、もう一生、誰のことも信じない」とまで言われました。

 ……、別れなかったら俺が警察に捕まるって言ったら、ようやく分かってくれて。

 ……、駅まで送りました』

 

 話が終わると、彼は息をついた。

 私は責める口調にならないように気をつけて、彼に質問を始めた。

「あなたは、環菜さんが誘っている眼をしていた、と言いましたよね。でも先にそういう目で彼女を見たのはあなただった可能性はないですか?」

 彼は曖昧にしたいような気配を滲ませて、

『でも無理強いは、してないです。それはほんとに』と自己弁護した。

「環菜さんが慣れているけど、と言ったのはたしかですか?」

『はい確かに言ってました』

「あなたが彼女と付き合っていたときに、他の男性のことで性的に虐待されたとか打ち明けられた記憶はありますか?」

『虐待て言えるか分からないけど……。付き合い始めてから、二人で交換日記してて、そこにたまにちょっと変なことが書いてあって、今日も絵のモデルをして、終わったあとに誰々さんがべたべたしてきて嫌だったとか書いてあった気がするんだよな』

「その日記は、最後にどちらの手元に?」

『環菜ちゃんだったはずです』

「小泉さん。あなたはさっき、無理強いはしなかったと言ってましたよね。それを信じたいと思っています。ただ、もう一度確認させてくださいね。環菜さんとの好意は本当に同意の上でしたか? もちろん同意の上だったとしても、彼女自身が実際はまだ、性的な行為の意味そのものを理解していなかったと思いますけど」

 彼は何といっていいか分からないという顔をして黙り込んでしまった。

 ………。

 私たちは、大変参考になる話でしたとして席を立った。

 外に出てから、辻さんから尋ねられた。

「聖山さんはどうして今も小泉さんのことを大事な恋人のように言うのかなと、疑問なんです」と。

 私は、少し考えてから、救いがなくなるからじゃないでしょうかと答えた。

母親の不在時に、父親に家を追い出されて。助けてくれた男性に信頼を裏切られたなんて救いようがないから。だから、物語を変えたんだと思います。あれはちゃんと恋愛で、自分も相手のことが好きで同意の上で、愛情もあったと。ない場所にないものを求めたんだと思います」

        第九章」に続く

 

 

 

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1621話 [ 「ファーストラブ」のあらすじ 8/? ] 2/26・火曜(晴)

2019-02-25 14:19:50 | 読書

 『「ファーストラブ」のあらすじ

 第七章 殺意に疑問

[環菜は父親刺殺の件について口を閉ざしていると迦葉に告げる]

 三が日が終わると、日常が戻ってきた。

 自宅で夕食の水炊きを囲んでいると、辻さんから電話があり、南羽さんから手紙が届いたのですが、明日、朝から出張で、できるだけ早くご相談がしたくて、近くで打ち合わせができないかと言ってきた。

 ファミレスのテーブルで、南羽さんからの手紙を見せられ、この先の取材について僕だけでは判断に迷ったとのことで私の意見を求められた。

 南羽さんからの手紙の大要は、次のようなものでした。

【 辻 憲太様

  ………。

  デッサン会に五十嵐という学生がいて、五十嵐は、下ネタばかり言う空気の

  読めない美大生でした。

  五十嵐が休憩中に聖山の娘さんから、携帯番号をゲットしたと自慢していました。

  そして、冗談だろうが、「中学生なんてロリコンじゃん」とも言った気がします。

 「だって本人言ってたんだよ」とか、「元彼とすることしたって」などと。

  ………。

  急にそのことを思い出したので、当時の空気を正確に伝えるために、

  メールをしました。

                    南羽 澄人  】

 読み終えた私は、「デッサン会が教育に悪い環境だったことは確かですね」と答えた。

 そして、私は、香子が言っていた「デッサン会の美大生が環菜さんに迫っていた」と言う話の整合性もとれたとも思い、手紙に視線を落としたまま、「元彼」と呟いた。

 環菜からそれらしい話を聞いたことはない。

 彼女は以前、別に好きで付き合った相手は、なかった、と言い切っていたが、一方で気にかかった台詞があった。

 ⦅私、信頼した相手なんて……あのときだけ。⦆(第四章、面会所で)

 印象的だったので、はっきり記憶している。その元彼が「あのとき」とは限らないが、年齢から考えれば、すくなくとも、最初の交際相手だった可能性はある。

 私は、「環菜さんに直接聞いてみます」と言った。辻は、お願いしますと頭を下げてから呟いた。

「デッサン会はどういう空間だったのか……僕にはますます想像がつかなくなってきました。そこにいたときのの環菜さんの気持も」と。

「私たちが今からタイムスリップして参加することはできないが、ただ、今も目に見えるものが一つしっかりと残っていますよ」と告げて、続けた。

「自傷行為の傷跡です。始めたきっかけは、まだ分かっていません。それでも時期を考えると、継続的に自傷を行っていた原因の一つには、このデッサン会のストレスも含まれると私は思います」

 それぞれの断片的な物語を、頭の中で一本に編み直す。考える。整理する。纏める。残りの謎と問題は何だろう。

 環菜は小学生の頃から、デッサン会にモデルとして参加していた。小学校を卒業したときに母親が留守にした際、最初の自傷行為に及んだ。

 中学生のときには、言い寄ってきた五十嵐に、元彼がいて肉体関係もあったことを語っている。

 環菜と五十嵐がどこまでの仲だったのか定かでないが、香子の話では、環菜は嫌がっていたという。そこまでの信頼関係があったとは考えにくい。

 そして、環菜は次第にモデルの役目をさぼるようになり、父親から止めるように告げられた。思春期以降は不安定な恋愛関係を繰り返しながらも、大学に進学し、女子アナを目指していた。その試験も二次試験まで進んだのだから、本人もそれなりに手ごたえを感じていたはずだ。

 そうすると、やっぱり分からないのは父親を殺す動機なのだストレスのかかり過ぎていた思春期前後なら、まだ説明がつく。しかし、なぜ今だったのだろう

 いくら父親が就活に反対していたとしても、事前に辞退させるまでには至っていない。現に当日、環菜は一度は面接会場に現れている

 にもかかわらず、自ら試験を放棄して、包丁を購入し父の職場を訪ねた。しかも犯行当時の動機を本人が説明できず、まるで突然、人格が入れ替わったかのように―—ーそこまで考え、私は愕然とした。

「辻さん。ちょっと失礼します」

 と断って、迦葉に電話をかけた。

「迦葉君。環菜さんは、そもそもちゃんと殺意があったことを認めている?」

「ああ、認めているよ。トイレに呼び出して、刺しましたって」

「それは本当に環菜さんがトイレに誘導したのかな。あの子、父親にそんなことを頼めるような間柄だった?」

「それはたしかに不自然だけど、検察側の供述調書にもはっきりとそう書かれているし、俺も事件直後に本人に会って、そこは訊いているし」と言ってから、「大事な話みたいだし、北野先生と一緒だから、こっちへくるか」と言う。

 私は、辻さんに南羽さんからのメールについて礼を言って別れ、迦葉からメールされた新宿の飲食店へ出向いた。

 私は、美術学校の柳澤先生に会ってから、今日までの流れを説明する。

「デッサン会って、そんな状況だったんですか? それは軽い虐待じゃないですか」、と北野先生が眉根を寄せた。

 迦葉が、「由紀。その元彼っていうのは、当時の環菜ちゃんの状況をリアルタイムで聞いている可能性高いよな?」と言って、私に、「ちなみにどうするつもりでいる」と訊ねた。

 私は、「なんとか探して、話を聞きに行こうと思っている。ただ、まず環菜さんに話してからにするつもり。だから迦葉君はこの件は彼女に伏せておいてほしいの」と言い、迦葉は了解した。

 その後、私は、「そういえば環菜さんの殺意の件だけど、もし仮に、今から環菜さん自身が殺意を否定したらどうなる?」と切り出した。

 迦葉たちは、「最初の供述と180度主張を変えれば、かえって刑期がのびる可能性はあります。ただ、それでも被告人がそう主張するなら、殺意はなかった方向で戦いますよ」と応えて、迦葉から、「どうして今このタイミングで言い出した? なにか根拠でもあるのか?」と訊ねられた。

根拠というか、やっぱりどこか引っかかってるの。環菜さんは、まだ本当は言いたいことがあるように見えるの。自分の心を開いてないように思えるの

 私は、迦葉に、明日仕事の合間に環菜を訪れることを告げた。

 

     第八章」に続く

 

 

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1620話 [ 「ファーストラブ」のあらすじ 7/? ] 2/25・月曜(晴・曇)

2019-02-23 18:29:18 | 読書

 『「ファーストラブ」のあらすじ

 第六章 私と夫・私と義弟(登場人物補足)

[私と迦葉が知り合うまで]

 ………。

 幼い頃、私の父はよく海外に行っていた。そこで未成年の女の子を買っていたんです。児童買春です。

 そのような父親に何かを感じていたのか、私は子供のころ、父が帰ると同時に部屋に逃げ込んでいた。また、小学校の高学年くらいから脱衣所で服を脱ぐときには、電気を消していた。

 母からは、幼い頃から何故か、私の行動、衣類、塾、読本まで過度に干渉されていた。

 私が父の売春行為を知ったのは、成人式の朝、母が運転する車の中でした。

 成人式の後、翌日の朝まで元同窓生とラブホテルにいて、その後家出をして、友人やその場しのぎの恋人の家を転々とし、大学を休学してバイトに明け暮れた。

 それでも、一年後、私はようやく一人暮らしを始めて、大学に3年生として復帰した。

 桜とサークル勧誘のビラが舞う大学の構内で迦葉に出合った。

 迦葉は、親をあきらめるしかなくて、名字で呼ばれたくない男で、私と両親の関係とよく似ていると思い、そんなところにひかれて付き合うようになった。

 そして、後日、一回だけ、肉体関係を持つようになった。

 (このあと一部省略)

 明け方5時ごろに、迦葉が玄関で靴を履いている物音で目覚めた。

 薄眼を開けて、迦葉、と呼びかけた。帰るの。返事はなかった。

 昨日はごめん、言い過ぎた。

 それでも迦葉は黙ったまま外へと出ていった。

 ………。

 

[夫・我聞と付き合うようになる私]

 週明けの大学の構内はどこもかしこも味気なく映った。迦葉が離れて、私は一人ぼっちになってしまった。

 数日して、迦葉から紹介されていた義兄の写真展に出向いた。

 翌日に我聞さんから連絡が来て、一週間後に上野公園でデートした。

 (この後は一部省略)

「今度、迦葉に僕が使ったダウンジャケットをあげることになったから、大学まで行くよ」

 私はそう、と答え、我聞さんが大学に来る日の昼休み、食堂で迦葉の姿を探した。

「これから俺、兄貴が来るんだよ」と言う迦葉に、私は、「考えたんだが、私たち、なにもなかったことにしたいの。春に出合って夜中まで遊んだことも、いろんな話をしたことも、全部。お願いします」深く頭を下げた。

「これ約束のダウン。そして、こちらにいるのが、僕の彼女の由紀さん。迦葉と同じ大学だったいうからびっくりさせようって黙ってたんだよ」

 迦葉は、びっくりした、とオウム返しに言った。私は、迦葉が大好きな兄を傷つけることを言うはずなどないと信じていた。

 そして、私と迦葉は再び対話する機会を永遠に失ったはずだった。環菜の事件が起きるまでは。

 

   第七章」に続く

 

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1619話 [ 「ファーストラブ」のあらすじ 6/? ] 2/24・日曜(晴)

2019-02-23 13:34:36 | 読書

 『「ファーストラブ」のあらすじ

 第五章 背中合わせのモデル

[デッサン会の元生徒を探す]

 私は帰宅して、主人に、「我聞さんの知り合いで、環菜さんの父親が勤めていた美術学校の卒業生っていないかな? 聖山那雄人の自宅のデッサン会に参加したいて元生徒たちとコンタクトをとれないかと思ってね」と訊ねた。

 翌日の昼、我聞から友達のデザイナーの恩師が美術学校にまだ勤めていると電話があり、私は、すぐ、辻さんにも電話をかけた。その晩のうちに、我聞から紹介された柳澤先生から私にも電話があった。

 翌朝、クリニックに環菜からの手紙が届いた。

【 真壁由紀先生

 ………。

 父はどちらかと言えば私に無関心でした。一年間の三分の一は外国でした。だから一緒に生活した時間は思いのほか短かったのかもしれない、………。

 一つ言えるのは、父は私の望むことや願うことは、全部否定し続けていたということです。友達関係や進学先、恋愛関係も。

 真壁先生は、母が私に自己責任を強いてたと言いましたね。だけど仕方がないんです。母はむしろ可哀想なんです。母はずっと父に気を遣って遠慮していました。

 たとえご飯を炊いた直後でも、父が蕎麦だと言えばすぐにお湯を沸かして、昼間はゆっくり寝たいから出て行けと言えば、無理にでも予定を入れるような母です。父に逆らえるわけがないんです。

 なぜなら母は父のことが大好きだったんだから。私のことよりも。

 そんな父に言いたいことも言えずに堪えてきた母が、私を好きにさせていたことは、むしろ寛大なことだと今になって気付きました。

 だから母を責めないでください。私を苦しめていたのは、父なのだから。

                   聖山 環菜 】

 

[デッサン会の元生徒が告げるモデルの環菜]

 双子玉川の美術学校に出向き、柳澤先生に会って、先生から聖山那雄人が目にかけていた子に電話をかけてもらい、その方の紹介で、デッサン会の元生徒だった画家が見つかった。

 その画家は南羽といい、いま富山県の山奥の工房で活動されていることだった。

 私は辻さんと富山の南羽さんの工房に出向き、聖山那雄人のデッサン会に参加していたと聞いて伺ったのだが、聖山那雄人さん独自の指導内容やそれ以外で記憶に残っていることがあれば聞かしてほしいと申し出た。

 南羽氏はしばし沈黙してから、

もし、自分がちゃんと対象物を見ているつもりでいるなら、今この瞬間からその10倍見ろ、と言われたのは印象に残っています』と答えた。

 私は、続けて「参加していた生徒の男女比なんかは覚えていらっしゃいますか?」と訊いた。

『男です、全員、男でした』

「そのときのデッサン会の絵が残ってたりしませんか?」

『キャンバスに油絵の具で描いた作品は残ってないんです。ただ当時のスケッチブックだったら、創作のヒントになるかとも思って持ってきたかな……ちょっと探してきます』

 南羽が二階から持ち降りて差し出したスケッチブックを受け取って数ページめくった辻さんが、突然奇妙な動揺を見せた。私も横からその手もとを覗き込んだ。

 そこには環菜らしき少女が、体のラインがうっすらわかる程度のワンピースを着て寄りかかる姿が描かれていた。

 ただし、彼女が寄りかかっていたのは、椅子の背もたれでもなければ壁でもなく、裸の男性の背中だった。二人は、背中合わせに坐り、お互いを背もたれにしていたのだ

 環菜はたしかに言っていた。―--体が重たくて、疲れる。

 絵の中で薄ぼんやりと宙を仰ぐ環菜の目は、拘置所のガラス越しに見たものと全く同じだった。

 ようやく辻さんが、「あの、この男性は全裸ですよね。下着なんかは……」と遠慮がちに訊ねると、南羽は、

『ヌードモデルは普通、隠さないですから。でも構図的に、そのモデルの子の視界には入らないように考慮されてましたよ。おかげで体の細部まで比較できて、パーツの大きさの違いなんかも非常に勉強になりました』と答えた。

「もしよかったら、そのスケッチブックをお借りできないでしょうか? 裁判の証拠として提出できるか、担当の弁護士を通じて掛け合ってみたいです」

 南羽さんは意外なほどきっぱりと、『それは申し訳ないけどできません』、と断った。

『奥さんは旦那さんを失くして、娘さんは殺人犯になってしまうなんて、本当に気の毒だと思います。さらに、いろろいろ掘り起こして騒ぎを大きくするようなことはしたくないんです』

 私は反射的に深く息を吸った。頭の中で聞いた話の絵がつながっていく。

 娘が裸の男性のそばにずっと坐っているところを、普段の10倍集中する若い男たちに優しく手料理をふるまう母親ーー。これほどグロテスクなことがあるだろうか。

 気まずい沈黙が続いてしまったため、辻さんが打ち切るようにスマートフォンを取り出した。

 玄関で靴を履いているときに、南羽は、『僕のデッサンなんて役に立たないと思います』と重たい口を開いてこぼした。

 私は、南羽さんに顔を向けてそっと告げた。

「あなたが、あのとき描いた少女を救うことになるかも知れない、重要な証拠です」

 黙ってしまった彼に連絡先を手渡して、私たちは最後の会釈をして吹雪く外へ出た。

 

  第六章」に続く

 

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