処暑を過ぎても猛暑が続く。インターネットの天気予報によれば、今月末までは猛暑が続くようだ。それにしても高齢者にはもう限界だ。
早朝散歩して、午前中は俳画に熱中した。いくら熱中しても暑さを忘れることはできず、休みながらだから三枚描くのがやっとだった。
世界陸上の男子マラソンや男子100mを見たが、35度を超える炎天下での競走は人間業で無い様に感じさせられるし、感心させられる。恐ろしささえ感じる。
とにかく来週一週間がんばれば、なんとかなることだろう。
処暑を過ぎても猛暑が続く。インターネットの天気予報によれば、今月末までは猛暑が続くようだ。それにしても高齢者にはもう限界だ。
早朝散歩して、午前中は俳画に熱中した。いくら熱中しても暑さを忘れることはできず、休みながらだから三枚描くのがやっとだった。
世界陸上の男子マラソンや男子100mを見たが、35度を超える炎天下での競走は人間業で無い様に感じさせられるし、感心させられる。恐ろしささえ感じる。
とにかく来週一週間がんばれば、なんとかなることだろう。
今日も最高温度が35度を越えていた。35度を越えた酷暑が何日続いただろう。
数年前までは、早朝に散歩し、昼間は趣味の事をやって、夕方は少し暗くなる時に庭の木や花に水遣りするといった、生活を苦にしないでやっていた。
記録をつけていないので、分からないが、昔は30度少し過ぎた程度の日が数日続くといった状況ではなかったではないだろうか。
今は少しぐらい木が枯れても良い、それより熱中症で倒れたというニュースを聞くたびに、自分の体が健康が第一だと特に考える。
もう少ししたら、最低温度も25度以下になるだろうと願うばかりだ。
今日は62回目の終戦記念日。のんびりした夫婦二人のお盆。朝は風鈴の俳画のデッサンをした。賛句に「夾竹桃白き夕べの散歩道」と「客の座にカサブランカの涼しさを」のどちらにしょうかと考えながら・・・・。62年前とは雲泥の差だ。
62年前の今日は、昨日一昨日と同じように空襲の焼け跡に急増された鉄工所で学徒動員の一員として働いていた。昼前に誰からからともなく、大切な放送があるので、正午に食堂の前に集まれと言っているとの連絡を受けて、天皇の敗戦の放送を聞いた。
後ろのほうで聞いたものだから、何を言っているのか分からず、放送が済んだ後から戦争に負けたことを知った。
ある友達は悔しがって石をなげたり、別の友達は壁の板を殴ったりしていたが、自分には即座には敗戦の実感がわかなかった。負けることなんて全く考えたことも無かったと思う。
父は軍人であり、生地は長崎県の佐世保市で、軍艦にも乗せてもらったこともあり、山のような戦艦「大和」も見たことのある自分としては日本は神国だし、日本は世界一強いのだと信じていた。
トンカツなんか食べたことも無く、制服のボタンは陶器、革靴は底だけ革のようなものだった。それが当たり前で、勝つためには我慢するのが当然のことだと思っていた。
焼け野原の鉄工所で休憩中に米機の機銃掃射を受けたこともあり、まさに死に直面したこともあったが、これが戦争だと思ったし、ある時期がきたら日本が勝つのだからと、特に苦にもしていなかった。これが当たり前の生活だと思っていた。
生まれたときからの家庭、学校での教えは恐ろしいものだ。自分から幼年学校、海軍予備士官学校を目指した。今考えたら恐ろしくなる。父のように40代の若さで、いや、それよりも若い年で死ぬかもしれないのに・・・。まだまだ純真な子供であったのかもしれない。今だったら容易に決断ができないだろう。
本当に、教育が視野の狭い常識をつくる恐ろしさに改めて考えさせられる日だ。
ところで、なんで8月15日を「平和を守る日」として記念日にしないのだろうか。戦争で犠牲になった人々に、今後永遠に平和を守っていきますと全国民が誓う日にはならないのだろうか。
とすると、仮名「平和記念日」は祝日?になるのかな。祝日となると少し無理があるようだ。しかし、しかし、平和の大切さを教え繋いでいかなければならないことは、真理だ。
何はともあれ、戦争の無い地で充実した人生が送れていることを感謝したい。
タイトルはどんな事だろうと思うかもしれないが、自分に無理強いして強制的に趣味の俳画を描いただけだ。
趣味のものであれば、一時でも集中できて暑さを忘れることができるだろうと思って、デッサンを済ませていた絵を描いてみた。
午前中だったが、確かに暑さを避けることができた。しかし、反動的なものではないだろうけど、昼からは非常な蒸し暑さを感じた。妻から後で聞いた話だが、昼前の甲子園の高校野球で小雨が降っていたそうだ。
明日は弟の墓参りに行く予定だ。
今日も最高温度35度の暑い一日だった。まとまった事はやらずに一日が終わった。
昨日は、市営墓地にある父母のお墓にお花と紙灯篭をお供えしてお参りして来た。私が住んでいる地方はお墓に灯篭を下げる風習があるのです。
その灯篭のことだが、昔は市が処分をしてくれていた。数日前に友人から各自が処分をすることになっているということを聞いた。
市の担当部門に問い合わせてみたところ、市としては数年前からお盆が済んだら市民が各自に灯篭を持ち帰って始末してもらいたいとの意向であったらしいが、市としては言い難い話なのか、市の広報誌にも一度も掲載していないとのことであった。
市の財政面から考えても、何十万円もの節約になる良い施策だから徹底したらどうですかと、話をしたが、よく考えてみたら、私自身も一週間後にもう一度墓参するだろうか、来年から灯篭は持って行かなくなるかもと、となると業者の売上が落ちるだろうなーと。
些細なことでも、事柄によっては行政はなかなか難しいものなのだなと思った。
墓参の風習に関わることだからなー、私が決裁者だったらどう処理するだろう。