澤田ふじ子の時代小説。短編6話が入っている公事宿事件書留帳シリーズ第10弾。
「世間の鼓」
老女のお竹が、若者のお菰の定吉に公孫樹の枝を揺すってくれと頼み、銀杏を竹籠いっぱい拾うと礼も言わずそのまま行ってしまった。
それを見ていた菊太郎にも定吉の胸の憤りが聞こえるようで、菊太郎は一分金を渡して、叺一袋に銀杏を入れて貰い鯉屋に持ち帰った。
お竹の夫は油屋の二代目だったが、買付に出かけ追剥に遭って命を落とし、夫の四十九日法要の晩、仏壇の火から火事を出した。
三代目の義助は、油の町売りになったが、火事を出した油屋から買う人は少なく、人足寄場に働きに出たのだか、数日してから10日ほど帰ってこないのだ。
お竹は一文無しになり、病の嫁と孫達も食べるものが無くなって、お竹は銀杏を拾いに来たのだ。
お菰の定吉は酒屋・杉屋の若旦那だったが、楽天家の彼は飲む打つ買うの生活で親から勘当され、誰も寄って来なくなった。
祖父から、世間は鼓のようなもので、金を持っているものが打てばどのようにでも鳴るので、人が寄ってくると言っていたことを思い出した。
定吉は、菊太郎の言葉から働く気になり、人足寄場に向かった。途中、人足を閉じ込めて家畜同然に扱っている質の悪い口入屋と配下を捕縛するため、潜り込んでいた同心から銕蔵宛の書状を預かった。奉行所に届け菊太郎とも遇って元の場所に案内した。義助もお蔭で助けられた。
定吉は菊太郎からお竹達のことを聞き、菊太郎も過去の定吉のことを知った。
菊太郎が定吉の勘当が解けるよう面倒をみようと言うと、俺の事よりお竹達をどうにかしてくれという。
菊太郎が定吉に一日も早く勘当を解いてもらい、義助が杉屋で働けるようにして遣れと言うと、定吉は親父に泣きを入れず、いい音が鳴る鼓を打って、俺の噂が親父の耳に入るまで待ってくれと言う。
「釈迦の女」
扇屋常盤屋のお店さんは、十日目毎に娘を連れて義父母の供養のため檀那寺へお参りして、知恩院まで行くことを欠かさなかった。
娘が前回から知恩院本堂の廊下に粗末な身なりをした若い女が手枕で寝ているのを見て、お釈迦様にお祈りしているのだと言うので、涅槃絵の際に釈迦涅槃図を見せたせいだと思っていた。
常盤屋から又聞きした銕蔵が菊太郎に話をすると、菊太郎は同心と出かけてみたいと言う。
菊太郎たちが出かけた時、ならず者めいた身形の男二人が、本堂廊下で寝ていた身重な女・お葉に、毎日こんなところで不貞寝をしていたのかと乱暴に引きずり起こした。それを見た菊太郎達は男二人に縄を打って駕籠に乗せ載せ鯉屋の座敷牢にぶち込んだ。お葉も駕籠で鯉屋まで来てもらい事情を聴いた。
お葉の夫は、友人が母親の治療のために賭場で金を得ようとして反対に借金ができたので、その友のために金の工面に日にちを切って出かけたが、賭場の親分は、その友を人質にしているだけでは不安で、お葉まで人質にしようとして連れに来たらしいのだ。
菊太郎は銕蔵を横にして、賭場の親分に、賭場は必要悪として見ぬふりをしているが、本人を人質にした上に、女まで抵当にという行為は許しがたい、この件はお釈迦にして借金は無かったことにしろと言う。
菊太郎は、その後、どうしても解せぬ疑問が一つあるとお葉に向かって訊ねた。なぜ回廊に寝転んでいたのかと。
お葉は、お腹にいる子に有難いお経を聞かせて、いい子になって生まれてきて欲しかったからだと言う。
「やはりの因果」
川魚問屋の井筒屋七兵衛は執拗な勧めで伝八の持ち家の角屋で川魚屋を始めさせたのだが、8か月たっても仕入れ代金の支払いがないので、鯉屋を通じて出入物の訴訟を起こした。
奉行所では、伝八は不払いは認めたが、七兵衛から儲けが十分出るようになってから支払ってくれたらよいと言われており、催促は一度も受けていないと言った。
源十郎は、七兵衛に隠し事はしないでほしいと言っていたのに、そんなことは一言も聞いていなかった。しかも、訴訟中は外泊はしないで欲しいと言っていたのに、七兵衛は、疲れたと飲みに出て、その夜は外泊してしまった。
目安に嘘を書かされ機嫌の悪い源十郎に、七兵衛が川溝で死んでいるとの連絡が入った。
奉行所では伝八も怪しいと拷問蔵で責め立てられた。
そんな中、下手人だという浦上頼母助が出頭してきた。親代わりだった姉が、まだ奉公人だった七兵衛になるからと貢がされた挙句、棄てられ、七兵衛は川魚問屋の娘に乗り換え、姉は自害した。
頼母助は七兵衛をようやく見つけて親の敵と一突きで殺害した。
吟味方総与力は、頼母助は母親の仇討に相違なく無罪、伝八は酷い拷問の代償として井筒屋への支払いは無用との裁きを申し渡した。
「酷い桜」
菊太郎は夜桜見物で茣蓙隣りとなった左官職人たちと意気投合して飲み過ぎ、職人の一人の又八の長屋に泊まった。そり夜、菊太郎は向かいの繁蔵・お定夫婦の長男・新助と一緒に寝た。新助はお定の継子で食事も与えられない虐めに遭って外に立たされていたのだ。
後日、鯉屋に、新助が殺人未遂で番屋に引っ張られたと、又八が急いで知らせに来た。新助が血の付いた出刃包丁を持ってお定を追っかけていたのだと言う。
菊太郎が番屋に行くと、状態はその通りだが、新助にゆっくり聞くと、何も食べてなく鯉を取ってきて料理していたら、お定が花見から帰ってきて、血の付いた包丁を見て吃驚して逃げ出し、言い訳のため追っかけていたのだと言う。
菊太郎は吟味役の許しを得て、新助のために卵丼を注文した。
「四股の軍配」
重阿弥の離れで菊太郎が一人酒を飲んでいると、下隣の旅籠・富屋の下働きの米蔵が岩五郎という相撲取りから稽古をつけて貰っている声が聞こえてきた。祇園社の素人勧進相撲の優勝金七両を手に入れたいためだ。
米蔵の家族が住んでいた田舎の家から火事を出し隣家も焼いて弁償するため、姉が遊女屋に五両で身売りしたので、身請けしてやるための必死の稽古だった。
優勝戦で相手のほうが一瞬先に肘を土につけたが、立行司の式守巳之助が相手に軍配を上げ、菊太郎たちが差し違いと言っても通じなかった。
後日、関係の責任者たちが菊太郎に謝りに来た。
確かに米蔵が勝ちであったが、式守巳之助にとって最後の采配であったので差し違えと言えなかったし、相手も親孝行な男で優勝すれば紀州徳川のお抱え力士になることが約束されていた。それで、米蔵には勧進相撲で得た金子の中から姉を身請けさせてもらうことで承知してもらったとのことだった。
菊太郎も、礼を申すと承知した。
「伊勢屋の娘」
銕蔵が妻の実家の播磨屋に挨拶に行ったとき、隣の青物屋の伊勢屋の姉妹の間に刃傷事件が起こり、銕蔵は、伊勢屋の願いで、妹のお町を包丁で刺そうとした姉のお豊を、とりあえず鯉屋に連れてきた。
お信に鯉屋に来てもらい、お信は数日かけてお豊の心を解きほぐし事情を聴いた。
跡取り娘のお豊は誰にも言えない哀しい恋をしており、お町も知らなかったのだ。
お豊の恋の相手は幼馴染の宗助で貧しい歯入れ屋なのだが、老いた母親と病み付きの妹を抱えていた。そして、嫁に来るとしても、持参金の持ち込みを宗助は絶対に駄目だということだった。
(この編は、「お信は、話は簡単だと表情を輝かせた」との文章で終わりになっていて、菊太郎たちがその後どのように解決したのか省略されている。)