T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

台風去って秋真っ盛り!!

2013-10-27 14:20:55 | 日記・エッセイ・コラム

 

Kinmoku3copy

 

Kinmoku7copy

 

 毎週のように日本に影響した台風、27号台風がようやく東北の太平洋に去った。

 当分台風が来ないようなので、もう強い台風は接近することはないだろう。

 これで終わりになってもらいたい。

 今日は完全に秋が来たといった秋日和。

 金木犀もわが世の春といった感じに咲いている。

 今朝の最低気温、今年最低の11.5度、最高気温、20度。

 

 それにしても今年の夏は極暑の連続で、年寄にはたまらない夏だった。

 そのせいか、この素晴らしい秋も、免疫が減少しているのか身体に元気がない。

 少し本の纏めのブログが続いたからか。休養が必要だ。

 毎日、書斎の整理に一時間かけることにしよう。


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初めに読むべき「下町ロケット」!!

2013-10-25 08:44:27 | 日記・エッセイ・コラム

 

Book52


 

 ドラマの「倍返しの半沢直樹」が面白く、その続編の「ロスジェネの逆襲」を読んだ。

 すごく面白く読んで、次に、同じ著者の「七つの会議」を読んだ。

 普通は著者の池井戸潤が直木賞受賞者だから、その受賞作品を読むのだが、どうしたものか順序が違ってしまった。

 それはどちらでも良いことだ。この「下町ロケット」も面白そうだ。

 早速に読んでまた粗筋を纏めたい。

 

 但し気になることがある。それは、衣替えが遅れてしまっていることだ。

 一度に、全て出来ないので、少し多めに整理の時間を取るつもりだ。

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池井戸潤著「七つの会議」を読み終えて! -4/4ー(870回)

2013-10-24 14:02:33 | 読書

(第八章 最終議案)

 スクープされたことを受けて社外調査委員会が設置された。

 八角は委員会メンバーの一人の加瀬孝毅から呼び出された。カスタマー室の佐野が、折り畳み椅子の座面のネジのことで、八角に話を聞いたと言っているが、なんと答えたのですかと問われた。課長が担当していたので課長に聞いてくれと言いましたと返事した。

 個人の罪なのか、組織の罪なのか。それは調査委員会が調査究明すべき最重要事項の一つである。

 八角は、翌日、加瀬について会議室に行き、一年ぶりに坂戸に会った。憔悴しきって見る影もなかった。坂戸はすでに連続三日間、事情聴収を受けていた。加瀬は人事部の資料ファイルを見ながら個人データから質問していく。

 坂戸の実家は薬局も併設している日用雑貨屋で坂戸は次男坊。長男は銀行に就職していた。両親が病気で不自由な体になり、長男は銀行を辞めて家を継いだ。

 坂戸は、それまでの兄への対抗意識、親を見てもらっている恩義などから、現実逃避ができるほど緩い男でない。だが、あまりにも自分を追い詰めたため道を誤った。

 加瀬から、トーメイテックの江木社長によると、4年前に坂戸課長から見積金額の引き下げと共に強度偽装の打診があったとのことだが、不正を思いついたのはいつですかと問う。しかし、坂戸は、思いついたのは私ではなく、江木社長から提案がありましたと答えた。江木か坂戸かどちらかが嘘をついている。加瀬は、坂戸に今更責任転嫁するのですかと言う。

 坂戸も最初は江木の話を突っぱねていたが、何とかしてノルマを達成したかった、いや絶対に達成したかったと答える。

 動機の解明は、この調査チームの目的の一つであり、その結果によっては、会社の組織的責任が強く問われる。そのため、加瀬は、あなたに貼りつけられたノルマはどうでしたかと誘導的な質問をしたが、坂戸は分からないと答えた。

 原島も調査委員会が主催する様々な名目の会議に出席を求められている。その理由は、原島に命じられたのは不正の隠蔽だったからだ。上司の命令を言われるままにこなした責任を追及する声も出ているが、貧乏くじを引いたのはまさに原島である。

 会議から戻った原島は、八角に坂戸はどうだったかと聞いた。江木と言った言わないではっきりしないと言う。今度は、八角が原島に江木は信用できる男かと尋ねた。原島は、坂戸に強制されてやったと言いかねない御仁だと言う。

 その時、原島が思いがけない話題を口にした。

 今、検討されている東京建電の再建案は、営業一課のビジネスだけを残し、それ以外のビジネスを新会社に移行する方向で固まりつつあり、その新会社の社長は飯山経理部長で調整されていると、八角に伝えた。

 その飯山と休憩スペースでばったり会った。そして、飯山から新会社で課長として頑張ってみないかと誘われたが、一課の仲間を置いて新会社に移るのは居心地のいいものじゃないと答えた。

 数日して、八角はエレベーターの前で坂戸に会って居酒屋に誘った。

 ゆっくりと江木との取引の関係の経緯を聞いていて、やり取りの証拠がないので、最後に、八角が江木は誰の紹介かと尋ねた。坂戸から、北川部長から話を聞いてやってくれと言われと知らされて、八角は不思議だった。坂戸がノルマに押し潰されそうになっていたときに、足元を見るように、強度偽装の提案が新規取引の会社から出てくるのはタイミングが良すぎると思った。

 八角はトーメイテックから請求書が届いているので、その支払いをどうするか懸案事項の一つであった。もし、江木が不正を知らなかったとすれば支払う必要があるのだ。

 翌日、原島と八角は江木を訪ねた。北川から紹介を受けた時に弊社の状況を聞いていただろうと江木に問うと、単に取り次いでいただいただけだと言う。

 八角は何かまだうらがあると、帰社した八角は早速に北川を訪ねた。

 八角は、北川に、トーメイテックを坂戸に紹介したそうだなと言うと、北川は、社長から、恩義がある人の紹介で、こういう会社があるから坂戸に検討させてくれと言われ、そうしただけだと言う。

 八角は、宮野社長がソニックに自分の力を認めさせるために、いわゆる実績のために魂を売ったんだよと、北川にむかって言うが、返事はなかった。

 八角は、ドーナツの無人販売コーナーで、人事部の古参女子社員から、その後の浜本優衣の話が出た。その事から、ふと、八角が入社前からの運転手で、今はだいぶん前から社長つきの運転手をしている佐川のことを思い出した。佐川とは時々居酒屋で一緒になるので親しかった。

 八角は地下の駐車場に行くと偶々佐川が一人でいた。

 八角は直裁に社長と江木の関係を聞いてみた。佐川は宮野に言い感情を持っていなく、社長と江木が二人で飯を食いに行っていること、昔、社長が面倒をみてやったこともあったようだとの話を聞いた。

 八角が、坂戸と江木の間での強度不正のやり取りの話をすると、『言った言わないの話になったら、絶対に証明できない、坂戸が証明するのは無理だ』と話していたことがあったと教えてくれた。

 急ぎ、加瀬のもとに行き、情報源は口に出さず、佐川から聞いた宮野と江木の関係を報告した。

 翌日。江木が不正を提案した証拠はないが、八角が一考して偽造の資料を造り、加瀬に随行して江木を訪ねた。

 加瀬が、江木に、不正を提案した証拠が見つかったと、一枚のプリントを提示した。宮野氏からあなたに宛てたメールのコピーですと、加瀬が読み上げた。

 要点は『先日来の件、重要な事なので念のため確認しておく。坂戸への強度偽装とデータ捏造の件は、絶対に口頭のみで伝えてください。今回の大型受注は、当社にとって必須のものです。ぜひ協力のほどよろしく。坂戸には、この提案を拒絶するだけの余裕はない』といったところだった。その後の文章は途中で切れており宮野の署名は入っていなかった。

 加瀬は重要な事を追加して告げた。それは、八角が佐川から聞いた『万が一のときには宮野氏をお宅で面倒をみるような話まであった』ということだった。

 江木は宮野さんが提案したものだと言い、偽装計画を白状したので、ICレコーダーに江木の告白を詳細に記録した。

 八角は、最後に一言、メールは偽物だったのだと江木に告げて外へ出た。江木は騙されたと歯ぎしりを噛んだ。

 それから半年が過ぎ、営業一課だけのビジネスの会社の社長には、再建を自分から買って出た村西が就いた。

 特別背任容疑で宮野が告発された。トーメイテックは破産の申し立てをし、同時に個人破産の申し立てをした江木は、その後、姿を晦まし行方は分からない。

 坂戸は、個人への損害賠償は免れたが、懲戒解雇処分となった。その後、仕事で関係のあった会社に拾われた。

 不正を隠していた梨田は、調査委員会から追及されて、子会社への出向が決まった。

 八角は、最初の意志とおりに、原島とのコンビで働くことになった。しかし、後悔はしていない。

 『虚飾の繁栄か、真実の清貧か。強度偽装に気付いたとき、八角が選んだのは後者だった。』

「感想」

 「ロスジェネの逆襲」ほどではなかったが、面白く読めた。

 東京建電は、創業まもなくでソニックの子会社として急成長が求められていて、とにかく、がむしゃらな業績アップを目指していて、ノルマは絶対で言い訳が一切聞かないといった厳しい社風となっていた。

 それらは、経営者や出向上級管理職が創り出していくものと思うが、一度、坂道を動き出した車のように、その体質は中々変革できるものではない。

 創業まもなく、関東電鉄の新型車両に搭載する座席を担当するヤマト製作所への受注をものにするために、試作品は規格通りにしてしかもコストは安くし、量産段階に入ると規格を下回る製品を納入するといった不正を行う。増谷製造部長と北川営業係長により画策され、陰でそれを知っていたのは梨田課長と八角係長。

 次は座席や椅子の止めネジの強度を落としてコストを安くする不正を下請け業者と企画して利益率を上げる。自社の宮野社長が北川営業部長を通して坂戸課長に伝え、納入元の江木社長から提案させて坂戸が受け入れる。

 それを見つけたのが、先ず、経理課長代理の新田。新田が経理ラインで申告する。その時は、社長名で、すでに闇改修をしていた。(この辺りの改修指示の記述が不明確)次にカスタマー室長の佐野が告発状を部長や社長に出すが、社長は隠蔽のうえ闇改修をする。三番目は出向の村西副社長に八角が告発状を出すが、会社の体質変更は中途半端に終わり、最後に八角が外部に向かってリークする。

 会社組織の中での仕事は、欲深い人間でなくとも、自分の明確な意志や仕事に対する意向を持ってないと、何らかの理由で自ら犯罪を犯す場合があり得る、道を踏み外すことがある。

 留意すべきことだ。

 「第三章のコトブキ退社」も、直接不正と関係は無いが、一休みといった章で、必要な章と思った。

 確かに長いサラリーマン生活の中で、ある時期、期間、会社のため、あるいは自分のために、何も遺せたものが無かった、無駄に過ごしたと思う過去があった。

                                                                                                               終

 

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池井戸潤著「七つの会議」を読み終えて! -3/4-

2013-10-23 11:46:56 | 読書

(第五章 社内政治家)

 サノケンこと、佐野健一郎は、気を見るに敏、風見鶏、ゴマスリ屋、本音と建前を使い分ける調子者、社内政治家といわれ、二年ほど前までは営業部次長として肩で風を切っていた。

 佐野は家電販売会社から大きな舞台を求めて東京建電に中途採用され、優秀な営業マンとして一目置かれる存在になり、北川のイエスマンに徹し、部下には厳しい絵に描いた中間管理職ぶりを発揮していた。

 或る時、営業成績が振るわないのを佐野の無能のせいにして北川は自分の保身を図った。それを契機に、佐野は北川のライバルである製造部長の稲葉と繋がりを持ち、二人でたびたび飲みに行き、北川の失態や営業部の情報を流していた。

 そんなある日、稲葉と飲んでいるところを北川に見つかり、営業部を追われ、部下二人のカスタマー室長に異動させられた。

 製品などのクレーム担当。仕事は、クレームを無視する、何らかの対応をする、至急対応するに分類し、月一回のカスタマーレポートを三人で開く編集会議でまとめる。会議といっても発言は佐野だけである。その後、できたレポートを社長以下、役員が出席する連絡会議で発表することだった。

 北川に対する恨みもあり、今回は始めて、レポートの主要テーマーに営業姿勢に関するクレームを取り上げたが、連絡会議で、北川からは、営業先は何千もあるのだ、お行儀のいい営業ではこの厳しい競争時代には勝てないと、もう一件の想定外使用についてのクレームついて、稲葉から、そんなものはクレームにならないと言われ、社長からは、各部にも各々の事情があるので、それを勘案してやってくれと取りあげられなかった。佐野は酷い叱声に復讐を誓った。

 クレームの中から「容易な折り畳み式の簡易椅子のネジの破損」といったものが眼につき、編集会議を開いた結果、昔のものや、まだ整理してないものから7点も同様なクレームが見つかった。

 佐野はクレームしてきた客から不良製品を持ち帰り、営業部と製造部には内緒で商品企画部の該当の椅子を担当する奈倉に調査を依頼した。ネジの強度不足が原因だと判明した。そして、その不良品のネジの製造元が限定していることが分かった。

 佐野は、営業部の古参女子社員から、トーメイテックという会社への発注を半年前に引き上げて、原島が、ねじ六に転注したということも分かった。

 佐野は疑念を確認するために、ネジ倉庫がある高崎工場の工場見学ツアーを企画した。

 副工場長が知人であることが幸いして、佐野は、ツアー準備のため工場に出かけ下調べしながら、倉庫からトーメイテックが納入したネジを大方採取できた。

 しかし、工場の敷地内で稲葉部長と佐野の車がすれ違い、副工場長から、佐野が工場見学ツアーの企画の下調べにきて、ついでにネジのサンプルを持ち帰った情報が稲葉の耳に入った。

 佐野は、持ち帰ったネジを奈倉に渡し、規格とおりの強度か調査を依頼した。

 数日して、佐野は、稲葉からネジの採取を責められた。佐野は隠さずに、折り畳み椅子の座面に関係するネジに不良があることを、ご存じだったのではないですかと問うた。稲葉はその事には返事をせず、自分がどうなるか解っているのかと言った。それは恫喝とも取れる言葉だった。

 奈倉が検査結果を持ってきて、折り畳み椅子のネジのサンプルは全て強度不足でしたが、それ以上の心配がある。他のネジでも6割が不良品で、それらは列車や飛行機の椅子に使われている。これがリコールされたら会社は潰れると言う。佐野は、この事態をどう考えるか、既に自分が関与するレベルを超えていると思った。

(第六章 偽ライオン)

 北川と稲葉のもとに、ネジ強度不足によるリコール隠蔽についての告発文が送り付けられた。宛名には、社長の宮野の名前もあった。告発者名はなかったが、佐野であることは過去の経緯から分かっていた。もちろん中味も両部長は間違いのないことだと、既に知っていた。

 北川は佐野に迫り、妄想は引込めろと言うが、佐野も会社の根幹にもかかわる問題なので、社長にも提出している。部長はいつまで自分の保身だけを考えるのかと反論する。

 北川は八角を誘って居酒屋に行き、佐野から告発文が送られてきたので、佐野に警告してやってくれと依頼する。八角は、『正しいものは正しい。間違っている者は間違っている。いつまでもそれは変わらない。お前は自分がしていることが正しいと本気で思っているのか。』と詰問した。

 混乱を治めようとして、坂戸を課長職から外すためにパラハラ委員会に訴えてくれと頼んだのは北川で、渋々八角はそれに応じたが、その後、北川たちは隠蔽に走ったのだ。

 八角は、『魂を売った男の末路がこれかと軽蔑の眼差しを北川に向けた。』

 母一人子一人の父を知らない生活の中、北川はひたすら真面目にバイトと勉強の大学生活を送って、東京建電に入社した。

 北川の仕事ぶりは高度成長を支えるモーレツ社員そのもので、組織に只ぶら下っているだけの連中を徹底的に嫌悪し排除してきた。当時の北川に付けられた綽名がライオンであった。

 その当時、後年、ソニックの常務になる梨田が課長としてソニックから送り込まれ、北川と八角の両係長が両輪として支える体制ができていた。両輪で支えるといっても、その実態は協力し合うというものでなく、およそ不可能なほど高いノルマを張り付けられ、それをクリアしていく地獄の日々だった。 『肝心なことは、どうやって売ったかではなく、売れたかどうかであった。』

 当時、関東電鉄に納入するシートを受注することが、北川に上から下された命令だった。受注はコンペで、何とかして、もう一段コストダウンを実現しないと他社に取られる状況だった。

 そんな時、当時の製造部長が物を売るには知恵がいると言って、耐火性やほかのデータを捏造するという恐るべきプランを示した。

 大事故はうちの製品以外の過失で起こるもので、どれだけの耐火性があったかは解りはしないと言われ、不正に足を踏み入れた。その後、コストの秘密に気付いた者はしないーーーように見えた。(後年、発覚する。第七・八章に記述。)

 北川が目覚ましい業績を上げる一方、北川は次第に梨田とぶつかるようになり、会議でもそのやり方を批判した。北川は後になって、その理由を知った。八角は梨田に命じられるまま、高齢者目当てに手当たり次第に営業したが、ある時、押しつけの高額の購入金額を苦にして客が自殺したのだ。

 その後、ある時、北川がいつまで梨田さんに反対するのだと言うと、『俺はお前のように魂まで売る商売はしたくない、お前は偽ライオンだ』だと言った。

 結局、その不正は製造部長も退職し、関東電鉄の規格変更で5年ほどで終了した。八角を除いて誰にも知らずに不正なノルマを達成したのだ。

 北川は、最近、朝のニュースと新聞を見るのが恐ろしくなった。

 長引けば、それだけ改修は困難になる。 北川は、再度、佐野のもとに行き、告発内容は大部分が事実だ、会社を生き残らすために隠蔽に回っているだけだ。お前も路頭に迷うぞ。それでよいのかと言う。佐野は告発を引込める条件は部長が責任を取って辞任することだと言う。

 北川と稲葉は、社長から本件隠蔽せよと命じられた。

 北川は佐野に社長の意向を伝え、路頭に迷いたくなくば、口外するなと叱声した。佐野は渋々というか、ようやく納得した。

 それから二日ほどして、北川は村西副社長から呼ばれた。テーブルの上に告発状があった。佐野が書いたものでなく、内容はほぼ佐野のものと同内容だった。村西は北川を詰問し、告発の内容が事実であることを確認した。

(第七章 御前会議)

 同期400人の中でトップで村西と梨田の二人が同時に役員になった。

 村西の仕事ぶりの特長は、必要なものを必要だけ売り、商売人の父親から、客を大事にせん商売は滅びると言われ、誰よりも多くの販売店を回り、客のためを思って働いてきた。

 梨田は村西と正反対の男で、道なき道を切り開き、がむしゃりに目標をつかみ取るタイプであった。

 ソニックの徳山社長は、会社がおかれている逆境から競争に打ち勝つために、梨田を残して常務にし、村西を子会社の経営のために出向させた。

 村西は早速に親会社に出向いた。総務部長だけが在席していたので、告発の内容を告げ、後の措置を頼んだ。翌日、御前会議が開かれた。

 徳山社長の結論は、調査チームを編成し、調査結果をもとに指示を決定するということになった。

 御前会議が終わって帰社すると宮野社長が会いたいとの連絡があり、社長室へ行くと隠蔽チームといえる北川と稲葉も来ていた。

 宮野は、リコールしたら自社のような会社はひとたまりもなく潰れる。強度不足といっても、すぐにどうこうなるわけじゃないと言う。村西は激昂し、『強度不足は、あくまで強度不足ですよ。規格外の性能しかないものを売っておきながら開き直るんですか。それが真っ当な商売といえるんですか。』 宮野の顔面から血が引いていった。

 村西は御前会議の模様を話しした。調査チームが派遣され、その結果を見て検討することになった。こうなった以上、これはソニックのマターですと言う。

 東京圏電は主権を失い、ソニックの管理下に置かれたのだ。

 村西は自室に佐野を呼び、この告発文は誰が書いたものかと詰めると八角ではないかと言う。

 さらに村西は情報を収集するために八角を呼んだ。対応する八角の答えは、要領を得ず、積極性の無いものであったが、最後に『あえて言えば、当社の体質かな』と言った。そして、昔、製造部にいた増谷さんに聞くと教えてくれるかもと言って歩き出した。

 翌日、人事部に聞いて、15年前に製造部長で退職した増谷寛二に連絡を取ったところ、その次の日に、自分から来社してくれた。

 村西が、今回の強度不足の不正の話をし、八角の話によると、以前にもそんなことがあった様な話をして、増谷さんに聞いてくれと言われた。

 ぜひ、昔の話をしてくれと頼んだところ、ようやく少しずつ話してくれた。

 その頃は会社も創業まもなく急成長することを求められていたノルマは絶対という厳しい時代だった。その頃、どうしても取りたい仕事があって、営業部はやっきであった。

 私はデータを捏造してコストを下げる、そのため、耐久試験をパスした後、量産になった段階で劣悪なものにシフトするという手段を取ることを提案した。それを実施して、競合他社に勝って受注した。

 その時の営業担当はと言うと、増谷は、過去の話だから名前は言えないというので、村西は『仕事上の不正には時効は無いんじゃないでしょう』と言い、北川の名前を引き出した。

 そして、それに気づいた八角は、増谷のところに、チェックを入れた材料一覧表を持ってきて帰ったが、告発はしなかった。もう一人、この事を知っていたのは梨田課長です。しかし、知らぬふりをした。二人とも、自分の将来を考え計算したのでしょうと言う。

 村西が、北川に、その事を話すと、これで胸のつかえが下りたと言った。

 2週間後、ソニックの調査分析がおわり、御前会議が開かれた。

 分析報告書には、20年前、増谷と北川が犯した不正について一切の記載が無かった。梨田がもみ消したのだ。

 村西の隣に座っていた総務部長が、これがソニックの現実ですと言い、村西の口を封じて、社長の意向を聞いた。

 社長は、隠蔽し改修に努めるように、この件は私が預かると言った。それで御前会議は終わった。

 そのまま、年を越した。原島が主導する闇改修がソニックの側面支援も加わって、3割強が既に完了した。

 東京建電は、次回株主総会で宮野は退任し、村西は会長になることとなった。そして、北川は出向、稲葉部長は左遷、坂戸は懲戒解雇処分となることが内示決定した。

 村西は原島が部長になるので、その後をどうだと八角に薦めたが、頭を縦に振らず、うちに必要なものはメガトン級の爆弾で一度ぶち壊さないと治らないと、最後まで課長を辞退した。

 村西は、それから一週間ほどが過ぎたある日の朝刊を見て吃驚した。「東京圏電が巨額リコール隠し。交通の混乱必至の情勢。」と二面に出ていた。村西は、これは八角だと直感した。

                                  4/4に続く

 

 

 

 

 

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池井戸潤著「七つの会議」を読み終えて! -2/4-

2013-10-22 10:16:46 | 読書

(第二章 ねじ六奮戦記)

 明治40年創業の大阪市西区のネジ製作所「ねじ六」の先代社長・三沢吾郎が急逝した。先代は面倒見のいい性格で信望も厚く、会社の規模を大きくするチャンスがあったが、従業員30名で、会社を潰すことなく細々と続けていた。

 息子の逸郎は鉄鋼会社を辞めて社長に就き、妹が専務になって経理を担当した。そして、厳しい環境の中、会社を存続させてきて、10年程経った今、バブル崩壊やその後の不況で従業員も20名になっていた。

 そんなある日、逸郎は妹から資金借りのために銀行へ出すリストラ計画書に記載する売り上げ予想額を計算してくれと言われたいた。

 その計算をしている時に、主要顧客の一社の東京建電の坂戸が来て、各種の規格のネジの仕様書をテーブルに広げ、試作品とコストを出してくれないかと、各々について生産本数を示した。

 坂戸は、今までの担当者の中で一番厳しく、ねじ六の儲けはことごとくこそぎ落とされていたが、 逸郎は、最後にコンペかどうかと聞いたらそうだと言う。大口の案件だったので、少しは楽になると参加を申し出た。コンペは発注側に有利にできている。逸郎は、ぜひ受注したいと、一旦決めた利益率を下方修正して坂戸に送った。

 二日後に坂戸からこれでお願いしますと返事が来た。ねじ六の工場に活気が溢れた。

 数日して本格的な生産開始を間近にした日に、坂戸が相談があると訪ねて来た。他の強豪会社がさらに安い値段を提示してきたので、同じ値段にコストダウンしてもらいたいと言う。一旦、両者が了解し、値決めした注文の取消しはないでしょうと言うと、「正式な注文書は出してない」と言う。これを請けたら大赤字になることから逸郎は泣く泣く断った。その言葉に、坂戸は、これ以外の今までの継続発注も全て見直しさせていただきますと言い、東京建電との取引はなくなった。

 逸郎にとって最大の経営危機で、新規、増注の話を求めて他の取引先を当たるが、そんなに全て上手くいくはずもなく、絶望の苦しみのみが残っていった。

 その後、ある時期が過ぎて、逸郎が取引先から帰ってきたところに、坂戸の後任で原島と申しますという課長が遣ってきて、御社から頂いた当時の価格で結構ですから、今月から製造ラインに乗せてくれますかとの大量注文に、逸郎は大変驚いた。

 あまりの状況変りに、発注の理由を聞くと、今の下請け業者とは方針の違いがあり、急遽発注先の変更となったという。さらに、その理由を聞くと、「コストと品質の問題だ」と答えた。逸郎は、品質、コストということなのでコンペですねと念を押すと、コンペではないと言った。原島は当時と同じ仕様書ですけどと逸郎に手渡し、後刻納入スケジュールをファックスさせるので、確認してくださいと言って帰って行った。

 原島が帰る前に自社へ結果の携帯電話を掛けたときに、原島が持参してきて手の傍らに置いていたネジの箱を床に落とした。

 数日して、先日、拾い集めて原島に渡したネジの内の二本が、机の下に残っていたので、逸郎はネジ屋の習性から何気なく引張試験機で強度を図ると、本来の数字からはるかに下回っていた。逸郎は、コストと品質と急用の理由の全てを理解した。

 その時、逸郎の内なる声が自分に言った。 『言われるままのネジを作れ、ひたむきに目の前の仕事を誠実にこなせ。ネジつくりの原則とはそういうものだ』と、その原則を踏み外したネジをゴミ箱に放り捨てた。

(第三章 コトブキ退社)

 営業四課の浜本優衣は経理課長代理の新田との不倫・失恋を契機に、無味乾燥な会社務めに疲れている自身を顧みて退社を決意した。

 引き留める上司を説得するため、コトブキ退社という口実をつくるが、優衣に結婚の予定はなかった。

 5年間のOL生活で、『これは自分が遣った仕事だといえるものが無く、いくら事務職とはいえ、あまりにも淋しく、最後に会社に何かを残したい』と考えた優衣は、残業時に空腹を抱えて仕事をするのでは仕事の効率も悪いと、環境会議に、会社の休憩スペースに無人のドーナツ販売コーナーを設けるという提案を行った。

 友人の遠藤桜子の助言を受けながら、生まれて初めての企画書を書き、アンケート調査を実施したり、提供商店を探したりと、提案を具体化していく優衣だった。

 しかし、大きな壁になったのは、提供業者が見つからなかったこと、これは、脱サラしてワンボックス車でオフィス街をルート販売している移動ベーカリーの三雲英太に助けられた。もう一つは経理部の事前チェックだった。加茂田経理課長と新田課長代理が優衣を軽んじ、会社の利益になるのか、経営的な必然性がないと、直接業務に関係のない施策に無理解な考えで立ち塞がっていた。優衣は、この企画は、職場を豊かにするために必要な事だ、社員の心が豊かになって会社を好きになることも大切な事だと反論した。

 優衣の出した企画書が役員会で決済され、ドーナツの無人販売が廊下の片隅で実施された。

 英太が販売資料から様々な分析をし、売り上げは好調に推移した。一つだけ問題があった。一定の曜日に販売個数と売上額が合わないのである。優位は、最後の方法として就業時間外に陰で買って行く人を観察した。金を払わずに持ち帰る常習犯が分かった。その人は、優衣が退社を決意した後になって、縒りを戻してくれと哀願した課長代理の新田だった。

(第四章 経理屋稼業)

 毎月計上される売上計画と実績、経費などが検討される計数会議で、加茂田が経理課長になってその経理課の存在が一目置かれるようになり、主流の営業部でさえ彼の言葉には従うようになった。

 経理課は結果を取り纏めて役員会に報告する責めを担っていることもあるが、加茂田には業績の先行きを読む確かな目線があり、会社全体の姿をいち早く正確に見抜く能力を持っていた。

 課長代理の新田は、加茂田の指示で残業し、今日の計数会議の纏めをしていたとき、営業一課の利益率が落ちているのを見つけた。加茂田の威をかさにきて、原島営業一課長に電話して利益率の低下の変更を責めるが、原田の反論に、新田の思うようにならなかった。

 新田は一人っ子で大事に育てられ、どこか自分勝手で我が儘で、少し気儘なところがある大人に成長していった。

 いつも自分が正しいのだと信じて疑わない新田は、原島への報復を考え、昨日、営業一課が提出していた新規仕入先リストの中から、かって坂戸がコスト高を理由に取引を打ち切ったが、原島に替わって再度取引をすることになった「ねじ六」他3社にマーカーを塗り、それら4社の高まった各種コスト一覧表と、坂戸が、昔、作成したこの4社との取引を打ち切る提案書とそれが了承された文書も添えて加茂田に提出した。

 新田から説明された加茂田は眼底に怒気をためて営業一課に出向き、原島に詰め寄るが、原島は営業のやり方にまで口を出すな、役員会にでも報告したらどうだと言う。

 加茂田は経理部長と打ち合わせ、部長と数日後の役員会に出向いた。しかし、社長から、営業部が管理する事項で原島に任せたものだと言われた。役員会での決定に従い、加茂田は、この件から手を引けと新田に命じた。

 しかし、コスト高はコスト高ですと諦めきれない新田は、原島が取引を中止した坂戸時代の取引先のトーメイテックを調べ始めた。

 坂戸本人と会えばと思っても接触できず、偶々、八角が金額超過の接待交際費の領収書を回してきたので、八角から、トーメイテックからの転注理由、ねじ六と原島の関係を探ったが、何も得るものが無く、ついにトーメイテックの社長に直接面会を求めて、前期の決算書が欲しいと、本来、営業部が必要とする書類を要求した。その話の過程で、取引打ち切りの理由を尋ねたが、社長も相手にしなかった。

 夕方、新田が帰社すると、加茂田から呼び出され、あの件は忘れろと命じた筈だ。営業部からクレームがあり、経理部長も立腹だと、課員の前で罵倒した。新田は理由もなく優良下請けの転注はおかしいし、いまだに坂戸さんの人事部付がそのままなのもおかしい、何か癒着があると反論する。しかし、最後は表向きは謝罪し、心の中では豚野郎死ねと繰り返していた。

 数日して新田に経理部長から大阪の営業への転勤の内示が出た。君は元営業社員との不倫があったのでないか。経理課員としては人間的にも信頼に値しないと、新田の息の根を止めた。

                                                                                           3/4に続く

 

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