歩いて12・3分の所の昔の社宅跡に、今日、食品専門の大型スーパがオープンした。
妻にせがまれて車で出かけてみた。しかし、住宅地帯のため駐車場も狭くアクセスも悪く て、これでは近くの歩いていける人だけのものだなと思った。
今日から連休の始まりだが、心身ともに何所にも行く気がしない。心のほうは後期高齢者医療制度のためである。人間ドックの助成が無くなるらしいとのこと、これが一番腹が立つことだ。何時か日帰りで温泉に行くぐらいは予定に入れてもよいと思うぐらいだ。
それにしても若さというものは羨ましいものだ。今日、長野で聖火リレーがあり、中国の留学生たちが夜行バスでデモに行ったようだが、その行動・思考の是非はともかく若き行動力には感服する。
今日も30分ほどの散歩をして、途中、川土手で綺麗な余花(なに桜か不明)を見つけてガシャツと記録し、帰宅後、Windowsのテキストを補正追加、必要部数のプリントをして一日が終わった。
路傍の白き花。外見も清楚だが、しっかりした純粋で邪気のない心を持っているようだ。
先日、インターネットで見た記事だか、小学三年のクラスで、先生が他の生徒との対応で教室にいなかった自習時間に、男の子がベストを振り回して女の子の目を怪我させた。
女子児童の両親は市を相手に裁判を起こし、一審は敗訴、高裁の二審では90万円の賠償金で勝訴、最高裁では二審の結果の破毀で結果的に敗訴となったとのこと。
これを読んで思ったことは、一つの事象を捉えても複数の最高の知識人のそれぞれの考えが異なるのだということ、もう一つはこのような児童間の偶然の出来事について親が裁判に掛けるのかということ。
現代の社会の縮図を見たような気がした。半世紀前はこんなことは無かったと思う。
我が家の花水木が綺麗に咲いた。昨年は一つか二つぐらいだったが、今年は手入れもしないのにほんとに綺麗に咲いていた。
私はこの花を見ると「これからの生活に夢を持った花嫁」を想像する。まさしく初々しい若妻といったところだ。一晩かけて俳句を考えてみたい。
昨夜のテレビのトークショーで、俳優の榎木孝明氏が言った言葉がいまでも耳に残っている。
「常にプラス思考で目的を持った日々を過ごしている。」全くそのとおりで、その考え方に感服している。
二三日前の新聞に、高齢医師で有名な日野原重明氏は「体に多少の異常があっても上手にコントロールしている健康感を持った人は健康人といえる。さほど異常がないにもかかわらず健康感を喪っている人は健康人とはいえない」との記事が出ていた。
どちらも、いわゆる心の持ちようだという事だろう。社会生活を営む上では心の持ちようが大きな範囲を占めるものだということだ。
私の結論は、その努力はするが、ストレスといった言葉がこれほど使われていなかった50年前と違って、このようなことは解かっていても、どうしても心の切り替えができなくなることが起こる。それは今を生きる人間だから、そのような病気にもなるのだが、「いつかは必ず治るのだというーー「ノー天気」ーーになるように努力することだろうと思う。
後期高齢者が初々しい花嫁に一言。
追伸? 一晩明けてとにかく一句。
嫁ぐ日の近し乙女や 花水木
晩春を探しに散歩したいが、この三日ほど雨とか曇の日が続いている。昔から春に3日晴なしと言われるが、早く麗らかな日が来ないかと待ち遠しく思う。
この写真は5日ほど前のものだ。自然の色合いは五感だけでなく、それ以上の何かも加わってか、いや増幅するのかも解らないが凄く心に感動をもたらすものだ。
少し時間ができたので、雨の昨日は1日かかってホームページの更新をした。更新する箇所が多かったので数日かかると思ったが、昨日一日で終わった。更新日付は4月20日のままにして・・・・。その理由はエラーで更新出来ないときが度々あるからだ。
最近、後期高齢者医療制度のことが話題になっているが、とにかく説明不足それも説明時期が遅くまた説明内容が一面に偏り、その説明内容も専門的になっているので、理解できている人はいないのではないかと思う。
10年後には、どんな社会になっているのか予測できないが、変化に対応できる対処できる状態でいたいものだ。