十字路
岐阜城主の後釜は三法師だった織田秀信となった。
おごうは京で小さな屋敷を与えられた。その時、おきいと名付けられた女の子を身もごっていた。
その頃、お茶々も博多で身もごっていて、おごうの出産より数ヶ月後にお茶々は秀頼を出産した。
大阪城にお祝いに出かけたおごうは、女の実りを感じさせ、肌にも半透明の艶が感じられ、言葉少なにおっとりと座っているところが、何ともいえず艶めかしい。
お茶々のほうは華麗な雰囲気が消え生彩が無く、凄艶なその凄みばかりが残ってぎすぎすした感があった。
盃
秀吉からおごうの元に、しげしげと消息を尋ねる使いが来始めた。
口実を設けて断っていたが、若君が会いたいと言っておる、姫を連れて来いと絶対命令に等しい案内があり、伏見城に出向いた。
秀吉はおごうが飲んだ盃を舐めるようにして、その盃で酒を飲み、おきいに、この城に泊まれというが、おきいが帰りたいといい、事なきを得た。
一ヶ月が過ぎて、おちかを共にして至急伏見城に来いとの使いがあった。
お茶々も同席の中、秀吉から家康の三男の秀忠に輿入れせよとの命令だった。秀吉の妹の朝日姫が死亡していたので、人質の穴埋めだ。
1ヵ月先に伏見で祝言を挙げることになっているとも言われた。
おごうは、ゆっくりと口を開き、行けと仰せられるなら……何処へでもという言葉は口の中で消えていき、例のほのぼのした微笑が残った。
表面は従順そのもの、むしろ無意志にさえ見えるその微笑は、どういう運命が与えられるのか、来るものは受けてみようというものだ。
秀忠17歳、おごう23歳の婚儀。おごうは三回目でおきいも居る。お茶々は、その幼い姫を引き取るという。姫を豊臣家の人質として預けて行けというのだ。
お茶々が、その立場であれば髪を振り乱して子を連れて行くと泣き喚くだろう。血を分けた姉妹は同じ座敷に座っていても、二人の心は全く隔絶してしまっているのだ。
名残り桜
おごうが始めて懐妊した。おごうはつわりが酷い体質で、名医もあと10日保てばよいがと言っていて、おごうは一粒の米も喉を通らなくなっていた。
おちかは、おごうの体を心配して、清汁が飲める状態になったときに堕胎薬を入れたが、おごうの容態が悪くなって飲むのを止めた。おちかは隠しておくことができず白状した。
お姫様の体を案じたからだ、それと、男の子が生まれたら、豊臣家との仲が上手くいかなくなり、もしかしたら当家を出されることも考えられる、また、おきい様が苛められる立場になるのではないかと心配したからだと言う。
おごうは、わたしの身を気遣ってくれることは嬉しいが、生んでみなければ解からない、母は私を不幸になるかもと思って生んだのではない。私の幼時は決して幸せとはいえなかったが、ともかく、こうして生きています。折角芽生えた命は、育ててやったほうが良いような気がしますと言う。
秀吉の最後の花見となった醍醐の花見が終わった後、秀忠とおごうはようやく江戸に下がれるようになった。
そこへ、お初がやってきて、いずれ、お千を貰えないかと言われ、おごうは今決めることはできないと回答を避けた。
間もなく、太閤は死去し、信長の死去時の家康のこともあって、秀忠は急遽江戸に帰ってきて、一言、秀吉の遺言でお千を秀頼に嫁つがせることになったと告げた。
おちかは、お初様の申し出は何となさいますと問うと、ややあって、おちかに向いた瞳に、おごうのかってない視線の厳しさを感じた。それはおはつに向って、初めて向けた無言の返事だと感じた。
それまで他人の言いなりに生きていたかに見えたおごうが、この時に初めてはっきりと自分の意志のようなものを示したのではないだろうか。
何かを提案するというよりも、それを無視する形で自分の意志を表明することがおごうのやり方だった。
おごうは、その後、連続して女の子を出産したが、おはつには渡していない。
関が原周辺
秀忠の側で働いていた若い娘に、秀忠の初めての男の子が誕生した。
おちかから初めて知らされたおごうは、生まれてしまったものは仕方がありませんねと言うだけだった。(その赤子は間もなく急死した。)
東西往来
おごうは出産を数ヵ月後に控えていたが、婚儀のために上洛するお千について上洛した。
お茶々との内々の対面で、お千のことを頼み、おきいの輿入れ(関白九条の息子に)への心遣いにお礼を申しあげた。
お千を見送って数日しておごうは出産した。お初が早速にお祝いに来て、自分の名前を付けてその嬰児を貰い受けて帰った。おごうは二人の姉に人質を差し出したのと同じことになった。
おちかは、おきいのお祝いに上洛した帰りに、おごうに男の子(竹千代)が生まれたことを知った。
おちかは東海道をひた走りに走った。おごうにお祝いの言葉を述べて、ぼろぼろと涙を流した。若君にお会いしたいとお部屋にお伺いしたら、乳母のお福にお休みになったところだから後でと追い返された。おちかは、見せてはならぬ涙が出るのを押さえた。
その後、おごうは国松を出産した。
数年たち、お福らしい論理で御台様は国松様ばかり可愛がると言い、両者の周りに微妙な対立が渦を巻き始めたが、おごうはいっこうに動かない。
後日、家康の処置で、跡継ぎが明白になったときに、おごうは、いいことをしていただいたとと微笑を洩らした。
渦
お千は12歳、子供の生める体になってない。その間隔を縫うようにして秀頼は2子を儲けた。しかし、おちかが気をもんでも、おごうからはかばかしい返事が帰ってこないことを知っている。
だが、それだけでなく、おちかは、秀忠にも隠し子が生まれたことを、しかも二人目だということを聞き入れた。
おごうに伝えると、そうと頷くだけで、悪いでしょうと言ったところで何になります、私達だって心の奥まで人に踏み込ませて生きているわけでない、相手の不実をなじってもどうにもならないと、はっきりした物言いでした。
秀忠を憎むのでもなく、心底愛するのでもない。大野時代の無邪気な微笑はとっくに無くなっていた。
このような環境の中で生きていくためには、できるだけ感情の振幅を抑えているほうが賢明なのかもしれない。
水が器に従うように、おごうは、その中で息づいて来た。おごうにあるのは、その水の従順さと強さであろうか。
夏の炎
秀忠が頑固に大阪を攻めるのは、とりもなおさず、おごうがその後ろにあって頑張っているのだ、姉のためのとりなしはいっこうにしていないことにほかならない。
何かにつけて、秀忠のすること全てをおごうのせいにして考えるお茶々。
お初が何回も撤去を勧めても、私達の姿を確かめるために来たのかと、既に昔の姉妹の姿ではなくなっていた。
お茶々は、家康、秀忠、おごうに怒りを向けて、決してお千は手放さないと思ったことだろう。
千姫が無事だったことを、おちかがおごうに告げると、そう……それはと言い、そっと肩を落とした。