T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1775話 [ 「満願」を読み終えて 5/5 ] 1/27・月曜(雨)

2020-01-27 10:19:55 | 読書

[ あらすじと登場人物]

「満願」

5. (妙子の殺人は計画的と検察は主張し、弁護人の私は偶発的だったと主張した)

 重治は妻の妙子に隠れ、派手な遊興を繰り返していた。その金の出所は矢場英司の会社、回田商事であり、妙子を連帯保証人に、畳屋の運転資金として貸し付けられていた。重治が肝硬変で倒れると、矢場は妙子に返済を迫っており、殺人の動機がこの借金にあるという点では、私は検察と争わなかった。ただ、具体的な経緯については主張が分かれた。

 検察は、妙子が返済を逃れるために矢場を殺害したとし、凶器として文化包丁を用いた点に悪質な計画性が認められれると主張した。

 私の主張は違った。妙子が矢場を殺害したことは認める。しかし、それは、矢場が借金を建てにして妙子に関係を迫ったからであり、妙子は自分を守るために衝動的に犯行に及んだのだ。犯行に計画性はない。これは正当防衛である。

 裁判は激しく厳しいものになった。私のファイルには対立点の数々が、当時の感想付きで(次のように)克明に記されている。

「返済を逃れるために殺人を犯したのは身勝手で、同情の余地はない」

 しかし、矢場を殺しても借金が帳消しになるわけではない。そのことは被告人もわかっていた。返済を逃れるためという動機はそもそも当たらない。

「包丁が用意されていたのは被告人が殺人を計画していた証拠である」

 しかし、凶器は被告人が普段家事に用いていたものである。被告人は、被害者に西瓜を供するため客間に包丁を持ちこんだといっている。

「被害者を刺したのち救急に通報していないのは、強い殺意の証明である」

 しかし、被害者は即死だった。心臓が止まっている者のために救急を呼ばなかったといって非難するのはいささか失当ではないか……。

 防戦を強いられる中、反撃の糸口はなかなか見つからなかった。

 私は、計画性でなく妙子に関係を迫ったからで、偶発的だったということを主張したいと考え、独自の調査で、借金棒引きに、矢場に関係を迫られた女性を探し出し、その女性に弁護側の証人として証言台に立ってもらうようにお願いしたが拒否された。

 しかし、私には、ひとつ搦め手の策があった。

 犯行現場を鵜川家の客間だと特定する証拠として、検察は畳の科学鑑定結果や、背中に血のついた達磨、座布団、そしてあの掛軸を提出した。

 (血のついた座布団、掛軸の)表装の地の部分に、飛び散った血の跡が残っていた。検察側はこの血の血液型が被害者のものと一致したと証明した。

 私はこの機を逃さず、この掛軸に焦点を当てて被告人質問にかけた。

 被告人質問での妙子と私のやりとりはメモに残っていて、妙子の発言は次のとおりである。

「普段は箱に入れて仕舞っている。年数回虫干しをする。私の実家から受け継いだもので家宝としているものです。事件があった日は、矢場さんを迎えるために床の間が空いていては失礼になるとして掛けたものです。血をつけたことは、ご先祖に対し、ただひたすら申し訳なく思っています」

 裁判官から被告人の答弁についてどう思うかの意見を求められ、私は次のように陳実した。

「検察が主張するように、被告人があらかじめ殺意をもって被害者を待ち受けていたのであれば、どうして家宝の掛軸をわざわざ箱から出し、床の間に掛けるでしょうか。現に血がついてしまったし、もっと悪くすれば、矢場が激しく抵抗して破れてしまったかもしれない。これから殺人現場になると分かったいたら、被告人が掛軸をかけたはずなどありません」

 第一審判決では、妙子の自己防衛が全面的に認められることはなかった。矢場が妙子に関係を迫ったという決定的な証拠を提示できず、その点では力が及ばなかった。しかし、犯行の計画性については判決に盛り込まれなかった。

 懲役8年の実刑判決。

 私は第二審に向かって準備に一層力を注いだ。だが、その後、妙子はすべて諦めように控訴を取り下げる。

 それは、重治の死を聞いた日のことだった(借金返済に充てる保険金が下りる)

 

6. (私は妙子の弁護人となる。妙子の申し出で、重治の容態と家の借金を調査して

  妙子に知らせる。重治は病死し、妙子は控訴を取り下げた)

 妙子さんが調布の殺人事件の容疑者として逮捕され、昭和52年9月、私は調布警察署の薄暗い面会室で、大学を卒業して4年ぶりに再会した。私は、そのとき、自分の弁護士事務所を持っていた。

 私は妙子さんに激しい言葉をぶっつけた。

「どうして逮捕される前に、いえ、借金のことだって相談してくれればよかったものを」

 妙子さんは遠慮をして、なかなか口を開こうとしなかったが、やっと、「主人の容態と、家の借金がどうなっているかを調べてほしい」と申し出た。

 私は、2日後に満足な調査を終えた。

 結果は、鵜川の生業であった畳屋の土地や建物は銀行の抵当に入っており、まもなく競売にかけられるとのことだった。家財は回田商事からの申し出によって差し押さえられていた。家財だけでは回田商事への借金は返し切れておらず、妙子さんが借金を背負わなければならない。(当然、家宝の掛軸も対象になるところだったが、証拠品として警察の手元にあった)

 重治は浦安の兄弟のもとにいて、医師は、病状は重く長くはないということであった。

 わたしは、妙子さんにそのことを伝え、弁護士費用の支払いが難しいことは明らかで、私が弁護士になった。

  ◇

 妙子さんの裁判が終わったのは、昭和55年12月で、まだ、八王子拘置所(未決囚が収容されているところ)にいた。

 浦安の医師から、重治が死去したとの連絡が入った。

 私は、葬儀に参加し、その足で、訃報を妙子さんに伝えに拘置所へ行った。

「主人が逝ったのですね」と訊いてきた。私は黙って頷いた。

 妙子さんは、静かに泣き、重治の保険金で借金を返済していただくよう私に依頼した。

 幸いにも借金は重治の保険でまかなえる金額だった。

 終りに控訴審の第一公判が間近に迫っていたので、妙子さんには先への希望が必要だと思い、「量刑の面ではまだ戦えるはずです。新しい証言者次第では執行猶予も」と切り出した。しかし、妙子さんは、控訴は取り下げるのは一点張りでした。

 結局、控訴は取り下げられ、妙子さんは収監された。

 懲役8年。長い年月の始まりだ。

 

7. (殺人の動機は、借金のかたとして掛軸を取られたくなかったからだ。

 控訴を取り下げ結審としたのは、重治が死亡して保険金で借金を払えて

 掛軸が無事だったからだ)

 妙子の公判に関連する手元の黒いファイルを閉じる。

 彼女の力になりたかった。その一念で必死に裁判を戦った。だが、結審から5年が経って、いまは静かに、あの事件を振り返ることができる。

 一審で私は、事件は突発的なものだったと主張した。矢場に関係を迫られ争いになった妙子は西瓜を切るために客間に持ち込んでいた包丁で矢場を刺殺した。すべては予期せぬ出来事であり、家宝である掛軸に血がかかっていることがその証拠である、と。

 だが、それではあの達磨は何だったのだろう。

 客間が殺人現場だと証明するため検察が提出した証拠は、掛軸だけではない。達磨もそうだった。達磨は客間の違い棚から押収されている。私が下宿していた頃もそこに置かれていた。

 掛軸に血が飛んだように、達磨にも血痕が残っていた。だが、それは片目の入った正面でなく背中側にである。ということは事件当夜、達磨は後ろ向きに置かれていたということになる。

 達磨は縁起物だ。それに背を向けさせるというのは普通ではない。

 しかし、私は、妙子が達磨に後ろを向かせたところを見たことがある。あれは私に臍繰りから下宿代を貸してもらったときである。

 あれは、つまり視線を嫌ったのではないか。

 臍繰りというのは一般に秘密の行いとされている。それを出し入れするところを片目の入った達磨が見ている。妙子はそれを嫌がって、まず達磨に目隠しをしようとし、それがすぐに出来なくて、達磨によそ見をさせたのではないか。

 しかし、そう考えると恐ろしくなる。

 事件当夜、妙子が敢えて達磨の目をそむけさせたのだとすれば、それは客間で視線を避けるべき何事かが起きると知っていたことを意味するからである

   ◇

 妙子が予期していた何ごとかがあったとすれば、それはやはり殺人であろう。仮に妙子が矢場の関係強要を予期し、それを受け入れる覚悟を決めて達磨の目を避けたのだとすれば、その後の殺人には発展しなかったはずだからだ。

 しかし、この考え方には無理があった。矢場の関係強要に応じたとしても借金は残るのである。それは妙子にもわかっていたはずだ。

 だから妙子の殺人には計画性はなく、あれは不幸な出来事だった。妙子が収監されてからの5年、私は自分にそう言い聞かせ続けてきた。

 月日のあいだに、私の娘も立ち歩きができるようになった。

 そんなある日、娘が私にプラスティックのブロックを差し出した。私はそのブロックを握って新聞を読んでいると、妻が片づけをしましょうと言って私たちのところに来て、私に言った。

「あなた。さっき隠したブロックを出してくださいね」

 娘は、母親がすべて片付けてしまうことを知っていて、一部だけでも避難させるために私に託したのだ。

 妻が気づいたから私の手のなかのブロックを取りに来たのだが、もし気づいていなければ、娘は後から私に近づいてその小さな手を開いて下さいというだろう。

 私はそのことから妙子の事件を再度考えるようになった。

 妙子は家財を差し押さえられた。回田商事への借金に当てられた。だが、差し押さえされなかったものがあることに私は気づいた。

 禅画の掛軸である。

 掛軸は差し押さえを免れた。血がついていたため、殺人事件の現場を証明する証拠品として掛軸は検察の下にあった。

 被害者の矢場は、欲しいものを手に入れるために、金を貸すことがあった。女と趣味の骨董だ。

 矢場が妙子に求めたのは、妙子ではなく、あの掛軸だったのではないか。

 殺人の結果として掛軸に血が飛んだのではなく、血を飛ばすことが殺人の目的だった―――。

 血痕は表装の地の部分にのみ付いていた。ある夜、私は自分の思いつきで掛軸に、もうひとつの証拠品の血に付いた座布団を重ねてみた。血痕は嵌め絵のように繋がった。

 妙子は家宝を守ろうとしたのだと考えて初めて、控訴を取り下げた理由が呑み込める。重治が病死したため、妙子は保険金で借金を返すことができた。借金がなくなれば掛軸が奪われる心配もない。

 裁判を長引かせ、掛軸を証拠品として保管させておく意味がなくなったのだ。

 (しかし、なぜ、量刑を少なくするために控訴しなかったのだろうか ? )

  ◇

 早春の街を見下ろしながら思い出す。

 妙子は私に親切だった。在学中に合格できたのも、彼女が全面的に協力してくれたからだ。彼女が私の人生の恩人だというのは事実である。

 しかし、妙子の心づもりはどうだったろうか。あの掛軸を私に見せながら、彼女はこう言った。

「先祖は私塾を開き、身分の低い武士を支えて出世を助けたのです」

 私の学問を助けてくれたのは、家宝であり誇りでもある禅画を下賜された先祖を、模倣してのことであり、それだけが苦しい日々の中で妙子が自ら誇る方法だったのではないか。

  ◇

 私の妙子への憧れはすでに過去のものであり裁判は結審している。妙子の罪と目論見が何であっても、それはすべて終わったことだ。

 妙子は5年の服役の果てに、満願成就を迎えられたのだろうか

 季節の変わり目の街に、彼女の姿はまだ見つからない。  

 

      

 

 

 

 

 

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1774話 [ 「満願」を読み終えて 4/? ] 1/26・日曜(雨・曇)

2020-01-26 10:59:45 | 読書

 [ あらすじと登場人物]

「満願」

 「登場人物」

 ◎藤井

  主人公。学生時代、鵜川家に下宿していた。弁護士になる。

  作品は第一人称<私>で記述。

 ◎鵜川妙子

  藤井が学生時代に下宿していた家の奥さん。

  藤井が弁護士になってから、貸金業・矢場を殺害して8年の刑を受ける。

  藤井が妙子を弁護をする。

   公判時代の各章では、妙子を敬称を付けずに記述し、

   主人公と対話の各章では、妙子に「さん付け」して記述している。

 ◎鵜川重治

   妙子の夫。先代からの畳屋を営んでいる職人。妙子との二人暮らし。

   藤井に2階を下宿させていた。

 ◎矢場英司

   妙子に殺害された金融業者。55歳で、貸金業・回田商事を営んでいた。

 

 「あらすじ」

1. (殺人事件物語の始まり)

 鵜川妙子の裁判は、私が弁護士として独り立ちしてから初めて取り扱った殺人事件でした。

 3年がかりで控訴審まで進んだが、被告人・妙子の希望で控訴を取り下げたことで、懲役8年の一審判決で確定した。

 私は、もう少し戦う余地があると思ったが、妙子は「もういいんです、先生」と繰り返すばかりで、裁判を続けることを許してはくれなかった。

 私は中野に自分の事務所を構えて10年になる。

 昭和61年3月のある日、その「藤井弁護士事務所」に、出所した妙子から待ち侘びていた電話が、午後1時ころ入った。1時間ほどで伺うとのことであった。

 未決拘留分を差し引き、彼女は5年3か月で満期釈放になったのだ。

 私は机に戻り、今朝から何度かめくっていた、事件の経緯、裁判の経緯、検察の主張、私の主張、そして、被告の言葉などを綴った黒いファイルに指をかける。

 以下、そのファイルをめくりながらの回想である。

 

2. (奥さんが気配り利できる鵜川家に下宿する。

  夏、西瓜を頂いたときに、床の間 に家宝の掛軸がかかっていた)

 私が20歳のとき、昭和46年冬、下宿先が火事に遭い、新しい下宿先に先輩から鵜川家を紹介された。

 鵜川家の玄関先で迎えてくれた奥さんの妙子さんは、当時27歳か8歳だった。

 下宿代は、近辺の相場から見れば安くはなかったが、二階の二間を借りていて、食事付きで申し分なかった。

 鵜川家に初めて行った日、主人にも会えたが、重治は、みすぼらしい私を一瞥し、家に上げるのも不快だという内心を隠そうともせず、家賃を毎月20日に支払ってもらうことだけ念を押した。

 下宿を始めると、重治はとにかくいい顔をしなかったが、妙子さんは気配りができて、私の勉強は捗った。

 夜中に二階でひとり根を詰めていると、妙子さんがそっと夜食を持って来てくれて、話を聞いてくれ、それが私の大きな励ましになった。

 だが、重治の稼業の評判は良くなかった。

 先代から懇意にしてくれている常連の客が阿漕な商売をするもんでないと怒っていることも少なくなかった。おまけに中古の畳まで扱うようになり、しかもそれを新品と偽って売ろうとする魂胆も見えていた。

 そんなことから家業は、私が下宿していた2年の間だけで、みるみる左前になっていった。

  ◇

 夏になると、鵜川家の二階は堪えがたいほど熱くなった。

 学校は夏季休暇に入っていたが、私は郷里に帰らず、奨学金で足りない分を日雇い仕事で一気に稼ぎ、夜と休みの日は、がむしゃらに勉強した。

 仕事が休みのある日、妙子さんから「藤井さん。冷たい西瓜を切りますから降りてきてください」と呼ばれた。重治は留守だったが、遠慮なくご馳走になった。

 私は、普段は何もない床の間に古い掛軸がかかっていることに気がついた。

 掛軸には、襤褸を纏った男が描かれていて、男の上方には崩し字で何か書かれていた。

「あれは」と訊くと、妙子はどこか陶然とした目を掛軸に向けたまま答えた。

「私の実家の先祖が島津のお殿様から頂いたもので、賛はお殿様の直筆で、たいへん珍しいものだそうですので、こうして年に何度か虫干しをしています。我が家の家宝ですよ

 やがて私をまとめに見据えると、「藤井さん、よく勉強なさいね。学があるというのは大きなことです」と何度も言った。(第7章の終わりの文章に関連)

 

3. (妙子に殺害された矢場は女や骨董が欲しいために金を貸すことがあった)

 妙子が矢場英司を殺害したのは、昭和52年9月1日の午後9時から11のあいだと推定されている。

 矢場は金融業者で、腹を鋭い刃物で刺されたことによるショック死とされている。

 私が弁護士として調査していく中で、矢場は、あまり評判はよくない男だった。

 貸金業が金を貸すのは利息で儲けるためであるが、時折、欲しいものを手に入れるために金を貸すことがあったという趣味の骨董を騙し討ち同然に取り上げることもあれば、好みの女に卑劣な取引を持ちかけることまであったという噂も聞いた。

 警察は矢場への借金の返済が滞っている人物を探すことで、鵜川の名前に行きついた。警察は鵜川重治に話を聞くつもりだったらしいが、重治は不摂生から当時体を壊し入院していた。最初の事情聴取で妙子の振舞いに不審を覚えた警察は1週間とかからないうちに家宅捜索に入った。

 妙子が矢場の財布に手を付けていなかったので、強盗致死や同殺人の嫌疑はかけられず、殺人罪と死体遺棄のみで起訴されることになった。

  ◇

 私のファイルには証拠品の写真も綴じ込まれている。そのほとんどが、私にも見覚えのあるものだ。

 凶器に使われた文化包丁は、妙子がいつも台所で使っていたもの。死体を運んだリアカーは重治が仕事に使っていたもの。客間の押し入れに隠されていた座布団、床の間から押収された掛軸、違い棚にあった達磨の背には科学鑑定で判明された血痕の飛沫が残っており、殺害の場所が鵜川家の客間だったと証明するのに使われた。

 その達磨には目が片方だけ入れられている。するとこれは、妙子が私のために買い自分にも買った達磨だったのかもしれない。

 

4. (妙子さんのお陰で最後まで下宿代も決まった日に支払うことができ、

 妙子に買ってもらった達磨のお陰もあって司法試験も学生時代に合格した)

 大学4年になる年だから、鵜川家に下宿してから2年目の春のことである。

 当時私は、精神的に追い詰められていた。ひたすらに勉強しようとしても将来への不安から逃れられず、机に向かう時間ばかりがいたずらに長くなって成果には乏しいという悪循環を繰り返していた。

 そんなある日、妙子さんが買い物に行きたいが、荷物が多くなりそうなんで一緒に出掛けてくれないかと言われ、翌日買物の供をした。

 途中、私は白木蓮の花のトンネルも気づかず、判例や学説を頭からこぼさないようにぶつぶつ呟きながら歩いていた。

 妙子さんから「何か焦っているようですが、困ったことがあるのですか」と訊ねられて、私は悩みを打ち明けた。

 僕の実家は千葉で漁師をやっているんだが、最近は不漁で、これまでのように学費を出すことはできないと言ってきているのです。と言って、大学を出てからも勉強するような余裕はなく、司法試験を一発で受からないといけなくなってしまっている。しかし、司法試験は5年10年の勉強は当たりまえで、学生のの時分に合格というのは、伝説のたぐいなのです。

 その日は調布深大寺の大祭で多くの人が出ていた。そこの達磨市で、妙子さんは私の願掛けのための達磨を買ってくれて、自分のも購入した。

 妙子さんは何を願掛けしたのか、私は敢えて訊きはしなかった。

  ◇

 ご利益があったのかどうかはわからないが、5月の択一試験は突破できた。

 片目を入れた達磨は本の山の頂上、机を見下ろす位置に鎮座させた。

 だが、金の悩みは思ったよりも早く身に迫ってきた。6月の仕送りが遅れるというのだ。運の悪いこととに私も試験に備えて日雇いには出ておらず、金がすっかり滞ってしまった。

 毎月20日の下宿代だけはどうにもならない。仕送りは10日もすれば届くというので、それまで待ってもらうよう頼みこまなければならなかった。下宿代だけは、主人の重治に直接渡すことになっている。

 その日、妙子さんが出かけたので、居間にいた重治にお邪魔しますと声をかけたが、その後、下宿代の話を切り出すことはできなかった。

 重治と話ができる機会は、それっきり見つからなかった。それでやむを得ず、私は妙子さんに相談することにした。

 重治が出かけた日、私は妙子さんに「半月ほどなんとか貸してもらえないか」とお願いした。

 妙子さんは、「こちらへ」と客間に入って行った。床の間の違い棚には春に買った達磨が置かれていた。

 違い棚の下には地袋がしつらえてあり、妙子さんはその前に座る。そして、「これで代わりに目をつむっていただきましょう」と言って達磨に後ろを向かせた

 地袋から箱を取り出し、中にあった封筒から1か月の下宿代分を取り出して私に差し出す。

「用心金ですが、これを主人にお渡しなさい」と言われ、私は幾重にも驚いた。妙子さんが臍繰りをつくっていたこと。その隠し場所を私に見せたこと。もちろん、その金を貸してくれたことに。

 私は有り難く押し頂き、その金ですぐに下宿代を支払い、そして、仕送りが届いたその日に返却した。その翌日には論文試験にも合格した。

  第5章以下に続く

 

 

 

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1773話 [ 「満願」を読み終えて 3/? ] 1/23・木曜(雨・曇)

2020-01-23 12:04:30 | 読書

 [ あらすじと登場人物 ]

「夜警」

 4. (「弟・浩志は人質を守ろうとして発砲をする人間でない。

  当時のことを隠さず話してくれ」、と兄の隆博が柳岡に迫る )

 警察葬のあと、俺は川藤の遺族を訪れた。

 父親代わりの兄の川藤隆博が迎えてくれて、挨拶された。

 線香をあげたあと、兄さんに挨拶を返した。

「立派な警官でした。凶暴な犯人でしたが、川藤君のおかげで、人質は助かったし、私たちも助けられた」と。

 しばらく無言だったあと、隆博が口を開いた。

「俺はあいつのことをよく知ってます。あいつは警官になるような男じゃなかった。頭は悪くないんだが、肝っ玉が小さい。そのくせ、開き直ると糞度胸はありましてね……。

 あいつは、銃が好きだった。銃を撃ちたくて海外旅行に行き、戻ってくれば早打ちの自慢ばかりするような奴です。銃を持てるからっていう理由だけで警官になったんじゃないか。

 ……だから、人質を守ろうとして発砲したなんて話は違う。そんな立派な死に方は、俺の弟がするもんじゃないんですよ。

 だからねあの日に何があったのか、この俺に全部話しちゃくれませんか」

 遺族に現場のことを話すのは論外であることは、俺は知りぬいていた。しかし、俺は、三木のような死に方をさせたくなかったので、川藤が警官に向いていないことはわかっていながら、俺の保身のために、それを責めずにいた。

 本来なら、お前の性格では現場に出たとき危ないぞと、ぶん殴ってでも教えていなければならないのだ。

 俺もまた、警官には向かない男だったのだ。俺も辞めよう。そう思うと、あの日の出来事がまざまざと甦ってくる。

「あの日は……。朝からおかしな事が続いた」

 俺は話し出した。

 田原美代子が、旦那の勝のことについて午前中に相談に来たこと。勝の様子がおかしいことは交番もわかっていたが、「最近、何もしてなくとも、度々、浮気しているだろうと言うようになったし、刃物も買った」と通報してきたこと。

 徘徊老人を探しに出たこと。スーパーマーケットでの事故。迷子の中学生。常連からの緊急性の低い通報。

 そして、話は、同日の11月5日午後11時49分に田原美代子から署に通報があった事件に続く。

 

5. (川藤が撃った拳銃弾は勝に命中したが、

 川藤もまた、勝が突き出した刃物で首を切って血が噴き出した)

 俺の「防刃ベストを着けろ。急げ」の指示を受け、署からの連絡に従って3人は田原美代子の自宅へ向かった。

 自宅から美代子の悲鳴が聞こえる。

 本部に判断を仰ぐ。

 本部から、応援を送るの連絡を受けたが、すぐに突入しようという川藤、そして、勝が刃物を持っているという情報から急を要すると判断し、梶井、川藤、俺の順で玄関に入る。

「助けて、ここよ」の声に、美代子が庭にいることが分かり、室内から川藤、梶井、俺の順で庭に出る。月明かりのなか、勝が美代子の首に刃物を当てていた。

 俺は説得を試みた。勝は落ち着いてきた。

 しかし、そのとき、いきなり川藤が「緑1交番だ」と叫んだ

 その一言で勝は豹変した。

「緑1 ?  貴様か ! 」

 短刀を美代子の首から話す。

 気弱そうですらあった顔は一変し、落ち込んだ眼窩の奥の狂暴な目は、およそ正気とは思わなかった。

「貴様が美代子を ! 」

 突っ込んでくる。

 俺は、縁側から飛び降りる。梶井は警棒を構え、一歩下がる。勝が短刀を突き出して川藤に向かう。梶井の体が邪魔になり、その先ははっきりとは見えなかった。

 そのとき、銃声が続けて聞こえた。だが勝は止まらない。短刀が伸びる。

 直後、勝の体がぐらりと傾き、突進の勢いそのままに、膝から崩れ落ちるように転がる。

「確保 ! 」

 俺はそう叫んで、倒れた勝に覆い被さり、短刀を掴んでいた右手を押さえ込む。

 川藤は手で自分の首を抑えようとするが、指のあいだから血が噴き出る。梶井は川藤を介抱する。

 応援のパトカーが来た。そのあと、10分ほどして救急車が来た。

 

6. (川藤は当日午前、兄に「とんでもないことになった」とメールした。

 そして、勝つから刺されたとき、「こんなはずじゃなかった」と言い、

 「上手くいったのに」と繰り返した)

 ここで、俺の回想話は終わり、線香も燃え尽きていた。

 兄の隆博はそのまま目を閉じている。

  ◇

 俺は二日ほど様子を見て、美代子が落ち着いたころ合いを見計らって事情聴収に行った。

 あの日、美代子はいつもの通りバーのホステスの仕事に出かけた。午後11時半ばに店が閉まり、家に帰ってすぐ、夫に襲われたという。

 緑1交番の名を聞いたとたんに、勝が態度を変えたのは、美代子の浮気相手が交番の警官だと思い込んでいたからだろう。

 ―――美代子が本当に警官と浮気をしていなかったかについては、内偵が入った。結果はシロだった。

 そもそも川藤が緑1交番に配属されたのは、事件の1か月前に過ぎない。

  ◇

 瞑目して石の様になっていた隆博が、ゆっくりと目を開ける。

「柳岡さん。いくつか、聞かせてもらっていいですか」と言って、俺が頷くと、まず、「最後に、あいつは何か言いやしなかったですか」と訊ねた。

 最後まで、川藤はたいしたことを言っていない。

「『こんなはずじゃなかった』と言って、そのあと、『上手くいったのに』、と繰り返していました。『上手くいったのに』と……」

 隆博はその言葉を何度も呟き、「何のことだと思いますか」と再度訊ねる。

「射撃のことでしょう。川藤が撃った弾は、たしかに命中していました。川藤はおそらく田原を止めたと確信したはずです。しかし、田原は止まらなかった。まさか自分が死ぬとは思わなかった。そういう意味でしょう」

「新聞じゃ、あいつは5発撃ったと書いてありました」

そうです。4発が当たって、そのうちの1発が心臓に当たっていました。1発は当たらず、庭に落ちていました

「と言うと」

「空に向けて威嚇発砲したんでしょ。その弾が落ちてきた……」

 そう答えたが、俺自身も威嚇発砲する川藤を見ていないのである。

 ………俺自身、ひとつわからないことがある。

 田原家に突入したとき、川藤は警棒を手にしていた。これは憶えている。しかし、田原が襲って来たとき、川藤は間髪入れず発砲している。いつの間に拳銃に持ち替えたのか ?

 ただ、川藤に拳銃を使いたがる癖があったことも間違いない。スナック「さゆり」の一件を思いだせば、頷けないこともない。

 隆博が携帯を出してきた。

「実は、柳岡さん。あの日、弟からメールが届いたんです」と言って、そのメールを見せた。

 ……とんでもないことになった。

 文面はそれだけだった。受信時刻は、11月5日、午前11時28分。

「あいつがメールを出すところに、気づきませんでしたか」

「この時間はパトロールに出ていました。川藤は交番でひとりだった」

 隆博は、あいつが俺に「とんでもないことになった」というのは、大体ろくでもないときで、俺に尻拭いをしてくれと頼むときですと言う。

「では、あの日も、あんたが」と訊ねると、隆博はかぶりを振って、携帯を家に忘れて出かけたんで、メールに気づいたのは遅くなってからで、夜になっていたと答え、「柳岡さん、何か心当たりはありませんか」と訊ねられた。

 しかし、俺は何も言えなかった。

 だが、隆博の言葉で、5発目の銃弾はなぜ庭に落ちていたのか、どうやらわかりかけてきた。

 

7. (川藤は、暴発を隠すためには田原勝の精神状態を利用して発砲すればいいと考えた)

 交番で、俺は、ただ川藤に起きた「とんでもないこと」について考え続けている。

 11月5日、工事現場の誘導員のヘルメットに当たったのは、何だったのだろう。川藤は「車が撥ねた小石だ」と、あいつはなにか強調して言い続けていた。

 いまの俺には、それが何だったか分かる気がした。

 拳銃弾。

 ひとりで交番にいた川藤は、拳銃を触っていたのではないか。そして、何かの拍子に拳銃を発射してしまった。

 依願退職では済まないどころか、おそらく訴追される。川藤は兄に向かってメールを打つ。―――とんでもないことになった。だが返信はない。

 書類箱の鍵をかけ忘れたとき、ひとりで警邏に行くと主張したように、川藤は失敗を隠すことを考えた。

 撥ねてきた小石を探すようにし、幸運にも弾丸を見つけることができた。だが問題は返却だ。

 そして辿り着いた結論は、暴発を隠すためには発砲すればいい、ということではなかったか。

 川藤は田原勝に電話をかけた。電話番号は相談履歴に載っている。そしてこう告げる。

 ―――奥さんは浮気している。相手は緑1交番の警官だ。

 田原はもともと、かなり不安定な精神状態にあった。得体の知れない電話を笑い飛ばすことはできない。事は上手く運んだ。田原は帰宅した美代子を襲い、美代子は警察に通報した。

 本部の応援を待とうと仄めかした梶井に対し、突入を主張したの川藤だった。

 川藤は田原家の屋内の捜索のどさくさに紛れて拳銃に持ち替え、勝を探し、先頭に立つ。

「諦めろ。緑1交番だ」と言って勝を興奮させ、弾丸を一発、足下に落として上から踏みつける

 すべては一瞬の出来事だった。

 しかし、川藤は一つ大きな誤りを犯した。人間の執念を甘く見たのだ。

 短刀で頸動脈を切り裂かれ、全身の血を失っていく中、川藤は呟き続ける。

「こんなはずじゃなかった。上手くいったのに。上手くいったのに……」

  ◇

 隆博は、おそらく弟が何をしたかを気づいているだろう。

 俺もまた、「自分も警官に向かなかった」と、警察を去ることを予感していた。

 

       「夜警」終  「満願」に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

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1772話 [ 「満願」を読み終えて 2/? ] 1/22・水曜(晴・曇)

2020-01-22 12:09:32 | 読書

[ 登場人物とあらすじ]

「夜警」と「満願」、このふたつの短編について、ミステリー部部をポイントに粗筋を纏めた。

 ※「作品のポイントになる文章」を薄緑色の蛍光ペンで彩色する。

 ※「私が補足した文章・単語」を薄青色の蛍光ペンで彩色する。

 ※「心に留った文章」を薄黄色の蛍光ペンで彩色する。

 短編集なので、短編ごとに「登場人物」を記述する。

「夜警」

「登場人物」

◎ 柳岡巡査部長

  主人公。ほとんど一人称、<俺>で記述されている。

  緑1交番の交番長。

◎ 川藤浩志

  警察学校出たばかりの緑1交番の新米巡査。小心者。

  勇敢な職務遂行で殉職したことで、警察葬になる。

◎ 梶井巡査

  緑1交番の警察官。柳岡交番長の2年後輩。

  人当たりがよく、苦情対応に得難い才能がある。

◎ 田原美代子

  バーのホステス。緑1交番への通報常連者2号。

  田原勝の妻。

◎ 田原勝

  田原美代子の旦那。傷害で2度検挙されている。粗暴で危険な男。

◎ 川藤隆博

  浩志の兄。父親代わりで面倒を見ていて、浩志の性格をよく知っていた。

 

「あらすじ」

1. (警察葬にもなった川藤巡査を、柳岡は「彼奴は警官に向かない男」だった」と呟いた)

 川藤浩志巡査は勇敢な職務遂行で殉職したことを賞されて二階級特進し、警察葬による葬儀が行われた。

 その川藤の殉職事件は、こんな風に報じられた。

―—ー11月5日午後11時49分頃、市内に住む40代の女性から、夫の田原勝(51歳)が暴れていると110番通報があった。現場に駆けつけた交番の警官3人が説得を試みるも、田原は短刀で警官たちに切りかかったため、川藤巡査(23歳)が拳銃を計5発発砲。胸部と腹部に命中し、田原はその場で死亡した。川藤巡査はきりつけられ病院に搬送されたが、6日午前0時29分死亡が確認された。

 世間は最初、このニュースをどう取り扱うか戸惑っているかに見えた。新米巡査が被疑者を制圧できず射殺してしまった不祥事と見るか、勇敢な警官が自分の命と引き換えに凶悪犯をやっつけたと見るかで。時間とともに、ニュースの扱いは「適正な拳銃使用だったと考えている」として、後者に傾いていった。

 しかし、川藤巡査の上司であった交番長の柳岡巡査部長は、「あいつは所詮、警官に向かない男だった」、と独り言を言っていた。

 

2. (川藤は小心者で、叱られるのを怖がり誤魔化そうとする男だった)

 警察学校を出た川藤は、最初に緑1交番に配属された。

 交番勤務は3人1組の3組交代制で行われる。川藤は柳岡交番長の組に入り交番長の2年後輩の梶井との組になった。

  ◇

 川藤の交番初勤務の日、交番の近くのスナック「さゆり」から、客の男ふたりが口論になり、角瓶を振り回し始めたとの通報があった。

 緑1交番の3人の警察官が出向き、梶井が中に割って入り、引っ張るぞと脅しておしまいにした。

 当直があけて、次の組と交代し、帰る前に俺は喫茶室に行く。すると、梶井が先に入っていて、昨夜の「さゆり」へ出向いたときのことを話し出した。

 梶井から「客と対応したときに、川藤の手が腰の拳銃に伸びた」と告げられ、俺は、スナックの客同士のトラブル程度で腰の拳銃に手が出るようでは、警官としては厳しいと感じた。

 川藤が交番に配属されてから1週間ほどしたある日の午前中、俺は川藤に交番の管轄内の道を教えるため、自転車で川藤をパトロールに連れ出した。

 小学校のそばの脇道に入ると、そこは一方通行になっている。そこへ軽自動車が逆行してきた。

 俺は、川藤に違反切符を切ることを指示した。

 川藤は自転車の後部の箱の鍵を開け、交通反則切符とクリップボードを取り出し、車から降りてきた運転手に甲高い声で言った。

「おい、わかっているだろうな。違反だよ」

 俺は、川藤の頭を殴り付けたい衝動に耐えなければならなかった。そんな口の利き方は、よかれあしかれ、この仕事に慣れきってしまったものがするものだと、舌打ちがでた。

 警邏を終えて交番に戻り、昼飯を済ませたあたりから川藤の様子が変わってきた。

 川藤から、もう一度、ひとりでパトロールに行かせてくれと申し出があった。警邏はふたりで行くのが原則だと𠮟りつけたら、川藤は謝り自転車を見つめるだけだった。

 俺は変に思い、川藤が休憩のときに、川藤が使った自転車を見ると、後部の箱の鍵がかかっていなかった。川藤は、俺や梶井に見られずに鍵を掛けようとしたのだ。

 川藤は小細工で誤魔化そうとしたのだ。

 あれは小心者だ。ただ単に、叱られるのが怖かったのだ。子供のように。

 臆病者なら使い道がある。臆病が転じて慎重な警官になるかもしれない。上手く育てれば、臆病が転じて慎重な警官になるかもしれない。無謀な者よりは余程いい。内勤にまわせばそつなくやっていくだろう。だが、川藤のような小心者はいけない。あれは仲間にしておくのが怖いタイプの男だと思っていた。

  ◇

 むかし刑事課にいたころ、三木という体格に恵まれた部下が入って来た。顔つきもいかめしくて、押し出しが強い刑事になるだろうと期待していた。

 だが、見掛け倒しだということがすぐ分かった。何か不都合があると他人に責任を押しつけることをためらわない。こいつを刑事にしておくと必ず問題がおきると直感し、俺は三木に厳しく当たった。

 1年後、三木は辞めた。その3か月後に首をつって死んだ。

  ◇

 川藤も警官には向いていない。あいつは、いずれ必ず問題を起こすだろう。

 だが、俺には罪悪感があり、もう部下を殺したくなかった。

 

3. (11月5日、川藤が殉職した日は朝から変なことが続いていた)

 川藤が殉職した日は、朝からおかしなことが続いていた。

 交番に行くと、常連の通報者である田原美代子が待っていて、話を聞くと、旦那の田原勝が最近刃物を買って、何もしないのに「浮気しているだろう」と言われ、殺されるかもしれないと言いだした。交番の電話番号を教えて十分警戒してくださいと言って帰した。

 午前の警邏に梶井を連れ出した。徘徊老人の捜索も視野に入れての警邏でもあったので、梶井が適任だと考え、川藤は留守番にした。

 12時半過ぎに交番に帰ると、川藤から話しかけてきた。

交番長。さっき、工事現場で人が倒れました。僕は机に向かっていたんですが、交通整理の誘導員が頭を押さえて倒れたとのことでした。見に行ったら、車が小石を跳ね上げて頭に当たったと言っていました。ヘルメットに派手な傷がいましたが、すぐに起き上がりました

 工事現場を見ると、その交通誘導員は、普通に誘導灯を振っていて、たいした怪我はしなかったらしかった。

 そこから夜までは普段通りだった。

 午後11時10分、隣同士でいがみ合っているとの常連の通報があった。現場に向かい、交番に戻って、午後11時49分という時刻を記録した。

 (そのすぐ後に、署の本部から交番に、田原家に事件が発生したとの通報があった。本部の)記録によれば、署に110番通報(田原美代子から)があったのも同じ午後11時49分となっていた。

    第4章以降に続く

  

 

 

 

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1771話 [ 「満願」を読み終えて 1/? ] 1/20・月曜(晴・曇)

2020-01-18 15:55:18 | 読書

              

[ 作品紹介 ]

 米澤穂信の作品。

 第4回新潮文庫紅白変合戦で「男性に売れた本」第2位になった作品。

(Amazonより)

「もういいんです」人を殺めた女は控訴を取り下げ、静かに刑に服したが……。鮮やかな幕切れに真の動機が浮上する表題作をはじめ、恋人との復縁を望む主人公が訪れる「死人宿」、美しき中学生兄弟による官能と戦慄の「柘榴」、ビジネスマンが最悪の状況に直面する息詰まる傑作「万灯」ほか、「夜警」「関守」の全六篇を収録。史上初めての「このミステリーがすごい ! 」「ミステリーが読みたい ! 」「週刊文春ミステリーベスト10」の国内部門ランキングにて1位に輝き、史上初の三冠を達成したミステリー短編集の金字塔。山本周五郎受賞。

 

 私は表題作の「満願」と「夜警」を非常に興味深く読み終えたので、この2作を後に[ あらすじ ]にまとめた。

(作品の解説より)

「夜警」の語り手は、ベテラン警察官の<俺>、柳岡巡査部長。彼が勝手の部下・川藤浩志巡査を追走する場面から物語は始まる。

 柳岡の勤務する緑1交番が、川藤の最初の配属先だった。勤続20年になる柳岡は、川藤が警察官としての資質を欠いている人物であることを一目で見抜いた。

 その予感は的中する。男が刃物を持って暴れている現場に駆けつけた際、相手を射殺したものの、自らも切りつけられて殉職してしまったのだ。勇敢な警察官という美談が残る結果になったが、柳岡は事の経緯に不満なものを感じていた。そのことを突き詰めて考えた結果、事件の背後にひとつの歪んだ動機があったことを知るのである。

 なぜそれが起こったのか。『満願』は、人間の不可解な心理を謎の中心に据えた作品集である。

「満願」は、弁護士の<私>、藤井が若き日に手がけた殺人事件についての物語である。

 弁護することになった相手は、困窮していた頃に世話になった下宿先の女性・鵜川妙子であった。

 彼女は夫が借金を拵えた相手を刺殺して罪に問われたのである。事件後、公判に望んだ際に見せた振る舞いと、藤井が下宿時代に見聞していた彼女の人物像とが重ね合わされながら描かれていく。それが完全には一致しないところが本篇の肝だ。わずかに生じたずれの正体は何か、という懸念が藤井による推理を呼び込んでいくのである。

 

         作品ごとの「登場人物」「あらすじ」に続く

 

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