T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1470話 [「おらおらでひとりいぐも」を読み終えて -4/?-] 4/30・月曜(曇・晴)

2018-04-28 17:39:07 | 読書

「作品の文章抜粋による粗筋」

3章

(孤独の気持が高揚している中で桃子は亡夫・周造との出会いを回想しながら過去の自分と対話する)

 8月の終り、桃子さんは病院の待合室の長椅子の端にちんまり腰かけていた。

 桃子さん自身は特別具合が悪いというわけではなかった。にもかかわらず病院に来ている。

 たまにごくたまにだが、桃子さんは熊だか狐だか山中の暗い洞窟なぞに住んでいるのが何を思ったのか人里に降りてくるそんな気分で、人中にいたいと痛切に思うことがあって、今日はまたそんな日なのである。

 このところほとほと参っていた。

 人は誰だってその人生をかけた発見があるのではなかろうか。桃子さんの場合は、『人はどんな人生であれ、孤独である』というかけがえのないひとふし、浪花節のようなうなりのひと節である。まぁ大したことがあったわけではない人生ではあるが、そうはいってもこれまで生きてきた中でしみじみと納得することもあったわけで、であるから、孤独などなんということもないと自分に言い聞かせもし、もう十分に飼いならし、自在に操れると自負してもいるのだった。さびしさぁ、なにさ、そんなもの、などと高をくくっていたのである。

 ところが、いけない。飼いならし自在に操れるはずの孤独が暴れる

 いったい昨日とどう状況が変化したというのか、と桃子さんは自問する。即座に何にもかわってねのす、と返ってくる。それなのに心というやつはどうなっているのか、風向きがすっかり変わってしまって桃子さんはしおたれる。

 いったい何をきっかけにそうなるのか、だいたいコドクというが正体は何なのか、はっきりこれこれの理由でこういう感情が湧き出てきてなどと説明がつかない。説明がついたならもっとうまい対処の仕方があったかもしれないが。

 …………

 それで今日、手っ取り早く人が大勢いる場所と考えて病院に来ているのである。むろん、桃子さんの年になれば、体の不調の一つや二つはあるわけで、ついでに医者の診察もしてもらおうという算段でここへ来た。

 相変わらず訳の分からない高揚感は続いていて、知らない爺さんとだって、肩を抱き寄せて頬を摺り寄せたいぐらいの勢いで病院の待合室の長椅子におさまったのだった。桃子さんは話したいのである。誰彼かまわず、自分の身の内に起こったこと、考えたこと感じたことを。

 桃子さんは口元を手で覆ってあくびをこらえた。目じりにいっぱい涙が溜めた。

 日高桃子さん。

 機械的なアナウンス音が桃子さんの名を呼んだ。やっと順番がまわってきたらしい。

 …………

 診察を終え、会計を済ませたのは昼過ぎだった。病院を出たとたん、暑い日差しが桃子さんの頭上に容赦なく降り注いだ。木陰沿いにバス停までの道を歩いた。

 いつもの喫茶店はそれほど混んでいなく窓際の席に着いた。

 頼んだソーダ水を待ちかねたように口に含んだ。ピリピリとした甘さが舌を刺激して喉元を通り過ぎたとき、桃子さんは自分が思いの外疲れているのに気が付いた。暑い日差しにやれたのかもしれない、とろけるような睡魔に襲われて、グラスの底ではじける泡を覗きこんでいるつもりが何も見ていなかった。

 周造。 桃子さんはこの日初めて亭主の名を呼んだ。

 次第に古い懐かしい思い出が桃子さんの周りを取り囲んで離さない。

 …………

 ファンファーレに押し出されるようにして上京したとき。桃子さんの回想は必ずそこから出発する。

 ………、まずここで働いて食べて行かなければならないのだ。仕事を探した。すぐに蕎麦屋の店員募集の張り紙を見つけた。………。

 あの頃、痛く突き刺さった言葉がある。

 蕎麦屋をやめてすぐに何軒か店を替えていた。大衆割烹の店で朋輩の子のひとこと、桃ちゃんてさ、わたしっていう前に、必ず一息入れるんだよね。山形から出てきたトキちゃんという子だった。その子がいたずらっぽい目つきでそう言った。背中に冷や水をかけられた気がした。

 確かにそうだった。子供のころからずっと、わたしという言葉への憧れと反感、いや、むしろおらという言葉に対する蔑みと愛着、それらが入り混じって、わたしというとき一瞬混乱して滞る。分かっていたのだ。でも人に気づかれていたとは知らなかった。……。

 トキちゃんの言葉は後々まで響いた。次第に口数が少なくなった。不思議なことに口数が減ると豊かさへの憧れも減じていった。飾り立てるという喜びが失せてきた。どんなに頑張ってみたところで所詮豊かさの辺縁にいるのだ、という思いもあった。

 その頃だったろうか。あの夢を見たのは。

 八角山の夢。

 八角山は桃子さんの郷里のぐるりを取り巻く山の中で一番高い山である。

 ばっちゃは朝晩手を合わせていた。信仰の山であった。

 その山の夢をトキちゃんと共用の暑苦しい四畳半で見たのだった。

 しばらくして、トキちゃんは故郷に帰っていった。そうなるとますます口数が減り、人に不愛想だと面と向かって言われてもただうつむくだけだった。丸っこい八角山がかろうじて心を支えた。

 そんなときだった。

 昼飯時で店が一番忙しいとき、大きな声でおらは、おらはと話す声を耳にした。

 後ろを振り返ると目をみはるような美しい男がいて、連れの男と話している。屈託のない笑顔で大きな声で笑う。笑ったときの白い歯が印象的だった。

 それが桃子さんと周造の初めての出会いだった。

 どうやらその日から桃子さんは見違えるように元気になった。どの客にもにこやかに笑いかけ、機嫌よく仕事をこなした。

 …………

 それから二言三言言葉を交わすようになった。あるとき思い切って、八角山て知っていると聞いてみた。

 周造の言葉や抑揚が郷里の聞きなれたものと同じだったから、もしかしたらと思っていた。周造の言葉を待つわずかな間の面映ゆさを何十年経った今でも忘れられない。

 周造の美しさに気後れがしてそれでも周造を見つめずにはいられなかった。

 周造は飛び切りの笑顔で覚えている、八角山でば、おべでる、と言った。

 桃子さんは震えた。

 …………

 付き合い始めデートを重ね、あるとき周造が真顔で、

 決めっぺ。ひとことそう言った。

 結婚の申し込みだった。何の飾り気もない言葉、それがすとんと胸に落ちた。

 それからまもなく所帯を持った。

 …………

 周造が望んだのは、控えめで後ろからついてくるような女ではなかった。むしろ、元気でわがままな楽しい女だった。桃子さんは全力で応じた。

 周造を魅了し続けること、それによって周造の生きる手ごたえになること。

 ごく自然に周造のために生きる、が目的化した。

 周造はにこやかな笑顔で応じた。懸命に働き、桃子さんは軸足を周造に預けて、届く限りの果実をむさぼればよかった。桃子さんは周造をただ守りたかったのである。守るために守られたのだ。

 周造は桃子さんが都会で見つけたふるさとだった。故郷に取って代わるもの。美しさと純粋さで余りあるもの。目の前でうっとりと眺める美しい彫像であった。

 桃子さんはまだ弱くて一人で立っているのには拙(つたな)くて、外に偶像を求めたのである。寄りかかって支える。強いから支えるのではない、支えることで自分の輪郭を確かめようとした。甲斐(効果)を自分に見出すにはまだ時間を要したのだ。

 …………

 あれから15年、あの日を思えば今でも心が泡立ち平静ではいられない。

 周造はたった一日寝込むでもなく心筋梗塞であっけなくこの世を去った。桃子さんは周造の突然の死を心のどこかでいまだに受け入れられないのである。

 周造、逝ってしまった、おらを残して

 周造、どごさ、逝った、おらを残して

 うそだべうそだべだがうそだどいってけろあやはあぶあぶぶぶぶぶ

 周造、これからだずどきに、なして

 神も仏もあるもんでね、神も仏もあるもんでね

 かえせじゃぁ、もどせじゃぁ

 …………

 自分よりも他人を大事にするごと、それが愛だどいう

 ひたむきな愛だの、一途な愛だのとほめそやす

 自分のエゴに打ち克って人の幸せのために自分を犠牲にする

 それがほんとの愛だど、正しい生き方だど信じ込ませる

  …………

       第四章に続く

  

 

 

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1469話 [「おらおらでひとりいぐも」を読み終えて-3/?-] 4/27・金曜(曇・晴)

2018-04-27 10:57:41 | 読書

                                                          

「作品の文章抜粋による粗筋」

2章 

(『柔毛突起』は影を潜め、独りで住んでいる老母・桃子と娘の直美との対話が綴られている。そして、その中で桃子は過去を懺悔し、その後の生き方を表現している。)

 電話、直美の電話、あの子から電話が来る。

 近くに住んでいても電話一本寄こさなかった娘がなぜ、でもうれしい、うれしくてしょうがない。

 二時を少し回ったころ、直美から電話があった。

「母さん、トイレットペーパはある」

 直美はのっけからこう言った。笑いを含んだ穏やかな声に聞こえた。

「うん、まだ間に合っている」

 答える桃子の声は上ずっている。

「洗剤はどう」

「牛乳は」

「野菜はどう」

 桃子さんは、娘のどんな些細な声の調子も聞き逃すまい、その声にちゃんと答えたい、その気持ちばかりが先に立ってなんということのない会話に力が入る。

  …………

 実際こういう日が来るとは思わなかった。

 あきらめかけていた直美と、こうして話ができのだ。知らず口元がほころぶ。

 直美は車で20分ほどのところに、中学校教師の夫と小学生の息子と娘4人で暮らしているる。

 結婚と同時に家を離れた直美といつごろから疎遠になった。きっかけは何であったか思い出せない。

 仕方ないと思っていた。桃子さんと母もそうだったから。どういうわけなのだろう。直美と桃子さんに起きたことはいつも桃子さんと母に起きたことの忠実な複製なのだった。

 その直美が孫娘のさやかを連れて実家を訪ねてきたのは、ほんの二か月ほど前である。

 さやかはその動作が小さいころの直美そっくりである。

 仏壇に手を合わせる直美の横顔を見て、桃子ははっとしたのだった。娘に初めて老いを感じた。桃子さん、自分の老いはさんざ見慣れている。だども娘の老いは見たくない。娘まではせめて娘だけは勘弁してけでがんせというような手すり足すり何かに頼む気持ちが生じた。………。

 母さん、買い物たいへんじゃない。持ち重なりのするのだけでも私がやってあげようか、と直美がにこやかに言った。

 近くのスーパーが閉店してからというもの、買い物は正直たいへんだったから、桃子さんは娘の申し出がうれしかった。パートの休みの日に10日に一度ほど買い物を手伝ってもらうことがそこで決まった。夢のようだった。

 おばあちゃん、二階に行ってくるね。踵を返したとき、さやかの今風のかわいらしいスカートがふわりと動いた。桃子さんはふと、こんなスカートを以前作ったことがあると思った。

 直美がちょうど今のさやかぐらいのとき、夜なべしてフリルのいっぱい付いたスカートをそういえば縫った。自分でもかわいらしい出来だと思った。直美は喜んで穿いてくれたものと思っていたが、ずいぶん後になって、あれが嫌だったと、自分には似合っていないと分かっていながら無理やり着せられたと、涙ながらに詰(なじ)られたことがあった。母さんは何でも思い通りにしたがると。まさかそんなつもりでと思ったが、一方では娘のころの桃子さんの言い分そのもので、あれは堪(こた)えた。

 …………

「母さん、母さんたら、お米は大丈夫なの」

「あ、忘れた、ごめん」

「余分にあっても腐るもんじゃないし、急いで転びでもしたらそれこそ大変なんだから」

 直美の声はあくまで優しかった。

 その声を聞くと、桃子さんの感情が溢れた。おらは母ちゃんにこれほどの言葉をかけだごどあったべかぁ。不意に今だと思った。

 直美になんとしても言わなければならないことがある。桃子さんがずっと考え続けてきたことを、今こそ娘に伝えたいと思ったのだ。

 だども、なにがら話せばいいんだが。桃子さんは口ごもった。かすれ声で、

「直美、あの……伝染(うつ)るんだよ

「え、母さんなんのこと」

 面と向かったら言えなくて、でも電話だったら冷静に話せるかと思ったが、だいたい自分はいったい何を言いたいのか、伝染るんだと言ったってなにも伝わらない。

 済まなかった。直美、おらは女の子であるおめはんへの接し方が分がらなかった。

 母ちゃんは、母は勝気な人だった。いつも命令口調で自分の思い通りにならねば気の済まない人だった。桃子さんはいつも母親の顔色を窺ってばかりいた。娘のころ、髪に刺したピン留めを色気づくと怒鳴られて引きちぎられたことがある。母は桃子さんが年相応に女らしくなるのを異常に恐れた。何かが損なわれると思っているかのようだった。これは後々まで祟って、桃子さんは今でも自然な動作というのが苦手だ。自分の女の部分にどう向き合えばいいのか分からない。

 直美にはそんな思いはさせない。といってどうしてやればいいのか分からなかった。

 結局自分のあこがれを娘に映すことしかできなかった。フリルのいっぱい付いたスカートは、小さいころの桃子さんの夢だったのだ。何のことはない、桃子さんが母に過剰にせき止められていたことを、過剰に与えようとしただけだったのかもしれない。期せずして、桃子さんも娘を自分好みに思い通りに操ろうとしたのだ。

 同じ。母から娘へ。娘からまたその娘へ

 なんだってこうも似るもんだべ。伝染病のように。なぜ。

 …………

「母さん、あの」

 電話の向こうで今度は直美が言いよどんでいる。

「……急で悪いんだけど、あの……お金貸してくれない

「………」

 二つ返事でうんと言えばよかったのに、すぐに答えられなかった。

「母さん、お願い」

 孫の塾の入学金とか月謝に必要なんだとのこと。

 電話の向こうの直美の息遣いが聞こえる。

「………」

 沈黙がだんだん直美の感情を害していくようだった。

なによ。お兄ちゃんだったら、すぐに貸してあげる癖に」

 嫌な予感がした。話は桃子さんの一番触れてほしくない方向に進んでいく。

「だから、おれおれ詐欺になんか引っかかるのよ。……母さんはわたしのことなんか……」

 耳元で大きな音で電話が途切れた。

 耳に受話器を当てたまま桃子さんは呆然と立ち尽くした。

 直美が、また遠ざかる。頭の中を白々とした感情が流れていく。

 …………

 直美と二つ違いの息子正司は大学を中退してしばらく音信不通だったことがある。

かあさん、もうおれにのしかからないで』、家を出るときに言った最後の言葉が忘れられない。

 今は他県に就職し連絡もくれるようになったが、家にはめったに帰らない。帰っても子供のころのようには桃子さんに心を開かない。

 その正司を名乗ってのおれおれ詐欺に引っかかったのだ。

 …………

 それにしても、どうしてこうも似るのだろう。

母さんはお兄ちゃんばかりかわいがる』 それが直美の本当の不満だった。そして桃子さんも。受話器を持つ手が固まったまま桃子の目線はさらに遠いほうを見る。

 高校を卒業してしばらく家にいた。ずっと郷里にいるつもりだった。母の念願通り農協に勤めることになって、働き始めて4年経ったころだったと思う。

 夏の夜だった、あのとき母ちゃんはしみじみと桃子さんに告げたのだった。

 結婚なんて詰まらね。ずっとこの家にいて働いたほうがいい。それだばおめはんも楽しいし、この家のためにもなる。母ちゃんは自分も納得し、桃子さんにも言い聞かせるというふうにゆっくりと話した。

 この家って、兄さんが継ぐ兄さんの家のためにということか。桃子さんは黙って聞いていたが、やはり激しいものが渦巻いた。

 その年の秋、組合長さんの息子との縁談が持ち上がり、好きでも嫌いでもなかったけれど桃子さんは受け入れた。

 あと三日でこ祝儀という日にあれが鳴ったのだ。ファンファーレ、東京オリンピックのファンファーレ。その高鳴る音に押し出されるように、故郷の町を飛び出してしまった。あの音が桃子さんに夢を見させた。

 ずっとあそこにいるのはもう嫌だ。母ちゃんの目の届かないところで何もかも新しく始めたい。夜汽車に揺られながら何度も何度も自分に言い聞かせた。

 …………

 しびれる腕をさすりながらやっと受話器を置いたとき、桃子さんの目には力があった。

 負け惜しみかもしれなかった。直美が行ってしまう、がっくりとうなだれそうになる自分を励ますもう一方の自分もいて、それがさかんに、たいていのことは思い通りにならなかったじゃないか、それでもなんとかやってこられたじゃないか、だから今度だってなんとかなるさというような、桃子さんがこれまで培ったところの生きるための楽観をあれこれと言ってくる。

 …………

 缶ビールを持ったまま桃子さんが振り返ると、出窓のところに女が一人立っていた。史路が混じりの蓬髪の女、すぐに山姥だと思った。しばらくして桃子さんは自分の姿だと気が付いた。静かな部屋に桃子さんの笑い声が響いて、それから歌うように陽気に独りごつ。

 山姥がいるじょ。ここにいる。現在の山姥はかっての新興住宅にひっそりと住んでいる。山姥は太母ののちの姿である。太母とは何か。子供を大事に大事に育てた母親のことである。大事に育てたのに、子供の命を呑み込んでしまったのではと恐れる母親のことである。

 またぐいと飲んだ。

 直美、聞いているが。

 直美は母さんが身も知らない男に金を渡してしまったのは、正司への偏頗な愛情のせいだと思っている。だども、それは違う。違うのだ、直美。それが贖罪だど言ったら、おめはんは驚くだろうか。

 直美、母さんは正司の生きる喜びを横合いから手を伸ばして奪ったような気がして仕方がない。母さんだけでない。大勢の母親がむざむざと金を差し出すのは、息子の生に密着したあまり、息子の生の空虚を自分の責任と嘆くからだ。それほど、母親として生きた。

 母親としてしか生きられなかった。

 直美、母親は何度も何度も自分に言い聞かせるべきなんだと思う。

 自分より大事な子供などいない。

 自分がやりたいことは自分がやる。簡単な理屈だ。

 子供に仮託(事寄せること)してはいけない。

 仮託して、期待という名で縛ってはいけない。

 …………

 山姥か。山姥だ。

 もう誰からも奪うことがない、奪われることもない。

 風に吹かれて、行きたいところに行く。休みたいところに休む。もう自由なんだ。

 だいたい、いつからいつまで親なんだか、子なんだか。

 親子といえば手を繋ぐ親子を想像するけれど、ほんとは子が成人してからのほうがずっと長い。かっての親は末っ子が成人するころには亡くなってしまったそうだけど、今の親は自分の老いどころか子の老いまで見届ける。

 そんなに長いんだったら、いつまでも親だの子だのにこだわらない。ある一時期を共に過ごして、やがて右に左に別れていく。それでいいんだと思う。

       第三章に続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

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1468話 [「おらおらでひとりいぐも」を読み終えて -2/?-] 4/25・水曜(曇・晴)

2018-04-24 12:10:40 | 読書

 

「作品の文章抜粋による粗筋」

 ※ 薄青色の蛍光ペンの部分は、わたしの補足部分。

 ※ 薄黄色の蛍光ペンの部分は、わたしの心に残った、また、ポイントと思った文章。

1章

(  桃子さん本人と、小腸の『柔毛突起』と名付けられた多人数の思考「主に東北弁での声」との対話が、本作の序章として魅力的に綴られている。それだけでなく、ネズミが走る音、桃子さんが啜るお茶の音なども入り混じっての、「声と音」をテーマにした独り老人の風変わりな自叙伝の序章とも思われる。 )

  <あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが>

     <どうすっべぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ>

     <…………                >

  <そういうおめは誰なのよ>

     <決まってっぺだら。おらだば、おめだ。おめだざ、おらだ。>

 桃子さんは、さっきから堰を切ったように身内から湧きあがる東北弁丸出しの声を聞きながら一人お茶を啜っている。 < ズズ、ズズ。>

 桃子さんの脳内にだだ漏れる話し声とは別に、彼女の背後からかすかに音が響いていた。

  < カシャカシャ、カシャカシャ。>

 音の正体は後ろを振り向かなくても分かっている。 ね・ず・み。

 桃子さん以外とんと人の気配の途絶えたこの家で、音は何であれ貴重である。最初は迷惑千万厭(いと)うていたが、今となればむしろ音が途絶え部屋中がしんと静まり返るのを恐れた。

 湯飲み茶わんをひねりながらひと啜り、絡めた指先がじんわり温まる心地よさを感じながらまたひと啜り、惰性でもうひと啜りとお茶を飲む。

 …………

 桃子さんは相変わらずお茶を啜る。背中でも例の音。

  < ズズ、ズズ、カシャカシャ、カシャカシャ、>

  < ズズ、カシャ、ズズ、カシャ、ズズカシャ、ズズカシャ >

 おまけに頭の中では、

  < オラバオメダ、オメダバオラダ、オラバオメダ、オメダバオラダ、>

 際限なく内から外から、音というか声というか、重低音でせめぎあい重なり合って、まるでジャズのセッションのよう。

 …………

 桃子さんもうすうす感づいているのだが、桃子さんの思考は飛ぶのである。脈絡もなく細切れの思考がここかと思えばまたあちら、行ったり来たり。とらえどころが無い。

 年のせいだベが。いや違う

 んだば、あれのせいだ。長年の主婦という暮らし

 どういうこと。長ったるい変化のない暮らしが、どうしても思考が飛ぶ原因になるのか。

 主婦の仕事は多様でかつ細切れである。泣く子に乳を与えながら、そろそろ姑の汚れた下を取り替えねばと考えつつ、晩のお菜は何にすべなどと考えていたことは、想像に難くねのす。常にあれもし、これもすることを求められれば、つい考えは飛び飛びになるべしたら。

 それだでば。おらの考えてごとはそれだ。

 …………

 改めて桃子さんは考える。

 今頃になっていったい何故東北弁なのだろう。満二十四のときに、故郷を離れてかれこれ五十年、日常会話も内なる思考の言葉も標準語で通してきたつもりだ。なのに今、東北弁丸出しの言葉が心の中に氾濫している。というか、いつの間にか東北弁でものを考えている。

 晩げなのおかずは何にすべから、おらはどはいったい何者だべ、まで卑近も抽象も、たまげだごとに、この頃は全部東北弁でなのだ。

 というか、有り体にいえば、おらの心の内側で誰かがおらに話しかけてくる。東北弁で。それも一人や二人ではね、大勢の人がいる。おらの思考は、今やその大勢の人がたの会話でなっている。それをおらの考えど言っていいものだがどうだが。たしかにおらの心の内側で起こっていることで、話し手もおらだし、聞き手もおらなんだが、なんだがおらは皮だ、皮にすぎねど思ってしまう。おらという皮で囲ったあの人がたはいったい誰なんだが。ついおめだば誰だ、と聞いてしまう。おらの内側にどやって住んでんだが。

 あ、そだ。『小腸の柔毛突起』のよでねべが。んだ、おらの心の内は密生した無数の柔毛突起で覆われてんだ。

 …………

 そもそも、おらにとって東北弁とは何なんだべ、と別の誰かが問うそこにしずしずと言ってみれば人品穏やかな老婦人のごとき柔毛突起現れ、さも教え諭すという口ぶりで、東北弁とは最古層のおらそのものである。もしくは最古層のおらを汲み上げるストローのごときものである、と言う。

 人の心は一筋縄ではいがねのす。人の心には何層にもわたる層である生まれたでの赤ん坊の目で見ている原基(機能分別前の細胞)おらの層と、後から生きんがために採用したあれこれのおらの層、教えてもらったどいうか、教え込まれたどいうか、こうせねばなんね、ああでねばわがねという常識だのなんだのかんだの、自分で選んだと見せかけて選ばされてしまった世知だのが付与堆積して、分厚く重なった層があるわけで、つまりは地球にあるプレートどいうものはおらの心にもあるでがすな。

 おらどの心にもあるプレートの東北弁は、その最古層、言ってみれば手つかずの秘境に、原初の風景としてイメージのように漂っているのでがす。そったに深いど手が届かないがどいうど、そでもなぐ、おらは、おらが、と一声呼びかければ、漂うイメージそわそわと凝集凝結して言葉となり、手つかずの秘境の心蘇る。ちょうど、わたしが、と呼びかければ体裁のいい、着飾った上っ面のおらが出てくるように。

 ( 「おら」というと、最古層の自分が現れる。「わたし」というと、着飾った自分が現れる。)

 それどいうのも、主語は述語を規定するのでがす

 主語を選べばその層の述語なり、思いなりが立ち現れるのす。んだがら東北弁がある限り、ある意味恐ろしいごとだども、おらが顕わになるのだす、そでねべが。

 …………

 そもそも桃子さんが東北弁を強烈に意識し出したのは小学一年生のとき、一人称の発声においてであった。それまでは何の不思議もなく周りのみんなと同じく、おら、と言っていた。性差など関係なかった。それが教科書で僕という言葉やわたしという言葉を知ったときの、あやっという感覚。おら、という言葉がずいぶん田舎じみてという、はっきり言えばかっこ悪く感じられた。ならば、わたしと言えばいいかというと、問題はそんなに簡単でね。その言葉を使ったとたん、気取っているような、自分が自分でねぐ違う人になったような、喉に魚の骨が引っ掛かったような違和感があった。

 あれは今考えても、一種の踏み絵であった。試されているような気がした。都会に対する憧れ、わたしという言葉を使ってみたい。だども、わたしという言葉を使ったから自分の住むこの町の空気というか風というか、おらを取り囲む花だの木だの、人だの人のつながりだのを、足蹴にするような裏切りの気分が足首のあだりから、そわそわど立ち上がってくるようでおぢづかね、それよりなにより肝心要の自分の呼び名がふらつぐようでは、おらこの先どうなってしまんだベが、だらしなくなぐあっちゃこっち心が揺れる人になりかねねぇ、そういう恐れが桃子さんの子供心にたしかにあったのだった。

 …………

 桃子さんは、郊外の新興住宅地にある一軒家で、ひとり老人の日々を送るお婆さん。

 若いころの桃子さんは、自転車の前後に子供を乗せ、坂を下りて買い物をし、ハンドルの両脇に買い物袋をぶら下げてまた一息に駆け上がるという芸当をやってのけた。

 あの頃の桃子さんは、自分の老いを想像したことがあっただろうか。ましてや、独り老いるなどということを一度たりとも考えたことがあっただろうか。

 何も知らなかったじゃ。柔毛突起ども口々に感嘆の声を上げる。

 若さというのは今思えば本当に無知と同義だった。何もかも自分で経験して初めて分かることだった。

 老いは失うこと、淋しさに耐えること、そう思っていた桃子さんに幾ばくかの希望を与える。楽しいでねが。なんぼになっても分がるは楽しい。内側からひそやかな声がする。

 その声にかぶさって、んでも、その先に何があんだべ。おらはこれがら何を分がろうとするだべ、何が分がったらこごから逃がしてもらえるのだべ。正直に言えば、ときどき行きあぐねるよ。

 …………

         二章に続く

 

 

 

 

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1467話 [「おらおらでひとりいぐも」を読み終えて -1/?-] 4/23・月曜(晴)

2018-04-23 11:01:34 | 読書

                                                         

 「おらおらでひとりいぐも」

「作品紹介」

(帯より)

 第158回芥川賞受賞作。第54回文芸賞受賞の若竹千佐子のデビュー作。

(Amazonより)

 主人公・桃子さん74歳の、内面から勝手に湧きあがってくる東北弁の声ではじまる。

 63歳の新人作家は三人称と一人称が渾然一体となった語りを駆使し、その実際を鮮やかに描いて見せた。お見事!

 

「内容紹介」

(Amazonより)

 74歳、一人暮らしの桃子さん。おらの今は、こわいものなし。

 結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷を飛び出した桃子さん。

 身一つで上野駅に降り立ってから50年—―住み込みのアルバイト、周造との出会いと結婚、二児の誕生と成長、そして夫の死。

「この先ひとりでどやって暮らす。こまったぁどうすんべえ」

 40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、ねずみの音に耳をすませるうちに、桃子の内から外から、声がジャズのセッションのように湧きあがる。

 捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、そして亡き夫への愛、震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いたものとは――

(東北弁の書き出しとその翻訳→高等遊民サイトより)

 あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが

  「いや~、わたし最近、ちょっと頭おかしくなってきちゃったかな?」

 どうすっべぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ

  「どうしよう、この先ひとりで、どうするかな~」

 何如(なじょ)にもかじょにもしかたながっべぇ

  「どうするもこうするも仕方ないでしょ~」

 てしたごどねでば、なにそれぐれ

  「たいしたことないから、なんだそれぐらい」

 だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。

  「大丈夫、お前には、わたしがついてるから」

 おめとおらは最後まで一緒だから

  「お前とわたしは最後まで一緒だから」

 あいやぁ、そういうおめは誰なのよ

  「え~? そういうあんたは誰なの?」

 決まってっべだら。おらだば、おめだ。おめだば、おらだ

  「決まってるじゃないか。わたしは、お前だ。お前は、わたしだ」

(5章5つの対話と物語の時間→高等遊民サイトより)

 この作品は全章にわたって「あらゆる声との対話」で作られれています。

 1. 1章では桃子さん本人と「(小腸の)柔毛突起」と名付けられた思考との対話。3月。

 2. 2章では娘直美との電話。梅雨。

 3. 3章は夫周造の思い出との対話。真夏。

 4. 4章は過去の自分(過去の姿)との対話。秋。

 5. 5章は八角山(信仰対象に近い)との対話。12月~3月。

(「おらおらでひとりいぐも」の意味→高等遊民サイトより)

 「おら」自分(桃子さん)を指します。

 「も」は意思を表す助詞。

 つまり、「わたしは、わたしで、ひとりで行くよ」といった感じです。

 

「登場人物」

 桃子さん  : 主人公。74歳の独居老人。

        見えないものが見えたり、頭の中の声と対話している。

        よく独り言をブツブツ言っている。

 桃子さんの家族

  おばぁちゃん : 桃子のおばぁちゃん。回想によく出て来る。

  周造     : 桃子の夫。美しい容貌の持ち主。心筋梗塞で若いうちに先立つ。

  正司     : 桃子の息子。直美の兄。家を飛び出し、以後連絡は殆どつかず。

  直美     : 桃子の娘。40代。つい最近交流が再開。

  孫      : 直美の子。さやかとさやかの兄。

 小腸の「柔毛突起」 : 桃子さんの頭の中に出てくる人たちで東北弁で語る。

                           

      「あらすじ」に続く

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1466話 「 若葉の時期、スーパーもオープン 」 4/21・土曜(晴)

2018-04-20 12:13:08 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                            

 屋島の山の若葉が晩春の青空に映えている。

 近くの大型スーパーが4/19リニューアルオープンした。

 19日と20日は「大売り出し」にしたため、9時の開店時から駐車場は満杯。

 19日は開店時から周囲の道路まで渋滞したので、他の店に出向き、

 20日に行くことにした。

 20日に開店5分前に出向く。

 すでに写真のようなに店前の安売りのテント前は大変な混雑ぶりだ

 都会の人波を思い出した

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