T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

読書の秋の宣伝!ー390

2009-09-26 16:47:29 | 本と雑誌

またついつい購入!

                                                                                 

Bunko005

                                                          

 散歩がてら本屋に入ると、色々な状態での本の宣伝が華やかに迎えてくれる。ついついまた手が出てしまった。

 俳画や俳句を休んでいるし、遠出もしていないので、ホームページを今年の正月からアップデイトしていない。次の更改には読書欄を設定したいと思う。

 もう一つ遣りたい事がある。それは私達夫婦を中心に親や子供や孫のアルバムを作ることだ。少し時間がかかるかなー。

 無職の私だが、今のところ何もすることが無いなんて考えられないし、体が動ける健康に感謝している。

                       

 彼岸が過ぎたが、まだ残暑(22℃~30℃)が続いている。来週あたりから本格的な秋になるようだ。

                          

Hana001

 

 

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「五年の梅」を読み終えて!

2009-09-25 22:01:20 | 読書

生き直し

                                                

乙川優三郎の「五年の梅」は山本周五郎賞受賞作品で、一言で言えば熟年者がより共感できる作品だと言える。短編5話から成るものだが、共通のテーマは「人生の生き直し」だ。

                                  

後瀬の花(追いつめられた男女があの世の入口で幸せを得る話)

 矢之吉は太物屋手代だが、番頭になるにはこの先何年もかかる。そんな男が、小料理屋の女中おふじに惚れた。

 矢之吉は自分の欲望と店を出したらとの女の口車に乗って、おふじと一緒になるために店の金を盗みおふじと逃げる。

 しかし、追手に追い詰められ、矢之吉はおふじと逃げたことを後悔し始め、お前に騙されたと怒り、おふじは男らしくないと責めて、それぞれが本性をあらわしたような泥仕合をはじめる。

 その後、山道を逃れ、生まれ変わってもう一度やり直してくれと、二人は、あの世への崖下へ飛び降りる。

 矢之吉は目の前に広がる清閑な景色に見入っていた。夢と欲とを取り違え、一歩一歩歩いて上がっていれば上がれる山だったと思う気持ちと、何もかも女のせいにして嘆いていた自分を浅ましく思う気持ちが交錯し、冷水を浴びたように体が震えた。

 傍におふじの声が聞こえた。「二人で戻ってみない。もしも生きていたら、そっとお金を返して何処かで遣り直しましょうよ。」矢之吉の手を握ったまま……。「今度は何だって辛抱できるわ。」

 矢之吉はおふじの手を握り返し、見なよ、後瀬に卯の花が咲いているぜと言う。そして、か細い枝に綺麗な花を付けるもんじゃねえか。俺達も、あんな風に生きればよかったのかも知れねえなと呟く。

                                        

行く道(夫に見切りをつけて男の所へ行くとこだったが、それを留まった話)

 料理屋の女中をしていたおさいは小間物売りの多兵衛と世帯を持ち、共に懸命に働き今は名の通った店持ちとなった。

 しかし、多兵衛が三年前に中風で倒れ言葉も思うように使えず寝たきりになり、息子はまだ若く、おさいが店を守っているが、おさいの心を重くしているのは、多兵衛に僅かな愛情すら感じていないことだ。

 というのも、八年前におさいが軽い労咳を患い病臥した時、多兵衛は全く傍らに近寄ろうとしないで、下の世話まで息子に任せるほどだったので、おさいは、女房を見放した銭儲けだけの多兵衛に絶望したからだ。

 立場が変わった今は、女中に多兵衛の面倒をみさせ、もう半年ほど顔も見ていない状態だった。

 そんな時、同業の寄り合いで久し振りに幼馴染みの清太郎に会った帰路、二人で酒を共にした。

 その後、清太郎から数度目の誘いがあって出かけようとした時、女中から多兵衛の調子が悪いと言われたが相手にせず出かけた。

 途中、古い下駄を履いてきたことに気付き、橋の上で佇んでいた女性の下駄と取り替えてもらったら、その女性が身投げしようとしたので漸くにして止めた。

 そして、おさいは、次のように捲くし立てながら女性を諭し、自分も無意識のうちにやっぱり引き帰さなくちゃと思うのだった。

 「みんな、辛いことなんて幾らだってあるわ。でも一つ一つ乗り越えてゆくしかないの、人間なんて皆そうやって生きてゆくのよ。逃げたらお終いで、そこから先は何一つ変わらないんだから。」

                                        

小田原鰹(夫に見切りをつけて一人で生き直す女の話)

 鹿蔵とおつねは育ちも考え方も違う初めからそりの合わない夫婦だった。

 鹿蔵は貧農の家に育ち、両親は夫婦喧嘩に明け暮れ、子を慈しむことなど忘れてしまった親だったから、鹿蔵は身売りされて密かに喜んだほどだし、家族愛など全く心に無かった。

 おつねは父の放蕩で料理屋が潰れ、母は板前と逃げ、父は女と心中し、彼女も天涯孤独だった。しかし、父母の情愛は十分知っていた。

 鹿蔵は転職の繰り返しで無職になり、気が向かないと今の内職もしないし、世間が悪いのだとおつねに鬱憤のはけ口を求め、女中以下に扱い、すぐ暴力を振るうのが常だった。

 息子の政吉に対しても、子は親の為に働くものだと思っており、政吉が小銭を稼ぐようになると稼いだ金を取り上げるのだった。そのため、母親のことを心配しながらも、政吉は鹿蔵を嫌って黙って家を出た。

 おつねは仕立物を届けた帰り道、10年振りに板前になっている政吉に会い、嫁や孫にも会って土産に政吉がつくった折り箱を二つ貰って帰る。

 帰る道々、子より大切な金、働かずに身の不遇をかこち、貧しさは世間のせいにし、花を見ても愛でる欠片も持たない鹿蔵と一緒に息子の折り箱を食べても美味しくないと路傍の木陰で一人で食べる。

 帰ったら思った通り出向かえたのは鹿蔵の平手だった。おつねは一瞬気を失いかけたが、政吉の心尽くしの折り箱が台無しになるのが心配で這うようにして取り上げた。

 その翌朝、おつねは仕立物を届けるといって家を去った。

 その後、鹿蔵は昔の朋輩の伊助に騙された脅しで牢屋に入れられ入墨のうえ敲き放しとなった。世間との繋がりが無くなって孤独になり、働くことしかなく内職が捗るようになった。

 数年たった初夏に、家主が預かっていたと、初鰹二尾と送り主がみちの名前で長屋の皆様と召し上がれの添え文を鹿蔵のところに持ってきた。毎年それが続き、長屋の者も仲間にしてくれ、鹿蔵もなぜか気持ちよく過ごせるようになった。

 さらに数年過ぎた初夏、鹿蔵は茶店のソテツの木を見て花が咲くのかと尋ねて、夏だとの答えに一度どんな花か見てみたいものだと言った。

 その時、目の先に若い女を連れた伊助を見つけ、女に女誑しの悪党だから逃げろと言って目を反らした隙に、伊助に匕首で刺された。意識が薄れる中で、おつねも人様に鰹を送れるほど幸せになったのだと、鹿蔵は生まれて始めて深く満たされたように感じた。(おつねの母親の名がつねといつたことを覚えていた。)

 小田原で多くの人に助けられて居酒屋を営んでいるおつねは、忘れたくとも忘れられないものがあることが心に残り、その後も一人を通すことにするのだった。

                              

(高禄家の庶子の女性が三度目の結婚で始めて住処を得た話)

 志乃は中老の家の庶子として生まれてすぐ養女に出され、祝言の直前になってその事実を知らされる。

 養家配下の嫁ぎ先では腫れ物に触るように扱われ、夫と同衾することなく三年で離縁になる。

 すぐに、さらに家格の低い家に再嫁すると、夫には事実上の妻が居て食客に過ぎず、一時は我儘な生活をしたが、志乃は婚家への迷惑を誰よりも理解していて、その後は、静かに形だけの嫁を装っていた。

 再度離縁され、今度は十俵二人扶持の柔術師範で百姓家と変わらぬ家に住む岡本岡太に嫁ぐことになった。岡太は粗忽なようにも鷹揚なようにも見えるが何か憎めない男だった。

 二人だけでの祝言は、米はなく蟹だけだったが、岡太が蟹の食べ方を手に取るように教えてくれてとても美味しく食し満たされた思いがした。

 しかし、岡太は優しく志乃を労わるのだが、岡太も夜を共にしようとしないことが不思議だった。

 志乃には過去に夫以外に二人の情を通じた男が居た。その男達が又現れ、志乃を求めようとしたが、助けに来た岡太の影を志乃は見つけた。

 岡太との夫婦の喜びが胸にこみ上げ、志乃は、密かに妻の汚れた過去を清算してやりたいとの岡太の心情が呑み込めたのだ。

                          

五年の梅(軽率な行動から慕う女性と別れて苦労をかけるが最後に添い遂げる話)

 村上助之丞は、将来一緒になろうとお互い心に思っている弥生の兄の矢野藤九郎を突然尋ね、自分に子供があったことが分ったと嘘を告げ、喧嘩別れをして去った。藤九郎は本気にして弥生には内緒にした。

 数日後、近習の助之丞は、藩主の食が細くなっていくことが、台所奉行の藤九郎にその責任が及び始めたので、藩主に、病気ではないので自分の立場を心得て気持ちを確りと持って欲しいと諌言する。当然、助之丞は蟄居させられた。

 二年後に、裏で金貸しをしている吝嗇の鳥飼宗八に嫁いで一子を儲けたが、子供は生まれながらの盲目で、宗八は厄介者扱いにし、医者に診せようともしない状態だった。相談相手の兄が江戸詰になっていたので、自分の力で江戸の医師に見せたいといえば無駄なことだと、むしろ子を外に出さないようにした。

 そのことを知った助之丞は、嫁ぐまでの弥生の苦悩を十分に考えなかった浅薄な行動が、今の不幸をももたらしたのだと責めるのだった。

 蟄居が解けた助之丞は、弥生の子の役に立てようと開墾の話を一人で請負い、やり遂げて30両の金子を手に入れる。

 弥生に、子の治療に使ってくれと頼むが弥生は断る。助之丞はどうすることもできず泥酔する。

 そこに、国詰になった藤九郎が五年前の詫びと弥生の離縁を知らせに来たのだが、その時、城が火事になり、駆けつけないと又蟄居になるぞと助之丞を叱る。

 翌日、助之丞は硝煙蔵を防火したことから藩主から褒美をとらすとのことで、江戸詰と江戸の医師による弥生の子の治療の願いを申し出て許される。

 三人が歩く梅林は少しぬかるんでいて、時には弥生の子を抱いてやり、ある時は助之丞が差し出す手に弥生の震える手が伸びている姿があった。

 

 

                                   

                      

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珍種ムクゲ、残念!

2009-09-20 19:29:28 | 日記・エッセイ・コラム

Muku004

                         

Muku003

                                           

従姉の法要に行き、墓参した時、珍しいムクゲを見つけてガシャッ。

紫のほうは焦点があってなく残念ながら失敗。何故もう一枚撮っておかなかったのか本当に残念。来年忘れないように、といっても記憶に残っているかどうかだが。

17~27℃の最高の秋晴れだった。

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「生きる」を読み終えて!

2009-09-19 10:29:53 | 読書

生きぬいて知る幸せ

「生きる」は乙川優三郎の直木賞受賞作品(平成14年)で、同タイトルの作品について、解説者が「人が生きてゆく限り、不運や障害も続けて絶えることがない。その中を歩みを止めず立ち向かっていった人たちへの共感が生み出した作品で、時代が違うが、平成を合わせ鏡にして生き難い人の世を生き抜くことを真摯に問い続けた作品なので多数の方の感動を得たのだろう」と述べている。

長い年月、心に大きな傷を受けても必死に生き抜いた主人公、人間の根幹の生についての作品とはいえ、これだけ心を打たれた小説は久し振りだった。

小説は中篇3話から成っているが、いずれも、もう一人の主人公の女性の生き様にとても感動した。

                                  

生きる (藩主への追腹をしないことを起請し、貫いた武士の話)

石田又右衛門の亡父は、浪人からこの藩に仕官し、又右衛門も藩主に寵遇され今では500石の家柄となった。

江戸の藩主の容態が思わしくなく、恩ある藩主が身罷った時は追腹の覚悟をしていた。

そんな折に、梶谷筆頭家老が、真っ先に追腹を切るだろうと思われる幹部の小野寺郡蔵と又右衛門を呼出し、有能な家臣を失いたくないので追腹禁止令を出したい。ついては、いかなる場合も決して腹を切らぬ、このことを藩命だとは他言せぬとの起請誓紙を出してくれとのことだった。

まもなく藩主が逝去し、追腹をした者は家族までにも及ぶ禁止令が出た。

当時、深田次席家老を中心にした梶谷家老に対抗する強い勢力があり、禁止令を巡っての論争が高まって、忠義を突き詰めて殉死する者がいる一方で、追腹者を多く出して深田派の勢力を伸ばし私利を図ろうとする者もいて人間のさもしさ醜さが露になった。

藩主の亡骸に付いて帰った、又右衛門の娘婿の真鍋恵之助も殉死した。娘からは、以前から差し止めてくれと言っていたのにと「ちくしょう」と声にならない声で又右衛門は責められる。

深田派から、又右衛門はなぜ追腹を切らないのか、この恩知らずめと周囲から執拗に冷ややかな目で見られるようになり、投げ文、門扉への落書、やがては門前に魚の腸が、そして小石が飛んでくる。城への道では臭くて溜まらんとまで言われる。

真鍋家からは義絶の通告がきた。娘は気が変になってきたとの噂も聞こえてきた。

又右衛門は梶谷家老に息子五百次の烏帽子親の頼みや今の状況の打開を頼むため、家老宅へ出かけたが保身だけの家老から門前払いを受ける。

又右衛門は心に受ける傷に耐えかねて気力も落ち、老爺の風貌に変わっていく中、家老との誓紙の取交わしを話してなかった五百次が父の汚名を雪ごうと切腹した。妻の佐和の心の病も酷くなり山の温泉療養に出したが、一度見舞いに行った後間も無く死亡した。

又右衛門の悪名は二年経っても変わらず、また、先日会ったばかりの小野寺郡蔵が断食して果てたと聞いた。

ついに、又右衛門は恨み辛みを吐き出そうと梶谷家老に書状をしたためる。いざ綴り出すと、いずれも力を出せば克服できたはずのもので、なにか泣き言を並べているように思われるし、誹謗中傷も予想されたことで自信さえあれば翻弄されずに済んだのではないか、娘との関係は父としての過失であったし、息子のことも防げたはずだ。自分は何もせず嵐が去るのを待っていただけではなかったかと悔悟の答を出して、書状や隠居届を破り捨てる。そして、翌日から生き返ったように出仕する。

その後、深田家老の失脚、梶谷家老の復権、殉死禁止の幕命があり、又右衛門は62歳まで出仕した。

物事の正否は権力の意向とは別のものであるのに、自分を侮辱した者達は絶大な権力が決めたことには従順で自らの判断を放棄して、のうのうと生き長らえ、一途な者は死んでいったが、自分は少しは人の役に立ったかもしれないと改めて回想した。

そして、女中が妻から聞いた「何を幸せに思うかは人それぞれで、たとえ病気で寝たきりでも日差しが濃くなると心も明るくなるし、風が花の香を運んでくればもうそういう季節かと思う、起き上がりその花を見ることができたら、それだけでも病人は幸せです」との言葉を聞いて、自分が人間らしさを取り戻させる契機になったのも、12年間、自分を支えてくれていたのも妻だったことを認識した。

そんなある日、梶谷家老から品物に添えて詫び状が送られてきた。又右衛門は詫び状一つで忘れられるほど軽い歳月ではなかったと口をへの字に結ぶ。

そのとき、庭先に2つの人影を認めた。義絶した元気そうな娘と若侍に成長した孫の姿だ。又右衛門は震える唇を噛みしめ、これでもかと凛として二人を見つめながら、やがておろおろと泣き出した。

                                     

安穏河原 (武士の娘が娼妓に売られても気高く生きていく話)

双枝の父は羽生素平といい厳格で誠実で実直な郡奉行だったが、その場限りの農政改革に反対した意見書を出したが認められず、浪人になり江戸に出てきた。

母親が病気になり生活に困って身売りした双枝は女郎屋津ノ国でたえと名乗るようになった。

素平は口入屋で知った伊沢織之助に金を渡し、たえの様子を探らせる。

素平は、武士の誇りも自尊心も暮らしが立たなければ崩れていくものだという厳しさが考えられなかったし、娘を売ったことを後悔していると織之助に話しながら、娘のことを心配する親心は織之助も吃驚するほどの金を度々余分に渡し、内緒でたえに好きなものを食べさせてくれと言う。

双枝は父親と違い、娼妓になっても、幼い時に親子で安穏に河原で遊んだこと等の日々を胸に父の厳しい躾どおり気高く生きており、織之助が鰻でも食べるかと言うと「でも、おなか、いっぱい」と断る。それを聞くたびに、素平は厳しく躾け過ぎたと唇を噛む。

たえの六年の年季明けに残る借金は30両ほどだと織之助に聞き、素平は大きな賭けにでる。昔の藩の上屋敷で切腹し、その厚情として金をせしめる。

その金を持って、織之助が津ノ国に行くと、警動があったのか店は閉じられていてたえの行方は解からずじまいになった。

6年ほど経ったある日、織之助は団子屋の店先で四五歳の女の子がじっと焼ける団子を見つめているのを見つけ、買って差し出すと「おなか、いっぱい」の言葉が返ってきた。武家の生まれのかかさまから意地汚い真似をしてはいけないと教えられたとだと言う。

団子屋に聞くと、夜鷹の子で母親は一ヶ月前に死んだらしい。

                                        

早梅記 (出世欲から本当の幸せを得られなかった武士の話)

高村喜蔵は10石の軽輩の子として生まれ、24歳の時には父母を亡くしていた。

出生時からの貧しさに、若い時から出世欲に燃えており、言動にそのことが現れ、無事をよしとする朋輩たちに嫌われていた。

母が亡くなった後、足軽の娘のしょうぶを女中に雇った。しょうぶは貧乏に慣れていて遣り繰り上手で、美しく何時しか妻同然の存在になり、癒しの場が出来たのか、出世欲は内には秘めていたが、表面からは消えていた。

そしてある出来事の褒賞として60石で一軒屋敷に住むようになり、転居した日にしょうぶは喜蔵の好みにより床の間に梅を生けた。

半年後、上役から縁談を持ち込まれ、断れば出世は遥か遠退くだろうと、町奉行の娘ともを娶った。

喜蔵はしょうぶに妾になってくれと頼むが、城下にいても誰のためにもならないとの気持ちから、自分自身の匂いも念入れに片付けて、祝言の数日前に何処かに去って行った。

妻のともは明るい女で家庭に安らぎの場をつくってくれ、喜蔵は運にも恵まれて最後は家老までになった。

その過程において江戸詰めもあり、多忙のあまり、跡取りの息子とは心が通わなくなり、ともは夫の進退を案じて暮らすばかりで、喜蔵から彼女の心を救ってやることはなかった。喜蔵が家庭を顧みないこともあって、ともは喜蔵が致仕した直後に死亡した。

致死の後に残ったのは、屋敷と高禄と気持の通わない家族だけであった。

しょうぶとともの二人に支えられて生きてきたのに、それが分らず、人なみ優れた才覚などなかった自分が、自分ひとりの栄華を極めようとして、しょうぶとともを巻き込んでしまったと後悔するばかりであった。

田舎道を呆然と歩くうちに、足軽の家の前で23年振りにしょうぶと会う。しょうぶは「人との小さなしかし多くのつながりを頼りに暮らしておりますが、貧しいなかでのつながりは容易く切れることはありません」と自分の幸せを知らせるように一枝の早めの白梅を差し出した。

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乙川優三郎作品にはまりそう!

2009-09-16 17:42:02 | 本と雑誌

少し買いすぎかな

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乙川優三郎の直木賞受賞作品「生きる」を読んで久し振りに感動した。別途あらすじをブログに投稿する予定だが、インターネットなどの書評を見ていると同氏の「蔓の端々」は準受賞作品でないかとでていたので、二軒の大きな本屋に行ったが無くてBOOk OFFを覗くとたまたま有って喜んで購入した。

安いのだが、読書の時間があるのか心配だ。確かに読書の秋だが、夜はすぐ眠くなるし、昔のような速度で読めなく、また後戻りすること多く一冊読むのに時間がかかってしょうがない。

                 

今日は民主党の内閣発足の日で、テレビのニュースはそのことで一杯だったが、一言で新大臣はもちろんその周囲も今まで味わったことのない新鮮さが溢れていた。自民党の新内閣の発足には感じられなかった感覚だ。

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