[ あらすじと登場人物]
「満願」
5. (妙子の殺人は計画的と検察は主張し、弁護人の私は偶発的だったと主張した)
重治は妻の妙子に隠れ、派手な遊興を繰り返していた。その金の出所は矢場英司の会社、回田商事であり、妙子を連帯保証人に、畳屋の運転資金として貸し付けられていた。重治が肝硬変で倒れると、矢場は妙子に返済を迫っており、殺人の動機がこの借金にあるという点では、私は検察と争わなかった。ただ、具体的な経緯については主張が分かれた。
検察は、妙子が返済を逃れるために矢場を殺害したとし、凶器として文化包丁を用いた点に悪質な計画性が認められれると主張した。
私の主張は違った。妙子が矢場を殺害したことは認める。しかし、それは、矢場が借金を建てにして妙子に関係を迫ったからであり、妙子は自分を守るために衝動的に犯行に及んだのだ。犯行に計画性はない。これは正当防衛である。
裁判は激しく厳しいものになった。私のファイルには対立点の数々が、当時の感想付きで(次のように)克明に記されている。
「返済を逃れるために殺人を犯したのは身勝手で、同情の余地はない」
しかし、矢場を殺しても借金が帳消しになるわけではない。そのことは被告人もわかっていた。返済を逃れるためという動機はそもそも当たらない。
「包丁が用意されていたのは被告人が殺人を計画していた証拠である」
しかし、凶器は被告人が普段家事に用いていたものである。被告人は、被害者に西瓜を供するため客間に包丁を持ちこんだといっている。
「被害者を刺したのち救急に通報していないのは、強い殺意の証明である」
しかし、被害者は即死だった。心臓が止まっている者のために救急を呼ばなかったといって非難するのはいささか失当ではないか……。
防戦を強いられる中、反撃の糸口はなかなか見つからなかった。
私は、計画性でなく妙子に関係を迫ったからで、偶発的だったということを主張したいと考え、独自の調査で、借金棒引きに、矢場に関係を迫られた女性を探し出し、その女性に弁護側の証人として証言台に立ってもらうようにお願いしたが拒否された。
しかし、私には、ひとつ搦め手の策があった。
犯行現場を鵜川家の客間だと特定する証拠として、検察は畳の科学鑑定結果や、背中に血のついた達磨、座布団、そしてあの掛軸を提出した。
(血のついた座布団、掛軸の)表装の地の部分に、飛び散った血の跡が残っていた。検察側はこの血の血液型が被害者のものと一致したと証明した。
私はこの機を逃さず、この掛軸に焦点を当てて被告人質問にかけた。
被告人質問での妙子と私のやりとりはメモに残っていて、妙子の発言は次のとおりである。
「普段は箱に入れて仕舞っている。年数回虫干しをする。私の実家から受け継いだもので家宝としているものです。事件があった日は、矢場さんを迎えるために床の間が空いていては失礼になるとして掛けたものです。血をつけたことは、ご先祖に対し、ただひたすら申し訳なく思っています」
裁判官から被告人の答弁についてどう思うかの意見を求められ、私は次のように陳実した。
「検察が主張するように、被告人があらかじめ殺意をもって被害者を待ち受けていたのであれば、どうして家宝の掛軸をわざわざ箱から出し、床の間に掛けるでしょうか。現に血がついてしまったし、もっと悪くすれば、矢場が激しく抵抗して破れてしまったかもしれない。これから殺人現場になると分かったいたら、被告人が掛軸をかけたはずなどありません」
第一審判決では、妙子の自己防衛が全面的に認められることはなかった。矢場が妙子に関係を迫ったという決定的な証拠を提示できず、その点では力が及ばなかった。しかし、犯行の計画性については判決に盛り込まれなかった。
懲役8年の実刑判決。
私は第二審に向かって準備に一層力を注いだ。だが、その後、妙子はすべて諦めように控訴を取り下げる。
それは、重治の死を聞いた日のことだった。(借金返済に充てる保険金が下りる)
6. (私は妙子の弁護人となる。妙子の申し出で、重治の容態と家の借金を調査して、
妙子に知らせる。重治は病死し、妙子は控訴を取り下げた)
妙子さんが調布の殺人事件の容疑者として逮捕され、昭和52年9月、私は調布警察署の薄暗い面会室で、大学を卒業して4年ぶりに再会した。私は、そのとき、自分の弁護士事務所を持っていた。
私は妙子さんに激しい言葉をぶっつけた。
「どうして逮捕される前に、いえ、借金のことだって相談してくれればよかったものを」
妙子さんは遠慮をして、なかなか口を開こうとしなかったが、やっと、「主人の容態と、家の借金がどうなっているかを調べてほしい」と申し出た。
私は、2日後に満足な調査を終えた。
結果は、鵜川の生業であった畳屋の土地や建物は銀行の抵当に入っており、まもなく競売にかけられるとのことだった。家財は回田商事からの申し出によって差し押さえられていた。家財だけでは回田商事への借金は返し切れておらず、妙子さんが借金を背負わなければならない。(当然、家宝の掛軸も対象になるところだったが、証拠品として警察の手元にあった)
重治は浦安の兄弟のもとにいて、医師は、病状は重く長くはないということであった。
わたしは、妙子さんにそのことを伝え、弁護士費用の支払いが難しいことは明らかで、私が弁護士になった。
◇
妙子さんの裁判が終わったのは、昭和55年12月で、まだ、八王子拘置所(未決囚が収容されているところ)にいた。
浦安の医師から、重治が死去したとの連絡が入った。
私は、葬儀に参加し、その足で、訃報を妙子さんに伝えに拘置所へ行った。
「主人が逝ったのですね」と訊いてきた。私は黙って頷いた。
妙子さんは、静かに泣き、重治の保険金で借金を返済していただくよう私に依頼した。
幸いにも借金は重治の保険でまかなえる金額だった。
終りに控訴審の第一公判が間近に迫っていたので、妙子さんには先への希望が必要だと思い、「量刑の面ではまだ戦えるはずです。新しい証言者次第では執行猶予も」と切り出した。しかし、妙子さんは、控訴は取り下げるのは一点張りでした。
結局、控訴は取り下げられ、妙子さんは収監された。
懲役8年。長い年月の始まりだ。
7. (殺人の動機は、借金のかたとして掛軸を取られたくなかったからだ。
控訴を取り下げ結審としたのは、重治が死亡して保険金で借金を払えて、
掛軸が無事だったからだ)
妙子の公判に関連する手元の黒いファイルを閉じる。
彼女の力になりたかった。その一念で必死に裁判を戦った。だが、結審から5年が経って、いまは静かに、あの事件を振り返ることができる。
一審で私は、事件は突発的なものだったと主張した。矢場に関係を迫られ争いになった妙子は西瓜を切るために客間に持ち込んでいた包丁で矢場を刺殺した。すべては予期せぬ出来事であり、家宝である掛軸に血がかかっていることがその証拠である、と。
だが、それではあの達磨は何だったのだろう。
客間が殺人現場だと証明するため検察が提出した証拠は、掛軸だけではない。達磨もそうだった。達磨は客間の違い棚から押収されている。私が下宿していた頃もそこに置かれていた。
掛軸に血が飛んだように、達磨にも血痕が残っていた。だが、それは片目の入った正面でなく背中側にである。ということは事件当夜、達磨は後ろ向きに置かれていたということになる。
達磨は縁起物だ。それに背を向けさせるというのは普通ではない。
しかし、私は、妙子が達磨に後ろを向かせたところを見たことがある。あれは私に臍繰りから下宿代を貸してもらったときである。
あれは、つまり視線を嫌ったのではないか。
臍繰りというのは一般に秘密の行いとされている。それを出し入れするところを片目の入った達磨が見ている。妙子はそれを嫌がって、まず達磨に目隠しをしようとし、それがすぐに出来なくて、達磨によそ見をさせたのではないか。
しかし、そう考えると恐ろしくなる。
事件当夜、妙子が敢えて達磨の目をそむけさせたのだとすれば、それは客間で視線を避けるべき何事かが起きると知っていたことを意味するからである
◇
妙子が予期していた何ごとかがあったとすれば、それはやはり殺人であろう。仮に妙子が矢場の関係強要を予期し、それを受け入れる覚悟を決めて達磨の目を避けたのだとすれば、その後の殺人には発展しなかったはずだからだ。
しかし、この考え方には無理があった。矢場の関係強要に応じたとしても借金は残るのである。それは妙子にもわかっていたはずだ。
だから妙子の殺人には計画性はなく、あれは不幸な出来事だった。妙子が収監されてからの5年、私は自分にそう言い聞かせ続けてきた。
月日のあいだに、私の娘も立ち歩きができるようになった。
そんなある日、娘が私にプラスティックのブロックを差し出した。私はそのブロックを握って新聞を読んでいると、妻が片づけをしましょうと言って私たちのところに来て、私に言った。
「あなた。さっき隠したブロックを出してくださいね」
娘は、母親がすべて片付けてしまうことを知っていて、一部だけでも避難させるために私に託したのだ。
妻が気づいたから私の手のなかのブロックを取りに来たのだが、もし気づいていなければ、娘は後から私に近づいてその小さな手を開いて下さいというだろう。
私はそのことから妙子の事件を再度考えるようになった。
妙子は家財を差し押さえられた。回田商事への借金に当てられた。だが、差し押さえされなかったものがあることに私は気づいた。
禅画の掛軸である。
掛軸は差し押さえを免れた。血がついていたため、殺人事件の現場を証明する証拠品として掛軸は検察の下にあった。
被害者の矢場は、欲しいものを手に入れるために、金を貸すことがあった。女と趣味の骨董だ。
矢場が妙子に求めたのは、妙子ではなく、あの掛軸だったのではないか。
殺人の結果として掛軸に血が飛んだのではなく、血を飛ばすことが殺人の目的だった―――。
血痕は表装の地の部分にのみ付いていた。ある夜、私は自分の思いつきで掛軸に、もうひとつの証拠品の血に付いた座布団を重ねてみた。血痕は嵌め絵のように繋がった。
妙子は家宝を守ろうとしたのだと考えて初めて、控訴を取り下げた理由が呑み込める。重治が病死したため、妙子は保険金で借金を返すことができた。借金がなくなれば掛軸が奪われる心配もない。
裁判を長引かせ、掛軸を証拠品として保管させておく意味がなくなったのだ。
(しかし、なぜ、量刑を少なくするために控訴しなかったのだろうか ? )
◇
早春の街を見下ろしながら思い出す。
妙子は私に親切だった。在学中に合格できたのも、彼女が全面的に協力してくれたからだ。彼女が私の人生の恩人だというのは事実である。
しかし、妙子の心づもりはどうだったろうか。あの掛軸を私に見せながら、彼女はこう言った。
「先祖は私塾を開き、身分の低い武士を支えて出世を助けたのです」
私の学問を助けてくれたのは、家宝であり誇りでもある禅画を下賜された先祖を、模倣してのことであり、それだけが苦しい日々の中で妙子が自ら誇る方法だったのではないか。
◇
私の妙子への憧れはすでに過去のものであり裁判は結審している。妙子の罪と目論見が何であっても、それはすべて終わったことだ。
妙子は5年の服役の果てに、満願成就を迎えられたのだろうか。
季節の変わり目の街に、彼女の姿はまだ見つからない。
終
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