ブレス2 イノバン 2/2
「あらすじ」
※ 黄色蛍光ペンの箇所は、心に残った文章の一節
その日の夜、携帯電話が鳴った。深夜1時。保からだった。
「先生、頭が痛い」と、とぎれとぎれの声。頭痛は低酸素の症状だ。
お母さんを呼んでと言っても返事がない。
倫子はタクシーを呼び、車を待つ間にコースケにも連絡をする。
保の部屋では人工呼吸器のランプだけが点滅していて、呼吸器は動いていないし、バッテリーはすべてゼロになっている。
コースケは、自分の車のカーインバーターを思い出し、保と人工呼吸器を電動車いすに乗せて外へ出た。車に横付けして、電源プラグをインバーターに接続した。
人工呼吸器がスムーズに動き出し、保の呼吸が徐々に安定してきた。
倫子が、お母さんはいつからいないのと聞くと、保は目を合わせずに、一昨日くらいかなと答える。
朝8時ごろ、大河内教授に連絡して概要を説明した。
教授は、「失踪したんだろう」と言う。
倫子は教授の指示で、市福祉課の担当の神田を呼び出した。
神田は倫子の説明に、あそこの母親は、電気代滞納の常習者なんですと言う。
そして、電力会社への復旧要請も早速にとの返事があった。
1時間後、神田から、和子はアルバイト先2か所共に退職しているとのことを知らせてくれた。
1か月が経っても、和子が見つかったという連絡はない。
保はアパートにひとりで生活していた。保自身が頑強に入院を拒否したからだ。
母親の失踪が明らかになった翌々日、クリニックに倫子を訪ねてきた神田が訪問診療の継続を要請した。
倫子は、保への24時間態勢が不安だったので、夜間の介護はどうなるのかと神田に尋ねると、ヘルパーや介護スタッフの増員を図るにも限界があるが、ボランティアが集まってくれて、夜も回せる目処が立ったとの返事だった。
その時、神田は倫子に保の伝言を伝えた。
それは「水戸先生は僕の『イノバン』(命の番人)だから、引き続き診ていただきたい」とのことだった。
それはクリスマスの朝だった。9時少し前、倫子の携帯電話が鳴った。
保のヘルパーから、「保君が変なんです、すぐ来てください」とのことだった。
コースケとともに往診車に飛び乗った。
急いで玄関のドアを開けると、人工呼吸器のアラームが激しい勢いで急を告げていた。
保は完全に意識を失っている。
コースケと倫子は同時にアッと叫んだ。
人工呼吸器の回路の途中にあるエアホースが、コネクターから外れている。
保の脈は触れていない。倫子はベッドに飛び乗り、心臓マッサージを開始した。
同時に「AED を! 救急車も!」と叫ぶ。
部屋を飛び出したコースケが、往診車からAEDを取ってきた。
電気ショックをかけても心拍が戻らない。
救急車の音が聞こえた。
2回目の電気ショックを施行した。保の心臓がリズムを取り戻した。
救急隊が到着し、保をストレッチャーに乗せる。
倫子が「新宿医大の救急外来へ。受け入れ了承済みです」と告げる。
同乗した倫子は、ストレッチャーの上で心臓マッサージを置こう。
ストレッチャーは倫子を乗せたまま、救急救命センターの扉の中に運び入れられる。
蘇生処置の途中、倫子は看護師に促されて外へ出された。
やがて、センターの扉が開き、救急医のチーフが近づいてくる。
倫子に向って、「お力になりませんでした」と小さく頭を下げた。
保の死亡が告げられた瞬間だった。
翌朝、むさし訪問クリニックを小金井署の警官二人が訪れた。
若いほうの刑事が、コピーされた保のブログなどの資料を見ながら呟いた。
「なぜ天野さんは、あの晩だけボランティアを入れなかったのでしょう?」
12月24日の夜欄だけが空白なのだ。皆が黙った。
大河内教授がここを見てくださいと、資料のあるページを刑事に示した。
<クリスマス・イブは、1年の中で、一番大切な人と過ごす日。家族とか。恋人とか。誰にとっても大事な夜だよね。みんなは、誰と過ごすのかな ? 僕の大切な人も必ずイブには帰ってくると思います>
「保君はあえて一人を選んだのかもしれませんね。誰も拘束したくなくて……」
教授がそう言うと、部屋の中は再び静かになった。
刑事が帰った後、倫子は保を病院や施設に入れていれば、こんなことにはならなかったと繰り返す。
教授は、その倫子に「保は母親を待つことを選んだんだ。もう一度、家で母親に会えるほうに賭けたかったんだよ。君は彼の選択を医師として支えたんだから、あまり自分を責めるな」と言った。
しかし、倫子は、保の命を支えきれなかったのは、自分の責任だと思うだけだった。
次の休日、倫子は、新横浜の介護老人保健施設「ガーデニア新横浜」に向かっていた。父の見舞いのためだ。
今年も終わりかと思うと、普段は考えられないようなことが頭をよぎる。
この一年、父はまったく声を出さないばかりか、目を合わせられなくなった。
父の部屋には、すでに母がいた。ジャスミンの香りが漂っている。
母が、お正月が来るから、お父さんのために買ったのよと付け加えた。
父に香りがわかるとは思えないが、母が喜ぶならいいことだ、と思う。
ブレス2 終
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