T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1552話 [ 「下町ロケット・ゴースト」を読み終えて 16/? ] 9/15・土曜(曇)

2018-09-14 13:53:56 | 読書

下町ロケット・ゴースト

「あらすじ」

「最終章 青春の軌道」

3.(裁判、神谷勝つ)

 原告側の代理人席には、中川京一と青山賢吾ら、4人の弁護士がすでに陣取っていた。被告側の代理人席はまだ空席である。

 東京地方裁判所の小法廷。開廷時間は10時。いまは、まだその10分ほど前だが、傍聴人席は原告寄りも被告寄りも予定の顔触れが坐っている。佃製作所の佃も見られる。

 時間少し前に神谷が入室してきた。それを見計らったように判事らが着席し、開廷時間を迎えた。

「原告代理人から訴状と、請求、および請求の原因が提出されていますが、原告代理人、陳述は擬制されますか」

 裁判長の問いに、「そうさせていただきます」、と余裕の表情で中川が答える。

 陳述の擬制とは、そもそも書面で提出しているものを法廷で読み上げたことにするという、いわば省略である。

 通常の第一回口頭弁論期日では、この後、被告代理人が事前に提出した答弁書について同様に陳述を擬制し、次回の期日のスケジュール合わせをしただけで閉廷する、というのが一般的な流れだ。

「被告代理人はどうされますか」

 この一週間ほど前、神谷が提出してきた答弁書には、肝心の特許侵害に関する論点について「争う」としかなく、その根拠すら示されていなかった。

 打つ手無し。そう見てとった中川は、神谷が苦し紛れの時間稼ぎに出るのではないかと予想していた。

「今回は提出期限までに準備書面が間に合わなかったのですが、ようやくまとまりましたので、本日、この場で提出したいと思います。よろしいでしょうか」

 裁判長の許可を得て、被告代理人にも副本が運ばれてきた。さらに、

「争点のみ陳述させていただいてよろしいでしょうか」、と言う神谷の申し出た。

 中川は驚いて、「読めばわかりますが。どうせこの場で回答できませんし」とすかさず牽制した。

 すると、神谷は、申し出る。

「すぐに回答できることも含まれておりまして。非常に重要なことなので、読ませていただけませんか」

 意外な展開になってきた。神谷の主張に裁判長もしばし考えたが、「では、どうぞ」、とその場での陳述が認められた。

「争点のない部分については省略し、答弁書の"三"について読み上げさせていただきます。

三、―――被告ギアゴーストは、原告ケーマシナリーが侵害を主張する当該特許について、無効を主張し、乙第一号証を提出する」

 何をバカな。中川は開いた口が塞がらなかった。

 神谷の陳実が続いた。

「乙第一号証は、東京技術大学栗田章吾准教授が2004年に発表された論文『CVTにおける小型プーリーの性能最適化について』です。実は栗田さんは、一昨日まで海外の学会に出ておられまして、その帰国を待ち、この論文の趣旨についてお話を伺う必要があったことから準備書面の提出が遅れました。ここにお詫び申し上げます。昨日、私が直接栗田准教授にお会いし、乙第一号証の論文について、お話を伺ってまいりました」

 いまその論文のページを乱暴に開いた中川は、そこに記載された副変速機についての内容に取りつかれたように見入った。

 まさか―――。顔をあげた中川の腋(わき)から冷たいものが流れていく。それはまさに、中川が末長からの開発情報に基づいて申請し、取得した特許内容とほぼ一致していたからだ。

 神谷の発言がまだ続く。

我が国の特許法では、出願前にすでに公開されていた発明は特許として認められることはありません。ただし、論文の執筆者だけは論文発表後6か月以内であれば特許申請が認められる―――それが特許法30条ですが、栗田先生はクルマ社会の技術発展のために敢えてそれを見送られました。従いまして、この論文で発表された技術情報は公共の益に帰すべくして公開されたものであり、根幹部分の多くをこの特許に負っている原告側特許は、無効であると主張するものであります」

 まだ論破されてたわけではないと、中川は自分を鼓舞した。たしかに、この栗田論文の副変速機の構造は、多くの部分で内容がかぶっている。だが、まったく同一というわけでなく、そこに新規性を見い出すことができれば特許として成立するはずだ。そこに裁判の争点を移せばなんとかなる―――。

 ところが、神谷の陳述はまだ終わりではなかった。

次に、我々はそもそも原告側の特許申請の正当性について疑問を差しはさむものであります。ギアゴースト製副変速機は乙第一号証論文で発表された構造と技術に、同社独自の解釈とノウハウにより修正を加えたものですが、その修正部分にまで原告側特許が及んでいるのは、極めて不自然な偶然だと言わざるを得ません。ひとつだけ納得できる解釈があるとすれば、ギアゴースト内部からの技術情報の不正な流出であり、その傍証として、この第二号証を提出するものです」

 そう言って、神谷が高々と掲げたものは、ICレコーダーであった。

「いまから3週間ほど前、ギアゴーストの伊丹社長と島津副社長は、末長弁護士のもとを訪れ、本件について相談をいたしました。末長氏は、当時まで被告の顧問弁護士を務めておられました。その際、被告はやりとりの一部始終をICレコーダーに録音しておりまして、それを忘れたまま末長弁護士のもとを辞去し、また10分近く後、取りに戻りました。これはそのときに偶然録音された末長弁護士とある人物との会話の一部始終です。重要なところですので、聴いていただいてよろしいでしょうか。ほんの数分で終わります」

「いまここで聴くのが必要なんですか」

 裁判長の問いに、神谷の視線が真直ぐに中川に向いた。

 中川京一は、見えない手に胃袋を捻り上げられるような苦痛と口から飛び出そうな心臓の鼓動をどうすることもできなかった。

 まさか―――。あのとき何を話したか。オレは。

「はい。本件にとって極めて重要な録音で、いまこの場で聴いていただくことに大きな意味があります」

 神谷の視線は鋼のように鋭く、容赦なく中川を射ている。

「その真偽について当事者に問うことができると思いますので」

「どれほどの重要性かわかりませんがいいですか、原告代理人」

 突如、裁判長に振られ、

「必要とは思いません」 

 かろうじて中川は絞り出した。必死だった。「後でその—――」

 言いかけた中川は、血走った眼を見開き、声の限り叫んだ。

「おい止めろっていってんだよ、神谷 ! 」

 中川の異議を無視し、テーブルに置かれた大型スピーカーからいま大音量で声が流れた。

 ―――ギアゴーストの件ですが、よろしいか中川先生。

 ―――顧問契約を打ち切られた。あんたとの関係がバレた。

    以前、業界誌で対談しただろ。

    そのときのコピーを突き付けて帰って行ったよ。大丈夫なんだろうな。

 ―――情報提供の件、洩れたりしないだろうな。

 ―――神谷だよ。神谷修一だ ! 神谷が顧問についたらしい。

 ―――私から情報提供した件、絶対に漏れないよう、お願いしますよ。

    それと、買収が決まったら、そのの時は約束の成功報酬もらうからな。

 神谷がスピーカーの音源を落とすと、法廷に静謐が落ちた。

「乙第三号証は、この会話の中に登場する業界誌の記事です。ご覧いただきたい」

 裁判長が確かめ、眉を顰めるのがわかった。

「さて、中川先生に伺います。いまの電話で末長弁護士とと話ししていたのはあなたですね、中川先生」

「き、記憶にありません」

「記憶に無いはずはないでしょう。ごく最近のやりとりですが」

「記憶にありません」

 そのひと言をひたすら繰り返す中川を、どれだけ見据えただろう。

「乙第四号証は、末長弁護士にこの録音テープを聞いてもらい、本人と確認した旨の確認書です。同時に、電話の相手が中川弁護士であること、そして中川氏に頼まれ、本件副変速機にかかるギアゴーストの開発情報を提供したこともすでに認めております。仮に乙第一号証に示した論文の内容と比較して当該特許に新規性が認められたとしても、それはこのような不正な手段により獲得されたものであることを証明するものです。私からは以上です」

「原告代理人、いまの指摘についてどうですか」 壇上からの裁判長の問いに、

「次回までに回答します」

 もはや顔面蒼白になった中川はそういうのがやっとであった。

  「最終章の4」に続く

 

 

 

 

 

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1551話 [ 「下町ロケット・ゴースト」を読み終えて 15/? ] 9/14・金曜(雨・曇)

2018-09-14 10:41:43 | 読書

下町ロケット・ゴースト

「あらすじ」

「最終章 青春の軌道」

1.(第一回口頭弁論期日の前日の佃製作所とギアゴースト)

 第一回口頭弁論期日を翌日に控えたその晩、佃は、山崎と殿村に声をかけて、近くの居酒屋でささやかな決起集会を開いた。

「この裁判にはギアゴーストだけでなく、ウチの将来もかかってますからね。なんとしても神谷先生には頑張ってもらわないと」

 山崎が鼻息も荒く、眦(まなじり)を決する。「トランスミッション用バルブが伸るか反るかの大勝負です。とはいえ、裁判に絶対はありません。負けた場合のことは考えておく必要があると思います。どうされますか、社長」

 佃は、決然とした意志を、すでに固めていた。

「ただちにギアゴーストに出資する。そして、ギアゴーストの全員に残ってもらい、佃製作所グループの一員として今まで通り付加価値のあるビジネスを継続してもらうことだ。ウチはギアゴーストと連携し、エンジンとトランスミッション、その両方を世に問うメーカーになる。裁判に勝っても負けても、ウチは前進する」

 断言した佃は、改めて殿村に問うた。「トノ、そのときの出資を了承してくれるよな」

 ぐっと顎を引いた殿村は、「この出資をすれば、ウチの支払い能力はほぼ三分の一に縮小します。それでも出資する覚悟はありますか、社長」

「みんなで力を合わせれば何とかなる。力を貸してくれ」

 山崎が覚悟の面差しで大きく頷く。その一方で殿村の表情を過っていった一抹の揺れに、このとき佃は気づくことはなかった。

 

「明日、いよいよだね」

 社員がほとんどいなくなったギアゴーストのフロアはがらんとしていた。

 島津は改めて伊丹に聞いた。「もしウチが負けたら、佃製作所さん、助けてくれると思う?」

「負けないだろう」 伊丹から出てきたのは、仮設の否定に過ぎない。

私さ、負けても佃製作所と一緒に仕事できるんなら、いいと思っているんだ」

 伊丹は肩を揺すっただけで応えない。

 伊丹は何かをひとりで抱え悩んでいる。

「ねえ、何かあったの」思い切って島津は聞いてみた。

「別に」伊丹の返事には、どこか島津を拒絶する響きすらあった。

 

2.(殿村は佃製作所を辞める決心をする)

 佃から誘われた決起集会は、殿村の心のどこかに消せない苦しみを残していた。

 ―――みんなで力を合わせればなんとかなる。

 その佃の言葉に賛同できない自らの事情を抱えていたからだ。

 先週の日曜日のことである。

 田植えを終えて農道に出ると、痩せて杖を突いた父の正弘がひとりぽつねんと立っていた。

 田植機のエンジンを切り、声をかけようとして殿村はふと、口を噤(つぐ)んだ。

 足下に杖を置いた父が頭を垂れ、静に合掌したからである。

 祈りはなかなか終わらなかった。

 近づこうとした殿村は、その祈りの真剣さに気づいて思わず足を止める。

 それが豊穣を願ってのものだけではないと気づいたからである。これが最後の田植えになるだろうことを父は覚悟している。過去300年にわたり殿村家に実りをもたらしてくれた田圃への感謝の気持ちと、ついにその営みの終焉を迎える無念さを父は忍んでいるに違いない。

 長い祈祷であった。

 それはひとりの老人と自然との、訣別の図に見えた。自然と人間との間に連綿と引き継がれた崇高な結びつきの終着である。

 殿村の胸底から湧出した感情が、そのとき抗いがたい奔流となって胸を衝いてきた。

 オレは、この場所に帰ってくるべきではないのか。戻るべきではないのか、と。

 

 いま、自宅のリビングにいて再びその思いにとらわれた殿村は、すでに散々飲んできたにもかかわらず、冷蔵庫から缶ビールを出してプルトップを引いた。

「呑み過ぎじゃない。何かあったの」咲子がそれとなく聞いた。

「ウチの田圃のことなんだけど、オレ、やろうかなと思って」

 穴の開くほどの視線で殿村を見て、「それはその—――農家をつぐと。そういうこと」、そう聞いた。

「そういうことだ」

「佃製作所の仕事はどうするの」

「辞めようと思う。考えた上のことだが、お前の意見を聞かせてくれ」

「いまあなたが新しいことをやろうというのなら反対はしない。やってみれば」咲子は続ける。「でも、佃製作所に迷惑がかかるような辞め方はしない方がいいと思う」

「わかってる」

   「最終章の3」に続く

 

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