blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

いらない人間だから PART2

2018-09-23 11:44:46 | 休日
2018年9月21日、今週最後の出勤日、午前中の仕事をこなした後の昼休み、私はオフィスのPCに向かってメールを打っていた。
宛先は直属の部長、題名は「お願い」であった。
午後のスタートの時間を気にしつつ、文章表現に気をつけながら書き上げて、13時の10分前くらいには送信できた。
そのまま午後の仕事に入り忙しく動いていると、先輩社員から16時45分までに事務所に来てほしいという伝達があった。
「いよいよ来たか」との思いで、荷物がひっきりなしに入る状況ながら、約束された時間より早く事務所に着いた。

相手は部長に加えて、事業所のトップであった。
これは8月下旬に異動の打診を受けた時と同じだ。
しかし、話の内容は先月とは違って、私のお願い、つまり「退職の意思」を伝える場となった。

過去の社会人経験から、8月下旬に異動の打診があれば10月アタマの異動を通常は思い描く。
しかし、10月1日付けの異動には私はかからなかった。
もちろん、10月になるかは分からないとの前置きがあったことは記憶しているから、単純に10月の異動にかからず期待外れになったことに腹が立ってというのが退職の理由ではない。
それだけならただの駄々っ子であるが、この、10月に異動できないことの「意味」を考えなくてはならない。

8月の話の中では、私が所属するチームの人員が10月からは1名減で考えられていると聞いた。
一部の製品を他工場に移すなどして、我がチームの仕事量が総体的には減少しているのでそうなるとのことだった。
我がチームは、私以外はもともと当地出身か、結婚して当地に根を張っている人であるから、当地が出身でない私をまた出身地に帰す方向の話が出ていると聞いたのもその時であった。
ただ、出身地に帰すという方向だけで中身はこれからというのもその時の話であった。

上の流れからすれば、事業所からの要望もされていながら10月に異動できなかったということは、10月1日以降私は「戦力外」なのに当地に留め置かれることになる。
人事は懸命にあなたの行き先を探していて、調整的に11月や12月にも異動があるかもしれないのだからそれまで我慢はできなかったのかと言われれば返す言葉はないが、普通ならば10月の次は1月である。
その間、いらない人間として当地事業所に通い続けることは苦痛でしかないし、我がチームの中で私はまるでいない人間かのごとくにほぼほぼ無視されている状況が数ヶ月にわたって続いており、しかし私の適性上、倉庫周り以上に活躍できる部署もない。
もう当地では本当はいらない、他部署もダメ、転勤は近くて3ヶ月後、今の部署内での扱われ方、諸々考えれば、数ヶ月、下手をすれば数年「飼い殺し」にされ人生の一部をむざむざ無駄にするのならば、一日も早く当地を離れる究極の方法として退職という選択肢をとらざるを得なかった。
会社は病歴を抱える厄介な人間の処遇に腐心しなくてもよくなり、私はただただ誰とも会話せず仕事をして終われば帰るだけの退屈極まりない環境から抜け出せる。
会社と私、WIN-WINで、今回はこれでよかったのだと思う。
ちなみに一昨日は、引き留めのような言葉は一言として聞かれなかった。

40歳を前に富山県内の某部署に拾ってもらい、一時は苦しい時期を救ってくれた会社だから、自分の判断とはいえ去ることは残念無念の気持ちはある。
しかし、能力を出せば出すほど、ベストを尽くせば尽くすほど、周囲から疎まれるタイプであることに気づいた以上、チームワークが重視される会社組織とはまた違った形も含めて、働き方そのものを考える機会を与えてもらったと思って真剣に今後を考えていきたい。
必ず今よりも幸せになり、私自身が明るく元気に日々を送ることで、当地事業所また8年余りお世話になった会社への恩返しにしたいと心から思うのである。