blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

自分で決めたことだから

2018-09-26 23:09:09 | 日記
春先の体調不良により今期の有給がなくなっていた私は、締めの週で作業もなくなる今週いっぱい、つまり9月の終わりまでは普通に出勤するつもりでいた。
しかし、月曜に通常通りに仕事をしていると、11時にあらためて面談をしたいということで、それまでは入ったこともなかった打ち合わせ室に呼ばれ、少し早めに行って待った。

もう私が進む方向がはっきりした中で、どんな話があったかまでは書く必要もないが、事業所の厚情により今週いっぱい出勤することにも相当無理があるだろうということで、月曜の午後からは事業所に出ていない。
私は入社月の関係で有給が復活するのは10月アタマなので、正式な退職日までは有給消化でまかなえるから、もう仕事をしに今の事業所に行くことはない。
あと一回、当地でお世話になった産業医さんに最後のあいさつをするため事業所へ出て行く機会があるが、それが済んだら予定としては本当に当地事業所とはお別れになる。

もはや朝に顔を見ても夕方帰る時も互いにあいさつすらしなくなっていた環境にもう顔を出さなくていいと思うとホッとしたと同時に、少ないながら最後のあいさつをしたい人にはその機会がなくなり一抹の寂しさは感じている。
しかし、昨日あたりは緊張が解けた反動か、ほぼ一日抜け殻のように過ごし、夜になってようやくしばらく止まっていた自室の整頓を進め、今日は粗大ゴミの持ち込みも含めてもう一段整頓を進めて、今本欄に手をつけている。

この季節は、各界で引退や辞任などの話題が多く出る。
最近では当然ながら、優勝22回の大横綱・貴乃花親方の問題、また当地中日ドラゴンズのブルペンを長年支えた浅尾投手の引退など、スポーツを愛する私にとっては寂しいニュースが相次いでいる。
個別の事情について字数を割くつもりはないが、やはり出処進退は最終的には自分で決めていることは報道などで知らされる通りである。
周囲がまだその人物を完全な戦力外とはせず何とか生かす方策を立てていたとしても、当の本人が「やるだけやった」とか「もう潮時が来た」という思いに至れば、どんなに素晴らしい救済策も間に合わない。
本人と周囲の思いが、時にわずかなタイミングのズレですれ違いに終わることがあるとしたら、それも縁の切れ目を物語る事実なのである。

せっかく多めに時間をいただくことになったので、住まいの契約や引っ越し、住所の転出等、諸々の手続きはしっかりと済ませ、何はともあれ、当地に「忘れ物」をすることがないように、会社はもちろん家族などともしっかり話を重ねながら進めていきたい。