blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

当日が近づくと

2012-02-24 22:48:50 | 日記
平日の勤務が終わってリラックスした状態で本欄を書いている。
明日はまた少し寒いらしいが、夕方には県内某所で会社の人と飲むことになっている。
「残業大魔王」や「金魚のフン」(←最近の記事を参照ください)に毎日イライラしながらも何とか一週間を、気を使わなくていいメンバーでやる明日の会を楽しみにして乗り切ってきた。

明日の会は6名で、会場にいちばん近いTk氏の自宅にいったん集まる。
それ以外の5名は富山市内に住むKu氏のクルマで順番に拾ってもらいながら向かう予定であった。
それが今日になって、私がクルマを出すことに変更になった。
クルマを出すはずだったKu氏が、会社で過去お世話になっていた人が亡くなったため県外での葬儀に参列することになり、タクシー役が時間的に難しくなったからである。

事情が事情だから自分が代わりにタクシー役をやることには不満はない。
ただ、その話がKu氏本人からではなく人づてで来てしまったのは寂しい気がする。
お互いの住まいの場所から考えて、今回のメンバーで代わりにタクシー役を頼むとすれば私しかいないはずなのだが、その趣旨の言葉がなぜか本人から出てこなかったというのはおかしい。
他人に頼むに足る正当な理由があるにもかかわらず、である。

以前からのことだが、プライベートな飲み会や集まりのことにKu氏が絡むと、必ずと言っていいほど開催日直前になってなぜか氏がウダウダし始める。
氏が本当は人付き合いなど面倒だと思っていることは私は見抜いている。
しかし、同時に心寂しさ(=いないところで悪口を言われるのではないかという恐怖感)から開催日からかなり前の段階では「行かない」とは絶対に言わないことも知っている。
今回も同じパターンで、葬儀参列というのはウソではないにしても、何とかこれを口実にキャンセルできないかという魂胆が透けて見えた。

氏の場合、めんどくさいという本音の部分と他人にかまってほしい心寂しさを天秤にかけていつも後者のほうが勝ってしまうから、集まりなどの話自体には最初はホイホイと乗ってくる。
しかし、本心は面倒だから当日が近づくと不自然な言い訳やその気がなさそうな態度が表に出る。
そんな姿をそばで見ていて、ずいぶん無理をして生きているように感じるし、いつか心身のバランスを崩さないか心配にさえなる。

私自身も、何かと他人に依存する気持ちが強かった若い頃は、氏と同じような振る舞いを平気でやっていた。
その結果得られるものなど何一つないことに気づいてから、時間はある程度かかったが今の生き方にようやくたどり着いた。
少なくとも、人畜無害だとか毒にもクスリにもならないなどという人間では今はないし、そうなったところで損をしている実感もまるでない。
それどころか毎日の楽しさのレベルが昔とは違うと感じている。

氏のドタキャンぐせが出ないことを祈りつつ、明日は気楽なメンツで思い切り楽しみたい。
また、行きの道中だけだが数人を自分のクルマに乗せるから、クルマのキャラには合わないがおとなしい運転も心がけたい。