曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2018年3月19日~3月25日

2018-03-29 | 日記
3月25日(日)
「ヴィシュヌ寺院@ダルバール広場(カトマンズ・ネパール)」

初日なのでエリアの特性を広く掴むことを目指す。街の中心、カトマンズのダルバール広場方面へ。祭りの日らしく日曜でも活気に溢れる。道端では、高さ15mはありそうな塔のような山車が組み立てられている。旧王宮エリアでは震災の爪痕も多く残るが、仮の補強をしたままで普段通りに使われている。


「ダルマシャーラ@タメル地区の少し南(カトマンズ・ネパール)」

公共の休息所であるダルマシャーラ。カトマンズのダルマシャーラは、書籍での紹介の様子とは異なり、何かしらの生業の場として活用されている場合がほとんど(後日、一部の理解が間違っていることも判明)。通りにはバイクや車も多くスピード感もあって、予想していた印象とはちょっと違う。とはいえ、近代化のヴェールに包まれたところが少ないのは期待通り。


「円形街路の街並み@ボダナート・ストゥーパ(カトマンズ・ネパール)」

ダルバール広場の周辺を広く歩いた後、タクシーでスワヤンブナート、パシュパティナートなどを周り、最後はボダナート・ストゥーパ。ネパール最大のストゥーパのあるエリアで、ストゥーパの外周を円形に建物が並ぶ街並みがかなり特徴的。
夕方、宿でその後の視察関連の手配などをしてから夕食へ。


「山車@ラトナ・パークの北西あたり(カトマンズ・ネパール)」

チベット料理のモモ(餃子)を目指して、フロントのお姉さんおすすめのUtse Restaurantへ。途中、道路を塞いでお祭りの山車に人が集まる。
店では、殆どの客が日本人。色々な大学から来た学生ボランティアらしい。


3月24日(土)
「香港国際空港@香港」

羽田発のキャセイでカトマンズへ。香港で乗り換え。一人分おまけしてもらって5人でラウンジへ。広くて何でもある快適なラウンジ。夕方、カトマンズ便へ。


「屋上のバー@Traditional Hotel(カトマンズ・ネパール)」

カトマンズの空港では、事前にネットでビザ申請はしてあったんだけれど、お金の払込と窓口での手続きがある。それなりにスムーズ。暗く怪しい駐車場でホテルの送迎ミニバスにのって、ホテルについたら12時近く。屋上でビール。


3月23日(金)
「マグノリアゲート@自宅近所」

↑去年の様子(3月28日)

↑今年の様子(3月23日)

自宅からすぐの角。シモクレンとハクモクレンが向かい合って立つ。今年はやっぱり開花が早くて、昨年の写真よりも5日早くて花は多い。春の花期が全体に10日くらい早いかも。ネパールから戻る頃には桜は過ぎているか。


3月22日(木)
「サングリアセット@研究室(神奈川大学)」

今年度最後の委員会。そのあと、24日からの出張準備で資料の整理。机にはスペインに旅行に行っていた学生からのお土産。


3月21日(水)
「雪@自宅前」

雨の予報が雪に。暖かくなったり寒くなったり、不思議な天気。予定していた作業の順番を変えて、自宅で大邱釜山視察報告書の作成。ローカルな情報をGoogle翻訳で確認していて、「大邱」と「タラ」(魚)はどっちも대구と表記することに気づく。


3月20日(火)
「雪柳@自宅」

昼過ぎが締め切りの報告書。この時期は報告書作成が多いんだけれど、今年は例年よりもバリエーションが多いような気が。自宅の緑も春のイメージになってきた。ユキヤナギは満開。


3月19日(月)
「https://minamisoma-factory.com/のクレヨンと文庫の山@自宅」

卒業式。今年は学部と修士を合わせて24人が卒業。南相馬ファクトリーの蜜蝋クレヨンも24色。ということで、一人一色プレゼント。修士の10名には、それぞれの研究内容や進路に関連した文庫本。何の本にするのかを考えるのは楽しかったけれど、みんなちゃんと読むだろうか。


「スライドを見上げる学生たち@GOLD TOWN(黄金町)」

学長の式辞では、J.S.ミルの経済学原理をひきながらこの先の社会への向き合い方を説くもので共感できた(一部の人には、「人間の尊厳」という言葉が結局人間中心主義的と聞こえたようだけれど、地球環境を優先する思考を持つくらいの人としての尊厳というような言い回しだったと思った)。ミルの時代の本に、既に、早晩経済成長は頭打ちになり、成熟した暮らしが重要になると書かれていたというのも印象に残った。高校生時代の勉強が足りていなかったということだけれど。

2018年3月12日~3月18日

2018-03-19 | 日記
3月18日(日)
共同炊事場食卓@BankART Studio NYK(馬車道・横浜)」

そろそろカウントダウンのBankART Studio NYK。何か残しておくべきものはないかと思って、行ってみる。どれも、大きすぎたり重すぎたりして、残しておくのは難しそう。残せそうなのは、運河を見ながら飲むバスの記憶くらいのもの。ということで、昼からビール。


3月17日(土)
「プリンタ調整@自宅」

原稿の校正とか報告書の準備とか。多すぎて気持ち的には開き直り。気分転換でプリンタ調整。この間、ウェブチェックインして搭乗券印刷したのに諸々の手続きがダメだったのは、きっとプリンタがずれているから。文章を印刷していても、所々の行でちょっとずれているのには気が付いていた。


3月16日(金)
「小屋組@at Teramae(桜町通り・美波町)」

永晴邸活用事業者募集に向けての見学会。通りの活性化につながるといいが。
途中、オープン間近のat Teramaeの見学。見上げると野地板ではなく杉皮。スプレーで墨汁を吹き付けてハケで伸ばして塗装をしたという。情熱が溢れる。
昼はマメボンで、春の新メニューのなかからタケノコと生姜のオイルパスタ。表面を炙ってあるタケノコときのこ、水菜、ベーコンが生姜で一体化。春が来た。道の駅で買い物して、一足先に横浜へ。


3月15日(木)
「永晴邸@美波町(徳島)」

朝の飛行機で美波町へ。古民家改修の現場をみたりしてから、夜はいつものワークショップ。地域の方々の思っていることをたくさん聞く会にしたんだけれど、参加者が少な目。。。確定申告の作業で力尽きたか。とはいえ、多様な意見を確認することはできた。


3月14日(水)
「横浜市新市庁舎@馬車道(横浜)」

横浜では、いつの間にか新市庁舎の鉄骨が2階部分まで上がっている。すごい鉄骨量。


「ガラス張り緑化ビル@本八幡(千葉)」

久しぶりの本八幡。プロジェクト正式スタート。ちょっとだけ早めについたので少し遠回りをしてみると、怪しい建物が。調べると、伝説(?)のミュージシャン・ジャガーさんという人のビルらしい。


3月13日(火)
「ペンダントライト@横浜開港記念館1号会議室(日本大通り・横浜)」

熱はないけれどどうも調子が悪くて、朝の打ち合わせの後、病院に行ってみる。隠れインフルじゃないかって検査してもらうものの陰性。他の人にうつす心配はないってことで予定通りの一日。夜は、平成29年度 芸術不動産セミナー「遊休不動産を創造的に活用するためのガイド」。新しいことを思いつける新たなチャンネルに触れられた。


3月12日(月)
甘川洞文化村@釜山」

△今回:カラフルな外壁が増えているけれど、建物の形状は大抵はおなじ。

△前回:よくみると、右手のマンションの名称が二行になっていたり。
4年3ヶ月前にもいったことのある甘川文化村へ。今回はGoogleマップで検索して公共交通を乗り継いで。平日なのに賑わっている。あとで写真を見比べると、街自体はそれほど変わっていないようなのだけれど、大型バスでやってくるツアー客や土産物屋の印象のためか、相当観光化が進んだ印象(4年前にも既に観光化しているって思ったみたいだけれど)。


「肉@釜山スップルカルビ(南浦洞・釜山)」

最後の食事は肉。国際市場の北のはずれにある炭火焼肉の店。下町っぽい風情のつくりなんだけれど、店の人が焼いてくれて、野菜との組み合わせ方などをひとつひとつ具体的に教えてくれる。好きなようにゆっくりと食べたい人には向いていないかもしれないけれど、割と時間がギリギリだったこともあってちょうどいい感じ。牛&豚。
帰りは成田から。リムジンバスの間、ずっと仕事の連絡。。。YCATでも完了せず。

2018年3月5日~3月11日

2018-03-13 | 日記
3月11日(日)
「船が埋め尽くす海@馬山のホテル(昌原)」

ホテルの窓からは海。海面を多い尽くすかのような船。中には朝の(?)船とは思えないスピードで動くものも。
朝から、許先生のディープな解説付きで馬山歴史視察。馬山の近代史を、今日の状況から読み解いて行く。最初は、韓国民主化の先駆けとなった四月革命のシンボル金朱烈の遺体が発見された埠頭から。公園としての整備はこれからだけれど、部分的に歴史資料が紹介されている。


「大工の家@馬山(昌原)」

日本統治時代に作られた街並みや建物をまわる。写真の建物は、馬山で一番の豪邸(政治家で実業家だったか)を作るにあたって日本からやってきた大工さんが、まずは自分の家をつくった、というもの。豪邸の方は残っていないけれど、こちらは現存。統治時代、このエリアには西日本から入った人たちが多かったようで、豪邸の庭などで西日本的な仕様も垣間見られるらしい。


「1938築のもつ鍋屋@鎮海(昌原)」

昼過ぎには鎮海へと移動。統治時代の民家を改修したもつ鍋屋で、鎮海都市史のレク兼昼食を経て、鎮海視察。鎮海は3つのロータリーを組み合わせた放射状の街路が特徴的な軍港都市。元々の住民は少し離れた場所・慶和洞に移され、新町建設が始まった。桜でも有名な街で、韓国国内の桜前線はここが基準だとか。たしかに町中が桜の木。


「真ん中のロータリー@鎮海展望台(鎮海)」

中央のロータリーの真ん中には、もともと堂木(タンナム)の巨木が立っていて、往時には、その木陰で疲れを癒したりしたらしい。奥にみえるのは齊藤(チェドゥン)湾。海軍大臣齊藤実にちなんだ名前らしいが、今日も元の意味はわからないもののチェドゥンと呼ばれているらしい。他にも、意味はわからなくても名前が残っている例がある。


「タコ(は食べてない)@チャガルチ(釜山)」

あっという間に時間切れ。バスだと時間が勿体無いということで、タクシーで釜山へ。馬山や鎮海で地図が買えなかったので、グーグルマップで「釜山で一番大きな本屋」という書き込みを信じてロッテ百貨店の本屋に行くが全然ダメ。。。夜道を歩き、チャガルチ駅近くにある本屋に行ってみたら、どういうわけか地図専門書店。ここは今後も役にたちそう。
チャガルチ市場近くで刺身で、国際市場あたりでチジミで、ホテルの前でオデン(?)で飲むという最終日にふさわしい夜。



3月10日(土)
「かぼちゃチジミの店・ジンコルモク食堂@ジンコルモク通り(大邱)」

朝、権さんが迎えにきてくれて、昨日よりも少し南側のエリアを視察。日本家屋を含め、古い民家を活用した特徴ある拠点がいろいろとある。その一例で韓屋の活用事例で中を見ていたら、奥に巨大なかぼちゃの山。かぼちゃだけでつくるチジミの有名店らしい。昼食前にマッコリでつまむ。その後も少し歩いて、市場で田舎料理的な昼食をとり、KTXで昌原へ。


「馬山の港@港の南側の丘から臨む(馬山・昌原)」

KTXの昌原駅にはイルジさんの小学校からの友人という人が迎えに来てくれて、昌原の街の様子をうかがいつつ馬山へ。昌原は山に囲まれているという地勢的特徴から、軍の基地をつくるために人工的に生み出された街だとか。大きな通りは、少し前まで滑走路として活用できるよう植栽帯などもなかったらしい。
馬山のホテルでは許先生が待っていてくれて、馬山と鎮海の都市史についてのレク。色々と興味深い話が満載。


「魚市場@馬山(昌原)」

慶南大学の先生方も加わり港の魚料理の食堂で飲む。刺身などもさることながら、イワシを辛いソースで炊いたのがうまい。ここではMUHAKという焼酎が有名らしい。その名前は、舞鶴の韓国語読みかもしれないという。当時の軍港繋がり。その後、市場エリアを横断して、次の店へ。ホヤ、カレイ、ボラ、タチウオなどが多い。同じ海にいるんだから当然だけれど、日本と一緒。


3月9日(金)
忠正アパート@忠正路(ソウル)」

朝、先についていた熊本県立大のイルジさんと合流して、ソウル駅近くの近代集合住宅視察。写真は現存する最古のアパート。もともとは三國商会(日本の会社)による従業員向け住宅で、1930年の竣工後いろいろと用途を変えたり、増改築を重ねて(都市計画道路で半分無くなったり)今日に至る。怪しいおさまり満載。聖ヨセフアパートとか、古い密集エリアとか、駅北西地区を回る。


「北城路工具博物館@大邱」

KTXで大邱へ。駅前には雪が残る。バスで北城路へ。日本統治時代に作られた街並みが、戦後、物作りに関連した店舗の集積地となった。最近は、古い民家を活用した地域活性化が進む。その拠点の一つが工具博物館。1936年に米商社として作られた建物で棟札も残る。地域で活動する権さんが手がけたもので、DIYでの改修を通して今日に至る建物の変遷が浮かび上がってきたという。ファサードには道路整備に伴って行われた、軸組の移動が見られる。


「大邱最古のビル@北城路・大邱」

その後、重村先生とも合流して、権さんの案内で北城路をまわる。戦後の再建活動(日本的な様式を見えにくく改修)のプロセスも興味深い。大工仕事に関連する用語には日本語がそのまま使われているものも多く、権さんはそれらの用語を解説する辞書のようなものも作っている。本を頂いたのだけれど、バラバラと見ていても飽きない。


大邱ハル@北城路・大邱」

日本家屋のリノベ支援事業があって、その制度を活用した事例が点在している。リノベといってもいろいろで、部材活用のしかたも多様。左官壁の代わりに白い鋼板を外壁にして、中に断熱材をつめたなんていうものもあるし、架構の方法を再考しながらも古材を活用しているものも。
近代建築リノベのカフェ・ハルは日本語専門カフェ。ビジターセンターも兼ねている。嶺南大学の先生とも合流し、富井正憲先生も関わったという今和次郎の本などを拝見。


「肉@中央路駅の東側(大邱)」

統治時代一番の金持ちだった人の家(中華商会)などを横目にみつつ、夕食へ。ユッケはどうか、ってことで行ったんだけれど、赤身の牛刺し。古民家改修ワインバーで締め。リノベでできた特徴的な雰囲気を持った建物が、幅広い用途で活用されているのを実感した一日。そういうところを回ったということなんだろうけれど。


3月8日(木)
「青く光る空中街路@ソウル路7017(ソウル駅)」

大学院入試の採点、面談、判定会議。終わるとちょうど空港に向かう時間。国際空港鉄道AREXでソウル駅へ。金浦空港からAREXに乗るのは初めてだったか。駅までの距離に驚く。ソウル駅の北側にできた韓国版ハイラインに面したホテル(Hotel Manu)まで、数分歩く。写真でイメージしていたのよりもずっとシンプルというか殺風景?。新たな歩行者動線としてはすばらしいが。


「遊園地の紳士@Seoulista(ソウル)」

チェックインしてもう少しで閉店という、ホテル1階にある店でIPA2種。何気なくメニューを見ていると、一番度数の高いのは、醸造所名もビール名も印象の違うもの。背後に写っているのはこれではなくて、ガルメギIPA。


3月7日(水)
「元ファミマにヤマザキの痕跡?@妙蓮寺(横浜)」

出張前に種々の雑務をはじから片付ける。
近所のファミマが閉店していた。越してきたときには既にあったので10年以上営業をしていたか。近所のコンビニ軒数はプラマイゼロ。ファミマの看板の下にあらわれた痕跡はヤマザキストア?。ちょっと違うか。。。


3月6日(火)
エルリッヒ展@森美術館(六本木)」

レアンドロ・エルリッヒ「部屋(監視 I)」(2006/2017)
この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

馬車道とか都内とかで打ち合わせ。移動の途中で森美術館へ。体験を楽しむタイプの作品ではあるけれど、なんというかタチの悪い来館者が多かったような。。。触るなと注意されてもめげずに模型の中に携帯置いて写真撮っていたり。ちょっとびっくり。


3月5日(月)
「賞状@研究室(神奈川大学)」

今年度最後の入試の監督。雨が降り始めたものの、無事に終了。研究室にいくと、大東建託コンペの賞状が置いてある。花は懇親会でもらってきたか。

2018年2月26日~3月4日

2018-03-05 | 日記
3月4日(日)
「水辺で遊ぶこどもたち@横浜美術館(みなとみらい)」

横浜美術館でクリエイティブ・インクルージョン助成の年度最後の成果発表会(リンクは平成30年度の助成の案内)。7組それぞれ大きくタイプの異なる試みで、それぞれ興味深い状況に達していて、発表を聞いていて最後まで飽きない。こういった試みの密度もさることながら、それ以前に、こういったことが行われる背景をどこまで社会が共有できているのかが都市の底力として問われるところか。


3月3日(土)
「桜の枝@菊名池公園(妙蓮寺)」

もろもろの事情から大東建託コンペの学生たちのプレゼンに行けず。。。まあ、仕方がないとあきらめて、丸山さんがFBで逐一報告をしてくれるのにドキドキしながら、あちこちへ。夕方、紆余曲折の末、最優秀賞を得たとのニュース。めでたい!。


3月2日(金)
「フェンスの向こうに高速道路が透けて見える@小学校のプール(横浜某所)」

卒業認定などが中心の今年度最後の教授会など。その前後に、横浜と都内の現場。いかにも年度末な一日。


3月1日(木)
「カラフルな車たち@神奈川大学(横浜)」

航空会社から届くメールやニュースを見ていて、強風で飛行機が飛ばないかもと心配していたんだけれど、すんなりと定刻通りに羽田に到着。条件付き運行ですらなかった。大学での会議にも間に合い、その後のもろもろの予定も、予定通りに進む。


2月28日(水)
「木製アーケード@はりまや橋商店街(高知)」

朝の飛行機で高知へ。JIA四国支部の卒業設計コンクール。会場近くに昼食にいくと、木製トラスのアーケード。日本初の本格近代木造アーケードだとか。「本格近代」ってついているのは、六角橋商店街みたいなものがあるからか。南側の区画は南に親水公園が面しているんだけれど、そちらの様子がいまいち活用されていないのがちょっと勿体無い。


「照明@ひろめ市場(高知)」

審査では、金賞はすんなり決まったんだけれど、3人の審査員が2番目に選んでいるものが違っていて、しかも3番目に選んでいるものがうまいことずれていて(つまり3作品それぞれが、2位の評価と3位の評価を一つずつ得ている)、結局銀賞3点。賞金があったのをあとで知ったんだけれど、どうなっただろう。。懇親会までちょっと時間があったので、菊眞さんとひろめ市場で飲む。初めて来たんだけれど、このおおらかな感じ、来週行くつもりだった、大おきゃくが常設化したものか。


2月27日(火)
「ディスプレイがお休み中のフォトヨコハマ@馬車道駅(横浜)」

朝から大学とか馬車道とか出張中の累積赤字解消へ。妙蓮寺駅のホームゲートはまだ稼働していない。


2月26日(月)
「オホーツクの流氷とサハリン@機上(NY→東京)」

日本時間に体を合わせようと窓から外を見ると、ちょうどカムチャッカ半島の北側を南に下っているところ(フライトレーダーで航路を予習しておいた)。雲の間から見えるのは氷の海。
鶴橋のお好み焼きにトライしようと思っていたんだけれど、帰りの便にはないらしい。。。炭水化物への欲望に耐えられたと考えよう。


「オリンピック選手団を待つ人たち@成田空港」

1時間以上早く成田に到着。空港には選手団の帰国を待つ人たちがたくさん。定刻どおりだったら巻き込まれていたか。そのままリムジンバスとタクシーで大学へ。はやくもニューヨークにいたことはずっと前のことのように。。。