2月24日(日)
「ホリデーイン@スナイパーストリート(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
朝、トラムで西の方向へ。チケットを車内で刻印しておかないと罰金らしい。体格のいい検査官(?)が、時々確認に乗ってくる。
街の外れで降りて東に向かって歩く。ホリデーインはサラエボ包囲時の報道の拠点。空港までのタクシー運転手によると、スナイパーストリートの南側似建つ建物の屋上から向かいの建物群に向けて銃撃したらしい。街の95%が破壊されて旧市街の古そうな街並みも多くが再建だとか。
「ガラス手すりに残る銃弾の痕@ミリャツカ川沿い(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
旧市街の内側には紛争時の痕跡があまりないけれど、周辺には四半世紀近く経った今でも沢山残っている。外壁に銃弾痕が残る建物だけでなく、ガラス手すりに痕が残るものも。北側斜面地に広がる住宅エリアに入ってみると、そちらも同様。
サラエボトンネル博物館経由で、大変コンパクトなサラエボ国際空港へ。
「屋根架構@プレチェニク・ハウス(リュブリャナ・スロベニア)」
リュブリャナ空港からタクシーでプレチェニク・ハウスへ直行して、最後の見学ツアーに参加(翌日は休館日)。相当ストイックな人だったらしい。一方で、ショップで購入したリュブリャナのプレチェニク建築ガイドを見ていると、作品の数も多いしレンジも広い。リュブリャナに戻ったのが我々くらいの年齢なのを考えると、信じがたいレベル。
夜はいかにも観光地対応のレストランしか開いていなくて、コストパフォーマンスが。。。
2月23日(土)
「バシュチャルシアの街並み@旧市街(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
朝の2時前に羽田を発つ便。バルカン半島では宗教的な混交の状況を確認したいところだけれど、諸状況から視察期を間短縮。まずはボスニア・ヘルツェゴビナ&クロアチアのサラエボへ。街中には大小のモスクが点在していて、同じくらいの密度でドネルケバブの店もある。
「みせづくり的な納まり@旧市街の店舗群(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
旧市街はコンパクトでとても観光化されている。オフシーズンなのだけれど沢山の観光客が行き交う。新旧の店舗が並んでいるけれど、共通しているのが折りたたみ式のベンチ。折りたたみ式のひさしがセットになっている場合も多い。両方を閉じるとガラス面の雨戸に。中にはベンチの上にショーケースが設えられて固定化しているものも。
「銃弾の痕@古民家(ラテン橋の南側の住宅地・サラエボ)」
旧市街の内側には紛争時の痕跡があまりないけれど、周辺には四半世紀近く経った今でも外壁の銃弾の痕がそのままになっている建物などが沢山残っている。
ホテルの向かいにある人気店舗っぽい店で食べたチェヴァプチチが絶品だった。ビールがないのが玉にきず。。。
2月22日(金)
「卒業設計作品の展示@馬車道駅コンコース(馬車道・横浜)」
Eチケットとかの印刷が結構大変。。。馬車道に行ってみると、みかんぐみに向かっていく階段の前が神奈川大学の作品が並ぶゾーン。学生はいなかったけれど。
一旦、家に帰って準備を整え、夕食後、羽田空港へ。
2月21日(木)
「窓の掃除@神奈川大学(横浜)」
大学で書類のとりまとめとかいろいろ。大学はメンテナンスモードのようで窓掃除とかが進む。みんな赤いので制服があるのかと思ってよくみると、赤いパーツがそれぞれ違っている。
出張向けに資料のスキャンなども。
2月20日(水)
「東側妻面@谷屋(美波町・徳島)」
桜屋現場→谷屋現場→役場と、前回と同じ流れでまわる。違うのは昼ご飯が藍庵のラーメンじゃなくてまめぼんのパスタなところ。その日のうちに日和佐を出るところまで一緒。羽田に戻り、夕食がまだだったとおもって京急鶴見駅近くでちょっとだけ飲んだら、終バスを逃す。何をやっているんだか。。。
2月19日(火)
「野老さんのパターンが広がる床@ブリーゼタワー地下(ハービスの隣・大阪)」
浦辺展打ち合わせのために大阪へ。少し前まで横浜で一緒だった重村先生も。会議後、翌日に備えて、ハービス大阪から出る夜のバスで徳島へ。バスの時間まで10分ちょっとあったので、隣のビルの地下で買い出し。
2月18日(月)
「印税18円@自宅」
会議などを経て学科懇談会。これで今年度の山場を概ね過ぎたことになる。研究室のプロジェクトの多くは、年度末に向けてこれからが佳境ではあるが。
「ホリデーイン@スナイパーストリート(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
朝、トラムで西の方向へ。チケットを車内で刻印しておかないと罰金らしい。体格のいい検査官(?)が、時々確認に乗ってくる。
街の外れで降りて東に向かって歩く。ホリデーインはサラエボ包囲時の報道の拠点。空港までのタクシー運転手によると、スナイパーストリートの南側似建つ建物の屋上から向かいの建物群に向けて銃撃したらしい。街の95%が破壊されて旧市街の古そうな街並みも多くが再建だとか。
「ガラス手すりに残る銃弾の痕@ミリャツカ川沿い(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
旧市街の内側には紛争時の痕跡があまりないけれど、周辺には四半世紀近く経った今でも沢山残っている。外壁に銃弾痕が残る建物だけでなく、ガラス手すりに痕が残るものも。北側斜面地に広がる住宅エリアに入ってみると、そちらも同様。
サラエボトンネル博物館経由で、大変コンパクトなサラエボ国際空港へ。
「屋根架構@プレチェニク・ハウス(リュブリャナ・スロベニア)」
リュブリャナ空港からタクシーでプレチェニク・ハウスへ直行して、最後の見学ツアーに参加(翌日は休館日)。相当ストイックな人だったらしい。一方で、ショップで購入したリュブリャナのプレチェニク建築ガイドを見ていると、作品の数も多いしレンジも広い。リュブリャナに戻ったのが我々くらいの年齢なのを考えると、信じがたいレベル。
夜はいかにも観光地対応のレストランしか開いていなくて、コストパフォーマンスが。。。
2月23日(土)
「バシュチャルシアの街並み@旧市街(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
朝の2時前に羽田を発つ便。バルカン半島では宗教的な混交の状況を確認したいところだけれど、諸状況から視察期を間短縮。まずはボスニア・ヘルツェゴビナ&クロアチアのサラエボへ。街中には大小のモスクが点在していて、同じくらいの密度でドネルケバブの店もある。
「みせづくり的な納まり@旧市街の店舗群(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
旧市街はコンパクトでとても観光化されている。オフシーズンなのだけれど沢山の観光客が行き交う。新旧の店舗が並んでいるけれど、共通しているのが折りたたみ式のベンチ。折りたたみ式のひさしがセットになっている場合も多い。両方を閉じるとガラス面の雨戸に。中にはベンチの上にショーケースが設えられて固定化しているものも。
「銃弾の痕@古民家(ラテン橋の南側の住宅地・サラエボ)」
旧市街の内側には紛争時の痕跡があまりないけれど、周辺には四半世紀近く経った今でも外壁の銃弾の痕がそのままになっている建物などが沢山残っている。
ホテルの向かいにある人気店舗っぽい店で食べたチェヴァプチチが絶品だった。ビールがないのが玉にきず。。。
2月22日(金)
「卒業設計作品の展示@馬車道駅コンコース(馬車道・横浜)」
Eチケットとかの印刷が結構大変。。。馬車道に行ってみると、みかんぐみに向かっていく階段の前が神奈川大学の作品が並ぶゾーン。学生はいなかったけれど。
一旦、家に帰って準備を整え、夕食後、羽田空港へ。
2月21日(木)
「窓の掃除@神奈川大学(横浜)」
大学で書類のとりまとめとかいろいろ。大学はメンテナンスモードのようで窓掃除とかが進む。みんな赤いので制服があるのかと思ってよくみると、赤いパーツがそれぞれ違っている。
出張向けに資料のスキャンなども。
2月20日(水)
「東側妻面@谷屋(美波町・徳島)」
桜屋現場→谷屋現場→役場と、前回と同じ流れでまわる。違うのは昼ご飯が藍庵のラーメンじゃなくてまめぼんのパスタなところ。その日のうちに日和佐を出るところまで一緒。羽田に戻り、夕食がまだだったとおもって京急鶴見駅近くでちょっとだけ飲んだら、終バスを逃す。何をやっているんだか。。。
2月19日(火)
「野老さんのパターンが広がる床@ブリーゼタワー地下(ハービスの隣・大阪)」
浦辺展打ち合わせのために大阪へ。少し前まで横浜で一緒だった重村先生も。会議後、翌日に備えて、ハービス大阪から出る夜のバスで徳島へ。バスの時間まで10分ちょっとあったので、隣のビルの地下で買い出し。
2月18日(月)
「印税18円@自宅」
会議などを経て学科懇談会。これで今年度の山場を概ね過ぎたことになる。研究室のプロジェクトの多くは、年度末に向けてこれからが佳境ではあるが。