曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2015年9月21日~27日

2015-09-29 | 日記


9月27日(日)
「月@大学前(神奈川大学・横浜)」

弾丸で新潟。日比野さんのトークイベントに水土アートディレクターの丹治さんと参加。駅でビールを飲んでから横浜に戻ると壇上で宣言したものの、新潟駅では7分後に出発する新幹線があり、ビールは断念。夕方前に大学。翌日から上海設営に行く学生の準備の確認。帰り道に見上げると中秋の名月。夜も更けてから自宅の屋上からも見直してみたんだけれど、雲が被っていてもよく見える月。かなり久しぶりの横浜。


9月26日(土)
「新津波避難タワー@周参見駅(紀勢本線・和歌山)」

早起きしてメール。今回のチェーン出張中は色々なプロジェクトの佳境が重なっていて、どうにも落ち着かない。まあ、しようがないが。午後から、追手前学院大で行われている公共政策学会のシンポジウムに視察メンバー全員で登壇。活動の振り返りと再確認ができた。写真は周参見駅横の避難タワー。津波の予想が更新されたため、各段と大きなタワーが新設されたらしい。


9月25日(金)
「パンとカフェ・nagi@紀伊大島(串本・和歌山)」

朝一で串本市役所を訪れ、架橋後の変化や産業などについて伺う。気仙沼大島と重なって見える状況も少なく無さそう。その後、橋杭岩(火山岩が作る特徴的ジオサイト)や道の駅を観察しつつ、紀伊大島へ。島の中央を東西に峰道が走っていて、3っつある海岸沿いの集落にはそこから降りる。入ってすぐのところに良い雰囲気のカフェ。神戸などで修行し、奥さまの出身地にて出店をしたらしい。ピザとサンドイッチのランチを食べて、パンもテイクアウト。とてもおいしくて、ものすごい集客力。


「樫野崎の岩場@紀伊大島(串本・和歌山)」

島の各集落を訪ねる。多くの物販店舗は閉店しているみたい。役場での取材で登場した人物に遭遇したりして、さらに取材。最後は、島の東端にあるトルコ記念館へ。トルコには親日派が多いのは知っていたんだけれど、ここでの史実に支えられたものだとは知らなかった。トルコでは小学校の教科書にも登場するらしく、近々、この話しを元にした映画が上映されるとか。
民宿では伊勢エビとビール。


9月24日(木)   
「駅前の様子@串本駅(串本・和歌山)」

打ち合わせをひとつ挟んで、和歌山の串本へ。気仙沼大島に関わっているメンバーによる、同じような背景を持つ同市への視察。こちらは津波予想高さが最大20m近く、架橋がすでに渡っている(気仙沼はこれから)。名前は両方とも大島。大阪市内から特急で3時間強。平日なのにホテルにいる観光客の多さに驚く。夜は先生方と豪快な居酒屋で豪快な魚料理。


9月23日(水)
「上海西岸ビエンナーレ設営中@Shanghai West Bund Art Center(黄浦河下流・上海)」

編集確認作業の続きをやってから、展示会場へ。元工場だった建物で、クレーンなどを残したままの空間。鉄とコンクリートだけによるリノベも格好いい。われわれは、大きく映像を映して、今回の視察を踏まえて作った書籍を置くだけ。持っていったプロジェクタなどの動作確認と設置依頼をして、いかにも上海の家庭にありそうな机と椅子を買ってきて配置。あとは、これから編集印刷が行われる書籍とペンダントライトの取付に学生がやってきて完了。のはず。


「テンポラリーな建築家のオフィス@ビエンナーレ会場の北隣(黄浦河下流・上海)」

設営関連の確認をできる範囲でした後、一昨日の夜にセッティングしてもらった、竣工直前の建築家新オフィス群の見学。開発会社がクリエイティブな地域にしたいと、5社の事務所を建てている。5年間の限定らしい。土地は開発会社が提供するけど、建設費は事務所持ち。同じような素材を用いつつ、5つのテイストが大きく異なるのも面白い。見学の声をかけてくれたからと言うわけではないけど、ZHANG先生のアトリエZ+が、快適さと押さえの効いた空間構成とのバランスが良くて共感。


「上海浦東空港ターミナル1@上海(中国)」

あわただしくタクシーで空港へ。WANG先生によると、空港ビルは夜見るとガラスと大屋根の印象が共通したシリーズにみえるけど、内部に入ると構造形式の違いがそれぞれちがった表情を作っているとか。ターミナル1は張弦梁。手荷物検査を受けてラウンジ。夜遅くに関空について、難波へ。タクシーでホテル名と住所まで言ったのに、違う東横イン(前からあるところ)に連れて行かれる。違うほうのフロントでも、正しい東横インへ向かうタクシーでも「そういう人がたくさんいるんですよ」。。。たくさんいても対策なしか。詐欺にでも遭ったような気分。やっぱりサービスレベルは追い越されたな。


9月22日(火)
「ホテルの廊下@Asset Hotel(上海市街西寄り・中国)」

さらなるリサーチを行おうかと思っていたんだけれど、書籍にするための印刷原稿準備が間に合いそうにないということもあって、主にホテルで編集作業。
ホテルの廊下はちょうど3周回る大きな螺旋。後日、Xiao Xiaoさんが調べたところによると、元駐車場だったから、こういう構成になっているんだとか。リノベ物件だったわけか。廊下に囲われた内側に、エレベータ、階段、中庭、大きめの居室(中庭に面する)が並ぶ。中央にあるエレベータは、東棟と西棟を繋ぐため、どっちに行くにも段差。まあ、面白いからいいか。


「中庭@Asset Hotel(上海市街西寄り・中国)」

中庭には屋根がかかっていて(ここだけに面する大きめの部屋は、外に面していないということか)、ラウンジスペースになっている。コーヒーと紅茶もサービス。丸山さん長谷川さんと一緒にここを占拠して編集作業。元々Googleドライブで写真の選定分類作業を行っていたので、VPN無しには上手くいかないんだけれど、これがまた不安定。
夕方は、たまたま別件で来ている坂本先生、奥山先生と同済大学の先生方を交えて会食。その前に、バンドくらいは散歩してから行こうかと思っていたんだけれど、結局ギリギリまで作業。


「夜のオリエンタル・パール・タワー@同済大学からホテルへの途中(上海・中国)」

同済大学の迎賓館での中華料理。大学にこういう場があるというのは羨ましい。で、坂本先生の展覧会用図録は同済大学出版局からでるのだとか。出版局も羨ましい。出版局の方に、お土産で「Shanghai Shikume」と「Wang Shu Architecture」の小型本を頂く。先生の中国でのプロジェクトへの勢いに驚きつつ、先生の展覧会もいよいよ楽しみ。
宿に戻って編集の進捗を教えてもらう。


9月21日(月)
「団地のカスタマイズ@Tian Xincun(上海市街西南・中国)」

朝、ホテルにXiao Xiaoさんが来てくれて、上海に残る地域色の深いエリアを回る。最初は、Tian Xincun。先日、ZHANG Binさんにもらった調査書の対象地。70年代から80年代にかけての団地で、多様に増築。北側廊下側ではキッチンをキャンチで出し、南の庭だった部分には屋根がかかり内部化している。屋根をかけるにも、既存開口部にハイサイドライトを取れるよう低め。いろいろと考えられている。廊下でも、食事時になると、準備の人たちの交流の場となるにちがいない。街路の角には廃品回収などの小さな仕事が点在。このくらいの自由裁量範囲があってもいいんじゃないか。


「上海で最初の労働者向け住宅@Caoyang Xincun(上海市街西北・中国)」

Tian Xincunの高層棟などを見てから、1950年代初頭に建てられた公営住宅へuberで移動。写真は建物の北側で、出っ張っている部分に階段と共同のキッチンなど。南側に10平米ちょっとの個室が3室。質素ながらキチンとしていて気持ちよさそう。勝手な増築は多くない。隣棟間隔の緑陰も心地よい。近くにある、マーケット経由じゃないとエレベータに辿り着けなくなった高層住宅とか、元線路上にできた一直線にすごく長い市場などを見て、すごく辛い刺激的な昼食。


「元工場の構造体が中庭のパーゴラに@Lanzhou Rd. Shanty town(上海市街東・中国)」

電車から市街化の様子を眺めつつ、街の東側へ。開発の手がついていない、古いままの居住エリア。周辺は全部開発が済んでいる。開発を期待している住民が多いようで、開発関係者かと期待をもって疑われる。写真の場所は元工場。元々、工場の3方を囲むように宿泊所があったんだけれど、工場は別に移り、宿泊所の中庭へと変貌。この範囲に100人住んでいると言っていたが。。。。


「オフィス→警察官舎→安宿@Longchang Mansion(上海市街東・中国)」

さらに東に。警察署のとなりにある、大きな中庭をもった集合住宅。もともとはオフィスだったとかで、廊下の巾が広い。そのため、廊下側への拡張はキャンチレバー式にはなっていない。手すり壁側に外用キッチンを設け、さらに建物側には小さな増築が点在するため、真っ直ぐなはずの廊下が、カクカクと繋がる路地のよう。2基あったエレベータも内部空間化。


「カニ入りのニンジン製サイン@Din Tai Fung(新天地・上海)」

その後、街中の集落なども回ってから、同済大学のWANG先生、ZHANG先生、東工大後輩の三菱地所樋口さんらと合流して夕食。新天地は10年以上前に来た時の記憶がうっすらとあるけど、まるで違う街。街の清潔さもタクシー運転手の丁寧さも、日本は追い越されてるかも。泊まっているホテルの廊下が螺旋になっているといったら、それを口実にXiao Xiaoさんが宿まで送ってくれる。感謝。

2015年9月14日~20日

2015-09-21 | 日記


9月20日(日)
「上海浦東空港@上海(中国)」

昼間は実家の法事&飲み会で、夜、上海へ。10年ぶりくらいだろうか。空港に降り立った印象から全然違う(前は虹橋だったか。。。)。夜遅い便なのでバス以外の公共交通は終わっている。バスはホテルの近くに行かないみたいなのでタクシー。電話しながら爆走。螺旋型の構成のホテル(廊下が斜め)で使いこなすのには慣れが必要か。前入りしていたアシスタントの面々と簡単な打ち合わせ。


9月19日(土)
「新郎新婦の肖像画@中目黒と池尻大橋の間の披露宴会場(東京)」

中目黒で打ち合わせをふたつした後、みかんぐみスタッフ(新婦)の結婚式。京都工繊松隈研出身者同士の結婚式なので、建築関係者比率が高い。会場も手作り感溢れるとおもったら、自分たちの新居をリノベーションするのに用いている材料を持ってきているとか。合板とか羊毛(?)とか塩ビ波板とか。自分も伊東事務所時代にいろいろとやっていたのを思い出す。独創的で楽しくもキチンとした会だった。


9月18日(金)
「上勝のお酒@徳島空港(徳島)」

朝からチリ地震の津波警報。とはいえ、役場に行ってみると、その裏にある小学校では運動会。落ち着いたもの?。徳島新聞に掲載された学生の活動(リアカーを竹で改修)をサカナにながめつつ、昼食をとり、上勝・日和佐地区でのまちづくり会議。少しずつ前に進んでいる。翌日のまちづくりイベント向けに学生を残し、ひとり最終で横浜にもどる。


9月17日(木)
「祖谷ソバ@徳島駅構内(徳島)」

一件打ち合わせをしてから徳島・美波町へ。ずっと気になっていながら行けなかった駅ソバ屋(平日の10時開店)。祖谷ソバ十割は品切れ。三好産そば粉の二八を食べる。障害者の就労支援のために社会福祉法人がはじめたものらしい。こだわりも、スタンスもすばらしい。器が小さく見えるのは、ソバが太いから。次回は必ずや祖谷ソバを。天気もいいので日和佐駅のベンチで作業をしてから、夜のワークショップへ。


9月16日(水)
「ものづくり講座@KIITO(神戸)」

10月頭からKIITOではじまる「ライフ・イズ・クリエイティブ展」は、高齢者のより豊かな暮らしを実現するための運動体(ラボ)を公開するというもの。会場構成を丸山さん&長谷川さんと共に担当しているのだけれど、設営も高齢の方々と一緒に進めようということで、その準備のためのワークショップ。スライド丸ノコに注目が集まっている。日帰り。


9月15日(火)
「写真群@研究室(神奈川大学・横浜)」

来月早々からはじまる上海西岸ビエンナーレで、数年前に東京2050展に参加した際にまとめた寿町を舞台とした提案を展示することになった。そのまま展示するのでは研究成果としての進展がないので、上海やこれまでの諸都市でのリサーチを含めた本を作ることにした。いいアイデアだと思ったんだけれど、間に合うのか。。。


「SDレビュー二次審査@ヒルサイドテラス(代官山・東京)」

本来、展覧会開始のころに審査員が集まって審査する、っていうのが基本的な進行なのだけれど、ずっと前からインドネシア視察が決まっていたので、一人だけあとからの審査。みなさんが決めた受賞を確認する、っていう立場。だいたい同意。建築家の職能の拡大を予感させるような実験的な試みは評価されにくいか。。。


9月14日(月)
「8号館ファサード改修@神奈川大学(横浜)」

先週末、研究室にいるときに足場のボルトを回すラチェットの音がするなあと思っていたんだけれど、足場解体が進んでいる。どうやら夜を徹して作業をしているらしい。みっともない垂れ幕が内部からの視界を遮るという、建築学科的にはあり得ない姿からは脱却。よかった。


「一列のムクドリ@大学前の電線(横浜)」

13日~15日までJABEEなるものの継続審査。助手助教を含めて、ものすごいロードを課されている(ご苦労さまです)が、それに見合うものなのか。なんでも、やると決めるのは簡単。やらないことを視野に入れた経営的視点での検討の方がずっと高度だと思う。。。

2015年9月7日~13日

2015-09-14 | 日記
9月13日(日)
「クインビーン・オフラハラの作品@西蒲区福井(新潟)」

朝からレンタカーで回る。市民プロジェクトの一つ、クインビーン・オフラハラの作品がようやく完成したと聞き、訪れる。濃密な存在感がすごい。立場上こういうことを言ってはいけないけれど、市民プロジェクトを意識したのは開幕直前。明確な意識をもって位置づけ方を考えるべきだったか(っていうか、そもそもチャンネルが多すぎ。)反省しなくては。ということで、辿りつくのも大変。。。


「ランチ@潟るカフェ佐潟バージョン(西区・新潟)」

某格安レンタカーは整備不良。シフトレバーの位置が「D」でも「S」でも、「S」の範囲でしかシフトアップしない。つまりすごい回転数。山道下ってるみたい。で、各所を爆走(音だけ)しつつ、遅めの朝食を潟るカフェのランチで。メニューをみると、赤松(近くの集落)のポテトサラダ以外ローカル色が無さそうだけれど、他もきっと近くの農園の野菜だろう(と信じて食べる)。空の様子が怪しい感じに。


「クラフトビール館@新潟駅南口1階(新潟)」

昼過ぎにベースキャンプにつくと、美波町の勘場瀬さんご夫妻と遭遇。ビックリ。そうこうするうちに、外は大雨に。丸山さん+カブさんのインスタレーションが水没する校庭に浮かぶ様子が不思議な風情。メールとかしていたら雨は上がっていた。スコールみたいなもの?。車を返して駅へ。傘を買わずに済んだ。駅ではちょっと遅めの昼食を兼ねて、8月にできた駅ビルのクラフトビール館へ(朝食と昼食の間が近すぎるような。。。)ハーフを二つ(山梨のIPAと函館のエール)。駅の1階にこんな場所があるとは。。。これから夜遅くついたら駅南口か。


9月12日(土)
「村野藤吾展にあった読売会館の模型@目黒区美術館(目黒・東京)」

朝、終わる直前の村野展へ。開館直後から大勢の人。模型の精度と数に圧倒される。何年もかけて作り続けてきたものらしい。一つ一つの解説は長くないのだけれど、数が多いのであっという間に時間が過ぎる。最後は少々駆け足。村野さんが手がけた庁舎建築は全部残っているんだとか。横浜も死守しなくては。八幡関連の模型写真も撮りたかったけれど、撮って良いのは東京のプロジェクトのみ。


「インフォメーションブース@NEXT21(古町・新潟)」

バスを乗り継いで新宿オゾンへ。リアルサイズシンキングコンペの2次(3次?)審査。リアルサイズ化4作品の内、3作品が東京大学の提案。こんなに偏ったのは今年が初めて。まあでも、それだけの深さと存在感。以前、別の講評で関わった東京工大の学生から「相変わらずコメントが厳しいですね」と言われる。自覚なし。。。懇親会を少し早めに抜け出して新潟へ。古町ではインフォメーションブースの状況確認。変形は進んでいない。なにより。


9月11日(金)
「ヤクルト@研究室(神奈川大学・六角橋)」

プレミアムエコノミーの一番前の席。後ろを気にせずシートを倒せるので、到着までほぼ寝て過ごす。予定より少し早く成田着。そのまま大学に。各所でもろもろ打ち合わせなど。夕方からは市役所で某企画の打ち合わせで、終わるころには何だか全く普段の日々の感覚。夜、家に帰るころにはインドネシアはすっかり昔のことに。機内の朝食についてきたヤクルトはインドネシア製だった。


9月10日(木)
「ストゥーパ群@ボロブドール(ジョグジャカルタの北西50キロくらい)」

最終日はちょっと観光。朝8時にスタートしてボロブドールへ。たくさんの観光客。中に仏像のあるストゥーパがたくさん並んでいる。石の積み方の違いなどにも意味があるとか。ずっと埋まっていたんだから、そういう意味とかはどうやってわかるんだろう?。石碑とかに書いてあるだろうか?。それにしても、見終わってから駐車場に戻るまでの土産物屋の列の長いこと。。。こちらはずっとイラナイって言っているのに、売り手の言い値はみるみるうちに1/3くらいに。


「家系図?@クラトン(王宮)の資料館(ジョグジャカルタ市内・インドネシア)」

昼頃王宮を駆け足でみて、宿に戻る。清算したりシャワーを使ったりしてから、空港へ。夕方は早い時間からものすごい渋滞。全く進まない。少し焦る。交差点には勝手に交通整理をしているオジサンがいて、都合良く進めると運転手がそのオジサンにチップ(?)を払っている。そういう雑業がありえるのか。。なんとか無事に空港到着。


「夜景@機上(ジョグジャカルタ→ジャカルタ)」

出発の頃には暗くなっている。飛び立つと180度旋回して西へ。昨日夕日を見たCandi Ijoの真上あたりか。写真左手の緑色に光っているのが空港。その奥の真っ直ぐの道が、トゥグの塔のある中心の通り。宿にはこの角から北上していた。ジャカルタから成田への便では、プレミアム・エコノミーにアップグレードしてもらえていた。ラッキー。2回連続は初めて。


9月9日(水)
「Dusun Kopeng(コペン村?)の街路@ムラピ山の南(ジョグジャカルタ)」

午前はムラピ山噴火の被災エリア視察。アスファルトの道があるところまで普通の車で行き、そこからはジープ。全てのメータの針が動いていない。走り出すなりガス欠。。。山頂付近の様子を見た後は、新しい住宅地へ。昨日まわった震災での被災エリアと異なり、こちらは被災エリアが居住禁止になったので、新しい街ができつつある。コアハウス的な成長型スタイルは同様。道路から2mセットバックしてコアハウスのような最低限のボリュームが建てられ、写真にある軒先部分は住民の手による増築らしい。


「Romo Mangun Kampung(ロモ・マゴン・カンポン)@チョデ川沿い(街中・ジョグジャカルタ)」

街中に戻り、長年地元の建築家が関わっている川沿いの不法占拠的居住区である、ロモ・マゴン・カンポンへ。外壁がカラフルに塗られていて(タバコメーカーの資金援助?)、独特の存在感。川沿いの水槽で金魚(鯉?)を育てたり。長く建築家が関わっていたらしく(Romo Mangunはその建築家の名前)、奥の方にはその名前を配した図書館も。


「Bantulのテレタビーズ集落@市街地の南(ジョグジャカルタ)」

Kampung Kauman等を回り、最後はドーム型集落。被災後、アメリカのドーム建築普及を推進する団体から寄贈されたものでつくられた集落だとか。子ども向けテレビ番組になぞらえてテレタビーズの集落ってことになっているらしい。コアハウスのような自然な増築は促されにくいみたい。なかには果敢に挑戦している家もあったけど。


「ビールキャビネット@Super Indo(ジョグジャカルタ)」

レトナさんお奨めの、ヒンズーの寺院Candi Ijoで落陽を眺め、フライドチキンの店で夕食をとり、二日連続でスーパーリンドー(本当はインドーらしいがスーパー林道と聞こえる)でビール購入し宿に戻る。違う店だけれど、同じチェーン。いかにも冷えてそうに見えるけれど、カギをかけるためのキャビネットで、冷やす機能は無い(隣接しているソフトドリンクは冷たい)。宿に戻って飲む。


9月8日(火)
「Pendapa(プンドポ)@Kotagede(コタクデ・ジョグジャカルタ)」

朝、他の先生方と合流して、イカプトラさん(再び!)レトナさんの案内で都市改善活動関連の視察。
伝統的な地域の家屋は、本来、大きな東屋のようなプンドポと内部空間で構成されるDalem(ダラム)とのセットだったらしい。それが今日では、プンドポも一軒の住宅と化したものが多くなっているらしい。塀に描かれた壁画につられて中を覗いていたら、原型のままのプンドポとダラムの組み合わせで構成される家で、中まで見学をさせてもらえた。


「Kampung Alunalun(カンポン・アルンアルン)のJalan Rukunan(ジャランルクナン)@Kotagede(コタクデ・ジョグジャカルタ)」

プンドポとダラムの間は、本来個人の敷地内の建物間にできるスキ間。プンドポが建築化して隣棟間が連結し、スキ間同士も繋がり、半公共の小径となった。それがジャランルクナン。ここではキレイに整備されていて、この地域の特産でもある銀細工の店などもある。


「コア・ハウス@Kebon Agung(ジョグジャカルタの中心から南に15キロくらい)」

ガジャマダの家など色々とまわり、夕方、イカプトラさんが震災後に手がけたコアハウスへ。最低限のユニットを限られた予算で全世帯分つくり、後から得られる補助を元に、地域の需要を考慮しつつ増築を重ねる。興味深いのは初めの最低限の部分に、玄関先の屋根付きポーチがあること。こういった場所ですごす時間が、この地域ではとても大事みたい。全て、数度の増築を経ている。


「イカプトラさんのゲストハウス@ジョグジャカルタ市街の南」

日が傾き初め、宿に戻る前にイカプトラさんのゲストハウスへ。シンプルな空間と多様な居場所。暮らしの豊かさが違う。羨ましがってもしようがないけど。途中、大きなスーパーでビールを買い、宿へ。夕食は宿のオーナーのご子息(京都大学にも来ていた建築保存の先生。バティックのデザインもしている)が用意してくれた食事会。


9月7日(月)
「クタの海岸@バリ(インドネシア)」

バリに3泊しているにもかかわらず海岸に出ていないことに気付き、朝食後歩いて向かってみる。昨日までの異常な渋滞がウソのように、道も空いている。平日だからか。平日だからか時間のせいかはわからないけれど、海岸にも人はあまりいない。海岸沿いはホテルが連続していて、通りに出るのにラマダホテルの庭と朝食会場とロビーを経て脱出。


「スラバヤの港@機上(バリ→インドネシア)」

デザインコースの先生方とは、この日の夕方にジャカルタで合流する予定だったのだけれど、デンパサールの空港についたころ、機材整備のために羽田からの出発が遅れるらしいとの連絡。デンパサールの空港からは一端北上して、ジャワ島の北岸沿いに西に向かう。独特の密度感を持つ港はスラバヤ。っていうか、スラバヤがどの島にあるのかすら知らなかったのだけれど。ほぼ定刻にジャカルタ到着。


「Mustokoweni Heritage Hotel@ジョグジャカルタ(インドネシア)」

ジョグジャの空港では、飛行機からターミナルビルの入口まで外を歩く。おおらか。重村先生の教え子の方とそのご主人が迎えに来てくれて、夕飯まで御馳走になってしまった。古い邸宅をホテルとして用いているMustokoweniの初日は一人。広くて居心地のいいバルコニーが4室を繋ぐ。蚊が気になるが、この季節にデング熱はないということなので、まあいいか。

2015年8月31日~9月6日

2015-09-07 | 日記
9月6日(日)
「対岸から見る宿@グリーン・ヴィレッジ(バリ・インドネシア」

同じような大型竹コテージが数棟並ぶ。それぞれにオーナーがいて、それを借り受けて外部からの宿泊向けにしているとか。オーナーの所有物と思われるものが、ところどころにある。構成としては、我々の泊まったものは最上階(3階)がアプローチ兼リビングダイニング。2階には寝室が二つと水回り。1階はメインベッドルームで、さらに下に降りるとお風呂。一番下まで行くと竹吊り橋に。


「ハシゴもハンガーパイプ(?)もハンドルもみんな竹製@グリーン・ヴィレッジ(バリ・インドネシア」

ディテールとかも観察。ベトナムのように肉厚の竹が構造になっているというわけではないけれど、基本的にはボルトかラグスクリュー?。木口にモルタルが埋めてあるけど、かならずしてもボルト部を埋めているわけではない。こまかなところにも竹を使っているのは、工夫を楽しんでいるってことか(家具扉の下地補強も竹だった)。


「凸凹コンクリート面のタワー@MAYA SANUR RESORT(サヌール・バリ)」

サヌールなどに行き、昼食。イカプトラさんの友人が設計をしたという新しいホテル。みかんぐみで進めている某プロジェクトの、とある部分のデザインに似ているような気も。。。パクリ疑惑とかいわれたらイヤだなあ。まあ、装飾でやっているわけではないし、こうはならないか。。。(悩)。イカプトラさんは昼過ぎに、永田さんは夜に帰路に。


9月5日(土)
POTATO HEAD@クタの少し北(バリ・インドネシア)」

飛行機が遅れて夜中の3時に到着したというイカプトラさんご夫妻と合流し、グリーン・スクール方面へ。途中、イカプトラさんの友人が手がけたカフェに立ち寄る。木のガラリ扉の外壁。内部の間仕切りや天井にも。中にはいると、海に面したリゾートっぽいカフェ。


「今日の部屋(?)の入口@グリーン・ヴィレッジ(バリ・インドネシア)」

まずは宿泊をするグリーン・ヴィレッジへ。あらゆるものが竹で出来ている。噂には聞いていたけれど、気密性はないので、外気が通り抜ける。トイレやシャワーの間仕切りは、あるにはあるけどスキ間だらけ。床は割った竹を縦に使うのが基本みたい。写真じゃわからないことがいろいろとわかってくる。


「車のフロントガラス製屋根@グリーン・スクール(バリ・インドネシア)」

グリーン・スクールの見学ツアーの開始時間が迫っていたので、すぐに移動。川を挟んで、スクールとヴィレッジのエリアが隣接しているけれど、基本的には外から車で回る。自分で考える習慣をつけ、実践的に学習をするというスタイルの学校。リサイクルにも注力していて、温室的な場所の屋根には車のフロントガラスが使われている。スクールの一部のホワイトボードにも。


「靴入れ@グリーン・スクール(バリ・インドネシア)」

新しい竹製建物の建設が進んでいる。既にかなりの規模。完成した建物では金属部材を竹でカバーしているのでわかりにくいけれど、建設の様子から少しディテールがわかってくる。あらゆるものが竹製。大三島の休憩所で、学生たちが竹を縦に割いたものを用いる壁を実践していたけれど、より発展的な検討が進んでいる。水力発電なども(ブログでは書ききれない)。


「ウブドの街並み@バリ(インドネシア)」

夕食の前にウブドを散策。クタのような大騒ぎな盛り上がりではなくて、割りと落ち着いた観光地。街灯はほとんど無くて、店舗の光が歩道側に漏れ出る。レストランの演出的な照明も映える。小倉のサンロードでの検討にも参考になる風景。僅かながら街灯はあるものの点灯していない、っていう写真を撮ったんだけれど、しばらくしたら点灯していた。あまり役にはたっていないけど。


9月4日(金)
「サテライトへの連絡通路@成田空港第2ターミナル(成田空港)」

朝、成田へ。初めてのインドネシア。バリのグリーン・スクール視察&ジョグジャのカンポン改善策視察。サテライトへの通路がオープンしていた。8月のベトナムからの帰りにも通ったんだけれど、気がつかなかった、、、。割りと贅沢なスペース。確かに、チョットだけの移動のために到着を待たないといけなかったシャトルよりもずっといい。


「ジャカルタ市内の夜景@機上(ジャカルタ→デンパサール)」

ジャカルタで乗換。ゲートが変更になっても、出発便リストのディスプレイには反映されていない。。。ゲート前に便名の表示もないので迷う。基本は、現地係員に聞く、ってことみたい。順調にデンパサールに到着。プラスアーツ永田さんと合流し、飲みに行く。それにしてもすごい渋滞。


9月3日(木)
「記念碑@中目黒某所の児童公園(中目黒・東京)」

翌日からの出張の余波で、終日色々な打ち合わせ。朝一での打ち合わせに向かう途中、いままで気付いていなかった石碑が気になる。手前の角の建物を解体したせいで、目につくようになったか。土地区画整理に尽力した方々の記念らしい。


9月2日(水)
「島之内教会@長堀橋と日本橋の間くらい(大阪)」

朝一で大阪へ。一つ目の打ち合わせから二つ目の打ち合わせまで歩く。途中、目を引く建物。携帯で調べると、中村鎮設計の中村式鉄筋コンクリートブロック造の教会で、登録有形文化財らしい。興味深い。横浜市長公邸の構造も中村式で中村建築研究所の施工とwikipediaに書いてある。施工もしていたわけか。いずれ、もうちょっと調べてみよう。


「打ち合わせ@KIITOの展示室(三ノ宮・神戸)」

神戸に移動して、ライフ・イズ・クリエイティブ展の打ち合わせ。高齢者の諸課題にクリエイティブな活動を通して答えようというラボを複数立ち上げて、その活動状況を公開するという展覧会。会場構成の施工にも、高齢者チームと共に臨む(予定)。展示室で広さをイメージしながらの打ち合わせ。


9月1日(火)
「とりのまち、一端退却@サンロード(小倉・福岡)」

CCAのワークショップが終わったのもつかの間、サンロードに移動して、アーケード撤去後の路盤整備に向けた準備の一環で、少し前に設置した「とりのまち」を学生たちが取り外す傍らで、照明の計画についての相談。店から漏れ出す明かりを活かした、街灯の少ない計画にしようとしているんだけれど、どうなるか。


「防府にかかる虹@機上(北九州→羽田)」

夜のJIA神奈川の打ち合わせに向けて、横浜にもどる。雲の切れ間から山口の街を追いかけていたら、防府の上空で虹が縦に渡る。虹の左右で彩度がちがって見えるのが面白い。


8月31日(月)
「天井裏探索@八幡市民会館(八幡・北九州)」

CCAでのワークショップ最終日。学生たちが発表準備をするなか、五十嵐太郎さん、笠原一人さんらと、さらにディープな市民会館探索。今回の滞在中、市民会館は三回目。午後は、学生たちの発表を聞いてから、五十嵐さんの基調講演に続いて、笠原さんに倉方俊輔さんを交えたトーク。みんな、引き出しのレンジが多様で時間が足りない感じ。焼き鳥屋で打ち上げ。