曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

8月20日~26日

2012-08-28 | インポート
8月26日(日)
「コモドアホテル@釜山」
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ホテルと駅の間を散策し、電車を乗り継いで空港へ。想像以上に小さい空港で、海の幸系みやげを買おうと期待していたんだけど全くなし。
宿泊していたコモドアホテルは全体に濃いめのデザインのホテル。フロント周辺は、壁も床も型押しの煉瓦で、天井は変形格天井みたいなかんじ。釜山タワーからみていても、ひときわ目立って見える。
無事に帰京。


8月25日(土)
「日覆い@国際市場(釜山)」
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朝、台湾科技大のイーティン先生と学生が釜山にいるということで、一緒に朝食。帰る間際に来てくれたらしい。数週間前に台北で会ったばかりなのでちょっと不思議。科技大の学生から、リベスキンドの建築が出来つつあるという情報を得る。
朝、タワーから全体を眺めた後、探索。国際市場は面的に広がる店舗群。現代型日覆いには、風抜きの穴があいていた。


「リベスキンド@海雲台(釜山東部)」
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リベスキンドを探索にタクシーで海雲台に向かう。あまりの巨大さもあってインゲンホーヘンとかかなあと話していたら、それがリベスキンドだった。ネットで調べると、ものすごい数のプロジェクトがあるみたい。
海雲台は高級住宅街?海水浴客が集まるリゾートでもある。


8月24日(金)
「トータル・ギャラリー@ソウルの北の方」
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日韓若手建築家展(?)の企画打合せ。会議のエクスカーションをサボって、同世代建築家のリムさんと朝ご飯を食べながら打ち合わせてから、展示会場の確認へ。いろいろと変わった場所やシークエンスがあって、かなり面白いギャラリー。MVRDVの展示をやっていた。
最近話題の日韓問題に話しが及ぶと、日本では知識層でもメディアの報道を信じるんだ、って驚かれた。確かに日本バッシング的なムードはどこに行っても全然無い。


「市場@釜山」
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釜山に向かう。着いたら既に夜。チャガルチ市場を見学して、刺身屋と屋台をはしご。
市場は、一階で選んだ魚を二階で食べるスタイル。市場にはさまざまな貝類が売られているけど、食べる人はあまりいないみたい。口の中で吸盤が貼り付くタコを初体験。


8月23日(木)
「MOA@ソウル大学」
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朝からソウル大学。無事発表は終わり、夕方、少し早めに失礼して豚肉をつまみながらビール。学生たちが英語で発表するののチャレンジの場、みたいなかんじと、大人の発表が入り交じる。
その後、5大学連携のひとつ、地元、成均館大学のリーさん、重村先生と会食。上品な韓国料理。韓国の料理は幅が広い。あしたの打合せの準備などして寝る。写真はOMAのMOA。今回は外観のみ。


8月22日(水)
「梗概@ソウルの会議」
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朝の飛行機でソウルへ。日本の学会ですら発表しないのに、なぜかソウルで発表することに。コミュニティデザインの学会。初日はCOEXでキーノートを聞いたりオープニングで飲んだりとか。確かに、この会議の参加者のみなさんと関心の方向は近いかも。
それにしても梗概集が分厚い。


8月21日(火)
「壮行会@研究室(神大)」
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大学や事務所で朝から打合せをして、夜は研究室で海外留学へ行く人たちの壮行会、プラス新3年生と帰国者の歓迎会。どういうわけか、最後は似顔絵の会になっていたような。留学した人の報告展みたいなものが必要だという気がしてきた。


8月20日(月)
「さかな@魚三(門前仲町)」
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朝から都内で打合せとか現地審査とかあって、夜は門前仲町で飲む。はじめは佐藤光彦さんが設計したキレイな立ち飲み屋で、その後は、地元の魚屋。で、帰り際に、隣で飲んでいた人がみかんぐみの秘書の友人、というのが判明。こういうこともあるもんだ。それにしても、ここは魚が豪快かつうまくてすばらしい。




8月13日~19日

2012-08-23 | インポート
8月19日(日)
「封筒@熊本県庁」
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くまもとアートポリス・天草アーバプロジェクトのミーティングのため、小倉から熊本県庁へ。そろそろ案を絞り込まなければならないが、もう少しかかりそう。
県が最近つくったプラスチックの封筒をもらう。切れ目があって、それにそって端を切り離すと、クリアファイルになる。さっそくクリアファイルにして、資料を入れて持ち帰る。夜の便で横浜に。


8月18日(土)
「フグ屋台@旦過そば(小倉)」
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午前中、別府での打合せなどをして、冷麺を食べて、午後、小倉へ向かう。
学生たちと合流して、サンロード商店街の打合せ。今ひとつ盛り上がりが少ない?。
夜は大人での食事会。はじめはディープな焼き肉で、その後、フグの屋台へ。念願がかなう。それにしても安くてうまい。


8月17日(金)
「神丘温泉@坊主地獄そば(別府)」
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素材の収集。軽トラで、建材屋さんとか材木屋さんとか、ベッププロジェクトの小川さんが話しをつけてくれたところで、いらないものとかをもらってまわる。まあまあそろってきた。
風呂のないところに泊まっているので(別府ではまったく困らない)、どうせならということで、以前、小川さんに教えてもらっていた駄菓子屋さんの奥にある温泉へ行ってみる。が、7月末までで廃業していた。残念。


8月16日(木)
「赤い屋根@羽田発大分行き」
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横浜で打合せとかしてから別府へ。大分行きの飛行機はもうちょっと南のコースだと思ってたんだけど、中国地方のど真ん中を飛んでた。赤い屋根が気になって調べたら総社のカルピス工場だった。でかい。
夕方、別府について、産廃処分場などを回る。


8月15日(水)
「ゴーヤ@自宅」
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朝、成田について、都内とか大学とかで打ち合わせ。
自宅の緑のカーテン用。はじめに用意したマメとかキュウリとかは今一。そんな中で、土の中に残っていたと思われる去年のタネによるゴーヤが案外調子良い、かも。


8月14日(火)
「トイレ@バンコクのレストラン」
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いろいろと打合せをして、夕食を食べて、帰路に。一泊の海外ってのも珍しい。どういうわけか、ビジネスの席に回してもらえて、帰りもラクチン。
夕食は、ものすごくオープンエアなレストラン。内部なのは厨房のみ?。テーブルのゾーンは簡単な屋根と緑で囲まれている。トイレも同様。


8月13日(月)
「タオル@バンコクのホテル」
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バンコクでの国際交流基金主催の展覧会に関連して、久しぶりにバンコク。今回は夕方に着く便なのでラクチン。夕方はガイドブックに「地元の富裕層が集まる」とあったレストランで、バンコク所長さんなどと会食。海鮮系タイ料理を堪能。
ホテルに戻ってベッドの上をみると、タオルの人形がお辞儀してた。












8月6日~12日

2012-08-13 | インポート
8月12日(日)
「迎え火@実家(反町)」
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朝大学で打ち合わせして(忘れていて大遅刻)、昼から実家のお盆。大学から実家までタクシーだと5分で着くことが判明。そんなに近かったか。


8月11日(土)
「湯野上温泉駅@会津(福島)」
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会津のついで(?)に、JRで唯一の茅葺き駅舎で名高い(らしい)湯野上温泉駅へ。切妻的な屋根と寄棟的な屋根が十字に取り合う。内観はともかく、キャノピー(っていいっていいのか?)の出と共に、かなり特有の佇まい。
下条茅葺きの塔は、茅葺き屋根の駅舎第二号?。そんなわけはないか。実際、茅葺きの駅舎っていくつくらいあるんだろう。


8月10日(金)
「水揚げ@普代村漁協(岩手)」
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早朝の漁協で定置網の水揚げを見る。舟の規模で上がるものも違う。個人の舟からはナメタガレイや大きなタコが、巨大な漁船からは100キロ近いマグロも。宿の料理人が選んだトビウオを昨晩の残りの刺身をヅケにしたのとともに朝飯でいただく。
その後、役場での打合せを経て、会津方面へ。


「パチンコ屋@会津若松」
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会津若松に着いたら夜。変わった佇まいのパチンコ屋に遭遇。
うどん屋か何かを、店名までそのままパチンコ屋にしたのか。それとも、そういうスタイルのパチンコ屋がこの辺りでの最近の標準か。

 
8月9日(木)
「海@普代村(岩手)」
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朝一、仙台某所で某企画の打合せをして、昼、盛岡へ向かう。盛岡ではムラヤマのF氏と合流して普代村へ。普代村では3度目にしてはじめてヤマセのない風景を楽しめた。海辺なんだけれど、ずっと下に海面がある。展望台まで降りるものの、半分くらい?。海に突き出るリアス式の地形が格好いい(写真は、上部からの見晴らし)。


8月8日(水)
「スリット@某所」
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朝から建築学会作品選集の現地審査。朝見たものは、自然の風や光を取り入れ自然素材の特性を生かした木の住宅。「高気密じゃないし断熱とか普通だよ」らしいが、二年間エアコンも使ってないとか。日本の自然(素材も気候も)と共にある身体的快適さの追求か。午後はガッと移動して、室内に木々が生える特殊環境のアトリエ。RC造。環境についての最近の考え方からすると極めて不自然なことだけれど、自然と共にある生活のあり方への眼差しは明確。体験としての快適さを追求しているともいえるか。対極的な考え方によるものだけれど、いずれにも、近代的に整理された最近の単眼的というか制度的思考による環境対策に距離をとろうとしているようで、そういったスタンスにも共感できると思った。


「七夕@仙台」
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翌朝の打合せに備えて仙台へ。仙台は七夕の最終日で、そろそろ片付けようか、っていうタイミングだった。久しぶりの七夕。
一人なのでもしかしたらと思って「源氏」に行ったら入れた。こっちも久しぶり。注文は野毛の信濃屋と同じような形式だけど、お酒は何種類かから選べる。


8月7日(火)
「八潮ショッピングセンター@八潮パルコ通り(埼玉)」
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朝、馬車道で打ち合わせてから八潮へ。5大学連携の、まちづくり100年運動のミーティング。八潮にはまだまだ知らないところも少なくない。こんなディープなショッピングセンターがあるとは。通りの名前がパルコ。パルコが出店してたことがあるわけじゃなくて、昔、パルコっていう名前のプールがあったからだとか。中にあったラーメン屋のガス爆発で閉鎖になったらしい。
夜は久しぶりに5大学の先生方と根津で飲む。


8月6日(月)
「隈さん設計のビル@浅草橋」
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朝の新幹線で東京へ。浅草橋で打合せをしている間に大雨に。打合せを途中退席して大学へ。大学院の入試とかもろもろ打合せをしている間に雨は上がっていた。
写真は浅草橋駅から見える隈さん設計の建物。












7月30日~8月5日

2012-08-07 | インポート
8月5日(日)
「制作中@だがねランド(金山・名古屋)」
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朝一の新幹線で名古屋に向かう。8月2日に設計したものを元に、ここ二日で施工が続いていた。今年度は、例年にも増して本格的なんだけれど、名古屋市大、岐阜の森林文化アカデミーのみなさんの努力で、ほぼ全てのビス打ちや手ノコでの切断を子ども達が行った。作業にも安心感がある。展示用の棚とか椅子とかも制作。


「竣工@だがねランド(金山・名古屋)」
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慌ただしくなることなく竣工。ほぼ木材のみでできた。いつもは半分紙なんだけど。それにしても、こうなってくると、会期後もどっかで活用しないともったいない。
打ち上げは焼き肉。それにしても、だがねランドのワークショップも組織だってきた。数年前は電動工具もあまりなかったし、子ども達の参加の量も格段と増えた、隔世の感がある、っていうのはこういうことか。


8月4日(土)
「オープンキャンパス@神奈川大学」
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朝一の飛行機で戻って大学へ。また、ソラシドエア。機内誌にあった宮城県綾町の農業の話しが興味深い。
大学はオープンキャンパスの日なので、若い人たち(高校生)と同世代(親御さん)がたくさんいる不思議な雰囲気。
夕方、事務所で打ち合わせて、久しぶりに家に。


8月3日(金)
「FDA@小牧空港(名古屋)」
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熊本に向かうため、早朝、小牧空港へ。久しぶり。いつの間にか、フジドリームエアラインズの専用空港になっていた。機体はみんなエンブラエルで色違い。かわいい。職員の人たちが駐機場を自転車で移動しているのも、牧歌的でいいなあ。離陸後、小学生時代を過ごした岩倉団地の上空を目の前に通り過ぎるものの、まだデジカメを使えるタイミングじゃなくて撮影は断念。


「縄張り@熊本の某住宅(熊本)」
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まずは熊本県庁でアートポリスの資料を頂いたり話しを伺ったりして、県庁内喫茶店で某住宅の打合せをして、その後現地に縄張り。熊本大学の桂研の学生たちに手伝ってもらう。学生たちは作業着で登場し、道具なども持参。やることの理解も早い。さすが。
夜は県庁の関係の方々や学生や担当チーフと飲む。


8月2日(木)
「あわ@居酒屋(金山・名古屋)」
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朝から、毎年恒例の「だがねランド」でのワークショップ。小学生達に設計施工を教える。今年はだがねランドの博物館。難しいビルディングタイプを選んだなあ、と、少々心配をしていたんだけれど、むしろそれが良かったのか、子ども達も積極的に発言。緩やかにカーブを描くファサードに、シアタールームを備えた案が完成。
夜は例によって、名市大と森林文化アカデミーの学生たちと飲む。泡がかき氷状になっているビール。まあ、一度体験すればいいか。


8月1日(水)
「ペットボトル@台湾科技大のホール(台北)」
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国際交流ワークショップがいよいよスタート。高橋志保彦先生の基調講演など。質疑の時間には、「留学を希望する学生が日本では減っていると聞くが、それは、キレイなトイレに慣れ親しんだ彼らが、トイレがそれほどキレイではない外国に行けなくなったのではないか」という新説が。
写真はペットボトル。たまたま、ぼくのだけオレンジのキャップ。


「航路の地図@台北→セントレア機内」
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台風9号が迫る中、名古屋に向かう。欠航を心配というか半分は覚悟してたんだけど、なんとか離陸。航路上の鹿児島周辺を台風10号が通過中。高度で避けるのかと思ったら、台風周辺を北に回り込んで避けていた。
金山に着き、明日のワークショップの打合せをしながら、焼き鳥など。


7月31日(火)
「宜蘭懸庁舎@宜蘭(台湾)」
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朝は台湾科技大を探索し、午後から宜蘭へ。台北からバスで1時間。現地では、象の台湾事務所の所長である坂元さんに、いろいろと案内をしていただく。ものすごく濃厚な作品群。どれも、アプローチは異なるけれど、空気感は共通。最後は、温泉に入って台北に戻る(温泉も象。壁画は久住さん)。


「学生@台湾科技大の食堂(台北)」
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台湾料理を堪能し、大学のゲストハウスにもどる。となりにある建物の地下にあるセブンイレブンにいったら(学食に隣接してある)、少し前に到着していた学生たちと遭遇。一緒に飲む。成均館大学(ソウル)の学生たちはすごく積極的。いつものことながら、日本人とは対照的。


7月30日(月)
「ゲストハウス@台湾科技大(台北)」
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事務所で打合せをして、大学で委員会に出て、ばたばたと羽田へ。台湾科技大での国際交流ワークショップのため台湾へ。着いたら夜10時。案内されたゲストハウスは15階建ての建物の最上階。すごく広い。フロア自体がカードキーで管理されている。神大にもほしい。














7月23日~29日

2012-08-01 | インポート
7月29日(日)
「下条茅葺きの塔@下条(十日町・新潟)」
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大地の芸術祭開幕。灼熱のオープニングに少し参加して現地にいたら、次々とバスがやってくる。用意していた解説文も、あっという間になくなる。
あっというまに夕方になって、たまたまこの日が町内会の納涼会だっていうので、参加。毎年、道でやるらしい。すばらしい。背後に茅葺きの塔。ギリギリまで飲んで、夜、横浜にもどる。


「下条茅葺きの塔の中の様子@下条(十日町・新潟)」
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中はこんな感じになった。稲作文化センター(勝手に大きなテーマにしてます)としてはいずれもっと増強してみたい。足場が大変なんだけど。


7月28日(土)
「植物@下条(十日町・新潟)」
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朝、リアルサイズシンキングの書類審査をやってから、十日町へ戻る。予定の新幹線には乗り損ねたけど、なんとか取り戻せた。
現地につくと細かなことも含めて、ほぼ完了。この間の懇親会で話しが盛り上がり、近所の方の育てている樹木のポット苗(ミニ盆栽)を並べることになって、最後はその設置作業。


「地域見学タイム@@下条(十日町・新潟)」
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前日の夕方は、地域の方々が自由に作品をみることのできる時間帯。みなさんが次々とやってきていろいろと楽しそうに話しをしてくれたり、ホーって感心してくれるのが純粋にうれしい。
夜はキナーレのリニューアルのオープニングに出てそれなりに飲み、さらに開発さん達と飲む。


7月27日(金)
「かぼちゃ@事務所(馬車道)」
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朝からいろいろな場所で打ち合わせて、夜事務所に行ってみると、まだ自炊ブームが続いていた。ヘルシーなメニュー。


7月26日(木)
「箪笥螺旋箱階段@下条(十日町・新潟)」
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ウッドデッキとか、建具のテーブルとか、日除けとか、鉢植え用の棚とか、概ね完成。鍵とか細かくいろいろ残る作業を託して、一端横浜へ。
茅葺きの塔の中の螺旋階段まわりにも民具を設え、中を掃除。補強しながらタンスでつくった箱階段で、一部の引き出しを空けて、中にもチラシなどを入れる予定。


7月25日(水)
「家移し@下条(十日町・新潟)」
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茅葺きの塔のとなりには、キドラッド・タヒミックさんらの手による新イフガオ小屋が、作業場所より移ってきた。いよいよ立ち上がるか。それにしてもイフガオの人たちは楽しくて酒飲みで仕事が早くて親切。
こちらは、ウッドデッキがだいた出来てきた。お昼を堀さん宅でカレーを頂く。香辛料からつくった地元野菜のカレー。うまい。


7月24日(火)
「地域の懇親会@みよしの湯の懇親会場(十日町・新潟)」
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地域主催の開幕直前の地域懇親会。天神囃子の迫力はいつ聞いてもいいし、イフガオの人たちの存在感はすばらしいし、やっぱり日本酒がうまい。途中、3ヶ月ほど前に42年(だったかな)ぶりに故郷に戻ってきた堀さんご夫妻のコメント。実は、堀さんのご子息は、数年前の曽我部研究室の卒業生。こういうこともあるわけだ。
最後はみんなでおどる。


「フィリピンの酒@下条のロッジ(十日町・新潟)」
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滞在場所のロッジ(雑魚寝)に戻ると、フィリピンの酒が待っていた。80度らしい。


7月23日(月)
スタンドバイミー@下条駅(十日町・新潟)」
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前日泊まっていた越後湯沢の駅を出て、早朝の下条へ。十日町駅まで迎えに来てくれた山本くんに様子を聞きつつ現場に向かう。
粉かな準備をしていてくれた家具を積んで、一気に螺旋階段型に。
晩ご飯後、宿に戻ると、地域の演奏家とフィリピンのみんなが盛り上がっていた。