曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2016年9月19日〜25日

2016-09-26 | 日記
9月25日(日)
「あとは接続部分のみか@熊本空港(熊本)」

熊本空港では着々と工事が進んでいて3階レストランも復活。ただし、2階の店舗ゾーンとはまだ繋がっていないので、行き来をするには一旦外に出る必要がある。1階のレンタカーカウンタあたりも閉じているから、この辺を垂直方向に直しているということか。ラウンジの改修工事も終わっていた。もうちょっと?。


9月24日(土)
「路地部カスタマイズ@甲佐町白旗団地(熊本)」

朝一便で熊本。甲佐町白旗団地では渡瀬さんが手がけるみんなの家が竣工間近。最初に完成した団地だからか、各所に個性的なカスタマイズも。末廣先生とやってきた学生から、できたばかりのKASEIビブスを受け取る。野老朝雄さんデザイン。かっこいい。


「明治11年竣工の古民家@甲佐町(熊本)」

近くにある懸案物件、ということで、役場の関係の方と古民家の視察。日和佐の谷屋と同時期に建てられたもの。こちらは資料館として使われていた時期があるからか、ほとんどワンルームに近い印象。架構の材が立派ではあるからか、地震での被災は一部の土壁の崩落など。とはいえ、そもそもの老朽化をなんとかしなければ、加速度的に痛みが広がりそう。どうしたらいいだろう。。


「案内図@益城町テクノ団地(熊本)」

仮設団地の案内図も野老さんデザイン。たくさんあるので、デザインの基本ルールやパーツを元にして、学生たちが作成を手伝う、っていうやり方で実現したもの。500戸を超えるテクノ団地には、いくつかの店舗が開業し、復興住宅のモデルハウスも着工。バス停もある。


「県大佐藤先生作成の仮設団地模型@KASEI報告会(熊本県立大学)」

夕方は熊本県立大学の講堂を借りて、KASEIの活動報告会。みんなの家の整備に合わせて行われる活動(餅つきとかも)にはじまり、たくさんの集会所があるテクノ団地などでは集会所の愛称募集とかも予定されているみたい。みっちり3時間。夜は、県の方々と久しぶりの壱之倉庫。メニューとかがずいぶんカジュアルになった。


9月23日(金)
「bluetoothノイズキャンセルヘッドフォン@自宅」

大学院授業初日など。
久しぶりの新ノイズキャンセルヘッドフォン。15年前に買ったクワイエットコンフォートから数えると4代目。2代目3代目もオーディオテクニカのイヤホン型だったんだけれど、飛行機内でイヤホンしているのを忘れて立ち上がって断線。3代目は聞こえなくもないけれど、切れる頻度が高まった。今回はbluetooth。今度は、ワイヤが細いのとバッテリーの寿命が心配。。。


9月22日(木)
fukadaso@清澄白河コーヒーショップ激戦区(

設計製図などの初日。課題初日に学生たちと敷地に行くことに。先生方とは近くにあるfukadasoのカフェに。一般的には祝日なので、お客さんも多い。fukadasoは元木賃アパート。外装の金属板は、風雨に曝されて自然にできたとは思えない位置が錆びているので、雰囲気作りか。テナントも興味深いが、カフェ以外は時間切れでみられなかった。


「通航止め@清澄白河」

昨年に続いて小雨。。とはいえ、学生たちとの集合についた頃にはほぼ止んで、敷地をまわる1時間くらいは雲の谷間。今年は傘無しでなんとかなったか。その後、昨年と同じコース(山城屋酒場と焼き鳥屋)+岡村先生のバンド活動の拠点。濃厚。


9月21日(水)
「本屋とコンビニ合体@仙台」

朝から仙台で打ち合わせ。昼食に仙台名物だという麻婆炒麺。隣のビルの一階では、コンビニと本屋が合体している(ファミリーマートで本を売っている、っていうこと?)。24時間営業の本屋と言うことか。いずれ何かの役に立つかも。


9月20日(火)
「みかんぐみ卒業式@BASE(新井ビル・関内)」

大学での諸々の後、夕方、大雨のなか関内に向かい、みかんぐみの送別会。この春に退社した3名。今回は卒業式仕立てらしい。それにしても、退社してからこの日までの数ヶ月の間に結婚していたというニュースには驚いた。驚いたまま会を途中で退席して、翌日に備えて新幹線で仙台へ。


9月19日(月)
「オリジンの看板@妙蓮寺」

色々な作業をはじから。やらなくてはならない作業のタイプが幅広くて、気持ちが切り替わらない。。。
オリジン弁当が無くなったと思ったら、看板が新しくなっていた。もはや別の店。おでんの旗が往時を偲ばせる。

2016年9月12日〜9月18日

2016-09-20 | 日記
9月18日(日)
デザインイースト7@クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地)

朝から大阪へ。デザインイーストのトークセッション。クリエイティブセンター大阪は実ははじめて。回りが現役ブラウンフィールド(カウントダウンに入っているらしいけれど)。トークは、社会学者の開沼博さん藤村龍至さん家成俊勝さんと。場所も運営も内容も大変興味深い。


「陶石と原寸図@クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地)」

大きな船の造船所は鉄骨製作工場と同じようなもの。最上階は原寸場。低めの位置に蛍光灯が並ぶ。床には原寸の作図が残る。全体のテーマは「移動」。トークでは人口動態に注目。福島県内の避難者の実態では移動(避難)すると死亡リスクが高まるという現実など、いろいろと考えるきっかけになった。話す時間はあまりなかったけれど。ビールを二つ飲んで帰路に。


9月17日(土)
「多肉@自宅」

家で色々な作業。リビングにおいていた多肉を、親子合わせて自分の作業スペースに移動。器はいずれもさざなみ園で買ったもの。


9月16日(金)
「333@関内」

朝から夜まで、諸々の打ち合わせ。打ち合わせは2時間以内にしたいところだけれど、最後のは危なく4時間に達するところ。。。最後は飲み放題店にて。。。。


9月15日(木)
「植物侵食@隣家(自宅)」

実家での打ち合わせなど。夕方、自宅屋上で使っていた屋外用木パネルの片付けなど。屋外用として売られていたんだけれど、ジャラとかでつくったものでない限り、10年でぼろぼろ(まともだったのは、はじめの5年?)。作業をしながら隣家をみると、雑草の波に文字通り飲み込まれている。。。


「旭若松@自宅」

夜、少し前に美波町の方に頂いていた日本酒を飲む。濃い。つまみながら飲むのにぴったり。暖めた方がいいらしいけれど、そのまま無くなった。


9月14日(水)
「地下鉄入口@渋谷」

都内での打ち合わせ。渋谷駅の南端の出口を使ってみたら、ものすごく割り切った仮設の出入り口。日本でも最近はこれでオッケーになったってことか(まあ、あんまりキレイにごまかしてもしようがない)。



9月13日(火)
「1キロ@グリルド・エイジング・ビーフ(横浜)」

夜、子どもの誕生日で熟成肉爆食いへ。最終的にはいろいろ追加して、グリルの肉だけでも1.2キロに。


9月12日(月)
「ビニールパックのソーセージと犬@菊児胡同あたりだったか・北京」

学生たちはそれぞれのオプションへ。大人メンバーで胡同視察を再び。特に目的地は無いけれど、歩く分だけの発見がある。全体に改修工事が多い。工事看板に90日とか120日とかの工事日程が記載されている。


大跃啤酒@豆角胡同(北京)」

長谷川さんの調査を元に、四合院を用いたクラフトビール屋へ。14時オープンなので今回は無理。四合院が元もともっている特性を生かしている感じが、外からも判る。


「798芸術区@北京」

空港に向かう途中で、798芸術区。ここも15年ぶりくらい。前歩いた道がどれか判らないくらいに変わっている。
北京空港では、手荷物検査が相当丁寧で、割りと早目に空港に向かったつもりだったんだけれど、それほど時間に余裕が無い感じ。夜中に自宅到着。

2016年9月5日~11日

2016-09-13 | 日記
9月11日(日)
「建外SOHO商業棟@北京の東より・中国)」

朝一で、15年ぶりの建外SOHO。見学者に対しては相当キビシく、警備員がついて回る。商業棟に限らず、低層部はほぼ商業テナントが埋まる。ガラス面には広告などを出さない、っていうルールは割りと早い段階で消えていたのだけれど、写真の場所の反対側では袖看板までついていた。中に事務所を構える、迫さんのSAKO建築設計工社へ。日曜なのでスタッフはいないけれど、迫さんがとても丁寧に対応をしてくれる。感謝。学生達にも話しが染みこんだことを祈る。


「扇面亭@天壇公園(北京・中国)」

いろいろと回った後、夕方、少し時間に余裕があるということで、迫さんとの話でも話題となった天壇へ。天との交信(祈祷)の場だからか、特徴的な形態をもった建物が多い。写真の建物は平面が扇形。垂木は放射状だし、瓦も変形。この正面には、円形が二つ重なったかたちの平面をもった建物が建っている。回音壁なんている音響効果を狙った場も。


「微雑院@茶児胡同(天壇と故宮の間くらい・北京)」

この日の最後は、四合院の改修プロジェクトである微雑院。ずっと昔はお寺だったところで、その後人々が住むようになり、最後は14家族が住んでいたとか。今はおじいさんが住んでいて、子どもの居場所としての図書室とかになっている。暗くなっていて判りにくいけれど、四合院の中庭に増築されていたものも活用していて、小さなブロック積みのボリュームも既存だとか。玄関脇にはたくさんのペットボトル。昔、火災予防用に水を入れていたものの残りらしい。おじいちゃんの話+留学生の通訳で、興味深い事情が得られた。


「焼き餃子のつもりだったもの@路上のレストラン(北新橋3条・北京)」

夜は、火鍋を食べてから路上で餃子をたべることに。水餃子が数種類並んでいる中に「貼」の字をみつけ、きっと「鍋貼餃子」の仲間だろうと思ったら、トウモロコシ粉を焼いたものだった。。。肉の味(ナンプラー)が濃すぎる。。。


9月10日(土)
「鳥の巣@国家体育場(北京の北・中国)」

バスを借りて、市内の現代建築などをまわる。鳥の巣は、構造体がつくる内蔵を巡るような体験が特徴的。屋上にもでられる。中は、何かのライブ会場にするようで、仮設ステージの作業中。建築としては、無駄な構造部材が多すぎることが気になるのでは、という気もしていたけれど、実際にはそうでもないか。。。


「水泳場@国家体育場(北京の北・中国)」

鳥の巣の向かいに建つ水泳場は、水泡型ガラス(というか樹脂)がキッチリ納まっているのに関心。中はテーマパークのような屋内プールになっているらしく、鳥の巣と合わせて観光客が集まる。計画的。


「ビールが並ぶバー@帽児胡同(后海の東・北京)」

最後は昨日に続いて胡同エリア。南北に延びる街路・南鑼鼓巷を中心としたエリアで、昨日の西側隣接地。南鑼鼓巷は観光客で溢れていて、街並みを楽しむどころではない。帽児胡同は少し落ち着いた感じになるけれど、道路工事中。感じのいい四合院レストランとかもあるけれど、閉まっている。写真の店のように、四合院の道路側に拡張してつくられた小さな店舗も少なくない。


「羊肉@路上のレストラン(北新橋3条・北京)」

そのまま胡同を歩いて、昨日見つけたTapHouseで一杯飲んでから、宿の近くの路上レストランへ。留学生が通訳をしてくれるので、間違いない注文。ありがたい。激安でうまい。


9月9日(金)
「メッキ鋼板の仮囲い@当代MOMAの南側(北京・中国)」

午前の内に、川底下村から北京市内にもどる。北京は15年ぶりくらい。道路の整備の様子や高層ビルの密度感が、記憶している街の様子と大きく異なる。宿は北新橋近く。周辺の胡同の街並みを散策。
北京における仮囲いの主流は、切りっぱなしのメッキ鋼板の平板を脳天ビス留め。


「四合院の内部@交道口の北あたり(北京・中国)」

大きな四合院が整然と並ぶ。中の様子を覗くと、元々の中庭部分はセルフビルドで出来た小さな建物群で埋まっている。どこも入口回りに15個程度の電気メーターが並んでいる。


「Peiping Machine Brewing@方家胡同46号院(交道口の北あたり・北京)」

昼間、胡同散策をしていて偶然通りがかった方家胡同46号院は、798芸術区に続く、クリエイティブエリア。元工場街らしい。方家胡同と交道口北3条の間を埋める。交道口北3条に面してTap Houseがある。雰囲気もいいし、ビールもおいしい。例によってIPAを中心に。


「路上のレストラン街@北新橋3条(北京・中国)」

ビールを飲んで、そのまま東に真っ直ぐ行くと宿。宿の前の道、北新橋3条は路上にテーブルを広げる飲食店が並ぶ。プロジェクタとスクリーンも路上に。客とスクリーンの間を電動バイクなどが走り抜けて、この密度感を更に向上。。。


9月8日(木)
「四合院の宿@川底下村(北京の90キロくらい西・中国)」

朝の飛行機で北京。空港に帰国中の留学生二人が迎えに来てくれて、その友人の車(巨大。運転手付き)で川底下村へ。昔は交通の要所として栄えていたらしいが、新しい街道から外れたため寂れて、そのままの状態をキープして観光化すると決めた村長の慧眼により生まれた地域。宿泊は四合院。民宿化している四合院は、どこも中庭に屋根をかけている。


「工事中@川底下村(北京の90キロくらい西・中国)」

オフシーズンのようで、そこら中で工事。瓦が降ろされているので、垂木の掛かり方などがよくわかる。屋根構成は、日本の本瓦土葺きと近いけれど、日本の場合に土が用いられる部分に、炭の混ざった漆喰が使われていて相当分厚い。


「密集する四合院@川底下村(北京の90キロくらい西・中国)」

東西方向の街道に面した南斜面に広がる集落。大きさの異なる四合院がひしめく。斜面地ならではの立体街路がとりついている様子は、斜面に寄り添うように有機的なかたちなのだけれど、見下ろしてみると案外整然と並んでいる。中庭に屋根をかけているのは民宿とかになっているものだけか。


「集落全体@川底下村(北京の90キロくらい西・中国)」

全体としては、山に沿って扇形の軸線に乗っているようにみえる。それにしても、新しく増築された部分が結構目立つのが残念(写真では判りにくいけれど)。夜は宿で地域の郷土料理を、アルコール3.6%のビールと43%の酒で。


9月7日(水)
「多肉の子ども@自宅」

大学で大学院入試など。なんだかなあ。。。。


9月6日(火)
「行列@中目黒」

朝一に中目黒で打ち合わせ。帰り道にふとみると、長い列が。老若男女、幅広い客層。角のかき氷屋?。


9月5日(月)
「牛タン@仙台」

朝、徳島から羽田を経由して仙台。打ち合わせ後、牛タンを堪能してから横浜へ。

2016年8月29日~9月4日

2016-09-05 | 日記
9月4日(日)
「唐紙の確認など@谷屋(日和佐・徳島)」

朝一の飛行機で徳島。セブンイレブン化工事が進む徳島駅のキオスクに驚いたりしている内に、日和佐到着。伝統建築保存に詳しい元和歌山県文化財センターの鳴海氏に来ていただき、一緒に見て回る。唐紙や畳や木下地など、そのサイズや納まりや残された跡などから、それぞれの時代考証が進む。背景についてのコメントがどれも興味深い。明治に入ってすぐの、まだちょんまげを結っていた職人さん達がつくったものだ、っていうことで、われわれが予想していたものよりも、ずっと歴史的価値の高いものであるような。。。


「店舗のファサード・右奥の目立たない扉の奥が店内@恵比寿丸(小松島・徳島)」

役場での打ち合わせを済ませて、酒を飲まないドライバーを決めて、小松島の恵比寿丸へ。何度か車で前を通ったことがあって、豪快な佇まいが気になっていた。以前、杉本さんからも「ガスバーナーで魚焼いてる」って話しを聞いていた。新鮮な魚をとてもリーズナブルに堪能。聞くと、店主は日和佐恵比須浜の漁師の生まれだとか。繋がっている。阿波赤石駅から汽車で徳島へ。


9月3日(土)
「目黒線跡地にのびる撮影セットの街並み@目黒駅の少し南」

午前中の目黒近くでの打ち合わせを経て、午後はリアルサイズシンキングコンペ公開2次審査。10回目にして最後となる今回は、2つの提案を選び原寸製作し、関西で選ばれる2つの作品と合わせて、大阪にて最終審査の予定。最終的には、東京大学の学生達が提案する高度なシミュレーション技術を用いたものと、東京芸大の学生が提案するとてもポエティックなガジェット的なものの二つとなった。
写真の場所では、線路跡地に撮影セットとして疑似街並みがつくられていて、建物内では撮影の小道具などを貸す会社を運営。線路跡地活用の幅は相当広い。


9月2日(金)
「案内図最終チェック@研究室(神奈川大学)」

朝一に大学で委員会。熱い話題が多い。その後、研究室で進めてきた熊本の仮設団地案内図作成の最終チェック。キビシイ諸条件のなか、本当に丁寧に対応してくれた学生たちには深く感謝。設置された様子を見るのが楽しみ。


9月1日(木)
「68円コーナー?@本八幡某所(千葉)」

横浜に戻って初日ということもあって、各所で諸々の打ち合わせ。本八幡の某敷地前からみえる「68円」の看板。前から気になっていたんだけれど、ABS卸売りセンターという雑多な印象の100円(以下)ショップだった。。。


8月31日(水)
「最終段階@寿司竹(八幡中央町・北九州)」

ワークショップの成果を発表するプレゼン。リサーチはそれなりに進められてきた。その内容も悪くないはず。なんだけれど、そういったことがあまり伝わらないグダグダ感がとても残念。一般の聴衆も来てくれているのに。。。ショックを受けつつ、そのショックを少しでも軽減すべく、みんなでまたもや寿司竹。最終便で横浜へ。


8月30日(火)
「棚@宮原酒店(折尾・北九州)」

午前中、学研都市のインフラ管理をするFAISによる施設案内。その後、最終エスキスチェック。調査までは深まりつつあることが確認できたけれど、提案までの道のりが不透明。どうも一日足りない感じ。例年より1日長くはしたんだけれど。
夕方から折尾の角打ちへ。老舗の一つ、宮原。名工大・北川先生の地域順応スピードがすさまじい。


「外テーブルを囲む先生方@高橋酒店(折尾・北九州)」

歩いて数分で二件目の高橋酒店。ここは何度か来ているけれど、外の席ははじめて。堀川に面した気持ちのいい立地。折尾駅から南に延びる堀川。洪水対策と水運強化(筑豊の炭鉱地区と洞海湾の工業地域を繋ぐ遠賀川での水運をショートカット)と沿岸灌漑するためにつくられた人工の川。バート先生のレクチャーによると、既に遠賀川にも洞海湾にも繋がっていないらしい。
駅へと急ぐ高校生たちが、なにげなく通り過ぎていく。


「堀川@折尾駅前(北九州)」

折尾駅周辺では駅の工事に関連して区画整理事業が予定されていて、堀川沿いの風景もカウントダウン中。高橋酒店だけでもそのまま残すのがいいんじゃないか?。辰野金吾が設計に関わっていたとの噂もある駅舎は、既にない。似たようなファサードをはり付けるらしい。どうしてそういう発想になるのだろう。。。

8月29日(月)
「元炭鉱住宅西立面@二島(若松・北九州)」

北九州市立大バート先生のレクでスタート。地域の事情がよくわかる、マニアックかつ魅力的なはなし。その後、学生の進捗を確認して、教員メンバーは八幡製作所の見学へ。撮影禁止なので写真は無いけれど、溶鉱炉から取り出した鉄が、ロール状の薄板になるまでのプロセスをみる。迫力、精度、仕組みなど、色々な側面が興味深い。
夕方のエスキスに戻る前に、初日の魚谷・加藤レクで紹介されていた元炭鉱住宅を見学に。


「元炭鉱住宅通路部@二島(若松・北九州)」

建物は東西に長く、もともとは南北方向にいくつもの建物が連なっていた。後付けのアーケード型屋根の下を歩くと、玄関が向き合う(写真左手が南、右手が北)。採光よりも地域の交流重視だったということか。場所は異なるものの昔の炭住写真と見比べると、変遷が伺える。
夜は再びタクシーで八幡中央町へ。地域の探求に関心を持つ身としては、知恵よりカネで解消しているようで少々悔しい。