4月1日(日)
「春の様子@自宅」
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家の前は春の風景。雑草対策が必要なシーズンに入ったということでもある。
3月31日(土)
「ブルームーン@機上(台湾→羽田)」
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香港空港での長い乗り継ぎ。鉄道市内往復チケットがもらえるんだけれど、諸々の事情から空港ですごす。
夕方、香港を出発。台湾上空あたりで満月が眩しい。1ヶ月に二回見られる満月をブルームーンというらしい。次は2年半後。
3月30日(金)
「建物を横断するカラーのストライプ@キルティプル(ネパール)」
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みんな、多少は体調も回復し、カトマンズの南にある古都キルティプルへ。ネパールで最初にできた大学、
トリプバン大学のある街でもある(最初といっても1959年)。小高い丘の上に広がる古い街。傾斜地の地勢的特徴は他にはない。観光化があまり進んでいないこともあって、カトマンズ、パタン、バクタプルなどとは印象が違う。ネットの情報とは異なり、エリアに入るのに100ルピーかかる(他の街の1/10ではあるが)。
「倒壊した建物と新しいレンガ@キルティプル旧市街(ネパール)」
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街を歩いていると、寺院建築が大きな被災をしていないのに対し、地域の民家(レンガ造)では割と多くの建物が倒壊したようだ。瓦礫が積まれたままの場所も少なくない。被災後3年近く経とうとしているけれど、半壊状態で放置されているものもある。その様子を見ていると、以前の建物の架構が想像しやすい。床下地に竹が用いられているものもあった。レンガの壁に窓枠とか柱とかの何かしらの木の造作がはまり、レンガの量が抑えられている建物が被災を逃れやすかったようにみえる。
「カイザー図書館@タメル(カトマンズ・ネパール)」
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街にもどって資料収集で図書館に行ってみる。
ウェブの印象で古い時代の地図とかもあるんじゃないかと結構期待をしていたんだけれど、だめだった。ルンビニの博物館でも感じたけれど、維持管理の仕組みをつくるのがうまくいっていない。もったいない。とはいえ、屋外で新聞を読む人たちなど、利用者がいないわけではない。
「タメルの街並み@タメル(カトマンズ・ネパール)」
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最後にタメル地区の路地を少し歩く。地震の被害が小さいものには、柱梁(古いものは木、新しいものはコンクリート)のフレーム内をレンガで埋めている場合が多い。そういった建物に挟まれて、かろうじて倒壊を逃れているものもある。
土の道には、前の店の人が水をまく。昨晩は相当な量の雨が降っていたようだけれど、午後にはその効果も感じれられない。
「
ドゥワリカ・ホテル@カトマンズの空港より(ネパール)」
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保存建築によるホテルで有名なドゥワリカへ。空港に近い。泊まると高いので、空港に向かう前にホテル内のレストランで食事、ってことに。まずは、屋外のテーブルでビールなどを飲みながら順番に建築をみて回る。支払いで部屋番号を聞かれ、宿泊客じゃないって答えたら「じゃあ、今日帰るんだね」という。帰国日に空港に行く途中で寄る人が多いらしい。
混雑するカトマンズの空港から香港へ。
3月29日(木)
「本屋@パタン旧市街の北(ネパール)」
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調査も終盤。みんな、お腹の調子を悪くしたこともあって、本屋で資料収集など。ここで1500円くらいで売られているものが、アマゾンだと1万円(中には6万円近いものも)。重いなあと思いつつ、アマゾンにはないものもあって何冊か購入。最近、現地で入手できるものはそうしておかないと、帰国後購入しようとしてもいまだに面倒が多いことを痛感しているし。
「ネワール建築のディテール@
カンティプール・テンプル・ハウス(タメル・カトマンズ)」
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最後の宿泊は、ネワール様式のホテルに。案外新しくて、築60年。オーナーのコンセプトがはっきりしていて、部屋にはテレビは無いし、部屋の鍵は南京錠。特徴的なのは反プラスチック。ペットボトルが持ち込まれるのが嫌だからポット入りの水が部屋にはおかれ(時々、補充にくる)、買い物に行くときは布の袋を貸すからそれを使えとか。シャワー室には、できれば二人で一緒にシャワーを使え、ってイラスト付きでコメント。多少は不便なところも無くは無いが、居心地はいい。
「頬杖も商品台@タメル(カトマンズ・ネパール)」
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タメルでも本屋などを回る。いくつかの本屋を回ったけれど、資料収集で使えるのは
ピルグリム・ブック・ハウスくらいか。レジに一冊持っていったら、「建築系ならこれはみたか」「再販されたばかりで貴重だぞ」「ビニールに入っているけど開けよう」ってすごいセールスモードに。興味深い本ではあったんだけれど破格に大きくて、既に本の重量が相当なものになっていたので断念。アマゾンで探さなくては。
「香辛料@COOP(カトマンズ南西部・ネパール)」
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初日に何気なく入って水を買った店へ。香辛料とかが地元価格だったのを思い出して。どれもこれも賞味期限6ヶ月って書いてあるんだけれど、塩にも書いてあるので気にしないことに(とはいえ、一番小さなパッケージのものをいくつか購入)。というか、製造日が
ビクラム暦で書いてあるのでイメージがわかない。
3月28日(水)
「連続する小中庭@Ga Bahal地区(パタン・ネパール)」
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プラカスさんと回るパタン二日目。街並みの構成にも関心を持っていることに気が付いたのか「気持ちはわかったから任せてくれ」といって最初に連れてこられたのが、大小の中庭・チョーク(ネパール語・ツォーク)をトンネル状の通路で繋ぐ移動動線。途中、大きな広場や道に出ることなく、取り囲む住民が共有する中庭を次々とたどる。中には手作り感のあるチバー(祠・ネワール語)が必ずある。
「門がまえ的装飾@パタンのどこか(ネパール)」
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建物は縦に長く区画されていて、中庭に面して扉が並ぶ。鳥や花の絵があるのは、その家で77歳7ヶ月7日7時間7分を迎えたお祝いジャンカ?の印だとか。上枠は五仏(
パンツァ・ブッドゥ)。家ごとにデザインは異なるけれど、構成している内容(トリ、目、花など)はみんな一緒。プラスチックシートに印刷されているものを取り付けている場合も。簡略型?。お祝いの祭礼は地域のMankakhala(ムンカコロ)ごとに行うらしい。
途中、偶然(?)クマリの館がある広場(Ratnakar Mahavihar)にも。パタンのクマリは割と日常に近い感じ?。
「再建されたポルツァ(ネワール語)@ダルバール広場の少し北(パタン・ネパール)」
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カトマンズにもパタンにも公共の休憩所が点在している。日本では多くの文献でダルマシャーラと総称されるものとして扱われているが、ガイドの人によると地域で運営されているようなものはダルマシャーラじゃなくてポルツァ(パルツァ?:ネワール語)で、ダルマシャーラは行政が維持管理するし何かの販売場所に転用されることはありえないし、大抵もっと大きいという。もう少し調べなければ。ネワール語/ネパール語が音だけでもよめるようになるといいんだけれど、ハードルが高そう。
「新集会所@ダルバール広場の少し東(パタン・ネパール)」
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プラカスさんと話をしていて、彼らのMankakhala(ムンカコロ)が新設しようとしている施設へ。現在のものは通りに面したポルツァ付きのものだけれど、結婚式や伝統芸能の練習場としては少々手狭。お金のある範囲まで作業を進める、というやり方らしい。最終的には3層+塔屋という構成になる。寄付や会費を材料代とプロへの最低限の支払いにして、できることは自分たちでやるんだとか。今は材料費が尽きていて、ピロティ的な一階部分を練習場として使っている。
「舗装のない道@パタン中心部(ネパール)」
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街の中心部には舗装がないところも。上下水供給が最近の最大の課題らしい。電気は概ね解消しているらしいけれど、水は週に一回、1時間しか出ない、っていうこともあるとか。そのための工事がそこら中で行われている。小さな路地でも、幅員の半分だけ舗装してあるところが多い。こういう風景をみていると、30年ちょっと前に中国を回った時の頃を思い出す。
「現地の酒@ダルバールの少し西(パタン・ネパール)」
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夕食後、地域の飲み屋へ。青い厚手のカーテンの向こうに天井の低い薄暗い空間があって、数名かけのテーブルが並ぶ。度数の強い泡盛っぽい酒。これがロキシーか。街でときどきパンを焼いているような香ばしい匂いがするのは地酒づくりでは、ということだけれど、この状態からは想像できない。街角でビールと干し肉を買って、ホテルの部屋で三次会。
3月27日(火)
「スラムを撤去した後@バグマティ橋近く(バグマティ川・カトマンズ)」
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神奈川大学の荏本先生に紹介してもらったガイドさんプラカスさんとホテルで待ち合わせて、車付きでいろいろと回る。ゴミの集積場にはじまり、次は川沿いのスラム地区へ。川沿いにたくさんの
スラムが点在するということだけれど、そういう認識が社会全体に共有されているわけではなさそう。しばしばネットで紹介されていたスラムは片付けられ、ゴミの分別場になっていた。
「ダルマサーラ@バクタプル(ネパール)」
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カトマンズの東にあるバクタプルへ。カトマンズの谷に点在する主要な古都の一つ。カトマンズのダルマサーラ(この時はまだダルマサーラと呼ぶと思っていた)が商売などに使われているのに対し、バクタプルでは地域の休憩所として開放されている。多少傾斜のある地形。観光地として知られていて、海外からの観光客も多い。
「建築工事と廃墟@ゼッラ?地区(バクタプル・ネパール)」
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バクタプルは2015年4月の震災で最も大きな被害があった街でもあるらしい。主要な観光エリアにも瓦礫が積まれていたり補修工事が行われていたりするが、少し奥(東)に行くと比較的広域に被災した地区での再建現場が広がる。働いている人たちの多くは女性や子供たち。柱を立てて間にレンガを積み、柱とレンガの壁を手がかりに上の層を施工する。相当ローテクに見えるが、柱の打設ではバイブレータが使われている。
「おじさんトランプ、犬昼寝、焼き物乾燥@ティミ (カトマンズの東・ネパール)」
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少しだけティミ にも立ち寄ってもらう。焼き物で知られる街で、奥の方に行くと野焼きをしている。幅3m奥行き6m高さ2m弱の丘状の灰の塊から煙が上がる。隣では、焼き終わって中から焼き終わったものを取り出している。焼き物の町といっても、陶器の店が並んでいたりはしない。
「スラム@マノハラ橋の脇(マノハラ川・カトマンズ)」
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バグマティ川の支流マノハラ川に国道3号線がわたるあたりに残るスラム。新しい道路工事が進められつつあるエリア。隣接する場所に井戸があって、そこで水を汲んでいる。電気を使っている様子はない。簡易な軸組と鉄板などで組まれているゾーンと、テント的な場所とがある。
「コンクリート打設中@ダルバールの少し西(パタン・ネパール)」
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夕方、最終目的地のパタンへ。まずはチェックインをして、街へ。コンクリートを打設している現場に遭遇。洗面器みたいなのに入れたコンクリートをバケツリレー方式で流し込む。ここの型枠は鉄板。どこも現場の規模(建築面積)がとても小さい。
「プラカスさんの家@パタン(ネパール)」
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暗くなる前に、プラカスさんの家を見せてもらう。階高がすごく低く絞られた4階建。特に1、2階が低く、屈まないといけないくらい。130年かそれ以上前に建てられたもので、3方を新しい建物に囲まれていたため地震で壊れずに済んだらしい。写真は3、4階部分。プラカスさんの個室は3階に、リビングダイニングが4階にある。
薄暗闇のダルバール地区を散策してこの日は終了。
3月26日(月)
「なんとなくの荷物検査で列@カトマンズ国内線ターミナル(カトマンズ・ネパール)」
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丹下健三が計画した宗教都市・ルンビニへ。朝早い飛行機。国内線ターミナルには一般の車寄せはなくて、隣の駐車場でタクシーを降りてターミナルまで歩く。使い込まれた建物が味わい深い。階段状の屋根から採光を得る、というところは国際線ターミナルと共通。とても遅れるという噂だったが、ほぼ定刻で機内へ。と思ったら機内で1時間待ち。
「丹下健三設計のルンビニ博物館@ルンビニ(ネパール)」
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バス停みたいなバイラワ空港からルンビニまではタクシーで30分。19世紀の末ごろ、お釈迦さま(ゴータマ・シッダールタ)生誕の地であることがわかったという小さな街。丹下健三が手がけたマルタープランの変遷は割と大きいみたい。結構な時間がかかっている。マスタープランといっても、生活の場としての都市デザインではなくて、各国の仏教寺院が点在するテーマパーク的エリア。南北に長い軸線。北の中心が、日本の
日本山妙法寺。日本の寺がこれほどまでに重要な位置を得ているのはどうしてだろう。エリア内にホテルがあるのも日本だけ。
「マヤ・デヴィ寺院@ルンビニ(ネパール)」
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南北に3ブロックに別れていて、北のブロックが妙法寺のあるところ。真ん中のブロックに各国の寺が点在し、南のブロックには仏陀生誕地のこの寺院を中心とした大きな円形の池がある。寺は遺跡の上に上屋をかけたもので、見学通路の上を歩く展示室のようなつくり。このゾーンでは靴を脱がなくてはならないが、石が敷かれたところは相当な高温。丹下健三の顔写真入りの看板もあった。この看板では設計期間は1972年〜1978ねんとある。
「欠航の表示もさりげなく@バイラワ空港(ネパール)」
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18時発の飛行機なので16時すぎにタクシーで空港へ。17時前には空港で発券。カトマンズにもどって夕食っていう予定だったんだけれど、18時が近づいてもアナウンスがないので聞いてみると、19時半に変更になったという。はじめはまあそんなものかと思ったけれど、どんどん遅れる。案内板などはないので聞くしかない。途中、遅れた飛行機対応かカフェでただの焼きそばが振舞われたり、空港職員がコーラをついで回ったり。
「停電@バイラワ空港(ネパール)」
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20時半をすぎて、ようやく手荷物検査後の待合室に。ここで初めて滑走路側の様子が見えるのだけれど、暗闇に目を凝らすものの機体は一つもない。。。ようやく21時半すぎに乗る飛行機がやってきた。その後は異常に早くて22時すぎには離陸。ホテルについて、無理を言ってモモ(ネパール餃子)を作ってもらって夕食に。ネパールでの日帰り移動では、本とかパソコンとかが必須なことを痛感。