曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2018年4月23日~4月29日

2018-04-30 | 日記
4月29日(日)
「ヤマボウシ@自宅」

実家でいろいろと。
自宅では、ヤマボウシにたくさんの花がついた。期待通り。外でよくみるヤマボウシにはもっと多くの花がついているけれど、ウチではこんなに咲いたのは初めて。勝手に生えてきたエノキの抜根でヤマボウシの根も一部切らざるを得なかったんだけれど、きっとそれがよかったみたい。


4月28日(土)
「東京湾ルート@機上(徳島→羽田)」

朝の便で帰って、午後は実家へ。
羽田着の便は、大抵房総半島を横断して東京湾の奥を回り込みながら北側の滑走路に着くことが多いような気がするが、この日の便は東京湾の入り口からずっと横浜を左手に臨みながら北上するルート。検索してみると特にこのルートが少ないわけではなさそう。


4月27日(金)
ナカバリコート社2階の宿泊エリア@奥河内(美波町・徳島)」

打ち合わせなどで美波町へ。今年度の進め方の大枠が決まる。空き時間に完成したナカバリコート2階へ。熊本支援用の軽バンをくれた会社。職人さんの長期滞在向けの場所を個室化した。天窓とか出窓とか、どの個室も何かしらの開口部に繋がっているようにしたため、全室違うプランを学生たちとデザイン。隣接する野田産業の木材のみでまとめてある。


「くの字のカウンター@AT TERAMAE(桜町通り・美波町)」

夜は役場で永晴邸利用者選定のためのヒアリング審査会。普段とはちょっと異なるタイプの審査。見えない部分も少なくないが、うまくいくことを祈るだけじゃなくて共同していかなくては。
審査会の前に、コーヒーが高くて中に入れないと学生がいうので、オープンしたばかりの古民家活用事例であるAT TERAMAEへ。高いと言っても450円。美味しい。


4月26日(木)
建築と日常最新刊@研究室(神奈川大学)」

授業。研究室に中井さんとの対談が出ている雑誌が届く。平凡建築という非凡なテーマ。表紙もいい。吉田鐡郎への注目が特集テーマのきっかけだったのか。そんなこと、取材の時に言っていたっけ?と思いながらも腑に落ちる。


4月25日(水)
「開き戸を引き戸へ@実家」

ようやく母が退院。自宅での暮らし方を色々見直す。開き戸を外して戸車をつけて引き戸化したり。枠の分、横幅が不足。こんど補修しなくては。


4月24日(火)
「制限時速表示@みかんぐみのある建物の階段(馬車道)」

移動の多い一日。病院では母が退院して良いことに。めでたい。


4月23日(月)
「乗り物三昧@羽田空港国内線ターミナル(東京)」

朝の便で徳島へ。第二ターミナル側は海に面しているので、飛行機、車、船の様子を同時に眺められる。


「建物はほぼ竣工@来島海峡SAの仮店舗(今治)」

松山経由で今治。来島SAの仮店舗は竣工間近。次は、新建物内でのショップ什器の検討。ずっと現場を見続けている担当学生も日増しに頼もしくなる。

2018年4月16日~4月22日

2018-04-23 | 日記
4月22日(日)
「ダイヤモンド地下街からJR地下コンコースへ@横浜駅(横浜)」

病院に行く前に、数日前にまたもや壊れたメガネの手配のため横浜へ。
横浜駅で京急やJRに乗り換えるときは人の少ない北口を使うからか、今まで気が付いていなかったけれど、ダイヤモンド地下街とJR地下コンコースは3月6日に仮通路で繋がったらしい。横浜にとっては何かの記念日にしていいレベルでは。。。


4月21日(土)
「イタリアンパセリ@自宅」

実家でもろもろの作業。出がけにふとみるとイタリアンパセリに異変が。一本の茎がセロリのようになりつつある。どっちもセリ科らしい。セロリとして食べられるのか?。


4月20日(金)
「駐輪禁止ベンチ@武蔵小杉駅」

いろいろと慌ただしい一日。武蔵小杉駅での東横線から横須賀線への乗り換えを、JRの案内表示を無視して屋外ルートで行ってみた。天気のいいときはこっちの方がいいかも。JR構内の乗り換えはなんだか殺伐としているし。


4月19日(木)
「杖フック@菊名の病院」

菊名の病院とその周辺について日増しに詳しくなる。


4月18日(水)
「モコモコの植木@菊名駅近くの豪邸・鈴木邸(菊名・横浜)」

菊名駅から病院に向かう途中に由緒ありそうな豪邸がある。横浜市の企画で時々見学ができる機会があるらしい。ここ数年行われていないみたいだけれど。レインコートとレインシューズだけれど、夕方には雨もあがる。


4月17日(火)
「牡蠣のビール@三陸ワイン食堂LE ALE(菊名・横浜)」

色々な場所での打ち合わせのあと、夕方は母の病院へ。いろいろと課題が浮かび上がる。
夜は父も一緒に菊名で。新潟で飲んだことのある牡蠣のスタウトが瓶入りであった。


4月16日(月)
「本八幡の家@本八幡(千葉)」

本八幡のプロジェクトに関連して、もともとの建物の設計者が代官山や表参道の同潤会アパートを手掛けた人らしい、という話から、内田青蔵先生と大学院生とで見学に。残念ながら棟札には設計者の名前はなかったけれど、内田先生の解説を聞きながら見ると、また違った価値が浮かび上がる。

2018年4月9日~4月15日

2018-04-16 | 日記
4月15日(日)
「自動散水@自宅」

朝、買っておいた散水用の部品で、自動散水エリアの拡大。細いホースのジョイントが硬いのは、熱いお湯で柔らかくすれば良いことに気づく。もっと早く気づいていれば。。午後はまた病院へ。北側の個室で隣は緑豊かな公園。


4月14日(土)
「夜の新横浜@自宅」

病院での手続きなど。母はしばらく入院するらしい。
夜、久しぶりに屋上テラスで飲んでみる。ちょっと寒い。小雨も降ってきた。


4月13日(金)
「夜の病院ロビー@横浜某所」

夜、母が病院へ。静かなロビー。とはいえ、絶えず救急車はやってくる。年度始めの金曜の夜だけれど、急性アルコールっていう感じの人はいなかったか。


4月12日(木)
「ヤマボウシ@自宅」

うちのヤマボウシはまだ蕾。とはいえ、今年は例年より蕾の数が多そうな気が。目線の高さに花がついたことなんて、いままでないし。期待できるか。


「昔のみかんぐみポートフォリオ@神奈川大学(横浜)」

設計製図の授業スタート。石田研究室助手の田野さんが、秘蔵(?)していた初期のみかんぐみポートフォリオを持ってきてくれた。懐かしすぎる。Shibuya AXが外周に湾曲する壁の回る計画案の時代。20年前か。


4月11日(水)
「ヤマボウシ@神奈川大学(横浜)」

新入生で溢れる大学。いつものことながら、大学のヤマボウシは花でいっぱい。昼休みは大学主催の安全運転講習会。もっとシリアスな事例が突きつけられるのかと思っていたんだけれど、そうでもない。


4月10日(火)
「デザインコースの部屋@住吉町新井ビル(関内・横浜)」

朝、打ち合わせの前に、デザインコースの部屋の様子を確認。昨年度の大学院の授業に関連して進めてきたもので、そろそろ完成?のはず。元の内装材を標本的に扱う、ってものなんだけれど、なんとなく雰囲気で並んでいるような。。。


4月9日(月)
「獅子頭共用栓@横浜市水道局(大豆戸・横浜)」

某展覧会企画の打ち合わせを市大鈴木先生、神大中井先生と。妙蓮寺のHUGカフェで、と思ったら、閉店していた。。。で、大倉山のスタバ。ここが、夕方になると近所の子育てお母さん集積地となっているのを知らなかった。
写真の共用栓は明治のはじめに、イギリスから輸入したものらしい。

2018年4月2日~4月8日

2018-04-10 | 日記
4月8日(日)
「カポ@自宅」

何十年かぶりにこんなものを買ってしまった。安いし簡単。しかもアンケートに答えるともう一つくれるらしい。一つあれば十分だけれど。


4月7日(土)
「横浜製品@自宅」

自宅用に花苗を買おうとサカタのタネへ。どういうわけか横浜産製品がたくさんあって買ってみる。辛そうなイメージのごま油のパッケージデザイン。大正博覧会で金賞を受賞した記念にデザインしたものらしい。苗も大量購入。


4月6日(金)
「ホームドア@妙蓮寺駅(横浜)」

朝、横浜方面に向かうべく駅に行くと、ホームドアが稼働しているのに気づく。もっと前に使い始められていたらしい。


4月5日(木)
「桜通り@関内駅(横浜)」

午後は浦辺鎮太郎横浜展に向けた打ち合わせ。だんだん面白くなってくる。夜は浦辺設計西村氏と重村先生とで、スカンディヤClaのはしご。


4月4日(水)
「棟の屋根@来島海峡SA(今治)」

最後に残された棟屋根ユニットの取り付けに立ち会うべく朝早く現場へ。8時前には下準備が進められ、8時になると同時に朝礼ミーティングがはじまりクレーンがやってくる。屋根周りの作業はあっという間に完了して、壁の取り付けへ。夕方の横浜着を目指して、一日4本のバスで福山駅方面へ。しまなみライナーは来島BSに止まらないのでキララエクスプレス。新尾道を回って福山に向かう。新尾道で新幹線に乗り換えた方が早かったか。


4月3日(火)
ヨリドコロ@横芝(千葉)」

竣工したばかりの横芝駅前情報交流館。もともとは、午後に行って名物モツ煮と共に、っていう予定だったんだけれど、朝一の特急で。4/27のオープン後は、ビール・マルシェとかワイン・マルシャとかあるらしいので改めて。慌ただしく東京、福山を経由して今治へ。


「来島海峡SA仮設店舗@しまなみ海道(今治)」

今治駅前で学生にピックアップしてもらって、来島海峡SAへ。小さな建物の建方。5月からSAの建物の建て替え工事がはじまるんだけれど、商業エリアの内装設計を研究室で行っていて、それに関連した工事期間中の仮設店舗。プレハブじゃ勿体無いし雰囲気も、、、ってことで、木造でつくることに。ユニット化によって建方期間が短縮され、仮設店舗使用後は別の場所に移築しやすいという計画。短縮され過ぎていて、朝始まった建方が夕方に到着してみたらほぼ終わっていた。。。


ゴルフ・バー@今治商店街(今治・愛媛)」

夜は今治泊。四国では県庁所在地の4都市に次ぐ規模の街なはずなんだけれど、夜の街は寂しすぎる。遅かったからかもしれないけれど、以前よりもずっと静かになったような。。。バーで飲んでいても、結局最後まで客は一人。それにしてもこのバー、ゴルフのシミュレータがあるのを売りにしているらしいが、リノベの雰囲気も悪くはないし、ウィスキーのバリエーションも多くてたのしい。シミュレータがない方がインテリアのイメージはずっとよくなると思うが、この店としては本末転倒なのか。。。


4月2日(月)
「桜@都内某所」

出張でしばらくいなかったこともあって、色々な場所での打ち合わせ。
どこもソメイヨシノのシーズンは過ぎている。


2018年3月26日~4月1日

2018-04-02 | 日記


4月1日(日)
「春の様子@自宅」

家の前は春の風景。雑草対策が必要なシーズンに入ったということでもある。


3月31日(土)
「ブルームーン@機上(台湾→羽田)」

香港空港での長い乗り継ぎ。鉄道市内往復チケットがもらえるんだけれど、諸々の事情から空港ですごす。
夕方、香港を出発。台湾上空あたりで満月が眩しい。1ヶ月に二回見られる満月をブルームーンというらしい。次は2年半後。


3月30日(金)
「建物を横断するカラーのストライプ@キルティプル(ネパール)」

みんな、多少は体調も回復し、カトマンズの南にある古都キルティプルへ。ネパールで最初にできた大学、トリプバン大学のある街でもある(最初といっても1959年)。小高い丘の上に広がる古い街。傾斜地の地勢的特徴は他にはない。観光化があまり進んでいないこともあって、カトマンズ、パタン、バクタプルなどとは印象が違う。ネットの情報とは異なり、エリアに入るのに100ルピーかかる(他の街の1/10ではあるが)。


「倒壊した建物と新しいレンガ@キルティプル旧市街(ネパール)」

街を歩いていると、寺院建築が大きな被災をしていないのに対し、地域の民家(レンガ造)では割と多くの建物が倒壊したようだ。瓦礫が積まれたままの場所も少なくない。被災後3年近く経とうとしているけれど、半壊状態で放置されているものもある。その様子を見ていると、以前の建物の架構が想像しやすい。床下地に竹が用いられているものもあった。レンガの壁に窓枠とか柱とかの何かしらの木の造作がはまり、レンガの量が抑えられている建物が被災を逃れやすかったようにみえる。


「カイザー図書館@タメル(カトマンズ・ネパール)」

街にもどって資料収集で図書館に行ってみる。ウェブの印象で古い時代の地図とかもあるんじゃないかと結構期待をしていたんだけれど、だめだった。ルンビニの博物館でも感じたけれど、維持管理の仕組みをつくるのがうまくいっていない。もったいない。とはいえ、屋外で新聞を読む人たちなど、利用者がいないわけではない。


「タメルの街並み@タメル(カトマンズ・ネパール)」

最後にタメル地区の路地を少し歩く。地震の被害が小さいものには、柱梁(古いものは木、新しいものはコンクリート)のフレーム内をレンガで埋めている場合が多い。そういった建物に挟まれて、かろうじて倒壊を逃れているものもある。
土の道には、前の店の人が水をまく。昨晩は相当な量の雨が降っていたようだけれど、午後にはその効果も感じれられない。


ドゥワリカ・ホテル@カトマンズの空港より(ネパール)」

保存建築によるホテルで有名なドゥワリカへ。空港に近い。泊まると高いので、空港に向かう前にホテル内のレストランで食事、ってことに。まずは、屋外のテーブルでビールなどを飲みながら順番に建築をみて回る。支払いで部屋番号を聞かれ、宿泊客じゃないって答えたら「じゃあ、今日帰るんだね」という。帰国日に空港に行く途中で寄る人が多いらしい。
混雑するカトマンズの空港から香港へ。


3月29日(木)
「本屋@パタン旧市街の北(ネパール)」

調査も終盤。みんな、お腹の調子を悪くしたこともあって、本屋で資料収集など。ここで1500円くらいで売られているものが、アマゾンだと1万円(中には6万円近いものも)。重いなあと思いつつ、アマゾンにはないものもあって何冊か購入。最近、現地で入手できるものはそうしておかないと、帰国後購入しようとしてもいまだに面倒が多いことを痛感しているし。


「ネワール建築のディテール@カンティプール・テンプル・ハウス(タメル・カトマンズ)」

最後の宿泊は、ネワール様式のホテルに。案外新しくて、築60年。オーナーのコンセプトがはっきりしていて、部屋にはテレビは無いし、部屋の鍵は南京錠。特徴的なのは反プラスチック。ペットボトルが持ち込まれるのが嫌だからポット入りの水が部屋にはおかれ(時々、補充にくる)、買い物に行くときは布の袋を貸すからそれを使えとか。シャワー室には、できれば二人で一緒にシャワーを使え、ってイラスト付きでコメント。多少は不便なところも無くは無いが、居心地はいい。


「頬杖も商品台@タメル(カトマンズ・ネパール)」

タメルでも本屋などを回る。いくつかの本屋を回ったけれど、資料収集で使えるのはピルグリム・ブック・ハウスくらいか。レジに一冊持っていったら、「建築系ならこれはみたか」「再販されたばかりで貴重だぞ」「ビニールに入っているけど開けよう」ってすごいセールスモードに。興味深い本ではあったんだけれど破格に大きくて、既に本の重量が相当なものになっていたので断念。アマゾンで探さなくては。


「香辛料@COOP(カトマンズ南西部・ネパール)」

初日に何気なく入って水を買った店へ。香辛料とかが地元価格だったのを思い出して。どれもこれも賞味期限6ヶ月って書いてあるんだけれど、塩にも書いてあるので気にしないことに(とはいえ、一番小さなパッケージのものをいくつか購入)。というか、製造日がビクラム暦で書いてあるのでイメージがわかない。


3月28日(水)
「連続する小中庭@Ga Bahal地区(パタン・ネパール)」

プラカスさんと回るパタン二日目。街並みの構成にも関心を持っていることに気が付いたのか「気持ちはわかったから任せてくれ」といって最初に連れてこられたのが、大小の中庭・チョーク(ネパール語・ツォーク)をトンネル状の通路で繋ぐ移動動線。途中、大きな広場や道に出ることなく、取り囲む住民が共有する中庭を次々とたどる。中には手作り感のあるチバー(祠・ネワール語)が必ずある。


「門がまえ的装飾@パタンのどこか(ネパール)」

建物は縦に長く区画されていて、中庭に面して扉が並ぶ。鳥や花の絵があるのは、その家で77歳7ヶ月7日7時間7分を迎えたお祝いジャンカ?の印だとか。上枠は五仏(パンツァ・ブッドゥ)。家ごとにデザインは異なるけれど、構成している内容(トリ、目、花など)はみんな一緒。プラスチックシートに印刷されているものを取り付けている場合も。簡略型?。お祝いの祭礼は地域のMankakhala(ムンカコロ)ごとに行うらしい。
途中、偶然(?)クマリの館がある広場(Ratnakar Mahavihar)にも。パタンのクマリは割と日常に近い感じ?。


「再建されたポルツァ(ネワール語)@ダルバール広場の少し北(パタン・ネパール)」

カトマンズにもパタンにも公共の休憩所が点在している。日本では多くの文献でダルマシャーラと総称されるものとして扱われているが、ガイドの人によると地域で運営されているようなものはダルマシャーラじゃなくてポルツァ(パルツァ?:ネワール語)で、ダルマシャーラは行政が維持管理するし何かの販売場所に転用されることはありえないし、大抵もっと大きいという。もう少し調べなければ。ネワール語/ネパール語が音だけでもよめるようになるといいんだけれど、ハードルが高そう。


「新集会所@ダルバール広場の少し東(パタン・ネパール)」

プラカスさんと話をしていて、彼らのMankakhala(ムンカコロ)が新設しようとしている施設へ。現在のものは通りに面したポルツァ付きのものだけれど、結婚式や伝統芸能の練習場としては少々手狭。お金のある範囲まで作業を進める、というやり方らしい。最終的には3層+塔屋という構成になる。寄付や会費を材料代とプロへの最低限の支払いにして、できることは自分たちでやるんだとか。今は材料費が尽きていて、ピロティ的な一階部分を練習場として使っている。


「舗装のない道@パタン中心部(ネパール)」

街の中心部には舗装がないところも。上下水供給が最近の最大の課題らしい。電気は概ね解消しているらしいけれど、水は週に一回、1時間しか出ない、っていうこともあるとか。そのための工事がそこら中で行われている。小さな路地でも、幅員の半分だけ舗装してあるところが多い。こういう風景をみていると、30年ちょっと前に中国を回った時の頃を思い出す。


「現地の酒@ダルバールの少し西(パタン・ネパール)」

夕食後、地域の飲み屋へ。青い厚手のカーテンの向こうに天井の低い薄暗い空間があって、数名かけのテーブルが並ぶ。度数の強い泡盛っぽい酒。これがロキシーか。街でときどきパンを焼いているような香ばしい匂いがするのは地酒づくりでは、ということだけれど、この状態からは想像できない。街角でビールと干し肉を買って、ホテルの部屋で三次会。


3月27日(火)
「スラムを撤去した後@バグマティ橋近く(バグマティ川・カトマンズ)」

神奈川大学の荏本先生に紹介してもらったガイドさんプラカスさんとホテルで待ち合わせて、車付きでいろいろと回る。ゴミの集積場にはじまり、次は川沿いのスラム地区へ。川沿いにたくさんのスラムが点在するということだけれど、そういう認識が社会全体に共有されているわけではなさそう。しばしばネットで紹介されていたスラムは片付けられ、ゴミの分別場になっていた。


「ダルマサーラ@バクタプル(ネパール)」

カトマンズの東にあるバクタプルへ。カトマンズの谷に点在する主要な古都の一つ。カトマンズのダルマサーラ(この時はまだダルマサーラと呼ぶと思っていた)が商売などに使われているのに対し、バクタプルでは地域の休憩所として開放されている。多少傾斜のある地形。観光地として知られていて、海外からの観光客も多い。


「建築工事と廃墟@ゼッラ?地区(バクタプル・ネパール)」

バクタプルは2015年4月の震災で最も大きな被害があった街でもあるらしい。主要な観光エリアにも瓦礫が積まれていたり補修工事が行われていたりするが、少し奥(東)に行くと比較的広域に被災した地区での再建現場が広がる。働いている人たちの多くは女性や子供たち。柱を立てて間にレンガを積み、柱とレンガの壁を手がかりに上の層を施工する。相当ローテクに見えるが、柱の打設ではバイブレータが使われている。


「おじさんトランプ、犬昼寝、焼き物乾燥@ティミ (カトマンズの東・ネパール)」

少しだけティミ にも立ち寄ってもらう。焼き物で知られる街で、奥の方に行くと野焼きをしている。幅3m奥行き6m高さ2m弱の丘状の灰の塊から煙が上がる。隣では、焼き終わって中から焼き終わったものを取り出している。焼き物の町といっても、陶器の店が並んでいたりはしない。


「スラム@マノハラ橋の脇(マノハラ川・カトマンズ)」

バグマティ川の支流マノハラ川に国道3号線がわたるあたりに残るスラム。新しい道路工事が進められつつあるエリア。隣接する場所に井戸があって、そこで水を汲んでいる。電気を使っている様子はない。簡易な軸組と鉄板などで組まれているゾーンと、テント的な場所とがある。


「コンクリート打設中@ダルバールの少し西(パタン・ネパール)」

夕方、最終目的地のパタンへ。まずはチェックインをして、街へ。コンクリートを打設している現場に遭遇。洗面器みたいなのに入れたコンクリートをバケツリレー方式で流し込む。ここの型枠は鉄板。どこも現場の規模(建築面積)がとても小さい。


「プラカスさんの家@パタン(ネパール)」

暗くなる前に、プラカスさんの家を見せてもらう。階高がすごく低く絞られた4階建。特に1、2階が低く、屈まないといけないくらい。130年かそれ以上前に建てられたもので、3方を新しい建物に囲まれていたため地震で壊れずに済んだらしい。写真は3、4階部分。プラカスさんの個室は3階に、リビングダイニングが4階にある。
薄暗闇のダルバール地区を散策してこの日は終了。


3月26日(月)
「なんとなくの荷物検査で列@カトマンズ国内線ターミナル(カトマンズ・ネパール)」

丹下健三が計画した宗教都市・ルンビニへ。朝早い飛行機。国内線ターミナルには一般の車寄せはなくて、隣の駐車場でタクシーを降りてターミナルまで歩く。使い込まれた建物が味わい深い。階段状の屋根から採光を得る、というところは国際線ターミナルと共通。とても遅れるという噂だったが、ほぼ定刻で機内へ。と思ったら機内で1時間待ち。


「丹下健三設計のルンビニ博物館@ルンビニ(ネパール)」

バス停みたいなバイラワ空港からルンビニまではタクシーで30分。19世紀の末ごろ、お釈迦さま(ゴータマ・シッダールタ)生誕の地であることがわかったという小さな街。丹下健三が手がけたマルタープランの変遷は割と大きいみたい。結構な時間がかかっている。マスタープランといっても、生活の場としての都市デザインではなくて、各国の仏教寺院が点在するテーマパーク的エリア。南北に長い軸線。北の中心が、日本の日本山妙法寺。日本の寺がこれほどまでに重要な位置を得ているのはどうしてだろう。エリア内にホテルがあるのも日本だけ。


「マヤ・デヴィ寺院@ルンビニ(ネパール)」

南北に3ブロックに別れていて、北のブロックが妙法寺のあるところ。真ん中のブロックに各国の寺が点在し、南のブロックには仏陀生誕地のこの寺院を中心とした大きな円形の池がある。寺は遺跡の上に上屋をかけたもので、見学通路の上を歩く展示室のようなつくり。このゾーンでは靴を脱がなくてはならないが、石が敷かれたところは相当な高温。丹下健三の顔写真入りの看板もあった。この看板では設計期間は1972年〜1978ねんとある。


「欠航の表示もさりげなく@バイラワ空港(ネパール)」

18時発の飛行機なので16時すぎにタクシーで空港へ。17時前には空港で発券。カトマンズにもどって夕食っていう予定だったんだけれど、18時が近づいてもアナウンスがないので聞いてみると、19時半に変更になったという。はじめはまあそんなものかと思ったけれど、どんどん遅れる。案内板などはないので聞くしかない。途中、遅れた飛行機対応かカフェでただの焼きそばが振舞われたり、空港職員がコーラをついで回ったり。


「停電@バイラワ空港(ネパール)」

20時半をすぎて、ようやく手荷物検査後の待合室に。ここで初めて滑走路側の様子が見えるのだけれど、暗闇に目を凝らすものの機体は一つもない。。。ようやく21時半すぎに乗る飛行機がやってきた。その後は異常に早くて22時すぎには離陸。ホテルについて、無理を言ってモモ(ネパール餃子)を作ってもらって夕食に。ネパールでの日帰り移動では、本とかパソコンとかが必須なことを痛感。