曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2014年12月22日~28日

2014-12-28 | 日記
12月28日(日)
「通路@ナンバー11(コロンボ・スリランカ)」

早朝は豪雨だったけれど、出発する頃には止みかけている。朝一でJ・バワの自邸だったナンバー11へ。既存のリノベだった1期に始まり4期に渡る増築を経て現在の姿になったらしい。内部と外部とが混然となっている。1期のリビングと中庭の間に建具がない。聞くと、既存の建物に元々ついていなかったという。そんなはずは無いだろうと思うけれど、他のスタッフにも確認してくれて、やっぱり無かったと。ということは、内外が混然となるのはここでは割と普通?


「Mihidsenpura Housing Complex@ディマタゴダ駅近く(コロンボ・スリランカ)」

昼食もバワ建築(オシャレ観光地の高級カフェ風?)で済ませ、コロンボ中心部のスラム対策エリアへ。調査不足で、ここでのスラム対策の歴史がまだハッキリしていないけれど、中層(3,4層)や高層(10階とか12階とか)の公営住宅が、クリアランスした跡の土地に出来ているようだ。費用負担も小さくないので、ある程度収入が期待できている人達が多いのか、割と片付いている(というか、コロンボは他の国に比べて、繁華街なども片付いている。ちょっと、日本っぽい)。クリアランス前のエリア(スラム)も回ってみるが、インフラがない不法占拠的な印象の場所はほとんど無い。


「ケトル・ランプ@ルヌガンガ(ペントタ・スリランカ)」

この日の宿はルヌガンガ。バワが何十年もかけてつくった自邸(?、別荘?、理想郷?)。オン・シーズンは宿泊客に公開されている。ここは純粋に楽しい。思いついたことを次々とやってみていったのか、場の設えにもディテールにも、ゆっくりしていると気づくことも多い。3つの家に分散して宿泊。一つだけ離れたところに一人で泊まることに(この家にはもう一部屋あって、そこには高齢のイタリア人夫婦が泊まっていた)。夕食の場所まで懐中電灯を持って少し歩く。照明も楽しい。お腹の調子は相変わらずなので、この日もお茶。



12月27日(土)
「水回りからの風景@ホテルの客室(ダンブッラ・スリランカ)」

朝食を食べ、館内外建築探索。部屋のテレビのプロモーションでは「ここには、伝統が今も生きる」みたいなことを言っていたけれど、建築的体験はともかく、この建築の使い方(ホテルの運営)は大型リゾート的。やっぱり高級な感じはしない。朝食で若手はクレープやパンケーキを楽しんでいたけれど、それが正しそうだ。建物は、ワンアイデア建築ではあるけど、相手が壮大な自然なので豊かな変化が多様な居心地を生む。部屋の水回りは外の自然と一体化。写真はトイレに座ったときにみえる風景。右手奥がシャワー。


「Hotel Diya Daharaのレストラン@クルネガラ湖畔(クルネガラ・スリランカ)」

ホテルにジャケットを忘れる。で、結局みつからない(ちゃんと探してくれない)。あとで落ち着いて対処しよう。なんだかなあ、と思いつつ、気分転換をしないと気がめいると、車内でパソコンの作業をしようとするものの、路面が悪すぎて無理。途中の昼食(といっても4時)の店の風景がいいのが今日の救いか。隣で飲んでいた地元の若者たちがケンカをはじめ、ガラスが割れたりしている。割と激しい。


「LAFALA HOTEL@海辺のエリアの南の方(コロンボ・スリランカ)」

この日も、ホテルについたのは夜になってから。割と新しく、中国の人達対応が売り(?)の宿。ネットが遅い。繋がるんだから文句はない。残りの日程にあわせて洗濯。終わってからホテルのファイルを見るとランドリーサービスが安い。しまった。お腹が治らないので、ビオフェルミンを日に3回飲むことに。


12月26日(金)
「エアポート・シティ・ハブ・ホテル中庭@空港のすぐ東(ネゴンボ・スリランカ)」

6時半からのスカイプ会議に備えて早起き。接続先はたくさんあるけど、どれも繋がらない。雨が上がっても同じ。フロントの人はいろいろと言うけど、どうやら思いつくことを次々に言っているらしい。結局、接続のための努力を1時間以上やって成果無し。ネットあるっていうから選んだのに。リゾート感が売り?っぽいけど・・・。


「道路水没@ホテルを出て30分くらい?(スリランカ)」

車で、島の中央部付近を目指して北上。するとあっという間に、道路が冠水していて通れないところに。最初の50センチくらいのところは無理矢理通ったけれど、これは無理。昨日、空港で聞いたのはこれのことか。色々なやり取りを経て、追加料金を約束して、遠回りして向かうことに。所々で路面がボコボコになっていたり、小さな土砂崩れがあったりも。


「NIPPON CENTER@ケーガッラ(スリランカ)」

小さな街をいくつも通過する。写真は、キャンディの近く、ケーガッラ。車などは、日本メーカーの看板がとても多い。20世紀に頑張った成果が残っている感じか。液晶テレビや携帯電話などについては、日本メーカーの看板はまるで見ない。町並みが今日の日本を象徴している?。地方の小都市には、ゴチャゴチャした場所はあっても、スラム的な場所は見受けられない。


「フロント@ヘリタンス・カンダラマ・ホテル(ダンブッラ・スリランカ)」

アグレッシブなドライバーの努力で、ようやく8時前に到着。長引く悪天候のせいか悪路が続き、なかなか大変だった。レセプションはあくまで受付のみで、チェックインなどは奥のカフェっぽいところでテーブルを囲んでジュースを飲みながら。そこまではいいけど、レストランの雰囲気などは、高級ホテルという感じはしない。クリスマスによる演出過多も、ちょっと。。。岩と渾然一体となったオープンな(外気の空間)レセプションまわりのムードは魅力的。


12月25日(木)
「クリケット@ムンバイ大学前の広場(ムンバイ・インド)」

ホテルから旧市街フォート地区を歩く。マイダーン(広場)ではクリケットを楽しむ人たちが大量にいて、中心エリアにはみんなが守る信号もある。牛が少ない代わりに、観光客が多い。大きな建物が多いのも特徴。大きいというのも、普通に大きいばかりではなく、塊としての存在感の大きさ。チャイを飲んでホテルに戻る。


「ドービー・ガート@市街の北の方(ムンバイ・インド)」

ホテルで事務仕事をやっつけ、タクシーで空港に向かう。途中、手洗いの大洗濯場であるドービー・ガートに立ち寄ってもらう。シーツ専門など、場所によって分かれているみたい。ジーンズ専門のところはウォッシュ加工場?。


「チャットラパティー・シヴァージー国際空港@ムンバイ北部(ムンバイ・インド)」

インドの日々はあっという間に過ぎ、スリランカへ移動のため空港へ。昨晩到着したのは国内線ターミナル。今日は国際。造形的なデザイン。SOMの設計らしい。ビールを飲むのに丁度良い時間帯だけど、そういう気が起きない。禁酒の州が多いのも、お腹の調子の問題でそういう気にならない人が多いからか。若者は、お腹の調子が悪いと良いながらケンタッキーを食べている。


「機内食@Jet Airways機内(ムンバイ>コロンボ)」

2時間のフライトだけど機内食付き。アルミホイルで包まれたナンをカレーの蓋にすることで、暖かいナンが食べられるという配慮。が、まったく食べる気は起きず。コロンボの空港には日本人も多い。ロビーで出会った現地在住の日本人によると、何十年ぶりかの大雨で、洪水とか土砂崩れとかが大変らしい。なんとかホテルに着き、春から東工大附属高校の先生となった稲用さんと合流。雨のせいでネットが繋がりにくいらしい、というか繋がらない。


12月24日(水)
「車の方向転換@SPARCのオフィス近くの駐車場(プネ・インド)」

吉岡さんにもらった味噌汁とポカリで、少し良くなる。少し早めに行って屋台でお昼をという計画は無しにしてギリギリまで部屋に。その後、リキシャでSPARCのオフィスへ。数年前に同じメンバーで調査にリスボンスラム調査に行った際に知り合ったFilipeさんがここで活動をしていたことがあって、彼を通して紹介をしてもらった。待ち合わせ場所が大きな建物だったので、この中に一室あるのかとおもったら、その隣に立つ小振りな建物の最上階。


「Yerwadaのまち並み@プネの北部・空港近く(プネ・インド)」

アーメダバードでのMHTの活動に比べるとコンパクト。大資本に支えられているというわけでも無さそう。10%は住民負担で自分の好きな仕上げなどにできるからか、現地では家主の方々が家を自慢げに紹介してくれる。もっと色々と案内をしてくれそうだったのだけれど、時間やお腹のこともあり、一カ所のみの視察。最初に駐車場を出る際、車が詰まっていてなかなか出せない。後輪に石を置いているからどうするのかと思ったら、石の上にタイヤを載せて、人力で車を落としながら後部側をスライド。


「タクシー@ムンバイ空港(ムンバイ・インド)」

余裕をもってプネ空港に着くと、出発2時間遅れで更に余裕が。。。飛んだらあっという間にムンバイ。空港の様子からして近代的。オープンレストランのテーブルが並ぶターミナル前の広場前を横切り。プリペイドタクシーでホテルへ。荷物はルーフキャリアーに載せるだけで、ベルトで縛ったりはしない(!)。で、ドアミラーは見ない(閉じたまま)と豪語するドライバーは、運転もワイルド。ホテルに着いてキャリアを見たら、意外なことに全部あった。先入りしていたムンバイ調査班に薬などもらい寝る。


12月23日(火)
「IIM@ユニバーシティエリア(アーメダバード・インド)」

朝早くIIMへ(IIM見学を計画している方は、月金9時5時ってことで)。ホテルからは近くて、リキシャで40ルピー。三度目の正直。9時より早く着いたけど、フライングはオッケーらしい。コンクリートと煉瓦の組み合わせ方が、構法的にどうなっているのかが調査不足でわからない。帰国後に調べるか。丸い開口は、なんというかバカっぽく感じるのではと想像していたけど、そんなことはなかった。腰掛けやすい手すり壁とか居心地の良さそうな場が各所にある。一方、ちょっとフォトジェニックすぎるか。


「空港近くの様子@機上(アーメダバード>プネ)

ホテルの清算に手間取り(カードが使えない)、コルビュジエの繊維ビルは断念。空港に直行。ムンバイとプネの二班に分かれる。機上から見下ろすと、空港近くはスラムが集積しているみたい。その中に、規則正しく密度の高いエリアがある。MHTの活動の中に、州の建築基準(隣棟間隔とか廊下巾とか)を緩和することで単位敷地面積あたりの住戸数を倍増させるというものがあったけれど、その事例かも。機体はムンバイまで海岸沿いを南下してから、プネに向けて内陸に向かう。


「町並み@プネ(インド)」

夕方、プネ着。インド9番目の都市で、学園都市でもあるらしい。そのせいか、クラクションの音は少ないし、色々片付いている。動物の数も少ない。翌日に視察をお願いしている団体との待ち合わせ場所を確認がてら、ちょっと散策。ホテル近くのVaishali Restaurantで食事。後で調べると、有名なところみたい。その後、夜9時半頃、腹痛発症。頻繁にトイレに立ち、食べたものを戻す。悪寒がひどくて色々工夫を重ねながら、何とか睡眠。

http://timescity.com/pune/fc-road/south-indian-restaurant-vaishali-restaurant/57399

12月22日(月)
「レストランとジープ@Restaurant PAKVAN(アーメダバード・インド)」

スラムでさまざまな角度から居住環境対策を行っているMHT(Mahila Housing Sewa Trust)というNGOの活動を取材。午前はレクチャー。社会システムの前提が異なるので直接参考になる感じはしないけれど、街や建築の使い方の自由さに繋がる思考は興味深い。ターリと呼ばれるわんこそば形式のカレーのランチ(総じて辛くないカレーがたくさんの小皿に入っていて、減ると追加される)を経て、午後からは視察。視察用の車は写真の白いジープ。NGOの人達の他、地域の住民も一緒で、これに11人。まあ、高効率ということか。


「改善されたスラム@アーメダバード空港の近く(アーメダバード・インド)」

最初の視察先。建物の建て替えのほか、電球選定の助言で電気代を下げたり、住戸エリアの細街路網を舗装するようなこともしている。トイレ対策も大事。CBO(Community Based Organization)が地域の代表を選出して集落をまとめる。MHTがもともと女性の地位向上を目指している組織だからか(スタッフもみんな女性)、地域の代表も女性。日本人が珍しいのか、子ども達は写真を撮れとせがむ。


「公営住宅@アーメダバード駅の近く(アーメダバード・インド)」

次は市内にもどって国営住宅。インド南部のダム建設で立ち退きになった人達が入る。ここでもMHTがCBOをまとめている。天井も高くて、廊下の巾や階段回りが豊かで、居心地は良さそう。さらに、どんな風に改修したり用途を変えたりしても良いようで、一階の部屋が無理矢理ショップになっていたりもする。牛や山羊や犬も一緒に生活。各家庭毎のカスタマイズも楽しそう。ある意味、理想的な環境か。夕方、MHTのオフィスに戻って終了。ホテルの隣なんだけれど、街に出ることに。


「フード・フェスティバル@IIM(インド経営大学新キャンパス)」

カーン設計のIIMについたら、ちょうど見学時間が過ぎたところだとか。日本から来た建築関係者で今日見るしかない、って言ったものの、そういう人はたくさん来ると、にべもなく。となりの新キャンパスでやっていたフード・フェスティバルに入ってみる。入場料10ルピー(20円)。アーメダバード周辺の各地郷土料理の屋台が、ものすごい数並んでいる。フェスティバル会場からカーンの大学を見る。やっぱり、明日の朝頑張って見学か。ホテルの隣の不思議に高級そうなレストランで夕食。ここも酒は無し。

2014年12月15日~21日

2014-12-22 | 日記
12月21日(日)
「大きなドア@サンスカル・ケンドラ美術館(アーメダバード・インド)」

初日は街の理解から。朝からアーメダバード市内を回る。インド3回目の長谷川さんがタクシーに道の指示していて、動きはスムーズ。なんだけど、最初に行ったコルビュジエの繊維業者会館は日曜で閉館。館の人は、いかつい上に表情が変わらないんだけれど、割と親切。諦めて、サンスカル・ケンドラ美術館へ。ガーゴイルや屋外の設えとか工夫がたのしい。外壁などの仕上げの荒っぽさからは想像できないくらい、精度の高い扉のディテールも印象的。


「アート・ギャラリー(?)@グジャラート大学(アーメダバード・インド)」

その後、カーンのインド経営大学にもふられたりして(日曜は、ここも入れない)、ドーシの瞑想空間へ。ネットで検索するとギャラリーということになっているが・・・。それにしても、コルビュジエとカーンの両方に師事すると、こういう成長を遂げることもある、というわけか。といっても、ドーシの作風そのものも巾が広そう。徳島の新居さんの作風もこれとは異なるし。


「夜のサバーマティ川@フォーチュン・ランドマーク・ホテルの最上階レストラン(アーメダバード・インド)」

その後も色々と回って、マーケットでトイレットペーパーとかシャツとかを買って、ちょっと休憩してから、All India Disaster Mitigation Instituteの方々との会食。えらい人が出席するということだったので、さっきマーケットで買った襟付きのシャツで。北インド正統派料理の店らしい。グジャラートは禁酒の州ということで、レモンソーダ。スウィートかソルティかと聞かれ、甘くないのがソルティかと思ったら、本当に塩味だった。アース・マニュアル・プロジェクト展のことなどが話題になったり、インドと日本の歴史的繋がりになったり。酒無しで終了。サウジアラビアの練習だな。


12月20日(土)
「横浜の夜景@エアインディアの機内誌(デリー>アーメダバード)」

朝、成田へ。年末のバタバタのまま、なんとなく積み残しが多すぎる感もあるものの、インド&スリランカ視察へ出発。デリーでローカルに乗り換えて、アーメダバードへ向かう。乗換は割とギリギリ。エアインディアの機内誌をバラバラ捲っていたら横浜の夜景。でも、キャプションには東京のきらめく夜景、って書いてある。あれ?。読んでみると、禅がタイトルなんだけれど、大阪、京都、広島での、ギョウザ、たこ焼き、お好み焼きのことなどが話題。


「タラップ@エアインディアのエアバスA320(アーメダバードの空港)」

到着すると、前の方の扉はボーディングブリッジに繋がり、後ろの方の扉はタラップでバス経由。歩く距離はバスが短いけど、タラップの方がスムーズ。ある意味、合理的?。両替してプリペイドタクシー(見た感じは白タク)でホテルへ。なかなかハードルが高い。チェックインしたら夜11時すぎ。ホテルの周辺にはほぼ何もない。歩いて10分くらいのところにマクドナルドがあるから、少しは賑わいがあるのでは、ということで暗い道を行くと空いているのはマックだけ。インド最初の食事は、野菜バーガーセット(McVegie Twist Meal )。コロッケパンだった。


12月19日(金)
「空き地とベンチ@菊名駅の東」

朝一で、大学院の授業で取り組んでいる本覚寺へ学生たちとプレゼンに。結構な密度の提案になったと思うし、天台宗のことやお寺のことなどへの意識が深まった。昼から続く会議のために2時間くらい経ったところで途中退席。本覚寺から菊名駅まで歩く。このあたりは寺の集積地。そういうことや傾斜具合が関係するのか、途中に、いろいろと不思議な場所を発見。このベンチのレイアウトは、植栽を背に手品でも披露するんだろうか・・・。会議などが多すぎて、翌日からの出張準備やその前に済ませることが追いつかず、みかんぐみでの牡蠣パーティは欠席。


12月18日(木)
「ふのり@自宅」

授業など。このところ、朝、時間が取れるときに朝ご飯をつくるのが趣味というか気分転換というか。この間、美波町で買ってきた「ふのり」を味噌汁に入れる。気仙沼のふのりと比べると、磯の香りは弱めだけど、少し太くて歯ごたえがある。個人的には日和佐の方が好みか。


12月17日(水)
「版画@伊丹空港のラウンジ(大阪)」

朝おきて、ホテルの部屋で一人で空しく、ハッピーバースデーを歌い録画。某氏の還暦祝い用。某有名多忙事務所のスタッフ達が編集し演出に用いるらしい。
ホテルでは気仙沼大島のプロジェクトに関してもろもろ打ち合わせをして、昼前に空港に送ってもらう。伊丹市から出ずに羽田へ。滞在は伊丹のみ。こういうのも珍しい。チラッと見ると、この日の伊丹・新潟便は全便欠航。危ない危ない。羽田に着いて、空港のネットに繋いで急なスカイプミーティング。ギャラ間に行く予定の時間が取られてしまったが、それなりに意義深かったのでやむを得まい。表参道で別の打ち合わせなど。
写真は伊丹のJALラウンジにある版画。前から気になっていて聞いてみたら、百瀬寿さんという方の作品らしい。


12月16日(火)
「欠航案内@新潟空港(新潟)」

朝、新幹線で、新潟へ。水と土の芸術祭の打ち合わせ。少しずつ進展している(?)。昼は、事務局のとなりにある、とんかつ太郎に行ってみる。つけカツ丼発祥の地なんだけれど、カウンターに座ったところで、店内に漂うタレの甘い匂いがダメだなと思い直し、オーダー直前にロースカツ定食に変更。定食は、ナイフとフォークで切って、箸で食べる。何か一筋縄ではいかない。夕方まで打ち合わせをして、丹治さんに新潟空港まで送ってもらう。来てビックリ、これまでの便は全部欠航。だけど、最終便だけは飛ぶらしい。新潟の天気は問題無かったんだけれど、関西の強風が原因らしい。


「酒蔵通り@伊丹(兵庫)」

羽田空港から、みんなが打ち合わせをしている酒蔵通りの店へタクシーで。この通りのことは知らなかった。最初の店で打ち合わせをしながら食事をして、夜の通りを軽く散策してから、もう一軒。微妙にハリボテ感がにじむものの、ニトリにまで瓦の庇がついている。全体にオシャレ系リノベ居酒屋が多い。屋根の上がLEDで光っているのは。。。。


12月15日(月)
「ネコ@伊吹島(香川・観音寺)」

朝、東京駅近くのホテルを出て、朝一の新幹線で関西方面へ。ポイントで得たグリーンの席。隣が空いているから、コンセントもテーブルもダブルで、前の席が倒されてもパソコンの画面には影響ない。ホテルで十分に寝たので、車内はずっと作業。もうちょっと揺れないとスムーズなんだけれど。。。
観音寺には11時50分に着いて、13時30分の船で戻る。最短滞在時間。この時期、強風での欠航が多いらしいけれど(昨日もほとんど欠航したらしい)、何ともなくてよかった。滞在時間少なすぎて、撮った写真はネコのみ。

2014年12月8日~14日

2014-12-15 | 日記
12月14日(日)
「気仙沼大島@亀山展望台(気仙沼大島)」

関西学院大の長峯先生、中央大学の細野先生と朝一のレンタカー屋で待ち合わせ、気仙沼へ。そこかしこで工事が進む。土木も建築も、とにかく様々。こういう様子を見ていると、首都圏で建設需要を無理に増やしている人たちの神経を疑う。知らないはずはないだろうに。亀山山頂に登ると、いつにも増して美しい風景。ここまでの「足」をどのようなかたちで確保するのかも課題。


「海鮮丼@小田の浜近くの食堂(気仙沼大島)」

昼食の店で学生たちとも合流。午後は地元の方々を交えてのワークショップ。細野先生のレクチャーに刺激されてか、古典的な野菜(カブと呼ばれているけど、カブの仲間ではないらしい)や高品質の干し柿の生産など、新しい取り組みが紹介される。たくさん売れれば良いではなくて、ブランド力アップの時代か。



「竹の楽器@小田の浜近く(気仙沼大島)」

遅い新幹線になったし、移動の多すぎる日々のただ中なので、ちょっと贅沢して東京駅近くに泊まる。さらに贅沢して、翌朝始発の新幹線はグリーンを予約。といっても、EXICカードのたまったポイントを使ったのでお金はかかっていないけど。
写真は、学生たちが設置した竹のインスタレーション。夏に造った茶室(?)を移築させてもらっている土地に。風が吹くとカラカラと鳴る。


12月13日(土)
「イチョウ@関内大通り(横浜)」

家での作業の後、JIA神奈川の研究会がダブルヘッダー。新市庁舎研究会は飯田善彦さんの事務所で、その後の現市庁舎及び周辺についての研究会は山手総研さんの事務所で。こういったことへの向き合い方には、割と個性が強く出るのも興味深いし、地域の事情への理解も進む。翌日に備えて仙台まで移動。
研究会の資料の記録写真しか撮っていなかった。写真は昨日の見学会でとった紅葉する関内大通り。


12月12日(金)
「エントランス@弁天通3丁目第2共同ビル(公社ビル)(関内・横浜)」

JIA神奈川防火帯建築研究会の企画で見学会。県住宅公社が手がけた防火帯建築。防火建築帯ではなくて防火帯建築という位置づけにも奥の深さがあるけど、この建物は当時の公社の実験的要素が含まれていて、関心が高まる。暮らしをめぐる快適さは、物質的な性能ではなくて空間的な性能で得る。日本の伝統とも関連させつつ多様な水準での創意工夫がなされている。たのしい。これがなくなるのは残念・・・。プライバシーにかかわる写真のアップは禁止なので、エントランスの写真のみ。
夜は木島千嘉さんを招いて講演会。不思議な立体空間と生活を巡るロジックとの関係が木島式か。昭和レトロな店で打ち上げ。


12月11日(木)
「加湿器@研究室(神奈川大学)

朝から昼休みもなく色々なことが続く。夜はゼミ。学生の机には不思議なものが。加湿器らしい。室内に打ち水をしたほうがいい、っていうものの、学生たちは冗談だと思っているみたい。30年ほど前、中国西部を旅行している時には、ときどきそうしていた。何しろ、ホテル(?)の内装は床壁天井が塗装もないコンクリートという刑務所仕様で、気候的にとても乾燥していたので。


12月10日(水)
「石毛ビルと石井ビル@田町」

朝、東京に戻り、サウジアラビアの査証申請へ。国際交流基金の人と、査証受付のオフィスが入る石井ビルの前で待ち合わせ。となりは石毛ビル。関係無いか。
査証申請では1万5千円近い手数料を取られ、さらに両手の指紋まで採られる。時間はインドの時ほどは取られなかったか。午後は大学で会議。なかなか面白い展開になってきた、ということにしておこう。


12月9日(火)
「大三島@機中(羽田>熊本)」

サンロードでのワークショップなどのために九州へ。ついでに、先日の熊本の時に行き損ねた、熊本市内での打ち合わせを済ませる。昼の間に小倉方面へ。
天気が凄く良くて、機中から見下ろすと、横浜では自宅や大学の建物もみえる。瀬戸内海上空を横断していて、しまなみ海道の全体像も。大三島では伊東豊雄建築ミュージアムを特定しようと思ったんだけれど、自然に馴染みすぎていて見つからない。。。


「清家清作品群@九州工大(北九州)」

アシスタントの面々と合流し、サンロードの件での相談のために、九工大の伊東研究室を訪ねる。せっかくなので清家建築をちょっとだけ見学してから。東工大助手時代の同僚だった佐久間先生にもばったり出会う。何年ぶりだろう。その後、伊東先生の手がけるプロジェクトというか実験的活動というかの一端をみせていただく。校地内での大学資産を使い倒した研究の様子がとてもいい。神奈川大学はキレイすぎるな。公園再生の事例を見せてもらってから小倉へ。


「おでんの屋台@三番街

旦過市場でつまみ食いをしてから、ワークショップ。通りの公園化については、割と積極的な意見もあって勇気づけられる。美波で活躍中の学生が、久しぶりに小倉に。なんだか、色々な意味でとても良い感じ。
伊東先生、徳田先生たちと、メルカートとなりの空き地に出来たワインバーで飲む。


12月8日(月)
「細長い空き地@港北小学校前交差点(妙蓮寺近く)」

いろいろな場所での打ち合わせ。
夜、家の近所の交差点を通りがかると、なんとなくグシャッとしていた交差点脇の土地が片付けられている。建物を建てるには細長すぎるけど、どうするんだろう。


2014年12月1日~7日

2014-12-07 | 日記
12月7日(日)
「ベッドの部材@FAVOR(名古屋)」

少し前に買っておいたウェグナーのデイベッド。来客用にってことで押さえておいたものの、そろそろファブリックとかを決めなくては、ということに。年内に名古屋に行けるとするとこの日しかないってことで、急遽、名古屋へ。昼前について(割と並んで)ひつまぶしを食べ、家具屋さんでばらしてある部材の確認とファブリックの検討を済ませ、手羽先を食べて帰る。


12月6日(土)
「ネコ@谷邸前(美波・徳島)」

寒い。車のフロントグラスが凍結していてスタートに手間取る。コンビニ前で簡単な朝食を取っていたら、携帯に地震の緊急警報。ビックリしていたら、一緒にいた学生が避難訓練だと教えてくれる。古い廻船問屋の谷邸を見学させてもらい、帰路に。谷邸にはいろいろと興味深い部分があったけれど、一応アップするのは自粛。


12月5日(金)
「カウントダウン@美波町タウンホール(美波・徳島)」

朝一で授業をやってから、学生と美波町へと急ぐ。夕方からの景観に関するミーティングの後、まちづくりラボ。今回は、地域の方々のやってみたいことの発表。想像を遙かに超える盛り上がり。ゲストで参加してもらった仏生山(高松)の岡昇平さん、徳島大学の真田先生の組み合わせもピッタリ。夜遅くまで飲みつつ、役場の方々とこの先の打ち合わせ。


12月4日(木)
「ナット回し@自宅」

授業。借りていたナット回しを返却。自宅のとある部品がナットが錆びていて取り外せないので新品に買い換えるしかないと言われて、試しにインパクトドライバーにつけるナット回しで、って思ったんだけれど、錆びてるんじゃなくてナットの山が丸くなっていて引っかからなかった。結局、無償で交換してもらうことになったわけだけど。。。。プロの仕事ってなんだ?。


12月3日(水)
「テーブル@八潮T邸(八潮・埼玉)」

朝一で八潮に向かい、昨年研究室で設計したT邸の1年検査。5大学の学生たちと制作をした部分なども、ほぼ問題なし。施主がもともと持っていたステンドグラスを用いたテーブル。学生がデザインしたもの。完成品をみるのは、実ははじめて。5.5ミリのシナ合板でつくった引き戸(9ミリ角を引き手兼反り止めで着けた)も反っていない。昼食に誘ってもらうものの、大学での用事があり先に移動。


「おでん@六角橋商店街(白楽・横浜)」

デザインコースの先生方と打ち合わせ後、その晩、六角橋商店街のゲートデザインについての審査会(学生たちがデザインしたものが実現する)があるということで、重村先生とおでん屋さんで飲みながらその結果待ち。その後、同じ商店街内のワインバーへ。いずれも個性あるれる酒場。夜の六角橋商店街は、もっと探索を重ねなければ。


12月2日(火)
「イチョウの葉@神奈川大学(六角橋・横浜)」

委員会など。大学でもイチョウの落ち葉。熊本県庁のようなふっくらと敷き詰められるようになるのには、並木の配置だけじゃなくて、風の吹き方にも影響を受けるみたい。


12月1日(月)
「竹鶴@自宅」

外での用事が少なくて、たまった原稿などが進む。打ち合わせからの帰りに竹鶴っていうハイボールの缶を見つけて買ってみる。NHKの連ドラになっている割りには、あまり販促には生かされていないような。。。

2014年11月24日~30日

2014-12-01 | 日記
11月30日(日)
「あけぼの保育園@八代(熊本)」

一足先に県の方と八代へ。そろそろ15年になる高田あけぼの保育園へ。中庭部分のウッドデッキが一部傷んでいる。マットを敷いた下で腐食が進むみたい。対応策を提案することに。少し遅れてアートポリス見学ツアーの面々が大型バス2台に分乗して到着。アジアの建築家(プロ)が多いからか、構造や空調の仕組みにも質問が及ぶ。木造での試みや協同の実践など、総じてアジアの方々には評判がいいみたい。


「未来の森ミュージアム@八代(熊本)」

消防署を経て、博物館へ。いずれも伊東事務所での担当プロジェクト。伊東さんが参加できなかったので、これらも解説。今日は、だいたい15年前>20年前>25年前と、担当プロジェクトをさかのぼるかんじ。それにしても、こんなものの監理を良くやったなあと思うが、施工業者の方々がすばらしかったということだな。バスのエンジンがかからないとか様々なトラブルにも味付けされて、思い出深い視察となった。夜、横浜に戻る。


11月29日(土)
「イチョウの参道@熊本県庁(熊本)」

盛りだくさんなアートポリスイベントの始まり。予定表は分刻み。阿蘇温泉病院の実現を前提としたコンペ審査がイベントの中心。九州の大学生たちと、招待したアジア各国からの建築関係研究室のみなさん。ちょっとでも気を抜くと時間的にも破綻するので、いつも以上に緊張感がみなぎる。午後からは全て英語への通訳付き。
写真は県庁のイチョウ並木。何年か前にもブログに載せた気がするけれど、ずっと前、細川知事の時代からの習慣。落ち葉を踏みしめながら歩くのがいい、ということで、落ち葉はそのままにしておく。美しい。


「審査会場@県庁のホール(熊本)」

伊東豊雄さんが審査に参加できなかったので、最優秀は決めずに優秀賞を二つ決めて、最終判断は後日、伊東さんにしてもらう。提案は切り口がそれぞれ違っているし、海外からの作品はプレゼンもすばらしくて、なかなか難しい審査。小さな建物とはいえ、温泉病院のこの先を左右する大事なものだし。大きくタイプの異なる、ガジャマダ大学の提案と延世大学の提案を選ぶことに。その後はシンポジウム。司会をしたんだけど、なかなか興味深い話しに。シナリオがあるんじゃないかって思えるくらいまとまっていたし。懇親会も盛り上がり、国際交流型の可能性の大きさを確認してお開き。


11月28日(金)
「くまもんピンバッジ@熊本県庁(熊本)」

朝一で本八幡で打ち合わせをしてから熊本へ。くまもとアートポリスの審査会&シンポジウムの前日準備へ。コンペ提出作品への事前の意見交換など。今回はピンバッジとジャンパーが新たにつくられていて、アドバイザーのわれわれにも配られる。明日は、クマモンバッジを着けたクマモンジャンパーでいこうと決意。


11月27日(木)
「予備室の半分を工房化@自宅」

床下収納の空気を最上階に上げるためにパイプファンを着けたダクトで繋いでいるんだけれど、これの能力不足(換気風量とダクト断面)が竣工以来の課題。これの大型化をすることを決意し、換気扇を購入。というか換気扇はずっと前に買っておいたんだけれど、作業をはじめるのを決意。数字上は風量が10倍以上になる。で、予備室と呼んでいる部屋の一部をいらない布などで区画して工房に。完成はいつになるか(元々あったダクトは既に撤去済み)。


11月26日(水)
「関空(大阪)」

朝早く和歌山からバスで関空へ。朝靄に伸びるターミナルビル。何度みても格好いい。どうやら羽田に着く朝一番の便らしいが、結構混んでいる。アートフロントギャラリーでの打ち合わせや大学での委員会が続く一日。


11月25日(火)
「湯浅城@湯浅(和歌山)」

朝、ホテル見学。部屋は回廊側だったので、天守閣にのぼってみる。最上階は展望バルコニー、4階が資料館(閉鎖中)、2,3階が客室。1階がレストラン。2、3階では、2階の方がエレベータホールが広かったりするので、部屋の奥行きはそんなに変わらなさそう。もともと隣の丘の上に山城があったらしいが、かたちは全く違うはず。徳島の日和佐にも、中はオフィスビルみたいなRC造の天守閣がある。日和佐も山城の記録はあるけど天守閣じゃなかったはず。ユアサとヒワサ。なんだか音も近い。海を挟んで向かい合わせ。何か通じるものがあるか。


「しらす丼@かどや(湯浅・和歌山)」

午前中、伝建地区の視察。元々の姿に戻したので伝統的な建物になっているというものばかりではなく、伝統的な方法を採用して外壁を改修すれば補助対象というのに驚く。新築でも伝統的工法によれば下地なども補助対象。講演会前に昼食。昨晩食べ損ねた「しらす丼」。偶然、同じ店。野望がさっそく達成され、午後の講演会へ。講演会を終え、和歌山市へと移動。


「みその商店街@和歌山(和歌山)」

これからリノベを進めようという「ぶらくり丁商店街」など街中を案内してもらう。大きな商業ビルの一階が駐輪場になっていたりしてビックリ。最後にいったのが「みその商店街」。ここは凄い。NPOの活動支援を目的とする「わかやまNPOセンター」を核に、高齢者生活支援、障害者就労支援、こどもの広場など14(だったかな)のNPOが空き家に入る。一部の店舗空間ではあるけれど、アーケード全体が社会企業化促進基地のように思えてくる。機会を見つけて詳細に調べてみたい。夜も講演会。21時過ぎに終了。県庁職員など行政サイドが、慎重さよりも積極性を優先して活動している様子もすばらしい。


11月24日(月・祝)
「ドリンクホルダー@特急くろしお(白浜>湯浅)」

夕方の飛行機で和歌山へ。はじめての南紀白浜空港から白浜駅までタクシーで向かい、乗り換え時間数分で特急に乗り換え。タイミングがよくて湯浅には夜7時過ぎに到着。駅の近くを少しだけ探索して、駅の近くにある「かどや」で飲む。色々と頼んだ後、置いてあったチラシなどをみると「しらす丼」発祥の店らしい。これ以上は食べられない。残念。次回に取っておくことに。タクシーで天守閣型国民宿舎・湯浅城へ。
特急くろしおのテーブルには、缶用とワンカップ用の二つの凹みがある。