曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

加西市+上勝町

2006-09-27 | インポート

9月14日(木)


19日からはじまる韓国でのワークショップの前に、ゼミプロジェクト対象地である加西市上勝町にいくことになった。
助手の中林さん、学生3人とともに車で向かう。11時に出発し、夕方6時過ぎに加西市に到着。長かったけれど、運転は学生とかわりばんこで、ともかく無事に到着。実は前回、夜の加西市を体験できなかったので、いまひとつ加西市のことが判っていないようなモヤモヤがあって、今回はそれを解消するために、夜の加西市を散策することにした。それで、こういう時間帯に移動したわけだ。


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夜の酒見寺。


宿(街から少し離れている)から街に向かう途中、タクシーの運転手さんに、古い町並みの中にある店で夕食を食べようと思っているっていったら、そういうものは無いなあ、というリアクション。そんなはずはないだろう、と思ったんだけど、本当だった。7時過ぎで既にかなり暗い。しかし不思議なもので、暗くても、道の幅や僅かな曲がり方のせいか、それなりのたたずまいが感じられる。


真っ暗な中で酒見寺で、夜の引聲会式というのをやっていて、突然怪しく盛り上がっている。なんだか秘密っぽいかんじ。

9月15日(金)


市役所に集合して、市長さんとちょっとだけ話をして、町並み保存を頑張っている北条まちづくり協議会の人につれられて町並み探索へ向かう。
改修工事の最中だったり、明日から解体だったり、この町並みの将来も安心できないようだ。見学させてもらった元本屋の本棚には、何十年も前の本がホコリをかぶったまま残されていた。こういう建物の有効活用はいろいろあるはずだけれど、なかなかうまくいかない。耐震上の問題がよく言われるけれど(もちろん無縁じゃないけど)それは大抵自己弁明。古いものに愛着を感じるよりも、手入れとか設備とかの面倒臭さが優先されているということだろう。本棚の本を持って行っていいといわれ、農業に関する薄い本を一冊おみやげにいただいた。


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取り壊される直前の民家。元本屋。さらにその前は旅籠だったらしい。


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梅六園の看板。「おかげさまで240年」の看板が既に古い。



まちでは「結納屋」という看板が所々で目に入る。結婚式の準備などをするのかと思ったら、そうではなくて、結納に使う飾りや道具を売る店らしい。そんな専門色の強い店が、この町並みの中に3店舗あった。街の人は「え?これ珍しいの?」というリアクション。
中では店の人が、水引を使って飾りをつくっている。使い方がイメージできないくらい大きいものもある。ゴージャスな感じがエキゾチック。この町並みの保存に一役買うようなネタになるかも。


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結納屋。そういう商売があるらしい。この僅かな商店の中に、3店舗も。


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水引でつくるゴージャスな飾り。いろいろなタイプがある。



町並みの外れには、五百羅漢という石像が大量にならぶ庭園がある。誰がいつどういう目的でつくったのか判らないそうだ。昔は、適当にごろごろ転がっていたらしい。表情がとても不思議。


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五百羅漢。みんな顔がちがってる。


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富久錦。一部の古い工場を改修してレストランになっている。


昼の時間に合わせて、富久錦の工場に向かう。ここは、加西の米と加西の水を使って酒を造っている、こだわりの老舗。社長の話がストレートでおもしろい。
酒米の田んぼは、加西市の谷を丸ごと一つ分契約しているらしい。無農薬化のコントロールなど、そうしないと意味がないそうだ。古い工場をリノベーションしてつくった、土産物屋兼レストランで昼食をいただいたのだけれど、どうやら素材全部にこだわってやっているみたい。
この建物だって、たいていの人は、壊して建てた方が安い、とかいいそうなくらい気を配った改修になっている。ラベルのグラフィックなどデザインも美しい。これは流行るな。お酒もおいしい。おみやげに4合ビンが二本セットになったのを購入。茶色いガラスに小さくて派手なラベルが貼ってあるだけのものが二本、縄でしばってある。たたずまいがいい。



その後も、少し街をまわって、市役所にもどってミーティング。どのプロジェクトから手をつけるのかとか、どのように進めて行くのかとかは、これから考えて行く感じ。市長もおもしろいし(結局、まちづくりは関わっている人たちの個人の資質によるところが大きい)、ほとんど知られていないものの、いろいろなタイプの特徴にも恵まれている。これからが楽しみだ。


さて、で、市の方々には黙ってたんですが(別に隠すことも無いんだけれど)、夕方のミーティングを終えて、上勝(徳島)に向かったのでした。途中うどんを食べて(讃岐っぽくはない)、ガソリンスタンドでは「上勝は道が細くガケなので、道を間違えたらUターンもできない大変なところだよ」と脅かされながらも、順調に9時に到着。小学校を改修してつくった宿で、おみやげに買った富久錦も飲んでしまったのでした。


9月16日(土)


小学校の教室で目が覚める、という体験ができると思っていたが、実にキレイに内装が仕上げられていて、起きた瞬間は学校だとは思わなかった。でもまあ、玄関とかトイレとか、所々、学校っぽい痕跡はある。

町の人が迎えにきてくれて、探索開始。
来年上勝で行われるアートプロジェクトに参加するのだけれど、今日はそのための敷地選び。上勝の道について、昨日はガソリンスタンドのおやじが脅かすほど大変じゃないよなあ、と思っていたんだけれど、彼は正しかった。道は軽トラサイズ。杉林のみが大胆なスケールで広がっているのだけれど、それ以外は、田んぼも道も茶畑もみんなちいさい。ちいさいというか、細かく分節されている。茶畑は、それ専用の場所があるのではなくて、土手とかあぜ道とかに、何気なく生えていて、ある時期に突然町の人が、それを収穫するのだそうだ。上勝緑茶という半発酵のお茶で、ちょっと変わっている。体にいいらしい。

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山の楽校(旧称「自然の家あさひ」)。もと小学校の宿泊施設。

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棚田は美しいが、こういう、隙間が田んぼになってるのもたのしい。

上勝町はゴミ問題への対応でも有名らしい。
ゼロ・ウェイストというタイトルで、34種類に分別しリサイクルを積極的に進めている。何も捨てない、っていうのがテーマらしい。キャップしか入ってない箱とか、ライターしか入ってない箱とかをみていると、藤浩志さんの作品を思い出す、っていうか、これはほとんどアートだ。

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ゼロ・ウェイスト宣言。藤浩志さんのプロジェクトに展開可能か?

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ゴミは35種類に分別。しかも実質は44種類らしい。

で、山の中の敷地候補の全13カ所を見て、最後に事務所に戻ったのが午後3時。学生たちは、細くてガードレールも無くて舗装もない気を使う道の運転で大変だったと思う(ぼくは役場の人の車だったので、運転してない)。
その事務所というのが、またまた小学校のリノベーション。一階にいろいろな事務所が入っていて、二階は集合住宅。小学校を集合住宅にしたのははじめて見たなあ。ただ残念なのが、あまりにもキレイに改修されていること。あまり痕跡が残ってない。黒板とか照明とか手洗いとか、いかにも小学校的な部分をもっと生かすとおもしろいのになあと思う。っていうか、みかんぐみに設計させてくれ。
4時頃出発して、横浜周辺に戻ってきたのが1時くらい。長旅、おつかれさまでした。

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もと小学校の集合住宅と事務所の複合建築。

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学校の廊下だったはずが集合住宅の廊下に。





邑楽町に対する建築家集団訴訟

2006-09-12 | インポート

 9月11日(月) 


邑楽町といえば、役場庁舎のコンペのとき話題となり(かなり多くの建築家が参加したはずだ)、最優秀案として選出された山本理顕さんの案で話題となり(自由に組み替えられるユニットを積み上げてできるというもので、ギャラリー間での展覧会のときには、実物ユニットが中庭に置かれていたし、チラシもポスターもこのプロジェクトだった)、それが町長が代わったことでいつの間にか別の人が設計することになってしまったというので話題になり、そしてそのために山本さんが町を相手に訴訟を起こしたというので話題になった。


もう十分話題の町なわけだけれど、今回ついに、建築家の仕事をめぐる役所的体質を問題にした集団訴訟がはじまった。訴訟という形式としては「邑楽町のコンペに参加した建築家たちは、コンペの公平性を信じたからこそ案をまとめるための無償の努力を自らに課してきたわけで、誰がつくるかわからないようなコンペであったら、そんな無償の努力なんてするわけ無いじゃん。仮に専門職のぼくたちに委託研究みたいに提案書の提出を求めたら、それなりのフィーが必要なものなんだけど、知ってる?」っていうもので、つまり、町はわれわれに、提案書を委託したときに必要な金額を、支払う義務がある、っていうもの。

で、真相というか深層としては、役所的な、つまり、閉鎖的(非市民的)で手続論的(非本質的)で独善的(非公正的)な体質が、つまり、これまで通りのことを何となく続けて、税金の有効活用とか市民のためっていうよりは、保身あるいは売名的なほうに向かってしまうような体質が、どれだけ建築や、建築が集まってつくる都市景観をひどいものにしてしまっているのかを問おう、というものだ。

役所的っていういいかたがこんなことを意味してしまうこと自体、かなり悲劇的だけれど、一握りの役所的体質の役所の人が、こういう状況を維持してしまっているわけだ(ぼくの知っている、大半の役所の職員の人たちは、町をより良くしようと努力をしている)。

そういう意味で、ものができ上がるプロセスに無配慮なのはいかにも役所的なわけだけれど、この問題、ここ数ヶ月で一番腹も立ったし、あきれて失望もした、北九州デザイン塾の話と、とってもよくシンクロしている。デザイン塾の方は、結局、市への質問への回答はないまま(=無視されたまま)なのだけれど、学生たちが知らないままでいるのはあまりにもおかしいので、ぼくの方から「どうやら、デザイン塾は実践されないことになったみたい」と報告をした。
何人かの学生たちから返信が来たのだけれど、みんなに共通しているのは、

(1)とても残念だけれど良い体験ができたと思う。
(2)市からなんの報告もないのは残念だ(授業との調整だって大変だったのに)。
(3)役所のやることなんだから、こんなものかと思う。

の3点。
問題は最後のコメントだ。人によって言葉は違っていて「やっぱりな、と思った」とか「結局こんなもんなんだろうな」とか「それほど信頼してなかったけれど落胆はした」とか、若くてチャレンジングに頑張ってきた人たちを、一気にあきらめさせてしまっているのだ。

邑楽町への集団訴訟は、この役所的対応に対するあきらめの構造と、それによって引き起こされる都市(景観も空間も)の質の低下を問題にしているということもできる。


それにしても、政治的にうまく立ち回ることをせず、面倒だからまあいいかと目をつぶることも無く、おかしいと思うことに自信をもって立ち向かう山本さんに、敬意を表したいです。野武士は、いまも野武士だった、ってことか。
(みかんぐみからは、竹内とぼくとが原告として参加してますが、訴状では、竹内が代表になってます)


※下のリンクをクリックすると、PDFファイルが開きます。
設計者集団訴訟訴状完成版060911.pdf
邑楽町呼びかけ文.pdf




みかんぐみのお仕事2:横浜のアートプロジェクト編

2006-09-07 | インポート

以前予告をしたままだった、「みかんぐみのお仕事2」ですが、横浜のアートプロジェクト編ということで、いくつか紹介したいと思います。アートプロジェクトなんだけど、なぜか今のところ、全て健在。まあ、捨てにくいってことでしょうね。
(今日は日記的になりえないので、日付の代わりに作品名)
※「みかんぐみのお仕事1」はこちら


マナイタハウス


BankARTで一番始めにつくったのが、これ。
抗菌まな板でできたカフェブースですね。下見板張りディテールです。100円ショップのは薄すぎて、300円のにしましたが、ともかく安いまな板が700枚。つまり仕上げ材が21万円分。不思議なことに、大元の原料であるポリプロピレンの板で仕上げるよりも安くつきます。それに、抗菌なので「清潔なカフェにしたい」という要望にもばっちり。まな板は、カウンタ天板のものも壁のものも、簡単に外すことができるので、調理の手伝いもできるし、トレー代わりに使うことも可能。BankART NYKのパブで現在も使用中です。

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マナイタハウス全景。

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マナイタハウスディテール。




チラシブース


これもマナイタハウスと一緒につくった作品。
チラシを入れる入れ物ですね。
よく、小学校の保健室などで目隠し用に使われている可動間仕切りがあるんですが、それを買ってきて、もともとついている布の部分を取り外して、特注ビニールシートを張ったのがこれ。大量のチラシを一気に見ることが可能なだけでなく、チラシの配置で大きなパターンをつくったり、裏側に回り込むと、チラシの裏のマニアックな情報を読むことができるので、マニヤ部屋も演出可能。同じものをあとでみかんぐみでもつくって、現在も使用中です。


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チラシブース表。


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チラシブース裏。




ハンガートンネル


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ハンガートンネル全景(夜景)


文字通り、ハンガーでつくったトンネルです。
BankART NYKのアプローチ。2万本くらいのハンガーを使ってつくりました。見た目単純な四角錐トラスですが、ハンガーをどうやって組み合わせると、無駄のない四角錐トラスが生み出されるのかが大変なところです。寸法上のたまたまの偶然もあって、うまいこといってます。接合につかっているのは、結束線とハッカー。つまり、鉄筋コンクリート造の時に、鉄筋同士をつなぎ合わせるのにつかう道具です。針金を回して、ハッカーっていう、金属の道具を使って、クルクルっとよじる。これも、いまも健在。BankART NYKに行けば、体験できます。



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ハンガートンネル、製作方法。




銀行美術蒸気温泉


ちょうど一年前、横浜トリエンナーレっていうのが行われたんですが、その時にBankARTで、BankART Life展っていうのが企画されました。トリエンナーレのボランティアとか、遠くから来た人を、展覧会場で引き受けよう、っていう趣旨の展覧会です。
いろいろなアーティストが宿泊のためのしつらえをつくるなか、ぼくたちはお風呂(サウナ)とバーベキュー台をつくりました。まあ、まずは暖まって旨いモン食おうよ、っていう趣旨ですね。思いっきり焼いた石を室内に入れて、水をかけて高温の蒸気をつくるっていう仕組みのサウナ部屋(でも、なかなか暖かくならない)と、脱衣休憩室と、バーベキュー台が二つついたキッチンユニットの3台をつくりました。あ、あと、これはみかんぐみで最初の組積造でした。


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銀行美術蒸気温泉全景。


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銀行美術蒸気温泉サウナ内部。




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横浜トリエンナーレ、FMヨコトリ屋台。


FMヨコトリラジオ屋台



横浜トリエンナーレの参加作家・大榎淳さんが、いろいろなところに出て行って超ローカルラジオの公開収録をするための可動型ラジオスタジオ屋台。
いつの間にか横浜トリエンナーレの主要(?)アイテムになっていた、ブルーのカラーコーンをまとっています。単にまとっているだけでなくて、開いた時のテーブルの脚になったり(カラーコーンの高さは、ちょうどテーブルの高さ)、チラシ入れになったり、いろいろな役目を引き受けている、というわけ。大榎さんは東京経済大学の先生なのだけれど、この屋台、まだ、経済大にあります(たぶん)。




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横浜トリエンナーレ、チケットブース。


横浜トリエンナーレチケットブース



トリエンナーレの期間中、元町中華街駅のコンコース内で使われていたチケットブース。
考え方はラジオ屋台と同じ。カラーコーンを足下から切断してできた穴を通して、チケットとお金のやり取りをします。夕方6時までの営業で、それ以降は、トリエンナーレを見に来た家族連れが、勝手に「顔ハメ看板」としてつかってました。あの、昔の観光地によくあった、あれです。これは、たまたまぼくが去年客員教授をやっていた、名古屋芸術大学にあります(たぶん)。