曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2018年3月5日~3月11日

2018-03-13 | 日記
3月11日(日)
「船が埋め尽くす海@馬山のホテル(昌原)」

ホテルの窓からは海。海面を多い尽くすかのような船。中には朝の(?)船とは思えないスピードで動くものも。
朝から、許先生のディープな解説付きで馬山歴史視察。馬山の近代史を、今日の状況から読み解いて行く。最初は、韓国民主化の先駆けとなった四月革命のシンボル金朱烈の遺体が発見された埠頭から。公園としての整備はこれからだけれど、部分的に歴史資料が紹介されている。


「大工の家@馬山(昌原)」

日本統治時代に作られた街並みや建物をまわる。写真の建物は、馬山で一番の豪邸(政治家で実業家だったか)を作るにあたって日本からやってきた大工さんが、まずは自分の家をつくった、というもの。豪邸の方は残っていないけれど、こちらは現存。統治時代、このエリアには西日本から入った人たちが多かったようで、豪邸の庭などで西日本的な仕様も垣間見られるらしい。


「1938築のもつ鍋屋@鎮海(昌原)」

昼過ぎには鎮海へと移動。統治時代の民家を改修したもつ鍋屋で、鎮海都市史のレク兼昼食を経て、鎮海視察。鎮海は3つのロータリーを組み合わせた放射状の街路が特徴的な軍港都市。元々の住民は少し離れた場所・慶和洞に移され、新町建設が始まった。桜でも有名な街で、韓国国内の桜前線はここが基準だとか。たしかに町中が桜の木。


「真ん中のロータリー@鎮海展望台(鎮海)」

中央のロータリーの真ん中には、もともと堂木(タンナム)の巨木が立っていて、往時には、その木陰で疲れを癒したりしたらしい。奥にみえるのは齊藤(チェドゥン)湾。海軍大臣齊藤実にちなんだ名前らしいが、今日も元の意味はわからないもののチェドゥンと呼ばれているらしい。他にも、意味はわからなくても名前が残っている例がある。


「タコ(は食べてない)@チャガルチ(釜山)」

あっという間に時間切れ。バスだと時間が勿体無いということで、タクシーで釜山へ。馬山や鎮海で地図が買えなかったので、グーグルマップで「釜山で一番大きな本屋」という書き込みを信じてロッテ百貨店の本屋に行くが全然ダメ。。。夜道を歩き、チャガルチ駅近くにある本屋に行ってみたら、どういうわけか地図専門書店。ここは今後も役にたちそう。
チャガルチ市場近くで刺身で、国際市場あたりでチジミで、ホテルの前でオデン(?)で飲むという最終日にふさわしい夜。



3月10日(土)
「かぼちゃチジミの店・ジンコルモク食堂@ジンコルモク通り(大邱)」

朝、権さんが迎えにきてくれて、昨日よりも少し南側のエリアを視察。日本家屋を含め、古い民家を活用した特徴ある拠点がいろいろとある。その一例で韓屋の活用事例で中を見ていたら、奥に巨大なかぼちゃの山。かぼちゃだけでつくるチジミの有名店らしい。昼食前にマッコリでつまむ。その後も少し歩いて、市場で田舎料理的な昼食をとり、KTXで昌原へ。


「馬山の港@港の南側の丘から臨む(馬山・昌原)」

KTXの昌原駅にはイルジさんの小学校からの友人という人が迎えに来てくれて、昌原の街の様子をうかがいつつ馬山へ。昌原は山に囲まれているという地勢的特徴から、軍の基地をつくるために人工的に生み出された街だとか。大きな通りは、少し前まで滑走路として活用できるよう植栽帯などもなかったらしい。
馬山のホテルでは許先生が待っていてくれて、馬山と鎮海の都市史についてのレク。色々と興味深い話が満載。


「魚市場@馬山(昌原)」

慶南大学の先生方も加わり港の魚料理の食堂で飲む。刺身などもさることながら、イワシを辛いソースで炊いたのがうまい。ここではMUHAKという焼酎が有名らしい。その名前は、舞鶴の韓国語読みかもしれないという。当時の軍港繋がり。その後、市場エリアを横断して、次の店へ。ホヤ、カレイ、ボラ、タチウオなどが多い。同じ海にいるんだから当然だけれど、日本と一緒。


3月9日(金)
忠正アパート@忠正路(ソウル)」

朝、先についていた熊本県立大のイルジさんと合流して、ソウル駅近くの近代集合住宅視察。写真は現存する最古のアパート。もともとは三國商会(日本の会社)による従業員向け住宅で、1930年の竣工後いろいろと用途を変えたり、増改築を重ねて(都市計画道路で半分無くなったり)今日に至る。怪しいおさまり満載。聖ヨセフアパートとか、古い密集エリアとか、駅北西地区を回る。


「北城路工具博物館@大邱」

KTXで大邱へ。駅前には雪が残る。バスで北城路へ。日本統治時代に作られた街並みが、戦後、物作りに関連した店舗の集積地となった。最近は、古い民家を活用した地域活性化が進む。その拠点の一つが工具博物館。1936年に米商社として作られた建物で棟札も残る。地域で活動する権さんが手がけたもので、DIYでの改修を通して今日に至る建物の変遷が浮かび上がってきたという。ファサードには道路整備に伴って行われた、軸組の移動が見られる。


「大邱最古のビル@北城路・大邱」

その後、重村先生とも合流して、権さんの案内で北城路をまわる。戦後の再建活動(日本的な様式を見えにくく改修)のプロセスも興味深い。大工仕事に関連する用語には日本語がそのまま使われているものも多く、権さんはそれらの用語を解説する辞書のようなものも作っている。本を頂いたのだけれど、バラバラと見ていても飽きない。


大邱ハル@北城路・大邱」

日本家屋のリノベ支援事業があって、その制度を活用した事例が点在している。リノベといってもいろいろで、部材活用のしかたも多様。左官壁の代わりに白い鋼板を外壁にして、中に断熱材をつめたなんていうものもあるし、架構の方法を再考しながらも古材を活用しているものも。
近代建築リノベのカフェ・ハルは日本語専門カフェ。ビジターセンターも兼ねている。嶺南大学の先生とも合流し、富井正憲先生も関わったという今和次郎の本などを拝見。


「肉@中央路駅の東側(大邱)」

統治時代一番の金持ちだった人の家(中華商会)などを横目にみつつ、夕食へ。ユッケはどうか、ってことで行ったんだけれど、赤身の牛刺し。古民家改修ワインバーで締め。リノベでできた特徴的な雰囲気を持った建物が、幅広い用途で活用されているのを実感した一日。そういうところを回ったということなんだろうけれど。


3月8日(木)
「青く光る空中街路@ソウル路7017(ソウル駅)」

大学院入試の採点、面談、判定会議。終わるとちょうど空港に向かう時間。国際空港鉄道AREXでソウル駅へ。金浦空港からAREXに乗るのは初めてだったか。駅までの距離に驚く。ソウル駅の北側にできた韓国版ハイラインに面したホテル(Hotel Manu)まで、数分歩く。写真でイメージしていたのよりもずっとシンプルというか殺風景?。新たな歩行者動線としてはすばらしいが。


「遊園地の紳士@Seoulista(ソウル)」

チェックインしてもう少しで閉店という、ホテル1階にある店でIPA2種。何気なくメニューを見ていると、一番度数の高いのは、醸造所名もビール名も印象の違うもの。背後に写っているのはこれではなくて、ガルメギIPA。


3月7日(水)
「元ファミマにヤマザキの痕跡?@妙蓮寺(横浜)」

出張前に種々の雑務をはじから片付ける。
近所のファミマが閉店していた。越してきたときには既にあったので10年以上営業をしていたか。近所のコンビニ軒数はプラマイゼロ。ファミマの看板の下にあらわれた痕跡はヤマザキストア?。ちょっと違うか。。。


3月6日(火)
エルリッヒ展@森美術館(六本木)」

レアンドロ・エルリッヒ「部屋(監視 I)」(2006/2017)
この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

馬車道とか都内とかで打ち合わせ。移動の途中で森美術館へ。体験を楽しむタイプの作品ではあるけれど、なんというかタチの悪い来館者が多かったような。。。触るなと注意されてもめげずに模型の中に携帯置いて写真撮っていたり。ちょっとびっくり。


3月5日(月)
「賞状@研究室(神奈川大学)」

今年度最後の入試の監督。雨が降り始めたものの、無事に終了。研究室にいくと、大東建託コンペの賞状が置いてある。花は懇親会でもらってきたか。

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