曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2024年2月19日〜2月25日

2024-02-26 | 日記
2月25日(日)
「グラフィティ@ブキッビンタンの路地(KL・マレーシア)」

チャンカット・ブキッビンタン通りを歩いていると、交差する複数の路地からグラフィティが溢れて見える。駅までの道のり、目に入る風景に誘われるまま、いろいろなグラフィティを巡ってみた。壁面丸ごと全部とか、路地内丸ごと全部とかの単位で、絵で埋め尽くされている。路面も例外ではない。ときどき上空にもオブジェがある。


「巨大鍾乳洞内のヒンズー教寺院@バトゥ洞窟(KL・マレーシア)」

公共交通を乗り継いで、市北部のバトゥ洞窟まで。数百段の急な階段が、たくさんの人で溢れている。階段の先にあるのは、洞窟といっても広場のような巨大な空間で、上部が大きく開いていて、閉鎖感があまりない。サルやトリもたくさんいる。
KLCCに移動して巨大ビル群を巡る。元邸宅の観光センターは日曜で休み。。。


「ランダムにキャンチのヴォリュームがある公営住宅(?)@アロー通り(KL・マレーシア)」

ブキッビンタンではオープンエアの飲食店が並ぶアロー通りも有名。南側のブロックは、1階が店舗で2〜4階が住宅のように見える。南北両面に接道していて(北側がアロー通り)、どちらも一部の居室がキャンチで出っ張っている。中央に共用部がありそうな造りだけれど、外から直接階段などにアプローチできそうな所は無かった。全て店舗経由ということは無いと思うけれど。。。


「夜7時半のオープンエアレストラン@アロー通り(KL・マレーシア)」

アロー通り周りがいかにも観光地的な雰囲気なので、裏路地などをいろいろと回ったものの、地域住民が集まっているようなところには大抵ビールが無い。結局ここに戻って、羊串焼き、四角豆炒め、厚揚げ焼き(いずれも現地風)とビールで最後の夕飯。この街は、一人で過ごすのにも心地よい。十分に観光化されている、ということでもあるので、複雑ではあるけれど。


2月24日(土)
「龍と爆竹@チャイナタウン(KL・マレーシア)」

朝の飛行機でクアラルンプールへ。電車とモノレールを乗り継いでホテルのあるブキッビンタンへ。ホテルは西=チャイナタウン寄り。GO KLという無料バスを使おうと思ったら、今年から有料になったらしい。無料のつもりで乗り物カードを買っていなかったので歩く。たいした距離では無かった。チャイナタウンではお祭りに遭遇。獅子舞(?)のあと、5階建て建物の屋上から吊られた2列の爆竹が鳴り続け、赤紫の包み紙が雪のように降ってきた。バスに乗っていたら出会えなかったか。


「ムルデカ広場とスルタン・アブドゥル・サマド・ビル@マスジッドジャメの西(KL・マレーシア)」

チャイナタウンを回った後、鉄道のKL駅あたりを越えて、ムルデカ広場あたりまで。風のせいか都市化のせいか、ペナンよりも暑苦しい。歩いている距離がずっと長い、というのもあるか。チャイナタウンもこのあたりも、絵に描いたような観光地。多国籍国家らしく、観光客も多様。英語や中国語を話す人も多いから、来やすいのかも。


「公営住宅(?)@ブキッビンタンの繁華街のすぐ裏手(KL・マレーシア)」

結局、歩いてブキッビンタンまで戻る。メインの通りのひとつ、チャンカット・ブキッビンタン通りの北側裏手に回ってみると、ローカルな生活空間が隣接している。公営住宅的な建物の階段室では、子どもの散髪をしている人も。暗くなってきてビールでも、と思って店に入ったら間もなく土砂降りに。止むのを待ちながら(=一時間半強)ビールを飲み続け、KL初日終了。


2月23日(金)
「考古学展示館@元軍の将校の家(University Science Malaysia・ペナン)」

朝一はUniversity Science Malaysia。元軍事施設があった場所らしく、丘陵エリア内に建物が点在している。考古学の方に話を伺う。考古学といっても、現代的な測定器を用いた科学的な研究。一方で、UNESCO指定後のペナンの都市の変容を考古学的な視点で検証しようという研究者も。考古学もレンジが広い。いろいろと話を伺った後、考古学関連の展示施設を案内してもらう。考古学らしい(=見慣れた?)展示でちょっと安心(知っている考古学の雰囲気)。


「Art-ED@コアゾーンとバッファーゾーンの境界あたり(ジョージタウン・ペナン)」

ブルーマンションを見学し、昨晩行き損ねた中華での昼食の後、ショップハウスの街並み、特にマレー人エリア(だったところ。現在は縮小)を少し歩いてから、Art-EDへ。子どもたちと地域の文化を確認するような作業を進めている。職人的な知見を持つ人へのインタビューを元にしたチラシや、食を巡るリサーチを元にしたゲームなど、いろいろととても興味深い。当地の建築家は利用者の話を聞かないらしい。。。


「People’s Court@西側のバッファーゾーン(ジョージタウン・ペナン)」

今回の視察、最後の目的地であるPeople’s Courtへ。低所得者向けの公営住宅。小さな広場に面して、4階建ての建物が3棟L型に囲む。中国や台湾のこうした建物の場合、共用廊下にキッチンなどが溢れだしていることが多いけれど、割と整然としている。西堀さんはあっという間に地域に溶け込み、いつの間にか中を見せていただくような約束を取りつけて来てくれる。見せていただいたところは住まいとして使ってはいなかったけれど、とても整然と清潔にしていた。


「ナシ・ウラム@CEKI Nyonya Restaurant(ジョージタウン・ペナン)」

最終日はニョニャ料理(中華とマレーの合体)の夕食。香辛料的な風味が柔らかく利いていつつ、濃いめのメニューもあっさり目のメニューもある。ナシ・ウラムは、シラスとシソの混ぜご飯のような見た目だけれど、味は当然違っていて(シラスっぽく見えるのは米)、しかしながら淡泊な味わいの中にある風味の方向性は共通しているような気も。美味しい。で、あっという間のペナン視察が終了。


2月22日(木)
「市場とショップハウスの街並み@Chowrasta Market(ジョージタウン・ペナン)」

朝一はKomtarと呼ばれる高層ビル内にある州保健委員会の事務所で、コロナ後のペナンの状況について議長に取材。割と多くの行政機関が入る超高層ビルなのだけれど、低層部の商業ゾーンは時代遅れになっているからかシャッター街化しているところもある。
その後、午後一の取材場所に向けて移動しつつ街歩き。中華系である市場ゾーンからインド系ムスリムのゾーンへ入ると、街の雰囲気は大きく異なる。急に別の国に来たは言い過ぎかも知れないけれど、ぜんぜん異なる印象になる。


「George Town World Heritage Incorporated@Armenian Parkの近く(ジョージタウン・ペナン)」

午後一は都市再生を進めるThink Cityと、その後は世界遺産の保全を進めるGeorge Town World Heritage Incorporatedへ。いずれも、コアゾーン内の歴史的な建物にある。世界遺産の認定を受けショップハウスの保全が進む一方で、観光化が急速に進み元々の住民のほとんどはかつての生活を続けることができなくなっているらしい。街並みの保全と暮らしの文化の保全の両立は、多くの場所に共通する課題。


「Bellevue The Penang Hill Hotel@penang Hill (ペナン島の中央・マレーシア)」

夕方は丘の上の別荘エリアへ。ちょうど100年になるケーブルカーで山頂に移動し、電気カートでエリアを巡る。今でも使われている別荘建築が点在している。カフェなどに活用されているものがあれば中を見たかったのだけれど、代わりに昔の労働者向け住居を改修したというホテルを見せて貰う(by西堀さんの交渉)。
夜景を見てから下山。ホテルにもどり近くのレストラン街に行くと既に閉店。夜が遅い割りに、店が閉まるのが早い。今夜もフードコートへ。


2月21日(水)
「独特の光沢のある磁気テープを織る織機@Stepping Stone Work Centre(ペナン島南西部・マレーシア)」

今回の視察は西堀さんのネットワークによる綿密な計画が元になっていて、最初はジョージタウンのど真ん中、Penang Heritage TrustでUNESCO指定前後の経緯を伺う。その後、島の対角線くらいにあるStepping Stone Work Centreへ。日本の障がい者のB型作業所に近い印象だけれど、補助金などには頼らない寄付金がベースの運営。織機(横糸がカセットテープの磁気テープだったり)、パン作り、染め物などを行っている。いろいろと興味深い。ここで昼食もいただく。


「HIN BUS@バッファーゾーンの南西方向ちょっと外(ジョージタウン・ペナン)」

ジョージタウンに戻って、元バスステーションのクリエイティブ・スポットであるHIN BUSへ。建築家、アーティスト、弁護士などが保全に関わり、廃墟化していた元バスステーションが多様に活用されている。ジョージタウンの街並み保全の中心はコアゾーンでその周辺を凖保全地区であるバッファーゾーンが取り巻くけれど、ここはその外側。UNESCO的保全の中心団体と、こうした活動団体とが共存していることが強さに繫がっているかも。


「Chew Jettyの夜景(夜8時頃)@Lim Jettyのとある家(ジョージタウン・ペナン)」

ショップハウスの街並みを巡りつつ、案内をしてくれた建築家の方などの尽力もあり、いくつかのタイプのショップハウスの内部を拝見できた。中心エリアは観光化の進行が顕著ではあるけれど、ショップハウスの内部をみるといろいろなタイプの可能性がみえる。その後、沿岸の水上生活エリアであるクラン・ジェティーへ。東端のLim Jettyは観光化されていない。住宅内部も寺院も床の隙間から下を見ると海面。


「フードコートの夕食@The Jetty Food Court(ジョージタウン・ペナン)」

夕食は地元の方にフードコートに連れて行ってもらう。フードコートの多民族的雰囲気がマレーシア(あるいはペナン)的ということか。密度高い初日は終了。


2月20日(火)
「搭乗口@関空(大阪)」

三宮からリムジンバスで関空。高速の渋滞とか手荷物検査の異常な列とかは一切無く、早く着きすぎてラウンジで3時間。。。R.ロジャーズの空港からH.ヤーンの空港であるバンコクへ。ここでも、乗換の飛行機をラウンジで3時間待つ。。。ペナンに着いたら夜11時。ペナンの空港はコンパクトで、入国審査、ATMでの両替、タクシーの手配&乗車まで15分くらい?


2月19日(月)
「太陽と錨@ミナミマリンラボ(日和佐・徳島)」

今年度最後のにぎわいづくり協議会。具体化の第一歩が見えるところまで辿り着いているか。タマゴが先かニワトリが先かの問題は、前進に向かう好奇心無しには越えられ無さそう。
終わったところで三宮へ。


2024年2月12日〜2月18日

2024-02-19 | 日記
2月18日(日)
「新展示(阿部くんのサテライトオフィス改修計画)@Aru de Naide(美波・徳島)」

天気の良い一日。終日サテライトオフィスで作業をしていたけれど、観光客の姿は多くない。春節はそろそろ終わるけれど、外国人観光客は全くみなかった。
午後、藍庵の営業が終わったところで、Aru de Naideの展示替え。


2月17日(土)
「Aru de Naideの防災展示素材@サテライトオフィス(美波・徳島)」

朝一で徳島へ。このままマレーシアなので、早めに起きて鉢植えとかメダカ水槽の対応など。メダカ水槽の水増しは、作業途中で忘れて出発し、家人からの連絡でようやく思いだし、フォローして貰ったり。。。
日和佐に着くと、道の駅では夜市の準備が進められている。工房での作業確認や、役場での事前打ち合わせなど。アルデナイデの展示撤収は長谷川さんが済ませてくれていた。


美波夜市の夜景@道の駅日和佐(美波・徳島)」

夕方からは美波夜市へ。どれも地元店舗の屋台なのでとても個性的。日和佐地ビールのスタートは素晴らしい出来だし、未利用魚活用ではじまった藻藍部のアイゴのフライ(小松島西高校との共同開発)は海の幸として絶品だったし、移住者が復活した地域のソウルフードとして知られる伝説のコロッケは独特の食感が忘れられない。こういう活動が海を前に展開できると、更に個性的なものになるはず。


2月916日(金)
「学科懇談会@菜香新館(横浜中華街)」

学科の判定会議などのあと、夜は学科懇談会。コロナでずっと中止が続いていたので、4年ぶりの開催。会場には今まで見たことの無い数の関係者が集まった。4年の間に学部化したこともあり、その間の新任・退任教員も多い。


2月15日(木)
「卒業設計優秀作品発表会記念撮影@製図室(神奈川大学)」

午前は卒業論文、午後は卒業設計優秀作品発表会。次年度以降、非常勤で関わって下さる、アリソン理恵さんと山本基揮さんをゲストに招いて。アリソンさんは明るく、山本さんは冷静に、的確なコメント。ありがたい。今年度、研究室のメンバーはふるわず。こんなことは着任後初めてだけれど、これまでに無いのんびりムードからすれば当然の結果でもある。


2月14日(水)
「梗概集@研究室(神奈川大学)」

修論発表会。デザイン系の研究室から18人の発表で、朝から夕方まで。今後どうするか、いろいろと課題も。


2月13日(火)
「立方体@研究室(神奈川大学)」

朝は野毛の横浜中央図書館のプロポ向け見学会へ。卒業生が別事務所の担当者として来ていた。昼からはずっと会議。途中の空いた時間で自席のまわりを片付け。昨日もらったぴよりん焼は立方体だったので、自席まわりの立方体を集めてみた。


2月12日(月)
「建築物の解体等の作業に関するお知らせ@メゾン・カレ(名古屋工業大学)」

名工大で副査をしている修士学生の発表をみて、大学に引き返して提出前の修士学生の状況を確認。新横浜駅まで自転車で行ったこともあり、名古屋は近い。
名工大のとある建物の入口脇にはショーケース的なところがあり、メゾン・カレの木の模型がおいてある。その上に解体のお知らせ。建物の解体ならここではなくて入口扉とかに張るだろうし、模型の解体を大学がアナウンスするか?と、ちょっと不思議。シャレ?

2024年2月5日〜2月11日

2024-02-12 | 日記
2月11日(日)
「芽台酒」

来週のマレーシア出張のことをようやく考え始めてちょっと準備。気候が違っているのだけれど、出国と帰国の空港が違うので、上着などを預けたりもできない。午後は大学。いろいろ、大丈夫かなあ。。。夜は前にもらった芽台酒のミニボトルで春節モード。


2月10日(土)
「QUMADESIGNWORKS坂野正明氏による建築模型展@旧山口萬吉邸(九段下)」

朝一でGallery A4に行って吉村順三展をみて、引き返しつつ九段下でQUMADESIGNWORKSの模型展へ。伊東事務所ではいろいろな模型をつくって貰っていた。吉祥寺だったかを坂野さんと一緒に飲み歩いていたときの写真がどこかにあるはずなのだけれど。。。午後は大学。相変わらず緊張感はない。。。


2月9日(金)
「福@扉(研究室・神奈川大学)」

春節。今年も扉には「福」の字が取りつけられ、いろいろなお菓子やプレゼントがやってきた。


2月8日(木)
「晩白柚と金柑@研究室(神奈川大学)」

みかんぐみでの打ち合わせで大学から往復。みかんぐみには熊本県庁のNさんから今年も柑橘セットが届いていた。大学と自宅用に一部持って帰る。


2月7日(水)
「ウメかモモか@神奈川大学」

またまた入試担当。順調に終了。暖かくなってきた。


2月6日(火)
「家の屋上の雪」

雪は止んだけれど、凍結しているかも知れないので今日もバスで。帰り、六角橋あたりは問題無さそうだったのでバスに乗ったら、停留所二つくらい行ったところで動かなくなった。。。いつもよりプラス1時間。スーパーに寄ったら商品がとても少ない。ちょっとした雪にも弱い都市。


2月5日(月)
「つもりはじめた雪@神奈川大学」

午後から雪。と伝えていた天気予報をみて自転車は断念。帰り、横浜上麻生線の六角橋あたりは、全く車が動いていなくて大渋滞。バス停で待つ人たちは少なくないが来る気配はない。駅まで歩いて電車で帰ると、家の近くの水道道はガラガラ。どこかで車が詰まっていて、こちらまでやってこられないのだろう。

2024年1月29日〜2月4日

2024-02-05 | 日記
2月4日(日)
「六角橋地域社会圏(3年生の設計課題)の展示@マップホール(神奈川大学)」

入試の監督担当日。雨雲の薄い時間帯を狙って、朝早めに大学へ。マップホールを覗くと、一昨日展示したパネルが倒れていたり。。。監督前に補修作業。


2月3日(土)
「極寒仕様@研究室(神奈川大学)」

昨日よりマシだけれど、まだ寒い。昨日から国内ではあまり着ない(たぶん初めて)上着の登場。
新しい中国語の先生が教えてくれた中国のジャズボーカルがツボった。CDが2枚でているみたいだけれど、日本では売っていないみたい。サブスクかYouTube。Taobaoで買う方法を探るか。


2月2日(金)
「稲@学生の模型(研究室・神奈川大学)」

追加のレポートや再提出などを待っていたりしたので、ようやく最終的な成績の準備。この時期だけ、急にExcelに詳しくなる。


2月1日(木)
「テグスの鳥よけ」

年末に設置したワイヤーの鳥よけ。物干しとワイヤーの間にとまる鳩の姿(衝撃)も目撃されたけれど、まあまあうまくいっている。手摺りにもとまるので、こんどはそちらに。ワイヤーはちょっとヘビーだったのでテグスにしてみた。ターンバックルのかわりに結束バンド(写真がぼけていた)。


1月31日(水)
「卒業設計本審査@2号館地下(神奈川大学)」

4年ぶりに、コロナ以前のスタイル、ポスターセッション形式で卒業設計を審査。学部化からの移行期なので、工学部時代のデザインコースの学生たちを建築学部のデザイン関係の全教員でみる。この形式も来年まで。再来年、建築学部になってからの卒業設計の審査はどうすることになるだろう。。。


1月30日(火)
「ジェットスター@成田空港(千葉)」

朝まだ暗いうちに宿を出て、松山空港へ。今回は学生たちと一緒にジェットスターで成田まで。このようすを見たのは、佐賀から春秋ジャパンで来たとき以来か。成田到着後、大学に直行してとある打ち合わせなど。いろいろと例年と異なる心配がある。あらゆる心配が無くなる日はきっとこない。


1月29日(月)
「井口の向こうに島々や本土@鷲ヶ頭山(大三島・今治)」

午前は大三島初上陸の学生たちを案内。大山祇神社に行ってもらっている間に駐車場でオンライン対応。その後、さざなみ園とか参道周りを一通り巡って、時間が少しあったので鷲ヶ頭山へ。いつも車とすれ違うのが恐怖なのだけれど(すれ違ったことはない)、今日はたくさんの登山客とすれ違った。


参道模型ワークショップ@今治北高校大三島分校(大三島・今治)」

午後、ミュージアムから模型を今治北高校大三島分校に移動したりして、ワークショップの準備。いろいろ工夫をして、ピストン輸送せずに済ませられたので、某オンラインに参加する時間もとれた。ワークショップの実施は夕方。小学生も3人参加してくれた。短時間ではあったけれど、みんな制作方針を絞り混むのも早くて、特徴的な提案が揃った。最後は模型をミュージアムに戻して完了。夜遅くなったのでコンビニ弁当で。