曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2017年3月20日~26日

2017-03-27 | 日記
3月26日(日)
徳島マラソンのビニールバッグ@阿波富田駅(徳島)」

朝早い汽車で日和佐を出て徳島空港へ。阿南を過ぎたあたりから混み始めて、ラッシュタイムの東横線よりパツパツに。ビックリしていたら、徳島駅の一つ前の駅でほとんどの乗客が降りた。ホームが狭くて全員が降りるまで時間がかかる。みると多くの人たちが同じビニールバッグを持っている。徳島マラソンに参加する人たちだったようだ。走る前に疲れちゃいそう。


3月25日(土)
「醤油壺@赤松(美波町・徳島)」

朝一で日和佐に向かい、諸々の確認など。赤松の現場では、瓦礫搬出用のダンプの上に醤油壺を発見し捕獲。
昼は、現場で会った分館長のお奨めの中から「にれの木」。ランチがあるとは。メニューとかは関係無く、お昼を食べるかと聞かれて、食べると答えると自動的に出てくる。大判のローストビーフ数枚がメインで小鉢もたくさん。600円が信じられない。テーブルの寸法も挑戦的?(テーブル高さ580、椅子は座面高さ350のオリジナル)。


「マルバアオダモ?@日和佐駅前の通り(美波・徳島)」

図書館が面する駅前の通りには新しい街路樹。以前はもっと和風な街路樹だったんだけれど、随分印象が変わったような気がする。そういえば、この通りの中華屋(左手の白い扉)にも入ったことがない。未体験な店がまだある。


3月24日(金)
「新町川@徳島」

大学での委員会、みかんぐみでの打ち合わせを経て、徳島へ。徳島空港ではブリッジ増設の工事をしている。仮囲いにあるパースによると、既存部と全然違う外壁デザイン。どうしたんだろう。。。
市内に入って、久しぶりにAwa新町川ブリュワリー へ。微妙に店の印象が変わっている。TAP数が増えた?。川のライトアップの印象はここ数年こんな感じで変わりなし。いかにもLED大国。


「平面図@阿波観光ホテル(徳島)」

10年ぶりくらいの阿波観光ホテル。長方形の部屋が一つしかない平面図。敷地に余裕が無いわけではないので、意図的?。細長い部屋とか、内部を見てみたい。


3月23日(木)
「イノシシとシカとウシ@大分空港(大分)」

別府から戻って、大学で打ち合わせなど。大分空港では、イノシシのジンギスカンなどが売られている。最近、北から南まで日本全国でシカとイノシシの活用が話題。食べる場合、肉の固さが課題となることが多いけれど、ここでは熟成ということにしたらしい。


3月22日(水)
「清島アパート@別府南地区(大分)」

朝から別府へ。BEPPU PROJECTのワークショップシリーズ。講演の後にフィールドワーク。参加者とまわる前に、スタッフの方とざっと確認でまわる。清島アパートも久しぶり。道路から眺めていると地域のお母さんと思われる方から「中に入ってみたら?」と声をかけられる。聞いてみると、自分は気兼ねして入ったことがないとか。別府らしい。


「鉱滓煉瓦の塀@別府南地区(大分)」

興味深いものはつきないが、新たに気付いたものの一つが鉱滓煉瓦の塀。別府には伊藤伝右衛門別邸(赤銅御殿。戦後の接収、ホテルとしての活用を経て解体され、住宅地に。もったいない)もあったというし、割りと最近まで炭鉱の町へ温泉の湯を運んでいたとも。当然、関係は深い。


「ゼンリン創業地@別府南地区(大分)」

この地域にはいろいろと課題があるものの、石碑や温泉などたくさんの地域資産もある。なかでも異彩を放つのがゼンリン創業地。写真の建物の「2階」。これも今まで知らなかった。これまた独特の風情をもった建物。実測したい。ゼンリン本社に保存してもらった方が良いんじゃないか?。このエリア内、それぞれ個性あるファサードもたのしい。地区の建物の顔アルバムとかもあるといいなあ。


「キャラクタージオラマ盆栽@別府南地区(大分)」

途中、個性的な盆栽を作り続けている方(孫が喜ぶから、ということで作り続けているらしい)の中庭を通過し、色々な寄り道のために、ルートを半分くらい端折ったにもかかわらず10分くらい伸びて担当の時間を終了。
夜は、リベンジを果たすべく行ったおでんの「ふくや」にはまたまたふられ(今度は臨時休業)、次回への決意を新たに宿へ。


3月21日(火)
「そろいの帽子の修士の卒業生@BUKATSUDO(みなとみらい)」

卒業式と学科での会の後、研究室の謝恩会。今年はBUKATSUDO。後輩から修士卒業者へのプレゼントは色違いのオリジナルキャップ。毎年いろいろ考えるものだ。その後、翌日に備えて3次会を途中で失礼して帰る。


3月20日(月)
「トリのワイン@自宅」

自宅で作業。途中、気分転換で妙蓮寺の商店街へ。八百屋とか肉屋とかでいろいろ買って、最後は最近できたワイン専門店でジャケ買い。

2017年3月13日~19日

2017-03-20 | 日記
3月19日(日)
「牛@菅原神社(小倉)」

この週末は九州中の宿が一杯。あっても一泊数万円。八幡にも空き無し。そんな中で宮本さんが何とか確保してくれた怪しいホテルを出て、八幡での打ち合わせに向かうべく旦過駅近くのバス停方向に行くと、赤い塗装が際立つ神社。名前の通り菅原道真にちなんだ天神神社らしい。牛もいるし。


「エヴァンゲリオン新幹線@小倉駅(北九州)」

八幡で夏と冬のワークショップの打ち合わせなどをして、小倉に移動して某保存活動に関連した会議をしてから帰路に。小倉駅に行くとエヴァンゲリオン新幹線。


3月18日(土)
「研究室でつくった椅子@『3.11→4.14-16 アート・建築・デザインでつながる東北⇔熊本』展(熊本市立現代美術館)」

朝一で熊本。県庁の方にお付き合いいただき、積み残しの作業など。この間時間切れで見られなかった市現美での展覧会にも行ってみる。日比野さんの展示に関連して壁に掛けられていた手記の中にあった「仮設住宅のことを『仮設』と呼ぶことに違和感を感じる。日々を過ごす『家』なのに」というようなコメントにもハッとさせられる。


「栗原さんとマチューの作品@CCAフェローシッププラグラム展(CCA北九州・学研都市)」

その後、改修工事の一環で新しいプラットフォームに移動した鹿児島本線折尾駅を経由して学研都市ひびきのにあるCCA北九州へ。左手は栗原さん(studio velocity)のインスタレーション。都市構造と建築の関わり方のタイポロジー。右奥はフランスの建築家マチュー・ブジュノスキーのインスタレーション。屋台文化を紹介する屋台。


3月17日(金)
「大福専門店@旧綱島街道の妙蓮寺〜白楽間(横浜)」

休みの期間だというのに委員会に頻度は減らない。研究室では改修に向けて準備が進む。
白楽〜妙蓮寺間の旧綱島街道沿いには、ここ数ヶ月で個性的な店が急に増えた。大福専門店を覗いてみようと行ってみると、完売の紙を張り出すところ。その他、久遠チョコレート(福祉作業所と連携して最高のチョコレートをつくる)、㐂介(ソバ屋が和風ダシでつくるスープ専門店)なども。独特の地域性が醸成されつつあるか。



3月16日(木)
「上原通りの家@代々木上原(東京)」

代々木上原での打ち合わせ。久しぶりの代々木上原。東海大学の代々木校舎で非常勤をやっていた頃に良くいったデパールは健在。約束の時間まで10分ほどあったので、上原通りの家にも行ってみる。とてもキレイに使われていて、全く古さを感じさせない。独自の時代観を元にしたデザイン故か。


3月15日(水)
アジア叢書@研究室(神奈川大学・横浜)」

委員会三つなど。研究室には大学の先生方を中心としたメンバーで手がけた本が届いていた。研究室にとっては普段とは作業で大変なこともあったけれど、これまで行ってきた調査の一端(曽我部=ケソン/フィリピン。丸山=釜山/韓国。吉岡=プネ/インド。長谷川=アチェ/インドネシア)を紹介する機会になった。


「ビール@TAP ROOM(馬車道・横浜)」

その後、みかんぐみを経由して、今年度で退職される二人のデザインコースの先生方(津田先生とイルジ先生)の壮行会。はじめは最近の馬車道のヒットの一つであるピザ屋。その後、クラフトビールを堪能しているときに古谷洋平さんに連絡をとって、改修の進む新井ビルの中を見せてもらう。


「古谷さんのオフィス@新井ビル(関内・横浜)」

内装の格好良さに感心したり、窓の外にみえる石井和紘設計の同世代の橋を懐かしがったりする、デザインコースの先生方。まちづくり研究所(神奈川大学工学研究所)で借りるための準備も急がなくては。


3月14日(火)
「絵の値段@ホテル・ヴェルサイユ(ウラジオストク・ロシア)」

昼過ぎの飛行機なので、朝ちょっとだけ宿のまわりを歩くくらい。ホテルにはたくさんの絵が掛けられていて、その全てに値段がついている。買う人いるんだろうか。。。


「団地@ウラジオストク郊外(ロシア)」

空港は街の中心から北に50キロ。割りと高密な住居エリアが北に10キロ程度のところまで連続していて、あるところから田園の風景にぱたっと変わる。バルコニーをインテリア化するという団地のカスタマイズは割りと一般的。元のバルコニーよりも大きな奥行きにしている猛者もいる。途中にあった墓地では、かたちも板状の団地を縮小したような集合型と思われるものがあった。


「ストイックなデザインの輸送機@ウラジオストク空港(ロシア)」

ウラジオストクの空港は新しいけれど、出国後のゾーンには店舗もあまりない。ラウンジもストイック。定刻よりも少し早く到着でき、委員会出席のために大学に直行。いつもながら、すぐにいつもの暮らしの流れに。。。


3月13日(月)
「廃墟ビル@ミリオンカ(ウラジオストク・ロシア)」

昨日は周辺に移ったスラムを中心にまわったので、ミリオンカと呼ばれた阿片屈だった場所に。町の中心に近い1ブロック分。既に開発されていて、往時の怪しさは無いし、外周の道路沿いは新しい建物に建て替えられているけれど、中庭側は昔の風情が残る。一部が焼失したビルは絵に描いたような廃墟。


「木補強ビル@グム百貨店のあるブロックの中庭側のエリア(ウラジオストク・ロシア)」

どのブロックも中庭側に個性的な雰囲気を持った場所があるようで、グム百貨店の裏側も同様。残された昔の建物の家賃が安く、実験的な店舗が出店しやすいということか。旧浦潮日報ビル(オケアンスキ/セメノフスカヤ角)が鉄骨補強されている様子は建築ガイドでもしばしば目にするけれど、木造補強も時々ある。


「歴史を刻んだ擁壁と扉@ポシエツカヤ通り(ウラジオストク・ロシア)」

古いまま活用されているのは、中庭側の建物だけではなくて、擁壁関連も同様。横浜の山手でも震災で建物の多くは焼失したけれど、ブラフ積みの擁壁が残っているところは結構ある。コンクリート製なので最初期のものではないだろうけれど、開かなさそうな扉の中はどうなっているんだろう。


2017年3月6日〜12日

2017-03-13 | 日記
3月12日(日)
「丘の上に残されたバラック@旧市街の北端部の丘(ウラジオストク・ロシア)」

まずは、帝政ロシア時代の建物が残るスヴェトランスカヤ通りを東へ。日曜の朝ということもあってメインストリートといえども人通りは多くない。その後、北の小高い丘の上へ。1992年の早稲田・戸沼幸市先生の研究室の論文(日本建築学会関東支部研究報告集)で紹介されていたスラヴォートカ(スラム)の移転先にあたるエリア。ほとんどが斜面地型の団地に入れ替わっていて街区割りも更新されているけれど、山頂付近にその痕跡が残る。まだ住んでいる模様。向こうには凍結しているアムール湾。


「谷地に残されたバラック@旧市街の北端部の丘の南(ウラジオストク・ロシア)」

その丘の南側に、事前情報には無かったけれど、バラック的建物が並ぶエリアがあったので近くまで行ってみる。東西に細長い谷状のエリアで、北側にそれぞれの小さな農地がついている。クリスチャニア(コペンハーゲン)の住宅エリアにも似た印象。集中の郵便受けもあるし、住所も得ているみたい。暖かい季節にどんな風になっているのか見てみたい。


「アムール湾を歩く人々@アムール湾(ウラジオストク・ロシア)」

スラヴォートカの移転前のエリアに行ってみると、開発中のエリアになっている。上述の論文によると、移転は1893年だったということだから、その後にできたエリアを再開発しているということか。すぐ脇はアムール湾。行ってみると、たくさんの人たちが海に向かって散策。みんなどこまでも向こうに向かって歩いていく。犬と一緒だったり、自転車の子供たちだったり。少し不思議な光景。


「囲まれたブロックの内側@旧市街の中心部(ウラジオストク・ロシア)」

町の中心エリアはグリッド状に街区が割られていて、各街区にロの字状に建物が建つ。背割り的に通り抜けの道が貫通していて(地元の人に道を聞くときにでてくるアーチというのはこれのことらしい)、平面的には関内にも近い?。実際には平坦な関内に対して急な起伏が複雑あらわれるので、空間体験は相当違う。この背割り的な場所は、あまり整備も進んでいない。
夜は新しい劇場でバレーをみてからカジュアルな夕食とバーで一杯。


3月11日(土)
「輪郭ライトアップ@ウラジオストク(ロシア)」

研究室メンバーでの視察でウラジオストク。シベリア航空で2時間ちょっと。映画の画面はないし機内食は固いパンのサンドイッチ。感覚的には国内線。タクシーの車窓にはところどころの建物の輪郭がライトアップされている風景。


「ビールのバー@旧市街の西の端あたり(ウラジオストク・ロシア)」

ところどころに格好いいバーがある。どれも古い建物の改修なんだけれど、元の躯体をあらわしにしたり、大きな黒板でメニューなどをまとめたり。ロシアのIPAを、といって出てきたボトルにはAmericanの文字。あれっと思ったけれど、KONIXを調べたらロシアのクラフトビール屋だった。


3月10日(金)
「点字ブロックの道と駐車スペース@熊本市内某所」

熊本から横浜に戻って、防火帯建築活用関連のミーティング等。地方出張7連続は無事に終了。
熊本某所では点字ブロックのルートと駐車スペースが重なっている。UDの熊本でこのダブルレイヤーは。。。


3月9日(木)
「River Port 9@九品寺(熊本)」

くまもとアートポリスのシンポジウムで熊本。午前中の会議に続いて、ラウンドテーブル型のシンポを二つ。司会担当なんだけど、時間のコントロール不能でなかなか苦しい。いろいろ反省。地元建築関係者に話しを振ろうと思っていたのに時間切れ。打ち上げはオシャレ改修ビル。


3月8日(水)
「六角橋のアーケード@横浜上麻生道路(横浜)」

一泊二日の地方出張が連続する中、終日横浜にいる例外の一日。大学院入試などもあって大学に向かうと、工事が続いていた角の建物が完成して一階にはまたもやコンビニ。この工事に合わせるかのように、通り沿いのアーケードが撤去されていた。


3月7日(火)
「山田別荘@別府(大分)」

山田別荘での朝。季節感と時間の変化が感じられる気持ちの良い時間。食事を含めて、自然の営みとともにある生活が浮かび上がる。別府もインバウンドの波が迫っているようで、朝食の右隣は熟年夫婦、左隣は若い女性グループのいずれも韓国からの観光客。静かに山田別荘の時間を堪能している。


「糸永家住宅主屋(ギャラリー桝屋)@浜脇(別府)」

BEPPU PROJECTの方々と再び南部エリアを歩く。スタートは浜脇温泉。昨晩は気がつかなかったんだけれど、温泉前の広場には開発前の浜脇温泉の平面図が描かれている。開発前は、ここから放射状に道が広がっていたんだとか。写真の道もそのひとつ?。建物は明治4年。とてもキレイに維持管理されている。


「別府市児童館@別府(大分)」

最後に見たのは吉田鉄郎設計の元別府郵便電話局分室。最近改修されたらしい別府公会堂の設計者も吉田鉄郎設計。何度か見ているのだけれど、認識していなかった。。。初期の吉田鉄郎を別府に連れてきたきっかけは何だったんだろう。。。
秒刻みでリムジンバスのバス停までおくっていただき、慌ただしく横浜へ。


3月6日(月)
「東別府駅(元浜脇停車場)@別府(大分)」

久しぶりの別府。別府南部地区を対象としたワークショップのための事前調査。宿に荷物を置いて、別府駅から一駅。もともとはこのあたりが別府の中心として栄えていた場所だったそうで、別府駅の設置や役場の移転などで衰退を重ねたらしい。全面改修(平成16年。前年に市指定有形文化財)されていて、建物自体は明治44年に建てられた。


「長屋群@南別府エリア(大分)」

現在の別府の繁華街の南端が流川通り(or秋葉通り)までだとすると、そこからアーケードの続く永石通りまでは繁華街の延長線でありながら空き家化が顕著なエリア、その南に隣接する朝見川までは古い長屋と新たな住宅とが混在するエリア、川の南側は東別府駅や浜脇温泉などのある歴史的風情が残るエリア。とある資料によると、これらに棚田のある山間のエリアまでを含めた範囲が「南部」らしい。それぞれ、地域の個性が結構違っている。


「元別府永久劇場(その前は、A級別府劇場)@別府(大分)」

一通り散策してから、永久劇場の状況を確認に。最近BEPPU PROJECTが手放すことにした、というのは連絡をもらっていた。地震もあったし解体されているかと思ったら新たな設えだけ撤去して、そのまま。永久劇場としての再生時に戻した矢印の看板もそのまま。
その後は、以前通っていた居酒屋「うれしや」が無くなっていることにショックを受け、遅くに良くいっていたおでんの「ふくや」の休みが日・月に拡大していることに追い打ちをかけられ、失意のまま適当に済ませる。。。

2017年2月27日〜3月5日

2017-03-10 | 日記
3月5日(日)
「気仙沼大島大橋中央部@気仙沼港(宮城)」

朝のフェリーで大島へ。大橋のくみ上げが港で行われている。これを、サルベージ船で設置場所まで持っていって取り付けるらしい。開通まで2年。橋の準備は順調?


3月4日(土)
「陸前高田での復興の様子@陸前高田(岩手)」

仙台で他の大学の先生方と合流して、南三陸経由で気仙沼に向かう。途中、昼食を車内のコンビニ弁当にすることで得た時間で、陸前高田まで。左手の5階建ての建物が、5階の床まで津波が来たという定住促進住宅。震災遺構として残されるか。その向こうに、10mをこえるような防潮堤が作られている。盛られている土の量をみていると、こんなことが人工的にできるのかと驚く。知っていたはずなんだけれど。


「カニなどでできた龍@気仙沼市役所(宮城)」

気仙沼市役所で学生たちと合流して、役所の方々と気仙沼大島での計画などについての情報共有。土を動かす仕事は、規模が大きくなればなるほど、その辻褄合わせが難しい。その後は久しぶりの福吉で魚と酒を堪能。キチジと牡蠣の炉端焼きはいつ食べても絶品。


3月3日(金)
「キャンチで出る足場@馬車道(横浜)」

広島発の始発で、朝一の馬車道での打ち合わせへ。みかんぐみでの新規採用などの打ち合わせ。みかんぐみの事務所は、面積は広いけれど、キチンと閉じた会議室がないので、打ち合わせ内容によっては近所の喫茶店。


3月2日(木)
「石材@森本石材工業(大島・今治)」

さざなみ園の外構で使うために、二つ隣の島にある石材会社で不要となった石を頂くことになり、広島空港のレンタカー屋でトラックを借りて向かう。予想よりもずっと立派な板がたくさん。トラックに載せるところまではホイストクレーン。さざなみ園で降ろす作業は人力。


3月1日(水)
「宮下ダム@只見線(福島)」

朝の只見線で金山方面に向かう。会津若松から会津中川までの、約2時間。前半の1/3は高校生の通学の足。そこまでは住宅地が続く感じだけれど、その後、雪に覆われた平地の中をしばらく走ったあとは、山間のエリアを只見川に沿って進む。水力発電のダムが次々とあらわれる。打ち合わせなどの後、夜の新幹線で戻る。


2月28日(火)
「古谷さんのオフィス@新井ビル(関内)」

午前中、大学での事務手続き累積赤字を解消し、午後は防火帯建築内遊休不動産活用に向けて、神奈川大学名誉教授の某氏を案内。最後に立ち寄った新井ビルでは古谷さんが改修しながら活動中。解体したままとの共存が格好いい。翌日に備えて、夜の内に会津若松まで。


2月27日(月)
「みなみ@美波(徳島)」

少し前から、アンドモアのマスコット犬(?)として参画しているみなみちゃん。初対面。役場で危うく処分されそうだった捨て犬。よくしつけられている。柴犬だけれど、無駄吠えは全くしない。赤松の現場で外構の計画などを再確認した後、帰路に。

2017年2月20日〜26日

2017-03-03 | 日記

2月26日(日)
「捻れる平行四辺形断面の垂木@赤松防災拠点現場(赤松・徳島)」

朝一の飛行機で美波町へ。赤松の防災拠点の現場へ直行。日曜なので現場は休み。唐破風部分の垂木が付いている。屋根面の傾斜にあわせて平行四辺形断面になっていて、さらに変化する傾斜にあわせて垂木上下の面はHPシェル状になっている。。。両サイドの面に傾斜する墨を打って、カンナで合わせて行っているらしい。頭が下がる思い。


「ご神木@野田産業(美波・徳島)」

昼食で町の方に降りていくついでに、活用を待つ挽いたご神木などを確認。野田産業の製材所が駅のすぐ海側にあるのは知っていたけれど、こんなに広いとは。事前防災で高台への移転を検討しているとか。東日本大震災後の某地で、たまたま板材が庭先に流れ着いていたのでそれで補修した、といっていたかたを思い出す。


2月25日(土)
「茶房ひし伊@宝来町(函館)」

ホテルから谷地頭温泉まで歩いて20分、っていうことが判ったので、早朝の出発前に雪の積もる道を行ってみる。温泉は6時から開いているけれど、路面電車の始発は7時過ぎ。ところどころに由緒ありそうな建物が残されていて、今日的にも活用されている。石川啄木居住地跡(駐車場)、日本最古の観覧車(冬期のためブルーシートで覆われている)などを経由して、到着。既に地元の方々が。


「大型公共施設集積ゾーン@函館」

いろいろとまわって、夕方前の便で帰路に。飛行機に乗る前に聞いていた、大型施設の並びを上空から確認。街中である写真左手から、少年刑務所(少し判りにくい)・競輪場(小さな長円)・自衛隊(白い五角形)・競馬場(大きな長円)と段々大きくなるように並ぶ。この写真よりも右側には、湯の川温泉エリアを挟んで、空港。ある意味、判りやすい。


2月24日(金)
「はこだて工芸舎/梅津商店@十字街駅(函館)」

相当久しぶりの函館。雪のため引き返すかも、っていうメールが来ていて心配をしていたものの、何事も無かったように着陸。旧市街エリアが伝建地区の指定を受けていて、全体に洋館的な印象のものが多い。とはいえ、大火が多いせいで、ものすごく古いということではない。この建物も、昭和9年の大火後の再建。


「Bar Hanabi@宝来町(函館)」

夜は蔵を改修したバーへ。大火の多い函館では、蔵だけが残されている場合が多いらしい。たいてい、よくある蔵の両開き戸の外側が、木製の出窓のような建具でカバーされている。ここも2階の扉はその仕様のまま。中に入ると、割りとDIYな印象。
昔はこのあたりが街の中心だったらしい。その後、→駅前→五稜郭周辺と中心市街地が移動している。住宅地の郊外化に引きずられたという面もあるかもしれないが、何だか腑に落ちない感じ。



2月23日(木)
「遊休不動産活用セミナー@北仲ブリック・リニューアル版(馬車道)」

都内での打ち合わせなどの後、夕方は防火帯建築の活用に関連したセミナー。この場所ははじめて。北仲ブリックの名前や看板が継承されているのは興味深いが、ちょっとやり過ぎ?。開発後も、ディズニーランド的にレンガ倉庫感をつくるんだろうか。。そういうのが似合うエリアになってしまっている気もするが。。。


2月22日(水)
「運河、都営住宅、水門、アイル橋@天王洲」

大学で積み残し作業の対応をしながら、夜は建築倉庫での講演会。新馬場駅から向かう。懐かしい雰囲気の街並みが、運河を渡ると、一気に現代的都市へと変貌。


2月21日(火)
「阿部勤じゃなくて阿勃勒@台湾大学(台北)」

あっという間の帰国日で、午前中の時間で少しまわる。ポストにカードキーを入れるだけ、っていうチェックアウトの後、台湾大学キャンパス内を横切る。ふと、目に入った活字のかたちに反応。阿勃勒は南国系の街路樹。ナンバンサイカチというらしい。伊東さんの台湾大学図書館は、中には入れたけれど、肝心の開架エリアはなにやら作業中で入れず。


「朋丁の外観(右側)@台北駅の北(台北)」

さらに北上して台北国際芸術村でレジデンスアーティストの展示などを除いてから、ギャラリーのある本屋・朋丁(pon ding)へ。台北には本のセレクトショップがいくつかある。昨日行ったVVRはほとんどが海外の本で、その半分は日本のものだったけれど、ここは台湾のものも多いみたい。
山海樓(昭和の初めの洋館リノベ)で昼食の後、空港へ。


2月20日(月)
「三峡老街@台北の南西郊外」

台北南西郊外の古い町・三峡老街へ。地下鉄とバスを乗り継いで到着。三峡老街のバス停から道に溢れる商店の並びを抜けて行くと、日本統治時代につくられたレンガの街並みが現れる。平日の朝だからか賑わいはあまりない。街並み的には少々キレイにしすぎな感も。バスは、三峡のまちに入ったあと、北側に広がる台北大学とか新しい開発エリアとかをまわってから三峡老街に戻るかたちなので、三峡に入ったところでバスを降りて歩いた方が早いかも。


「ジョイントされた中庭@迪化街(台北)」

その後、改修工事中なので半分しか見られないけれどタダ、っていう林家花園を回り、點水楼の昼食を挟んで、迪化街へ。昨年夏にまわったエリアよりも更に北に行くと(歸綏街よりも北)、商品は専門的になりつつ個性的に。店舗の奥の中庭部分が連結してカフェの一部として公開されているところも。


「改修工事中?@剥皮寮老街(台北)」

夕方は剥皮寮。街並み保存活用事例はたくさんあるけれど、ここは人気が無くて中にも入れない。さらなる改修作業中?。バスで通りがかった西門紅楼も仮囲いで覆われていたけれど、最近の台北ではこういう作業に注力中?。夕食後、他のみんなはマッサージに行くというので、先にバスで宿へ戻る。