曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

6月23日~29日

2014-06-30 | インポート
6月29日(日)
「しったか@お可免(伊勢佐木)」
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父親と一緒に家族で夕食。はじめは伊勢佐木町の老舗「お可免」で、魚介もろもろ。締めの釜飯は、穴子と五目。締めておきながら、少し歩いて野毛の「ボデゴン・ノゲ」へ。いつもながら飲み過ぎ。写真は、取り出すのに成功したシッタカ。開店と同時に行ったこともあって、店の人総出で教えてくれた(爪楊枝は動かさずに、殻のみを回転するといいらしい)。


6月28日(土)
「夏越しの大祓い@篠原八幡神社(家と新横浜の間)」
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あまり何もしない一日。家の近所の篠原八幡神社では、なんだか変わった設えになっている。夏越しの大祓いというものらしい。くぐり方の作法などもあるみたいだった。


6月27日(金)
「店内@エトナ(馬車道)」
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国際ヨンカイギの残務(宿代の精算とか、写真の共有とか)で例によってエトナに集まる。さらに例によって(?)予約が入っていないかも事件が勃発。実はただの勘違い。店を変えなくてよかった。何となくはじめから予想できたような気もするけど、飲み会的色合いが・・・。夜7時は、まだ明るい。


6月26日(木)
「伊東豊雄建築ミュージアム展示室原寸壁@研究室(神奈川大学)」
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展示計画を考えるにあたって、上が手前に倒れてきている壁面をどう扱うかを考えるために、学生たちが原寸モックアップを作成。先週末にいったん作ったものの、強度不足で倒壊。ようやく使用に耐えられるものになったらしい。


6月25日(水)
「スラムリサーチミーティング@寿オルタナティブネットワーク(寿町)」
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第2回スラムリサーチミーティング。これは、コツコツと進めないと。。。何しろ、2010年から毎年1~2カ所を訪れているので、かなりの情報量。補完調査先も色々あって、次はどこにするか。そろそろ、全体のバランスを見ながら検討しなくちゃ。


6月24日(火)
「名もなき魚屋@黒門市場(大阪・日本橋)」
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パドマ幼稚園の安全祈願。お寺の幼稚園なので、安全祈願も地鎮祭ではなくて仏式。かなり本格的で厳粛な雰囲気に押されて写真撮れず。あとで聞いたら、気楽にどんどん撮って良いんですよ、ってことらしい。次の機会には・・・。
昼食は例によって黒門市場で。いつもは堺筋に並行の道で探していたけれど、千日前通りに並行の道に、食べられるところが多いことに気づく。


6月23日(月)
「竹ポスター@常民研の掲示板(神奈川大学)」
0623
朝一でNHKの打ち合わせがあって、昼間は大学で書類に追われる日々の締めくくり。いろいろ大変だ。夜は渋谷で某プロジェクトのキックオフ。
週末、美波町では竹の可能性追求で盛り上がったけれど、大三島にも関係ありそうだし、竹探求かと思っていたら、こんなポスターが。会期は終わってるけど。



6月16日~22日

2014-06-23 | インポート
6月22日(日)
「ひのまるや(赤いT字と〒マークのシンクロ)@日和佐(美波・徳島)」
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日和佐地区調査。早朝は割と激しく降っていた雨も、8時頃には小雨に。それほど広いエリアではないけれど、歩けば歩くだけ、新しい発見もある。途中、次回のシンポジウム関連の打ち合わせをしたり、学生が考えたとあるお土産物やさんの改修案をプレゼンしたり。
最終の飛行機でもどる。


6月21日(土)
「TOMITEI@日和佐(美波・徳島)」
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早朝の汽車で日和佐へ。学生たちが地域調査を続ける中、夕方からの田邊氏のレクチャー準備と、次回の会議のための財団関係の方々を交えた打ち合わせ。
地域最古のコンクリート造の建物で、研究室で活用方法を考えるつもりだったTOMITEIは、既に解体が進んでいる。ちょっとショック。個人の持ち物だし震災の不安もある地域なので気持ちもわからなくはないけど、あらかじめどうするのかを考えておくことが大事だと痛感(左は、前回5月に撮った写真。右が今回)。


「カニ@桜町集会所での打ち上げ(美波・徳島)」
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夕方から、出雲の田邊達也氏の講演と意見交換のラウンドテーブル。出雲大社前の参道が復活に至るまでのプロセスを紹介していただいたのだけれど、「とにかくまずはやってみる」っていうスタンスが大事なのがよくわかる。話し方も内容もとても興味深く、時間が過ぎるのがあっという間。会場からの質疑を途中までで終えないといけないときの司会はつらい。
打ち上げは地域の集会所で、つまみとビール。カニが唐揚げを上っている。


6月20日(金)
「変わった建物@徳島空港から徳島市内への途中(徳島)」
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授業、委員会、会議、打ち合わせ、資料作成と慌ただしい一日。で、最終の飛行機で徳島へ。途中、松茂バス停の奥に
、ちょっと変わった建物が。どうやらジュエリーショップらしい。


6月19日(木)
「ラウンジコーナー?@研究室(神奈川大学)」
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授業など。研究室の一角には、サンロードプロジェクト(小倉)のために前に作ったモックアップと、大三島のプロジェクト(今治)に関連したものなどを組み合わさって、ラウンジっぽい雰囲気の場所になってる?。


6月18日(水)
「人混みの通路@マカティ地区中心部(マニラ・フィリピン)」
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展示の具体的な打ち合わせで、朝からアヤラ・ミュージアム。割とポジティブに受け入れる感じ?。油断は禁物か。昼食(メニューの宣伝文句に惹かれてパンシット・パラボックっていうのを選んだら、謎の黄色い(以下略))の後、早くも空港へ。あっという間のマニラ。夜行便の無い微妙な距離が悩ましいと思っていたら、ソウルまでの夜中便と組み合わせると、夜中にマニラを出るのも可能らしい・・・・。


6月17日(火)
「パッシグ川の渡し船@マカティ地区の北の方(フィリピン)」
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午前は、マカティ・エリアの調査。展覧会に生かせそうな考え方とか素材とかを探る。最近、パッシグ川のフェリーが復活した、っていう記事をみて近くの乗り場に行ったら、いくつかの限られた乗り場のみを繋いで復活した、ということらしい。しようがないので、ものすごくローカルな渡し船を体験。4ペソ(10円以下)。道理で橋の歩行者エリアが途中で無くなったりするわけだ。そもそも歩いて橋を渡る人も少ない。


「路上ビリヤード@マカティ地区の北西エリア(フィリピン)」
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マカティの役場にいったり、公営南墓地に行ったり。3月に行った北墓地での生活の様子は、日本の狭小住宅での住まいとそれほどかわらない感じだったけれど、南墓地で暮らす人々はかなり厳しい環境。スモーキーマウンテンで暮らす人たちの写真を思い出す(写真は撮ったけど自粛)。このあたりは、路上に溢れる生活感がかなり強い。


「buddha bar@マカティのホテルの近所(フィリピン)」
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展示会場となるアヤラ・ミュージアムで、会場を確認したり、打ち合わせをしたり。打ち合わせでアイデアが発展していくのがたのしい。現地での素材の入手とその扱いがカギになるか。
夜はちょっと遅め。韓国人街でサムギョプサルを食べて、ブッダ・バーへ。こういう店名は、キリスト教国的には抵抗ないのかな。


6月16日(月)
「連絡通路@成田空港第2ターミナル(千葉)」
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去年、神戸KIITOで行ったアース・マニュアル・プロジェクト展の巡回展についての打ち合わせのためにマニラ。
ラウンジで提出直前のプロポのメモを書いたりしたあと、さてゲートのあるサテライトに行くかと思ったら、連絡のシャトルじゃなくて、動く歩道。近くにいた空港の人に聞いたら、去年の9月からこっちに変わったとか。3月のマニラ便はサテライトじゃなかったんだっけ・・・・。


「メニュー@ホテル近くの飲食店(マカティ・フィリピン)」
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ホテルに着いたのは遅かったんだけど、ビールくらい飲むかと思って外出。ちょっと歩いたら怪しいショーパブ系エリアになったので、引き返してよくある感じの飲食店へ。ビールもないのかとショックを受けていたら、SMBはサン・ミゲル・ビールの略だった。





6月9日~15日

2014-06-17 | インポート
6月15日(日)
「パレルモのマイマップ@自宅」
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結局、神宮には行かず、家で事務作業。大学に行こうかとちょっとだけ思ったものの、割と暑そうなので家で。パレルモの踏破経路を確認。一部場所探しに難航し、GPSロガー使えばいいんじゃないか、と思い至る。何で今まで考えなかったんだろう。Mac向きなのを検索。


6月14日(土)
「オシャレ居酒屋@横浜」
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昼間は大学で打ち合わせなど、夕方以降は、横浜駅近くのオシャレ居酒屋で某ミーティング。大学野球で神大が決勝まで上り詰めていると聞き、驚く。決勝戦、見に行ってみようかなあ。。。
この週末は、横浜の人手が多い気がする。


6月13日(金)
「ワインバークレア@馬車道」
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授業や打ち合わせのあと、夜は拡大ヨンカイギ。ヨンカイのメンバーも少しずつかわっていくみたい。さっそく、シチリア視察の報告。今回の二次会はカジュアルなビストロだったけど・・・


6月12日(木)
「GM1とLX5@自宅」
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何事も無かったかのように大学へ。
先週からカメラをヴァージョンアップ。GMは予想以上の高性能。しかも、本体(?)部分はLX5より小さい(セットのズームレンズ付きで3グラム重いらしい)。


6月11日(水)
「ハバロフスクあたりらしい@機上」
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成田行きはガラガラなので快適。国際線の787ははじめて。それなりに乾燥はしていて、マスクは必要か。映画の画面に、小さくフライトマップが出せるのがいい。


6月10日(火)
「ポンテベッキオ@フィレンツェ」
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開館時間にウフィッツィに行ってみたら長蛇の列。急遽、計画を変更して、広域を歩き回る。ポンテベッキオも8時半には観光客で賑わい、開いている店もある。川を渡り、丘の上を回り、一端ホテルへ。


「長峯先生@ホテルのロビー(フィレンツェ)」
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気仙沼大島のハングアウト会議。ヘッドフォンで聞いているので、聞くのはいいんだけれど、続々とチェックアウトの人がやって来るので発言がはばかられる。朝から歩き続けていたので、脚を休められたか。


「棚状の石の壁@サンロレンツォ(フィレンツェ)」
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後半も歩き続ける。ドゥオーモも長蛇の列で、次の機会に回すことに。サンロレンツォ前では、歩道に面した壁に、奥行10センチくらいの棚でサンダルとかを売っている店が並んでいるけれど、もしかすると、ここに何かを置いてみたのがきっかけだったりして。
夕方、帰路に。


6月9日(月)
「コルク@ホテルの近くのレストラン(フィレンツェ)」
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パレルモ最終日。市内の主要拠点を見るべく、歩き続ける。小さな町だから、一人ずつ別々に歩いているんだけれど、色々なところですれ違う。夕方、もっと居たかったと思いつつ空港へ。ちょっと寄り道でフィレンツェ。ホテルで一番近所でビステカを食べられるところを教えてもらって、一番小さいの(800グラム)とハーフボトル。




6月2日~6月8日

2014-06-12 | インポート
6月8日(日)
「ツアーバス@バラーロ(パレルモ・シチリア)」
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パレルモ3日目。レンタカーはやめて、マウリツィオさんアレンジの案内人付きオリジナルツアー。ジベリーナ他、1968年のベリーチェ大震災後の町の視察。このあたりでは、被災後、多くの町が、別のところに町を再建した。
最初は、開館したばかり(これからだったかな)の記念館Belice EpiCenter Memoria VIVAへ。ジベリーナは20km離れたところに移ったのだけれど、移すと決めたのは1976年。被災から随分経ってからだったらしい。背景には左翼系人権活動家の動きが連動しているとかで、館では、労働者人権+ベトナム戦争反対のデモ活動などと一緒に展示されている。


「町の中央広場@新ジベリーナ(トラパニ・シチリア)」
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新ジベリーナの町の様子を見て回る。ジベリーナのみならず、ほとんどの町は以前の町を捨てて新たに町を作ったわけだけど、ジベリーナはプリーニを中心に建築家が多く関わったことで有名。今見ると、規模の想定が違う上にイタリア合理主義の抽象的な雰囲気が、新しい廃墟感を生んでいるように見える。人の気配も薄い。建築家やアーティストを紹介する銘板が空しいけど、高速から近いアートと建築の町にしようとしたことが伺える。


「抽象化された町@旧ジベリーナ(トラパニ・シチリア)」
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新ジベリーナでの作品を依頼されたアーティストのブッリは、新町でではなく20km離れる旧ジベリーナを抽象化して固める案を提案。街区部分を1.6メートルくらい(目線がギリギリ隠れるくらい)のボリュームにしてある。街区以外の情報が全て消されているので、往時を想像することはできない。広場とか無かったんだろうか。いずれ戻れるのではないかと考えていた一部の住民からの反対もあったらしい。正直なところ、違和感は拭えない。存在感としても、なんだか中途半端だし。
凸凹の道無き道を行き(レンタカーにしなくて良かった)、プロも道に迷う。


「町の中央広場@旧ポッジョレアーレ(トラパニ・シチリア)」
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ポッジョレアーレの町も別の場所に移ったのだけれど、元の町はそのまま、というか放置にすることになったらしい。ゲートやロープで囲われているけれど、訪れている人たちはみんな、町の全域を探索している。緩やかな傾斜地に倒壊しかけた建物が並ぶ。教会は単管などで補強され、一部の建物には元の用途や持ち主の情報が紹介されていて、昔の町の様子が目に浮かぶようだ。補強して再利用できそうに見える建物も少なくないけれど、町を移すというある種の合理性を優先したということか。被災直後に、国内外への引っ越しを推奨し、交通費を行政が負担したらしいけれど、それも同様の思考だろうか。


「タコ@Osteria Ballaro@旧市街の海側(パレルモ・シチリア)」
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パレルモに戻ったら夕方。それぞれ少し町を回って、昨日調理できなかった焼いたマグロで軽く飲んでから、夕食へ。みんなでの食事はこれで最後ということで、宿お奨めのちょっといいレストランへ。昨日案内してもらった、旧市街特有のローカルな猥雑さと、最先端の店とが混在するエリアにある。タコもパスタもうまい(タコは最初、丸ごとで湯がかれてくる)。ワインも進む。3晩総計何本飲んだんだろう。


「KURSAAL KALHESA@港の城砦跡(パレルモ・シチリア)」
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少しあるいて、臨港エリアを外海側に出たところにある元砦のバーへ。空間の使い方が贅沢。図書ゾーンも併設されていて、すごくオシャレなBankART、ってかんじ?。レストランもある。
早くも、次回リサーチ地の相談など。今回の活動は、帰国後割とすぐにある拡大ヨンカイギで発表することに。Google Docsでメモをまとめることにしたけど、どうなるだろう。


6月7日(土)
「ドゥオーモ@モンレアーレ(パレルモ郊外・シチリア)」
0607
パレルモに行ったらモンレアーレ行かなきゃバカだと言われているらしい、ということで、宿題を先に済ませるべく、バスでモンレアーレへ。バスを降りてからすごく離れていたんだけれど、ボローニャに留学している日本人学生が白タクを交渉してくれて、我々7人+その学生+運転手の9名が5人乗りの車で町へ。
聖堂内部はこういう写真じゃ判らないけど、異常なまでの執着心を感じさせるモザイクで覆われている。


「野菜と犬@カーポの市場(パレルモ・シチリア)」
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再び9人乗り+バスで市内に戻り、Trattoria Ai Cascinariで昼食。小魚のフリットがうまい(後ほど市場で見たキビナゴみたいなものか)。夜は、パレルモを愛するマウリツィオさん企画のまち巡りがあるので、その後、簡単な自炊にしようということで、通り道の市場で買い物。野菜、ハム、チーズ、マグロなどを買う。野菜は本当に安い。
屋台の下にも犬。パレルモでは大型犬がそこら中で寝てる。


「グラフィティの建物(一部倒壊)@旧市街ヴィッチリアあたり(パレルモ・シチリア)」
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夕方、マウリツィオさんとポリテアーマ劇場前で待ち合わせ。パレルモの地域としての成り立ちの歴史と芸術文化都市的な今日の状況についての解説を聞きながら、町を回る。前半は都市化の広がり方の変遷など。スラム的なエリアとその背景は、近代化と共に生じるプロセス。いずこも同じか。
旧市街地の新旧の活動が混在する魅力的なエリアへ。写真は倒壊建物を活用したグラフィティ作品だったんだけど、数日前に左3分の1がさらなる倒壊で崩れ落ちたとか。


「戦災で廃墟化したままの建物群@旧市街の港側のはずれ(パレルモ・シチリア)」
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ヨットが並ぶ港湾地区に出る。このあたりには、第二次世界大戦で被災した建物が、壊されることなくそのまま残されていて、70年経ってようやく活用に向けてリノベが始まっていたりするらしい。倒壊しそうだから壊すんじゃなくて、何とかなるまで待っている。しぶとい。


「CANTIERI CULTURALI ZISA@ちょっと北の方(パレルモ・シチリア)」
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タクシーに分乗して、元Ducrotという家具会社の工場で、その後、小型飛行機も作っていたという工場街のリノベーションによるアートイニシアティブへ。広大。色々なアート文化系団体が同居している。全体をとりまとめる組織はないらしい。Queer Film Festivalっていうのをやっているというので、よっぽど怪しい感じを想像していたら、小さな子どももいて、屋外で盛り上がっている。創造空間的雰囲気が心地よい。
翌日のセッティングに手間取り、遅れて宿に戻り、例によって屋外テラスで飲む。


6月6日(金)
「ターミナル3@シャルルドゴール空港(パリ)」
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朝4時頃の定刻より早まり、3時頃到着。乗換が長いので、市内にでも出ようかと画策してたんだけれど、外が寒い。予想していなかった。で、事務仕事もたまってるので、空港で仕事をしてから(15分間タダのネットを、10回くらい分割。せこい)、空港内探索(2G以外)。前から何となく感じてたけど、チェックインの前も後も、商業ゾーンがすごく少ない。LCC のAironeが出るターミナル3は、空港内電車から外を歩きトンネルを越える。使うのははじめて?。


「町並み@バラーロ(パレルモ・シチリア)」
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無事にパレルモ空港に着き、列車で市内へ。乗り換え時間が数分と短いのに券売機がカードに反応しなくて焦るが、駅員に助けられる。旧市街を探索しながら宿へ。かなり濃密な路地ネットワークで、店先でビール飲んでたり、街角でトランプをやっている人たちに観光客が混じり合う。
宿はバラーロの市場を中心とした賑わいのあるエリアから、1,2分外れたところ。チェックイン後、先にパレルモ入りしていてどこか郊外に出ている櫻井夫妻が戻るのを、街角でビールを飲みながら待つ。


「Il giardino di Ballaroのロビー@バラーロ(パレルモ・シチリア)」
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パレルモのレストランは8時オープンで、地元の人たちはだいたい9時頃から食べるとか。前日に櫻井さんが暴漢に襲われた(怪我が無くて良かった)ということで、宿近くのレストランAl Fondaco del Conteへ。食事のスタートが遅くなったので、みんな三々五々レストランに集まる。宿に戻って、テラスで小泉さんが買ってきたグラッパを飲んでるところに、佐藤さん登場。Il giardino di Ballaroは、佐藤さんが見つけた観光情報のサイトを通して知り合ったマウリツィオさんお奨めのB&B。古い建物のリノベで、スティールの補強とかも格好いい。


6月5日(木)
「通路@羽田空港国際線ターミナル」
0605
いつの間にか、パレルモに向かう日。とはいえ、羽田からの夜のフライトなので夜まで大学。
エールフランス便は、最近拡張されたコンコースの先端。遠い。スポットが倍増したんだから当然かもしれないけど、先端とは。。。


6月4日(水)
「ヒマラヤスギの松ぼっくり@神奈川大学」
0604
いろいろと打ち合わせなど。
大学のヒマラヤスギ。例年、2月の論文発表時期に「大きくなったなあ、そろそろ落ちるかなあ」と思って見ていて、3月初旬の大学院入試とかで「落ちたみたいだけどどこにいったんだろう」と思う。こんな時期に気づくのは初めて。調べたら、実が大きくなるのにかなり時間がかかるらしい。


6月3日(火)
「はるみ@芝浦(東京)」
0603
某財団の助成金を受けた研究の進め方について、前助手の稲用さんが先生になった東工大附属高校へ。東工大の助手時代にここの夜間の非常勤をやっていたんだけれど、20年ぶり。施設は何も変わっていないように思える、昭和な感じ。
打ち合わせ後、運河沿いのホルモン焼き名店を目指すが入れず、隣のシーパラダイスにて。


6月2日(月)
「サッポロ・WHITE BERG@みかんぐみ」
0602
伊東建築塾で大三島ミーティングを行った後、夜はみかんぐみでプロジェクト発表会。互いのプロジェクトをより良くしろうという新企画で、飲みながら。サッポロの新商品。色は茶色いけど、ヒューガルテンに似た味わい。




5月26日~6月1日

2014-06-03 | インポート
6月1日(日)
「国際免許@自宅」
0601
国際免許をとらなきゃ、って急に思い出して二俣川へ。ホームページによると日曜日は2時間待ちっていうことなので、夕方4時からの大学での打ち合わせに備えて昼頃行くと、割とスムーズ。時間ができたので早めに大学にいって、シチリア情報整理。今週出発っていうのに、ギリギリだな。


5月31日(土)
「芝生@神奈川大学(六角橋)」
0531
研究室プロジェクト打ち合わせや、語学認定試験や、面談やらで平日みたいに大学。
新棟前の芝生は、人が立ち入っているような様子はないけど、エッジでは定着していないところも。そういうものなのかな。


5月30日(金)
「ライブ@神奈川大学(六角橋)」
0530
内外のもろもろの打ち合わせ。大学ではこの時期昼休みに中庭でライブ。割とうまいと思う。


5月29日(木)
「みかん@自宅」
0529
美波町のミーティングを大学近所でやってから授業。
家には大三島から宅急便で送ったみかんと蜂蜜が届いていた。大三島の花は大半が柑橘なので、蜂蜜にもほのかな柑橘の香りがするらしい。伊東さんもお奨め。タロッコっていうのをたくさん買ったんだけど、これはブラッドオレンジのことだった。


5月28日(水)
「バス停@KIITO前(神戸)」
0528
朝からKIITOへ。去年の秋にKIITOで行ったEarth Manual Project展をマニラとかに巡回するということで、その打ち合わせ。巡回といっても、かなりコンパクト化が必要。
神戸空港からスカイマークで帰京。


5月27日(火)
「風車@瀬戸地区(大三島・今治)」
05271
朝、出かけようとしたら、車がパンクしている。毎回何か事件が起きるような。。。
瀬戸探索の続き。人の気配がほとんど感じられない中、点在しているペットボトルで作った風車がカサカサと音を立てる。ホノボノ感と不気味さが合わさった感じ。


「INCENSE@出走(大三島・今治)」
05270
瀬戸には出走と地獄谷という少し離れた集落もあって、そちらも回る。出走は前回訪ねた七曜工房のある地区で、その近くに新居浜から来た美容師さんのヘアサロンと喫茶店がオープンしていた。場所のことや仕事のことや暮らしのことへの美学が明確で、個性的で優しい感じが瀬戸っぽい。
一足先にバスで関西方面へ。


5月26日(月)
「室内設備@三原シティホテル(三原・広島)」
02266
朝、学生たちと合流して、大三島へ。
泊まったホテルは室内設備が不思議。電子レンジがあるし、カウンタ上のコンセントは6口と2口が一カ所ずつ。工事関係の人が利用しているようだったから、工具の充電用?。カウンタの高さに合わせた椅子で、座面の高さが高くなっていて、微妙に大きいのも不思議。壁には、三原市内にあるらしい、黄色い給水タンクの写真が飾ってあった。


「発電場@大久野島(広島)」
05260
忠海港から大三島の盛港へフェリー。しまなみ海道は割高なのもあって、このルートは意外といいかも。広島までの飛行機は新幹線より安かったし。
今回は、途中にあるウサギと毒ガスで有名な大久野島で途中下車。島の中は車での走行禁止なので、早足で島を一周。毒ガス製造施設の遺構が残る中、大量に生息しているウサギで癒される国民休暇村が人気。。。


「refuge@瀬戸地区(大三島・今治)」
05261
瀬戸地区を集中的に歩く。鉄工芸をやっている山田さんに出会い、工房の様子とか、ご自分で整備を進める古民家改修の様子とかを見せてもらう。古民家は、ご自身が制作したロートアイアンの作品を楽しめるギャラリーのあるカフェになる予定だとか。オープンが楽しみ。
ずっと農家をやっている方に会ったり、瀬戸地区と祭でのつながりがある隣の生口島の瀬戸田地区に行ったり。夜は自炊。伊東建築ミュージアムの山田さんや昭和女子大の学生も一緒に。