曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2015年1月19日~25日

2015-01-25 | 日記
1月25日(日)
「王立石油研(とでも訳すか)@空港の近く(リヤドのかなり北)」

チェックアウトを済ませて空港へ。車窓からみえる変わった建物は北の方の大学が集まる一角にある研究所。クレーンがあるので建設中か。検索したらザハの設計。最近多い例のスタイルとは異なるみたい。リヤドではザハ設計の地下鉄駅もできるらしいけど、こちらもオリジナルスタイル。中東だと力の入り方が異なるか。


「キング・ハーリド国際空港@リヤド北端」

リヤド市内の丹下健三作品について、メールで古市徹雄さんに問い合わせをしていたのだけれど、その際にも話題となった空港。こういう施設の撮影には注意を要する、ということでサクッと撮る。HOKの設計。アラビックのパターンを想起させる三角の連続が、構造と構成に翻訳されていて、確かに空間のプロポーションも心地よい。なにしろ、30年以上前の建築にはみえない。
乗換のアブダビ空港でブログを書いていたら0時を越えたので投稿(アブダビ空港のエティハドラウンジでは、席までお酒のオーダーを取りに来る!)。


1月24日(土)
「サウジアラビア料理@ホテル(ディプロマティッククウォーター脇・リヤド)」

今日の講演は中止。会場は「国立」博物館だったし、そういう気がしていた。日本からは皇太子も来るということで大使館も大忙しだろう。この際だから、ホテルを堪能することに。朝食ではサウジ料理はそれほど多くないけど、好みなのは写真手前のタブーレ(主にパセリ)とその奥のババガヌーシュ(主にナス)。レバノン料理が大元らしい。こういうのを食べてると太らなさなそうだけど。。。その後、館内を回ったりジムで走ったり。


「リッツカールトン@ホテルの隣(ディプロマティッククウォーター脇・リヤド)」

館内で出来ることにも限界があって、周辺のみ散歩。外は半袖だとちょっと寒いくらい。通りを挟んで隣はリッツカールトン。隣といってもエントランスまで歩くと1キロを越えるか。高いフェンスに囲まれているので、強引に通りを渡って(歩行者向けな街ではないので、特に中心を離れると横断歩道などはない)フェンス越しに写真。その向こうに国際会議場があるので、それにあわせてつくったということか。それにしても、でかいのが価値の基本なんだとは思うが。。。


「住宅@ホテルの裏(ディプロマティッククウォーター脇・リヤド)」

ホテルの裏側のエリアは、街の北にあった住宅よりも一回り大きい。どうやら高級住宅地エリアか。地域毎にモスクも。ミナレット頂部にある三日月が開いている方向がメッカの方向、っていうのを確認したり。街の中心からは少し離れているので工事中のものも。所々にある立木の足元を見ると、必ず散水設備がついている。岩盤のベッドのようなところに人工的につくった街ということだったけれど、普通には木も生えないらしい。


1月23日(金)
「栓抜き型@キングダム・センター(リヤドの真ん中・サウジアラビア)」

朝一で国王逝去のニュースに驚く。金曜がイスラムの休日で、もともとの、午後から大使館の方が街を案内してくれるという予定には変更無し(午前中は街の全活動が停止)。金曜は特別な日なので、今朝亡くなった国王は良き日に亡くなった幸せな人、ということだとか。写真は、サウジアラビアで最も高い建物。表情は単一だけれど、ホテル、オフィス、ショッピングモール、レストラン、展望台と何でも入っている。みんな栓抜きと呼んでいて、植栽の剪定も栓抜き型。店舗は夕方4時にならないと開かないらしい。


「ハイキング@ディライーヤ(リヤド郊外・サウジアラビア)」

街を少し離れると、すぐに砂漠的な風景に切り替わる。金曜と言うこともあり、ところどころで、だだっ広いところに車が一台ポツンと停まり、ハイキングをしている光景も。遺跡(といっても、新たに似せてつくっているところが多い)の脇でもハイキング(みえにくいけど、黒い点々がハイキングをしている人)。サウジの人達は広いところが好きなのだとか。


「国王の葬儀@アイマム トゥルキ ベン アブダラ・モスク(リヤドの真ん中・サウジアラビア)」

マスマク要塞やディラ・スークの近くにある大きなモスクで国王の葬儀。写真には入らないようにしているけれど、たくさんの人達がモスクを目指して集まっている(サウジでは人が入らないように写真を撮るのがお約束)。植え込みの脇でお祈りをしている数名のグループも。要塞やスークは特別な礼拝に配慮してか入れない。部屋のテレビを見ていても、中東系の局ではスポーツチャンネルや子ども向けチャンネルも含めて全て国王を偲ぶ番組。


1月22日(木)
「パラペット?@国立博物館の隣(リヤドの真ん中・サウジアラビア)」

土曜の講演準備で再び国立博物館。機器セッティング確認などして、博物館の分館(?)まわりなど歩く。伝統建築をモチーフにしているんだけど、基本的にはモダンに整理されている。オープニングのときに地域のえらい人が熊本北署(篠原一男設計)を見て「リヤドにありそうな建築だ」って言っていたのだけれど、似たような外観の現代建築があるのではなくて、どうやら、こういったモチーフが当地には多い、ということらしい。


「エントランスゲート@ダル・アール・ウルーム大学(リヤドの北の方・サウジアラビア)」

日本大使館(丹下健三設計だけど撮影禁止)の食堂で昼食をいただいて、講演でダル・アール・ウルーム大学へ。私立なのでそれほど厳格ではないといいながら、入口から男女別。中では何となく混合。冬休みで学生はいなくて、建築学科の教員グループの方々と。スペイン、エジプト、イタリアなど外国からの先生が多い。日本の若手建築家にも是非と紹介を依頼される。報酬は割りといいらしい。


「外形勝負の高層群@ファイナンシャル・ディストリクト(リヤド西・サウジアラビア)」

夜は大使公邸に招いていただいて、高橋公使(大使がいないので実質大使)と大使館の方と3人で夕食。こちらも丹下健三設計。シンプルな構成だけど、手が込んでいる。天井の高さで、心地よさと緊張感との不思議な両立。公使のコンセプチュアルなメニューがうれしくかつ楽しいものだったのだけれど、ブログでは具体的には触れないほうがいいか(そんなのばっかだなあ)。
写真は夕方車窓からみたファイナンシャル・ディストリクトの様子。10年くらい前に赴任した方の感想では、ほとんど様子は変わっていないとか。派手な外形も、ちょっと前のスタイル?。オープンしている建物は今もひとつも無いらしい。


1月21日(水)
「戸建住宅@リヤド北郊外(サウジアラビア)」

いよいよリヤドへ。入国審査では現地女性がどんどん前に抜かしていく。そういう文化らしい。いつになったら入国できるのやら。迎えに来てくれた大使館の方に聞くと「並べないんですよねー」。車窓から建物をみると、みんなクリーム色というか砂色。飛行機から見下ろした時に、砂がそのまま立ち上がって建物になっているようにみえたのは、素材じゃなくて塗装だった。一軒がデカイが、一夫多妻だから家族も多いとか。一番上にカワイイ家型が乗っているのは、給水タンクを太陽光から守るため。


「展覧会オープニング@国立博物館(リヤド中心部・サウジアラビア)」

夕方、オープニングレセプションへ。国際交流基金による、くまもとアートポリス世界巡回展の最終回で、日本サウジ国交60周年記念でもある。開始まで中を見学。解説してもらい、モスクの仕組みがよくわかる。オープニングでは、お酒が厳格に禁止の国なので、つまみはいろいろとあるけれど、飲み物はサウジコーヒーとジュースと水。大量に建築を作り続けている国で、地域との丁寧な関係にどのくらい関心を持ってもらえるのかと不安だったけれど杞憂だった。


「UFO@リヤド市内(サウジアラビア)」

ホテルに戻る途中、大使館の方にいろいろと興味深い話しを聞くが、たぶんブログとかで公表するべき内容では無いものが多そう(そうでないのもあるけど、判断するのも面倒だし)。写真は内務省の建物。UFOとして親しまれている(?)らしい。ホテルでは、またまたサンロードについてのハングアウト会議。日本時間朝7時、サウジ時間夜中1時開始。部屋に戻って雑用こなして風呂に入ったところで、丁度良いって言うか。。。会話だけでなくて、GoogleDoc上でそれぞれが適宜コメント追記しながら進めると、スピード感が上がって良い。


1月20日(火)
「メッカの方向@ダナ・ホテル(アブダビ・UAE)」

早朝、アブダビの空港着。寒い。空港で両替したりバスで市内に向かったりしても、7時前にホテルに着いてしまった。低層階だけど良いかといわれつつ、チェックイン(これが失敗だった)。しばらくメールなど。ふと天井を見上げるとメッカの方向を示す矢印。45度方向の壁が貫く不思議なプランの部屋なんだけど、その壁の方向がメッカ。関係あるか。。。


「ワールドトレードセンター@アブダビ(UAE)」
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徒歩とバスで町を探索。グリッドの町並みで、道路沿いは歩道分をセットバックするのがルールらしい。セットバックへの対応が、構造形式におよぶバリエーションをつくっていて面白い。後日、在リヤド日本公使に伺ったところ、この都市計画は日本人によるものらしい(現公使と同姓同名)。海岸沿いのちょっとウソっぽい緑地など、見た目、歩行者への配慮がありそうだけど、実際には歩くことはあまり考えられてない。遠くにみえる高層ツインタワーはフォスター設計のワールドトレードセンター。


「回廊@シェイク ザイード ビン スルタン アル ナヒヤーン モスク(アブダビの東の方・UAE)」
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巨大モスク(名前も長い)にも行ってみる。適当なバスに乗って、近そうな場所で降りて歩く。大きいから遠くからでもよく見えるんだけど結構離れているし、道が歩行者向けに出来て無くて大通りを渡るのにも難儀。モスクは、大きいばかりでなく、ものすごく手がかかっている。全て石。柱では、大理石に自然石が花模様で象眼されている。


「花のレリーフ@巨大モスク(アブダビ・UAE)」
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中に入ると、はじめに華やかな花のレリーフの前室。ここの壁では、象眼でなく自然石を立体的に取り付けてある。
モスクからさらに東に向かうと、人気があるらしいフェラーリ・ワールドがあるけど、今回はパス。モスク前からバスで街中に戻る途中、高齢の外国人夫婦が二人で前方の女性専用席エリアに座って驚いたが、地元の人もそう目くじらを立てて怒るわけではないみたい。夜は、翌日からの禁酒国に備えて、ホテルで飲む。実は、低層階は失敗で、クラブの大音量が3時半を過ぎてもやまなかった。。。


1月19日(月)
「ビジネスのシート@エティハド航空(成田>アブダビ)」

夕方から、サウジアラビアに向かうべく成田へ。国際交流基金が行っている、くまもとアートポリス世界巡回展の関係。用意されていたのはビジネスクラス(空港でのたまたまのアップグレード以外では初めてか)。ラウンジも機内も食事のメニューはまあまあだけど、足を伸ばして真っ平らになるのがいい。上半身は肩幅プラスちょっとで足元に行くと細くなるというギリギリ感(合理型?)だけど、らくちん。食事も途中でやめて寝る。

2015年1月12日~18日

2015-01-18 | 日記
1月18日(日)
「資料@研究室(神奈川大学)」

今年は、入試センター試験の監督の当番。天気がよくて、ややこしい問題も無くて良かった。途中、1科目分空きのある担当だったので、翌日からの海外出張に備えて事務処理をこなしておく。全然終わらず。事務仕事、多すぎだよなあ。。。


1月17日(土)
「ハングアウト@みかんぐみ(馬車道)」

小倉サンロードでの企画に関連したハングアウト会議。直前にいた場所から、みかんぐみで。自分の席だとネットが非力なので、ルーター真横の秘書席を借りる。ハングアウトは十分良くできたインターフェイスだけど、明確な議題をリニアに議論するの向き。雑談的な意見交換から、違ったことを思いつく、って感じの頭になりにくい。誰か新タイプを発明してくれないものか(他力本願)。
第2部までの一時間半の間に、買い物と自宅への移動と下ごしらえをして、第2部ハングアウトの時間をつかってローストポークを焼いてみる。新じゃがの焼き時間の見切りが甘かったか。


1月16日(金)
「マンガの家@新潟(古町からちょっと駅側に行った辺り?)」

今週二度目の新潟。水土2015公募展の一次審査。朝からの集中が良かった、ということか、予想より、早く終わる。二次審査はヒアリングなんだけれど、結構、全国に散らばっているような気が・・・。帰り道に「マンガの家」の前を通る。新潟はマンガを売りにするバックグラウンドが十分あると思うが、中途半端はいかんなあ。。。昼食を食べた古町のミートソーススパ専門店の潔さを見習わなくては。


1月15日(木)
「揺れるらしい@東横イン新潟駅前(新潟)」

朝一で本八幡にいって、午後は3年生の課題の講評会。全員とはならないけれど、熱心な一群は割りと大きな成果をあげたのでは。必ずしも評価に結びつかなかった人もいるけれど、あのガッツは間違いなく次に繋がる。例によって、非常勤の先生方と打ち上げ。なんだけれど、新横浜駅の近くの店にさせてもらって、翌朝の新潟での用事に合わせて、夜の内に新潟へ。新幹線が混んでいる。


1月14日(水)
「日本酒いろいろ@不動前(目黒)」

会議がいろいろと続き(それぞれの組織なりの、備えておくべき品位ってものがあってしかるべきだよなあ、と思う、が。。。)、夜は、正月に急逝した西和夫先生のお通夜へ。参列に集まる人達の巾が広い。僕の研究室のOBの姿も。久しぶりに会った東京芸大の光井先生によると、年末も精力的に各地を回っていたらしい。みんなにとって突然のことだったみたい。帰り道に、重村先生イルジさんと飲んで帰る。


1月13日(火)
「雪に染まる田園地帯@新潟上空(伊丹>新潟)」

朝一で大阪市内で打ち合わせ。午後から新潟へ。伊丹からのANA便はボンバルディア。久しぶりのプロペラ。天草航空機が上昇する時のような「頑張ってる」感が少ない気が。。。到着直前、新潟の町の様子を眺めていて、雪は集落内に多く残り、周辺の田畑では解けるのが早そう。蓄熱性能の差か。
水と土2015の会議と懇親会を経て終電で帰る。懇親会では市長の前の席だったんだけど、3つの会に同時に出ているようで忙しそう。気さくな人だけど、その分出席への期待も高まるだろうから、忙しさも増すのだろう。


1月12日(月)
「建築関連が入る新棟@東北大学(仙台)」

牡鹿半島や釜石の打ち合わせで東北大学。久しぶり。会場は、建築の入る新しくなった建物の1階にある会議室。ちょっとだけ早く行ったつもりが一番乗り。二番目だった貝島さんは、寒空の中、町から歩いてきたらしい。流石。打ち合わせは12時半から17時までの長丁場。仙台空港まで小野田先生に送ってもらい、感謝。伊丹へ。




2015年1月5日~11日

2015-01-13 | 日記
1月11日(日)
「もち@自宅」

今週はネタの大半が自宅。本格的な社会復帰。重めなメール返信とか原稿とか書類作成とか。あっという間に飽きる。気を取り直してリスタート。あっという間に飽きる。の繰り返し。


1月10日(土)
「青空@馬車道」

久しぶりに馬車道へ。3週間ぶり?。馬車道駅のプラットフォームから地上まで上る階段の段数も久しぶり。



1月9日(金)
「本@自宅」

インフルが判明したとき自宅待機は暇だと聞いていたので、流行ってるピケティとか買っておいた。開いてみると面白そうなんだけれど、読み続ける気力は生まれにくい。っていうか、本読む前に原稿書けよ、的な状況に、そろそろ目を向けねば。。。


1月8日(木)
「新聞@自宅」

だいたい落ち着いてきたか。とはいえ、関節とかの違和感などで、集中して仕事をしよう、という気になかなかならない。サウジアラビアでの講演原稿が気がかりなんだけど・・・。新聞は不思議と読む気になる。


1月7日(水)
「体温計@自宅」

朝、タミフルを飲んでしばらくすると35度台になり、昼頃には36度台で、夜薬を飲む直前は37度台。でも、まあ、落ち着きつつあるか。


1月6日(火)
「トラックパッドのエッジのゴム@MacBookAir」

ほぼ廃人。横になっているだけ、っていうのすらつらい。去年は、巻き爪手術後の痛みに耐えるために映画を見ていたんだけれど、それすら気合いが必要。調子の良い時間帯にみていた映画で、最近の日本映画は絵がキレイだと感じる。
マックのトラックパッドがクリックしなくなった。よく見るとエッジのゴムが破断している。極寒エリアで冷えたマックを、そのまま無理矢理使ったりしたのがいけなかったか。なんだか、踏んだり蹴ったり。


1月5日(月)
「タミフル@自宅」

高熱。午後、近所の内科へ。休み明け初日だけあって、混んでる。2時間待って、検査したらインフル。この内科では今シーズン初のB型だとか。輸入してしまったか。。。潜伏期間を考えると、インドではなくスリランカ?。人生初インフル。こんなに大変なものだったか。
意識がハッキリしている内に、インフルで休まなくてはならない諸々の予定についてのメール。

2014年12月29日~2015年1月4日

2015-01-09 | 日記
1月4日(日)
「獅子舞@某お宅(牧浜・宮城)」

昨晩遅くに帰宅。家でずっと寝ているものの、どうも体調が悪化していく。
写真は無いので、前の日の写真。とあるご家庭にお世話になり、一緒に獅子に噛んでもらった。写真でかまれているのは研究室OBでミュンヘンの事務所に勤めているIさん(顔をだして名前を伏せても・・・)。体調に御利益があればいいのだけれど。


1月3日(土)
「高台移転地@牧浜(牡鹿半島・宮城)」

久しぶりに牡鹿半島へ。高台移転の方針が定まるまでは色々とお手伝いをしていたけれど、その後は工事が進むのを待つばかりということで、2013年の夏祭り協力以来1年半ぶり。竹浜の高所移転地は完成し、住宅もいくつか出来ている。牧浜は、トップカット無し、海の様子が伺える、強い海風側を開かないなどの条件から、ギリギリ得られた計画地。樹木の伐採は済んでいる。
みんな一緒に集会所に泊まって飲む予定だったんだけれど、お腹に加えて鼻風邪気味になってきて、急遽日帰りに。新幹線はUターンラッシュと騒ぐほどでもない。ネットでたまたま空いた指定席を予約。


1月2日(金)
「富士山@自宅(妙蓮寺)」

朝から駅伝。なんと、神奈川大学が5位とか6位とかに。調子が良さそうな噂は聞いていたが。ところが、お雑煮とかつくっている内に、いつの間にか後ろの方に・・・。テレビに映っている富士山が鮮明だから、きっとウチからも、って言われてみてみると、確かに鮮明に見える。東大内某所での打ち合わせのために、3区の途中で出かける。


「医学部南研究棟@東京大学(本郷・東京)」

2015年も、内容の濃い一年になりそう。ふと見ると、研究所にも住宅にもみえる要素が合体した不思議な建物。ネットで検索すると、内田祥三+岸田日出刀設計の大正期の建物らしい(確証無し)。東大内部の建築マップとかもあるんだろうなあ。コンクリート打ちはなし建築内のグッズショップで売ればいいのに。無いから売っていないのか。っていうか、この建物、近々、開発で壊されるらしい。
インドに一緒に行った大榎さんお奨めの薬「胃苓湯」を入手するため、薬局を回る。駅伝は、結局、いつもと同様のポジションか・・・。


1月1日(木)
「護摩@東神奈川近くのお寺(横浜)」

例年は、お寺で実家の両親と合流なんだけれど、今年は早朝に実家に赴き、一緒にお雑煮などを食べてからお寺に。お寺ではお札の分だけ護摩を焚くのだと思うけれど、例年よりもずっと長い。ってことは、例年よりもお札が多い?。毎年帰りに寄る神社の列も長い。午後には妹の家族も集まる。


12月31日(水)
「鏡餅@自宅」

成田空港で薬とか買い物してから、バスでYCATについたら9時半。大晦日はそごうの食料品店が9時半開店ということで、おせち向け食材などを購入してから帰ることに。鶏肉屋などは長蛇の列で「最後尾」と書いたプラカードをもった店員も。余りの混雑に、頭の上にカゴを載せて移動している人達も少なくない。コロンボのマーケットを越える人混み。
鏡餅をセットするにあたって「ビニールシートを剥がさずに」と書いてあったけれど、ちょっと無粋だろうと剥がしたら、ものの数分でひび割れ。


12月30日(火)
「路地@街の南東部(コロンボ大学のそば・スリランカ)」

コロンボでスラムと称されている場所は、低所得者居住地区ではあるかもしれないけれど、これまで各地で見てきたスラムとは少々様子が異なる。ネットで調べたり航空写真から探ったりして、住戸密度の特異な場所に行ってみる。とはいえ、視察手配をしているわけでもないので、チラッと覗くだけ。ある種の清潔感と整理された感じは、国民性か。


「デリー郊外@機上(コロンボ>デリー)」

いよいよ帰路に。まずはデリーへ。上空から見下ろすと、全体が白くかすんでみえる。PM2.5?。着陸直前になって、少し様子が判ってきた。空港周辺には、スクウォッター的な低層高密度エリアが僅かに残され、幾何学的に配置される中高層建築(おそらく集合住宅)が立ち並ぶ。
デリーの空港ラウンジで久しぶりにビールを飲んでみるが一本飲み干す気にはならず、成田までの機中ではずっとお茶。


12月29日(月)
「風呂からの風景@ルナガンガ(ペントタ・スリランカ)」

朝食前に風呂。湯船につかると、雨上がりできらめく中庭に対峙する。夜は気づかなかったけれど、網戸のみで仕切られている。遠回りをしながら敷地全体を探索しつつ、朝ご飯の場所へ。水辺の庭園でもいろいろな試みが行われている。この節操の無い実験精神は、岡山後楽園にも近いか。そういえば水田があるのは共通してる。本当に飽きない。朝食は地域のフルーツと、ジャムとバターのトーストと、タマゴ料理。質素だけど贅沢。ルナガンガは、泊まれるシーズン(11月~4月)にいくのがお奨めです。


「野菜@駅の近くの市場(コロンボ・スリランカ)」

コロンボ市内に戻り、街の全貌にふれるべく、雑踏を巡る。駅と長距離バス乗り場を市場エリアが統合する。植民地の歴史(スペイン、オランダ、イギリス)が、建築様式の重なり合いとなって街の風景をつくり出しているみたい。所々にみられるコテコテ感からジョン・ソーンとかジョン・ナッシュとかを連想する(後で調べたら、ナッシュのリージェントストリートが1813年開始。コロンボ統治がオランダからイギリスに移ったのが1815年。関係あるか・・・)。水辺の微妙な新商業エリアを体験して終了。


「バナナの皮のカレー@ホテルの近くのレストラン(コロンボの南・スリランカ)」

最後の夕食は(も)カレー。みんな、手での食事が板につきつつある?。デザートのワッタラッパンというのが美味しかった。調子の戻ったメンバーはお酒を買って部屋で打ち上げ。調子が戻っていないので、フロントで電気ケトルを借りてお茶。例年のこの視察だと、連日飲んでいるものなんだが・・・。まあ、これはこれで、落ち着いていて悪くない。