8月27日(日)
「洗濯機@テレルジ国立公園(モンゴル)」
当初は別荘地の住宅を見せてもらうということだったのだけれど、難しかったようで、テレルジ国立公園へ。運転手さんの車の末尾が、中心部に入れない日だとかで、タクシーで彼の車まで移動。彼の車は違うけれど、ウランバートルでは半分以上の車がプリウスで、右側通行なのに右ハンドル。プリウス以外も日本からの中古車なのか、7,8割の車が右ハンドル。
テレルジは有名な観光地で、そこら中にゲルを大量に並べた宿泊施設があって、本来の景観を楽しむ感じではない。
「テレルジ国立公園の風景@アリヤバル寺院(モンゴル)」
馬で、有名な亀岩やアリヤバル寺院へ。観光客が多い。特に韓国からの観光客が多い。なんとなく、言葉の響きというか音の印象が、モンゴル語とハングルは似ている。肉をたくさん食べる、ということなども親和性が高いのかも。舗装されていない土の道を大型バスでやってくる。
「集合住宅の夜景@中心部から南南西に1キロくらい(ウランバートル・モンゴル)」
夜、街中に戻り、運転手さんの家に招いていただき、飲む。10階建てのマンションが並ぶエリアで、その最上階。日本に留学をしていたこともあるとかで、その時の影響でトイレはウォシュレット。彼の親戚の家の多くにもウォシュレットが取りつけられているとか。その後、まちなかの飲み屋に行き、2時まで。
8月26日(土)
「中庭型街区の内側@国会議事堂北側の街区(ウランバートル・モンゴル)」
朝まで雨が降っていて、草原エリアは地面がグチャグチャだろう、ということで予定を変更して市内の視察。社会主義時代に中心部には、一辺が200mほどあるロの字型街区が形成された。3層のレンガ造住居で、元々内側は庭園だったらしい。その後、内部にも建物が建ち並ぶようになった。外側にも一部歩道ギリギリまで増築した建物があって、それらは商業テナント。
「庭の真ん中にシャワー棟(写真右手)@ウランバートル西側のゲル地区(モンゴル)」
モンゴル国立博物館へ。石器時代から現代まで。濃密。2時間くらいいただろうか。モンゴル・ファーストフードの店で肉団子の昼食。ゲル地区の暮らしの様子をみたい、といったら、運転手の人がこどもの頃育ったところの友人宅を見せてくれるということで、中心部から西に10キロほど行ったところにあるゲル地区へ。とてもゆとりのある地割りで、緑化などのカスタマイズが豊か。塀のスキマから覗いていたら家主が帰ってきて、中まで見せてくれた。
「風除室が着いたゲル@ウランバートル西側のゲル地区(モンゴル)」
友人宅は大型バスの運転をしているとかで、庭に巨大なバスがあって、緑化とかに配慮する余地はなさそう。室内ではローカルな軽食でもてなしていただき、話の流れから、その友人の友人の、ゲルの住まいを見せてくださるということで、移動。行った先は給水所の隣で、敷地内に二棟のゲルがあり、バイシンは無い。風除室が追加されているものは多いらしく、これはその典型だとか。凜とした佇まいが美しい。
「天窓(内部写真は自粛。ディテールのみ)@ウランバートル西側のゲル地区(モンゴル)」
中はとてもキレイで、正面には大型の液晶テレビ。頂部の円形部分は8分割になっていて、内側に開けられるようになっている。雨仕舞い的には難しいけれど、強風対策を優先か。車窓から見るゲルには、外側に開けているものも見られるので、たまたま?
夜は、またまたモンゴル料理で、昨日の店の近くにあるGusto。
8月25日(金)
「道に牛@ウランバートルから東に60キロくらいのところ?(モンゴル)」
ウランバートルの東に90kmくらい行ったところにある、13世紀村へ。途中から、舗装されていない道に。土煙で前が見えなくなったり、牛に行く手を阻まれたり。所々に事故もあって、牛と乗用車が衝突したまま放置されていたり。昼前に巨大なチンギスハーン像のある資料館に行って、そこの外にある軽食スタンドみたいなところでボウズとホショルの昼食。
「巨大なゲル群@チンギスハーンの住居の再現(13世紀村・モンゴル)」
草原の丘の上に登って、周辺の様子を確認したりしつつ、ひたすら東へ。13世紀村は広大な草原の中に小さな集落が分散するようにある。チンギスハーンの住居は巨大で、これを台車の上に載せて、牛や馬が引っ張って移動を続けていたらしい。外周は宿泊ができるゲル。その他、様々な時代や地域のゲルがあったり、かつての羊乳製品を試せたり、いろいろ。
「老若男女が遊ぶ夜11時@スフバートル広場(ウランバートル・モンゴル)」
夕方、市内に戻る。途中、車の事故も多い。交通事故死者も多いらしい。運転手の青年は、幸せの記念碑つくるお金があったら安全運転の教育をした方がよっぽど良いとか。政治に対する不満は多方向に広がっている様子。
ノミンデパートの南の繁華街(?)の一軒Zochin Chainでモンゴル料理。帰り道、小雨が降ってきたのだけれど、広場では自転車に乗ったりバレーボールをしたりしている。自由。
8月24日(木)
「市北側のゲル地区からみる市内@Lake at the Hills(ウランバートル・モンゴル)」
関空からの西堀隆史さんと朝食時に会い(遅れに遅れて、朝4時過ぎに着いたらしい)、その後、八尾先生とその学生たちと合流し、まずはスクバートル広場、チョイジンラマ寺院などの市中心部視察。その後、ゲル地区内のこどもの広場・Lake at the Hillsへ。とても豊かなこどもの居場所。上部の丘では日本人抑留者を祈念する場を八尾先生の設計で計画をしていて、いまはゲルの展示施設がある。
「ゲルのある住居エリア@ガンダン・テクチェンリン寺周辺地域(ウランバートル・モンゴル)
ガンダン寺を見た後、その周辺の居住地へ。300年前の寺院関係者の住まいに端を発するらしい。バイシン(主屋)とゲルが敷地内にある、という意味ではゲル地区的な印象。他の、近代化後、半ばスクウォッター的(=スクウォッターではなく、行政の設定した条件の範囲内)に生まれたバイシン&ゲルによる住居地とは異なり、歴史を有するエリア。2mを越える木のフェンスで覆われていることなどは共通。
「新高級住宅街の飯場@ザイサン・トルゴイ(ウランバートル・モンゴル)」
最後に、市の南西部にある高級住宅エリアへ。ザイサン・トルゴイ(戦勝記念碑)のある丘の頂上から町を見る。北側に中心部、その他の周辺は高級高層マンション群。ザイサン・コンプレックスのEVで半分登って、残り半分は階段。工事現場もバイシン的な建物が一つと複数のゲルがある。今日もModern Nomadsでモンゴル料理の夜。食べ過ぎる。
8月23日(水)
「火力発電所@ウランバートル中心部への道中(モンゴル)」
成田経由でウランバートル。東京工芸大学の八尾先生が10年ほど調査を続けているウランバートルにて、ウランバートルにおける近代化以降の住宅をとりまく状況に触れる視察。
西堀さんは飛行機の遅延で遅れていて、先に街へ。悪評高い渋滞を経て、ホテルに着いたら夜9時。同じ建物内のレストランModern Nomads(偶然、元横浜市の河本さんお勧めの一軒)で、モンゴルのスープ料理とサラダ。満腹。
8月22日(火)
「伊東豊雄建築ミュージアムの裏返しの模型@展示準備中の研究室(神奈川大学)」
明日からのモンゴル出張向けのモバイルWi-Fiを、近所のコンビニ受け取りにしてみた。返却にも同じサービスがあれば、荷物を預けない(=一部のエアラインでは手荷物の重量コントロールが大事)ためには、あの余計なケースとかコンセント変換アダプタとか、家に置いていけるのだけれど。。。
8月21日(月)
「ケヤキの樹皮が剥がれてきた@神奈川大学」
朝は馬車道、昼から六角橋。自転車の移動には暑すぎるかとも思ったけれど、ずっと風が吹いているようなもので、快適。
午後は、一部の新3年生を交えたゼミ。最近、関係の深い、長野県某高校の出身者がひとり。ちょっとビックリ。
「洗濯機@テレルジ国立公園(モンゴル)」
当初は別荘地の住宅を見せてもらうということだったのだけれど、難しかったようで、テレルジ国立公園へ。運転手さんの車の末尾が、中心部に入れない日だとかで、タクシーで彼の車まで移動。彼の車は違うけれど、ウランバートルでは半分以上の車がプリウスで、右側通行なのに右ハンドル。プリウス以外も日本からの中古車なのか、7,8割の車が右ハンドル。
テレルジは有名な観光地で、そこら中にゲルを大量に並べた宿泊施設があって、本来の景観を楽しむ感じではない。
「テレルジ国立公園の風景@アリヤバル寺院(モンゴル)」
馬で、有名な亀岩やアリヤバル寺院へ。観光客が多い。特に韓国からの観光客が多い。なんとなく、言葉の響きというか音の印象が、モンゴル語とハングルは似ている。肉をたくさん食べる、ということなども親和性が高いのかも。舗装されていない土の道を大型バスでやってくる。
「集合住宅の夜景@中心部から南南西に1キロくらい(ウランバートル・モンゴル)」
夜、街中に戻り、運転手さんの家に招いていただき、飲む。10階建てのマンションが並ぶエリアで、その最上階。日本に留学をしていたこともあるとかで、その時の影響でトイレはウォシュレット。彼の親戚の家の多くにもウォシュレットが取りつけられているとか。その後、まちなかの飲み屋に行き、2時まで。
8月26日(土)
「中庭型街区の内側@国会議事堂北側の街区(ウランバートル・モンゴル)」
朝まで雨が降っていて、草原エリアは地面がグチャグチャだろう、ということで予定を変更して市内の視察。社会主義時代に中心部には、一辺が200mほどあるロの字型街区が形成された。3層のレンガ造住居で、元々内側は庭園だったらしい。その後、内部にも建物が建ち並ぶようになった。外側にも一部歩道ギリギリまで増築した建物があって、それらは商業テナント。
「庭の真ん中にシャワー棟(写真右手)@ウランバートル西側のゲル地区(モンゴル)」
モンゴル国立博物館へ。石器時代から現代まで。濃密。2時間くらいいただろうか。モンゴル・ファーストフードの店で肉団子の昼食。ゲル地区の暮らしの様子をみたい、といったら、運転手の人がこどもの頃育ったところの友人宅を見せてくれるということで、中心部から西に10キロほど行ったところにあるゲル地区へ。とてもゆとりのある地割りで、緑化などのカスタマイズが豊か。塀のスキマから覗いていたら家主が帰ってきて、中まで見せてくれた。
「風除室が着いたゲル@ウランバートル西側のゲル地区(モンゴル)」
友人宅は大型バスの運転をしているとかで、庭に巨大なバスがあって、緑化とかに配慮する余地はなさそう。室内ではローカルな軽食でもてなしていただき、話の流れから、その友人の友人の、ゲルの住まいを見せてくださるということで、移動。行った先は給水所の隣で、敷地内に二棟のゲルがあり、バイシンは無い。風除室が追加されているものは多いらしく、これはその典型だとか。凜とした佇まいが美しい。
「天窓(内部写真は自粛。ディテールのみ)@ウランバートル西側のゲル地区(モンゴル)」
中はとてもキレイで、正面には大型の液晶テレビ。頂部の円形部分は8分割になっていて、内側に開けられるようになっている。雨仕舞い的には難しいけれど、強風対策を優先か。車窓から見るゲルには、外側に開けているものも見られるので、たまたま?
夜は、またまたモンゴル料理で、昨日の店の近くにあるGusto。
8月25日(金)
「道に牛@ウランバートルから東に60キロくらいのところ?(モンゴル)」
ウランバートルの東に90kmくらい行ったところにある、13世紀村へ。途中から、舗装されていない道に。土煙で前が見えなくなったり、牛に行く手を阻まれたり。所々に事故もあって、牛と乗用車が衝突したまま放置されていたり。昼前に巨大なチンギスハーン像のある資料館に行って、そこの外にある軽食スタンドみたいなところでボウズとホショルの昼食。
「巨大なゲル群@チンギスハーンの住居の再現(13世紀村・モンゴル)」
草原の丘の上に登って、周辺の様子を確認したりしつつ、ひたすら東へ。13世紀村は広大な草原の中に小さな集落が分散するようにある。チンギスハーンの住居は巨大で、これを台車の上に載せて、牛や馬が引っ張って移動を続けていたらしい。外周は宿泊ができるゲル。その他、様々な時代や地域のゲルがあったり、かつての羊乳製品を試せたり、いろいろ。
「老若男女が遊ぶ夜11時@スフバートル広場(ウランバートル・モンゴル)」
夕方、市内に戻る。途中、車の事故も多い。交通事故死者も多いらしい。運転手の青年は、幸せの記念碑つくるお金があったら安全運転の教育をした方がよっぽど良いとか。政治に対する不満は多方向に広がっている様子。
ノミンデパートの南の繁華街(?)の一軒Zochin Chainでモンゴル料理。帰り道、小雨が降ってきたのだけれど、広場では自転車に乗ったりバレーボールをしたりしている。自由。
8月24日(木)
「市北側のゲル地区からみる市内@Lake at the Hills(ウランバートル・モンゴル)」
関空からの西堀隆史さんと朝食時に会い(遅れに遅れて、朝4時過ぎに着いたらしい)、その後、八尾先生とその学生たちと合流し、まずはスクバートル広場、チョイジンラマ寺院などの市中心部視察。その後、ゲル地区内のこどもの広場・Lake at the Hillsへ。とても豊かなこどもの居場所。上部の丘では日本人抑留者を祈念する場を八尾先生の設計で計画をしていて、いまはゲルの展示施設がある。
「ゲルのある住居エリア@ガンダン・テクチェンリン寺周辺地域(ウランバートル・モンゴル)
ガンダン寺を見た後、その周辺の居住地へ。300年前の寺院関係者の住まいに端を発するらしい。バイシン(主屋)とゲルが敷地内にある、という意味ではゲル地区的な印象。他の、近代化後、半ばスクウォッター的(=スクウォッターではなく、行政の設定した条件の範囲内)に生まれたバイシン&ゲルによる住居地とは異なり、歴史を有するエリア。2mを越える木のフェンスで覆われていることなどは共通。
「新高級住宅街の飯場@ザイサン・トルゴイ(ウランバートル・モンゴル)」
最後に、市の南西部にある高級住宅エリアへ。ザイサン・トルゴイ(戦勝記念碑)のある丘の頂上から町を見る。北側に中心部、その他の周辺は高級高層マンション群。ザイサン・コンプレックスのEVで半分登って、残り半分は階段。工事現場もバイシン的な建物が一つと複数のゲルがある。今日もModern Nomadsでモンゴル料理の夜。食べ過ぎる。
8月23日(水)
「火力発電所@ウランバートル中心部への道中(モンゴル)」
成田経由でウランバートル。東京工芸大学の八尾先生が10年ほど調査を続けているウランバートルにて、ウランバートルにおける近代化以降の住宅をとりまく状況に触れる視察。
西堀さんは飛行機の遅延で遅れていて、先に街へ。悪評高い渋滞を経て、ホテルに着いたら夜9時。同じ建物内のレストランModern Nomads(偶然、元横浜市の河本さんお勧めの一軒)で、モンゴルのスープ料理とサラダ。満腹。
8月22日(火)
「伊東豊雄建築ミュージアムの裏返しの模型@展示準備中の研究室(神奈川大学)」
明日からのモンゴル出張向けのモバイルWi-Fiを、近所のコンビニ受け取りにしてみた。返却にも同じサービスがあれば、荷物を預けない(=一部のエアラインでは手荷物の重量コントロールが大事)ためには、あの余計なケースとかコンセント変換アダプタとか、家に置いていけるのだけれど。。。
8月21日(月)
「ケヤキの樹皮が剥がれてきた@神奈川大学」
朝は馬車道、昼から六角橋。自転車の移動には暑すぎるかとも思ったけれど、ずっと風が吹いているようなもので、快適。
午後は、一部の新3年生を交えたゼミ。最近、関係の深い、長野県某高校の出身者がひとり。ちょっとビックリ。