曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2020年1月20日〜1月26日

2020-01-27 | 日記
1月26日(日)
「ホワイト・シティの建物@テルアビブ(イスラエル)」

早くもイスラエル最終日。バウハウスの街並みを歩く。ホテルにあったパンフレットでも「折衷主義からインターナショナルスタイルへ」とあったけれど、インターナショナルスタイルの建物ばかりでなく、 20世紀初頭のさまざまな様式の建築が並ぶ。驚くのは、認定されている建物の多さ。デザイン的に特徴的であっても銘板のないものもある。むしろ、銘板のあるものの中に過剰に整えられたものが多いことが気になる。


「路地@ ヤフォ(テルアビブ・イスラエル)」

バスでヤフォの旧市街まで南下。紀元前からの長い歴史を持つ港町。ユダヤ教徒向けに作られた最初の宿泊所というのがある。その中心的な一角を、彫刻家が取得して、自らの作品とコレクションのギャラリーにしている。改修前の写真もあるのだけれど、相当上方に増築をしているみたい。


「夜景@イスタンブール(トルコ)」

夜の便でイスタンブールへ。乗り換えが必要なので少しだけ滞在。
テルアビブ空港では出国時の手荷物検査が厳重だという話だったけれど、すごく簡単に通過。空港での手続きでは、チケットカウンターに並ぶ前に簡単な口頭でのやりとりを元にパスポートにバーコードシールを貼るのだけれど、どうやらバーコードについている番号を元に、手荷物検査のレーン入り口で抜打ち的に手に持つ検査対象になる人を選んでいるみたい。
イスタンブールのホテルについたら翌日の朝2時。翌日の打ち合わせをちょっとだけしてから解散。



1月25日(土)
「グラフィティとWALL MUSEUM@ ベツレヘム(イスラエル)」

パレスチナ地区を区画する塀は全長810km。ホテルの前の周辺はWALL MUSEUMと呼ばれる展示(縦長のパネル状のもの)とグラフィティで埋め尽くされている。グラフィティはホテルのサービスの一貫(?)でWALL MARTがプロデュースしているステンシルによるものが多い。


「Aidaキャンプ@ ベツレヘム(イスラエル)」

難民キャンプも点在している。キャンプといっても、住んでいたエリアを失った人たちの移住向けの街といった風情。ちょっと様子を見ただけでは、背後にある課題の深さには近づけない。
ユダヤ教にとっては安息日。エルサレムへ行ってしまうと18時まではカフェは休みだし、公共交通などは動かない。ベツレヘムで生物多様性をテーマにした資料館で案内をしてもらったり、ローカルな昼食をとって、夕方にエルサレムにつくようにアラブバス。


「歩行者天国化しているLRT@エルサレム(イスラエル)」

エルサレムまでは順調で(チェックポイントではパレスチナ人だけがバスから降りると聞いていたけれど、一端全員が降ろされた)まだ早すぎ。本当にどこも空いていない。駅前のベンチもだんだん寒くなってきて、高級そうなホテルへ避難。ホテルは開いているけれど、働いている人はいないので、ロビーで凌ぐ。18時過ぎ発の始発バスでテルアビブに戻り、ローカルな居酒屋のようなところで遅めの夕食。


1月24日(金)
「路地@エルサレム旧市街(イスラエル)」

エルサレムへ向かう。安息日のはじまりには早いのだけれど、何か別の理由で鉄道は休止。雨に打たれながらバスを乗り継ぎ、Central Bus Station。そこからLRTで旧市街へ。城壁で囲まれた旧市街エリアを一通り回る。ダマスカス門の前で簡単に昼食を済ませて、アラブバスでベツレヘムへ。今回、唯一のパレスチナ自治区。


「ホテルと塀@ベツレヘム(イスラエル)」

行きのバスではチェックポイントは無し。市内に入ると交通規制で動かなくなったので、歩いて宿へ。バンクシーが手がけたTHE WALLED OFF HOTEL内にはパレスチナ問題を題材にした展示室がある。関連したバンクシーの作品も。渡航中に踏み込んだコメントは避けた方がいいらしい。いろいろと考えさせられる。


「ロビー@THE WALLED OFF HOTEL (ベツレヘム(イスラエル)」

ホテル内には随所にバンクシーの作品がある。多くはパレスチナ問題をテーマにしたもの。夕方、閉まる直前に聖誕教会へ。キリストの生誕した場所までは長蛇の列なので建築だけを見て回る。素朴なたたずまいで、プロポーションのせいかとてもいい。
一時は夕食難民か、と心配したもののなんとかなり、部屋に戻って雑貨屋のようなところで入手した(隠してあるものを裏から出す感じ)ビールで、と思ったらノンアルだった。


1月23日(木)
「貯水槽@マサダ(イスラエル)」

早朝出発して一路南へ。南半分はほぼネゲブ砂漠。砂漠といっても岩がちの高原のような印象。死海に向けて東方向に行く道が通行止めになっていて、ずっと南に迂回して死海の西岸を北上。この辺りは海抜より数百メートル低くて、山頂にあるようなマサダの集落跡は海抜30m。岩山の山頂まで水を引き上げ貯めておく技術が2000年前に完成していた。


「ベドウィンの集落か@ミツペラモン(イスラエル)」

再び南下し、ミツペラモンへ。ところどころに、バラック的な集落がある。倉庫やテントなどが組み合わされていて、大抵太陽光発電パネルがある。ベドウィン集落のこの先も、イスラエルでは気になる課題の一つ。ベン・グリオンが引退後に暮らしていたキブツなどをまわって(既にしまっていたので塀越しに)、この日の視察は終了。


「共用エリア@JOJO City House(テルアビブ・イスラエル)」
テルアビブ空港に向けて北上。空港で車を返し、公共交通に乗るのに必要なラブ・カブカードを入手し、Airbnb的な宿へ。バスは乗ってからカードをタッチするだけでいいけれど、電車に乗る時は事前に行き先に合わせてカードに登録をしなければいけない。宿に荷物を置いて、遅めの夕食へ。移動時間を優先した一日だったので、唯一のちゃんとした食事。


1月22日(水)
「新しいイスタンブール空港の中@トルコ」

イスタンブールで乗り換えテルアビブへ。入国審査に時間がかかるという情報もあったのだけれどそんなことはなく、ここ数年で最短時間での入国手続き。窓口では、同行者5人分のパスポートを渡し、何のやり取りもなく、いろいろと書かれている名刺大の紙と一緒に返却を受ける。空港でレンタカーを借りて、地中海沿いの街を北上。


「柱脚など@カイゼリア(イスラエル)」

とても走りやすい道路の構造。ただ、パトカーに捕まっている車を時々見るので、スピードには注意して(車には常時、その場の制限速度を表示するメーターがついていた)。カイゼリアに立ち寄り、ハイファで昼食をとり、アッコまで。


「路地@アッコ(アクレ)(イスラエル)」

紀元前からの街がいくつもあって、アッコもその一つ。各時代の遺産が残る。城壁の上、地上面、地下通路と立体的。アッコから内陸側に向かい、ティベリアについた頃には真っ暗。車に乗ったまま市内を少し回って、郊外にあるイスラエル最初の宿へ。写真にすると宮殿のようにも見えるけれど、合宿などで使われる国民宿舎的なところ。


1月21日(火)
「MacBook Air@自宅」

出張前に済ませるべき作業と出張準備をしていたら修理に出していたマックが届いた。土曜の夜に集荷に来て(裸の本体を手渡しするだけ。パッキングはやってくれる)、火曜の午後には帰ってきた。キーボード周りはケースごと交換なので、目に触れる部分は新品。キーボードを打った時の感覚がちょっと変わった?。


「出発時間30分前倒し@成田空港」

夕方少し早めに出て、追加の買い物など。たいていすぐに出国審査に向かってしまうのだけれど、第一ターミナルの商業エリアへ。大きな誤算は本屋がないこと。相当いろいろな店舗があるのに、本屋だけがない。
ゲートは第一ターミナルで出国審査から最遠と思われる47番。


1月20日(月)
「桜木町駅と新市庁舎をつなぐブリッジ@桜木町」

各所での打ち合わせ。夕方からは饗庭先生による講演会「津波のあいだ、生きられた村」。一つの村にフォーカスすることで得られた知見はとても共感するものだったし、後に残すべきものになっていた。

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