石光真清の「城下の人」によると、明治九年十月二十四日は寒い風の吹く日であったという。夜中に起きた一騒動の詳細を、幼い真清は翌日知ることと成る。いわゆる「神風連の乱」である。そんな祈念すべき十月二十四日、神風連の顕彰に尽力した荒木精之氏の生誕百年祭が県の護国神社で行われた。又、昨日の熊本日日新聞は「言葉のゆりかご」の欄で、作家小山寛二の母親の実家奥田家のことに触れている。奥田家には男子がなく長女(小山伯母)に婿養子を迎えていた。敬神の志深い人で、当然神風連の挙に参画するものと思われたが、出奔してしまった。その夫の行為を恥じて彼女は自害して果てるのである。この話は小山寛二の小文「哀傷の碑-神風連の女達」によっているが、この文章を読むと奥田家の出自は懐良親王を奉じた南朝方の子孫であると言う。林桜園とのつながりを以って、一党と行動をともにするという黙契があったのではないかと、小山は記している。地元新聞のささやかな一文の掲載をしても、「神風連の挙」は忘却の彼方にある。奥田家のこのような悲しい出来事も、ただただ関係者の胸の内に残るだけだろうか。この文章を書いているこの時間にも、再起を思い山中をさまよい、またそのことの不可能なる事を思い自らの命を絶った人たちが居られたのだろう。小山寛二は最期にいう「かにかくに、わが火の国の神風連は、限りなく悲しい」と。合掌
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三斎書状(上林味卜宛)を思い出します。幕府の御茶御用を務めた上林家は、細川家のお抱え茶師として茶の納入に携わっていたんですよね。