津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川斎護世子・慶前、江戸参府(4)

2024-01-17 06:59:37 | ご挨拶

■七月二十七日 陰、冷氣
朝六時 御発駕、御先ニ罷立、舞子一ノ谷之間二夜ヲ明シ、御通
差扣候處、御昼被 召候段、辛川ゟ被傳、兵庫御昼ニ出候處、湊川
等 御微行之御供仕候様被 仰付、則用意、墓道入口ゟ御供仕、御
一拝之上廣巌寺(楠寺)江被為入、什物等 御覧
 一、楠公遺墨、感状一幅、庄五郎殿江之一幅、感状ハ可然様二相
   見へ、庄五郎殿江之一書ハ可疑、倚軨一玩ニ之ヲ弁セリ
 一、弓 團扇  具足断爛ス、何レも無可観
 一、畫肖像 一幅洞雲
 一、同正季 一幅同
 一、醍皇震(宸)翰歌一首
 一、黄門公与千巌書一枚
 一、鎧  可疑
 一、太刀三振、無刃刀一口  皆可疑
楠寺より一旦本道江被為入、猶生田森江 御参詣相済、直ニ本道被
為入候ニ付、御忍之御供落ル
 明石須磨欲曙天、行人續声店頭眠、海濤時至如風雨、併得松聲落
 枕邊
 九郎在後二郎前、公子王孫争上船、憐箇腰弓青葉笛、吹愁不向海
 西天
 過湊川謁楠公墓作
身是菊池遣土民、讀碑慣拝南朝人、風雲惨憺湊川路、楠公墓下哭萬
巡、昔在妖氣逼皇室、君挙隻手捧天日、一時諸公炎乾燥、忠勇知畧
誰其匹、如我土姓先致身、君言元弘功第一、況其子孫六七葉、海鎮
勤王獨欝嵂、但恨史論軽徧隅、一新日州配君無、不知青山断雲夕、
二公去後片月孤、尓時盗猶遣宝玉、我振一臂制全驅、此道可往参ニ
公、當時猶費陳情書、倘説■近君姑輪、天下公論頼至誠、神尚彷彿
来告吾 此夜西宮 御着

■七月廿八日 陰
六ツ時 御發駕、御着、一昨々日海上不宜、御供船渡海之内、
鳳麟丸着不致候
一、作家書、御次仕出
一、謁

■ 同廿九日
  大坂御滞留、昨半夜鳳リン丸入津いたし候由、昼前荷物等差越
一、蚊幬一張、単物一組着、一買取、御前日立荷物之内、二箇取下
  ケ、仕分之上猶御勘定江差出

■ 同卅日 晴
  枚方江御通行、御供仕、具足箱ハ御次船二頼ミ、駕計二て参候
枚方道上作
〇行半南塘十里程、竹濃水碧近京城、涼生蒲柳戯風影、秋足草蟲咽
露聲、沙北青山翠髻鬟、波間落日紫金鉦、憶曽結夢蓬窓底、月落空
江夜多鳴
〇剛柔明暗氣也、飲食男女財利其五六分長於習
此夜枚方御止宿、雨

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