唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 第八倶転門  随縁現 (2)

2010-10-26 23:09:56 | 心の構造について

          第三能変 第八倶転門 

           ―  随縁現 (2)  ―

 「五識は縁に随って現ず」のところを読んでいます。心の動くのは随縁現である、縁に随って動くということです。「衆縁(しゅえん)の和合するに随って方に現前することを得」ということです。衆縁は、さまざまな縁という、補助原因をいいます。また、「縁によって生ずる」、生縁(しょうえん)ともいわれます。ものごとが生ずる因の総称です。「心心所法の起ること四の縁に籍る」といわれます。四縁とは、因縁・増上縁・等無間縁・所縁縁で、諸識が生起するには所依と生縁が不可欠なのです。所依は因縁依(種子依)・増上縁依(倶有依)・等無間縁依(開導依)の三種の依と説かれます。その理由は、「依」は広く四縁に通ずるけれども、「所依」と云う場合には、四義を具さなければならないといわれています。

  • (1) 決定の義ー或る時は依られ、或る時は依られない  という不定のものは所依とはいえない。
  • (2) 有境の義ー認識される対象をもっていること。
  • (3) 為主の義ーよく主となるものでないといけない。
  • (4) 心心所をして自ら所縁を認識するものでないといけない。

の四つです。

 前六識は第八根本識の中の各自の種子を因縁依とし、現行の第八識を増上縁(倶有依)と為すのです。

 前五識の倶有依  (A)不共依ー同境依ー五根を云う。五識と同じく現前の境を認識するから同境と名づく。 

       (B)分別依ー第六識をいう。「五識は意を以て依      と為す。意散乱する時、五生ぜず」(『摂論』)

  共依{ (C)染浄依ー第七末那識をいう。五識が有漏となるのは末那識が染汚であり、五識が無漏となるのは末那識が浄であるからであり、出世の末那といわれます。

       (D)根本依ー第八識をいう。五識はこの根本識に依って生起するからである。

(B)・(C)・(D)は共依と名づける。五識は皆、共に所依と為すからである。

 第六識の倶有依  (A)不共依ー第七識をもって第六識の倶有依と為す。相順(そうじゅん=互いに一致していること。因と果の関係)と計度(けたく=分別すること。三世にわたる事柄を思考すること。第六識と第七識が計度分別を為し、前五識と第八識には計度分別は無い)の故に。(B)共依ー第八識をもって第六識の共依と為す。

 第七識の倶有依―根本依の第八識のみ

 第八識の倶有依―末那識のみ       }この二つの識は常に間断なく任運にして一類である。(任運は分別に由って起こらないこと。 一類は無始以来変わることなく相続していること。)

 開導依(等無間縁依)ーある心が滅してそこに余地を開くことによって次の刹那の心が導かれて生じるから、一刹那前に滅した心を開導依という。「開導」は「開避引導」の略。前滅意をいう。諸の心心所は皆この依に託し、これを離れては生起しない。即ち、これは何を言い表しているのかといいますと、後念の心心所を引導して障りなく生起させる前滅の心なのですね。意根を指します。ですから開導依なくしては心心所は生起しないのです。

 護法の正義 - 開導依の三義

 「開導依とは、謂く有縁の法たり、主たり、能く等無間縁と作る。これ後に生ずる心・心所法に於て、開避し引導するを開導依と名く」(『論』巻第四・新導本p169)

  • (1) 有縁の義 - 心心所に限定され、色・不相応・無為等を簡ぶ。
  • (2) 為主の義 - 心王に限られ、心心所法を簡ぶ。
  • (3) 等無間縁の義 - 異類と他識と倶時の心心所と及び、後時の心を前心に望むことを簡ぶ。

といわれています。また開導依は必ず等無間縁であるけれども、等無間縁は必ずしも開導依でないといわれます。

 この項については第二能変の所依門について詳細したいと思っています。   


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