唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 第八倶転門 (1) 随縁現 (1)

2010-10-25 21:36:45 | 心の構造について

Shosoin_top第六十二回 正倉院展 2010が10月23日より11月11日まで奈良国立博物館で開催されていますね。詳細は朝日新聞や読売新聞に連載されていますが、この正倉院展には、深い思いがあります。中学一年の折りにはじめて正倉院の御物に触れたのですが、古代の叡智とロマンに驚愕の思いを抱きました。それが私には、仏教への道しるべになったのかもしれません。この秋、皆さんも、古代のロマンを訪ねて奈良へ出かけられてはいかがですか。

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      ―  第三能変 第八倶転門 (1)  ―

           ―  随縁現 (1)  ―

 「随縁現と云う言は、常に起こるものに非ずと云うことを顕す」(『論』第七・九左)

 (意訳)五識は縁に随って縁ず、ということは、常に現起するものではないということを顕す。

 「五識は縁に随って方によく現起す。これは常に生ずるもにに非ずということを顕す。縁は恒にあらざる故に。第六意識もまた縁に随って方に現ずと雖も、時に縁は恒に具す。故に言わざるなり。・・・この五識は多く間断するに由るが故に問、何者を縁とするや」(『述記』第七本・四十八左)

 五識は常に起こらない、ということは、縁に随っていろいろなことが起こってくるということですね。縁がなければ起こらないが、縁が起きると様々なことが起こるということになります。いつも働いているというわけではないということです。「何者を縁とするや」と。どんな縁があれば起きるのか、という問が出されます。

 内に種子をもっているけれども、縁がなければ現起しない、種子だけで生ずるのではなく縁をまって生ず、と。

 『歎異抄』第十三条の親鸞聖人のお言葉が心に響きます。「故聖人のおおせには、「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」とそうらいき」(真聖p633)と。

 「縁」の問題は次の科段で述べられます。ここは内に阿頼耶識を種子とし、外には縁を待つ。縁を待って生ずる、といわれています。

 「縁と云うは、謂く作意なり。根と境との等きの縁ぞ」(『論』第七・九左)

 「眼識は肉眼に依るは九の縁を具して生ず。謂く空と明と根と境と作意と五は小乗に同なり。若し根本の第八、染浄の第七、分別倶の六、能生の種子を加えるならば、九の依をもって生ず。若し天眼ならば、唯、明、空を除く。

 耳識は八に依る。明を除く、

 鼻舌等の三は七に依る。また空をも除く。至境を方に取るを以ての故に。第六識は五の縁に依って生ず。根は即ち第七なり。境は一切法なり。作意と及び根本の第八なり。能生は即ち種子なり。五の依を以て生ず。

 第七、八は四縁を以て生ず。一に即ち第八、七識なり。倶有依となる。根本依なし。即ち倶有依となすが故に。二に随って取るところを以て所縁と為す。三に作意、四に種子なるが故に、四縁あるなり。

 或いは説く。第八は四に依る。第七は三に依る。即ち所依を以て所縁と為すが故に。これは正義による。

 然るにもし等無間縁をとれば、即ち次の如く、十、九、八、六、五、四の縁を以て生ず。即ち所託の処をみな名づけて縁と為す。故にこの別あり。故に論に等という」(『述記』第七本・四十九右)

 『述記』の説明をまとめますと、次のようになります。

  • 眼識(九) 空・明・根・境・作意・第六・第七・第八・種子
  • 耳識(八) 空・〇・根・境・作意・第六・第七・第八・種子
  • 鼻識(七) 〇・〇・根・境・作意・第六・第七・第八・種子
  • 舌識(七) 〇・〇・根・境・作意・第六・第七・第八・種子
  • 身識(七) 〇・〇・根・境・作意・第六・第七・第八・種子
  • 意識(五) 〇・〇・根・境・作意・ 〇・ 〇・ 第八・種子
  • 末那識(三)〇・〇・根・〇・作意・ 〇・ 〇・ 〇 ・種子
  • 阿頼耶識(四)〇・〇・根・境・作意・〇・ 〇・ 〇・種子

       深浦正文『唯識学研究』下・p336より引用

 前五識は縁がなければ起きない。縁あれば起こり、縁なければ起こらないということですね。条件が整わないと働かないのです。例えば眼識ですと、九つの条件が整わないと眼の働きは作用しないということです。条件が整えば、否応なしにはたらくのです。空とは空間です。明は明るさですし、根・境・識が和合してものを見るという動きが出てきます。そして、作意です、見ようとする心の働きです。それがなのものであるかを判断するのが第六意識です。その第六意識は深層の第七末那識を所依としていますし、第七末那識は第八阿頼耶識を所依・所縁としてわたしの意識構造が成り立っているのですね。  


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