蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

レディ・プレイヤー1

2018年05月09日 | 映画の感想
レディ・プレイヤー1

近未来(2045年)のアメリカが舞台。
主人公のウェイドは、父母をなくし叔母の家に居候しているが、叔母のヒモにいじめられたりしている。ウェイドの(というかこの時代の多くの人の)生きがいは「オアシス」というゲームで、ゴーグル型のスクリーンを装着し、ゲーム世界では思い思いのアバターを作って、現実と遜色ない(というか現実よりも刺激的な)リアルな冒険や生活の体験が可能になっている。
「オアシス」の開発者ハリディは巨万の富を持ったまま死去するが、「オアシス」内にある3つのカギを見つけて宝物(エッグ)を探し出せば「オアシス」に関するすべての権利を譲ると遺言する。
ウェイドのような一個人から巨大企業までが、天文学的な「オアシス」の権益を求めて血眼でカギを求める。最初のカギの獲得条件は仮想カーレースゲームを完走することだが、ゴール前には巨大なキングコングが座り込んでいて・・・という話。

カーレースの映像が迫力満点のつかみで、その映像パワーにぼーっとなっているうちに、スピルバーグ監督が作った「オアシス」世界に誘い込まれてしまい、冷静に見ると陳腐かもしれない「オアシス」内の冒険にウェイドと共に夢中になってしまうのであった。

様々な名作や有名キャラが多数引用?されて画面に登場するのだが、その含意みたいなものがある程度(私が)理解できたのは、シャイニングとガンダムくらいだった。
ガンダムが(「オアシス」世界に)登場するシーンでは、ガンダムアバターを操る人(日系人)が「オレはガンダムでいく」みたいなセリフを(日本語で)言い、その人のVRゴーグルの画面には、極く小さな文字でガンダムのタイトル(日本語オリジナルのもの)が映っている。ガンダムをある程度知っている日本人にしか理解できない小ネタなのだが、だからこそ「こんなところまで作りこんでいるんだ」と、大いに感心させられる場面だった。

なので、そのほかの引用キャラ、引用映像にも、これくらいのレベルのこだわりや作りこみがあるはずなのだが、いかんせん予備知識不足でよく理解できなかった。解説本を付けたDVDなんかを作ってもらいたいなあ、と思った。

年老いたハリディは、スピルバーグ本人の見立てなのだろうか。
「70超えても、これくらいのものはできるんだぜ。おまえらももっと派手にやれよ」
と、若い映画人を挑発しているのだろうか。
コメント
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