蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

こんな夜更けにバナナかよ

2013年10月01日 | 本の感想
こんな夜更けにバナナかよ(渡辺一史 文春文庫)

筋ジストロフィーに冒された鹿野靖明は、施設での暮らしに嫌気がさして、ボランティアを自ら探して教育しローテーションを作って自立した暮らしをしている。その暮らしぶりと多数のボランティアたちとの交流を描くノンフィクション。

鹿野は、真夜中にバナナが食べたいと言いだしてボランティアに買いにいかせるくらい(これがタイトルになっている)わがまま。
普通はボランティアに気兼ねして多少のことはガマンする、というのが私なんかの持っているイメージなのだが、鹿野にはそういう面は全くなくて、ボランティアの手際が悪かったり、自分の要求にこたえてくれないと(体はほとんど動かせないので)罵詈雑言を投げつけたりする。
実際、本書の後半で出てくる、かつての恋人(もともとはボランティアの介助者だった)に対する“言葉の暴力”はひどい(例えば、夜中に「バカヤロー」と書いたFAXを送り付けるとか)。

普通の人(健常者)ならすぐ絶交になりそうなことばかりしているのに、ボランティアたちは無償で鹿野の自宅に泊まり込み、ミスをすれば死に直結しかねないような介助や、冒頭に紹介したような彼のワガママにつきあっている。
そして、10数年にわたってのべ数百人にもおよぶボランティアが、こんな暴君のような鹿野のまわりから途絶えることがなかったことには、やはり驚かざるを得ない。

なぜ、そんなことが可能だったのか?
著者が最初に指摘するのは、「一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる」という、醒めた見方である。
確かにそれもないとは言えない(というか、残念ながらかなりの部分を占めているようにも思える)。

鹿野という人物が、ある部分では底抜けに陽性なキャラクターを持っているというのもあるだろう。

しかし、一番大きいのは、明日をもしれない闘病生活の中で「生きたい」という、ただその1点に集約された彼のガッツが、磁石のようにボランティアたちを繋ぎ止めていることである、ように感じた。

ほとんど死の宣告に等しかった人工呼吸器の装着を強いられたときも、鹿野はわずか数日で立ち直り、人工呼吸器を装着したまま自宅で暮らすという、当時としてはあり得ないような計画を元気にたてはじめ、そして実現させる。
その生命力というか執念はすさまじい。


表現力がなくて、うまく言いあらわせないが、本書を読んで、生きていくことの意義みたいなものを感じることができた。いい本を読めて幸せだった。
オリジナルが出版されてかなりの年数が経過しているし、かなり売れた本らしいが、未読の方がおられたら、是非に、とおすすめしたい本だった。
コメント
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