老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

自助だけの国・日本

2020-09-14 10:25:26 | 災害
世界的な公衆衛生上の危機の真っただ中、体調不良を理由に国のトップが辞任の意向を表明した8月28日。私にとっては首相の辞任以上に衝撃を受けるニュースを知ってしまい、愕然としていた。

首相への感謝と見舞いの言葉が寄せられる一方で、人気・実力ともに世界トップレベルのフィギュアスケーターである羽生結弦選手が今シーズンのグランプリシリーズを欠場することが、日本スケート連盟から発表された。
https://skatingjapan.or.jp/whatsnew/detail.php?id=61

グランプリシリーズは、フィギュアスケートのシーズン前半の主要国際大会である。世界のトップレベルの選手はグランプリシリーズにまず照準を合わせ、例年であればシリーズ内の上位6名によるグランプリファイナルを目指す。世界ランク上位の選手がこのシリーズへのエントリーを辞退するということは、実質的にシーズン前半を棒に振ることになるのだ。

そのグランプリシリーズを4回制覇し、オリンピック連覇をはじめ偉大な記録を無数に打ち立てながら、現在もさらなる高みを目指して日々練習に励む羽生選手に出場を断念させてしまったことに対し、政府などが発信した謝罪の言葉も現在まで確認できない。羽生選手の決断を受け、感染症対策に本腰を据える計画も今のところなさそうだ。二度のオリンピック優勝の際には紫綬褒章を授与し、オリンピック連覇を達成した途端に国民栄誉賞の授与を検討し始めたにもかかわらず。国民栄誉賞の授賞式で総理大臣から表彰を直接受ける姿も昨日のことのように思い出せる。

ある人物が目に見える成果を出した時にはあたかも親しい友人であるかのようにふるまい、自分たちにとって都合の悪い行動をとったら見て見ぬふりをして即座に切り捨てる有力者は、そう珍しくないのかもしれない。しかし、国がそのような態度を取ることには激しく疑問を感じる。調子のよい時だけ持ち上げ、苦しんでいるときにはまったく手を貸そうともせず、自己責任で解決させるのは、あまりにも卑怯で、見るに堪えない。

本来先頭に立って危機に立ち向かわなければならない立場の人々が感染症の流行を放置しているがゆえに、罹患したら重症化する可能性のある持病を持つ一個人が貴重な実践の機会をあきらめることになる。羽生選手が欠場する判断にいたるまでの思考は、まさしく今の日本が抱えている問題点を浮き彫りにしているようだ。

検査が十分に行き届いていないため、無症状者を中心に誰が感染しているかを把握できておらず、重症化リスクのある個人が、必要な用事であっても外出を自粛することになってしまう。

多くの国や地域では現在でも感染が収まらない日本への渡航を控えるように勧告しているので、国外にいる人と直接会うことが困難である。飛行機の直通便の運航再開にも時間がかかりそうだ。

さらには、自分を応援する人たちが自らとともに移動して集まってしまい、感染リスクを高める可能性まで選手個人に考えさせている。もはや、個人として行動を自粛することが社会全体を感染症の感染拡大から守るための最も有効な手段となってしまっていることを端的に表している。

蛇足なのかもしれないが、羽生選手が出場する試合であれば、無観客であっても有料配信やグッズ販売などで相当な収益を得ることができるだろう。また、試合をテレビで放映すれば高視聴率が見込める。しかし、選手とファンに活動を自粛させることよって、まさに経済活動を活発にする機会をも失うことになってしまう。

そんなことを考えていた矢先に飛び込んできた言葉が「自助・共助・公助」である。今の状況を鑑みれば三つすべてを同時に全力で行わない限り、事態の収束は見越せない。しかし、現状では「自助」のみで現状を打破しようとしているのだ。

日本で生活している人のほとんどは、感染症の流行を終息させようと個人でできることを日々確実に行っている。先の羽生選手の例などはその最たるものだろう。しかし、自助だけでは抑え込むには不十分であることもこの数か月の状況が示している。

常に自衛することを念頭に置いていたら、当然のことながら身近な人を支えることに使える労力は限られてくる。「共助」するだけの余裕もなくなるだろう。自分が罹患しないための行動に専念しているときに、「絆」などと悠長なことは言っていられない。隣人も感染しているのか見当もつかない状況であれば、むしろ物理的には近寄りたくないと思うはずだ。

「自助・共助・公助」をスローガンとして掲げるのは結構なことだが、現在求められていることは、知見に基づいた適切かつ最大限の「公助」であることを忘れないでほしい。

個々の市民はすでに十二分な自助を行っている。余裕があれば進んで共助するだろう。個々の市民の尽力を最大限に高めるためには公助が不可欠である。私たちはどこを目指して走っているのかだけでも直接説明してもらいたいところだ。

「護憲+コラム」より
見習い期間


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