ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

辛くて楽しい。

2013年01月31日 | レッスンメモ
今日も本番同様、最初から通した後に、そこからひたすら練習。まず、気にくわないところを書き出しておいて集中的に練習しました。今が一番苦しくて楽しい時期。

苦しくて楽しいって矛盾していますが、そんな経験ありませんか?

頑張れば頑張っただけの成果があがるというほど甘いものではないということは承知しています。そもそも、やればやるほど伸びるという年齢でもありません。でも、やらないと絶対伸びないということだけは確かです。

頑張るだけでいいなら、どれだけでも頑張りますよ。それでいいんならお安いご用です。しかし、頑張っても出来ないことはたくさんあります。頑張ればいいってもんじゃないんですね。そこが辛いです。でもね。何かその中からこれまでより一つでも出来るようになったり、光るものが生まれたりする。それが嬉しいんです。楽しくなるんです。

だから、辛くて、そして楽しいんです。人生ってそういうものかも知れません。ピアノを通じて、いろいろなことを学んでいます。

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温度調節

2013年01月30日 | レッスンメモ
ピアノを弾いていると、熱くなって汗をかくことがあります。ピアノを弾くということは傍で見ているほど優雅なものではなくて、ほとんどスポーツといっていいくらい身体を使うので熱くなってくるのは当然です。それに加えて気持ちが高揚して熱くなるということもありますし、さらに、弾きにくいパートを無理して弾いて、冷や汗をかくというのも。。。

冬になると寒がりの私は、部屋の中でもしっかり厚着です。皆さまが驚くほど着こんでいます。レッスンにやってくる生徒たちのためにもピアノ部屋はいつも充分暖かくしておかなければなりません。朝起きてから夜9時までずっと一日中暖かくしています。楽譜を研究したり、朝一番のウォームアップのときなどはそれでちょうどいいのですが、通し練習をして練習も佳境に入ってくるとだんだん暑くなってたまらなくなってきます。

上に着ているものを一枚脱ぎ、またしばらくしてもう一枚脱ぐ。どれだけ着てるのって感じですがこうやって調節するしかありません。ちょっと休憩してまたピアノに戻る頃には、もう寒くなってきてまた重ね着し始めるのです。エアコンはサーモスタットが働いて一定の温度を保っていますが、自分の身体の温度調節が難しいのです。というわけで着たり脱いだりがしやすい暖かい部屋着、というのが私には欠かせません。


「モモンガ風カーデガン」買いました。とっても楽です!!このタイプ好きです。

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ご案内:来週の大分での催し物

2013年01月29日 | レッスンメモ
お正月が終わったばかりと思ったら早いものでもうすぐ2月です。2月は短いのでこれもまたあっという間に過ぎ去ってしまいそうです。そんな2月の催し物の中から二つご案内いたします。

まずはじめにピティナの受賞者コンサートです。ピティナコンペティションで優秀な成績をおさめた参加者たちによるコンサートで、私の教室の生徒も出演します。出演する生徒たちにとっては晴れ舞台。生徒がこういうコンサートで演奏するのを聴くのはとても幸せなことです。いよいよ本番直前ということでレッスンも大詰めを迎えています。

「第23回ピティナピアノコンペティション 受賞者コンサート」
日時:2月3日(日)、12:00開演
場所:音の泉ホール
入場料1000円
主催:ピティナ大分支部

続いて2月5日は先日ご案内した後藤ミカ先生のセミナーです。

「オリジナルアレンジを書いてみよう! ブルクミュラーでお国めぐり レクチャーコンサート」
日時:2月5日(火)、10:15~12:15
場所:iichiko総合文化センター、地下一階スペースBe
講師:後藤ミカ
受講料:2000円
主催:平和楽器

後藤先生が編曲なさったブルクミュラー25の練習曲の連弾アレンジ、これが本当に楽しいんです。私は当日のレクチャーコンサートの連弾のお相手をつとめます。皆様のお越しをお待ちしております。

ところで後藤ミカ先生、今度はハノンの連弾アレンジの楽譜を出版されました。これも楽しいですよ。ちょっと連弾しましょなんていう時も、相手が初見でも困らない。なんたってハノンですから。すぐに楽しく連弾ができます。

それぞれご興味のある方はどうぞ足を運んでみてください。きっと何か得るものがあると思います。

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録音練習

2013年01月28日 | レッスンメモ
昨日は、一日、本番通りの通し練習をしました。プログラムを最初から最後まで通すと約1時間45分。1回通すだけでこれだけのまとまった時間が必要です。昨日はその通し練習を最初から最後まで録音して、後でそれを聴きながらまた練習しました。とにかく限られた時間の中で効率よく練習しなければなりません。

「自分の音を聴きながらピアノを演奏しましょう」とはよくいわれることですし、私自身もよく生徒にそう言いますが、実際には結構むずかしいことです。そこで役立つのが録音機。自分の演奏を客観的に聴くということはとても大切なので、録音して、そしてそれを聴いて修正していくわけです。

録音機から聴こえてくる自分の演奏を、私は「生徒」にレッスンする時のように厳しくチェックします。「ほら、そこ、音が違ってる!」、「うーん、もうちょっと柔らかく」、「もっと流れるように」「呼吸深すぎ!」などという感じです。もちろん時にはほめてあげることも必要です。「うん、そこいい、すごく良くなったわよ!」 こんな風にピアノ部屋で一人二役している姿は、ちょっと人様にはお見せできませんね。

もっとよくならないか、どこが悪いのか、追及に終わりはありません。自分の録音を聴くとたくさんみえてくるものがあります。自分で自分をレッスンする録音練習、今日もしっかり愛野由美子にレッスンつけるかな。

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ショパンの「子守歌」

2013年01月27日 | クラシック豆知識
3月1日のリサイタルのプログラム、2曲目はショパンの「子守歌」です。この曲は、大変女性にモテたと言われながら生涯一度も結婚することなく、子供もいなかったショパンが書いた唯一の子守歌です。

わずか5分程度の小曲ですが、慈愛に満ちた美しい作品です。曲の初めから終わりまで左手は一貫して同じ和声進行を一定のリズムで繰り返すバッソ・オスティナートです。8分の6拍子でゆれる揺りかごの動きをこの左手が表しています。そしてメロディをつかさどる右手の方は、優美なフレーズを次々に変奏していくという構成になっています。

ショパンの「子守歌」自筆譜

この曲はもともと作曲当初、「変奏曲」というタイトルで書き進められていたというくらいですから、右手のメロディの様々な変奏の美しさをきちんと表現することがポイントになります。いかにもショパンらしい、美しく、優しく、きれいな音で弾けるかどうかがポイントになります。いわゆる超絶技巧が要求される曲ではありませんが、それだけに一音ごとのごまかしがききません。

私がこの曲のことをあらためて好きになったのは、大分に住み始めてすぐの頃、1999年に大分の音の泉ホールで、今は亡きアリシア・デ・ラローチャの生の演奏を聴いたときです。スペイン出身の世界的女流ピアニスト、ラローチャは当時76歳。そのラローチャが弾いたショパンの「子守歌」は、身体じゅうに沁み入る愛情あふれるものでした。私はその美しさと慈愛に満ちた音楽にすっかり虜になったのでした。それまでは「ちょっと感傷的なきれいな曲ね」くらいにしか思っていなかったこの曲をこのとき見直しました。

ラローチャにはショパンと違って子供がいます。でも、若い頃から世界で活躍するピアニストとして世に出たため、あるインタビューによれば、思うようには子育てのための時間をとれなかったことを悔やんだりもしています。初めての出産の一ヶ月後には外国への演奏旅行にでかけなければならなかったほどだそうです。もしかしたら、当時自分の子供たちに聴かせてあげられなかったという切なさをこめて弾いていたのかもしれません。彼女の演奏を聴いた後、ああ、何とやさしく、悲しく美しい・・・とため息が出たのでした。

どこまでその美しさをだせるか、私も一人の母として色々な思いを込めて、この曲の存在に感謝しながら弾いています。

※追伸
スマホ、無事なおりました。ドコモショップに持っていったら、若い店員さんが、たった3秒で元通りにしてくれました。なにか「設定」がおかしかったとのことでした。私には何が何だかさっぱりわかりませんでしたが、とにかくなおって良かったです。ご心配かけてすいませんでした。

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業務連絡 スマホメールが使えません

2013年01月26日 | レッスンメモ
昨日から、スマホの電話以外のものが使えなくなっています。もし、メールなど頂いた方、今携帯が使えない状態です。ご了承ください。これから治してもらいに行きますが、その間お待ちください。

昨日、もしくは今朝、メール送って頂いた方、私には届いておりません(表示されていません)。こちらからも送れなくなっています。返信も出来ない状態です。

こんなの本当に困りますよね。早く回復しないと気が気ではありません。そんな私は、少し依存症(?)になっているのでしょうか。

スマホから離れて気持ちが落ち着かなくなっています。ちゃんとピアノに集中しなくちゃ!と思っているところです。そばにスマホを置いているだけで、結構集中できるものなのだということが分かりました。私は、朝と夜にスマホを使って日中はそんなに使わないのですが、使えないとなると気もそぞろになりますね。

慰めのクリックお願いします。

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部分練習  「犯人を探せ」の巻

2013年01月24日 | レッスンメモ
ピアノの曲を弾いていく中で、つっかえるところは部分練習をするというのは常識ですね。

でも、ときどき「部分練習をしたけどうまくいかないんです」と訴える生徒がいます。そのうまくいかないというのには2種類あります。一つは、その部分だけ取り出してやればできるけど、また最初から通して弾くとやっぱり駄目になる。もうひとつは、その部分だけを練習してもしても、ちっとも弾けるようにならない場合。

前者は、その部分が弾けるようになったので、いきなり最初から通そうとして失敗するパターンです。これはその前の音とのつなぎがうまく行ってないから起こることなので、部分練習の1音前をくっつけて弾く練習をします。その後、2音をくっつけて、そして3音、・・・とだんだん広げていって、1小節をくっつけるという風に段階を経るとうまくいきます。

厄介なのは、後者。そこの部分練習をやってもやってもうまく出来ないというう場合。こんなときは、やみくもにそのフレーズを100回やっても無駄です。さて、そこから犯人探しの開始です。何が原因でそこがうまくいかないか。そのフレーズ全体を練習してもうまくいかないなら、まずもっと小さく分解して出来ない個所をしっかり分析する必要があります。たとえその部分がたった5音で成り立っているスラーだとしても、2音ずつ「こことここがだめかな?」「ここと次の音?」と、一つずつずらしてみて、2音の間のどこが滞っているのかを探します。そうすると、すんなりいく2音とそうでない2音の場所を探り当てることができます。はは~ん、犯人はこれかと特定できると、後は、2音ずつから練習して、一音ずつ増やしてひろげていくのです。

これらの方法は私が自分自身の練習で苦労しながら編み出したものなので、その効果は保証付きです。皆さんも是非お試しください。

とはいえ、犯人探しというのはそんなに簡単なものではありません。

たいてい滞るところというのはその前の場所から力みが入っていることが多いです。その原因は何も心理的なことだけではなくて、音と音が離れているために手を広げる、指を広げるなどの時にも力みが発生しやすいです。それも犯人の一つ。

それから、指番号をしっかり頭の中で整理できていない場合もそうです。指があやふやで音だけ分かっている場合があります。その指があやしいのも犯人。さらに、右手でつっかえていてそこを練習していても、実は原因は左手にあって、それが原因でつっかえている場合もあります。

犯人は単独行動の場合もあれば、複数で襲ってくる場合もあります。こちらとしてもあらゆる角度から犯人探しを充分にやり、それを突き止めたと思っても油断せず、本当のボスが潜んでないか、常に目を光らせながら、町の秩序ならぬ曲の秩序を守らなければならないのです。

私の場合、長年やっているせいか、生徒の曲の犯人探しはかなり上手になりましたが、それでも自分の弾く曲でなかなか真犯人が見つからないまま、迷宮入りしてしまいそうな曲もいくつかあります。でも絶対いつか必ず見つけ出します。何しろピアノの道に時効はないのですから!

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グループ・アイ定例会

2013年01月23日 | セミナー、勉強会
昨日は iichiko総合文化センターのスペースBで、グループ・アイの定例会を行いました。今年最初の定例会で、新たなメンバーも加わわって、和気あいあいと楽しく勉強いたしました。

年の初めのテーマは「レッスンのご披露会」です。メンバーそれぞれが1曲ずつ担当の曲を持ち寄って、どのようにレッスンしているのか、実際にみんなの前でやってみます。この曲のこんなことに注意しているとか、どんなことを説明しているとか、ピアノを弾きながら、日頃から生徒にレッスンしていることをみんなの前でやって見せるのです。そうしてそれについての質問や意見などを皆で出し合います。同じ曲でも先生によって、レッスンのスタイルや、ポイントの置き方など、やり方は色々違います。それをお互いに共有すると、幅が広がって益々レッスンに役立てることができると思います。今まで、気がつかなかったことや、どうしたら生徒に伝わるかなどのアイディアなど、知恵を出し合った方が、一人で考えるより、良いに決まっています。どんどん意見や質問が出て実りある会になりました。

次回の定例会のテーマは「発表会、教室イべントについて」です。次回も楽しくやりたいと思います。

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ランちゃんの一日

2013年01月22日 | Weblog
2006年の1月に始めたこのブログ、いつのまにか丸7年が過ぎて、いよいよ今年は8年目に突入しました。さて、そんな私のブログの中で、一部の読者の方から人気を集めているのが、我が家の猫に関するエントリーです。このランちゃんのブログを楽しみにしているという読者の方が少なからずいらっしゃるのです。

というわけで、今日は猫ネタです。ランちゃんの一日は、私といっしょに始まります。夜は一緒にベッドで添い寝しているので、私が起きるまでお布団の中で一緒にぬくぬくとしているのです。朝起きたら、一緒に歩調を合わせて階段を下りて階下に行きます。それからランちゃんはご飯を食べたりウロウロして、私がパソコンに向かうとパソコンの前で邪魔したりしています。


私は、朝の一通りの準備や家事を終えてそれからもう一度、2階にかけ上がります。ランちゃんはその時も一緒に駆け上がってくっついてきます。私がお化粧をしている間にベッドに入り、私の毛布にくるまってまたまた寝るつもりです。「え?今起きたばかりなのに!」と思うのですが、しっかり布団の奥まで潜り込んでいきます。ランちゃんの二度寝タイムの始まりです。

ここでようやくランちゃんと分かれて私はピアノの部屋にこもります。ピアノ部屋は「猫禁止」になっています。以前自由に出入りさせていたこともあったのですが、ピアノの中に猫の毛が入っているのを見つけた調律師さんに叱られたので、それ以来出入り禁止にしました。

昼食時にピアノの部屋を出ると、ランちゃんもベッドから出て来て下に降りてきます。一番太陽の光の当たっているソファの場所を選んで、ゆっくりくつろいでいます。午後のお昼寝タイムはここで過ごしています。時々、犬のゲンちゃんがそばを歩くと「ふー!」と言って威嚇します。「何よ!邪魔よ。私の前を通らないで!」という意味です。素直で控え目なゲンちゃんは困ってしまってそばを離れます。

私は昼食が終わったらまたピアノの部屋に閉じこもります。途中、出入りを少ししますが、最終的にピアノの部屋を出てくるのは8時か9時頃になります。毎晩8時近くになるとランちゃんがピアノの部屋のドアの前の廊下でじっと待っています。私が出てくるのを待っているのです。忠犬ハチ公も顔負けの忠猫だと思います。8時を過ぎてピアノの音がやんでも部屋から出てこないと「にゃ~、にゃー」と催促します。「まだなのー、はやく出て来てよぉー」という意味です。

その後はずっとランちゃんと一緒に過ごします。ご飯を食べるときも一緒。浴室の中にまで一緒に入ってきます。お湯につかったりはしませんが、浴室の隅でじっとおとなしく座って待ってるのです。

2階に上がってベッドに入ると、「うにゃ」とか言いながら手で毛布を器用に突っつきます。「お布団に入れて」という意味です。私は、布団をもちあげて中に入れてあげます。まっすぐ頭から入ってきて、布団の中でくるっと方向転換して、私の枕に仲良く頭を乗せていっしょに寝るんです。ちゃんと肩まで布団を着て顔だけ出しています。赤ちゃんみたいでとてもとても可愛いです。

このランちゃん、私にとってはちょっと特別の猫です。ランちゃんにとっても私は特別みたいです。家族の誰よりも私になついていることは明らかです。私が呼ぶとちゃんとお返事するんですよ、「にゃーん」  ハイ!親ばかでした。

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エアピアノ

2013年01月21日 | レッスンメモ
昨日は、楽譜を見ながらピアノのないところで指を動かす練習をしました。これは、私にとって、大切な準備。鍵盤のないところで指を正確に動かしているかどうかをチェックするものです。もちろん一番大事な練習は音質、表現など実際にピアノの音を弾きながら聞きながらの練習です。しかし、楽譜通り指が動いているか、頭からちゃんと命令がだされているかのチェックも必要です。一音も見逃さずにそれが動いていなければならないのですが、ピアノから離れて指を動かすとあやふやな部分が残っていたり、何か見落としているものを発見できたりします。その指の運動そのものが当たり前のものとしてクリアしていなければ、表現しようとする時に邪魔してくるのです。

しかし、これがそんなに当たり前のことではありません。何せ、右も左も別々の動きですし、それぞれに5本の指で多種多様の動きをするのですから。私にとってこれをきちんとするのは、厄介です。頭の中で指番号を一つ間違えたり、音を一つ間違えたりしたら、すぐ、次が滞ってしまいます。この滞る部分は、さっさと解決していなければなりません。

ピアノがそばにあるとピアノを弾きたくなってしまいます。それを我慢して頭の中で整理していく作業です。たまに生徒にもやってもらいます。ピアノの上では結構弾けているようでも、空中でやるエアピアノはあやふやな部分まだまだあるものです。皆様もお試しあれ!


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ムジカノーヴァに寄稿しました

2013年01月19日 | レッスンメモ
昨年の秋、茶話会「教材あれこれ」という会を開きました。これは私が代表を務めているピアノ教育研究グループ、「グループ・アイ」の主催で開いたものです。この茶話会の参加者を募るための案内記事をこのブログに書いたところ、「ムジカノーヴァ」の編集部の方からご連絡をいただきました。この企画に興味をもっていただいようで、会が終わった後にその内容をまとめて寄稿してほしいということでした。「ムジカノーヴァ」は音楽之友社が発行しているピアノ指導者向けの月刊誌です。

というわけで、昨年11月に大分市のコンパルホールで開いた、茶話会「教材あれこれ」のレポート記事が、本日発売の「ムジカノーヴァ」2013年2月号」に掲載されています。ご興味のある方は是非ご覧になってください。



グループ・アイでは、様々な取り組みを行なっています。今回取り上げて頂いた「教材あれこれ」もまた回を重ね研究を深めたいと思っています。

※ピアノ教育研究グループ「グループ・アイ」では会員を募集しています。ピアノ指導者の方ならどなたでも歓迎です。



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マロプロジェクトの室内楽コンサート

2013年01月18日 | レッスンメモ
昨日の夜は室内楽コンサートに出かけました。大分市の音の泉ホールで開かれた「マロプロジェクト」のコンサートです。

「マロプロジェクト」というのは、NHK交響楽団のコンサートマスターをしている篠崎史紀さんと大分の文化財団法人が中心になって企画された若手演奏家育成のためのプロジェクトです。

毎年、地元大分の小学生から大学生まで、マロさん(篠崎さんのことを大分では皆こう呼んでます)によるオーディションで選ばれた若い演奏家の卵たちが、N響のメンバーたちと一緒にコンサートで共演できる場を提供してくれるのです。ピアノソリストやヴァイオリン、クラリネットなどたくさんの方々にそのチャンスが与えられます。

このオーディションが結構大変で、ピアノについていえば三段階のレッスンつきオーディションを経た上で、やっとこのコンサートの舞台を踏むことができるのです。マロさんによるこのレッスン付きオーディションは公開レッスンなので、私もこれまで何度か足を運びました。バイオリニストから見たピアノソリストへの注文など、とても面白くて勉強になりました。しかもその軽妙洒脱なお話しぶりが素敵で、マロさんの公開レッスンは聞いていて飽きることがありません。

そんなオーディションを経て選び抜かれた「大分の若き演奏家たち」とマロさん率いるN響メンバーとの室内楽コンサート。今年で6年目になるこのコンサートですが、昨夜もとても良かったと思いました。小学生から大学生まで幅広くたくさんの曲を演奏するコンサートですから、途中2回の休憩をはさんで、たっぷり3時間以上かかるプログラムでした。それなのに全然飽きないし、退屈にならない。本当にみんな素晴らしかったです。篠崎さんのバイオリンにリードされて、それぞれの楽器の若いソリストたちが皆、本当に生き生きと、みずみずしい演奏を披露してくれました。

マロさんのような日本最高レベルのコンマスに直接レッスンを受けた後で、しかも一緒にコンサートで共演する機会が与えられるなんて、ほんとに素晴らしいことだと思います。それぞれの若い出演者たちにとって、きっとかけがえのない経験になっただろうと思いますし、聴衆の一人として私はとても聴きごたえのある、満足のできるコンサートだと思いました。

というわけで、この「マロプロジェクト」、私はものすごく有意義なプロジェクトだと思っていて、マロさんと大分文化財団に心から感謝の気持ちを持っている一人なのですが、昨夜、すごいショックなことがありました。
コンサートが終わって最後の挨拶のとき、「マロプロジェクトは今回で終了です」というお知らせがあったのです。 なんてことでしょう!これは残念です。他にないユニークな企画だし、若い演奏家を育てるのにはとても有意義で本当に素晴らしいプロジェクトだと私は信じているので、是非、もっともっと続けて欲しいと願わずにいられません。もう無理なのかしら? 何とか方針を変えてもらうわけにはいかないのかしら? 主催者の方、どうか考え直してください、お願いします。 

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月光ソナタ第一楽章のペダリングについて

2013年01月17日 | クラシック豆知識
一昨日に書いた月光ソナタのエントリーのコメント欄で、ペダルについてのやりとりがありましたので、今日はそのことについて書いてみたいと思います。

月光ソナタでペダルの使い方がなぜ問題になるかといえば、それはベートーヴェンが楽譜に書き記したイタリア語の指示を文字通りに受け止めてその通りに弾くとかなり変なことになってしまうからです。これはベートーヴェンの時代のピアノ、つまりフォルテピアノと現代のピアノの構造が違っているということからくる問題です。

まず、ベートーヴェンが楽譜に自ら書き記した言葉(指示)から見ていきましょう。そこにはこの第一楽章全体について「Senza Sordino」で弾くように、と書いています。これをそのまま訳すと Sordino(弱音器)無しでという意味です。現代のピアノでSordinoといえば左ペダルのこと(ソフトペダルのこと)ですが、ここではそう理解してはいけません。なにしろベートーヴェンが月光を作曲した当時のウィーンのフォルテピアノには、そもそもペダルがついていなかったというくらい、現代のピアノとは構造も音もちがっていたのです。

ここでのベートーヴェンの意図を現代ピアノに置き換えると、Sordinoは右ペダルで操作するダンパーのことを意味するということになります。私が高校生の時から使っているヘンレ版の楽譜(かなりぼろぼろ)にはこの点についてちゃんと説明が書いてあります。「Senza Sordino」は「Without Dumper」を意味していて、これはつまり「With Pedal」ということなのです。これなら意味は分かります。要するに右ペダルをずっと踏み続けてダンパーを上げたまま、つまり音を鳴りっぱなしにして弾きなさいという指示です。しかもこの第一楽章全体を通じて!

さて、ベートーヴェンの指示の意味は分かりましたが、これを実際にその通りに現代ピアノで弾く人は少ないでしょう。それはあまりにも音が濁りすぎて(前の音が鳴り続けるので次の音にかぶってしまう)聴こえてしまうからです。この点についてパウル・バドゥラ=スコダは、日本で行った公開講座で次のように述べています。「現代のピアノで全く同じペダリングを使用することはできません。そうしてもまるでピアノが壊れているか、あるいはペダルをきちんと踏めない初心者のような演奏になってしまいます」。スコダは、シフのレクチャー録音に名前の出てきたエトヴィン・フィッシャーのもとで助手を努めるなど、その伝統を受け継いだ名ピアニストです。

一方で、あくまで作曲家の指示通りに音楽を再現することを目指す人たちは、現代ピアノではなくて、わざわざ当時のフォルテピアノを復元したものを使用して演奏することにチャレンジしたりしています。バッハの楽曲などでよく見られる、古楽器による当時のままの演奏を再現するという試みですね。これは確かに興味深い試みだと思います。

しかし、面白いのは先日紹介したアンドラーシュ・シフです。シフは現代ピアノでも、あくまでベートーヴェンの指示通りのペダリングを行うべきだと主張しています。

現代ピアノでベートーヴェンの指示通りのペダリングをすることについて、シフは色んなピアニストたちに尋ねてみたことがあるのだそうです。「するとみんな『そんなこと現代ピアノでは出来っこない』という答だった。それじゃ、実際にそれを試してみたことはあるのかいと聞いてみると、みんな『いや、やったことなんかない。だけど出来ないんだよ』という答えだった。やりもしないでそんなことを言うのは、私はおかしいと思います。ベートーヴェンは本当に偉大な作曲家なんだから、彼自身がわざわざ注記した言葉にはもっと真摯に向き合わなければいけない、そこにはちゃんと理由があるはずだから。」

こう言ってシフは現代ピアノで実際にペダルを踏んだままで弾いてみせます。その際ペダルは一番下まで踏み込むのではなくて、浅めに、3分の1程度のところがちょうどいいと言っています。こうして弾くと前の音が次の音にかぶさって、音が濁ったように聴こえるのですが、それがかえって、暗い「死のイメージ」にふさわしい、これこそが作曲家の意図していた特別の意味のある音なのだと語っています。

ダンパーペダルを踏んだままのシフの演奏がこれです。


さすがシフですね。私には真似出来ません。シフが3分の1ペダルを踏んで、少し霧がかかったような効果を出して弾いているのは、お見事です。この濁り具合が絶妙な暗さとどんよりした重苦しい雰囲気をよく表現していると思います。

さて、3月1日のリサイタルでは現代ピアノの代表選手、スタインウェイのフルコンを使用するので、ダンパー上げっぱなしの術は、ちょっと使えません。どのように弾くつもりかといえば、あくまでオーソドックスなペダルの踏み変えを基本としながらも、ペダルの踏み変えのタイミングをずらしたり、踏み込みの深さに注意を払うことによって、ベートーヴェンが意図した音の重なりや濁りの効果を出すようにしていこうと思っています。

いつかフォルテピアノで弾く機会があったなら、ダンパー上げっぱなしという指示通りでトライしてみたいと思っています。

参考:
「ベートーヴェンのペダル パウル・バドゥーラ=スコダによる公開講座」
「Andras Schiff:the lectures」

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最近の私のダイエット

2013年01月16日 | グルメ
私は食べるのが大好きな食いしん坊です。しかし最近、少し体重が増えてきたし年齢的なこともあるので、以前ほどは量を食べないよう気をつけています。ここで私がとっている作戦は、好きなものを食べることを我慢するのではなくて、嫌いなものを無理して食べない、きっぱり残す!ということです。

これは子育て中のお母さんにはなかなか出来ないことですよね。お姑さんの目が光っているような場合も、「もったいない」と叱られてしまいそうです。私も子育て真っ最中の頃は「出されたものは残さず食べなさい」と子供たちにやかましく言う方でしたので、自分が残すことなどなくて、むしろ子供たちの残したものを平らげる日々が続いたものです。こんなとき、嫌いなものはどうしたらいいかというと、それは初めから自分の嫌いなものは作らなければ良いのです。

そうは言ってもやはり家族の中でそれぞれ好き嫌いがあるのは避けられないので、私の嫌いなものでもたまには食卓にのぼることがあります。そんなときに、これまでと違って最近は、大胆に、きっぱりと「これ嫌いだから、私、食べない」と宣言するのです。これ、結構みんなびっくりするみたいです。お母さんというのは好き嫌いというものがなくて、何でも食べるものだと信じ込んでいたようです。

ごめんなさい、それは誤解です。私だって好き嫌いはあるんです。教育上、そう見えないように工夫していただけなんです。でも、今はもう、みんな大人だし、私も無理して嫌いなものまで食べなきゃいけない年じゃないし、これからはもっぱら自由にやらせてもらいまーす!

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「月光」ソナタ について

2013年01月15日 | クラシック豆知識
3月1日金曜日に行う私のリサイタルで最初に弾く曲は、ベートーヴェンのソナタ「月光」です。この「月光」というタイトル、実はベートーヴェンがつけた名前ではありません。ベートーヴェン自身がつけたこの曲の本当のタイトルは「ピアノソナタ第14番嬰ハ短調作品27の2(幻想曲風に) 」というものです。「月光」というのは彼の死後、著名な音楽評論家で詩人のルートヴィヒ・レルシュタープが、月明かりに照らされた湖面を進む小舟のイメージとこの曲の第一楽章とを重ねあわせたことから有名なになった通称です。

さて、ベートーヴェンがつけたわけではないこの題名。果たしてベートーヴェン自身がこの曲に込めた曲想を本当に正しく反映しているのかといえば、決してそうではないという見方があります。

このことを力説しているのが私の大好きなピアニストの一人であるアンドラーシュ・シフです。アンドラーシュ・シフによる講演の録音で彼の解説を実際に聞くことができます。ここでシフはこのベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番のタイトルを「月光」とするのはまったくの「ナンセンス」だと言い切っています。以下、シフの説明を要約してみましょう。

まず、偉大なピアニストで指揮者、教育者としても有名だったエトヴィン・フィッシャーによる「発見」のエピソードの紹介です。フィッシャーはどうしてもこの曲の通称「月光」というのが、この曲の曲想を表すものとしてふさわしいとは思えず、色々と研究を行なっていました。ある日、何か手がかりがないかとウィーンの図書館に出かけて、ベートーヴェン関連文書を見せてもらっていたときに、ベートーヴェンの手書きメモに目を留めました。そこにはモーツァルトの作曲した「ドン・ジョバンニ」の楽譜の一節がべート-ヴェンの手によって書き写されていたのです。それはオペラ、ドン・ジョバンニの劇中で、騎士長がドン・ジョバンニの剣に刺されて倒れて死んでいく場面に使われているフレーズでした。そしてこのフレーズこそ、ベートーヴェンが「月光」の第一楽章に(嬰ハ短調に転調して)取り入れたフレーズの元になっているということは明らかだというのです。

この発見により、フィッシャーはこの曲は湖面の月明かりなどとは程遠い、死の場面、葬送の場面をイメージしたものにほかならないと主張したのです。アンドラーシュ・シフはこの話しを紹介しながら、全くその通りだとフィッシャーに賛同しています。そして実際に「ドン・ジョバンニ」のその一節と「月光」の該当部分を弾いて聴かせて、聴衆に「ほらね、私にはこれで一目瞭然だ。これはムーンライトとは何の関係もない、ドン・ジョバンニの死の場面です。葬送の場面なんです。」と述べています。

さて、どうしましょう。月明かりに揺れる小舟のイメージと、死のイメージとでは大違いです。片やロマンティックで、一方は暗く深刻です。

皆さんはどちらの解釈の方がしっくりきますか? 私も実はこの「月光」というタイトル、以前から何だかしっくりこないなあと思っていました。この曲から感じることは、美しさとか風景の描写というよりは、暗くて悲しい深刻なテーマ。それがずっと横たわっているという感じです。その点ではシフの言うとおりだと思います。

例えばドビュッシーのベルガマスク組曲の中に「月の光」という曲があります。この曲は夜の湖に映った月の光が水の動きによって揺らいだり、きらめいたり、雲に隠れて影になったりと、大変描写的で、そのタイトルと曲想が本当にぴったり一致しています。

ところが、このベートーヴェンのソナタは、そうではありません。もっと内面的な心の嘆きや悲しみの声が聞こえてくるような気がするのです。ただしかし、そうは言ってもムーンライトソナタとしてこんなに有名になったことにも理由があるはずで、それを無視することはできないし、シフのように「ナンセンス」とまで言い切るのもどうかと思います。そもそも月の光といえば、太陽の光のように明るくはないし、ろうそくの光ほど弱々しくもなく、闇夜に冴え冴えと光るものだから、私の感じる暗さ、深刻さ、不安というものをそこに重ねてイメージすることも十分可能なのですから。

というわけで、私はこの曲を暗い闇夜をかすかに照らす月明かり、それは決してロマンティックなものではなく、嘆きと悲しみ、そして死のイメージをも含めて、それでも時を刻み、静かに光る月に託したものと解釈しています。そうすることによって第二楽章の凛とした新たな息吹が一層引き立つし、第三楽章の激しさ、クライマックスの効果が高まっていくと思うからです。

ちなみに、この曲がベートーヴェンとは無関係に「月光」という通称で世間に広まって行ったことを苦々しく思った専門家はフィッシャーやシフだけではなかったようです。そうした専門家の批判に対して、ある有名な音楽雑誌の創立者が残したという反論の言葉が興味深かったので、最後にご紹介しておきます。

「頑固な批評家たちがほとんどヒステリーになったような勢いで、レルシュターブのことをあげつらっているのは、まったく馬鹿げたことだ。こうした頭の硬い批評家たちが分かっていないのは、そもそもこの曲に『月光』のイメージを結びつけるということがこれほど世間のみなさんに受け容れられてなかったとしたら、レルシュターブの言葉はもっとずっと以前に、とっくに忘れ去られていただろうということだ。」(WIKI)

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