ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

発表会の連弾組曲

2013年09月30日 | レッスンメモ
私の教室の発表会は11月9日。だんだん迫ってきました。今回の発表会の目玉は「連弾組曲」です。これは、いくつかの連弾曲を選んでそれらをつなぎ合わせる簡単なストーリー(お話)を私が作って組曲風にアレンジしたものです。このブログでも連弾の大切さについて何度か書きましたが、こういうかたちでみんなに連弾の楽しさを感じてもらいたいのです。昨日は、その連弾組曲の全体練習会を行いました。曲目は次の通りです。

1いたずら仔猫が2匹もいたのさ、平吉毅州作曲

2ハンスとグレーテ、シュンゲラー

3アラベスク、ドビュッシー

4僕の城、アンゲルプレシュト

5金平糖の踊り、チャイコフスキー

6ホワイトクリスマス、布施威 編曲

7クリスマス・パーティーは大騒ぎ(メドレーリレー連弾)、春畑セロリ編曲

8仮面舞踏会、ハチャトゥリアン

9おしゃべりなスペイン娘、ブルクミュラー・後藤ミカ編曲

昨日は初めての全体練習だったのでなかなか大変でした。とりあえず合わせるだけで精一杯。特に7番目のリレー連弾では大きい子や小さい子が一つのピアノに向かって入れ替わり立ち替わり次々と弾いて行くので、いすの高さを調節する暇がありません。だからこの曲はみんな立ったままで弾きます。いつもと勝手が違うのでとまどうのも無理ないですね。いずれにしても昨日はまだまだ音楽的指導まで至らなかったのが残念。本番までにあともう一回全体練習の予定を組んでいます。(あと、もう1回だけしかないんだよなあ~)もっとたくさん全体練習の予定を作っておけばよかったと焦っているのは私だけかしら? だけど、ここから急旋回でぐぐっと調子を上げてくれるのが私の教室の生徒たち!

期待してるよ~。一緒に頑張りましょうね

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輪島選手に学ぶこと

2013年09月29日 | レッスンメモ
昨夜テレビでボクシングの元世界チャンピオン輪島 功一さんの特集をやっていました。私はボクシングはあまり興味が無いので輪島選手のことは名前くらいは聞いたことあるなあという程度でした。こういうのが大好きな夫が真剣に観てるので、ついつい私も一緒に最後まで観てしまいました。そしたら、この番組、とっても面白かったです。

輪島選手は世界チャンピオンになるくらいの人ですから、現役の頃はものすごく練習する人だったそうです。ただ、それは他の誰でもやること。輪島選手が違っていたのはその練習に「頭」を使っていたことだそうです。

例えば、輪島選手はサンドバッグを打つ練習をしているとき、空振りするんだそうです。相手はサンドバッグなのに空振り! 不思議に思ったトレーナーがなんで空振りするのかと尋ねたところ、「馬鹿だな、本番で空振りしないってことなんかあるか? 空振りした後の打ち方を練習しとんくんだ!」と答えたそうです。

さらに、輪島選手は「カエル跳び」とか、相手を惑わす独特な動きでファンを沸かせましたが、それは対戦相手と比べてリーチ(両腕を広げた時の長さ)が短いという弱点を克服するために、「ありとあらゆること(工夫)をやった」ことのひとつだというのです。

こうして人一倍の工夫と努力を重ねて練習に励んだ輪島選手が、いざ本番に臨む時に一番大事なのは「勇気」だと断言します。最後の最後まで立ち向かう。たとえノックアウトされても自分で納得できなければ(悔いが残るようであれば)、再挑戦する。再挑戦には勇気がいります。それでも輪島選手は「また負けるんじゃないか」という恐怖を克服して、勇気をもって、リングに向かったのです。

本番に臨む自分の姿を重ね合わせて、思わず見入ってしまいました。あんなに練習してあんなにちゃんと弾けていたのに・・・。結果がよくないと、もう次回ステージに立つのが怖くなります。またあのようなことになるのではないか、また失敗するのではないかと。でも、もう一度工夫して、弱点を克服して、練習して、再びステージに向かう勇気。この勇気を持って本番に臨む。リングの上もステージの上も一緒だなあと思いました。

輪島さんのジムには「練習は根性、試合は勇気!」という標語が書いてあります。私は「練習は工夫、本番は勇気!」、これだと思っています。


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オウム返しレッスン

2013年09月28日 | レッスンメモ
ある日のレッスン風景です。

生徒 「たらりらりん」

私 「あっ、そこ、転んじゃってるね。」

生徒 「たらりらりん」

私 「う~ん、まだ転んでるよね。」 立ちあがって生徒の後ろに回って鍵盤に手を伸ばし、生徒と同じところを弾く。
私 「♪タラリラリン♪、ハイ、この通りやってみて」

生徒 「たらりらりん」

私 「うん、違うよね、こうよ。♪タラリラリン♪、ハイ!」

生徒 「タラりーらりん」

私 「うん、最初はいいわよ。よく聞いて、♪タラリラリン♪、ハイ」

生徒 「タラリラーりん」

私 「うぅん、違うちがう、ほら、♪タラリラリン♪」

生徒 「タラリラリン」

私 「そうそう、あともう少し、ほら、もっとこう、♪タラリラリン♪」

生徒 「♪タラリラリン」

私 「もう一回!」

生徒 「♪タラリラリン♪」

私 「オ!出来たできた! ハイ、次行こう!」

フレーズの練習でどうしても転んでしまう時は、まずゆっくり弾いてさらい直す、符点練習などをしてもらいますが、、それでも上手く行かない時には上に書いたような方法をよく使います。オウム返し、あるいはまねっこと呼んでいるレッスン方法です。短いフレーズの練習に効果的です。同じ個所を何回もかわりばんこに弾いているうちに少しずつ近づいていって、ちゃんと同じように弾けるようになってきます。言葉だけでは伝わりにくいことは、やって見せる!これですよね。

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悲鳴

2013年09月27日 | レッスンメモ
ここ数日、本当に爽やかな秋晴れで朝晩も涼しくなってとても気持ちいです。今朝もそんな朝で、いつものように朝食を終えて朝の支度をテキパキ整えていたら・・・。

あり得ない場所から、まったくの想定外のところから、いきなり不意打ちで、私がこの世で一番嫌いな、あの、ゴ○ブリが這い出してきて、悲鳴をあげてしまいました。

自分でも、かなり大きな声だったと思います。あんまり気持ちの良い朝だったので、あちこちの窓はすべて全開。ご近所に私の悲鳴が響き渡ったのは・・・マチガイナイ。私の声で眼を覚ました人もいるかもしれません。

私がゴ○ブリを大っきらいになったのは、忘れもしない小学校2年生の頃のある日の出来事が原因です。その晩、実家の台所でゴ○ブリを発見した私は、すぐに母を呼びました。とてもそばには寄れないけれど、ゴ○ブリを見かけること自体は初めてではないので、いつものように母がとってくれるまで、しっかりそばで見張っていました。そして、母がかけつけてきて、虫叩きを振り上げた時、なんと、そのゴ○ブリが急に羽を広げて私の方に飛んで来たのです。ゴ○ブリが羽をもっていて空を飛べるというのを、その時、生まれて初めて知りました。しかも床から飛び上がったゴ○ブリはそのまま私の身体にぶつかってきたのです。ああ、思い出すだけでも気持ちが悪い!ほとんどパニックになりながら あわてて手で払いのけた時に触れたゴ○ブリの妙に柔らかいあの感触!!

これがトラウマになって、それ以来、私はゴ○ブリを見ると二つのこと以外できなくなってしまいました。悲鳴を上げることと、逃げることです。見るのも、追いかけるのも、やっつけるのも、死がいを処理するのも、私には絶対できません。というわけで私が生きて行くには「絶対にゴ○ブリのいない家」か、「ゴ○ブリを退治してくれる同居人」のどちらかが必要なのです。10年前に家を新築したときはこれでもう安心かと思いましたが、数年経つとやはり出てくるようになりました。ちなみにうちの猫はゴキブリには何の関心も示しません。大切な同居人ではありますが、この点では役立たずです。とういうわけで頼りにしているのは我が家のゴ○ブリ担当仕置き人です。今回もきっちりやっつけてもらって無事処理してくれました。感謝です

ひと段落した後に、夫が言いました。「君ね、朝からあんな大きな声でたすけて~って悲鳴をあげて、きっとご近所さんが誤解してるに違いないから、『パパ、ありがとう、本当に助かったわあ!』とか大声で外に向かって言っといて欲しいね」

もうほんとにゴ○ブリ大っきらい!

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七つの花

2013年09月26日 | レッスンメモ
我が家の駐車場に桜の木が1本あります。毎年見事な花を咲かせてくれて、楽しませてもらっていましたが、ある年からだんだん害虫にやられるようになって、少しずつ花つきも悪くなり、しまいには結構太い枝までがどんどん枯れ始めて、強い風が吹くと折れて落下するようになりました。ところがそこは駐車場なので生徒や生徒の保護者の車に当たって傷でもつけたら大変です。こうしてついに昨年の春、大手術を実行してバッサリ強剪定しました。

ある日突然バッサリ切られてしまった桜の木を見て、教室にやってくる生徒さんたちはみんなびっくり、ずい分ショックを受けたようです。それでもその大手術から一年たって少しづつ新しい小枝や葉っぱがでてくるようになりました。そして嬉しいことに今年の春は新しく伸びてきた枝から七つの花を咲かせてくれました。

この七つの花、実は私が数えたのではないんです。これはある生徒のお母様が私に教えてくれたのです。ここにレッスンに来るたびにこの桜を見ていて、満開の時期を楽しみにしていたそうです。それが急にこんなにばっさり切られてしまって、大丈夫だろうかと、とても心配していたのだそうです。それが今年何とか復活の兆しを見せて、小さな花をいくつか咲かせたので、嬉しくなって教えてくれたのでした。「先生、今年は七つ咲きましたね。来年はきっと十以上咲きますよね!」

車を停めて乗り降りするそのちょっとした時間に桜の木に目をとめて、咲いた花の数を一つひとつ数えてくれたんです。きっと「頑張ってね」「よく咲いたね」と、そんな思いで数えてくれたに違いありません。そのときの彼女の、桜の木を慈しむように眺める様子がまぶたに浮かぶようです。

こういう細やかな感受性というのは本当に素晴らしいと思います。目に触れるもの、耳に聞こえるもの、何に対しても、それをどう見るか、どう感じるかはその人の感受性次第です。私は音楽にもこんな感受性が必要なんだと思います。

楽譜の中のたとえ小さな音一つであっても、それをぞんざいに扱うと、曲全体がぞんざいな演奏になってしまう。一つのフレーズをまるで一つのお花を慈しむように感じて大事に弾けたなら、なんて素晴らしいことでしょう

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音楽作品の三つの側面

2013年09月25日 | レッスンメモ
私のように自分自身でピアノに向かって手を動かしているか、そうでなければ生徒にレッスンしているか、この二つで人生の大半の時間を費やしていると、どうしても本を読んだりして知識を積み上げる「勉強」の時間が少なくなってしまいます。そこで私自身いつも気になるのが「私のこの曲に対する理解は本当にこれで十分なのかどうか」ということです。

一つの作品を演奏するに当たって、その曲の作曲意図、作曲家の生い立ち、性格、作曲当時の時代環境など、楽譜に書かれていないことで知っておきたいことは山ほどあります。これらの知識はたくさん持っているに越したことはありません。でも実際その世界に足を踏み入れるとキリがありません。ピアノに取り組む時間を削って図書館に閉じこもることになってしまいます。これでは本末転倒なのでピアニストはそちらのお勉強はどこかで見切りをつけて、もっと楽譜と鍵盤に向かって自分の解釈を創り上げることに集中します。ところがそうした挙句、ピアニストの知らない事実や背景を持ち出して来て、「だから君のその解釈は間違っている」と言われたらどうしましょう。

あるいはこんな経験ないですか。何の予備知識もなく、ある曲を聴いて、「ああ素敵、この曲を聴くととても幸せな気分になるわ」と感想をもらしたら、「この曲は作曲家が失意のどん底にあるときに作った曲なんだから、これを聴いて幸せを感じるというのはおかしいね」と言われるとか(あくまで例ですよ、たとえ話です)。

折に触れそんなことを感じているなか、ウィーン在住の元東邦音大教授、野村三郎先生の著書、「『音楽的』なピアノ演奏のヒント」という本を読みました。この本は著者が以前「ムジカノーヴァ」に連載していた文章をもとにして去年新たに出版した本だということです。この本の中に上に書いたような問題をすっきり整理して並べて見せてくれた記述があって、とても納得できたので、ご紹介します。この本の中で著者は「再現芸術としての音楽作品」の意味を次の三つのレベルに分類しています。

第一次的意味:作曲家の意図
第二次的意味:演奏家の解釈
第三次的意味:聴衆の理解と受容

第一次的意味の重要性については言うまでもありません。演奏家は誰でもここを正確に把握することに心血を注ぎます。それについてはもちろん楽譜が一番大事ですが、それ以外のお勉強も欠かせません。だけど先にも書いたようにその努力にはキリがないのでどこかで演奏家は思い切って自分なりの解釈を築きあげます。そうして実際にピアノに向いながら自分の解釈を音にして紡ぎ出していきます。こうして実際に演奏された音楽が、たくさんの、さまざまに異なる感性を持った聴衆の皆さんに届くのです。

だから、「百人の演奏家がいれば百とおりの第二次的意味(解釈)が生まれるし、千人の聴衆がいれば千の違った第三次的意味(受け取り方)がありうるのである」と著者は書いています。その通りだと思います。音楽というのは何か一つの決まった解釈や受け取り方をするものではありません。

あの中村紘子さんが若かりし頃(まだ東洋人ピアニストなど珍しかった頃)ヨーロッパに演奏旅行中、一人のご婦人から「キリスト教の信者でもないのに、どうしてバッハが弾けるの?」と言われて、むっとしたという話があります。このエピソードを上の三つの意味に照らし合わせて考えてみると、バッハの作り出した音楽は、もはや第一次的意味(作曲家の意図)を超越しているような感じがします。クラシックの名曲の数々は、時代も文化も宗教も民族も超えて、音楽そのものとして、時空を超えた生命を持っているようです。そしてそのことを可能にしているのが世界に広がる私たち多種多様な演奏家と聴き手の存在です。

だからと言って第一次的意味を軽んじていいというわけではもちろんありません。この点について、著者、野村三郎先生の忠告を引用しておきます。

「しかし、一つだけ決して間違ってはならないことがある。それは第二次的意味と第三次的意味を絶対化してはならないということである。なぜならそれは後で付け加えられた付加物であって、時代、状況、気分などさまざまな要素がからみあって、作品が一人歩きした結果に過ぎないからである。」「では、そうした解釈や受け取り方は無意味なことだろうか、そうではない。それは作品に深く入っていく手掛かりを与えるのであって、否定してはいけないし、否定できないものである。」

そうなんですよね。演奏家たるもの、一度到達した解釈に満足したり、安住していてはいけないのです。そんなこと出来るわけがありません。そこはまだほんの一歩に過ぎないということですね。偉大な作曲家の偉大な作品に、もっと深く入っていくために、演奏家の努力にもキリがないということなんです!

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表現と技術

2013年09月24日 | レッスンメモ
ピアノで何を表現するか?  色んな曲の場面に応じて、それぞれの設定があり、それぞれの心情を合わせて演奏していくのですが、恐ろしい場面や悲しい場面、美しい場面や楽しい場面などの中に、愛情と感謝と慰めと喜びを塗りこめられるようにして弾きたいと思っています。

というか、そんな意図的なものではありませんが、何回も何回も弾いているうちに、ふとしたフレーズに音楽の喜びや嘆きがあると感じます。そうしたら自分の内面から音楽への感謝や嘆いている人への慈しみがぐぐっと湧いてきて、それを表現をしたくなります。

愛情が深ければ深いほど何とかこの曲を生かしたいと思って、もがくはずです。精神論を述べているわけではありませんが、何かを表現したいという欲求が大きければ大きいほど、表現することを実現できるのだと思います。

しかし、現実的には表現したいことは山ほどあっても、思うようには指が動いてくれない・・・。だから技術は大切。表現したいという欲求が大きければ大きいほど技術の力量が問われます。

表現力と技術の習得は、ほぼ同時進行で学ばれるのが理想です。しかし、技術はなるべく小さい頃から徹底的に職人的に鍛え上げた方がいいです。逆に言うと、ある程度歳がいってからの技術の習得は効率が落ちてしまいます。むしろ若いころに習得した技術が錆びないように、それを維持することが大事になります。

ところが表現力や、そのもととなる表現の欲求の方は、これは年齢とともに人生の経験を積み重ねるとともに、その深みを増して行きます。

年齢を重ねて人生経験を積んで、ああも弾きたいこうも弾きたいという欲求が益々大きくなった時に、「ああ、指が言うことをきかない! あの頃もっと練習しておけば良かった」と後悔することにならないとも限りません。

ある曲を愛して、その曲を深く読んでいく作業は大好きです。そうしてその曲を、一度だけでいいから、「私はこう弾きたい」と思った通りに演奏したみたい。それが私の一生の夢です。

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ハッピーウェディングBBQ

2013年09月23日 | レッスンメモ
昨日は三連休の中日。我が家ではBBQ大会の一日でした。

毎年暮れに行っている餅つき大会のメンバーですがもう私たち夫婦にとっては、みんな家族のようなものです。

新婚カップルさんに素敵なウェディングケーキ!

今回は、そのメンバーの一人のご結婚祝いを兼ねてのBBQでした。

お天気にも恵まれ、ちょっと暑過ぎるくらいでしたが、みんなでしっかり食べて飲み、久しぶりに楽しくおしゃべりに花が咲きました。元々は夫の趣味のバスケット仲間の会でしたが、そのファミリー、そしてその知人と広がって行きました。もう何年も続いていて、メンバーが転勤であちこちに散らばって行った後も、いざというときはこうやって集まってくれます。昨日は、四国や熊本からもかけつけて来てくれました。

みんなおつかれさま!とっても楽しい一日でした

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土曜日の友

2013年09月21日 | レッスンメモ
土曜日は朝から晩までびっしりレッスンが詰まっています。こんなにやってると途中で息切れするのでは、と思われるかもしれないのですが、実際はむしろだんだんテンションが上がってきて、後になるほど元気が出てくるくらいです。ランナーズ・ハイのピアノ・レッスン版でしょうか(レスナーズ・ハイ!?)。声はもちろん身振り手振りも大きくなって、どんどんレッスンします。

こういう風に気分が益々乗ってきて止まらなくなるというのは、演奏しているときにもあります。リサイタルも終盤に近づいているのに、ますます調子が出て来て、あと何度でも、いくらでも弾き続けたいという気持ちになることがあります。すっかり気持ちが高揚して文字通りハイになってるのです。こうなるともうピアノから離れたくない。もっとアンコール弾かせて~~と言いたくなってしまいます。

そうは言ってもやっぱり熱意と緊張の連続ばかりでは身体がもたないので、適度な息抜きは必要です。家でレッスンがびっしり詰まっているときの息抜きは、特に短時間で効果的なものでなくてはいけません。そこで、これ

怒涛のようなレッスンの合間にこの姿を見ると、ふっと気合いが抜けて肩の緊張が解けます。このだらけ切った猫を見ると身も心も脱力してしまいます。猫を撫でるのは本当に良いリフレッシュになりますね。休憩時間にさっとリフレッシュ!

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表現力を引っ張り出す

2013年09月20日 | レッスンメモ
演奏を聴いていると、そのピアニストの性格が分かります。それは何も霊感師や占い師みたいな能力がこちら側になくてもいいのです。演奏家が自分の曲の解釈を、そして自分そのものを、音楽に乗せてさらけ出しているから、おのずとそれがわかるのです。自分の音楽を表現し切っているからです。

素晴らしい演奏家ほどそれがはっきり分かるような気がします。曲を深く深く自分のものにして、それを一生懸命表現しようとすると、自分が出てしまうはずです。だから、見た目は、いかつい、ちょっと怖そうな大きな体格のピアニストでも、ものすごく繊細な演奏を聴くと、心やさしい穏やかな人なんだということがわかるし、可愛くて美人で小柄な女性ピアニストでも、大胆で自由奔放な演奏をきくと、この一見可愛いらしいピアニストは、実は情熱家で意志の強い、腹の据わった人なんだということがわかってしまう。もちろん、人間は、多面性を持つ動物だから、曲によって同じ人でも繊細さが出たり大胆さが出たりします。でも、その人のカラーというのがあるわけです。

これは何もプロの演奏家に限った話ではなくて、教室の生徒でも一人ひとりについてそれがわかります。普段はとてもおとなしくて、こちらから声をかけると、コックリうなづくくらいしかお返事が出来ない小さな女の子がいます。でも、いったんピアノに向かって弾き始めると、なんて自由に歌って感じて弾くのでしょう!

逆に受け答えなどはハキハキとしてきちんとできるのに、ピアノに向かうと、何となく音符を追っているだけ、面白くなさそうに弾いている生徒もいます。まだまだその曲を表現しようとしてないのですね。でも、そんな子だって、内面に何もないわけではありません。まだまだ演奏技術や精神的なもの、そのほか色々なものが未熟なだけです。じっくり時間をかけて、その子の成長に寄り添って、それらを引っ張り出して導いていくのが先生の役目。そうして、「表現する」ということの楽しさを知ってもらえたら、後は自分でどんどんやる気がでてきます。「ここはこう弾きたい」「もっとこんな音を出したい」「あそこは○○のように・・・」こんな調子でピアノが弾けるとピアノを弾くことがぐんぐん面白くなっていくはずです。そんな生徒の姿がみえてくると、こちらも楽しいし嬉しくなります。

だから、生徒を指導する時には、、生徒自身の表現力を中からぐいっと引っ張り出して育つような指導をしたいと思います。それまで本人が意識していなかったことも意識するようになり、気づいていなかったことに気づくこともあります。そうしてそれらが心の中の言葉になって音楽に表現されるようになるのです。

自分をさらけ出したり、何かを表現したりするには、とてもエネルギーがいります。心も頭も体力も全部使うわけですから心身ともに元気でないと、人を感動させる表現なんてとてもできません。というわけで、昔から「芸術の秋」は「食欲の秋」ということになっているのです(!)

さあ、今日も先生も生徒も元気で頑張ろう

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朝から泣けました

2013年09月19日 | レッスンメモ
今朝、夫が教えてくれた3分くらいのビデオ。息子はすでに1週間くらい前に知っていたというから、もうずい分有名なのかもしれませんが、ここにご紹介したいと思います。タイの通信会社によるコマーシャルビデオだそうです。

これ、ほんとに泣けてしまいます。あれこれ考えていた私は、何だかこれを観て気持ちが決まったのでした。ちっぽけな自分、ばかばかしい自分をを捨てて、やりたいことをちゃんとやる。そんな覚悟ができました。

「Giving Is The Best Communication 」

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秋晴れ

2013年09月18日 | レッスンメモ
昨日は素晴らしいお天気でした。一日中雲ひとつない今年の秋最初の秋晴れでした。昨日のお天気がどんなに素晴らしかったかということを実は数字で証明できるんです。この春に設置した我が家の太陽光発電がこれまでで最高の発電量を記録したのです! 

今朝もまた昨日にまけないくらい、からっとした乾燥した空気が気持ち良い朝です。これぞ秋晴れ。なんて清々しいのでしょう。思わず庭に駆けだして写真を撮ってきました。

白いムクゲの花が朝日を浴びて綺麗です。気持ちが晴々としてきます。

ここのところずっと仕事のことでとても考えていることがあって、何度も自問自答したり、反省したり、計画したり、一人であれこれ考えては消して、また思い直し、ということを繰り返しています。

でも、こんな秋晴れを見ると、やっぱり思い切って、もう一歩踏み出そうか、と思ってしまいます。そんな気分にしてくれる空です。もちろん、冷静さを失ってはいけないのでちゃんと熟慮しますけど。じっとしていても季節は変わるわけだし、逡巡していても仕方がない時は、踏みこむ! やっぱりこれかな。

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メンタル・トレーニング

2013年09月17日 | レッスンメモ
昨日、電車の中で、スポーツドクターの辻秀一さんという方がお書きになった本を読みました。この本、ある方からいただいた本なのですがタイトルがすごい。「演奏者のためのメンタル・トレーニング:演奏者勝利学」というのです。

中を読んでみると、公演活動やコンクールへの出場など、様々な本番に臨む演奏者の多くが感じている、心の悩みに応えるアドバイスを書いた本でした。決してありふれた勝利のためのハウツー本というわけではありません(音楽の演奏は勝負じゃないですしね!)。それでも本番に臨んだ経験があって、精神的なものの影響の大きさを思い知った事のある人にはお薦めです。本番の演奏にはその人の、そのときの精神的な状態、心のあり方が大きく影響します。何度も練習して技術的にしっかりマスターしたはずのところを何故か失敗してしまう。そんなひどい目に会う時があります。ひどい目に会うと誰だって、「どうして~??」と悩みますよね。

その悩み、苦しみを克服するためのメンタル・トレーニングについて、スポーツ心理学の専門家の著者が音楽の世界に応用して、「すべての演奏家のために」様々なヒントとアイデアを教えてくれています。

色々なキーワードがいくつも紹介されている中で特に私が好きなのが、「揺らがず、とらわれない」という心の状態を表す「心のフロー状態」という言葉です。自分の心の状態が「揺らがず、とらわれずのフロー状態」になっているときこそ、一番パフォーマンスが良くなるというのです。これは「平常心」という言葉に近いかもしれませんが、どちらにしても言うはやすし行うは難しの代表格です。本番、イコール、平常心でいられない、というのが普通ですから。

そこで大事なのが、どうすれば心のフロー状態をつくることができるのか、また、必要な時にそれを保ち、維持することことができるのかということです。そのために有効なのがメンタル・トレーニングで、その具体的な事例がQ&A形式で分かりやすく説明されています。さらにこの本では、揺らがず、とらわれない心を作るためのメンタル・トレーニングのことを「ライフ・スキル」とも呼んでいます。これは、ここで紹介された内容が、音楽の演奏や、スポーツのパフォーマンス向上に役立つだけではなくて、あらゆる仕事や人生について役に立つ、より良く生きるためのスキルだということなのです。

過去や未来にとらわれず、無用な心配をやめて、いつでもどこでも「今」に集中することが大切だと著者は主張します。確かにこれは、演奏者はもちろん、そうでなくても、毎日人間が生きていく上で、とても大切な教えだなと思いました。

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個性を伸ばす

2013年09月16日 | レッスンメモ
昨日は大分県音楽コンクールの予選会でした。教室からも何人かの生徒が出演して、小学生は全員予選通過出来ました。本当に良く頑張ってくれたと思います。

教室の生徒で、たまたま同じ学年の子がいて、同じ課題曲を弾きました。曲は同じですがそれぞれの生徒の特徴と持ち味を活かして、少し違う味付けをして指導しました。実際本番でその子たちの演奏を初めて聴いたある方から、「あの二人が同じ先生の生徒さんって思えないですよね。どちらも素晴らしいけど、全然違う音楽を作るんですね!」と言われました。

私は出来るだけ生徒たちのいい面を活かして、弱点をカバーするような指導を心がけています。そういう点に注意していると生徒によって、仕上がりの色合いが違ってきたりします。いくら同じ曲だからといっても、正解はただ一つというわけではないし、生徒の個性を無視して誰にでも同じ弾き方を強要するのも間違いだと思っています。もちろん、そんな!あり得ない!という弾き方の場合は、徹底的に変えますが・・・。最終的には生徒一人ひとりがもっている力量と感性、そしてそれが総合されて発揮される音楽力によって、その弾き手ならではの音楽が紡ぎだされるのだと思っています。なので、生徒一人ひとりがどんな力量と感性をもっているか、それをどれだけ見抜いて、さらに伸ばしていけるか、先生としてはここが肝心です。そして、それを生徒に伝えられるような伝達手段。これを先生である私は、磨かなければなりません。

色々なコンクールで色々な思いをしながら、子どもたちも成長していくんだと思っています。今日からまた新しい気持ちで新しい曲に取り掛かりましょう

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スリッパの楽しみ

2013年09月15日 | レッスンメモ
私がピアノとピアノの生徒が大好きなことは、もうこのブログに何百回も書いていますが、そうすると必然的に一日じゅうピアノの部屋にいることが多くなります。外出の機会が少なくなるので靴があまり傷まないです。その代わり家の中で履くスリッパがかなり消耗します。

ペダルの関係でしょうか。決まって右足のスリッパから駄目になっていきます。以前は室内履きにしては比較的作りの頑丈なものを選んだりしていましたが、ヘビー・ヂューティー重視から少しはずして、遊び心のあるものや心地いいものを選んでみました。。外で履く靴と比べると室内用のスリッパは安いので、傷んできたらどんどん取り換えるくらいの気持ちで、色々なタイプのものをそろえることにしました。少し目先が変わって、ささやかな気分転換になります。
  

先日、夜、夕食も済ませ、後片付けをし、さあ、もう寝ましょと、二階の寝室へ向かうところ、はっと気が付くと目の前にピアノ部屋のドアがありました・・・! あわてて方向転換して階段の方に行き直しました。これってワーカホリックの症状でしょうか(笑) 

今日はいよいよコンクール予選の日。私も応援に行きます。みんな日頃の力を存分に出してくださいね  

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