ショパンのスケルツォ第2番を、20年ぶりくらいに弾いています。生徒のレッスンでは時々しますので、ざっとは弾いていますが、秋のコンサートのプログラムの一つに決定し、本腰を入れて、練習し始めたところです。
この曲、高校卒業の頃弾いていた曲で、その頃とても傷つくことがあって、「辛い辛い」と思いながら弾いていました。今思うと、「そのくらい何よ!」という程度のものでしたが、若い乙女には一大事でした。
そのせいで、その後20年くらい前に弾いた時、気持ちが暗くなって暗くなって仕方ありませんでした。もう、乙女の悩みは消えていたのですが、その時の心境が弾けば弾くほど蘇り、辛くなるのです。練習すると、胃が重たくなって、自分でもおかしいくらいでした。こんなに、音楽の思い出は心の奥まで染み付くのですね。驚きでした。
それ以来、その気分にいまさらさせられるのがいやで、実に20年も本気では練習しなかったのです。でも、本来は良い曲。おそるおそる、紐どいて、弾くことにしました。そうしたら、その曲の暗さよりも、生き生きとした流れるような美しさを求めて、探している自分がいました。それからは、どんどん好きになり、ショパンの持っている本来の暗さと、明るくしようとする前向きなところとを、理解できたような気がして、この曲が苦でなくなったのでした。
この曲を練習するための心持を持てるまで、20年もかかったのかと思うと、惜しい気がしています。
この曲、高校卒業の頃弾いていた曲で、その頃とても傷つくことがあって、「辛い辛い」と思いながら弾いていました。今思うと、「そのくらい何よ!」という程度のものでしたが、若い乙女には一大事でした。
そのせいで、その後20年くらい前に弾いた時、気持ちが暗くなって暗くなって仕方ありませんでした。もう、乙女の悩みは消えていたのですが、その時の心境が弾けば弾くほど蘇り、辛くなるのです。練習すると、胃が重たくなって、自分でもおかしいくらいでした。こんなに、音楽の思い出は心の奥まで染み付くのですね。驚きでした。
それ以来、その気分にいまさらさせられるのがいやで、実に20年も本気では練習しなかったのです。でも、本来は良い曲。おそるおそる、紐どいて、弾くことにしました。そうしたら、その曲の暗さよりも、生き生きとした流れるような美しさを求めて、探している自分がいました。それからは、どんどん好きになり、ショパンの持っている本来の暗さと、明るくしようとする前向きなところとを、理解できたような気がして、この曲が苦でなくなったのでした。
この曲を練習するための心持を持てるまで、20年もかかったのかと思うと、惜しい気がしています。