ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

スケルツォ第2番

2013年02月01日 | クラシック豆知識
3月1日のリサイタル、プログラムの三曲目はショパンのスケルツォ第2番です。ショパンはスケルツォを全部で4曲作曲していますが、中でもこの第2番は最もポピュラーな曲でしょう。

この曲の出だしのところ、とても印象的な「囁くような声(ソット・ヴォーチェ)」とそれに続く大げさでもったいぶったフレーズの掛け合いが登場します。ショパンはこの掛け合いを「質問と応答」だと弟子に教えたそうです。その後も繰り返し登場するこの掛け合いと、それを取り巻く流れるような劇的な旋律の美しさはショパンならではのもの。ここでショパンが思い描いていた問いとその答え、そしてそれを取り巻く情景とは一体どんなものだったのでしょうか? 美しく劇的ではあるけれど、どこか一筋縄ではいかない、若きショパンの冷めたまなざしが感じられる作品です。

手持ちのCDやYouTubeなどで色んなピアニストの演奏をチェックしてみましたが、一番ユニークで面白いと思った演奏がカツァリスの演奏です。この演奏を聴いた時は、衝撃でした。若い頃から弾いてきたこの曲、私はもっと大上段にかまえて大きくて深刻な曲ととらえていたのですが、カツァリスは、「これ、こんな風にね!」とウインクでもしそうなほどの余裕の演奏です。そもそも「スケルツォ」というイタリア語は「冗談(ジョーク)」という意味です。そして「スケルツァンド」という楽語は「気楽に、戯れるように」というほどの意味。カツァリスの演奏を聴くと(観ると)、なるほど「スケルツォ」というのはこういうことなんだと改めてよく分かる気がしました。

というわけで、カツァリスの解釈や演奏ぶりはやり過ぎか?と感じないわけでもないのですが、根底に「スケルツォ」らしさを醸し出しつつ、私自身、これまでとは違った「スケルツォ第2番」を完成させていきたいと思っています。

Scherzo No.2 op.31 Cyprien Katsaris


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ショパンの「子守歌」

2013年01月27日 | クラシック豆知識
3月1日のリサイタルのプログラム、2曲目はショパンの「子守歌」です。この曲は、大変女性にモテたと言われながら生涯一度も結婚することなく、子供もいなかったショパンが書いた唯一の子守歌です。

わずか5分程度の小曲ですが、慈愛に満ちた美しい作品です。曲の初めから終わりまで左手は一貫して同じ和声進行を一定のリズムで繰り返すバッソ・オスティナートです。8分の6拍子でゆれる揺りかごの動きをこの左手が表しています。そしてメロディをつかさどる右手の方は、優美なフレーズを次々に変奏していくという構成になっています。

ショパンの「子守歌」自筆譜

この曲はもともと作曲当初、「変奏曲」というタイトルで書き進められていたというくらいですから、右手のメロディの様々な変奏の美しさをきちんと表現することがポイントになります。いかにもショパンらしい、美しく、優しく、きれいな音で弾けるかどうかがポイントになります。いわゆる超絶技巧が要求される曲ではありませんが、それだけに一音ごとのごまかしがききません。

私がこの曲のことをあらためて好きになったのは、大分に住み始めてすぐの頃、1999年に大分の音の泉ホールで、今は亡きアリシア・デ・ラローチャの生の演奏を聴いたときです。スペイン出身の世界的女流ピアニスト、ラローチャは当時76歳。そのラローチャが弾いたショパンの「子守歌」は、身体じゅうに沁み入る愛情あふれるものでした。私はその美しさと慈愛に満ちた音楽にすっかり虜になったのでした。それまでは「ちょっと感傷的なきれいな曲ね」くらいにしか思っていなかったこの曲をこのとき見直しました。

ラローチャにはショパンと違って子供がいます。でも、若い頃から世界で活躍するピアニストとして世に出たため、あるインタビューによれば、思うようには子育てのための時間をとれなかったことを悔やんだりもしています。初めての出産の一ヶ月後には外国への演奏旅行にでかけなければならなかったほどだそうです。もしかしたら、当時自分の子供たちに聴かせてあげられなかったという切なさをこめて弾いていたのかもしれません。彼女の演奏を聴いた後、ああ、何とやさしく、悲しく美しい・・・とため息が出たのでした。

どこまでその美しさをだせるか、私も一人の母として色々な思いを込めて、この曲の存在に感謝しながら弾いています。

※追伸
スマホ、無事なおりました。ドコモショップに持っていったら、若い店員さんが、たった3秒で元通りにしてくれました。なにか「設定」がおかしかったとのことでした。私には何が何だかさっぱりわかりませんでしたが、とにかくなおって良かったです。ご心配かけてすいませんでした。

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月光ソナタ第一楽章のペダリングについて

2013年01月17日 | クラシック豆知識
一昨日に書いた月光ソナタのエントリーのコメント欄で、ペダルについてのやりとりがありましたので、今日はそのことについて書いてみたいと思います。

月光ソナタでペダルの使い方がなぜ問題になるかといえば、それはベートーヴェンが楽譜に書き記したイタリア語の指示を文字通りに受け止めてその通りに弾くとかなり変なことになってしまうからです。これはベートーヴェンの時代のピアノ、つまりフォルテピアノと現代のピアノの構造が違っているということからくる問題です。

まず、ベートーヴェンが楽譜に自ら書き記した言葉(指示)から見ていきましょう。そこにはこの第一楽章全体について「Senza Sordino」で弾くように、と書いています。これをそのまま訳すと Sordino(弱音器)無しでという意味です。現代のピアノでSordinoといえば左ペダルのこと(ソフトペダルのこと)ですが、ここではそう理解してはいけません。なにしろベートーヴェンが月光を作曲した当時のウィーンのフォルテピアノには、そもそもペダルがついていなかったというくらい、現代のピアノとは構造も音もちがっていたのです。

ここでのベートーヴェンの意図を現代ピアノに置き換えると、Sordinoは右ペダルで操作するダンパーのことを意味するということになります。私が高校生の時から使っているヘンレ版の楽譜(かなりぼろぼろ)にはこの点についてちゃんと説明が書いてあります。「Senza Sordino」は「Without Dumper」を意味していて、これはつまり「With Pedal」ということなのです。これなら意味は分かります。要するに右ペダルをずっと踏み続けてダンパーを上げたまま、つまり音を鳴りっぱなしにして弾きなさいという指示です。しかもこの第一楽章全体を通じて!

さて、ベートーヴェンの指示の意味は分かりましたが、これを実際にその通りに現代ピアノで弾く人は少ないでしょう。それはあまりにも音が濁りすぎて(前の音が鳴り続けるので次の音にかぶってしまう)聴こえてしまうからです。この点についてパウル・バドゥラ=スコダは、日本で行った公開講座で次のように述べています。「現代のピアノで全く同じペダリングを使用することはできません。そうしてもまるでピアノが壊れているか、あるいはペダルをきちんと踏めない初心者のような演奏になってしまいます」。スコダは、シフのレクチャー録音に名前の出てきたエトヴィン・フィッシャーのもとで助手を努めるなど、その伝統を受け継いだ名ピアニストです。

一方で、あくまで作曲家の指示通りに音楽を再現することを目指す人たちは、現代ピアノではなくて、わざわざ当時のフォルテピアノを復元したものを使用して演奏することにチャレンジしたりしています。バッハの楽曲などでよく見られる、古楽器による当時のままの演奏を再現するという試みですね。これは確かに興味深い試みだと思います。

しかし、面白いのは先日紹介したアンドラーシュ・シフです。シフは現代ピアノでも、あくまでベートーヴェンの指示通りのペダリングを行うべきだと主張しています。

現代ピアノでベートーヴェンの指示通りのペダリングをすることについて、シフは色んなピアニストたちに尋ねてみたことがあるのだそうです。「するとみんな『そんなこと現代ピアノでは出来っこない』という答だった。それじゃ、実際にそれを試してみたことはあるのかいと聞いてみると、みんな『いや、やったことなんかない。だけど出来ないんだよ』という答えだった。やりもしないでそんなことを言うのは、私はおかしいと思います。ベートーヴェンは本当に偉大な作曲家なんだから、彼自身がわざわざ注記した言葉にはもっと真摯に向き合わなければいけない、そこにはちゃんと理由があるはずだから。」

こう言ってシフは現代ピアノで実際にペダルを踏んだままで弾いてみせます。その際ペダルは一番下まで踏み込むのではなくて、浅めに、3分の1程度のところがちょうどいいと言っています。こうして弾くと前の音が次の音にかぶさって、音が濁ったように聴こえるのですが、それがかえって、暗い「死のイメージ」にふさわしい、これこそが作曲家の意図していた特別の意味のある音なのだと語っています。

ダンパーペダルを踏んだままのシフの演奏がこれです。


さすがシフですね。私には真似出来ません。シフが3分の1ペダルを踏んで、少し霧がかかったような効果を出して弾いているのは、お見事です。この濁り具合が絶妙な暗さとどんよりした重苦しい雰囲気をよく表現していると思います。

さて、3月1日のリサイタルでは現代ピアノの代表選手、スタインウェイのフルコンを使用するので、ダンパー上げっぱなしの術は、ちょっと使えません。どのように弾くつもりかといえば、あくまでオーソドックスなペダルの踏み変えを基本としながらも、ペダルの踏み変えのタイミングをずらしたり、踏み込みの深さに注意を払うことによって、ベートーヴェンが意図した音の重なりや濁りの効果を出すようにしていこうと思っています。

いつかフォルテピアノで弾く機会があったなら、ダンパー上げっぱなしという指示通りでトライしてみたいと思っています。

参考:
「ベートーヴェンのペダル パウル・バドゥーラ=スコダによる公開講座」
「Andras Schiff:the lectures」

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「月光」ソナタ について

2013年01月15日 | クラシック豆知識
3月1日金曜日に行う私のリサイタルで最初に弾く曲は、ベートーヴェンのソナタ「月光」です。この「月光」というタイトル、実はベートーヴェンがつけた名前ではありません。ベートーヴェン自身がつけたこの曲の本当のタイトルは「ピアノソナタ第14番嬰ハ短調作品27の2(幻想曲風に) 」というものです。「月光」というのは彼の死後、著名な音楽評論家で詩人のルートヴィヒ・レルシュタープが、月明かりに照らされた湖面を進む小舟のイメージとこの曲の第一楽章とを重ねあわせたことから有名なになった通称です。

さて、ベートーヴェンがつけたわけではないこの題名。果たしてベートーヴェン自身がこの曲に込めた曲想を本当に正しく反映しているのかといえば、決してそうではないという見方があります。

このことを力説しているのが私の大好きなピアニストの一人であるアンドラーシュ・シフです。アンドラーシュ・シフによる講演の録音で彼の解説を実際に聞くことができます。ここでシフはこのベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番のタイトルを「月光」とするのはまったくの「ナンセンス」だと言い切っています。以下、シフの説明を要約してみましょう。

まず、偉大なピアニストで指揮者、教育者としても有名だったエトヴィン・フィッシャーによる「発見」のエピソードの紹介です。フィッシャーはどうしてもこの曲の通称「月光」というのが、この曲の曲想を表すものとしてふさわしいとは思えず、色々と研究を行なっていました。ある日、何か手がかりがないかとウィーンの図書館に出かけて、ベートーヴェン関連文書を見せてもらっていたときに、ベートーヴェンの手書きメモに目を留めました。そこにはモーツァルトの作曲した「ドン・ジョバンニ」の楽譜の一節がべート-ヴェンの手によって書き写されていたのです。それはオペラ、ドン・ジョバンニの劇中で、騎士長がドン・ジョバンニの剣に刺されて倒れて死んでいく場面に使われているフレーズでした。そしてこのフレーズこそ、ベートーヴェンが「月光」の第一楽章に(嬰ハ短調に転調して)取り入れたフレーズの元になっているということは明らかだというのです。

この発見により、フィッシャーはこの曲は湖面の月明かりなどとは程遠い、死の場面、葬送の場面をイメージしたものにほかならないと主張したのです。アンドラーシュ・シフはこの話しを紹介しながら、全くその通りだとフィッシャーに賛同しています。そして実際に「ドン・ジョバンニ」のその一節と「月光」の該当部分を弾いて聴かせて、聴衆に「ほらね、私にはこれで一目瞭然だ。これはムーンライトとは何の関係もない、ドン・ジョバンニの死の場面です。葬送の場面なんです。」と述べています。

さて、どうしましょう。月明かりに揺れる小舟のイメージと、死のイメージとでは大違いです。片やロマンティックで、一方は暗く深刻です。

皆さんはどちらの解釈の方がしっくりきますか? 私も実はこの「月光」というタイトル、以前から何だかしっくりこないなあと思っていました。この曲から感じることは、美しさとか風景の描写というよりは、暗くて悲しい深刻なテーマ。それがずっと横たわっているという感じです。その点ではシフの言うとおりだと思います。

例えばドビュッシーのベルガマスク組曲の中に「月の光」という曲があります。この曲は夜の湖に映った月の光が水の動きによって揺らいだり、きらめいたり、雲に隠れて影になったりと、大変描写的で、そのタイトルと曲想が本当にぴったり一致しています。

ところが、このベートーヴェンのソナタは、そうではありません。もっと内面的な心の嘆きや悲しみの声が聞こえてくるような気がするのです。ただしかし、そうは言ってもムーンライトソナタとしてこんなに有名になったことにも理由があるはずで、それを無視することはできないし、シフのように「ナンセンス」とまで言い切るのもどうかと思います。そもそも月の光といえば、太陽の光のように明るくはないし、ろうそくの光ほど弱々しくもなく、闇夜に冴え冴えと光るものだから、私の感じる暗さ、深刻さ、不安というものをそこに重ねてイメージすることも十分可能なのですから。

というわけで、私はこの曲を暗い闇夜をかすかに照らす月明かり、それは決してロマンティックなものではなく、嘆きと悲しみ、そして死のイメージをも含めて、それでも時を刻み、静かに光る月に託したものと解釈しています。そうすることによって第二楽章の凛とした新たな息吹が一層引き立つし、第三楽章の激しさ、クライマックスの効果が高まっていくと思うからです。

ちなみに、この曲がベートーヴェンとは無関係に「月光」という通称で世間に広まって行ったことを苦々しく思った専門家はフィッシャーやシフだけではなかったようです。そうした専門家の批判に対して、ある有名な音楽雑誌の創立者が残したという反論の言葉が興味深かったので、最後にご紹介しておきます。

「頑固な批評家たちがほとんどヒステリーになったような勢いで、レルシュターブのことをあげつらっているのは、まったく馬鹿げたことだ。こうした頭の硬い批評家たちが分かっていないのは、そもそもこの曲に『月光』のイメージを結びつけるということがこれほど世間のみなさんに受け容れられてなかったとしたら、レルシュターブの言葉はもっとずっと以前に、とっくに忘れ去られていただろうということだ。」(WIKI)

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減5度の響き

2013年01月06日 | クラシック豆知識
シューマンのカーニバル(謝肉祭)を弾いています。この曲集は全部で21曲からなる組曲で、シューマンの代表的なピアノ曲の一つです。この曲集には「4つの音符による面白い情景」という副題がついていて、「ラ - ミ♭ - ド - シ」)の音列が頻繁に使われています。これをドイツ音名で表すと「A - Es - C - H」となります。

10曲目のタイトルは「A.S.C.H. S.C.H.A.(踊る文字)」という不思議なタイトルなのですが、これは実は文字遊びです。「ASCH」というのは地名で、シューマンのガールフレンド、エルネスティーナの故郷です。「SCHA」というのはシューマン自身の名前につながる文字列ですね。この意味深な文字列をそれぞれドイツ音名に置き換えてそれをモチーフにした曲を作っったというわけです。

でも私が本当に興味深いと感じているのは、この10曲目の前までにたくさん使われている減5度の響きです。例えば、2曲目Fis(ファのシャープ)からC(ド)という右手の減5度の響きとその時の左手にでてくるA(ラ)Es(ミのフラット)という同じ減5度。そしてそれが平行移動しています。3曲目、4曲目、6曲目9曲目にも2曲目の左手からスタートしているA(ラ)からEs(フラットのミ)という減5度の響きが現れます。10曲目が出てくるまでの前半の多くの曲の冒頭に減5度の音が使われているのです。

これらの減5度の使い方はこの10曲目の言葉遊びの曲を導くための伏線だったのではないかと感じます。そして、この5度が完全5度ではなく、減5度であるということに注目したいんです。完全5度は、私の中ではまったくお利口さんな響き。結構自己主張も強いけど、頼りになるしっかり者の響きがします。それに比べて減5度は、頼りなく、ともすると怪しげで、それでいてちょっと魅力的です。

私はこの減5度が頭から離れず、なんでこの響きをたくさん使ったのだろう?(もちろんそれは文字遊びからきていると知った上で)どんな風にひけばいいのかしら?と考えています。ヒントは「謝肉祭」の着想についてシューマンが書いた手紙の中にあります。「ASCHというのは大変に音楽的な町名で、僕の名前にも入っていること、しかも僕の名前で音になる文字はこれだけだということをいま発見したばかりです。これは痛ましく響くでしょう。僕は作曲に熱中しています」とあります。

シューマンにとって「痛ましく響く」という減5度。エルネスティーナとの実らぬ恋・・・。減5度の響きに込められたシューマンの気持ちに想いを馳せながら、一歩一歩曲想を練っていきます。

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ファジル・サイの受けたレッスン

2012年10月13日 | クラシック豆知識
ファジル・サイの人物像をその生い立ちから現在に至るまで、一冊の本にまとめたのが「ファジル・サイ ピアニスト・作曲家・世界市民」です。以前このブログの読者の方からコメント欄で教えていただきました。早速読んでみると、すごく面白い。クラシックの世界ではもう100年も200年も前に死んだ人の話が多くて、こういう同時代で現に活躍している人(しかも私よりずっと年下!)についての自伝は読んでいてとても新鮮に感じました。

今日はこの本の中のエピソードの一つをご紹介します。ファジル・サイが子供の頃ピアノレッスンに通い始めたときの様子です。興味ありますよね。一体、どんなレッスンを受けて、あんなにすごいピアニストになったのか・・・。

ファジルは1970年生まれ。トルコの首都アンカラで生まれました。彼が始めてその音楽的才能を発揮して周囲の人々を驚かせたのは2歳半のとき。モーツアルトのピアノ・ソナタK331の冒頭楽章のテーマを歌い、その数カ月後にはハーモニカでそれを吹いて見せた、というのです。

ファジルに天性の音楽的才能があると確信した父親は、当時トルコピアノ界の最高権威であったミタット・フェンメンのもとにファジルを連れていきます。まだ3歳にもならない子供をつれてこられたフェンメン先生、さすがに困ったのでしょう。もう少し大きくなったらまた来るようにとさとしたそうです。そしてファジルが三歳半になったとき、いよいよレッスンが始まります。父親は電子オルガンを処分してファジルのために本物のピアノを購入しました。なお、このときすでに母親は別居していて後に正式に離婚します。

三歳半から始まったフェンメン先生のレッスン。父親に連れられたファジル。初日のレッスンはこんな風に始まりました。

「フェンメンはこの弟子を抱き上げ・・・キャンディーを差し出し、名前はなんというのかな、何をするのが好きなのかな、本当にピアノを習いたいのかな、よかったら一曲弾いてみてくれるかな、と尋ねた。はい、と子供が答えると、ようやく彼はクッションでふくらんだピアノ椅子に弟子を座らせ、今日あったことを音でお話してくれるかな、と言った。そうやってファジルは教師に音で『語り』始めた。太陽の輝きについて。突然雲が空を覆い、雨が道路に打ちつけ、やがて再び太陽が出て、一筋の虹が見えたことについて・・・」

「今日あったことを音でお話してくれるかな」 

初めてのレッスンで優しくこんな風にうながす先生。そしてそれに応えて音で「語り」はじめる三歳半のファジル坊や。眼をつむって、このときのこの師弟の姿を想像してみてください。それは、なんという素晴らしい光景でしょう!

この先生のレッスンは、徹底してファジルの自主性を引き出すことと、その感性を自由に伸ばすことを主眼としていたようです。

「『レッスンをする』という捉え方そのものが適切ではないかもしれない。この教師は、生徒には自分自身によって学ばせ、何も強制しなかったからだ。彼はファジルが完全に自発的にピアノに向かう決心をすることを望んだ。少年は7歳になるまでこの教師から音符一つすら習うことはなかった」

こうして、一回30分、週5回のファジル父子のレッスン通いが始まりました。

現在ファジル・サイはピアニストとしてだけではなく、作曲家としてもその才能を発揮して高い評価を得ています。「音で語る」ことから始まったフェンメン先生のレッスンがそのまま血となり肉となっているんですね。もちろんこの方法は決してすべての生徒に対して適切な方法とは言えないことは明らかですが、ファジルの素質を見ぬいてこのような指導法をとると決めたフェンメン先生の眼力に私は敬服しています。特に小さな子どもを教える場合、その子の持つ可能性を先生の方が見誤っては申し訳ありません。私も生徒の可能性を信じて、その個性に応じて、その生徒にあったきめ細かい指導を心がけていきたいと思います。





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ラヴェルのボレロ

2012年10月06日 | クラシック豆知識
先日、ロイーヴのデュオ演奏を終えたばかりですが、11月にはグループUNOのメンバーとご一緒に、2台ピアノのデュオでボレロとスカラムーシュを演奏します。

そこで今日はボレロのお話。元々ボレロというのはスペインのダンス音楽(舞踏曲)のジャンルを指す言葉です。それを題名にしたラヴェルのボレロがあまりに有名になってしまったので、私たちにとってはボレロといえばラヴェルのこの曲、という感じですね。

この曲は1928年にフランスの作曲家であるモーリス・ラヴェルによって作曲され、パリオペラ座で初演されました。この曲一は定のリズムをずっと刻み続けて、2種類だけのメロディから構成されているとても特徴的で一度聴いたら忘れられない、インパクトの強い曲です。ラヴェル自身は本来バレエ音楽のこの曲が独り歩きを始めて人気を博すとは考えていなかったようです。しかし、発表から一年後に行われたニューヨークでの初演、トスカニーニ指揮によるNYフィルの演奏会が大成功を収めたのをきっかけにして、以来ラヴェルの代表作の一つとしてその人気は今日にまで及んでいます。

ラヴェルにこの曲の作曲を依頼したのはロシア出身でフランスのバレリーナ、イダ・ルービンシュタインです。この女性、「ユダヤ系の裕福な家庭に生まれながら早い時期に孤児」になったとか、バイセクシャルだったとか、大変裕福な方で音楽・絵画・彫刻など色んな分野の芸術家たちのパトロンとしても有名だったりとか、とても興味深い女性のようです。


ボレロの作曲を依頼したイダ・ルービンシュタイン

それはさておいて、彼女がラヴェルに依頼したのはセビリアのとある酒場を舞台にしたスペイン人の踊りの場面に使う曲でした。ラヴェルは元々バスク系フランス人なので、スペインの民族音楽にはなじみが深く、適任だと思われたのでしょう。


シルヴィ・ギエムの「ボレロ」

この曲のもう一つの大きな特徴は、曲の最初から最後まで、一続きの長い長~いクレッシェンドになっているということです。なので最初をピアニッシモで演奏し始めてもその後の膨らまし方の計算を間違うと、最後の「fortissimo possibile(できる限り大きな音で)」ができなくなって大変なことになってしまいます。もちろんメロディごとのフレーズはありますが、曲全体を大きく一つのフレーズとしてとらえて最後にきっちりうまいバランスで大音量のクライマックスへともっていかなければなりません。

ところで、この曲のテンポに関わる話題をご紹介します。トスカニーニ率いるNYフィルがパリで公演を行った時、それを聴いたラヴェルが演奏会終了後、「テンポが早すぎる」とトスカニーニに文句を言ったところ、トスカニーニは「これがこの作品を救う唯一の方法だ」とやり返して、大騒ぎになったというのです。ラヴェル自身が録音したボレロの演奏時間は15分50秒。これに対してトスカニーニが録音したものはなんと13分25秒。これでは喧嘩になるのも仕方ないですね。元々のスペインのボレロというのはテンポのゆっくりした舞曲なのだそうです。ラヴェルとしてはそんなに早いテンポでは「ボレロ」とは言えないという気持ちがあったのかもしれません。私たちの演奏は、現在のところ、14分弱。図らずもこの大御所お二人の間をとっています(笑)。

さて、ラヴェルと言えば「オーケストレーションの天才」です。元々ピアノ曲だったムソルグスキーの「展覧会の絵」をオーケストラ用に編曲して世に出したことは有名です。一方「ボレロ」の方は最初からオーケストラの曲として作曲されたものです。オケではこの長い長いクレッシェンドは、スネアドラムの小さな音から入り、少しずつ楽器を変えたり、ほかの楽器を加えたりしながら、最後はオケ総動員の大音響でクライマックスを迎えるという構成になっています。いかにもオーケストラならではの効果を最大限に発揮させる曲だと思います。

それを今回私たちはオーケストラではなくてピアノで表現します。そこに今回の演奏の難しさと面白みがあります。歯切れ良いスネアドラムの音から金管、木管、弦、そしてヘビー級のティンパニの迫力まで、あくまでピアノらしさを活かしながら、どのように表現するか、とてもやりがいのあるチャレンジだと思っています。「ピアノはオーケストラを表現できる唯一の楽器」とも言われていますので、ピアノの持つ力を最大限引き出して、なんとか二人で力を合わせて成功させたいと思います。

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ベルガマスク組曲

2012年09月08日 | クラシック豆知識
今年はドビュッシー生誕150周年のドビュッシーイヤー。私はドビュッシーが大好きです。最近は、ベルガマスク組曲に取り組んでいます。

この曲は1890年から1894年の間に書かれたものですが、何度も手を加えられ、出版は1905年になっているようです。題名の「ベルガマスク」というのは、ドビュッシーがイタリア留学中に訪れたベルガモの町に由来しているといわれています。ベルガモの町伝統の仮面をつけた踊り手たちが登場する舞曲からインスピレーションを得たともいわれています。この組曲のもつ魅力的な雰囲気、静けさなどから、この町がどんなに美しい町だったかが想像できます。


イタリアの北部、スイスと国境を接するロンバルディア州に位置する現在のベルガモの街並み。州都ミランからは北東へ40キロのところ。町の北側からはアルプスの山すそが始まる。wikipedia

この組曲は、「プレリュード」「メヌエット」「月の光」「パスピエ」の4つの小曲からなります。中でも「月の光」は有名でこの曲は単独でもよく演奏されます。

ベルガマスク組曲は、和声的な色彩が豊かで7の和音が多く使われ、全音階的旋法などの作風は、不思議の世界、あるいは夢の世界へ誘われているような感じがします。美しい旋律と色彩豊かな和音、それに面白いリズムの変化などを用いて、とても美しい世界をつくっていて、いわゆるドビュッシーの世界というものがこの4曲それぞれに繰り広げられています。

ドビュッシーをずっと弾いていると、彼がどれだけピアノのことを理解していたかが分かるような気がします。ピアノの性能をうまく活かした曲作りをしているなあと実感します。しかも魅力的なフレーズも弾きにくくないようにしながら効果を出すという、弾き手のことをよく理解した作曲のテクニックが随所にみられます。私のように手が小さい弾き手にはとても有難い作曲家といえます。もしかすると、ドビュッシーも手が小さかったのかしらと思わせるような作曲技法です。うまく右手と左手を組み合わせて、豊かな音づくりを可能にしています。

9月は、月が美しい頃。これにちなんで、今月はベルガマスク組曲をプログラムの中に取り入れています。


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ラプソディ・イン・ブルー

2012年09月06日 | クラシック豆知識
昨日は、久々にじっくりピアノの練習ができました。秋のコンサート、それぞれの本番で弾く曲が全部違うのでたくさんの曲を抱えています。一日で全曲を練習するのは不可能に近いのですが、昨日はとりあえず一通り全曲弾いて、出来栄えによって今後の練習計画を考えました。

先週、コンクール審査の前日にデュオ・ロイーヴの2回目の合わせ練習をしました。その中の曲の一つに、ラプソディ・イン・ブルーがあります。何年か前に、同じロイーヴで演奏した曲です。

さて、この曲、1924年にガーシュインが作曲した曲ですが、クラシック音楽にジャズの要素を取り入れた名曲として知られています。「ラプソディー」というのはクラシックの世界では「狂詩曲」と訳される言葉ですが、もともとは古くからその土地に伝わる叙事詩を即興的に自由奔放に演奏するものです。そういう経緯から生まれたジャンルなので、それぞれのラプソディーは「ハンガリー狂詩曲(リスト)」や「スペイン狂詩曲(ラヴェル)」などのように、それぞれの民族音楽の香りを伝える曲になっています。19世紀の末にニューヨークのブルックリンで生まれた生粋のニューヨーカー、ガーシュインはアメリカ独特の民族音楽「ジャズ」を取り入れてこのラプソディーを作ったのでしょう。

ガーシュインがこの曲を作曲したときの有名なエピソードがあります。それは彼が出張でニューヨークからボストンへ向かう列車の中でのことでした。ガタンゴトンと列車が走るその音とリズム、鋼鉄の車輪と線路のレールがきしむ音、そんな「騒音」が容赦なく聴こえてくるなか、突然、頭の中に「音楽」が聴こえてきたというのです。

「そのとき突然聴こえてきたのだ。それどころか、譜面の上に全部見えたのだ。このラプソディーの完全な姿が。初めから最後まで全部だ。(And there I suddenly heard, and even saw on paper – the complete construction of the Rhapsody, from beginning to end. wikipediaより)」

これこそまさにラプソディーの本質をついたエピソードではありませんか。決して意図したものではなく、その人の身体に刷り込まれている民族的な感性(ここではジャズ)が、何かのきっかけで刺激を受けて、音楽となってリズムとなって内側からほとばしる。即興的で自由で、そしてどこか人間臭い。この曲を弾いているとマンハッタンのエネルギッシュな喧騒を想い出します。きらびやかな光とその影も。

この曲は、もともとはオーケストラとピアノのための協奏曲ですが、今回私たちは、ピアノデュオの連弾で演奏します。乞うご期待です。さあ、張り切って練習練習!

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防空壕の中のダン・タイ・ソン

2012年07月17日 | クラシック豆知識
先日、豪雨の中、コンクールの全国大会に浜松まで出かけたときのこと。全国大会ですから各地から集まってきていて、他県の知り合いの先生方ともお会いしました。その時、ちょうど豪雨被害のあった地域からやってきた先生がいました。お話を聞くと、自宅が床上浸水してしまった生徒さんがいて、その生徒さんはまだその水がひかないうちに、家族と一緒にドレスを担いでコンクール会場にやってきたのだそうです。本当に大変なことだったろうと思います。

この話を聞いて、ダン・タイ・ソンの有名なエピソードを思い出しました。それは、ベトナム戦争の戦火の中、防空壕の中でピアノの練習を続けたというものです。ダン・タイ・ソンといえば、1980年にアジア人として初めてショパンコンクールで優勝した実力派ピアニスト。1958年生まれということですから私とほとんど同世代といえます。そんなこともあって以前からずっと注目してきた大好きなピアニストの一人です。

ただ、あまり彼に関する情報を目にする機会がなくて、防空壕の話のような断片的なエピソードをいくつか目にしたことがある程度でした。彼のことをもっと知りたいと思っていました。そこで今回検索してみると、とても面白くて興味深いサイトを発見しました。台湾の音楽評論家がダン・タイ・ソンにインタビューして発表した記事を、フリーライターの森岡葉さんが日本語に翻訳してアップしているサイトです。「『遊藝黒白』~ダン・タイ・ソン インタビュー」 このインタビュー記事、ほんとに読み応えがあります。

インタビューの内容は、彼の生い立ちから始まって、ソ連留学時代に学んだこと、ショパンコンクール当時の回想、東洋人として西洋音楽に取り組むことの意義等々、多岐にわたります。是非皆さんにもご一読されることをおすすめします。

ここではあの「防空壕」のエピソードについてだけ簡単にご紹介します。戦火が激しくなってハノイ音楽院も山奥に疎開しました。そこに持っていくことのできたピアノは水牛の背に乗せて運んだたった一台のアップライトピアノだけでした。

(焦): 山の中で、どのようにピアノを学んだのですか?

(ダン): それは、本当に大変なことでした。ピアノがボロボロだったということばかりでなく、もっと深刻な問題がたくさんありました。当時、私たちは防空壕の中で寝ていたのですが、ベッドの傍に地下トンネルがあり、爆撃の音が聞こえるとすぐに地下壕に潜りました。ピアノも、地下室に置いてあったのですが、そこは湿気が多いため、ペダルが効かなくなったばかりでなく、鼠の巣になってしまったのです。毎朝練習する前に、まず棒で鼠を追い払わなければならなかったんですよ! 晴れた日には、ピアノを地上に引きずり出して、乾かしました。学生たちは皆、そのピアノで練習するしかなく、それぞれに割り当てられた時間は1日20分でした。それでは足りなかったので、私は紙に書いた鍵盤の上で、指使いなどを練習しました。

©樋崎香

ダン・タイ・ソン、11月に東京で二夜連続の「ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全曲演奏会」やるんですね。

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ショパンのポロネーズ

2012年05月16日 | クラシック豆知識
ショパンがポロネーズを初めて作曲したのは7歳のときと言われていて、マズルカと並んでポロネーズはショパンの作曲活動の主要なテーマの一つです。まだショパンがポーランドにいて、家族と幸せな日々を送っていた幼い頃から、ピアノの前に座ってはポロネーズのリズムを刻んていたそうです。

そうやって幼い頃からポロネーズの作曲を手がけていたショパンですが、だんだん年齢とともに彼のポロネーズの様子が変わっていきました。初期の頃に比べて華麗な装飾音が加わり、リズムが複雑になり、情緒的な旋律も格段に才能あふれるものへと変化していったのです。ポロネーズは元来、舞踏会のときの舞曲として発展してきたものなのですが、ショパンのポロネーズは、そうした舞曲としてのポロネーズの枠を超えて自由な発展を遂げました。複雑なリズムや転調、曲の規模の大きさなど、あらゆる面でそれまでのポロネーズとは違ってきたのです。

特にポーランドを離れてパリに来てからは、更にそれが発展し、力強い不屈の愛国心を曲に塗りこめて、ポロネーズのリズムを凛々しく使って壮大な曲に仕立て上げるということをしました。陰鬱なあきらめにも似た暗い旋律と高揚感のある力強いリズムと、複雑で厚い和音たち。このように変化をしていったポロネーズです。ショパンの代表的なポロネーズとして有名な「幻想ポロネーズ」や「英雄ポロネーズ」は、もはや普通の意味での「ポロネーズ」を大きく超越した壮大なポロネーズです。

来週の「ゆうあいコンサート」で弾くポロネーズは、ショパンの遺作(生前には発表されなかった曲)のポロネーズで、フォンタナの手によって作品71としてまとめられ発表された曲です。この中から今回はニ短調のポロネーズを選びました。ショパンがまだパリに行く前、十代のころの作品です。後にパリで作曲した壮大なポロネーズと比べるとコンパクトで美しいポロネーズです。高音域から華麗な装飾音を伴いながら流れるように降りてくる旋律、ショパンの感傷的なみずみずしい感性と若い純粋な美しさを感じさせてくれます。そうした中にも彼がもっているやや暗い部分がほんの少し垣間見えもする、そういう作品だと思っています。

この作品、私にとってステージで弾くのは初めての作品です。美しいメロディーに囚われ過ぎて、リズムがおろそかにならないよう、気をつけて弾こうと思います。

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ドビュッシー「アナカプリの丘」

2012年04月12日 | クラシック豆知識
ドビュッシーの前奏曲、第1巻の第5曲に収められているのは「アナカプリの丘」という曲です。楽譜の冒頭には、「きわめて中庸の速さで 溌剌と」と記されています。

ナポリの沖合に浮かぶ風光明媚な小さな島、カプリ島の高台にある小さな村がアナカプリです。この島はドビュッシーお気に入りの島だったようで、何度も訪れたのだそうです。


アナカプリの丘から対岸のソレント半島を望む(きっとドビュッシーもこの景色に心打たれたのだと思います)

最初の導入の部分で2つのモティーフを示しています。ひとつは6個の八分音符が5度音程の組になって3組。それぞれが響きあい、もやがかかったような状態を作ります。ぼんやりと朝焼けのような響きを感じます。そしてそれに続く2つ目のモティーフは、全くムードを変えて、軽やかに速く弾く16部音符を含むモティーフです。

そして、朝が始まったかのように、タランテラの部分が始まります。キラキラとした朝日を思い浮かべるような音が続き溌剌と音楽が進んでいきます。中間部にナポリの民謡風の歌が挿入されていて、これがまたちょっと味な雰囲気。対位法を用いている箇所があり、デュオで歌っているようにも聞こえます。

カプリ島をとりまく海は、写真で見るとものすごいブルーの美しい海。その海が太陽に反射してキラキラと光る風景を想像します。そこに暮らす人々ののどかなナポリ気質の歌が、ますますアナカプリの丘に旅をしたくなる要因でしょう。

フランス人のドビュッシーが、イタリアのナポリの歌を絶妙なタッチで作っているおしゃれな曲。センスよく弾けたらいいな・・・と思います。


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ドビュッシー「沈める寺」

2012年04月11日 | クラシック豆知識
5月に予定されている私のコンサートのプログラムの中に、ドビュッシーの「プレリュード(前奏曲)」を入れています。

この前奏曲では、ドビュッシーは曲の始めのところではなくてその曲の終わりの余白の部分に各曲のタイトルを書き込むという、ちょっと変わったことをやっています。第1巻の10番。「深い静けさのうちにやんわりとなる音の海の霧のなかで」これは、この曲の楽譜の最初に書いてある言葉です。そして曲の終わりの楽譜の余白に「沈める寺」というタイトルが書かれています。このタイトルは、ドビュッシーが幼少の時に読んだケルト地方の伝説に由来していると言われています。その伝説とは、大きな教会の大聖堂のが、そこの住人の不信仰や王女の嫉妬により、海に呑み込まれてしまうという伝説だそうです。

この「沈める寺」という曲は、冒頭の付点全音符の響きを聞きながら、四分音符がさざなみのように静かに刻まれていきます。その五度和音の連なりは、それだけで人を不思議な世界へと誘って行く魅力をもっています。

その不思議な静けさから少しずつ動きをつけて、だんだん高揚していきます。沈められていた大聖堂が少しずつ姿を現し、ついには、堂々たる姿を海の上に表します。ハ長調の毅然とした和音が連なり、いかにも立派な建築物がそびえ立っている様子が強調されます。

そして、再び海に呑み込まれ深く海底に沈んでいきます。後に残ったさざなみのような音が静かに静かに余韻を残して・・・。

私は、この最後のところのさざなみのような音を聴くと、大勢の人がお経を唱えているのが遠くに微かに聞こえているような、そんな気がしてなりません。例えばタイのような仏教国で大勢のお坊さんたちのお経の声がしてくる、そんなイメージがわいてくるのです。

実際、ドビュッシーがオリエンタルなものに深く興味を示していたことはよく知られていますので、まんざら私の感じ方もまちがっていないのではないかしら?という気もします。それほど不思議で魅惑的な五度進行の和音の連なりですね。

ここにタイトルが

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ドビュッシー生誕150年

2011年11月25日 | クラシック豆知識
今年は、リストの生誕200年でにぎわった一年でしたが、来年はドビュッシー生誕150年のドビュッシー・イヤーです。この150年って、キリがいいのか悪いのかちょっと疑問ですが、クラシック業界も色々と大変なので、とにかく何かキャンペーンがうてる旗印が必要なのでしょう、「ドビュッシー生誕150年」と銘打ってすでにいろいろ企画されているようです。

今年はせっかくのリストイヤーでしたが、私にとっては、グリーグの一年になったので、ステージでリストを弾くことはあまりありませんでした。ただ、リストの書いた練習用の曲集「テクニカル・スタディーズ」にはさんざんお世話になっているので、リストさんには本当に感謝しています!

さて、来年のドビュッシー・イヤーは楽しみですね。私はドビュッシーは大好きです。これまでも何度もステージにのせたことがありますし。来年はぜひ色んなドビュッシーを弾いてみたいと思っています。ということで早速、昨日からあれこれ引っ張り出して練習開始。プログラムを考えるのもこれまた楽しいですね。

ここで私の演奏を録音したものをご紹介します。ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」です。よろしければ聴いてみてください。

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ベートーヴェンのコーヒー

2011年09月24日 | クラシック豆知識
私の朝は一杯のコーヒーから始まります。目ざましが鳴って、ああ、もう起きなくちゃと必死にもがいて何とか台所まで行って、最初にすることがコーヒーを淹れること。熱くて、苦くて、香りの高いコーヒーを飲むと、やっと目が覚めた気がします。

さて、今日は、ベートーヴェンのコーヒーにまつわる話。ベートーヴェンは大のコーヒー好きだったそうですが、いかにもベートーヴェンらしく、毎日飲むコーヒーを淹れるのに使うコーヒー豆の数を、きちんと60粒と決めていたという、有名なエピソードがあります。あの大作曲家がコーヒーを淹れるたびに一粒一粒コーヒー豆の数を数えていたなんて、想像するとちょっと可笑しくもありますが、ベートーヴェンならありそうな話です。

それで、我が家で淹れるコーヒーは一体何粒なのか、私も数えてみることにしました。もちろんこれまでそんなこと数えてみたことありません。コーヒー用のメジャーに一杯すくって一人分という、いたって普通の淹れ方をしています。ではその普通の一杯にコーヒー豆が何粒入っているか、数えてみましょう。


これ、何粒だと思いますか? 答えは102粒でした! なんと、ベートーヴェンの1.7倍!!

それでは逆に60粒とういうのはどれくらいの量なのか、このメジャーではどのくらいの感じなのか、見てみましょう。

う~ん、やっぱり少ない。ベートーヴェンは、意外にもそんなに濃くないコーヒーを飲んでいたのですね。コーヒー豆のサイズは、昔も今もそんなに変わらないでしょうし、60粒というとかなり薄めのコーヒーじゃないでしょうか。ベートーヴェンのことだから、難しい顔をして、濃いコーヒーを飲んでいたんじゃないかというイメージを抱いていたのですが、どうやら違ったようです。

そんなベートーヴェンさんに想いを馳せながら、今朝も我が家流の濃いコーヒーを美味しく頂きました。

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