ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

「月光」ソナタ について

2013年01月15日 | クラシック豆知識
3月1日金曜日に行う私のリサイタルで最初に弾く曲は、ベートーヴェンのソナタ「月光」です。この「月光」というタイトル、実はベートーヴェンがつけた名前ではありません。ベートーヴェン自身がつけたこの曲の本当のタイトルは「ピアノソナタ第14番嬰ハ短調作品27の2(幻想曲風に) 」というものです。「月光」というのは彼の死後、著名な音楽評論家で詩人のルートヴィヒ・レルシュタープが、月明かりに照らされた湖面を進む小舟のイメージとこの曲の第一楽章とを重ねあわせたことから有名なになった通称です。

さて、ベートーヴェンがつけたわけではないこの題名。果たしてベートーヴェン自身がこの曲に込めた曲想を本当に正しく反映しているのかといえば、決してそうではないという見方があります。

このことを力説しているのが私の大好きなピアニストの一人であるアンドラーシュ・シフです。アンドラーシュ・シフによる講演の録音で彼の解説を実際に聞くことができます。ここでシフはこのベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番のタイトルを「月光」とするのはまったくの「ナンセンス」だと言い切っています。以下、シフの説明を要約してみましょう。

まず、偉大なピアニストで指揮者、教育者としても有名だったエトヴィン・フィッシャーによる「発見」のエピソードの紹介です。フィッシャーはどうしてもこの曲の通称「月光」というのが、この曲の曲想を表すものとしてふさわしいとは思えず、色々と研究を行なっていました。ある日、何か手がかりがないかとウィーンの図書館に出かけて、ベートーヴェン関連文書を見せてもらっていたときに、ベートーヴェンの手書きメモに目を留めました。そこにはモーツァルトの作曲した「ドン・ジョバンニ」の楽譜の一節がべート-ヴェンの手によって書き写されていたのです。それはオペラ、ドン・ジョバンニの劇中で、騎士長がドン・ジョバンニの剣に刺されて倒れて死んでいく場面に使われているフレーズでした。そしてこのフレーズこそ、ベートーヴェンが「月光」の第一楽章に(嬰ハ短調に転調して)取り入れたフレーズの元になっているということは明らかだというのです。

この発見により、フィッシャーはこの曲は湖面の月明かりなどとは程遠い、死の場面、葬送の場面をイメージしたものにほかならないと主張したのです。アンドラーシュ・シフはこの話しを紹介しながら、全くその通りだとフィッシャーに賛同しています。そして実際に「ドン・ジョバンニ」のその一節と「月光」の該当部分を弾いて聴かせて、聴衆に「ほらね、私にはこれで一目瞭然だ。これはムーンライトとは何の関係もない、ドン・ジョバンニの死の場面です。葬送の場面なんです。」と述べています。

さて、どうしましょう。月明かりに揺れる小舟のイメージと、死のイメージとでは大違いです。片やロマンティックで、一方は暗く深刻です。

皆さんはどちらの解釈の方がしっくりきますか? 私も実はこの「月光」というタイトル、以前から何だかしっくりこないなあと思っていました。この曲から感じることは、美しさとか風景の描写というよりは、暗くて悲しい深刻なテーマ。それがずっと横たわっているという感じです。その点ではシフの言うとおりだと思います。

例えばドビュッシーのベルガマスク組曲の中に「月の光」という曲があります。この曲は夜の湖に映った月の光が水の動きによって揺らいだり、きらめいたり、雲に隠れて影になったりと、大変描写的で、そのタイトルと曲想が本当にぴったり一致しています。

ところが、このベートーヴェンのソナタは、そうではありません。もっと内面的な心の嘆きや悲しみの声が聞こえてくるような気がするのです。ただしかし、そうは言ってもムーンライトソナタとしてこんなに有名になったことにも理由があるはずで、それを無視することはできないし、シフのように「ナンセンス」とまで言い切るのもどうかと思います。そもそも月の光といえば、太陽の光のように明るくはないし、ろうそくの光ほど弱々しくもなく、闇夜に冴え冴えと光るものだから、私の感じる暗さ、深刻さ、不安というものをそこに重ねてイメージすることも十分可能なのですから。

というわけで、私はこの曲を暗い闇夜をかすかに照らす月明かり、それは決してロマンティックなものではなく、嘆きと悲しみ、そして死のイメージをも含めて、それでも時を刻み、静かに光る月に託したものと解釈しています。そうすることによって第二楽章の凛とした新たな息吹が一層引き立つし、第三楽章の激しさ、クライマックスの効果が高まっていくと思うからです。

ちなみに、この曲がベートーヴェンとは無関係に「月光」という通称で世間に広まって行ったことを苦々しく思った専門家はフィッシャーやシフだけではなかったようです。そうした専門家の批判に対して、ある有名な音楽雑誌の創立者が残したという反論の言葉が興味深かったので、最後にご紹介しておきます。

「頑固な批評家たちがほとんどヒステリーになったような勢いで、レルシュターブのことをあげつらっているのは、まったく馬鹿げたことだ。こうした頭の硬い批評家たちが分かっていないのは、そもそもこの曲に『月光』のイメージを結びつけるということがこれほど世間のみなさんに受け容れられてなかったとしたら、レルシュターブの言葉はもっとずっと以前に、とっくに忘れ去られていただろうということだ。」(WIKI)

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コメント (4)
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